katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

健さん教室と蛸の椅子

2024-06-30 08:43:42 | モザイクタイル教室
今日は午後から健さん教室。って事で、8月末に大阪で開催されるセラスタ2024で展示予定の蛸の椅子の制作。まぁ見慣れてしまえば、キモい・・・とか、新展開が無いから、またタコの足かぁ。

って感じだろうが、何しろこの窯変の気持ち悪いゾーンを抜けると、ちょっとした模様に入るから、早いとこそこへ行きたいんだけど、中々そうは進まないもので・・・。

地味に進んではいるものの、明日から7月だからね・・・ちょっと気忙しい気持ちにはなる。2ヶ月を切った・・・そんな気分。ただそんな気持ちに騙されないように、きちんと今どうなってる?

ここを書き出して、今抱えている案件を整理し、今すぐ行動を起こさないとならない事、ただ待っているだけの事、まだ余裕は有り準備しているだけで良い事、みたいに緊急の場所の医者では

無いが、トリアージして、物事を解決しないと、くだらない悩みで時間は使えないのね。何しろ悩みはただ時間が過ぎるだけで、考えるって具体化しないと、先には進めないのね。

そして考えて進んだ結果、その結果を見て、それをリカバリーするなりして行く。つまりいかにマイナスを減らして行くか?って言うディフェンダー的考え方になる。しかしながら、自分が良いと

思わないと進めない・・・なんて考えの人は、プラモデルみたいな考え方だから、全ての結果がこうなる・・・つまり図面やレシピ、楽譜がしっかりしないと進めない事になるのね。

これが長けている人ならそれで良いが、長けていない人がそんな考えをしていたら、恐らく一歩も動けず、諦めるか、それとも納得する前に始めて、後悔をいっぱいして行くんだろうね。きっと。

これが手慣れていないんだから、100点は無理・・・って覚悟して、これだけは1つ趣旨として外せない・・・って事だけ抱えて、多少くねくね迷ったとしても、最後に趣旨にはたどり着いた・・・

って事なら、腕は未熟だったのか?それとも構想が未熟だったのか?ってな事になる。その失敗を踏まえて次の題材と向き合う・・・これがオリジナルの考え方だと思うのね。ただこの考え方は、

美大に行ったようなエリートな人は該当しないのね。あくまで絵が下手じゃんって俺側になるような人へのアドバイスだからね。そんな事を踏まえて健さん教室。そう考えると、健さんの作品は、

色んな形の集合体なんで、いかに色んな形を切れるか?の練習だと思えば、単なる漢字の書き取り的な教則スタイルだと思うのね。ただ今の健さんは昔とは違って、今ここを作っている・・・って

意識が向上している分、こだわりも繊細になって来る。当然切ったパーツを切り直すのも躊躇無し・・・入った入った・・・あっこんな所に落ちていた・・・なんて拾う事は無い。

切る腕だけで無く、意識が高くなったのね。こんなパーツじゃ許せない・・・みたいな感覚。そうね、例えば漢字の書き取りの点々を大きく外れても、別に読めんじゃんって進める奴と、1mmも

はみ出し禁止では、精度は見なくても判る。でも当然能率効率は悪くなる。読めれば良いじゃんって言うのと、美しさとでは、考え方は大きく変わるし、音楽にしたって、音符は合ってるじゃん、

って言うのと、タッチの強弱なんて言うのは、もう心構えの違いなのね。それも勉強で会得と言うのなら、いかに繊細さの必要な雑談をするか?になるのね。何しろそれぞれの考え方だからね。

しかも人はそうそう変わらない・・・と言うのなら、日常の何気ない会話に、その人の考え方は潜んでいる訳で・・・目が泳いだり、会話のテンポや声の大きさ、緊張感や、投げやり度、行動に

現れたりする。これが百聞は一見にしかずなのね。後は読み取る心・・・それが付き合いが長ければ長いほど、心理って言うものは問われるし、個人レッスンなんてそんなもんなのね。

みんな一緒なんてのは、学校の話で、個別って言うのが、同じ指導しか無いのなら、そりゃ個人レッスンにはならないのね。だから人に教えるって言うのは難しいのね。

言葉にしても比喩にしても、何しろ気付きだから、その人のヒントになるキーワードを盛り込めるようにしないとね。まぁここへ来て、かなり健さんとは距離感が縮まった気はするのね。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親戚に不幸があって・・・

2024-06-29 03:34:13 | 休み?
数日前、親父の姉さんの旦那さんが亡くなったって話を聞いた。それが少し前にそこの子供・・つまり俺のいとこが、近いうちに両親を連れて行く・・・なんて話もあって、安心していたのね。

だから亡くなった話を聞いた時に、あ・・・そう来たかって思ったのね。振り返ると、前回は約1年前に連れて行ったようなのね・・・あの時、みんなで写真撮ってやれば良かったな・・。

おじさんは90を超えていて、そんな歳ではあった。ただガンを何度も克服し、鉄人って呼ばれてたのね。むしろ家の両親よりもシャキとしてて、本当に元気な人だったのね。

それが明日検査入院なんて前日に、静かに逝ってしまったらしい。自宅で亡くなりたかったのかな?おばさんも、いとこもいたらしいから。それで家族葬して、数週間経って落ち着いたって、

連絡が来たんだろうね。そんなこんなの今日は、涙雨なのかなぁ・・・土砂降りの中、両親を連れて向かうんだけど、香典袋が欲しいとなって、薄い筆はあんのかよ?って聞くと、そんなの無いよ

・・・別に親戚だし良いよ・・・なんて親父は言うものの、そりゃ駄目だろっ。何でも良いなら裸で渡せよ・・・って言うと、そっか・・・って。おいおい、俺ごときにまともな事言われんなよ。

