katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室とデイ・サービスのサンプル

2021-11-30 01:58:46 | モザイクタイル教室

今日はちょっとした手違いで、急きょ父の入院先の江戸川病院に行く事になったのね・・・今日の検査の結果次第で明日退院って事になり、その結果報告やら何やらがあるらしいのね。そんな訳でキウイに終わり次第連絡って事になったのね。

まぁしかし、この所良く通っているので、もう見慣れてしまったこの病院・・・以前お知らせしたけれど、何しろあれこれ突っ込み所満載の病院なのね。まず駐車場のペイント・・・何か壁に絵が描いてあるのね。ちょっとしたストリートの絵。

そしてまず出て来るのがエミューの小屋。ちなみに知らない人に簡単な説明をすれば、小型のダチョウ。そして更に歩くと、まずは伊勢海老の水槽があり、総合受付の前には、イグアナやアロワナなどがお迎えなのね。

ちなみに忘れては困るのが、ここは病院なのね。更に至る所の壁や天井にも絵が描いてある。その絵もかなり攻めている外国の地下鉄って感じだったりする。更にここは何室みたいな表示が、ドンキのポップ?って思うような文字だったりして・・

ただ結構見て来たから、簡単な事ではビックリもしなくなったが、案内された部屋について、爬虫類がいる部屋なんですが、大丈夫ですか?・・・って。はいと答えて向かうと、何と白い鳥居の上には白蛇神社って・・・しかも白蛇がいる。

更に他にも蛇がいて、更にイグアナ・・・すると、研修の団体さんかな?ここが白蛇神社の待合室みたいな説明されてて・・・この部屋は入った事が無く、まだあったのか?・・・突っ込む所ってな話。興味があったらググって見てね。

そんなこんな結果は、明日退院の運びとなったのね。所がそうなると、今度は明日、午前中は親父が退院、午後から母の緑内障の手術・・・もはや医者の送迎番長となっているのね。そんなこんなのキウイ教室・・・。

流石にお楽しみ作品にいつまでも掛けている訳にも行かず・・・完成の運びになったが、これだけ凝ったら、流石にキウイでも苦戦するのね。ただ実によく出来ているのね。まずは右から言うのなら、プチクローバーの色使い。

このメタリックの中に赤を入れるのかぁ・・・参考になるのね。メタリックだけなら渋い感じになる所に、パンチの利いた赤を入れる事で、華やかになり、かつ可愛くもなっているのね。欲を言えば幹の部分を余り細かくせずに、2,3パーツに

シンプルにした方が可愛かったかな・・・。左にしても、右のバックはシンプルな水色のみで、よりプチクローバーが目立つものと、左は色んな緑を入れる事で、モザイクっぽく見せていたりして、雰囲気を変えているのね。

しかも両方、1cmタイルで丸だらけ・・・これは地味ぃぃに時間が掛かるのね。見る側としては可愛いな・・・って感想になるだろうが、作り手側で見たら、見た目の可愛さとは逆に、シュールに手間が掛かる事をしていたりするのね。

まぁ何とか終了となったが、季節モノはなるべく早く終えて飾りたい訳で・・・これで明日から飾れるのね。そんな後は、まずは蕨のクリスマスツリーの星を1cmを切っての仕込み。

これでようやく完成。更に来年早々のデイ・サービスのサンプル。

イワシの頭にヒイラギ・・・これはどこぞの地方のものだと思うんだけれど・・・節分の時の鬼除けらしいのね。イワシの頭は臭いって匂いで嫌がらせて、ヒイラギのトゲドケで目潰しらしいのね。でもそれは何時代の話?となるのね。

そこで令和風味を入れると・・・イワシの骨の部分に、藤の花を入れる事で、鬼滅の刃を入れて見たのね。これで鬼除けを更に念押しになるだろうね。後は目地のみ。後は当座の下地はペンギン・・・それだけなら、明日でも何とかなるかぁ・・


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蕨市歴史民俗資料館用のクリスマス下地

2021-11-29 01:16:05 | モザイク作家

今日は来月行われる、蕨市歴史民俗資料館用の下地作り。ペンキ&オイル塗り。予備を含めて21枚・・・割と最近では久しぶりに多い数・・・今日はそれだけで丸々1日掛かっちゃったのね。しかし、この下地かなり手間が掛かるのね・・・。

原因の1つは外側の細い線みたいな部分。ここには目地が入りツリーの輪郭がはっきりする・・・って具合なんだけれど、いつもの事なんだけれど、サンプルを作る時は1枚なんで、何と無く作れるのね。その時に気にしてはいるんだけれど、

それを何個・・・って言う時に、1個の時の大変さと、何個も作ると・・・って結構違っていて、思った以上に時間が掛かるなんて事になってしまうのね。今回は完全にそれって感じ。残っている下地としては、ペンギンの場合は、この後もう一枚

の木を切ってフックを付ける・・・って事になると、組み立てなんて事になると、工程が増えるから、これもひと手間掛かる。これがdiybaseでのカフェトレイみたいな場合、彫る時間は多いものの、最大4人だし、恐らく1日で彫れるから、割と

手間として複数の工程が無い分、気分的に楽なのね。やはり簡単そうに見えても、工程が多いって言うのは油断出来ないのね。彫る事1つでも、刃を取り換えるってだけの事でも、1つの刃で出来るだけでも違うし、焼くとか、道具の数でも大きく

変わるのね。まぁフライパン1つで済む料理とか、下処理が必要とか、先日のポテトサラダ話のように、メインディッシュでは無い癖に時間の掛かる料理と焼くだけで済む肉とでは、食べる側の反応が大きく変わって来る・・・。

そんな事と一緒で簡単そうに見えてしまう可愛い下地と、凝っているように見えるって下地って言うのがあって、どれも手間は掛かるんだけれど、そう言う点では、ペンギンなんかは簡単そうに見えてしまうんだろうが・・・。

