今日は今年初めてのくじら教室。流石に1月も終わりだから、今年もよろしく・・・・みたいなご挨拶も軽くって感じになっちゃったのね。明けまして・・・ってよりも明け過ぎちゃって・・・だもんね。あはははは。さて、それで今日は?となるのだけれど、小物が作りたいって事なのね。
どうやら仕事する場所にディスプレーするらしく・・・そこで趣旨確認となる。すると、くじらとしては今日中に終わるのが絶対で、難しくなるのは困るらしく・・・出来れば見えなくても良いから、うさぎを・・・・みたいな話なのね。ただ、こだわりはオレンジと青とハートだけ・・・・。
つまりうさぎはトッピング的扱い・・・出来れば・・・って。そこでそこは間違っているので、気持ちの是正をして貰わないと・・・と、説明したのね。
気持ちとしては、うさぎは無くても良いけど、あった方が・・・程度の扱い。でも経験者なら判るだろうけれど、色は単なる選ぶだけだから、
別にどうでも良い話で、そうなるとこだわりはハートしか残らない。けれど、何作も作った事があり、しかもクラッシュ・・・つまり下絵のハートがしっかり描けていれば、何の問題も無い事になる。そうなると、うさぎのみになるが、扱いとしてはトッピング・・・あっても無くても・・・ここ。
作る前から作る姿勢として、あったら良いな・・・って。しかし、何を作っても難易度が一緒では無いのね。当然、くじらもそんな事を踏まえて、言ったつもりなのは良く判るが、それが勘違いなのね・・・実は。何故なら、うさぎを作れば、メインであって、トッピングでは無いから。
そもそもこのうさぎは由緒ある誰でも知っているあの名前のうさぎであって、そうなると、似ているのは必須になる。でも幸い半分・・・確かにね。でも、だからこそ、当たり前の事を当たり前に出来ないと、単なるへたっぴ・・・に見えてしまうのね。
例えば作る前からあっても無くても・・・これでは質が落ちる。しかもメインなのに・・・つまり考え方はこう。うさぎに何時間掛かってもメインであるから質は落とせない。そのグレードを保てたら、ハートの輪郭だけは絶対キープ出来れば、後は何でも良いや・・・・ってこんな感じ。
所がそれをくじらの考えていたのは、色はオレンジと青は絶対で、ハートがメインなんだけれど、もし出来たら似ていなくても良いから、うさぎを入れる・・・になる。そもそも色は簡単な話で、ぺきぺきにオレンジはあっても、上絵だから1色追加すれば値段が上がる。その時点で1色で良い事になる。
つまりモザイクらしく見せるとしたら、青を2色にする。こちらは施釉と言って割安だからね。これでひとまずモザイク色は確保になる。つまりくじらのこだわった色については、ほぼやる前から決まってしまっている事になる。更にうさぎも白に決定しているのだから、正直色なんて何も選べない。
仮にこの由緒正しいうさぎの作者のお決まりの色合いの黄色なんて言うのに変更したとしても、オレンジのハート部分を黄色にすると、白いうさぎとかぶって見にくくなるから、有り得ないのね・・・こんな事が色から選ばない・・・って、色合わせをしないって理由なのね。色数が不便だから・・・。
つまりこのモチーフを選んだ瞬間、決まっていた事なのね・・・モザイクでやるのなら・・・。つまり今日のくじらは目がこの大きさに2つ揃えられますか?とか、耳を左右対称に同じ形に切れますか?・・・が全てになる。所が、やる前の気持ちとして、似ていなくても・・・やら、あったら良いな・・・
では、どんなグレードになるのだろうか?・・・これが考え方の違いになるんだと思うのね・・・つまりそのまま進めば、あっても無くても良いのだから、左右対称じゃなくても、耳が長ければ白くてうさぎ・・・しかも、そのうさぎを全面的に掲げている会社なのだから、それを思い込む・・って。
確かにそれもあるだろうね・・・でも、問題なのは習っているって状況で持って行くんだよね・・・・どんなリアクションでも平気って人なら別にそれでも良いけれど、もし評価1つでへこんだりするのなら・・・・その作り方では完成を見ずに結果が見えているのね・・・。