ってな事で、それと・・・やっぱ、花とかフルーツとか、何か必要だろな・・・ただ、残されたおばさん1人にフルーツの盛り合わせ的なもんは、見栄えは良いだろうが、困るよな・・・とか、

花にしたって、切り花じゃ花瓶なんて事になれば、手間を掛けさせちゃうし・・・こう言う大人なフォーマルな事が一番苦手なのね・・・俺。あえて言えば、普通60の大人って事になれば、

結婚しているから、奥さんがいて子供がいて、場合に寄っては孫なんかいるなんて事になるような歳である。それなのに何一つ持っていない・・・そんな奴が、世間様のそんなまともな儀式に参加

するって言うのは、まるでシンデレラが舞踏会に出るのと、何ら変わらない。ただあいつは図々しい女であって、しかも若くて美人と来たら、何でも許されて、むしろ高感度は高い。

何しろ不幸を武器に同情を買い、魔法使いと交わしたたった1つの約束を破り、借りた靴まで捨てて来る・・・礼儀も無い図々しい奴から考えれば、俺の方がまともっぽいが、世の中ってのは、

そうは行かないもので。やっぱ顔だなっ・・・とか、若いって良いなって話。若気の至りなんて表現もあるしね。これが80になれば、おじいちゃんだし・・・となり、見る目も変わるだろうがね。

そんな中、両親と俺の3人でとなると、俺が一番ちゃんとしないと行けない役回りとなると、不安だけが残る・・・だからかぐやに確認して、最高じゃ無くて良いから、最低限どうすれば良い?

って聞いたし、まぁ大体はあっていたんで、後は無事に着けば良いだけなら、何とかなる。そんなこんなで何とかかんとか手に入れたものの、お花が1時間待ち・・・って言われたのね。

いつもなら、えーって思って他に行くかって思ったりもするものの、土砂降りだし、移動して探すのも面倒だし、それなら早めな昼食にして、待てば良いかって事にして・・・。

何とか無事に着いたのね。ご焼香もし、居間へ行こうって言われたけど、ここが良いよ、おじさんいるし・・・その前にみんなで一緒に写真撮ろうって言って、遺影と一緒に写真を撮った・・・

本当は生きてる時だったのに、気が利かなくてごめん・・・っておばさんに言うと、そんな事無いよって言ってはくれたものの、やっぱり残念だったなぁ・・・って遺影を見て思ったのね。

そんなこんなで昔話をして、数時間経ち、夕飯も済ませ両親を送ってアトリエへ・・・。こんな休みは本当に疲れる。老人2人の面倒は楽では無いし、トイレだけでも一苦労。その上、不幸な話と

なれば、気疲れ・・・って気を持って行かれる。立て直しが必要になる。だから絶対にアトリエに戻らないとならない。ここが俺の居場所だから。ただここは仕事場・・・ただのんびりする場所

では無い。だから絶対に何かをした・・・って爪痕を残さないと、丸々1日遊んで来た気持ちになるのを払拭したいのね。ただ疲れている・・・こんな時は、考える事は避けたい。だから・・・

先日買った、レトロなタイルのネット剥がし・・・古いタイルのネットは腐ったみたいになっていて、お湯に付けていくらか柔らかくなった所で、カッターで削ぐなんて事になるのね。

もういくらかやってはいたものの、残っていたから数時間それをして・・・終わらせたのね。そこでいくらか落ち着いたし、だから蛸の椅子をほんの少し進めたのね。なんかなぁ・・・。

きっと俺以上に両親は自分の死と向き合った時間だったろうな・・・と思うと、きつかっただろうし、何だろう・・・明日は我が身。家にもやって来る番なんだろうな・・・って気にもなった。

でもこうして一緒に出掛けた・・・そんな些細な事がいつかまた思い出になって行くのだろう。それが普通は孫だのって楽しい時間もありつつ、老いて悲しい時間と相殺なんだろうが、俺には

その楽しい時間を過ごさせてあげられ無かった罰とでも言うのかな・・・悲しい時間を一緒に過ごさないと、一緒に過ごす時間すらも奪う事になる。つまり何もしなかったよりマシって事が限界。

100点狙いでは無くて、5点でも、10点でも、0点よりはね・・・って拾い集めているようなもの。だからやってやった・・・とは思わないし、やらなきゃな・・・やらなくて後悔はしないのか?

って、自問自答になる。勿論、やった所で、日常なら多少の不備は許される。でも、それが入院だったり、こうした不幸だったり、フォーマルな事は、間違えると迷惑も掛かるし、やった事で、

自分だけでは無くて、責任も負う・・・勿論、そんなの関係無いし、そこまで考える必要は無いって言ってくれる人もいる。ただ本来そんな責任は、結婚したとか、親になったとか、色んな経験を

して来た人の優しい目であって、そりゃ人としてどうなの?なんて言われてもおかしくは無い。つまりそんな姿勢では、やったから良いだろっ・・・って姿勢であり、そんな気持ちで作品を作れば、

最悪である。人はそう変わらないって言うのなら、俺が俺らしくギリギリ居られる場所を守る為にも、どんな時でもまっ良いか・・・では駄目で、出来ないながらも・・・何としても・・・。

ってもがいたり、あがいたりして、最低限の死守みたいな気持ちを持たないと、だらしなく仕上がる。心構えってのは、そんなもんと考えるのね。まぁ色々あったが、平常心に戻りつつある。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さん教室と蛸の椅子

2024-06-28 07:02:15 | モザイクタイル教室
今日は午後から寅さん教室なんで、午前中は蛸の椅子から。

そうね、以前このビンテージ的な玉石のタイルを使った作品を見て、呪いが掛かったみたいって表現した人がいて・・・確かにこの窯変って釉薬のタイルをこうして沢山張ると、気持ち悪さが増し

