今日はキウイとくじらの相席教室。なんだけど、来る時にろ過機が壊れたらしく、来るのを断念しようかな・・・と思ったら、旦那さんが買って来てくれるって事で無事解決したんだけれど、売り切れって連絡が入ったりして・・・。
何だか慌ただしくなっちゃったのね。ちょっと落ち着いて出来なかったのは残念なのね。キウイの方は
ひとまず4つ揃ったんで目地。白いタイルを使っているから、白目地は避けて、でも薄いのが好きだからクリームを選択。まぁ先日の棟梁のクラフト的な作品と言い、タイルのカットに困らない人達の作品は安定感があるのね。
例えば料理とすると、包丁さばきのようなもので、おぼつか無いようだと、肉じゃがのジャガイモと人参の大きさが、揃わなかったり、きんぴらの幅がマチマチとか、もっとおぼつかないと、リンゴの皮が剥けなかったりもする。
それが上手いね・・・となると、魚を三枚に下ろせたり、もっとになれば、飾り包丁なんて事になる。これが最初は均等に揃えるだったり、キチンと同じにとか、ガタガタじゃ無くて、スッと裏表同じようにとか、更に料理とは離れて、美と
しての見栄えの技術。こんな感じに包丁の使い方が変わるように、丸く切るとか1cmの4分の1の四角を切るとか、まず切るだけ。それを同じ大きさに揃えるになり、その四角を丸くして、それも均等にする。飾り包丁となると、葉っぱや花
になり、しかも今度は同じにするとは限らない。逆に大きさに変化を付け、花に見せる、葉っぱに見せる、見せる技術になり、均等にするとは違う技術が必要となる。ここまでは切る技術の話。そして今度は張る事になる。
でも、未経験の人は、切る事は技術であっても、張るのは技術と思わない人が多いのね。これが無意識にね。例えば、後は張るだけ・・・ってセリフはあっても、切れば良いのね・・・とは言わないのね。でしょ?
これが厄介で、無意識だからなのね。自覚が無いのね。これを踏まえて、そんな事は無いです・・・って言う人が、実は無意識であって、でも本人は確かにそんな事は思っていない・・・って場合、意識が揃わないと、自覚が無い分、言われれば卑屈になりやすいのね。
これが無意識であっても、無意識に危機管理能力がある場合、草食動物のように敏感に察知するのね。つまり、これをやると失敗するかも・・・って。すると、何をしても深追いをしないから、失敗しない分、安定してまずまずの結果になる。
しかし、逆を言えば、安定する分、冒険が無いから、秀でる結果は求められない。こんな人には、慣れて来たら、もっと攻めよう・・・ってアドバイスになったりする。逆にこうしたいみたいに、やりたいことをやりたいって場合、技術が
無いと、どんなに絵が上手くても、その絵と同じには切れないから、理想にならないし、でもどうしても・・・と言うのなら、拡大してこの大きさ・・・となると、その大きさならいらない・・・なんて事もある。切るって技術はそんな話。
それが自由に切れるなら、後は張る事になるけど、切る事が上手いから張るのが上手いとは限らない。今度はスポーツで例えると、打つ事が上手いからって、守る事が上手いとは限らない。しかも意識としての話はさっきと同じ。
キチンと判れば難しさは同じと思えるが、セリフとして、後は・・・って無意識の場合、切る事が上手くなればなるほど、見劣りする事になるだろうし、逆に警戒し過ぎて、進まないなんて事もある。そしてここからが本来のスタートなのね。
切る張るに困らなくなった。2つ揃った。じゃ次は?ここでオリジナル・・・つまり考えるって事になる。考案する事になる。勿論、別にオリジナルをしなければ、後は似せるに徹すれば良いのね。これは反復すればある程度身に付くのね。
でもオリジナルは、考えれば結果が必ず出るもんじゃ無いのね。切る張る技術は反復である程度何とかなるものなのね。勿論、それも続けないと人それぞれだから、素早い人もいるし、遅い人もいる。けれど、ある程度時間で解決出来る。
しかし、オリジナルは、まず感じる事なのね。何処が?何が?どうして?何故?みたいな子供の頃のような好奇心みたいなものが無いと、大した知識も無いのに、あぁあれね・・・とか、思い込みで判断してしまうと、ドラマの主題歌をちょっと
聴いただけで、みんなの前でカラオケやったら、サビとか聞いた事が無くて、えっ?みたいに外した・・・そんな感じになるのね。キチンとしようとするなら、キチンと何度も聴いて、まず音を外さないように・・・とか、節回しとか、
息継ぎの場所だったり、そっくりにするなら、声質とか、癖なんて言うのも探し出すなんて事になる。ほら、これが似せるって行為の原点なら、そんな好奇心で何でも見るようになれば、その好奇心で自分のモチーフを見る目が養われる。
見たまま描けば、そっくりさん。見たモチーフの奥を見たら、ドラえもんの異次元空間に旅をするように、その原点の景色が見えたりすると、タンポポ1つでも、今の風景では無く、50年前のあの時の景色で描けるし、そうなると大人では
無く子供目線なら、ゴジラが上から見るのでは無く、ほんの数十センチしか離れていないのね。背が低かったから。こんな事が想像力。さっきのは洞察力や観察力。つまりオリジナルとなると、この見えない力の3つを練習になるのね。
こんな事を踏まえて見て見ると、棟梁の作品は、何処でも売っていた100均の下地。これに目を付けた。発見したのね。俺は記憶に無いのだから、その時点で凄いと思うのね。でももしそこにただモザイクしていたとしたら?
そうなると全く興味が沸かないが、木彫の実力でそこを彫り、更にモザイクの実力に、デザインも加えて、オリジナルを作った。しかもグレードとしても良い。だから凄いのね。それを見たらそんなの真似出来るなんて思うのは、思い上がりで、
発表していない以上、棟梁のものなのね。つまり見ようが見まいが、二番手以降は真似となる。当然真似ならそれを超えないと、後だしじゃんけんで負けた事になるから、プロならかなり恥ずかしい結果になるだろうね。
そんな事も踏まえると、キウイのは単なる100均のコースター。つまりモザイクの実力だけの結果になる。だから誰にでも権利のあるスタートなのね。彫らなくて良いのだから。そうなるとオリジナルのデザインの良さと、切る張るの技術。
切る張るの技術は何の問題も無いのだから、後はデザイン力。らしい・・・って感じがするし、お楽しみって作品だから、色違いだけで、1っのデザインでやっているから、大きく悩まずに丁度良い仕上がりになっている。
小物だから・・・では無くて、2人共に、ちゃんと自分らしいオリジナルになっているのね。こんなのがサラッと作れるようになると、何を作っても楽しいのね。しかも大作の休憩としても、良い箸休めだったりするのね。
そんな後はねまたコーナンさん。
彫り終わったのね。