今日は午後から小学生教室。と言う事で、金魚の壁画。しばらく振りに全面アップ。
そうね、これだけの大きさになると、流石に果てしなさは半端無いのね。これいつ終わるんだろうか・・・って気持ちになって来る。しかも、下地だなんだと、あれこれやる事が増えるから、これだけに専念し続けられる訳でも無い。
そうなると、あの時どんな風に、どんな気持ちで、何をどう入れようとしたんだっけ?・・・って忘れるような事になる。だって何ヶ月振りだっけ・・・触るのって事になるのだからね。しかも完成図として下絵が全て描き込まれているのなら、そのまま切り続けて、張れば良いけれど、
良くも悪くもそこまで描き込まれてはいないのね。つまりいくらでも変更が利いてしまうのね。そうね、これは絵の上手い人には理解出来ない話だろうけれど、そもそも絵が上手い人はこの程度の絵はサラッと描くだろうね。つまり絵はすんなり描き終えるだろうから、後はモザイクのみになる。
じゃ俺を含めた一般的には、その絵に四苦八苦するもんなのね。それは絵が未熟だから、あれこれ悩んだり、デッサン力の無さだったり、構図の悪さだったりしてね。ではその下絵が完成するのはいつ?って事になると、モザイクはいつやれるの?って事になるのね。それではやる気が削げる。
だから、そうならないように、メインの絵が描けたらGOって事にするのね。それが変わるようなら、そもそも何も決まっていない事になってしまうからね。例えば夕飯の支度と考えて貰うと良いのね。今晩何にする?・・・この時点で、ん・・・って言っているような場合、ノープランなのね。
その時に例えば、今日は魚だなとか、肉だなとか、ザックリ決まっていれば、大きく変更は無いのね。この時点でそれすらも変わってしまうのなら、お花を作ろう・・・くらいの話で良いのに、やっぱり犬を作ろう・・・ってもはや何も決まっていない事になるのね。これは問題外になるのね。
つまり最初の段階では、まずメインディッシュとして、機内で肉ですかor魚ですか?この程度は決まらないと。そうね例えば、植物、動物、景色、昆虫・・・って感じにね。だからまずはこれって決める事。それが覚悟って話なのね。これにするってね。そこがブレたら何も始まらないのね。
勿論、コースターにそんな覚悟は要らないのね。そりゃフィーリングでやれば良いのね。そんな事は失敗したら次で取り返せば良いし、お金に余裕があるのなら、無かった事にすれば良いから、何も考えずに楽しめば良いのね。つまりこの話は大作を作るって話ね。
そうなると、そこは変更が無くなるから、今度は割合いって事になるのね。全体の何割がメインなのか?ってね。そう思ってこのシャチを見て見ると、下地いっぱいの絵になっているのね。勿論、これを体を曲げればもっと大きくなるけれど、問題は持ち時間。その人がやろうとしている時間・・・
そこを判断してこの位だろうな・・・で今回はこうなったんだけど、要するにこれが分量になるのね。つまり肉料理だとしたら、小さければ80グラムの肉になるし、それが200グラムなのか?、1キロなのか?ほら食べられる量の問題になる。勿論その日で食べるのか?一食分なのか?
はたまた、3ヶ月なのか?ってね。でも1ヶ月に1回のお教室なら、3ヶ月と言っても3回だから9時間。それは3日続けて来ても一緒なのね。同じ9時間なのね。これが大人と子供の持ち時間の違いなのね。子供は短期間に集中出来るのね。これが夏期講習の仕組みで特訓とはそう言う事なのね。
つまり俺のイベント下地も特訓みたいなもんで、考え方は短期集中って事になるのね。これが定期的に何枚って話になると、デイ・サービスの毎月10個みたいな話は、1ヶ月間の中で、毎月定期的に・・・になり、イベントは短期間に一体いくつ作るの?になる。同じようだけれど全然違うのね。
話は戻って、ではモチーフとして何かを決めた。今晩はカレーみたいにね。その決定打的なものがウチの犬的な話なのね。ただの犬好きが犬を作るのでは無くて、ウチの犬なのね。限定中の限定。こんな覚悟がある作品は絶対にブレないのね。だってウチの犬って言って、やっぱ辞めたってねぇ・・
普通はそんな事は有り得ないのね。だから後はバックの話になるのね。そこで肉料理は決定って事になるんだけれど、普通は肉料理だって決まっても、ステーキなのか?ハンバーグなのか?焼肉なのか?肉野菜炒めなのか?・・・になる。ここが厄介で、そして人のイメージってもんがある。
簡単な話、ステーキと肉野菜炒めで肉多めって言ったとする。どっちが高い?見なくても、普通はステーキのが高い感じがすると思うのね。こうしたちょっとした感覚が、常に言っている五感の話に繋がって行くのね。そう言う感じ・・・そうなると、ステーキを作るのなら、ガラスタイルが良いかな?
