今日はみどり教室なんだけれど、何時からなんだろう?・・・・そんな感じの中、アトリエに着いてから、あっ忘れ物をした・・・って引き返す事になったのね。そんな中、昨日ポイントで注文していた宇多田ヒカルさんのアルバムが届いて、聞きながらの出勤だったのね・・・。
勿論、とと姉ちゃんの主題歌の花束を君に・・・を爆音で聞いていたのね・・・そもそも今回の新作を作るのに必要だったのね・・・それをしっかり聞きたくて買ったのだから、待ってました・・・って感じなのだから、そりゃガッチリ聞きたい訳で・・・。
だから、朝から行ったり来たりも、何やってんだかっ。・・・・って気持ちもあったが、それはそれで良いかな・・・って余裕もあった。ただいつもなら当然アトリエで何度も何度も爆音で繰り返す・・・なんて事もしていたが、昔と違って音が漏れそうだし、夜中に大きな音は無理だろうな・・・。
って事になると、ある意味今までと同じ事が出来ない事がストレスになったら本末転倒で、それならいっそ車でしか聞かない・・・って言うのも、ずっと馴染まない事が新鮮に保てるかも・・・・と考えて、車に置きっ放しにしたから、聞ける聞けるって感じになるじゃない?・・・
それで楽しみで聞くんだけれど、ラジオで聞いていた時には聞こえなかった音が色々とするのね・・・爆音ならではのね。それが息継ぎなのかな?って声が良く聴くと吸う音じゃなく、吐く音に聞こえたり、節回しなんかに特徴があったり、ここはこんな風に歌っているのかぁ・・・と発見があって・・・。
これが俺には大事なのね。そもそも何でも物事の最初は物真似から・・・と言うのね。つまり物真似芸人にならずも、それを物真似が出来る位に聞き込むって事は、そこから特徴を発見し、自分なりの発見で物真似をした時に雰囲気がある・・なんて事になれば、仕事では無くて、プレッシャーの掛からない
なんて事なら、余裕からしっかり特徴を見つけ出す事が出来る練習をし、そんな事を繰り返す事で、作品作りをする自分の洞察力や観察力の向上を図りたい訳でね・・・・・。しかもいつもよりも時間を掛けずに特徴を見つけ出したり出来るのだから、音質の良さって言うのは色んな事が聞き分けられる。
そんなこんな中、1つ気が付く事があって、あぁ金魚がいなくなって、これが俺の息抜きになったのかもな・・・って。こんな事が少なくともモザイクから離れて・・・って言う俺に取っての非日常・・・それが送迎の時の爆音の音楽鑑賞・・・これが今後の息抜きなんだな・・・ってね。
更に昔見た音楽番組で、歌詞とメロディの関係性なんて話を思い出したのね・・・要するに歌詞が例えば花束を君に送ろう・・涙色の花束を・・・とかあったとするでしょ?これにメロディを付けるに当たって、日本語の音を大事にする人は、花束って言う発音通りになるような音を付けたりするらしい。
かと思うと、もはやそんな事は全く無視で作る人もいる。つまりそれがモザイクなら、ひよこは黄色と言うのなら、どんな黄色にするか?を意識する人もいれば、別にひよこに見えれば、みどりだろうが、青だろうが、そんな事は関係ない・・・みたいな違い。そんな事があったり、かと思うと、
メロディを考えるに当たって、涙色の花束・・・って言葉の持つ意味を考えて、この涙は嬉しいものなのか?悲しいものなのか?によって、当然楽器の音色を奏でるに当たって、嬉しい音にしたり、悲しい音にしたり、当然変化をも考えるから、悲しいものが悲しく聞こえる当たり前では無くて、
悲しいからこそ、アップテンポにして必要以上に悲しさを感じさせないようにしたり、スピード感を使って良く言う砂糖と塩の関係性のような効果を狙いに行ったり、いずれにせよ作り手って言うのは聞き手に色んな技や効果を使って感じさせたりしようと試みているのね。
そんな事をほんの自宅とアトリエの2度の往復に考えたりして・・・これを3度目のみどりの送迎の時に話したのね・・・単なる御茶飲み話のようにね・・・問題はこの話を聞いたみどりが一体何をどう感じるか?・・・なのね。あぁいつもの面倒な話かぁ・・・って思うかも知れないし、
