まぁ、土曜日に帰りが遅くなり、土日で6人分のブログとなると、流石にきつく・・・・
やっと元に戻ったのね・・・そしたら、まぁ読む方もビックリの7000文字・・・・。
入れも入れたり、読むも読んだり・・・どちらも凄いのね。ただ何しろこっちもただの日誌や日記じゃないからね・・・きちんと毎日の生き様の報告でもある訳で・・・。
更に遠方の方の人達に指導もどき位になれば・・・とも思うし、いずれにせよ色々な意味があって・・・・、それはそうと、今日も産卵からスタ-ト。
4腹目。今回は間引くって事がテ-マなんで、沢山あっても、去年のように自然淘汰って事で無く、ちゃんと自分の手で選別をする・・・その練習でもある。
そんなこんなで今日は1時からリピ-タ-さん教室。それまでの間は、昨日のフレスポの下地のペ-パ-掛け。
そうね、この方も月に1回のペ-スで、アトリエのみ。だから進み具合は遅いけれど、
質としては悪く無い。特に1cmタイルを切る事にも四苦八苦って事は無く、
そろそろテクニック指導も必要かな?って話しになる・・・例えば、全体的に同じ感じに葉っぱが作られているので、一番下の葉っぱの時に、濃い緑を4.5粒集中して貰った。
それで何かが変わったように見えたなら?きっとこれからそれが必要になる・・・と言う事になる。では一体何がどう変わったように見えるか?・・・
それは、今までは葉脈を濃い緑でその他の葉っぱ部分を、薄い緑で作る事で、葉脈をはっきりさせる・・・こんな事を意識して作っていたと思われるのね。
って事は、葉脈中心に考えていた事になる。その考え方を変えて、今度は陰影なんて事を意識するようなアドバイスをして見た。それが濃い緑を4.5粒集中させる事で、
葉脈だけでは無く、葉っぱ全体を考えられる。こんな事を教えた時、今回は無かったが、
時々、最初から教えてくれれば良いのに・・・なんて人がいるのだけれど、
そもそもが葉脈を作ろうとし、それらしく見えた事での更なる指導であり、そんな事を意識してやろうしている・・・・とか、結果としてそう見える様になった・・・とか、
出来た事での指導であると言う事で、そもそもこんな技術は葉脈を作る事よりは簡単。
勿論、教えてしまえばね。けれど、そんな小手先のテクニックを簡単に手に入れて、
葉脈の細さみたいな事をやらない・・・それなら単純にクラッシュでも入れれば良い。
そもそも色だけに頼るって言うのは、料理で言えば、素材が良いからどう切ったって、
盛り付けが綺麗なら何とかなるよ・・・って教えているようなもの。俺はそんなに良い素材ならしっかり切れるように・・・・まずは切る事。厚みの違う刺身なんてね・・・。
そう教えているつもり。けれど、別に大した違いは無いでしょ・・・先に進みたい・・・
そう思っている人に、盛り付け方を教えた所で、あぁ簡単だわっ・・・って言うのでは、
続けるに当たって、そんな気持ちで切られてしまう・・・それでは大切な素材を、しっかり取り組んでくれている人達と同じ気分ではやらせられない。お金の問題じゃない。
しかも、それでkatsuに習ったと言われてしまうのでは、信用さえも失う気がする。
勿論、体験のような初めての人に言うつもりは一切無い。
続けている・・・続けて行くって言う人に限って。要するに上手くなるって言うのは、
意識なのである。その意識って言うのが、それは美しいですか?って話。
それについても、きちんと時間にとらわれずに・・・と作れるようになった人に限ってであって、最初から美しさのみを追究されても、体験の1回だけでは、時間内で出来る範囲
であり、そこでは終わる事が一番大事になり、美しさは2番目以降になる。それが意識として、多少時間が掛かっても・・・って思えたら、その多少は一体いつ?となる。
それが3回なのか?6回なのか?要するにそれが我慢の限界・・・つまり覚悟になる。
そして、それを聞いた上で、下絵を見た上での大きさの判断となる。
そんな中、最初は戸惑い、果てしなく感じる事があっても、こうして出来て来ると、あぁ綺麗だ・・・とか、終わりが近い・・・って思えて来ると、気分が良くなる。
こうした気分になると、早く終わりたい・・・って思う人と、もっと良くならないかな?