それはそうと、来月になって後はデイ・サービス用の絵馬を作れば、ひとまず下地は落ち着くのね。


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diybaseさんでの出張教室

2021-11-28 08:03:33 | 出張教室

今日は午後からコーナンさん内のdiybaseさんの出張教室。それまでの前後は隣のコーナンさんのDIYラボブースで、下地彫り。これも良い宣伝になるのね。そんなこんなで始まるも、ちょっと手違いがあったみたいで、2名だったのね。

まぁそんなこんなで、お1人は先日いらした方の友人の人らしく、もう一人は小学生の女の子。

まぁ二人ならマンツーマン的な話になるだけで、体験って内容では無くなって来るもので・・・例えば、丸のタイルをどうぞお好きなものをお選び下さい・・・って事になるのね。そうなると、当然バックもお好きなもので・・・になる。

つまり好きなものだけを選んだから、自分の好みになったはずなのね。所がそうならない事があったりするのね。おかしいでしょ?でもそれは簡単な話で、例えば甘いものが好きって事なら、みりんに砂糖に金平糖って甘いものだけを入れれば良いのかな?

そんな事は無いでしょ。場合に寄っては塩なんて事もある。まぁ理屈はそんな事ね。つまり簡単な話、甘いものだけを選んでも、甘いもの同士がぶつかれば、どの甘さを引き立たせるか?を考えないと、みんな喧嘩しちゃうのね。

そんな事からも、実は何でも好きに・・・じゃ無いのね。例えば、丸とバックにパーツが分類される。丸は数個だけで小さい。当然バックは多い。ではこれを映画の監督になって考えて見ると、5人のプリキュアを自分の好きな色で選んだ。

こんな場合は、その子達が小さいながら主役になる。つまり主役と被った色合いのエキストラは要らないのね。主役が目立たなくなるから。しかも主役が小さい子供・・・バックのエキストラの方がでかい。つまり色は薄目の方が良いのね。

そう考えると、2つ目の彼女の作品って、イースター色のように淡いバックになっているから、丸が目立つのね。しかも黄色の丸をきちんと避けて、バックにも黄色を使ってある。上手く見えないはずが無いのね。

もう一人の方の場合は、今度は主役を後から考えるやり方ね。まず全体像を決めるのね。アクションなんだか、恋愛なのか?はたまたコントなのか?こうした全体像を決めずに好きな事だけを選んでも、結果は中々付いて来ないのね。

そんな中、サンプルなんか気にせずに、お好きな色は何ですか?の質問にブルーって言うので、味付けは濃いですか?薄いですか?となると、薄目・・・って事なんで、だったらバックが薄いんで、何色の丸でも良いですが、シンプルに大人っぽいなんて事なら、

パンチのあるブルーなんて入れとくと、ちょっぴりスパイシーな味付けになりますよ・・・なんてお知らせも出来たりする。そこに自分の好きな紫なんてのを入れたりしたんだろうね。さじ加減ってのはそんな事なのね。

これが全部同じ色の濃いブルーでは、確かに安全ではあるけれど、遠近感が出ず、ペタっとしちゃうのね。色を少し変えた事であっちにあったり、ここにあるみたいに、丸だけでも表現されているのね。

つまり濃い目のブルーはここにある。紫はあっちにある。そんな表現になるのね。まぁ言葉で言うのなら、これ、あれ、それ・・・ラップじゃ無いが、韻を踏むとこんな感じ。これ・・は手が届く。それ・・・は手が届かない微妙な位置。

そしてあれ・・は遠くの表現。これが五感の1つ視覚の操作。どう見せるか?がテクニックになるのね。これを聴覚で表すと、ドン、トン、スーみたいになるのね。これ・・は近い表現だから、ドンと叩く。それは微妙に濁点を取り、トン。

全力では叩かない。そしてあれは、遠く・・・つまり余韻で良いのだから、叩かないで、叩いた1つ前を切らずに伸ばす。こんな感じになるのね。こう言う事を上手い人達は見る側、聞く側を操作しているのね。偶然じゃ無くて必然に。

昔、初代三平師匠が子供に、お父さんが笑われている・・・って言ってたのを、笑われているんじゃ無くて、笑わせているんだよ・・・ってエピソードを聞いたが、まさにその通りで、釣れたは偶然、釣ったは必然なのね。

ただね、アトリエ教室なら、この程度の話は普通でも、体験に必要か?となると、楽しい・・・が一番大事なんで、あんまり小難しい話もね。まぁそこを取扱説明書にならないような馬鹿っ話に聞こえるようなお知らせの表現にするのね。

あっても無くても良い話として・・・必要な人は必要だし、必要ない人は、無くてもそっとして置いても楽しいから。だって物作りが嫌いな人はここには立ち寄らないからね。そもそも読んで字のごとく、diybaseなのだから・・・。

まぁ先日もそうだったが、片付けをしても1時間半位で終わっていたから、今日も順調だったのね。まぁ楽しんで頂けて何より。そんな後は下地作りのお客さんに早変わり。

ひとまず全部彫り終わって、アトリエでペーパー掛けとペンキ塗り。

黒の表面は2度塗り終了なんで、後は白の2度塗りと、裏面を塗ればペンギンは終了なんだけど、これはフック部分の木とフック付けが残っているのね。ツリーは輪郭の溝のペーパー掛けと、オイルとペンキ塗り・・・。

明日どこまで追い込めるかな・・・

 


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急ピッチで色んな下地

2021-11-27 01:42:39 | 出張教室

今日は何しろ色んな下地デー。来週にコープみらいさんと埼玉に出張教室があって、ペンギン5個に大きいクリスマスツリーが20個、デイ・サービスの1月用のサンプル・・・まぁ幸い20個は先日追い込んでいるので、後1回彫れば良いのね。