そう見えると思うのね。って事は、実際の蛸よりも、よりエグく見えるだろうし、大きさにしても、実際いたとしたらかなり迫力あるサイズでもあるだろうから、思った通りの仕上がりには

なっているのね。ただ期限があるし、夏は特にあれこれあるし、まぁここまでは貯金って感じの早めの始動だったけれど、もう数日で7月・・・気分的にも本番って感じになったせいもあり、

何か気忙しくなった。ただ良く考えれば、確かに良い作品にしたいとは思うが、今年はリュウグウノツカイに始まり、カツオノエボシ、そして蛸の椅子・・・もしこのまま8月に突入となれば、

作家katsuは、8ヶ月無償の作品を作り続ける事になるのだから、生きている事が不思議になる・・・つまり流石にやり過ぎだろって思ったりもする。ただね、誰もやれない事って言う点は

悪くは無いんだけれどね。まっこんな葛藤はある中の制作なのね。そんなこんなで寅さん教室。地味ではあるけど進んではいる。ただこの辺からは、もう意識の問題なのね・・・。

例えば趣味って言葉・・・一体いつまでその言葉で作り続けられるのだろうか?それと上手くなりたい・・・この言葉と合体させられるもんなんだろうか?例えば、他人事の方が責任が無い分、

理解しやすいだろうから、さっきの俺ね。良いものは作りたい。でも依頼品があるのに、無償の作品作りを8ヶ月もし続ける・・・これは全く反対な事になる。って事で、依頼品を待たせる事に。

つまりどちらか諦めないとならないのね。ではそれを踏まえて、趣味と上手くなりたい・・・確かに始めて3ヶ月・・・これなら樂しく上手くもなる。それは下手っぴだから。伸びしろも大きい。

では3年。こうなると月に1回3時間x12ヶ月で36時間、x3年で、108時間。そこそこの時間にはなった。ただみんなが凄いって言っている労作展の子供達と比較すると、最低でも100時間は超えて

いるのね。でもじゃ一緒くらいじゃん、むしろ超えているなんて勘違いしそうだけれど、奴らは1作品での時間であって、その3年間で何作作った?って事になると、制作時間だけでも差がある。

ただそんな事だけで無く、例えばこれを料理だとして、簡単な料理を何作も作るって言うのは、目玉焼き、ゆで卵、スクランブルエッグ・・・これを3年作り続けるのと、いきなりフランス料理

・・・って比較したようなもんなのね。でも実際どっちが楽しい?って事になると、宿題だから、良いのが作りたいって言うのは、楽しいから作っているんでは無いのね。むしろ大変。

それを楽しく作るんだから、楽しい作品くらいになれば、充分理屈としては成立すると思うのね。でも上手くなりたい・・・となると、楽しいだけでは難しくなるのね。それが経験年数が増えれば

増えるだけ、より難しくなるのね。まっ簡単に言えば、10年料理教室に通って、凄く楽しいんだよ、凄くスクランブルエッグ上手く作れるようになった・・・って言える?無理でしょ。

それを労作展の為に習ってるんだ・・・となれば、えー習っててこれ・・・もう最悪だわ。それを大学行くのに予備校行ってるんだ・・・って言って置いて、一体何処の学校だとセーフで、

何処の学校からアウトになる?・・・これを何処でも良いから受かってくれれば・・・って親心なら、それで成立するけれどね。つまり樂しくって言うだけでは限界があるのね。

では寅さんの場合は?となると、亀有カルチャーの頃からだから、そこそこの経験値になって来たのね。つまりこのまま樂しくだけで続けるのなら、もうそんなに教える事は少ないのね。

だってそこそこならもう充分、ハイビスカスにも見えるし、オウムにも見えた・・・ただここから上手くなりたい・・・もっととなれば、当然その意識が変わらないと、趣味はあくまで樂しく。

上手くなりたいとは上達したい・・・になるんだから、学校名や料理名を具体的に言えば、先生サイドの判断で作れるようにはなるだろうが、それを実際楽しいだけで作れるようになるだろうか?

楽しい予備校、東大目指そうね〜って有り得ないと思うんだよね。じゃ何処の学校から樂しく何とかなるんだろうか?って事になると、上は目指さないって事だから、何処でも良いからスタイル。

一体何処まで上手くなりたいの?って掲げないと、厳しくなると嫌になる、じゃ甘くすると、こんな学校じゃ嫌・・・ってな事になるのね。それ位の事が言える日数が経ったって事なのね。

一番難しい経験数になって来たって感じなのね。だからその意識が変わらないと、中々ここから変わるって言うのは難しいのね。だから作品よりも意識改革。いかに考え方が変えられるか?

いずれにしても、生徒さんにはここでは言えない、まだ何も具体的にはなっていない話しをしているのね・・・それを聞いて貰って、どう感じるか?何か俺は変わるだろうか?判断材料を提示して

ご判断して貰っているのね。もし俺の思っている通りに何か変わると思えば、今とは違う展開が待っているだろうし、別に・・・って言うのなら、何も変わらないだろうし、その時になったら、

考えるって人は、準備はしない・・・って人なんだろうし、どれを選んだとしてもご自分の判断になるのね。ただ人はそう変われない・・・余程の事が無い限り。つまり変えられないのなら、趣味

からは抜けられない・・・全部自分なのね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

問い合わせ2件とフラガールに蛸の椅子

2024-06-27 01:08:27 | モザイク作家
今日は午後からアトリエに問い合わせの方が来る事になってて、それまではまずフラガールの下地

ペーパー掛けを終わった頃には、1時くらいだったかな・・・そんなこんなでまずはいらした方から。別荘に何かやりたい・・・みたいな話なんで、自分で作るのか?それとも依頼なのか?