要するにそんな事を是正した事での仕上がりはどうだろうか?・・・いつもの時間には終わっている事を考えると、全てくじらの言った事はクリアーになっているし、グレードも悪く無い。つまり、出来ない、終わらなかったら・・・・と言う気持ちを前面に出していた最初と、うさぎがメイン。
後は何でも良し・・・の考え方のみでこれだけの質で出来るのに、ひるんでいただけ。それが証拠にうさぎの目、耳は2つ揃って完成だが、同じものを2つ揃える事は難しいし、時間は掛かる。くじらもそれを知ってて回避しようとしたからこそ、似ていなくても・・・だったのだけれど・・・。
ほら出来るじゃんって話。今まで教えて来て、切るのも見ていて、先生として出来るって判断と、やろうとしている人が自分を信じていない所か、その半分は先生として教えて来た俺否定になっちゃうんだよ・・・って気持ちがあれば、じゃやりゃ良いんだろっ・・・って意気込みだけで良いのね。
あはははは、ただのひるんだだけの気持ちの問題なのだから。難しいのは大作として、時間を掛ける・・・っていつ終わるか判らないってスタイルに慣れてしまうと、良い事と悪い事は背中合わせで、時間内に終わらせる・・・って言うのが慌てて作らないと・・・とせわしい気持ちになる。
実はそこがカルチャーみたいな所のサンプルと同じものを作るって言うのと、自宅で好きに作る・・・の違いだったりするのだけれど、時間内でって言うのは、メインをしっかり・・・後は適当に・・・の繰り返し。逆に自宅でこだわれば、メインをしっかり作ったのなら、バックもしっかり・・・
って作ったのなら、当然メインよりもバックのスペースが多ければ多い程時間は掛かるのは当然で・・・。だから果てしなくなって行く。大作と小物ってのは作り方が違うもので、小物はこだわりは1つ。メインに全てを注ぐ。だから、そこで時間を使ってしまった分、後はチャカチャカなのね。
勿論、雑な言い方過ぎるんで、そのチャカチャカの説明は、例えばメインは目地幅を狭くし、バックはいつもよりも目地幅を広げる。それで勝手に大雑把に見える所と、しっかりの所に見えるモノなのね・・・。きちっと整列って言うのは間隔を一定にするって言うのも含まれるからね。
まっそんな事を踏まえて、こんなのを見て貰おうかな・・・。
昨日の下地・・・くじらに教えながら、作ったんだけれどね・・・わざとこんな風に作ったのね・・・説明に使おうかな?ってね。まずは白い目地をせずにくっきりはっきり見て貰おうって言うのと、色合いを見て貰おうってね・・・・。まず輪郭通りにきちっと切る。
これだけでかなり上手く見えるよね?いかに輪郭が大事か?って事になる。くじらの作品と考え方は全く一緒で、同じパーツを2つ揃える。ただこの下地の良い所は入る・・・を意識するだけ。しかしカタが無い場合、自分の判断のみになる。甘ければ揃わないし、厳しくすれば終わらない・・・。
では色ね。全部のパーツを1色のみでやったのね・・・実にペッタリって感じでしょ?この場合、もし色を2色使って影っぽくってするのなら、顔に入れるべきだろうね・・・普通は。ただそれはさっきのうさぎは由緒正しい決まりがある。このクマには無い。だからいくらでも変えられる。
つまりくじらのバックの青を1色でやったとしたら・・・ペタッとしてしまったろうね・・・このクマのようにね。ただこれはこれでクマには見えやすいって利点はあるが、モザイクっぽくは無いかなぁ・・・ってな感じ。まっ、作品指導としてはこんな感じなんだけれど、まだ先生としてはある。
ではこうして仕上がったものを展示する。俺は良いじゃん・・・って評価をした。それを飾る。ただ俺はモザイクの先生だから、テクニックなどを見れば判るが、それ以外の第三者はきっと可愛いぃぃと表現するだろう。ひとまずその評価を貰えれば作り手としては悪い気はしない。
つまり報われた感じはある。ただもしそれをお客さんが欲しい・・・なんて言った時、上司は何て言うんだろう・・・?そして一体これは指導料、材料費は一体いくら掛かっているんだろう?・・・知らない間にあげられちゃった・・・何て事があった時、その請求したら気分良く支払われるのか?