とは言っても、少なくなっても20個分だからね。そんな訳でコーナンへ。すると、先日お話しした本気モードのお姉さんがいらして、今日は友達の指導みたいで、教えてたのね。そんな中、diybaseの方ともご挨拶をして・・・。

割と順調に事が運んでいると、diybaseの方が、明日の予約って受けますか?・・・って。どうやら予約が入ったようで。それじゃ今から下地を作ります・・・って事で、急ピッチの制作となったのね。と言う訳で3名って事になったのね。

先週に引き続き中々の好調なんじゃ無いの。って喜ぶのもつかの間、先日確認したペンギンが5個だったんだけれど、1人キャンセルって事で4名になったんだけど、もう彫っちゃったのね・・・残念。そんなこんなでアトリエに戻って、ペーパー

掛けやペンキ塗り・・・明日の分は完成して間に合ったのね。そんなこんなで今日も終了って帰宅した後に、メールを見ると・・・明日の予約があって・・・とは言え、流石に11時を回っているから、もう下地は出来ないけれど、違うクリスマスツリーで良ければ・・・と返したのね。どうなるのかな?


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クロダイのモザイク

2021-11-26 06:47:41 | モザイク作家

今日は午前中は母の病院の付き添い・・・もうやる事は判ったし、イレギュラーな事が起こらない限り、特に慌てる事も無く、ほぼ予定通りに終わったのね。待つ間に珍しく用意していた本も読み終わったしね。

そんな中、老いるって事は・・・って言うのを、ここ数ヶ月でかなり意識する事になってて、スマートに手を引くなんて事が出来るようになったし、自分でも人に教える時に、意識をすれば行動が変わる・・・って教えているのに、その自分が、

意識が足りなかったな・・・と思う事が多々あって、救急車を1週間に2度も経験したり、転倒されて怪我をしたり、老人ってものを知らな過ぎた・・・その意識を持って最近デイ・サービスに臨んでいて、色々と勉強させても貰っているのね。

そんな中、思う事はいっぱいあって、例えば手を動かすって行為。指を動かすって事は脳と直結しているなんて事は誰もが知っていたりする事なんだけれど、それは単なる知識であって、それを意識してやっているか?となると、普通はただ動かしているだけなのね。

もっと言い方を変えれば、動くし便利だから使っているだけであって、自由に動かなくなる日が来るなんて思ってもいない。要するに動く前提スタートなのね。だから何も考えずに使うでしょ?動くし、当たり前だから。でも脳に連結する。

無意識に指を動かし、無意識に脳に良い事をしている。無意識なのね。所が老人になるとどうなるか?判りやすくする為に、普通に動く人と、動かなくなる人の違いで説明すると、普通な人は手際良くは出来ないけれど、日常生活に困らない。

だから衰退はしているものの、何も対して困ってはいない。つまり衰えてはいるものの、日常で使っているから当然、脳も無意識に使っている事になる。つまり以前と比較して衰退はしているものの、分量が多少減っただけになる。無意識のままね。

では衰えて行くとは何か?これは理解してしまえば当たり前過ぎて、人に言われる事自体、腹が立つ気分になるような事なのね。増して医者でも無い俺ごときに言われるとね、イラッとどころか、お前に何が判る・・・って事にもなるだろう。

だから、あえて俺ごときの話に興味がある人へ・・・なのね。それを前提に続けると、衰える人はどんな場合か?なのね。良くあるケースは、以前人に器用だね・・・と言われていた人。仕方が無いのだけれど、衰えると結果に表れるのね。

上手く仕上がらない、手際が悪くなる、早く出来ない、もっと出来たはず・・・こんな気持ちになる。何しろ人一倍上手かったのだから。それが炊事だったかも知れないし、作品作りかも知れない。何しろ人より長けていた。本人の意識に関係無くね。人にそう言われていた程度にね。

こんな場合、老いる事を受け入れられないのね。つまりそこを避ける。結果が受け入れられないから。するとどうなるか?簡単な話、別にやらなくたって良いじゃん・・・そうね、別に何も困る必要は無いと思うのが普通なのね。

確かに表面上は何も変わらない。ただ鍛えないのだから、リハビリを放棄した人になる。使わないのだから。当然、手を使わないのだから、脳も使わない事になる。連結しているって知っているのに・・・これがうさぎとカメの話なのね。

良い事と悪い事は背中合わせだし、平等なのね。良い事は、常に人一倍上手くて、早くて、素晴らしい結果が出ていた事。まるでうさぎのように。では悪い事は、そこからいつか転落した時、リハビリをする気持ちにならないと、逃げて使わない事で、悪化するのは、

手だけの事では無く、脳へ直結と言う事になる。勿論使い過ぎれば疲労や、痛む事も人一倍になるし、だから若い時に手を使って鍛えた分、脳も使ったし、使えばバネになった。でも要するに悪くなった原因はプライドなのね。

出来た人が出来ないのだから、うさぎがかめになった気分になるから。やればやるだけ嫌になる。

自分の結果を自分が許せない・・・何とも残酷な話なのね。しかも、しかもなのね。残酷ってのは進撃の巨人や鬼滅の刃だけじゃ無くて、日常なのね。出来た人は当たり前だった。そして衰え方が半端無い事になり、出来なかった人は、最初

から出来ないままなだけで普通でずっとかめ。でも、出来てた人は、つまり入れ替わって行くのね・・・だからうさぎとカメの話になる。童話ってものは、全て教訓の話であって、それを教える為にあるし、だから残っているのね。でも何も知らない幼児のものだと思ったら、

その人はそれを信じれば良い。知らぬが仏と言う言葉があるように。けれどもし、信じる者は救われると言うのであれば、何かの足しになれば・・・って程度の話。つまり老いる事、後退して行くと言うのであれば、比喩として子供に返る・・・

って事になる。つまり子供に返るのなら、今こそ童話なのね。うさぎとかめの話・・・誰でも知っている。それを一体どう自分に当てはめるか?なのね。まぁ大抵カメであれ・・・って事になり、感情移入をするんだろうが、それではみんな一緒なのね。

全員カメなら、みんな同じ結果になるべきなんじゃ無いの?だから人は間違えるのね。それを身の丈身の程なんて意識を持つと、出来る者は遠慮したり手加減したり、出来ないものをかばう事だけを正義とする。果たしてそうなのかな?