一流の作り手の話を俺なりの解釈にしたものを聞いて、何を感じてどう思うか?・・・・ある意味何も感じなければ、この話から何も得られないのだから、おしまい・・・けれど・・・もし何か感じるものがあったのなら、聞いただけでも良いが、必ず聞くだけじゃなくて、感じた事を口にする・・・
これが大事でね、その1つ1つに自分の感じた事を自分の言葉を使って、自分なりの比喩を使って、相手に伝える事を繰り返しすると、いつしか説得力が付いたりする。しかも単なる説明やら、相槌やら、その人じゃなくても良い事なら、全てを却下する前提で聞く俺がいる・・・・。
つまり辞書やら流行り言葉の説明の辞典を開けば書いてある事なら、その人に聞く必要性は無く、もっと言えば、そこに書いてある以下の曖昧な知識を言われても何も得られる事は無い。つまりその人ならではの節回しで、機械を通さない生の感じた事を聞かせて・・・って質問なのだから。
つまりそれは何を聞かれるか判らない面接に答えたり、笑いってお題なら、たわいも無い日常の話を面白く話す話術に繋がったり、食レポじゃないけれど、何をどう感じたか?を聞かれているようなもので、全てを美味しい・・・で片付けるのなら、また美味しいかい?って先回りもされる。
つまりつまらん・・・って話。弟子と言うのならせめてこの程度の話はすんなり答えて欲しい訳で・・・。ただそんな事が何に・・って人には関係の無い話が、このやり取りが必要な人がいる・・・そんな事がある。
それがオリジナルを作る・・・そんな人である。そんな事を踏まえて、みどり教室・・・ではそんな事を意識して、みどりの作品を見て貰おう。
まず1つ質問をする・・・ねぇ、今この部位に教える事ある?・・・・それと同時に、向き合い疲れする程に厳しい場所に感じる?・・・って。
すると、何か戸惑いつつも、特に・・・と言うので、それを聞いて、じゃあ俺の教える事は無い訳だね・・・しかも、切り方なんて話をする事はまず無い・・・じゃ俺に何が聞きたい?・・・って言うと、えっ?・・・・流石に今までこう言う質問をした事は無かったんで、固まったのね・・・。
ただ頑張って言葉にしたんだけれど、そうね・・・言葉として何を言ったか?は忘れたけれど、例えばささやかな幸せ・・・とか、明日の生き方・・・とか、果てしない答えだった気がするのね・・・そこで、俺の切り替えしは、そんな途方も無い事を何千円のお教室代で答えなきゃならないの?
そりゃきつい仕事だなぁ・・・と苦笑いをしつつ言ったのだけれど、いつもの本音半分、冗談半分として、もしかするとね、さっきの質問に答える事がみどり教室なんじゃないのかな?・・・・ただのお茶のみ話と取るも良し、それを自分を語る練習と取るも良し・・・。
もし後者だとしたら、その練習が自分を語る力を付けていたとしたら?・・・作家さんが作品に自分の思いのたけを描く・・・に繋がらないのかな?ってな話。ただ可愛い、ただ楽しい・・・って作品なら、何も困らず作れる腕は持っているはず。しかし、この作品・・・・お嫁に行く娘に持たせたい
そんな作品・・・。ただ可愛い、ただ楽しいで作れるのか?・・・・まっもしそんな作り方、そんな向き合い方が必要だったとしたら?本気でやればやるほど、何を習いたいか?は自ずと判るはずなのね・・・・。オリジナルとはなんぞや?・・・ってね。
このやり取りを何度も何度も繰り返すと、やり取り疲れもするし、時には考え方がぶつかる事もある。がしかし、諦め癖が付くと妥協に繋がるし、押し通すだけなら勝手にやれば良い。大事なのは根拠を提示して説得出来るかどうか?・・・・ほぉ、それは良いってね。
それを自分で提案した事が2秒で撃沈なんて提案は聞くに聞けない・・・・そんな浅はかな提案がお嫁に行く娘の提案になるなんて、話にならない。
それで良いんだな・・・って聞かれて、何と無くそう思ったから・・・なんて言うのは答えにならないし、自分の娘への思いを描いているのに、
他人の俺の提案の方が良い物になる・・・なんて、少し恥ろ・・・くらいの叱咤は当然だろう・・って話で、1つや2つ絶対に俺程度に曲げられない、説得力のあるアイデアを出さないと・・・って話。ただね、紅白戦と甲子園の話みたいな事で、いくら紅白戦に打ったって緊張感の無い中でだろ?