まずはここから。それとあれこれと街中で見掛けるモザイクを良く見ているようで・・・あっちこっちの壁画の画像を持ってて・・・良く歩いて集めたなぁって関心すると、多治見のモザイク

ミュージアムだったり、名古屋モザイクのショールームに行ってたり、中々のつわものなのね。しかも、タイル検定って今どきの知識認定も持っているらしく・・・ただそんな方は俺には有利で、

比較対象があればあるほど、比べて貰えるのは何よりなのね。それをフィーリングだの好みで決められると、今の蛸の椅子みたいな作品は、気持ち悪い・・・が、たどり着く着地地点なのね。

それじゃ良いって思われる確率が低くなる・・・ただ知ってるって言うのは、これ何?って事になれば、左程興味が無い分、何と無く凄いとか、簡単に流されたりもする。そう言う点では、

あれこれ興味を持っている・・・って言うのは、仮に今何もしなかったとしても、記憶には残るし、いずれにせよ、特に今、具体的に何って話では無さそうなんで、相談って事かな?

そんなこんなで、次のZoomでの問い合わせまでは、蛸の椅子。注文していたタイルが届き、方向性も決まって・・・足先に向かってこのタイルで終わって行く・・・って事にしたのね。

そんなこんなで始まるも、久しぶりのZoomで戸惑ってしまい、すったもんだはあったものの、話す事が出来たのね。ただ先方が外国の方で・・・不安が大いにあった中、凄い日本語が達者で・・

心配は全く無く話せたのね。どちらも精一杯話したし、やれるだけはやったのね。少なくとも良くも悪くも記憶には残せたから、爪痕は残せたはず。そんな中、かぐやとあれこれ日程確認などを

すると、何か時間も無くなって来て・・・余裕が無さ過ぎるんで、しばらく教室止めるかって事で、これからの予約を止める事にしたのね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フラガールの下地と蛸の椅子

2024-06-26 01:54:41 | モザイク作家
今日はまず、デイ・サービスのフラガールとさいたまのコープみらい分のメンダコの下地から。来月前半にかぐやが来る事になっているんで、その時に下地ってならないように・・・って事で、

早めに始動。これからペーパー掛けやらあるんだけれど、ここまで来ると、音も出ないし、随分と進んだ感じになるのね。それとついでに・・・って事で、メンダコも様子見でやって見たのね。

色んな下地を切ったけれど、このラインの切り抜きはダメージが少なそうで、数が多くても割と早そうなのね。ただ頭の立体がそこそこ面倒だから、時間の貯金しとかないと・・・。

そんな後は、蛸の椅子。

だいぶ、吸盤も終わって来たのね。そんな中、また1つ問い合わせがあって・・・一応見積もりも伝えたのね。ただ明日も2件あって、午後からアトリエに来てお話・・・って言うのと、夕方は、

Zoomでの問い合わせ・・・ただ、どれもこれもが決まるとは思わないけれど、決まった所で、体は1つなんで、待てるのかなぁ・・・って気がするんだけれど。ただ、そう言う話が多くなるって

事は、決まり出すと、今までとは違う事になるだろうけれどね。いずれにしても、何かが変わりだして来る・・・そんな感じはするのね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛸の椅子とメンダコの下地

2024-06-25 00:11:56 | モザイク作家
今日はまず蛸の椅子からスタート。そうね、そんな中、お知らせしていない案件が数個あって、これが全部決まるとは思えないけれど、きっと期日なんてもんがあるだろうから、順番に決まると、

出来ない案件もでて来るかも・・・なんて思いつつ、今日もちょっとした問い合わせがあって・・・そんな中、メールでもかぐやがやり取りしていて・・・果てさてどうしたもんかな?

って感じで、少し思っていた方向になっている感じなのね。実際は何にも決まっていないんだけどね・・・。ただ既に7、8月はそこそこ予定も入っているし・・・。

って事もありつつ、蛸の椅子も、まぁ順調なんだろうけれど、最後のあがきって感じで、数件当たっているのが、窯変の玉石。簡単に言えば、気持ち悪い色とか、以前呪いのタイルって言った人が

いたんだけれど、それ位、奇妙なタイルね。それが何とか少し見つかって・・・・これでこの椅子の材料はメドが付いたのかな?って感じになって来たのね。そうこうしていると、お昼をまたいで

・・・って事で、少しゆっくり目でコーナンへ。

これを貯金箱の穴を空けて、2個づつに小分けに切って・・・後は電動糸鋸で切り抜くだけ。そんなこんなで戻ってまた蛸の椅子。何しろ吸盤・・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛸の椅子とメンダコのパーツ切り

2024-06-24 07:21:50 | モザイク作家
今日は蛸の椅子を中心に・・・。何しろまず吸盤作りとなると、まず何色かの丸いタイルを半分に切り、中心部をえぐって、円周を少しずつ小さくして、真ん中にエンジのタイルを切って入れて、

合体。これを張ったら一度ここを離れて、少し乾くまでまた繰り返して切る。ここで続けて、その丸の輪郭をエンジで包む・・・ってやると、はみ出したボンドでベタベタにしたり、ピンセットで

動かしたりしてしまうのね。だから、あっちを攻めたりこっちを攻めたり、時に時間稼ぎのように切るだけにしたり・・・ここは工夫をするのね。ただそれでもあれこれ張ると、どうしても無理に

張る姿勢の時もあるから、知らずに擦ったりして、肘だったり袖だったり、あぁこれ以上は無理だな・・・なんて時は全面撤退となって、じゃ下地って事になり、作家から先生に変わるのね。

今回のメンダコ下地は立体なんで、頭が半丸で膨らんでいるのね。その半丸の部位切り。以前、四角くは何十枚か切って置いたんで、今日はそれを丸く切るんだけれど、何しろ電動糸鋸の対応する

厚みが限界って感じだから、ギリギリって事だから、いつものように進まないのね。当然ながら。まぁ簡単に言えば、豆腐を切るのと、かぼちゃを切るの、同じ包丁なのに進みが悪いって話。

