今日は中学生教室。まぁ大体状況は判って貰えるだろうけれど、そうね例のあれね。ちなみに早い始動なんで、名前を入れてドン引きなんて事も嫌なんで、しばらく伏せとくとして、いずれにしてもリピータ―さん。ただね、にしても去年は全員受賞なんで、それを踏まえてやるって事になると、ただやりましたって訳には行
かない。何故なら、もう始めちゃっているから。軽くやる感じでは無いでしょ?そうなると、じゃどうする?って話から始まるのね。当然そんなの2年目なんで、質問の意味も良く判っているから、去年と同じ質問でも、何を答えるのか?知っている分、こっちもそれに返答しやすいのね。そうね、そもそもモザイクを2年目って言うの
は、例えば小1が小2になったとか、みたいな話なんだけれど、これが受賞なんて言葉を付けると、レコード大賞を去年取った2年目は?・・・みたいな話になると思うのね。そんな感じでそれを踏まえて今回どうする?・・・なのね。じゃまた例えばじゃんけん。グー出して勝った後、どうする?みたいな話で同じにするならグー。
とは言え、同じもんを作る訳には行かないから、考え方って話なのね。つまりグーを2回出すって事は、仮にオリジナルで取ったのなら、今年もオリジナルで2回目となり、既存の絵画や写真の模写的なものであるのなら、今年もそうする感じで連続同じスタイルにする・・・そんな考え方。例えばカレーでも良い。二日目のカ
レー。一日目よりもコクはある。しかし、新鮮さは無くなるのね。つまり刺激は去年よりも薄くなる。見慣れられてしまった分、同じ程度では評価が低くなる可能性がある。大体、人がやる事なんて言うのは、特例って状況が起きない限り何でも一緒なのね。去年と同じ出し物とか、去年と同じ演奏、去年と同じプログラム・・・
ほら文字で十分伝わるでしょ?・・・それを今回初蔵出しとか、今年初めての・・・とか、初って付けると特別感出るでしょ?これを踏まえて、どうする?なのね。その時に今のようにどちらか一方の話って言うのは0点か?100点か?みたいな話は、単なる説明でサラッと流したいのね。当たり前の話だから。大事なのはどっちでも
無い・・・ハイブリッドな話。要するに、ヒョウモントカゲモドキ・・・の、もどき・・・これ。同じように、風味でも良いし、のようなもの・・・でも良いし、考え方はオリジナルのようなもの、オリジナルモドキとか、オリジナル風味みたいな感じに言葉で表現すると、オリジナル寄りの真似な感じにならないかな?そうね、きっと今のモ
ンゴルの作品はこっち寄りなのかな?それをスペイン風味とか、スペインもどきとか、のようなもの・・・みたいに原形に寄せたのがノアさんの依頼作品みたいになるのね。いや、なっているか?どうかは見ている人の感想であって、そう言う感じで作った・・・って位にしとこうか。いずれにせよ、こっちか?あっちか?の話より
も、ちょっと上の話になると思うのね。どちらにしても、オリジナルとして考えないとならない自分だけの部分が必要になるのだから、グー、グーの考え方では無くて、グー、グー´位の違いは出るはずなのね。つまり本当に説明したい部分はこの辺の話になるのね。こんな考え方もある・・・って。勿論こうしたいが決まっている
のならそれで良いんだけれど、そんな事思い付かなかった・・・って場合、選択しようにも浮かばないのでは、選択しようも無い事になる。もっと言えば、こうしたい・・・ってだけなら、2年目なんで、タイルを切る張るって行為だけなら、素材の固さなどの違いやら、材料選びやら、単なるアドバイスで済むと思うのね。でもも
し、もっと上を目指すのなら、一体何を向上すれば良いのだろうか?例えば大袈裟に表現をして、死ぬほど・・・を付けたとする。死ぬほどバットを振った、死ぬほど野菜を切った、死ぬほど書いた・・・こうすると人一倍の努力をした感じが出る。勿論、感じだけじゃ無くて凄さも伝わったりもする。じゃ死ぬほど勉強をしたな
ら、みんな合格じゃん。でも違うのね。勿論やらないよりは、全ての分野に置いてマシにはなる。けどね、死ぬほど野菜を切っても、切るのは上手くなったからと言って、味が整う訳じゃないし、バットを振っても守備が上手いとは限らないし、わざと書いたと表現をしたけれど、ボールペンも書道も一緒な訳じゃないから、必
ず結果が出るとは限らない。そこで言いたいのは、1年目なら頑張っただけで良い。何も知らなかった人が何百時間掛けただけでも、全く何も見なくても、良くそこまで諦めずにたどり着いたね・・・これで十分。けれど2年目もそれで通用する?ものの考え方だと思うのね。じゃ早くからやって倍の時間やれば良いのかな?