って考えもあるし、そこをおろそかにしたら大舞台での緊張感の中では全く意味が違うとか、いずれにせよ、そんな大事な作品でしか向き合わないってスタイルもあれば、いついかなるつまらない話であっても、練習として向き合う・・・なんてやり方もある。
いずれにせよ、これだけ切る事が出来る人への指導って一体何だ?・・・と言う事なのね・・・・それをこれです・・・って言うのなら、これだし、違うと言うのなら、じゃ何だ?・・・・ただそれだけ。もしそれがスマートに出来るようになったのなら・・・・。
考え方がしっかりしてくれば、果てしない構想だとしてもね、根拠を持ってその腕で進めるかもね・・・って話であって、切る腕が付けば付くほど、構想が見劣りして行くだけで、そっちへ指導は移行して当たり前って話・・・。
当然、送迎で宇多田さんの話はさせて貰ったのね・・・・感じるって事がまずは最初の1歩。人それぞれの好みなんて言うのはどうでも良いのね。そう言う事を聞いた時、自分の身の回りにいくらでも感じる事例はあって、感じる事が出来るようになるのなら、強い心を持つ事を勧めるし、
それは意固地になる事では無く、受け入れるのも勇気・・・ただ受け入れるだけでは奴隷と一緒・・・2つに1つしか無いのでは無く、折り合いとはなんぞや・・・モザイクは色は混ぜられない・・・色があった・・・無いわ・・・の繰り返しなら、モザイクなんてつまらん。
それを冒頭の歌の作り方の話のように、好みの色じゃなくて、趣旨に合う色って考え方が出来るようになったら、そこに達者になった切る腕を乗せる・・・そう言う考え方が身に付く。そんな事が身に付けば、もしかするとモザイク以外の事に役立つかもね・・・。
何でもそうだが、一流の人達が、口を揃えて野球を通じて・・・とか、読書が・・・とか、陶芸が・・・・とその分野を極めた事で生き方を教わったような話をするが、当たり前で、考え方を学んだ人のセリフであって、ノリで感でやった人とは違って当然だし、考え方が生き方に繋がるのも当然。
何せオリジナル作品が自分自身と言うのなら、生き方もオリジナルで人それぞれ・・・思い描く好みで進めるのならみんな思い通りになっているはず。極めている人はきちんと根拠や構想を立てて進んでいるはず・・・・。
花束を君に・・・の2番で宇多田さんは、毎日の暮らしの中で楽しい事ばかりだったら、愛なんて知らずにいたのにな・・・と語り掛けるのだけれど、そうね、もしそうだとしたのなら、構想や根拠でオリジナルなんて誰も導いてくれない、答えの無いものなんかに手を出さなかったら・・・
生き方だの自分らしさなんて知らずにいられたのにな・・・ってな話かもね・・・。ただ必要だって言われなければ、先生スイッチなんて入れないけれどね・・・勿論、タイルを満足に切れないようではね・・・そんな事を言うのは、認めたから・・・であって、権利が発生したって話。
取得したのなら、使う使わないは本人次第・・・なのね。そんな教室の後、すーさんと話す事になったのね・・・・ここへ来て2度目。すると、katsuよぉ・・・俺んとこ好きに使って宣伝しろよっ・・・・外壁に作品でも張ってよ・・・って。
そっか・・・有難う。じゃ折角そんな事を言って貰えるのなら、良く考えて使わせて貰うわ・・・って、随分と応援されているのね・・・また借りを作るが、前に進ませて貰える話・・・有難くこの権利使わせて貰おうと思う・・・・。
そんな話の後の画像に緊張感が無いんだけれど、アップの中に、一輪車とコアラ・・・娘さんに関係ある事らしいのね・・・。
勿論、とと姉ちゃんの主題歌の花束を君に・・・を爆音で聞いていたのね・・・そもそも今回の新作を作るのに必要だったのね・・・それをしっかり聞きたくて買ったのだから、待ってました・・・って感じなのだから、そりゃガッチリ聞きたい訳で・・・。
