今日はキウイ教室。プレゼント用って事で何個も作っているんだけれど、結構溜まったんで目地って事で・・・
ただどうやら1個忘れちゃったらしく・・・先日のサークルでも進めていたみたいなのね。俺は今回は規制があって行けなかったんだけど。まぁそれはそうと、こう言うのを見ると、相変わらず上手いなぁとか凄いなぁ思うのね。
何しろあの大作を作っている人の小物作品だから、タイルを切るってだけの事を言えば、何も心配無いのね。じゃ何がどう上手いのか?切るってワードの意味を掘り下げて見るとすぐ判るのね。例えば包丁だとする。包丁も切る道具だよね?
じゃ大根を切る・・・これは上手い下手を問わなければ、俺でも出来る。つまりこの文章はとても幅広い表現になる。ではおでんの大根くらいで・・・と具体的な大きさを指定したとすると、ただ幅だけ合わせるなら、これも何とかなる。
しかし、面取りなんて事をするんでしょ?もっと言えばかつら向きをしないと・・・。テクニックが増す訳で。つまりひと口に切るなんて表現は大まか過ぎて、実はひっくるめて切るって表現であって、1つの切り方が出来てもそれはまだ、
切れた・・・程度であって、一通り色んな形を困らず切れるようになって、切れるって表現になるのね。それをクラッシュ・・・つまり流動的な形が切れても、それは切ったのでは無く、正確には割れたようなものなのね。
これを踏まえて、タイルを思った形、狙った形に一通り切れる・・・これが出来るようになると、その人への評価として、上手いなぁ・・・って事になるのね。ただ上手いなぁって言うのは、今度は残酷なもので、テクニックみたいな話は
反復練習である程度、誰にでも権利が発生するのね。それをまた変わった視点で言うと、俺の切ったパーツはキウイのようになると、何の遜色も無ければ、区別も付かない・・・これが上手いって表現に繋がって来るのね。
つまり上手いって言うのは、練習と継続で時間は掛かるが何とかなるものなのね。これが今度は凄い・・・って表現になると、自分を基準にそれを超えているかどうか?みたいな感覚で、更に言えば切るって技術とは関係無く、素敵な配色や
素敵な配置、そしてそれがデザインって事になるのね。ここが厄介な話なのね。さっきの切るって話は、練習と継続である程度何とかなるが、デザインって言うのは、漠然と練習と継続だけでは、手に入らないものなのね。
例えば楽器の演奏。演奏だけなら、切るって行為と一緒だけだから、練習と反復で誰でも何とかなるもの。でも、歌を作る・・・となると、世界一の演奏者が素晴らしい歌を作るとは限らないのね。そこがオリジナルの難しい所なのね。
ただそことて掘り下げると、歌には作詞と作曲があって、作詞って言うのは、言葉を知らない・・・って人じゃ無ければ、さっきの切るって話のように、誰にでも権利があるものなのね。所が曲となると、道具が必要になるのね。
つまり道具の使い手じゃ無いと、ピアノやギターが弾けないと、曲が作れない・・・なんて事になる。つまりオリジナルって言うものは、こうしたもので構成されているものなのね。で、一応難癖付けられるのも、嫌なんで常に世の中には、
例外って言うモノがあって、それが近頃のパソコンで歌を作る方法。全く楽器が弾けなくても、初音ミクさんのような、ボーカロイドって言うんだっけ?あれを使うと、出来るって話ね。ただ、それとてパソコンって機械を使えないと出来ない・・・
同じ事だけどね。ただ楽器がパソコンに変わっただけ。作詞なら鉛筆とノートだけで良いしね。でもこれとて、スマホに入力する・・・なんて形なのかも知れないけど。話を戻して、つまりデザインって言うのは、たやすく無いって事。
勿論、技術って言う切るって事も、たやすくは無いんだけれど、どちらが手に入れやすいか?となると、技術なら確率が高い・・・って話。そして更に話を戻して、勿論、キウイの大作の凄さは、見た事のある人なら、すぐに判るだろうが、
何故この小物作品が凄いって言うんだろうか?って疑問が残ると思うのね。その理由は、完成したのを見れば簡単そうで、誰にでも出来るサンプル?って言うように見えるのね。そう見れば・・・ね。見た後に、出来ると思う行為・・・
まぁ簡単に言えば、後出しジャンケン。見た後に出したら勝てるよね?判りやすいでしょ?でもね、それとて甘いんだなぁ・・・ジャンケンなら3つしか無くて、老若男女条件は一緒だけれど、オリジナルって言うのは残酷なのね・・・。
たった3つじゃ無いし、無限なのね。つまり見たものに変化をさせると、後出しの方が豪華になったり、より可愛くなったもするのね。ただ良い事と悪い事は背中合わせ。もし技術ってものが最高点の人の物真似をデザインを変えてやっても、
そもそもの技術の無さの露呈にもなる。勿論、それを上回るデザインがあったのなら、もしかすると良く見えるかも知れないが・・・。つまりキウイの場合、技術点は満点でのオリジナル制作って事になる。しかも大作があれの人・・・
それが小物。これを技術を見るのなら、まずタイル屋目線で見れば、目地幅の均等性。キッチリ綺麗な間隔。そして縦横の真っすぐさ。変に曲がっていたりしている場所も無く、キッチリ揃っている。つまりタイル屋さんに指摘される所が、
見当たらない。だから満点。そしてここからが大事なポイントで、タイル屋さんには、見ればバラの形に切れたとしても、見たから真似が出来るだけで、考えるって力はほぼ無いに等しいのね。きちんと綺麗に水平垂直の人達だから。
更にその時に切る技術が生かされるのね。キチンと同じバラを切れないと、均等には入らないし、美しく見えないのね。しかも、しかもなのね。それを何枚もまるで機械のように揃えられる・・・これこそがプロ顔負けなのね。
つまりこれをネットで販売してサイトに載せたする。売れる売れないは二の次だけれど、プロとして売っている人達の中に潜り込んだ時に、まさかの素人・・・しっかりプロは比べられる事になる。腕の良し悪しって言うのは比較対象があると、
とても判りやすいものなのね。人とは残酷なものなのね。そうね、ここまで理解出来ると、後は簡単で、先生としてキウイの小物と戦わないとならない・・・って考えた時に、これを見て、これを超えるものを、この大きさで色違いを何個も
って事になった時、いとも簡単には勝てないなぁ・・・って思うと、この小物作品の完成度は尋常じゃ無いなって思うから凄いな・・・の表現になるのね。それを踏まえて、これを見て貰うと・・・
見れば出来るし、単純な模様の繰り返しなんだけれど、更に小さいスペースでこの完成度・・・お見事なのね。凄いわ。になるのね。ただ、その凄い小物を作ったキウイが、先日の居酒屋さん看板を見て、凄いです・・・って言うのね。
そうね、80cmになると、そう簡単にはキウイと言えども、負ける気もしないし、ある程度勝算はあるし、もし教えるような機会があるのなら、教える事はまだある。しかし、小物作品には何処にも教える事は無いし、逆にその感覚を盗ませて
頂きたいのね。だから凄いって表現に繋がったのね。そんな中、来月分のデイ・サービスのサンプルを考えないとならず・・・まぁ季節で言えば、子供の日・・・こいのぼりにカブトねぇ・・・。