俺は出来る者つまり、うさぎの態度を否定すれば良いだけで、出来たからと馬鹿にしなければ、大いに抜き去れば良いし、出来ない者、つまりかめは卑下せず、出来る事をコツコツやれば良いだけの話であって、可哀想とか、言っている時点で、

いつかそうなるかも知れない自分の事を意識していない、つまり意識せずに見下ろしているとも言える。その時が来た時に、自分が可哀想って言われる立場になった時、始めてあの時の事を思い出す事になる。もはやホラーなのね。

悪くなってから、思い出して振り返り後悔するなんて・・・しかも残酷さってのは、複雑で人と比べるものなのね。ここもまた無意識に。例えばカルチャーセンターのように団体だったとする。同じ事をするのだから、早さや上手さの比較になる。

無意識にね。けれど人のが見れる。参考にもなるし、場合に寄っては盗める。勿論盗むのは手際の良さやテクニックの腕で、デザインでは無くね。だから向上も出来たりする。比較するからね。残酷にも良い事と悪い事は背中合わせなのね。

逆に一人だと、比べる相手はいないから、穏やかとも言えるし、もし習っている場合なら、マンツーマンなんで、先生の独り占めとなり、他人に気兼ねせず聞けたりもする。ただある程度、上手くなって行くと、穏やかはのんびりにもなる。

勿論、それは悪く無いが、それ以上を望まなければであって、万が一向上心なんて事になると、そのままでは上手くならないのね。限界がある。だから切磋琢磨するようなライバルのような存在が上手くなるには必要なのね。

これもまた誰もが知り得る事。ただ普通は、趣味だから・・・で片づける。確かにね。それで済む。けれど、乱暴な言い方だが、それでは社会人まで含めて、プロじゃ無い奴らだから、趣味であって、プロはお金を稼ぐ人達ってくくるかな?

実はその考えこそが乱暴なのね。幼稚園も社会人も素人・・・プロ以外はってね。つまり意識を持つって言うのは、学年、年齢、段、何でも良いけれど、そう言う目安を決められている場所なら何も考えなくて良いのね。

しかも目指す意識無く続けていれば、勝手に後から付いて来るものだから。けれど、そう言う基準が無いものは、自分で何か目標や指針になるものを決めないと、漠然過ぎる事になるのね。しかもそれ以上の向上はしずらい・・・。

逆に目的意識が高くてもありさえすれば、労作展に・・・とか、自宅の玄関とか、無謀のような事でも、きちんとやり遂げる事が出来るし、結果も出る。しかも素人であってもね。でも趣味では無い。ここの意識の違いが上手くなる秘訣だったりする。

こうしたい・・・って目的がハッキリしていれば、そこにどうたどり着くか?の相談相手にはなれる。しかし、余りに漠然と、上手くなりたい・・・でも趣味ってストッパーを掛けられると、教える側としては遠慮するから、無理はさせない。

ここまで出来れば十分趣味として成立する所までにする。しかし、労作展やいきなり玄関みたいな場合、当然厳しい事も言う事になる。当然と言えば当然だが、お金も時間も掛かるし、結果が出ないとそれらが無意味だった気にさせてしまうから。

教える側にもプレッシャーは掛かる。がしかし、そのプレッシャーこそが、鍛えるバネにもなる訳で。楽しいだけを選ぶのなら、楽しい=楽って道が一番良いのね。音読み訓読みのように。文字は一緒でも大きく変わってしまうように。

しかしオリジナルって言うのは、自分で考えたもの・・・つまり見た事の無いものなのね。同じものは一つも無いって。ただ実は簡単に真似をされてしまうものって言うのは、オリジナルからは遠いものなのね。

ただこう言うと、勘違いする人もいるだろうから、追加すると、デザインなんてもんは、腕があれば簡単に盗めるのね。盗めないのは考え方なのね。アイデアとしての発想。これは盗めないのね。そもそも盗んでいる人は誰かの真似をしている。

つまり真似しているんだから、見ないと作れないのね。でも簡単に真似したものは、簡単に真似をし返されるものでね。唯一無二なんてもんは、そう簡単には真似出来ないものなのね。まぁ簡単な話で言えば、俺の鬼滅は誰でも作れる。

しかし湯婆婆はどうかな?みたいな話。ただこれは腕の話で、技術。だからオリジナルでは無いのね。しかし平面の作品の模写って言う事からすれば、立体となると、早々いないだろうし、後は完成度の比較になるだろうね。

そんな腕を持ってして・・・のオリジナル制作となった時に、どんな考えを持ってして・・・の部分が唯一無二になる。それは絶対に真似が出来ないものだから。そこを教えたから大作として、初めてモザイクをするような労作展の子供達が真似されない作品になっているんだろうね。

素人でも・・・ね。最初はみんな素人なのね。ただ趣味から抜け出た人・・・・そのきっかけになる意識が、目的だったりすれば、玄関を作りたいとか、テーブルが作りたいとか、労作展で人に見られる作品を作りたいとか・・・。

明らかに趣味とは一線を引いた・・・だから趣味の人よりも上手く見えるのね。単なる意識の話なのね。今日の話は全部。脳を鍛えるのに脳、モザイクするのにモザイク・・・これでは当たり前で誰もがやっている事なのね。