だから、朝から行ったり来たりも、何やってんだかっ。・・・・って気持ちもあったが、それはそれで良いかな・・・って余裕もあった。ただいつもなら当然アトリエで何度も何度も爆音で繰り返す・・・なんて事もしていたが、昔と違って音が漏れそうだし、夜中に大きな音は無理だろうな・・・。
って事になると、ある意味今までと同じ事が出来ない事がストレスになったら本末転倒で、それならいっそ車でしか聞かない・・・って言うのも、ずっと馴染まない事が新鮮に保てるかも・・・・と考えて、車に置きっ放しにしたから、聞ける聞けるって感じになるじゃない?・・・
それで楽しみで聞くんだけれど、ラジオで聞いていた時には聞こえなかった音が色々とするのね・・・爆音ならではのね。それが息継ぎなのかな?って声が良く聴くと吸う音じゃなく、吐く音に聞こえたり、節回しなんかに特徴があったり、ここはこんな風に歌っているのかぁ・・・と発見があって・・・。
これが俺には大事なのね。そもそも何でも物事の最初は物真似から・・・と言うのね。つまり物真似芸人にならずも、それを物真似が出来る位に聞き込むって事は、そこから特徴を発見し、自分なりの発見で物真似をした時に雰囲気がある・・なんて事になれば、仕事では無くて、プレッシャーの掛からない
なんて事なら、余裕からしっかり特徴を見つけ出す事が出来る練習をし、そんな事を繰り返す事で、作品作りをする自分の洞察力や観察力の向上を図りたい訳でね・・・・・。しかもいつもよりも時間を掛けずに特徴を見つけ出したり出来るのだから、音質の良さって言うのは色んな事が聞き分けられる。
そんなこんな中、1つ気が付く事があって、あぁ金魚がいなくなって、これが俺の息抜きになったのかもな・・・って。こんな事が少なくともモザイクから離れて・・・って言う俺に取っての非日常・・・それが送迎の時の爆音の音楽鑑賞・・・これが今後の息抜きなんだな・・・ってね。
更に昔見た音楽番組で、歌詞とメロディの関係性なんて話を思い出したのね・・・要するに歌詞が例えば花束を君に送ろう・・涙色の花束を・・・とかあったとするでしょ?これにメロディを付けるに当たって、日本語の音を大事にする人は、花束って言う発音通りになるような音を付けたりするらしい。
かと思うと、もはやそんな事は全く無視で作る人もいる。つまりそれがモザイクなら、ひよこは黄色と言うのなら、どんな黄色にするか?を意識する人もいれば、別にひよこに見えれば、みどりだろうが、青だろうが、そんな事は関係ない・・・みたいな違い。そんな事があったり、かと思うと、
メロディを考えるに当たって、涙色の花束・・・って言葉の持つ意味を考えて、この涙は嬉しいものなのか?悲しいものなのか?によって、当然楽器の音色を奏でるに当たって、嬉しい音にしたり、悲しい音にしたり、当然変化をも考えるから、悲しいものが悲しく聞こえる当たり前では無くて、
悲しいからこそ、アップテンポにして必要以上に悲しさを感じさせないようにしたり、スピード感を使って良く言う砂糖と塩の関係性のような効果を狙いに行ったり、いずれにせよ作り手って言うのは聞き手に色んな技や効果を使って感じさせたりしようと試みているのね。
そんな事をほんの自宅とアトリエの2度の往復に考えたりして・・・これを3度目のみどりの送迎の時に話したのね・・・単なる御茶飲み話のようにね・・・問題はこの話を聞いたみどりが一体何をどう感じるか?・・・なのね。あぁいつもの面倒な話かぁ・・・って思うかも知れないし、
一流の作り手の話を俺なりの解釈にしたものを聞いて、何を感じてどう思うか?・・・・ある意味何も感じなければ、この話から何も得られないのだから、おしまい・・・けれど・・・もし何か感じるものがあったのなら、聞いただけでも良いが、必ず聞くだけじゃなくて、感じた事を口にする・・・
