今日は午後から外用流しのリピーターさん教室。そんな中、しばらく振りに棟梁から電話。ブログ見たんですけど、クリスマス下地が欲しいんですが・・・って。実は棟梁はこのコロナ渦の中、怪我をしていてモザイクどころか、全てのモノ作りが出来ない状況だったのね・・・。
そんな状況で朝イチの電話・・・きっと何らかの下地の話かな?・・・って想像はしたが、いくらか良くなったのかな?とか、もしかしたら治った?かも知れないし、・・翌々聞くと、先生からちょっとなら・・・と許可が出たらしい。
そうね、この話がただ下地を頼まれたから作れば良い話なら普通なんだけれど、ただ売るって訳にも行かないのね・・・何故なら、それを作って万が一、楽しむ事よりも堪えるような気持ちになっちゃって、心折れるの巻きって言うのは防ぎたいのね。じゃ一体どんな事が考えられるか?
それはまず棟梁は、大作をかなりの仕上がりで作っている常連の人。しかも仏像彫刻、木彫、洋裁・・・とあらゆるモノ作りが上手な人。この時点で、すぐに判るのは、仏像彫刻のようにしっかり真似するスタイルと、木彫のようにオリジナルを
作るスタイルと、どちらでも出来て、更に洋裁と言った違う分野でも、その才能は広がっているとも言える。その上、モザイク・・・簡単に言えば、棟梁の中で一番経験値の少ない分野、つまり未熟なものがモザイクになる。
それを踏まえて、知っている人は棟梁の腕・・・どう見えるだろうか?更にそれを踏まえて、棟梁は自分の評価をどう考えるか?なのね。恐らく自分ってものを評価する時に、大抵は普通・・・って言うんだろうね。
中々結構上手いでしょ?・・・なんて言う人は少ないのね。まぁ謙虚が美得な国だからね・・・そう教わって来たし。まぁ理想はそれでいて結果を出したい訳で・・・そして上手くなりたいって言うと、丸く収まるみたいな・・・。
じゃそれで進めると、どうなるのか?ちなみに追加の話で、以前インフルエンザで熱が下がった日に、洗濯から掃除を隅々までやって、大汗かいて、また具合が悪くなったエピソードの持ち主って言うのも追加して置こうかな・・・。
これらを総合して、本当に治った場合と、本当はまだまだだった場合と、単純に2つ考えて見よう。もし本当に治っていた場合、もう半年以上離れている状況であっても、体験教室的なクリスマス用の下地なんだから、すんなり完成だろうね。
じゃ考える必要は無いのね。なら下地を作ってあげれば良いのね。でももし、自分の思っている程、完治していなかったとしたら?こっちなのね・・・問題は。これが大きな問題なのね・・・。本人に自覚が無いから・・・。
そもそも体験用の下地の持つ意味・・・それをどう考えるか?なのね。そもそも初めての人でも、ある程度の仕上がりで出来るって下地であって、誰でも簡単に作れるのね・・・確かに。でもね、説明通りの常連の棟梁なのね。
一体、どう作ると思う?確かに病み上がりではあるものの・・・ここなのね。人の心理は複雑だからね・・・。そもそも、恐らくどの分野であっても、人一倍努力をしているだろうし、手先も器用と来たら、当然結果は付いて来るのね。
ならば、人から見たら、上手いね・・・と言われ続けて来たはずなのね。でも本人はそれが普通なのね。つまり上手いねと言われるのが普通。所が上手いね・・・って言うのも通り過ぎると、凄いね・・・なんてセリフもチラホラ聞こえる。
こうして表現が変わっても、本人は一緒で普通・・・そんな感じだったとする。じゃそんな人が半年以上もやっていなかった・・・でも体験下地でぺきぺき・・・単なるお遊び感覚でしょ?でも本人はリハビリ感覚で・・・と言うし、もっと言えば、デイ・サービスの下地なら、今の私でも・・・と謙虚。
確かに言葉ではね・・・謙虚に聞こえる。でもね、人の心理はそんなに簡単じゃ無いのね。じゃその文字通りなら、器用で常連で、でもリハビリで、デイ・サービスの人達に出来るなら、今の私でも・・・素晴らしい謙虚に聞こえる。
でもそれを鵜呑みにして、更に文字通りに説明すると、今の私は半年以上もお休みして、しかも痛みもあったりするけれど、病院の先生がちょっとならやって良いって言ったから、リハビリ程度にデイ・サービスの下地なら出来るかも・・・
って文章なんだろうね。確かに謙虚に聞こえる。でもね、じゃ付け加えよう。じゃリハビリって何?怪我にも寄るが、いつも通りじゃ無いって意味だよね?普通じゃ無いってね。では以前の棟梁はどんなだった?上手い事が普通だったよね?