実は脳を鍛える為に、指先を動かす指令を出す練習を反復するなんて言う、目に見える事じゃ無くて、目に見えない事こそが、難しくしかも結果に繋がって行く・・・目に見えない事、すなわち考えるって言うのは悩む事とは違うのね。大きく違う点は、悩むって事は、答えは出なくて良いのね。ん・・・って言っているだけだから。

まぁ本人には悪いが、何の結果も得られないのね。しかし考えるって言うのは、何らかの結論を出さないとならないのね。考えた結果こうした・・・ってね。これが大事なのね。その結果が違っていても良いのね。なら是正すれば良いのだから。

でも悩むだけでは、その答えが無いのね。ん・・・だから。これでは何も進めない。でもここも良い事と悪い事は背中合わせ。ん・・・だけなら、悪くも無く良くも無く現状維持。引き延ばせば時が解決したり、思わぬ急展開もある。

逆に急いては事を仕損じる的に、慌てて考えた場合、後悔先立たずみたいになり兼ねない。まぁ慌てない事なのね。ただね、ん・・・側は、それが通用するのは、若かった時だけなのね。老人側に来た時に、考えて来なかったツケは廻って来る。

その考えて来なかった・・・脳を鍛えて来なかった、指を動かさなかった・・・もうどうなるか、お医者さんに聞かずとも判るのね。これこそがホラーなのね。是非、運動系の人は戦略を考えるとか、物作りの人はオリジナルを作って見るとか、

チャレンジする、今より上手くなりたい、その為には・・・なんて考えてくれると、意識が変わるから、行動も変わるし、当然結果が変わって来るはずなのね・・・おっと長くなった。そんなこんなのここの所の準備としていた、イワシの群れの話は無くなったのね。

まぁチャンスだけは欲しかったんだけど・・・って事で気を取り直して・・・って行きたい所だが、1から考えるって言うのは難しい事で、と言って何もしないって訳には行かないんで、ひとまずクロダイ・・・となったのね。下地があるし。ね。

まぁ捨てる神あれば拾う神あり・・・次の展開になるかも知れない打ち合わせが決まって、一体どんな話に膨らむのかな?ただ今回は少し難しくなるかもな・・・


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外用流しのリピーターさん教室とクロダイのモザイク

2021-11-25 06:25:50 | モザイクタイル教室

今日は午後から外用流しのリピーターさん教室。それまではクロダイのモザイク。

まぁ魚は見慣れちゃった・・・って感じになっちゃったかな?とは思うものの、下地を作っちゃったし、来月前半のイベントや出張教室の準備の事を考えると、余裕を持っていた方が良いし、これなら急きょ他の事をしやすいし・・・。

特に悩むほどの事は無いしね。そんなこんなのリピーターさん教室。とうとう鯉は終わっていよいよ次回からバック。これは先日語った、1匹と複数の違いについて・・・のイワシの群れと一緒の話で、見た人がどう思うか?に繋がる話なのね。

例えば1匹の時は、大きく描く事が出来るから、ウロコもしっかり作る事も出来るし、言葉通りに大きい事から迫力も出るだろうね。では2匹となると、当然小さくなってしまうのね。こう言うと、マイナスにも聞こえたりもする。

しかし、良い事と悪い事は常に背中合わせなのね。大きく迫力があって繊細に作れる・・・しかしその反面、余白が少なくなるって事で、他に作る余裕が無くなるのね。まぁ簡単に言えば、料理に例えると、お弁当をイメージしてね。

余白が無くなる位のメインディッシュ・・・つまりご飯の上に高価なシャケを1匹ドーンと置くと、余白は無くシャケ弁当になる。所が同じシャケでも少し安く、小さい切り身を入れて、卵焼きも、ウインナーも、胡麻和えも・・・なんて事になると、それは幕ノ内弁当になったりする。同じシャケを使ったとしてもね。

考え方1つで、同じモチーフであっても見せ方が変わって来るのね。しかもその余白で物語も大きく変わって来たりもするのね。余白のある事で、落ち葉一枚作れれば、季節さえも描く事が出来る。つまり春夏秋冬描けるのね。

そうなると要するに情緒なんてもんが描けるって事になるのね・・・勿論あくまで権利が発生するってだけね。やらなくても良いんだけれどね。やらない場合は、後はバック・・・って水の色のタイルをただ張れば完成はグッと近寄るのね。

ただ本人は波紋を作るらしく、当然そうなると、情緒側へ行くのだから、楽して終わる気は無さそうなのね。いずれにしても、もうひと手間掛けるって言うのだから、更に良くなるんだろうなぁ。楽しみなのね。

そんな中、1つ打ち合わせが決まってお会いする日程が入ったのね・・・どんな事をするのか?これも決まれば、また準備が必要だし・・・何しろ魚ばっかり作っていてもね・・・飽きられちゃうしね・・・色々大変なのね。


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kameyaさんのサンプルと1月分のデイ・サービスの下絵

2021-11-24 01:22:22 | 出張教室

今日はkameyaさんのご新規さんの体験のサンプルを作って届ける・・・からスタート。これはデイ・サービスと全く同じデザインなんだけれど、二回り位小さいのね・・・それで時間と値段を抑える為にね。ただ流石に次回のkameyaさんに予定では、

余りに時間が無いんで、今回は期待は出来ないけれど、飾りとしては何の問題も無いし、1か月飾れる事で、その次に繋がれば・・・って先行投資的なサンプルなのね。そんなこんなで、戻って下絵・・・1月下旬のデイ・サービス分。

まだ決定じゃ無いんだけれど、イワシの頭にヒイラギの葉っぱ・・・そう言う風習って言うのは聞いた事がある位で、実際は見た事が無いんだけれど、ただ風習の内容が鬼から守るって言う話を知ったんで、デイ・サービスには良いかな?って。

しかも鬼から守るって言うのなら、ご時世として藤の花は欠かせないだろうなぁ・・・と。雰囲気は出来て来たんだけれど、もうちょっと・・・って感じかな?ただ恵方巻と同じ位、あんまり携わって無かったから、関西圏の行事なのかな?