これが大事でね、その1つ1つに自分の感じた事を自分の言葉を使って、自分なりの比喩を使って、相手に伝える事を繰り返しすると、いつしか説得力が付いたりする。しかも単なる説明やら、相槌やら、その人じゃなくても良い事なら、全てを却下する前提で聞く俺がいる・・・・。
つまり辞書やら流行り言葉の説明の辞典を開けば書いてある事なら、その人に聞く必要性は無く、もっと言えば、そこに書いてある以下の曖昧な知識を言われても何も得られる事は無い。つまりその人ならではの節回しで、機械を通さない生の感じた事を聞かせて・・・って質問なのだから。
つまりそれは何を聞かれるか判らない面接に答えたり、笑いってお題なら、たわいも無い日常の話を面白く話す話術に繋がったり、食レポじゃないけれど、何をどう感じたか?を聞かれているようなもので、全てを美味しい・・・で片付けるのなら、また美味しいかい?って先回りもされる。
つまりつまらん・・・って話。弟子と言うのならせめてこの程度の話はすんなり答えて欲しい訳で・・・。ただそんな事が何に・・って人には関係の無い話が、このやり取りが必要な人がいる・・・そんな事がある。
それがオリジナルを作る・・・そんな人である。そんな事を踏まえて、みどり教室・・・ではそんな事を意識して、みどりの作品を見て貰おう。
まず1つ質問をする・・・ねぇ、今この部位に教える事ある?・・・・それと同時に、向き合い疲れする程に厳しい場所に感じる?・・・って。
すると、何か戸惑いつつも、特に・・・と言うので、それを聞いて、じゃあ俺の教える事は無い訳だね・・・しかも、切り方なんて話をする事はまず無い・・・じゃ俺に何が聞きたい?・・・って言うと、えっ?・・・・流石に今までこう言う質問をした事は無かったんで、固まったのね・・・。
ただ頑張って言葉にしたんだけれど、そうね・・・言葉として何を言ったか?は忘れたけれど、例えばささやかな幸せ・・・とか、明日の生き方・・・とか、果てしない答えだった気がするのね・・・そこで、俺の切り替えしは、そんな途方も無い事を何千円のお教室代で答えなきゃならないの?
そりゃきつい仕事だなぁ・・・と苦笑いをしつつ言ったのだけれど、いつもの本音半分、冗談半分として、もしかするとね、さっきの質問に答える事がみどり教室なんじゃないのかな?・・・・ただのお茶のみ話と取るも良し、それを自分を語る練習と取るも良し・・・。
もし後者だとしたら、その練習が自分を語る力を付けていたとしたら?・・・作家さんが作品に自分の思いのたけを描く・・・に繋がらないのかな?ってな話。ただ可愛い、ただ楽しい・・・って作品なら、何も困らず作れる腕は持っているはず。しかし、この作品・・・・お嫁に行く娘に持たせたい
そんな作品・・・。ただ可愛い、ただ楽しいで作れるのか?・・・・まっもしそんな作り方、そんな向き合い方が必要だったとしたら?本気でやればやるほど、何を習いたいか?は自ずと判るはずなのね・・・・。オリジナルとはなんぞや?・・・ってね。
このやり取りを何度も何度も繰り返すと、やり取り疲れもするし、時には考え方がぶつかる事もある。がしかし、諦め癖が付くと妥協に繋がるし、押し通すだけなら勝手にやれば良い。大事なのは根拠を提示して説得出来るかどうか?・・・・ほぉ、それは良いってね。
それを自分で提案した事が2秒で撃沈なんて提案は聞くに聞けない・・・・そんな浅はかな提案がお嫁に行く娘の提案になるなんて、話にならない。
それで良いんだな・・・って聞かれて、何と無くそう思ったから・・・なんて言うのは答えにならないし、自分の娘への思いを描いているのに、
他人の俺の提案の方が良い物になる・・・なんて、少し恥ろ・・・くらいの叱咤は当然だろう・・って話で、1つや2つ絶対に俺程度に曲げられない、説得力のあるアイデアを出さないと・・・って話。ただね、紅白戦と甲子園の話みたいな事で、いくら紅白戦に打ったって緊張感の無い中でだろ?
