今日は急きょさくらが来る事になり、弟子3人が相席になったのね。そんな中、近頃小物販売をフリマなどで行っている事もあり、みどりが新作を・・・と言う事で江戸川区の金魚祭りの日にあるフリマや夏なんて事も踏まえて金魚の作品らしいが、今流行りのレジンって言う素材を使っているようで・・・
そうね、こう言う作品はとても難しいもので、例えばこれが木に張ってあって、バックも入れて目地をしたら、大体コースターくらいの大きさで普通に仕上がるものだとして、そこから考えると、どちらも金魚をモチーフにするのなら、みどりがこうした事をするのだから、金魚のグレードは変わらない・・
でしょ?つまり変えたのは、バックをやらない、目地も入れないって言う事だったりするのね。あえて判りやすくする為の言葉を選んだんだけれど、やらない、入れない・・・こうした時に、全ての腕が均一であるのなら、金魚のグレード、バックのグレード、そして目地のグレード、3つが揃うって考える
と、やらない、入れない・・・と2つ削除する訳だから、金魚1つでグレードをキープしないとならないのね。所がついついこうした小物作品を作ろうとした時に、またいつもの2通り考え方があるとして、1つは作りたいものを作るってスタイルと、反対に値段設定を考えて作るスタイルがあると思うのね。
最初の作りたいものを作るスタイルは、終わってから所でいくら掛かったっけ?・・・みたいな感じになるんだろうね。逆に値段設定なんて縛りから作る作り方は、あれもダメこれもダメとなりがちで、ん・・・そうね、何でも一緒だけれど、例えばフィギュアの自由演技と規定演技やら、棟梁の仏像彫刻と
木彫みたいに、決まりと自由みたいな相反する事になると思うのね。つまり規定演技や仏像彫刻のようなものは、レシピや楽譜のように既に先人が作った通りに辿るもので、個性では無くきちんと・・・みたいな話になるので、上手さとか凄さは匠さ加減みたいな事だったりする。逆に自由を選べば、自由
だから、常に人がやらない事、やれない事、やっていない事みたいな新種探しみたいなもので、常に考える事を要求される。しかも、仮に考えたとして良いと思うものが出来たとしても、売れるかどうか?なんて全く判らないもので、しかも、新車を発表した所で、3.4年後には自分否定をする新車を作る・・
こんな事の繰り返しをし続ける。そうね、仮に仏像彫刻なら、一生に何個作るんだろうか?逆に木彫ならきっとその数は半端無く多くなるだろうが、と言う事は、半端無くモチーフを次から次と探せになる・・・勿論、金魚作家って言う感じに、一生同じモチーフを作る形もあるが、そうなると仏像彫刻と、
かなり似ているのね。おっと広げ過ぎたから戻して、つまりやりたい事でスタートしたのなら、金魚が好きで始めた事になる。ではやりたいモチーフの金魚をどう作る?恐らくどの金魚作家の人達も精度を上げる事を考えると思うのね。はいまた2つ・・・ではどんな?リアルとデフォルメ。
リアルならそっくり。デフォルメなら、金魚ぉ?って感じにギリギリでも見えるように・・・と。そう両者ともに進んでも考えるだろうが、そっくりに進むとこだわりが強くなり、やっている最中も変更したくなる・・・逆にデフォルメならそのキャラクターが出来るまで触るな・・・切るな張るななのね。
恐らく究極の簡素化・・・丸3つでみたいなものにしたくなるから。では逆に状況環境に合わせに言ったとする・・・結局、それでも金魚祭りだから・・・と同じ金魚のモチーフになるのだから、ではモチーフは決まったとして、ここからが曖昧になるとドツボにはまるのね。
どちらでも金魚じゃん・・・そうだね。けれど、だからどっちでも良い訳じゃないのね。ではここまで来る前にどうなるか?例えばもしみどりが作りたいものを作る側スタイルで始めたのなら、誰もが知っているみどりの金魚の作品からすれば、当然背びれや場合に寄ってはウロコらしきものを切る。
そんな事は思い浮かばないだろうか?当然実績があるし、例え小さいスペースだったにせよ、結果としてこうなったのだから切れないじゃなくて、切れる・・・のだから。では、逆に同じモチーフの金魚なのに、価格設定から入ったとすると、どうなるか?簡単でしょ?リーズナブルにしようとする。
ではリーズナブルにする人は何をする?一番簡単な事を選ぶ・・・本来ならそうなるとクラッシュ。所がクラッシュは難しいと言う気持ちがある。さすればそこから離れる。ではどうするか?ただみどりは弟子、切るのが上手い・・・つまり規定演技をしようとする。どう言う事か?それはランダムでは
無く、きちんとした形で形成しようとする。この時点で曖昧になった・・・こっちなのか?あっちなのか?きちんとならあるべきものはあった方が良く、デフォルメなら最低限判れば良いだけ。なのに最低限の方に行くのならクラッシュなのに、そこは苦手、だからまた向こうよりのきちんとに戻す
・・・その時に背びれを無くす選択があるはずが無い。そんな事を踏まえて是正したのは、ただ白い部分のパーツがオレンジだったものを変えただけ。そして背びれが入っていなかったから付け加えた。こうなる前にワンちゃんにも見せて確認をして、するとこっちの方が良いとなったのね。