ただ例えば、いつもの良い事と悪い事は背中合わせ・・・って事を踏まえて考えると、柔らかいものと硬いものの比較とか、薄いものと厚いものの比較みたいな事に置き換えるのね。

そして自分の性格、フォワードかディフェンダーって話ね。そこに乗せる。上級者なら、そこに今日の気分って言うものも考慮に入れて考えれば、何を選択すべきか?って、改めて思わなくても、

これになっちゃうよな・・・ってほぼ選択するものは決まるって話になるのね。まずいつもの木なら、この位の内容なら1時間にこのくらいは出来る・・・って経験値で想像が付くのね。

それがベテラン。ただ木質が変われば、当然いつもとは違うのね。柔らかければ進むし、硬ければ進まない。ただこの進むって言うのは能率の話では無く、刃の進み具合ね。しかも柔らかければ、

摩耗も少なく、硬ければ刃が立たない・・・つまり刃が折れる。逆に柔らかいと刃の負担は少なく進み具合も良いとしたら、凄く都合が良くなるだろうが、悪い事は進み過ぎて切り過ぎてしまう。

こんな事に俺の性格がキーパーだとすると、守りの人だから、話半分くらいにしたとして・・・って、進み具合を楽観視せずに考えるんだけれど、そこに気分なんて曖昧なものが加わるから、

人って難しくなるのね。今日の気分が良いか悪いか?って事で、また左右するのね。まぁ面倒臭い生き物なのね。だから常に今の自分の状況を知らないと、信用ならない訳ね。

例えば本来なら、コーナンで彫って来れば、平面部分の部位が終わるから、区切りが良い。ただ日曜日だから、人が多いし、ここは避けるべき。ピエロにしてもバックのタイルは多いから、手持ち

では足りずに注文したばかり。つまり今やれるのは、蛸の椅子になる。だから朝からやる事になるが、立体の都合上、無理にやると必ずハプニングが起こる。そこでペンキの乾き待ちみたいな時間

に、能率効率的に下地となるが、平面部位はそんな理由から行けないし、そこで立体部の頭となるのね。ただいつもより厚みがあって、硬いよ・・・って言い聞かせてやらないと、何でこんなに

進みが悪いんだ・・・とか、上手く行かないみたいに、ストレスになるものなのね。そこが能率効率の落とし穴。そもそも能率効率って事自体が、大した事をしていない前提の話なのね。

いわゆる作業、誰でも出来るような話ね。大量生産的な・・・つまり簡単だからこそ生産性を上げる為の言葉が、能率効率であって、画家に能率効率で描けとは言わないのね。

話を戻して、作品作りのプレッシャー開放が下地であって、そっちは作業で楽側だとしたら、能率効率でやりたい・・・って時にストレスが掛かってしまっては、ダメージが大きいのね。

だから無理せず早めの始動なんだから、無理やりやったり、夢中にならない・・・って思っていないとついつい頑張ろうとするのね。しかもまだキーパーがフォワードになるような時間帯では無く

キッチリいつも通りの進み方であれば、余力を残した時点で攻撃に入る・・・つまりやりたい事は最後・・・そもそも蛸の椅子ってだけなら、蛸に見えりゃ良いだけ。それは工芸なのね。

きちんと意味が無きゃ、わざわざ手間を掛ける必要が無いのね。ってスタイルなのね。勿論、工芸品側で頼まれれば、それはそれとして仕事って気持ちでやるけれど、大きく気持ちを変えないと、

ならないのね。そもそも工芸品みたいな感覚なら、みんな同じ・・・って事になるから、甲乙丙丁があってはならないのね。昨日と今日の鍋敷きが同じものなのに差がある・・・最悪なのね。

でも美術、芸術は一点もの。つまり作家としては昨日の自分を超えたくなるのね。常に今日が最高になりたいから。所が、かつてのものを簡単に超えられる時は良いが、そう簡単に超えられない日

がやって来るのね。分かり易いのは超一流みたいなヒットを出した人達。例えば、20代で、人生を歌ってしまった拓郎さん。普通は20代って言うのは、ファンも同じような歳だから、恋愛の歌を

歌うもんなのね。それをファンは自分に置き換えて、各自の思い出にする・・・所が、拓郎さんとそのファンの人達は、20代で人生を語っちゃったのね。まぁおませさんなのね。でもね、所詮

20代・・・本当の意味が判るのはずっと先なのね。でもそれをずっと支えに生きて来たのね。そうなると、今頃丁度、その歌が本当に沁みている歳になったと思うのね。でもそうなると、新曲が

刺さるか?となると、恐らく新曲だけのライブでは、物足らないだろうね・・・ファンは。だって昔の歌が感慨深いのだから。そりゃ辞めるって言うわな。届かないのだから。中にはそこに迷い

死んでしまった人達もいる。とても残酷な世界でもある。一発当てたい・・・と東京に上京し、売れなくて埋もれてしまった者達がいて、その中にかずかながらに当てた奴がいる。でも、自分越え

が出来ずに一発屋ってレッテルで残る奴もいる。一発当てるのが難しいのに。でもそれをも超越した人達がいる。しかも70歳にもなっているのに、若造達と戦わないとならない。

中々果てしない戦いである。しかもそんなベテランは家族を守るだけでは無く、大所帯になれば、バンドメンバーだけで無く、スタッフの家族まで守らないとならない・・・過酷である。

もうそうなると自分であって、自分では無いだろうね・・・きっと。まぁそうなりたい・・・って言うのは簡単だが、そうするには?って布石を打たないとならないし、やる事は多いのね。

ただ何しろこの2ヶ月・・・もがいてます、あがいてます・・・って言うのと、やさぐれを楽しめるような気持ちで過ごさないと、今までの単なる2ヶ月とは意味が違う・・・って生きないと・・と