と思う人に分かれたりする。その時、余りに果てしない構想の場合は止めたりして、
逆に楽々やろうとする人には、ふぁいなるあんさぁぁぁ?って聞く事もある。
いずれにせよ、どちらを選んでも続ける人の結果が似ている事が大事で・・・・。
そう聞くと、何か違和感があるだろうけれど、食べ過ぎな人には止めて腹8分目と言い、
食べ無さ過ぎの人には、もうちょっと食べられない?って何とか6分目に・・・と言い、
ほら、2分目しか変わらなくなった・・・けれどこれが食べ過ぎは12分目、食べ無さ過ぎは、4分目では、開き過ぎになる。勿論、このさじ加減だって、もう限界・・・なんて、
所まで追い込んでしまっては本末転倒になるし、やる。やらないは本人次第。
何しろこだわりを持てば持つほど時間が掛かるからね。楽をするならまっ良いか。って
言えば、すぐに楽になれる。けれど、チェッ・・・って言い出したら、キリが無い。
それがモノ作り。そんな考え方で言えば、チェッって言えるようになったんだろうね。
だから、そこまで来たんだから、そうね・・・テクニックのご褒美とでも言うのかな?
良く頑張って来たね・・・って。俺は努力をした人は報われるべきと考えるから、
やはり時間を掛けてしっかり作っている人には、必ず前作を越えて頂きたいし、当然その方の回りの人の評価を得て欲しいとも考える。それには結果の出来栄えを考えるのは先生
けれど、それとて必要かどうか?本人の考え方次第。何しろ月に1回の中では限界もあるし、けれど何とか進歩して頂きたいし・・・・そう考えると、時間は変えないで、
何をどう変えると、何が変わるか?となると、意識を変えられるか?になる。
例えば、意識を持った場合の、今日のお教室の終わり方。となると、いつもならギリギリ
までモザイクをする・・・じゃ失礼します・・・・って終わる所を、区切りの良い所で辞めて、バックについての話をする。どんな感じにする?・・・って。
勿論、考えていないです・・・なんて言う場合もある。そこで、こんな説明をする。
もう花が終わった事でひとまずメインは完成した。まだ何かを作りたいならトッピング。
つまりこの花の邪魔をしてはいけないのだから、バニラのアイスにパラッっとチョコチップ・・・あの考え方。大きくてもアポロチョコくらい・・・・。
それでバックとなるのだけれど、ステッカ-のような考え方なら、今まで使っていない色で、沢山の色を使わないようにする。例えば、黄色なんて感じで終われば華やか。
他には、景色のように作れば、バックに空があったり、後ろにまだまだ花を薄く作れるし、・・・・こんな例を何個かあげて、今の気分はどんな感じよりか?を決めて帰る。
そしたら、バックにこう考えていた・・・と書き込む。すると、来月来た時に、その話を思い出すから、今話した事をお互い思い出す・・・そうしないと、今の説明を1からまた
・・・ってなるのだから、いきなり考える・・・から始まる事になる。ひと月1回の数時間を説明の時間から・・・では、やりたいのに進まない事になるし、では家で考えた?