全てありとあらゆる想定を説明して、そんな事もあるかも知れないけれど、お疲れ様・・・良く出来たと思いますよ・・・なのね。
可愛い作品と言うのは残酷なものだったりするからね・・・。そんなこんな後は、ミゾレウミウシ完成。
これも小物ではある。可愛いモチーフでも無いし、自分の絵でもある。しかしね・・・正直売れる気はしないのね・・・何だか綺麗だけれど、気持ち悪い・・・でもね、きっとウミウシのモザイクは俺しか作っていないだろうしね・・・一応やって見た・・・そんな感じ。
ただ、そんな中、次の下絵を描いていたんだけれど・・・ちょっと心が揺れるテレビを見てね・・・同じ事を同じように何個作ってもね・・・って気持ちになったのね。そうね・・・最近、落語がマイブームでね・・・やっぱり私しゃ新作落語がしたいんだけれどね・・・・。
かっぱだぬきでは、最初かっぱだぬきのようなオリジナルを好き放題作っていて、母の死と引き換えに仏像・・・つまり古典にして売れたって話。
じゃ俺は最初に何をやっているようにご贔屓さんに見えるのかな?・・・そして何を最後の1枚に作れば良いのかな?・・・ってな話。
ウミウシねぇ・・・誰にも頼まれちゃいないもんねぇ・・・依頼品じゃない。けれど、ウミウシをウミウシに見えるって小物作っていても図鑑かっ・・・って話。つまりウミウシのモチーフでkatsu作って見なさいな・・・って作れば、俺らしいかっぱだぬきになるんだろうが・・・・。
後は資金と勇気なのかな・・・考えただけでも怖いんだけれど・・・。
どうやら仕事する場所にディスプレーするらしく・・・そこで趣旨確認となる。すると、くじらとしては今日中に終わるのが絶対で、難しくなるのは困るらしく・・・出来れば見えなくても良いから、うさぎを・・・・みたいな話なのね。ただ、こだわりはオレンジと青とハートだけ・・・・。
つまりうさぎはトッピング的扱い・・・出来れば・・・って。そこでそこは間違っているので、気持ちの是正をして貰わないと・・・と、説明したのね。
気持ちとしては、うさぎは無くても良いけど、あった方が・・・程度の扱い。でも経験者なら判るだろうけれど、色は単なる選ぶだけだから、
別にどうでも良い話で、そうなるとこだわりはハートしか残らない。けれど、何作も作った事があり、しかもクラッシュ・・・つまり下絵のハートがしっかり描けていれば、何の問題も無い事になる。そうなると、うさぎのみになるが、扱いとしてはトッピング・・・あっても無くても・・・ここ。
作る前から作る姿勢として、あったら良いな・・・って。しかし、何を作っても難易度が一緒では無いのね。当然、くじらもそんな事を踏まえて、言ったつもりなのは良く判るが、それが勘違いなのね・・・実は。何故なら、うさぎを作れば、メインであって、トッピングでは無いから。
そもそもこのうさぎは由緒ある誰でも知っているあの名前のうさぎであって、そうなると、似ているのは必須になる。でも幸い半分・・・確かにね。でも、だからこそ、当たり前の事を当たり前に出来ないと、単なるへたっぴ・・・に見えてしまうのね。
例えば作る前からあっても無くても・・・これでは質が落ちる。しかもメインなのに・・・つまり考え方はこう。うさぎに何時間掛かってもメインであるから質は落とせない。そのグレードを保てたら、ハートの輪郭だけは絶対キープ出来れば、後は何でも良いや・・・・ってこんな感じ。
所がそれをくじらの考えていたのは、色はオレンジと青は絶対で、ハートがメインなんだけれど、もし出来たら似ていなくても良いから、うさぎを入れる・・・になる。そもそも色は簡単な話で、ぺきぺきにオレンジはあっても、上絵だから1色追加すれば値段が上がる。その時点で1色で良い事になる。