それはそうと、棟梁の家に行く道中、七五三の姿を結構見たのね・・・自分が携わって来なかったから、こうして人の姿で、そんな時期なのか?位の話で、しかも昔はそう言うのを見るのも苦手でね、良く幸せが苦手みたいな表現をしてた。

要するに七五三や成人式、結婚式に、入学、卒業式・・・みんな普段着じゃ無いから、コスプレ的に目立つ。しかもネクタイが黒く無ければ、遠くですれ違っても、お祝い事って見たらすぐ判る・・・。そしたら喜びとか幸せとかってイメージが出来るでしょ?

ただそんな事は俺には無い事だし、それを見て、何してんだろう・・・俺?って気持ちになれば、必ず後ろ向きになる。しかもその後ろ向きな気分になったとしても、その気分転換をする余裕も無かった・・・だからなるべく回避って・・・。

所がコスプレなんで、車の通勤でも、いつもの短い時間の中で、必ず出くわしちゃうものなのね。目に付くから。派手だしね・・・もはや事故みたいなもんで、突然現れるから。避けられない・・・ただ、じゃ宣告された方が良いのか?突然

出くわした方が良いのか?となると、成人式の場合、メディアで明日は・・・みたいに言うから、意識するが、日にちが決まっている成人式とは違って、何と無くこの辺近辺みたいなアバウトな事は、突然になりがち。

運動会なんて昔と違っていつだか判らないし、七五三ねぇ・・・・ただそれも慣れたのかな?いつの頃からか、幸せそうで何より・・・って良い光景、何か季節の風物詩でも見せて貰った・・・何かラッキーって思えるようになった。

まぁ余裕なんだか、慣れなんだか、諦めなんだかは判らないが、いずれにせよそんなに気にならなくなった。そうね、最近では両親の事もあって、楽しい事って言うよりも、現状維持が良かった事であって、それ以上を望む事は無く、

そんな中に身を置くと、人の幸せにホッとする気持ちになったり、もっと言えば、両親も俺達にそうして来て楽しかったんだろうな・・・この先、どうして行けば良いんだろうか?とも思ったりするが、きっと顔を出す事位で、何も出来ず無力なんだろうな・・・

そして俺は両親の楽しみの1つに慣れていたんだろうか?あの人達の人生の役に立ったんだろうか?なんて思ったりもする。ただきっと答えなど何処にも無く、終わりを迎えるんだろうな・・・の心の準備に過ぎない。

そんな時に、妹達が孫を見せてくれて助かった・・・って気分になる。昔はそれすらも、俺がいない方が喜びやすいだろうと、顔すらも出さなかった時期もあったが、きっと両親にとっては、その頃が楽しい時期だったのかも知れない。

そんな事を思うと、責めて終わりの時期位は・・・と携わっている事だけでも、その時間を残してくれたと考えれば、楽しい事は無いが、幕引きに携わっている事だけでも、携われた時間をいつか思い出にして行くんだろうな・・・とも思う。

まぁしかし、罪な道を選んだもんだな・・・と思ったりもする。人と違う道って言うのは、周りにそんな人はいないし、賛同も成功しないと得られない。あの大谷君だって、二刀流なんて・・・と言われ続けて、結果を残せば国民栄誉賞の名前も出たりする・・・

個性で生きるとはそう言うもので・・・成功例は輝かしいが、そんな事はマレであり、大多数は失敗側になる。ただ普通を選ばない時点で、そっち側になっている自覚の無さが引き起こしている話な訳で・・・。そう言う点では、いくらか、

自覚ってものが備わって来たのかな・・・いずれにせよ、半歩でも良いから前に進みたい。後ろに下がった分、取り返す労力は必要以上に力がいる。歌の文句では無いが、三歩進んで二歩下がるのなら、一歩残る。しかし立ち止まったり、

立ち止まらければならない事が起こる前提で、例え半歩でも進む事が、二歩下がる時の一歩残しになるのかな?なんて思ったりもして・・・何しろだからこそ、いついかなる時もアトリエ・・・なのね。

 


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さくら教室

2021-11-23 07:32:18 | モザイクタイル教室

今日は午後からさくら教室。それまでは次のデイ・サービス・・・誰もがこうした提案のワークショップをする場合、何ヶ月も先の事を考えないとならないのね。しかもその定期的に行われる日にちが、月の後半なのね。

例えば20日だったとすると、次回は12月だから、絵馬って事でお正月に飾ってね・・・って事になる。じゃ次は?って事で1月20日みたいになって行くのね。つまりまだ11月なのに、1月後半に2月に飾るものかぁ・・・って考えるのね。

そうなると季節モノを選ぶと、節分なんて事になると、鬼なんて浮かんだりするし、バレンタイン、恵方巻・・・なんてのが浮かんだりする。今までは梅にメジロとか、バレンタインとか、意外と節分から離れていた事もあって、今回はそんな事

を踏まえて、イワシの頭にヒイラギなんてのを考えているのね・・・中々選ばれない題材だと思うんだけれど・・・。そこが、らしい・・・って気もして、まだ決定では無いんだけれど、検討中。そんなこんなのさくら教室。

とは言っても、ここにはあんまりお教室色は無く、つまづきそうな時に、ちょこっと口出し程度の話・・・まぁ何より息抜きな感じだったりもするのね。根詰めてやる事は無いから、その内に・・・って感じなのね。