って言うと、考えて来ても、それが出来るかどうかの判断は俺にある訳で・・・。
良く考えて来過ぎて、大幅に変更なんて事も多々ある。
要するにここも、考えていなかった人に考えて・・・って意識させると、大袈裟に意識を持ち過ぎて、構想を広げ過ぎたりする事も多々ある。
そこもさじ加減ってものがある。何しろやる気って言うのは、気分で左右するし、やったりやらなかったりのふり幅の大きい人は、物凄く変わってしまうから・・・。
気持ちの安定感なんてものが、手に入るなんて言うのは、中々難しいものでね・・・。
いずれにせよ、終わる時に、次回に繋がる手掛かりを残して置く・・・これもまた意識。
そんなこんなで、お教室が終わった後にUnidyへ・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9f/07044339ad910dda929890ec1bd319f1.jpg)
また9枚切って来た。左は朝のペ-パ-掛けを終えたもの。右は今日の分。
まっ、少しづつやればヘトヘトに追い込まれないから、何とかなるかな・・・。
やっと元に戻ったのね・・・そしたら、まぁ読む方もビックリの7000文字・・・・。
入れも入れたり、読むも読んだり・・・どちらも凄いのね。ただ何しろこっちもただの日誌や日記じゃないからね・・・きちんと毎日の生き様の報告でもある訳で・・・。
更に遠方の方の人達に指導もどき位になれば・・・とも思うし、いずれにせよ色々な意味があって・・・・、それはそうと、今日も産卵からスタ-ト。
4腹目。今回は間引くって事がテ-マなんで、沢山あっても、去年のように自然淘汰って事で無く、ちゃんと自分の手で選別をする・・・その練習でもある。
そんなこんなで今日は1時からリピ-タ-さん教室。それまでの間は、昨日のフレスポの下地のペ-パ-掛け。
そうね、この方も月に1回のペ-スで、アトリエのみ。だから進み具合は遅いけれど、
質としては悪く無い。特に1cmタイルを切る事にも四苦八苦って事は無く、
そろそろテクニック指導も必要かな?って話しになる・・・例えば、全体的に同じ感じに葉っぱが作られているので、一番下の葉っぱの時に、濃い緑を4.5粒集中して貰った。
それで何かが変わったように見えたなら?きっとこれからそれが必要になる・・・と言う事になる。では一体何がどう変わったように見えるか?・・・
それは、今までは葉脈を濃い緑でその他の葉っぱ部分を、薄い緑で作る事で、葉脈をはっきりさせる・・・こんな事を意識して作っていたと思われるのね。
って事は、葉脈中心に考えていた事になる。その考え方を変えて、今度は陰影なんて事を意識するようなアドバイスをして見た。それが濃い緑を4.5粒集中させる事で、
葉脈だけでは無く、葉っぱ全体を考えられる。こんな事を教えた時、今回は無かったが、
時々、最初から教えてくれれば良いのに・・・なんて人がいるのだけれど、
そもそもが葉脈を作ろうとし、それらしく見えた事での更なる指導であり、そんな事を意識してやろうしている・・・・とか、結果としてそう見える様になった・・・とか、
出来た事での指導であると言う事で、そもそもこんな技術は葉脈を作る事よりは簡単。
勿論、教えてしまえばね。けれど、そんな小手先のテクニックを簡単に手に入れて、
葉脈の細さみたいな事をやらない・・・それなら単純にクラッシュでも入れれば良い。
そもそも色だけに頼るって言うのは、料理で言えば、素材が良いからどう切ったって、
盛り付けが綺麗なら何とかなるよ・・・って教えているようなもの。俺はそんなに良い素材ならしっかり切れるように・・・・まずは切る事。厚みの違う刺身なんてね・・・。
そう教えているつもり。けれど、別に大した違いは無いでしょ・・・先に進みたい・・・
そう思っている人に、盛り付け方を教えた所で、あぁ簡単だわっ・・・って言うのでは、
続けるに当たって、そんな気持ちで切られてしまう・・・それでは大切な素材を、しっかり取り組んでくれている人達と同じ気分ではやらせられない。お金の問題じゃない。
しかも、それでkatsuに習ったと言われてしまうのでは、信用さえも失う気がする。
勿論、体験のような初めての人に言うつもりは一切無い。
続けている・・・続けて行くって言う人に限って。要するに上手くなるって言うのは、
意識なのである。その意識って言うのが、それは美しいですか?って話。
それについても、きちんと時間にとらわれずに・・・と作れるようになった人に限ってであって、最初から美しさのみを追究されても、体験の1回だけでは、時間内で出来る範囲
であり、そこでは終わる事が一番大事になり、美しさは2番目以降になる。それが意識として、多少時間が掛かっても・・・って思えたら、その多少は一体いつ?となる。
それが3回なのか?6回なのか?要するにそれが我慢の限界・・・つまり覚悟になる。
そして、それを聞いた上で、下絵を見た上での大きさの判断となる。
そんな中、最初は戸惑い、果てしなく感じる事があっても、こうして出来て来ると、あぁ綺麗だ・・・とか、終わりが近い・・・って思えて来ると、気分が良くなる。
こうした気分になると、早く終わりたい・・・って思う人と、もっと良くならないかな?