って考えもあるし、そこをおろそかにしたら大舞台での緊張感の中では全く意味が違うとか、いずれにせよ、そんな大事な作品でしか向き合わないってスタイルもあれば、いついかなるつまらない話であっても、練習として向き合う・・・なんてやり方もある。
いずれにせよ、これだけ切る事が出来る人への指導って一体何だ?・・・と言う事なのね・・・・それをこれです・・・って言うのなら、これだし、違うと言うのなら、じゃ何だ?・・・・ただそれだけ。もしそれがスマートに出来るようになったのなら・・・・。
考え方がしっかりしてくれば、果てしない構想だとしてもね、根拠を持ってその腕で進めるかもね・・・って話であって、切る腕が付けば付くほど、構想が見劣りして行くだけで、そっちへ指導は移行して当たり前って話・・・。
当然、送迎で宇多田さんの話はさせて貰ったのね・・・・感じるって事がまずは最初の1歩。人それぞれの好みなんて言うのはどうでも良いのね。そう言う事を聞いた時、自分の身の回りにいくらでも感じる事例はあって、感じる事が出来るようになるのなら、強い心を持つ事を勧めるし、
それは意固地になる事では無く、受け入れるのも勇気・・・ただ受け入れるだけでは奴隷と一緒・・・2つに1つしか無いのでは無く、折り合いとはなんぞや・・・モザイクは色は混ぜられない・・・色があった・・・無いわ・・・の繰り返しなら、モザイクなんてつまらん。
それを冒頭の歌の作り方の話のように、好みの色じゃなくて、趣旨に合う色って考え方が出来るようになったら、そこに達者になった切る腕を乗せる・・・そう言う考え方が身に付く。そんな事が身に付けば、もしかするとモザイク以外の事に役立つかもね・・・。
何でもそうだが、一流の人達が、口を揃えて野球を通じて・・・とか、読書が・・・とか、陶芸が・・・・とその分野を極めた事で生き方を教わったような話をするが、当たり前で、考え方を学んだ人のセリフであって、ノリで感でやった人とは違って当然だし、考え方が生き方に繋がるのも当然。
何せオリジナル作品が自分自身と言うのなら、生き方もオリジナルで人それぞれ・・・思い描く好みで進めるのならみんな思い通りになっているはず。極めている人はきちんと根拠や構想を立てて進んでいるはず・・・・。
花束を君に・・・の2番で宇多田さんは、毎日の暮らしの中で楽しい事ばかりだったら、愛なんて知らずにいたのにな・・・と語り掛けるのだけれど、そうね、もしそうだとしたのなら、構想や根拠でオリジナルなんて誰も導いてくれない、答えの無いものなんかに手を出さなかったら・・・
生き方だの自分らしさなんて知らずにいられたのにな・・・ってな話かもね・・・。ただ必要だって言われなければ、先生スイッチなんて入れないけれどね・・・勿論、タイルを満足に切れないようではね・・・そんな事を言うのは、認めたから・・・であって、権利が発生したって話。
取得したのなら、使う使わないは本人次第・・・なのね。そんな教室の後、すーさんと話す事になったのね・・・・ここへ来て2度目。すると、katsuよぉ・・・俺んとこ好きに使って宣伝しろよっ・・・・外壁に作品でも張ってよ・・・って。
そっか・・・有難う。じゃ折角そんな事を言って貰えるのなら、良く考えて使わせて貰うわ・・・って、随分と応援されているのね・・・また借りを作るが、前に進ませて貰える話・・・有難くこの権利使わせて貰おうと思う・・・・。
そんな話の後の画像に緊張感が無いんだけれど、アップの中に、一輪車とコアラ・・・娘さんに関係ある事らしいのね・・・。