勿論本人も。何故そうなるか?は自分のやろうとしている事と、値段と、腕を考えずにやらないと判らない・・・と言うから。まず腕。腕は弟子であるのだから間違いは無い。つまりしっかり作り込むなら実績は十分、しかも金魚も何度も作っているから言い訳無し。
では値段。一体いくらで売るつもりなのかな?・・・この時に常に口癖なのはリーズナブル。この口癖は何を意味するのか?となると、いくらなのか?であり、曖昧な表現にすればするほど、曖昧なまま進んでしまう訳で。つまり言い方を変えればなるべく安く・・・じゃなるべく安くするには?となり、
買う材料はいくら安く買えたとしても拾って来る訳じゃないので、必ず掛かる料金が発生する。つまり実はそこに隠された本当の意味は、自分で自分の首を絞める、お前の手間はタダ・・・こんな意味合いになるのね。だって材料代は掛かる、じゃ何処をリーズナブルにする?ほらね。
そこでそれじゃと簡素化する事にして、じゃクラッシュ・・・クラッシュは苦手・・・もはや金平糖の歌みたいになる。こ、こ、金平糖、金平糖は甘い、甘いはお砂糖、お砂糖は白い・・・みたいな話で、思い込みの理屈はこうした循環だと思うのね。
苦手だから避ける、避けても何かしないとならない、下手から切れない、切れないパーツは無い、きちんと切れる、切れるが手間が掛かる、掛かり過ぎると値段を上げたい、上げると売れない・・・って葛藤をしたら、背びれを無くす・・・になった。無くて良いモノと無きゃ行けないものがある。
それをクラッシュなら輪郭だけ守れば無くても良かったと思うけれどね。しかも残酷なのは、レジンのような新素材は今まで何度と無く現れて何度と無く消えて行った・・・ん・・・それはお手軽にその素材が技術要らずみたいに見えるから・・・。やって見てお手軽簡単なキャッチフレーズ。
つまりあれ簡単だよ、100均で売っているし・・・こうなると知られれば知られるほど色んな人が手を出すから、結局値段を競い合う事になる。では何を差別化にするのか?となった時、その認められる腕があるのに、そこまで出し惜しみしたのが正しいか?になる。所が、本人はそれを出し惜しみとは
思っていない。では何だろう?どうしてだろう?って質問したとすると、高いと売れないから・・・時間が掛かっては行けないから・・・全て簡素化にしようとする。なのにクラッシュは選ばない・・・もはや自分で考えるしかなくなるだろうね・・・何故なら提案は受け入れず、自分では良いと思う
か?となった時に、そうでも無いと思いつつ、後から入った弟子のワンちゃんにも違うと言われて・・・・八方塞がりな気分。がしかし、しかしなのね、オリジナルなんでしょ?提案なんでしょ?それが自分自身なんでしょ?・・・アイデアって言うのははかないもので、所詮ひらめき。
そんなものは真似されやすいし、簡単そうに見える。だから追従も許すし、お気軽でもある。当たり前の事なのね。それが証拠にこの程度の事、これを見たらワンちゃんでも量産出来る。つまりこのデフォルメしたパーツの最高の形を模索して見付ける事が大事で、それを怠った事になるのね。
みどりは・・・。何故ならもう簡単にこんな程度、やり方さえ判れば、もうありとあらゆる金魚を作れるよ・・・人の真似は簡単。腕のある奴は盗むがモットー。誰がいちいち教えてくれるんだか・・・職人なんて見て盗むなのね。手取り足取り教えない。とは言いつつ、こうして全てオープン。
では大まとめをすると、デザインが浮かびませんでした・・・って事なのね。ではその流れでワンちゃん。
みどりのは単なる上見の金魚です・・・のデザインの話。所がワンちゃんのは私自身の人生をこの4つのマトリョーシカで表す。そして最後の大きいもので60歳位の未来の私を作ろうとしている訳で・・・ほらどう考えても、内容は単なる金魚より難しいでしょ?
ただみどりは売る事を前提、ワンちゃんのはあくまで自分のモノ・・・しかしながら、これを何と呼ぶ?趣味?違うね、趣味で自分の人生なんて作らないでしょ?こんなものはタイトルとして、未来の私へ・・・みたいなものなのね。つまり理想。ん・・・お察し良い人ならもう判ると思うんだけれど。
つまりさっきのみどりも売るって事で、ワンステージ進級したと考えるのなら、楽しい和気藹々では無くて仕事なんだから、ワンステージ上げた場所にふさわしくなるような一手のきっかけ作品を考えないと・・・そしてワンちゃんは自分の作品でいつか来るそんな日の為の練習であったりする。

そんな中、さくらはそのどちらでも無い、プレゼント作品・・・でも今のさくらには丁度良いのかも。自分と向き合う訳でも無く、提案する訳でも無く、ただお世話になった感謝の気持ちだけ・・・上手く無くても良いし、粗雑や手抜きや楽も無く、今出来る事をやっているだけ・・・。
そうなると全力だわっ・・・。モザイクをやった事のある人だけに判る厳しい事だらけ・・・なのに眼に映るモチーフはただ可愛い・・・ついつい見逃してしまいそうである。ここに後半、かぐやが繋がって・・・弟子4人。中々そんな機会が無いからそれはそれで良い体験でもあったのね。