じゃ3年目は?終わったらすぐ始めれば良いのかな?そんな単純な事で結果が出るのかな?そこで考えるべきは、去年とは違う意識なんじゃないのかな?って事になる。その時に受賞者として何見せる?なのね。例えば、その反対の考え方なら、受賞したからモザイクはもう良いや・・・こんな感じだったり、刺激として薄くな
り、違う分野へ・・・って事もあると思うのね。それは刺激の人だから。ただ、その刺激って言う考え方を同じ分野で求めた場合、探求心が大いに変わって来るのね。何故なら、常に新しいものに移る人は、常に新人なのね。要するにスペシャリストにはならない。それが行為と知恵の2種類あるとして道具を使う場合、その
道具に慣れるには時間が掛かる。勿論器用なんて人もいるから、最初から上手い人もいる。こんな場合、次々に移る人達になるんだろうね。或いは知恵の場合、アイデアで勝負するから、発想って言うものでその分野に取り組むから、腕よりもデザインや模様を考えちゃうのね。だから、オリジナル感が簡単に出せたりもす
る。だからある程度の練習で結果がすぐ出たりもする。これもまた次に移るケースになる場合がある。けれど逆に3年続けたりするケースがあったりする。その場合に、一体何を教える?って事になった時、これも何でもそうなんだけれど、1つのものを追求するって行為はどんな事なのか?なんじゃないのかな?と思うのね。
全く前者とは違う考え方。物事を追求するって行為は、恐らくそうそう無い事だと思うのね。そこで折角の3年間をどう使うか?となった時、どう、ホップ、ステップ、ジャンプに繋げられるか?・・・そんな指導がしたくなる。そもそも、読んで字のごとく、ホップもステップもジャンプも違う動作の表現であり、同じ事を意味しない。
極端に言うのなら、ホップもステップもジャンプの捨て石。つまりジャンプの為の準備とも言える訳で。これを世の中では、基礎固めなんてして実践みたいになってて、けどさぁ、それじゃ2つの動作しか無いじゃん。と思うのね。つまり最初から3年間やる・・・なんて人は早々いないから、最初は単なるきっかけに過ぎない。そ
れがきっかけで、3年やるみたいになった時、じゃこの1年を無駄にしないで、更なる向上って2年目・・・なんて、誰でも良いそうだから言わない。俺なら3年目に頂上って事にして、2年目は冒険でもしようか?・・・責めて行くのも良いし、守るも良し。でも以前と違う考え方をしよう・・・ってね。そこで慣れが使えるのは動作にな
る。つまり切る張る。練習は裏切らないからね。でも刺激・・・だから考える事。推理、クイズなんでも良いが、それを解いていては普通。それを作る側にならないと・・・ただね、そんなに甘くは無いのね。見る側は海千山千・・・容赦無いからね。しかも受賞者。えっこれ?って残酷に言われるかも知れないし、あぁまた・・・。って
言われるかも知れない。同じ分野で去年の自分と同等かそれ以上・・・そんなもんを目指すって。そんなに甘く無い。そう言うもんだよ・・・ってまず覚悟が一番大事になる。それを持ってどうする?なのね。あるメダリストがCMで金を取るのも大変だけれど、続けるのはもっと大変って。そうなのね。それがプレッシャーなの
ね。それはね、選ばれしき者にならないと味わえないものなのね・・・ノープレッシャーなんて単なる期待値が低いだけ。本当に何かを目指す時って、そう言う事と向き合うんだよ・・・だから人と違くなる。良くも悪くも。ただ負けて得るモノがあると言うが、勝たないと得られないものもあるのね。って言うとね、単なる宿題に、
・・・つて言われそうだけれど、俺の言いたいのは宿題にでは無くて、去年の自分に・・・なのね。本当にそれで良いの?ってね。勉強のように点数は出ない。同じモチーフじゃ無いのに、分野が同じだけで、比べられ軽く流されるかも知れない。そんなプレッシャー、プロフェッショナルにならないと普通は味わえないのね。で
もね、折角やるのなら、単に時間を使わないで知恵を使おう・・・って話。たっぷり考えて貰うって。でもだからと言って、何でもかんでも答えを出して・・・って言っている訳でも無いのね。悩むって事ね。そもそも困りもしないで新作作るって・・・有り得ないでしょ?子供とて一緒。しかも大作。試行錯誤とはそう言うもの。って
事を踏まえて画像を見たら、一体何が始まるんだろう?・・・って、とんでもない線が引かれているのね。また今年も楽しみなのね。そんな後は、いつもの新モンゴル日馬富士学園の額。しかも、中学生にそんな事を言った後だもの・・・やりますよ。