と思う人に分かれたりする。その時、余りに果てしない構想の場合は止めたりして、
逆に楽々やろうとする人には、ふぁいなるあんさぁぁぁ?って聞く事もある。
いずれにせよ、どちらを選んでも続ける人の結果が似ている事が大事で・・・・。
そう聞くと、何か違和感があるだろうけれど、食べ過ぎな人には止めて腹8分目と言い、
食べ無さ過ぎの人には、もうちょっと食べられない?って何とか6分目に・・・と言い、
ほら、2分目しか変わらなくなった・・・けれどこれが食べ過ぎは12分目、食べ無さ過ぎは、4分目では、開き過ぎになる。勿論、このさじ加減だって、もう限界・・・なんて、
所まで追い込んでしまっては本末転倒になるし、やる。やらないは本人次第。
何しろこだわりを持てば持つほど時間が掛かるからね。楽をするならまっ良いか。って
言えば、すぐに楽になれる。けれど、チェッ・・・って言い出したら、キリが無い。
それがモノ作り。そんな考え方で言えば、チェッって言えるようになったんだろうね。
だから、そこまで来たんだから、そうね・・・テクニックのご褒美とでも言うのかな?
良く頑張って来たね・・・って。俺は努力をした人は報われるべきと考えるから、
やはり時間を掛けてしっかり作っている人には、必ず前作を越えて頂きたいし、当然その方の回りの人の評価を得て欲しいとも考える。それには結果の出来栄えを考えるのは先生
けれど、それとて必要かどうか?本人の考え方次第。何しろ月に1回の中では限界もあるし、けれど何とか進歩して頂きたいし・・・・そう考えると、時間は変えないで、
何をどう変えると、何が変わるか?となると、意識を変えられるか?になる。
例えば、意識を持った場合の、今日のお教室の終わり方。となると、いつもならギリギリ
までモザイクをする・・・じゃ失礼します・・・・って終わる所を、区切りの良い所で辞めて、バックについての話をする。どんな感じにする?・・・って。
勿論、考えていないです・・・なんて言う場合もある。そこで、こんな説明をする。
もう花が終わった事でひとまずメインは完成した。まだ何かを作りたいならトッピング。
つまりこの花の邪魔をしてはいけないのだから、バニラのアイスにパラッっとチョコチップ・・・あの考え方。大きくてもアポロチョコくらい・・・・。
それでバックとなるのだけれど、ステッカ-のような考え方なら、今まで使っていない色で、沢山の色を使わないようにする。例えば、黄色なんて感じで終われば華やか。
他には、景色のように作れば、バックに空があったり、後ろにまだまだ花を薄く作れるし、・・・・こんな例を何個かあげて、今の気分はどんな感じよりか?を決めて帰る。
そしたら、バックにこう考えていた・・・と書き込む。すると、来月来た時に、その話を思い出すから、今話した事をお互い思い出す・・・そうしないと、今の説明を1からまた
・・・ってなるのだから、いきなり考える・・・から始まる事になる。ひと月1回の数時間を説明の時間から・・・では、やりたいのに進まない事になるし、では家で考えた?
って言うと、考えて来ても、それが出来るかどうかの判断は俺にある訳で・・・。
良く考えて来過ぎて、大幅に変更なんて事も多々ある。
要するにここも、考えていなかった人に考えて・・・って意識させると、大袈裟に意識を持ち過ぎて、構想を広げ過ぎたりする事も多々ある。
そこもさじ加減ってものがある。何しろやる気って言うのは、気分で左右するし、やったりやらなかったりのふり幅の大きい人は、物凄く変わってしまうから・・・。
気持ちの安定感なんてものが、手に入るなんて言うのは、中々難しいものでね・・・。
いずれにせよ、終わる時に、次回に繋がる手掛かりを残して置く・・・これもまた意識。
そんなこんなで、お教室が終わった後にUnidyへ・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9f/07044339ad910dda929890ec1bd319f1.jpg)
また9枚切って来た。左は朝のペ-パ-掛けを終えたもの。右は今日の分。
まっ、少しづつやればヘトヘトに追い込まれないから、何とかなるかな・・・。