思っているのね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

kameyaさん教室とメンダコの貯金箱下地

2024-06-23 02:01:30 | 出張教室
今日はkameyaさんの出張教室。まずは棟梁からなんだけれど、りょうさんと2人だったんだけど、先日のお母さんの作品を見たらしく、とても80歳の人の作品には見えないし、本当に上手だと。

まぁ2人にしても、これだけの作品を作るのだから、この技量で見た感想なんだから、どれだけ上手く見えるのかも判るし、逆に自分達の作品もそんな人達から、どう見えるかも想像は付くのね。

そんなこんなで今日の棟梁の花はかなり良くなっている。具体的に言えば、お母さんの花は確かに上手いんだけれど、棟梁の花は自分で描いたもの。その時に、ついつい描いた絵で完了してしまう

意識があったのね。例えば誰かの絵でモザイクを始めた場合、俺を含めた画力の乏しい人達の場合とは違って、画力のある絵は完成度が高い。つまりその絵の通りに切って張ると完成度が持続する

のね。所が画力が乏しい人の絵は、まだ完成度が低いはずなのね。だから、描けた事に満足しないで、切る時も油断せずに絵では無くて、画像を良く見て補足するような気持ちで作るのね。

その意識があると、無いのでは、繊細さが大きく変わって来るのね。そもそもそこが変わらなければ、これだけ切れる人が具体的に上手くなるって一体何?って話なのね。それは確かに画力アップ

も必要だけれど、そんなのすぐに簡単にアップはしないから、逆にここまで描ければ、徐々に改善くらいにしかならない。それよりも大事なのは、だからこそ意識改革なのね。何の何処を作って

いて、どうなっているのか?その時に、小さいものは絵と違って繊細に描き込む事は出来たとしても、切る事が出来ないのね。つまりどの線かを諦めないとならないのね。それがデフォルメ。

それをこれだけ切れると、かなり無理矢理入れようとしたり、大体こんな感じ・・・って具合に、その線の通りに切ろうとするのね。でもその画力は自分のだよ・・・って話。

それが画力のある人の線は、間違いが少ないのね。もっと雰囲気で言えば、楽譜通りの演奏が出来ないのは、自分の稽古不足であり、未熟な証拠なのね。所がそれがかなり弾けるとなった人が、

楽譜を見ずに弾ける・・・こんな感じでしょ?って言うのは、感で弾く事になるし、もっと言えば、その楽譜自前じゃん・・・その都度良いと思われる演奏でも良いはずなのね。大体こんな感じ

って下絵だと思うくらいで、単なる目安と考えて、その都度しっかり確認しつつの制作によって、画力のある人達に少しでも追い付く意識になると思うのね。それを描けた事で満足してしまっては

画力が恐ろしく上手くならない限り、その画力のままで、これだけ切れる棟梁が手を抜く感じになるのね。もっと具体的に数字で言えば、画力のある絵を10点とすると、棟梁が切るって得点は

何点?って考えた時、その下絵通りに切れるって点では、10点に近いポイントだと思うのね。つまり下絵の10点に見劣りしないのね。所が画力を6点だとすると、たった6点の下絵に10点の切る腕

で望むとしたら?・・・切る棟梁が楽になるでしょ?つまりその画力を補う事をしないと・・・。それが自分の下絵のリカバリーを意識する事で、6点を7点に見せようとする意識で、何とか補足する

感覚で、良く見て・・・たったこれだけで効果は出ると思うのね。

逆にりょうさんは、そんな事よりも、写した絵の線をはみ出さずにキープし、Sのラインの正しい切り方の理解の強化。今進む事よりも、何故そうなるのか?そう切ると美しく見える目が必要。

それが理解出来ないと、幅だけ合わせれば、どんな形でもOKって事になれば、大袈裟に言えば、クラッシュって言う、切ったでは無く、割ったって流動的な形を入れて行く事になるのね。

これでは初めてやるような人達と何ら変わらないのね。何しろ今は進む事よりも下絵にどう切るのか?って線を入れて切るなんて言うのも、一つの考え方かもね。そんな後は、アトリエに戻って

お教室だったんだけど、キャンセルになったんで、急きょコーナンで、さいたまのコープみらいさんの夏の子供教室用のメンダコの貯金箱の下地彫り。

先日との合計で74枚彫ったのね。後これが1枚分写してあるから、取り敢えず99枚分は彫れるのね。本来上手く写したら畳半分で25枚取れるんだけれど、1枚失敗で24枚になっちゃったのね。

そんな後は蛸の椅子のパーツ切りをしておしまい。

そんな中、つっちーと話す事になったんだけれど・・・まぁあれこれあってね。ただあれこれあろうが、後2ヶ月・・・何しろこの2ヶ月、やさぐれ強化月間なのね。何しろやさぐれる。

徹底的にやさぐれる事なのね。やさぐれは貧乏じゃ無きゃ出来ないのね。何しろ徹底的に嫉妬し、妬んで、羨ましいと思い、卑下をし、自分の今の立ち位置を確認する事。その上で、なにくそって

気持ちになる。これこそがハングリー精神の本来の基本。ただ腕には一切関係なく、そこは認められた上で、人がどう接して来るか?って意識で、自分の今、どんな扱いになっているか?を確認し、

そこからの脱出の為に何が必要か?を考え、何が出来るか?何をどう仕掛けるか?戦略とはそう言う事で、ただ漠然と頑張る・・・なんて60歳が言う事では無いのね。あくまで仕事なんだから。

そう言う点では、このやさぐれ祭りを徹底的にやる事で、誰がどう接して来るか?の見極めになるのね。勿論業者の話で、生徒さんでは無くて、先生katsuの話では無くて、作家katsuの話ね。