やっていればいつか終わる・・・それで良いのね。


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イワシの群れの下絵

2021-11-22 06:56:13 | モザイク作家

今日はもしかすると・・・って言う準備の為に、イワシの群れの下絵の続きを描いたのね。もしかするとは、もしかするとって言う事の準備であって、もしかしないと、使うのは先の話になったりもする・・・そんなものの事。

良くある話は、何かにエントリーしようとすると、その作品を今から作る・・・これでは後手後手に回るような事になるのね。それでも、時間の余り掛からない分野ならそれでも十分間に合うが、天気にも左右されたり、他にもやる事があると、

気忙しく作らないとならないから、そう言う制作の仕方が好きじゃ無い事もあると、こうした事前準備って言う事になるのね。例えば湯婆婆も、最初はノリで作っていたが、その果てしなさと、その頃よりもお教室も増え、制作が遠のいた。

それが移転をきっかけに移動看板にする・・・って目的で制作すると、車輪が付いたりして・・・当時とは目的も使い方も変化したりして・・・要するにやっている事は常にモザイクなんで、仮に今の目的に使えなかったとしても、それが生きる

場所って言うのは必ず出て来るもので、無駄になる事は無いのね。しかも事前にこれだけを仕込めるのと、話が決まってから始めるのでは、仕上がりに大きく影響するしね。何しろモザイクって言うのは時間が掛かるものだから。

って言うか、俺は・・・にしとこうかな。そんなこんなのまた魚シリーズ・・・って思う人もいるだろうけど、それがそんな単純じゃ無いのね。まぁオリジナルを作る参考にでもなると良いんだけれど、人には五感なんてもんがあるのね。

だから、別に制作なんて事に携わらなくても、みんな平等にそれは授かっているのね。所が目指す、目指さないって振るいに掛けられちゃうのね。例えば音楽、耳が良い中には絶対音感なんて人もいる。ほら感が付いた。

こんな人は例外だから、大谷さんと同じ扱いでも良いと思うのね。だからもっと普通な事。それは馴染むとか慣れる事。つまり反復練習で、耳で聴いてコピーをする。別に楽譜って言うものを見なくても、スピードラーニング的に繰り返す事

で身に付ける方法はあるのね。ただ楽器なんて弾かないし・・・これで終わってしまう。弾く人と弾かない人って判れる。視覚だってそう。単純なのはゲーム。間違い探しが得意。違うって事に人より敏感・・・また感。

ゲームなんかしないし・・・そうね、あんまり意味無いって言えば、無いけど、見逃さないって言う目は、曲がっているとか揃っていないとか、もしホテルに勤務だったら?審判だったら?判断する目が良いって事になれば、使えば力になる。

味覚もそう。味噌や醤油なんか何でも良いじゃん・・・の人には関係の無い話だけど、こだわりが強ければ、刺身醤油なんて言う特別なものがあったりする。きっと味覚に優れていれば、違いが判るんだろうね。

触覚だって、柔らかさや硬さの違いが判ると、ラケットやバットの質の違いすらも判ってしまう。感触・・・また感なのね。つまりこだわるって原点は感じる・・・なのね。感じた上で、自分はどんな違和感があるのか?とか、逆にフィット

しているのか?なのね。これが上手く行くと、最低限の自己満足にたどり着く。しかし自己流には限界があって、その分野に長けている人などの本やら、画像などで、知識を入れて行くと、洗練されたりもする。

例えばその道を自己流から歩いて、知識を後から・・・って言うのもアリだし、逆に最初に基礎を習って置いてからの、自分流にアレンジして行くって言うのもアリなのね。要するに作詞からなのか?作曲からなのか?的な話なのね。

話を戻して、つまり感なんてものが人にある・・・って事で言うのなら、その感性に触れるって事が仕事なのね。それが魚であってもね。例えば、シーバスやアオリイカの場合、黒い縁取りで1匹だった。しかも輪郭通りにね。

この場合、標本みたいになる。下にネームを入れれば、水族館の案内にも使えたりする。それが同じアオリイカでも、バックのOSB合板があると、今度はちょっと変わって、インテリアとか絵画のような扱いになったりもする。

ちょっと同じアオリイカでも雰囲気が変わったのね。そこに同じ黒い縁取りのスタイルなのに、文字を入れると、アジの作品は、寿司屋さんの看板的なものに変わって見えたりもする。バックの木だったり、文字が入った事でね。

では今回のイワシの群れの場合なら?これがイワシ1匹ならただ魚種が変わっただけなのね。しかしながら群れ。これは違うのね。しかもここにタイトルを入れたとする・・・すると一挙に芸術色が濃くなる。

そもそも進撃の巨人でも、鬼滅の刃であっても、最近の漫画のテーマに似ていて、常に相手の気持ちを考えたりするのね・・・自分の考えを正義としないで。単なる敵と戦う正義って言う単純なものでは無いのね。

つまり1匹の場合、その単純側にあって、似てるか似ていないか?になる。所が群れとなると、1匹似ているとは違い、何匹も似ていないとならない大変さはあるものの、似ているとなると、ただ数の分、似ている度が増すだけでは、割が合わない。

つまりそれ以上の何か?が手に入らないと・・・そこで知恵が必要になる。つまり本当の意味でのオリジナルって言うのは、ただのモチーフなら、似ているか?だけなんだけれど、そのイワシのキャスティグで何を言いたいか?なのね。

例えばシーバスって言うのは、フィッシュイーターだから、餌は小魚。つまりイワシを食べる側になる。しかも東京湾なら、相当大型魚になるし、強いって点ではピカ一だと思うのね。つまり扱いは、ジャイアンであり、ミツバチじゃ無くて、

スズメバチ扱いになったり、巨人であったり、鬼の扱いになる。小さな魚が可哀想って・・・小さな魚側に付いた人達にね。所がじゃイワシは?となると、イワシは餌側では無いのね。イワシもプランクトンを口を開けて大量に食べる。

つまりプランクトン側に付けば、イワシとてシーバスと一緒なのね。これが食物連鎖。そしてそのどちらも人間が食べる。そんでもって、素晴らしい器の先人が、人間の敵は人間って言う事で、ちゃんとしたオチを付けてくれているって話。

まぁそれは置いといて、群れにする事で、後ろにシーバスを付ければ、仲間と逃げ惑う姿にも見え、何も無くイワシだけなら、単なる群れって数のオブジェになる。でもそこにタイトルが付いた時に、そう感じる人がいたのなら?