つまりモザイクらしく見せるとしたら、青を2色にする。こちらは施釉と言って割安だからね。これでひとまずモザイク色は確保になる。つまりくじらのこだわった色については、ほぼやる前から決まってしまっている事になる。更にうさぎも白に決定しているのだから、正直色なんて何も選べない。
仮にこの由緒正しいうさぎの作者のお決まりの色合いの黄色なんて言うのに変更したとしても、オレンジのハート部分を黄色にすると、白いうさぎとかぶって見にくくなるから、有り得ないのね・・・こんな事が色から選ばない・・・って、色合わせをしないって理由なのね。色数が不便だから・・・。
つまりこのモチーフを選んだ瞬間、決まっていた事なのね・・・モザイクでやるのなら・・・。つまり今日のくじらは目がこの大きさに2つ揃えられますか?とか、耳を左右対称に同じ形に切れますか?・・・が全てになる。所が、やる前の気持ちとして、似ていなくても・・・やら、あったら良いな・・・
では、どんなグレードになるのだろうか?・・・これが考え方の違いになるんだと思うのね・・・つまりそのまま進めば、あっても無くても良いのだから、左右対称じゃなくても、耳が長ければ白くてうさぎ・・・しかも、そのうさぎを全面的に掲げている会社なのだから、それを思い込む・・って。
確かにそれもあるだろうね・・・でも、問題なのは習っているって状況で持って行くんだよね・・・・どんなリアクションでも平気って人なら別にそれでも良いけれど、もし評価1つでへこんだりするのなら・・・・その作り方では完成を見ずに結果が見えているのね・・・。
要するにそんな事を是正した事での仕上がりはどうだろうか?・・・いつもの時間には終わっている事を考えると、全てくじらの言った事はクリアーになっているし、グレードも悪く無い。つまり、出来ない、終わらなかったら・・・・と言う気持ちを前面に出していた最初と、うさぎがメイン。
後は何でも良し・・・の考え方のみでこれだけの質で出来るのに、ひるんでいただけ。それが証拠にうさぎの目、耳は2つ揃って完成だが、同じものを2つ揃える事は難しいし、時間は掛かる。くじらもそれを知ってて回避しようとしたからこそ、似ていなくても・・・だったのだけれど・・・。
ほら出来るじゃんって話。今まで教えて来て、切るのも見ていて、先生として出来るって判断と、やろうとしている人が自分を信じていない所か、その半分は先生として教えて来た俺否定になっちゃうんだよ・・・って気持ちがあれば、じゃやりゃ良いんだろっ・・・って意気込みだけで良いのね。
あはははは、ただのひるんだだけの気持ちの問題なのだから。難しいのは大作として、時間を掛ける・・・っていつ終わるか判らないってスタイルに慣れてしまうと、良い事と悪い事は背中合わせで、時間内に終わらせる・・・って言うのが慌てて作らないと・・・とせわしい気持ちになる。
実はそこがカルチャーみたいな所のサンプルと同じものを作るって言うのと、自宅で好きに作る・・・の違いだったりするのだけれど、時間内でって言うのは、メインをしっかり・・・後は適当に・・・の繰り返し。逆に自宅でこだわれば、メインをしっかり作ったのなら、バックもしっかり・・・
って作ったのなら、当然メインよりもバックのスペースが多ければ多い程時間は掛かるのは当然で・・・。だから果てしなくなって行く。大作と小物ってのは作り方が違うもので、小物はこだわりは1つ。メインに全てを注ぐ。だから、そこで時間を使ってしまった分、後はチャカチャカなのね。
勿論、雑な言い方過ぎるんで、そのチャカチャカの説明は、例えばメインは目地幅を狭くし、バックはいつもよりも目地幅を広げる。それで勝手に大雑把に見える所と、しっかりの所に見えるモノなのね・・・。きちっと整列って言うのは間隔を一定にするって言うのも含まれるからね。
まっそんな事を踏まえて、こんなのを見て貰おうかな・・・。
昨日の下地・・・くじらに教えながら、作ったんだけれどね・・・わざとこんな風に作ったのね・・・説明に使おうかな?ってね。まずは白い目地をせずにくっきりはっきり見て貰おうって言うのと、色合いを見て貰おうってね・・・・。まず輪郭通りにきちっと切る。
これだけでかなり上手く見えるよね?いかに輪郭が大事か?って事になる。くじらの作品と考え方は全く一緒で、同じパーツを2つ揃える。ただこの下地の良い所は入る・・・を意識するだけ。しかしカタが無い場合、自分の判断のみになる。甘ければ揃わないし、厳しくすれば終わらない・・・。
では色ね。全部のパーツを1色のみでやったのね・・・実にペッタリって感じでしょ?この場合、もし色を2色使って影っぽくってするのなら、顔に入れるべきだろうね・・・普通は。ただそれはさっきのうさぎは由緒正しい決まりがある。このクマには無い。だからいくらでも変えられる。
つまりくじらのバックの青を1色でやったとしたら・・・ペタッとしてしまったろうね・・・このクマのようにね。ただこれはこれでクマには見えやすいって利点はあるが、モザイクっぽくは無いかなぁ・・・ってな感じ。まっ、作品指導としてはこんな感じなんだけれど、まだ先生としてはある。
ではこうして仕上がったものを展示する。俺は良いじゃん・・・って評価をした。それを飾る。ただ俺はモザイクの先生だから、テクニックなどを見れば判るが、それ以外の第三者はきっと可愛いぃぃと表現するだろう。ひとまずその評価を貰えれば作り手としては悪い気はしない。
つまり報われた感じはある。ただもしそれをお客さんが欲しい・・・なんて言った時、上司は何て言うんだろう・・・?そして一体これは指導料、材料費は一体いくら掛かっているんだろう?・・・知らない間にあげられちゃった・・・何て事があった時、その請求したら気分良く支払われるのか?
全てありとあらゆる想定を説明して、そんな事もあるかも知れないけれど、お疲れ様・・・良く出来たと思いますよ・・・なのね。
可愛い作品と言うのは残酷なものだったりするからね・・・。そんなこんな後は、ミゾレウミウシ完成。
これも小物ではある。可愛いモチーフでも無いし、自分の絵でもある。しかしね・・・正直売れる気はしないのね・・・何だか綺麗だけれど、気持ち悪い・・・でもね、きっとウミウシのモザイクは俺しか作っていないだろうしね・・・一応やって見た・・・そんな感じ。
ただ、そんな中、次の下絵を描いていたんだけれど・・・ちょっと心が揺れるテレビを見てね・・・同じ事を同じように何個作ってもね・・・って気持ちになったのね。そうね・・・最近、落語がマイブームでね・・・やっぱり私しゃ新作落語がしたいんだけれどね・・・・。
かっぱだぬきでは、最初かっぱだぬきのようなオリジナルを好き放題作っていて、母の死と引き換えに仏像・・・つまり古典にして売れたって話。
じゃ俺は最初に何をやっているようにご贔屓さんに見えるのかな?・・・そして何を最後の1枚に作れば良いのかな?・・・ってな話。
ウミウシねぇ・・・誰にも頼まれちゃいないもんねぇ・・・依頼品じゃない。けれど、ウミウシをウミウシに見えるって小物作っていても図鑑かっ・・・って話。つまりウミウシのモチーフでkatsu作って見なさいな・・・って作れば、俺らしいかっぱだぬきになるんだろうが・・・・。
後は資金と勇気なのかな・・・考えただけでも怖いんだけれど・・・。