みたいになったりもする。勿論、予算があるんだけれどね・・・また戻って、つまりカレーって決めても何カレーって事になるんだけれど、ウチの犬は、ウチの・・・だから、他とは違うのね。でも仮に上手く出来たとしても、一般的には見分けが付かない。だからウチのネームが入っていたりする。
そこが大きな違いになったりする。こんな感じにメインディッシュが決まって、終わる頃までにはバックとなるんだけれど、後はバック・・・って感覚の場合、ワッペンのように、犬に使わなかった色でクラッシュを入れれば、きっとメインより時間は掛からないで済むはずなのね。
所が、ネモフィラを入れる・・・となると、スペース的にもそこそこあるから、ダブルキャスト的になる。それがもし犬に負けないグレードになったとしたら?ほらダブルライダーキックになる。犬だけでもキックが半端無かったら、それと同様となると、ハンバーグとステーキの二枚看板。
ほら豪華になった。まぁ理屈としてはこんな感じね。では金魚の壁画・・・もはや金魚よりもバックの方が多い・・・つまり後はバックの表現には当てはまらないのね。しかも、って事は、金魚が良かったとしたら、それよりも遥かに多いスペースに金魚以上の何か?が必要になるのね。
そんなスペースをノープラン作成・・・そんなの無理でしょ?つまり描き込んで無かったとしても、ブレない構想さえあれば、その都度追加出来るし、変更も利くし、もっと言えば、予算に応じての削除なんて部分でもあったりもする。まぁ普通はね。ここなのね、普通はね・・・。
つまりそれをやると普通になっちゃうのね・・・みんな仕事なんだから、賃金ありきでやっているのね。俺もタイル屋の時は割りとそうだった。けどね、モザイクになってからは、考え方を変えて行ったのね・・・そうね、例えば俺が売れたら?って言うのと、やってもやっても売れなかったとしたら?
の両極端の筋書きがあって、売れなかったとしたら・・・の方は、誰もが想像出来るから、考えなくても死が待っているだけなのね。だから必要無し。つまり売れたら?の方向だけを考えるべきなんだけれど、この表現が厄介で・・・。どうしても賃金を考えると、早く終わらないとならない。
でも早く終わるものが凄いかな?普通は、時間を掛けてコツコツと・・・なのね。でも圧力鍋を使えば時短になる。つまり既存の形あるタイルを張れば、素人にはその違いは判らない。そもそも技術って言うのは経験者にしか判らないものだからね。つまり物事は見た目で判断するものなのね。
つまり形あるタイルは、切っていない分、正確であり、綺麗なのね。それを使えば誰にでも簡単に作れる方向にあるのね。ただこの表現に気が付くと、間違いは無いんだけれどね・・・ただ方向にあるだけ。作れるとは言って無いのね。つまり切らなくても良いがデザインの良し悪しは問われる。
それをスペースを狭くすれば、差は判りづらくなる。って話ね。また話を戻して、この大きさになると、何もかもが当てはまらなくなるのね。つまり予定調和の普通では無くなって行く。ほら見た事無い方向になって行く・・・所がなのね。仕事ってそれで飯食える?そんな事したら死ぬわ。
そうなのね、時間を掛けて良いのを作れたとしても、料金が決まっているのだから、普通は死ぬ方向に歩く訳ね。あらっ、でも死んで無い。ほぉー、俺はこれを1年以上作っても、まだ何も賃金が発生していないのに死なない・・・辛うじてでも生きている。凄くなったわ。つまりお金に焦らない。
この作品を趣味感覚で作れる訳・・・つまり一般的な娯楽の時間程度に、仕事をしている合間にやってる事になる訳で・・・それでこのグレード。ただこれがいつか終わる日が来たとしても、アトリエの生徒さんやブログを見てくれているわずかな人しか知らない作品になる。
それが知る人ぞ知るって話ね。まぁ大抵はその前に諦めるし、続けられないから倒産や余力を残して撤退なんて話なんだろうが、所がハングリーって死なないのね・・・ゾンビだから、立ち上がっちゃうのね。それを20年以上立っているのね・・・経っているとも言うけれど・・・。
それが凄く下手でも経っちゃっているし、凄く上手くても経っちゃっているのね。でもどちらでも継続は力なり・・・ただ俺下手って言われた事無いんだよね一度も・・・普通とも言われないし・・・って事は、変わっているのね。しかもかなり・・・凄く・・・人とは違っているようなのね。
つまり人とは違う事をしたい人には、持って来いって事になるのね。こんな変わった人が作品を作ると、こんな事になり、先生として教えると、シャチになったりもする。十分に変わった作品なのね。ただお母さんに質問されたんだけれど、自分で彫って無くて大丈夫ですか?って。
そうね、つまりこの質問って言うのは、全てがオリジナルとして自分でやらないといけないんじゃ無いか?の質問なのね。やって貰っている部分があってはいけない・・・ってね。大丈夫、絵も字も自分で描いたものを彫って貰った・・・そう書いて、判らない先生なら困るなぁって事なのね。
そんな事言ってしまったら、世の中の設計士、ガウディや岡本太郎も全てインチキと言ってしまう事になる。それを子供にやれとでも・・・。良いんだよ、全てやらなくても・・・デザインだけで飯食ってる奴がいるんだよ。シンガーソングライターじゃ無いと、作詞だ作曲家は片手落ちって事に
なっちゃうじゃん・・・って言ってる事になるのね。ただ願わくば、そんな先生がいない事を望むのね。そしてここは塾。思い切り人とは差が出て当然。やる気がある人が時間を掛けているのだから、普通と違って当然。むしろ思い切り差が出て欲しいのね。そして凄く見えて普通ってくらいにね。
そしてこのシャチが3回で終わったとしても、疲労に蓄積があって、蓄積疲労と言うのなら、去年も作ったんで、彼は蓄積制作になるだろうね。だから、この位作れて当然。そんな中、野球選手の名前を代わりばんこ言っている内に時間が来たのね。そして完成まで後1回・・・。
小学生最後の夏・・・俺も彼との思い出の最終日になる。何か爪痕を残して、彼の記憶の中に住めるように頑張らないと・・・。