つまりもし結果が自分の思った通り・・・つまり上出来が普通って所に戻っていたら楽しい・・・になるし、逆に、もし結果が自分の思っている以下だったとしたら?こんなのも満足に作れなくなったのかぁ・・・と嘆いて落ち込む。
まぁ見なくても想像は付くのね。つまり結果次第。でもさっきの文章では、リハビリ程度に・・・だから、リハビリって何だ?の質問になる。リハビリって言うのは、元に戻る為に必死で努力する事であって、楽々出来る事じゃ無いのね。
しかも例えば、歌手、スポーツ選手、職業として・・・何でも良いが、そんな場合のリハビリだとしたら?きっと涙流して・・・もっと言えば、戻れないかも知れない中の日々なのね。こう言うと、趣味だから・・・って聞こえそうなのね。
そう趣味ならね・・・出来れば良いじゃん、楽しいじゃん、その時間楽しめたじゃん、はいおしまい。それで良いじゃん。でも棟梁・・・それで本当に良いのかな?って話。そもそも、自宅にアトリエを構えて、先生を招いてカルチャー的に
やっている・・・完全に趣味なのに、趣味越えしている人なのね。ただ本人に自覚が無いから普通って言ってしまう。しかも、努力を惜しまないから、上手くなる。しかもプロでも無いのに、俺に負けない位の時間・・・。
お坊さんに負けない座りっぱなし・・・。運動不足だったりする。それ位、モノ作りをやっている人が、結果は一切気にしない・・・そんな事があると思う?まぁ無理だろうね。結局、本気でやるだろうね。そもそも、今の話の中に見落として
しまうような事が多々ある。まず病院の先生・・・無理しない程度に良いって言った・・・あははは。掛かり付けの先生がそう言ったんだよね?もう笑える。その先生は良く知っているのね・・・棟梁の事。だってモノ作りの運動不足も知った
上のセリフだよ。ここにも2通りあって、全てを知った上で、無理しない程度って言葉を使ったんだよね?これを言葉通りに受け取り、少しだけやるとする。じゃ一体何時間?何分?って話でしょ?つまりその時点でそう聞けば良いだけなのね。
ではもしこの言葉に裏側の意味があったとしたら?・・・そもそもインフルエンザの治り掛けの全力を考えたら、完全にムキになってやる方向になるでしょ?普通ならね。ここねここ。じゃ普通なら解禁になったんだから、結構やるでしょ?
でも躊躇する気持ちがある・・・悟られていないかな?つまり痛いからやれない・・・って気持ちが多いんじゃないのかな?恐らくだけど、本当にやりたかったら、とっくにいつから出来ますか?って聞いているはずなのね。
それを言わない時点で、本人が痛いから聞くまでも無いはずなのね。だから痛みが取れたら・・・みたいに先延ばししている・・・そんな感じだとする。それを見兼ねて、先生がそろそろ・・・って言ったとしたら?少しでも動かして行かないと、治らない・・・って言ってたとしたら?
本当の病は痛みでは無く、気持ちだったりするのかもね・・・人の気持ちとは厄介なもので、病は気からなんてそんなもんだったりする。ただね、これが更に厄介で、弟子ならこんな話も必要かも知れないけれど、生徒さんなら、この話は
一切要らないと思うのね。何故なら、生徒さんは趣味だったりするのに、もしこの話が図星なら、馬鹿じゃん・・・って話で、リハビリって元に戻す為に、痛みに耐えて筋力を元に戻すと同時に、心の立て直しなのね。
その当時の上手く行かなかったりした時でも、心折れない気力・・・それをあの時に戻す為にね。けれど、上手く出来ないから・・・とか、痛いから・・・と言ってたら、完全に治ったって言ってから始めるのかな?心も体も?
いずれにせよ、どれもが、だとしたら?・・・って話だから、別に・・・って平気なら単なる老婆心。でももし心当たりのある場合なら、そう言う事もあるって事だから、それを回避する為の何か?を考えれば良いだけなのね。
準備ってのは単純にそんな事の繰返し。ただ言ってるこっちも複雑だったりする・・・。そんな話。さてそんなこんなのリピータ―さん教室。一見、単に張っているだけじゃん・・・と思われがちなんだけれど、デザインを考えながらなのね。その時、側面を見てどうする?になるのね。
一応そんな場合、音楽なら転調しないでそのままステイ・・・って言うのなら、同じ事を繰り返せば、安定感が生まれる。これは色の話であって、形にしても、大きく行くのか?小さく行くのか?で雰囲気は変わるし、縦か横か?でも、
大きく変わって来るのね。それを事前に考えてくれば、後は張るだけになるが、都度都度考えながら・・・になれば、当然進みが悪くなる。そこでそろそろアシストかな?と思ったんで、大きさや色等をあらかじめ探す時間を省けるように、
分けたり、こっちならこう、こっちならこう・・・と並べて雰囲気を見せたりして、考える事のアシストをしたり、ベテラン看護師のオペのアシスト的な、汗って言われる前に拭くみたいな能率効率アップに徹したのね・・・。
恐らく次回上部が終わるから、いよいよシンク内のモザイクが始まるのね・・・一応今の所、金魚をモチーフとして使う事になってはいるんだけれど・・・。そんな後は空の湯のハイビスカスが張り終わり・・・
カメにも手を付けた・・・
割と順調な滑り出しと、ハイビスカスの出来栄えは中々満足しているのね。