面倒臭い奴だなぁ〜とか、ウザいとか、卑屈とか、後向きとか、こう言った判断をする人もいれば、全く逆で、ごもっとも・・・と感じる人もいるのね。その時に、俺の立ち位置が変わった途端

手のひら返し・・・こんな事例を見るには、この2ヶ月のやさぐれ祭りは、やればやる程、効果的になるのね。ここで去る人はそこまでの人であって、外様の大名な人なんだろうね・・・。

所がやさぐれていても助けよう・・・なんて、何の役にも立たないって、人は見た目で判断をしない・・・って人は、そんな奴でも支えよう・・・なんて奇特な人なのね。つまり親藩や譜代の

大名って判断になる。お天道さまは見ているし、人を見掛けで判断をする目を信じる訳には行かないのね・・・株もそう。上がってから買おうとしても高くなる。低い時に目利きで買うもの。

つまりkatsu株みたいなもんを、この2ヶ月不良債権により見せる事で、一生付き合える人かどうか?判断したいのね・・・そもそもそんな簡単に腕なんて変わりゃしないのね。

つまり今の腕があれば充分。別にそう言ったって日々の鍛錬を怠る事をする訳が無いのね。でも大抵の人は、自分の興味があるか無いか?である前提で、自分の会社の利益を生むかどうか?になる。

だから蛸の椅子で売れるんでは無いのね。それはもっと上に行った時にであって、まずはピエロの壁画が引き金になるのね・・・それはお金の匂いがするからなのね・・・きっとね。

いずれにせよ、ここまで判ればトッピングとして、やさぐれ最高なのね。これで人は見掛けで判断するのであれば、そんな奴の作品として扱われるはずなのね。ただそんな奴の腕は?・・・






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピエロの壁画と蛸の椅子

2024-06-22 02:44:11 | モザイク作家
今日はピエロの壁画から・・・朝から土砂降りだったんだけど、別に部屋だから何も関係無いんだけれどね。さていよいよバックなんだけれど、クリームと水色って事にしたのね。

手持ちのタイルで様子を見て・・・その中から決めたんだけど、赤が好きってお客さんの意向を考えると、特に邪魔しないし、赤も映えるし、動きも出て来て、よりポップになったかな。

後は何処かに星を入れたり、色んな色の丸でもトッピングみたいに入れると、もっと賑やかになると思うのね。後はテント部分にプラス何かを付けるかどうか?って事でフィニッシュって感じかな?

これで普通の時間が終わって、夜の部は蛸の椅子。

徐々にこの2作同時の制作にも慣れて来たのね。ただこれだけなら良いんだけれど、ここに夏の出張の下地制作もやらないとならないのね。ただ先日100均で購入した箱を空けて見ると・・・

思っていた大きさより小さかったんで、加工せずに使える事を確認したのね。それだけでも結構時間短縮になって、ホッとしたのね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えっ、今日も・・・

2024-06-21 07:20:32 | モザイクタイル教室
今日はまず朝からピエロの壁画。

左側の赤、エンジ、白の縦ラインをやって、玉をやって・・・下絵を忘れたし、って事でアトリエに帰って、駐車場に着いたら電話が入って・・・今日お教室じゃ無かったですか?・・・。えっ?

どうやらお客さん日にち間違えのようで・・・明日だったんだけど、まぁ特に問題が無いので、急きょお教室に。って事で、とんかつの方のお教室。今何回目だったか?忘れたけれど、明らかに

変わった・・・と思う話があったのね。それは、好きなものがモチーフの方が、自分のモチベーションが上がると思いますよ・・・って話をしたら、とんかつって事になったのね。最初はビックリ

したんだけれど、ただこの世にとんかつモザイクは存在しないだろうから、題材としては面白いだろうし・・・ただ、この馬鹿馬鹿しさに、へこたれたり、必ず家族のご理解が簡単には得られない

モチーフなんで、そこさえしっかりしていれば・・・そして完成度が良ければ、こんな面白いモチーフは無いのね。そんな感じで始まったんだけど、面白い・・・ってものが大変って、何か割の

合わない感じにならない?しかも1cmタイルが初めてなんて事だと、ミリの単位のパーツの繰り返し・・・果てしなさは倍増する訳で。更に言えば、フェルメールを作った方・・・。芸術から、

とんかつだからね・・・ただ何をやってもモザイクなのね。ただタイルを切って張るだけ・・・。しかも切る練習だと思ったら、別にモチーフが何でも一緒なんだけれどね。って考えられれば、

何も関係ないんだけれどね。こんな感じを含めたスタートは、うわー、大変だなんて気持ちもあるだろうし、新鮮な気持ちもあったりして、そんな気持ちが入り交ざって・・・。数回やると、

楽しいかどうかは別にして、慣れて来るのね。あぁこのくらい進めるもんなんだ・・・みたいに。しかもやり取りとしても、あぁこんな感じなんだなぁってな具合にね。所が何が何だか判らない。

でも何か一生懸命切った・・・そしたら時間が来た。みたいな感じ。それが今日は、何かとんかつを作っている感じがした・・・って。おー慣れて来たし、何をしているか判って来たようなのね。

やらされている・・・って言う感じが、やっている・・・って感じになった瞬間の話なのね。今この部分を作っている・・・って意識になると、やらされている感は薄れるものなのね。

例えば意識があるか?無いか?の違いは、何も見なくても感じる事は出来るのね。一つの例としては、とんかつってどんな感じ?・・・このどんな感じ?って質問に戸惑う人が多いんだけど、

何度も通った生徒さんなら、このやり取りに慣れて来て、こんな感じ・・・って返して来るのね。その返して来た言葉が、自分の思った通りに表現出来たら、それはどんな感じ?って繰り返す。

ではやって見ると、とんかつってどんな感じ?・・・サックっとか、カラッととか、ザックとか・・こんな表現をしたとすると、サックととか、カラッととかって、どんな形?大抵は、

ここでえっ?って事になるのね。もっと言えば、冒頭のどんな感じ?って質問にえっ?ってなるんだけれどね。だから、丸いと思う?・・・これで指導の大半はおしまい。気付いたよね?