もしかすると、それがオリジナルの始まりで、もしかすると芸術の入口かもね・・・。大きくて強そうでも、サメやマグロ、そしてシャチやクジラ・・・海には大きな生き物はいくらでもいるし、魚だけと戦う訳じゃ無いのね。

アザラシ、熊、ワニ、そして空から鳥・・・場所に寄っては敵も変わって来る・・・自分が一体何に属すか?で大きく変わって行く・・・勿論、人間なんだけれど、人間の敵が人間なら、どんな人間に属するのか?

弱ければいじめられっ子にもなるし、強ければいじめっ子。こんな単純なら判りやすいが、そんな簡単じゃ無くなった。同じ年、同じ学年、大きい小さい、賢いか?そうじゃ無いか?お金持ちに貧乏、出世したか?しないか?

比較の対象は外国の人と一緒に生活をするようになって、益々しのぎを削っているようにも思える。何処に属していて、今の自分の状況を把握しないと、みんな平等なんて言うのは、幼い頃の話・・・ちゃんと甲乙丙丁みたいな、昔から、

ちゃんと、士農工商みたいに残っているのね。きっと生きるって残酷なんだ・・・と。群れは安全か?となると、群れれば差は生まれるし、群れずに1匹で生きるには、それ相応の魚にならないと、所詮イワシやアジになる。

子供でもマグロは美味しい・・・って比べるのだから。残酷だが黄金アジになったとて、アジは所詮アジ。何万にはならない。しかしマグロなら・・・もっと言えば、そこにブランドが付けば・・・大間のマグロなら、庶民では口には入らない。

本当に凄いのなら、大谷さんのように手の届かないようになるんだろうが・・・。そんなものをいつか作って見たいのだが・・・。

 


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コーナン内diybaseさんで初ワークショップ

2021-11-21 07:16:57 | 出張教室

今日は先日のイベント的なものを経て、午後からコーナン内のdiybaseさんで、初のワークショップ。満席で4名って場所なんだけれど、流石に初めてなんで、そんな簡単には集まらないだろうな・・・と覚悟していたんだけれど、来週も開催・・

なんて感じで、追加に2名って事で滑り出しにしては、十分なスタートになったのね。そんな今日は、どうせ気忙しくなるのなら、いっそ朝からコーナンにいれば良いじゃん・・・って事で、朝はお客でコーナンさんのdiyラボで埼玉用下地彫り。

ワークショップが終わってからも彫ったんで、後は中心部をもう一度彫って終了って感じまで追い込んだんで、後1回で彫り終わるのね。そんな中、従業員さんに紹介されたお客さんに質問されたのね。ウーパールーパーって注文出来ますか?

まぁ詳しい人なら知っているだろうけど、アクアリウムバスに参加していた頃は、爬虫類や両生類を作品として作ったし、ワークショップでもやっていたのね。だから大丈夫・・・すると、そのお客さんがアカハライモリを買ってやって来て・・・

これからここで木を切るらしく、そんな話が膨らむと、どうやら最近のアクアリウムバスに行っているらしく、すれ違いみたいで、ただ今も参加している人達の中に、俺の知っている人達もいるから、詳しいな・・・と思ったみたいなのね。

まぁそこからどう発展するか?は判らないけれど、いずれにせよ支度の時間になり、お開きとなったのね。そんなこんなの初ワークショップ開催。

それがみんな手際良く早くてね、1時間ちょっとで張り終わっていたのね。そんなに簡単だったっけ・・・?そんな中、一番ビックリしたのがこれ。

子供さんがご参加って事だったんで、1人だけ小さなニッパーを渡したんだけれど、みんなと一緒が良かったらしく、それじゃ俺の使うかぁ・・・って渡したのね。そしたら随分器用に扱うのね。経験者なら判るんだけれど、俺のニッパーはバネが硬いのね。

だからきっと返して来るのかな?と思いきや、これが最後まで使い切っただけでも中々なのに、何年生?って聞くと、お母さんが年長さんって・・・えー未就学児なの?ごめん、少し勘違いしてた。てっきり大きいから2年かな?

くらいに思ってて、まっニッパー渡しても良いかっとか、ボンドはこんな感じに付けて・・・とか、明らかに小学生扱いしてたのね。そう言われると、時より子供っぽい事はしていたけど・・・この位は許容範囲かな?って程度だったから。

経験者ならこの凄さを判って貰えるんだけれど、何しろ俺のニッパーで、これを全部自分で切って、1時間で張り終わった・・・どんだけ物作りに長けているんだか・・・するとお母さんが、良くここに来て、色々させて貰っているって。

インパクトが好きなんだって。もう大工さん決定じゃん・・・・未就学児でDIYコーナーが行きつけの場所って・・・さっきのウーパールーパーの方だったり、この坊やだったり、中々の人達が集まる場所なのね。

そんな中、こうして無事に終わったんだけど、次回のご予約を3名頂いて、残り枠1名分となったのね。それも何よりな話で、そこも好評だったのね。さてそんな後は、またお客さんとして木を彫って・・・切りの良い所でアトリエへ戻り、

イワシの群れの下絵・・・ちょっと前から描いていたんだけれど・・・今日はペンを入れて見たのね。

 


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