そこに気付いた人は、サックとザックの違いも判るよね?・・・サックよりもザックの方が荒い。こんな事を言えるようになると、それこそが繊細な表現になる。その口にした通りになるように

するにはどんな形か?って探すのね。形も色も・・・思い込まずにね。けれど、このやり取りに慣れるのが大変なのね。進みたいのに、くだらない話をしないで・・・って気持ちになるから。

ただ慣れると、これが一番大事な事に気付くのね。しかもその意識が変わると、何をしているかが判るから、そこに集中出来るけれど、ただ漠然と切ったりしても、目的意識が低いから、何かなぁ

・・・って戸惑いばかりになる。ただそこを抜けると、この感じるって質問が何を意味するか?が判って来るし、その質問が今自分の方向性すらを決める質問なんだ・・・と思えたりもする。

例えばこれが野球だとして、ただ打つ、ただ取る、ただ投げる・・・これでも確かに楽しめる。そう楽しむだけ。これが楽器なら、ただ弾く・・・これも楽しめる。ならそれで良いじゃん。

所が上手くなりたい・・・って意識になり、上手くなる為には?って時に、ただ・・・の繰り返しでは、ただが上手くなるだけなのね。そこに目的意識、つまり感じる・・・って事が出来ると、

ただバント・・・では無く、ランナーを進める為には、方向、勢い、そして見極める目なんて事が必要になるし、音楽にしたって、ただ楽譜の記号通りって言うなら、誰が弾いても一緒じゃん。

違うのね・・・すると、口先だけの奴は、情感を込めて・・・みたいな事を言うのね。はぁ?頑張れとか、気合とかと同じで、聞いている方は理解出来ないのね。そこまで到達していないから。

そもそも情感・・・感なのね。五感の話。ここを鍛えないと、そんなもん出来るはず無いのね。ただ技術を繰り返しで得たとしても、そしたら器用な奴には一生追い付けもしないし、それ以上は

上手くならないのね。つまり反復で身に付けた技術に、その五感を乗っけないとならないのね。しかもその感と言うものに決まりは無いから、いかに繊細に表現するか?となると、ただ細かくって

話では無くて、自分の思い描く事に繊細って意味であって、楽譜通りに弾くんでは無くて、オリジナルって言うのは、自分の思い描く最高のとんかつって何?って掘り下げるのね。

その時にどんな感じ?って質問に答えられないようでは、頭の中にあるだけで、言葉にも出ないものが、タイルで切れるはずが無いのね。まず言葉にする練習からなのね。自分の言葉で言える。

そんな練習から。そうすると、そうするにはどう切るべきか?になるけれど、ただ色を選んで切るだけでは、じゃ好きに切れば良いじゃん・・・ってな話になる。それならそこそこ切れれば、

俺が教える事は無い。そんな目に見える指導なんて、そんなに一生懸命やる事じゃ無いのね。そりゃ格式伝統、教わった通り先生の話ね。こっちは別に誰にも教わった事は無く、生徒さんも美大

では無く、趣味で・・・ほら何もかも揃っていないのに、上手く見えるし、あくまで趣味・・・ほら、そうやって考えると、宿題とは言え、労作展の子供達は趣味では無いでしょ?

まあ簡単な話で、子供でも、趣味では無く、100時間以上時間を掛け、人に見せようって言うプレッシャーが掛かり、発表するって舞台が整えば、誰でもあのくらいの作品になる。

意識って言うのは、こうやって向上させるもので、その意識が変わらないと、趣味って言葉は、上手くなる事を阻むのね。いずれにせよ、いくらか意識が変わったのかもね。

そんな後は、片付けもしないとならないし、やりっ放しのピエロを少しやってからの、蛸の椅子。

そうね、気分の立て直しが必要なのね・・・まぁ簡単言えば、好みは別として、作品として考えた時に、作家katsuファンは蛸の椅子を評価し、ピエロは可愛い作品みたいな扱いになるのね。

ではその目線を業者にした時・・・蛸の椅子はレトロなタイルが張ってあり、懐かしいな・・・とか、もしかしたらウチのかな?とか、でも切り刻まれたりもしている・・・もっと言えば、

カタログには載らない作品になる。だから興味が沸かない。ただ逆にピエロは、余り切っていない・・・って思われているだろうね。そりゃウチの生徒さんなら、当たり前なのね。

所が余り切っていない・・・果たして業者の人達にはどう写るんだろうか?となると、ドットアートが支流だったりするのなら、一目瞭然なはず。そもそもこの大きさのモザイクが受けられるのかな?

つまりこの小ささは、一般家庭でも取り入れられる・・・公共事業では無くてもサイズなのね。しかもカタログには一切載っていないのね。だって無名のハクの無い作家なんだもの・・・。

ただ知る人ぞ知るなんだけれどね・・・無名でもハクも無いけれどね。思い描くシナリオは、蛸の椅子には無反応な人達が、自分の私利私欲の為にこいつは儲かる、使えるって業者から、手が

上がった時、どうなるか?であり、そのきっかけになるのがピエロの作品であって、そこでハクが付いてから、蛸の椅子は後からの評価になるはずなのね。芸術っぽいってさ・・・。

ただもし本当にそうなったのなら、先生良かったですね・・・って他人事では無いのね。そこの貴方・・・貴方も評価の対象になるのね。だって知られちゃうのだから・・・ここも。

いちいち発表なんかしなくても、発表会無しで、いつでも発表会になる。だって人に知られるってそう言う事なのだから・・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする