katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

コープみらい東京さん分のスノーマン下地

2024-10-23 07:01:13 | 下地彫り

今日も引き続きコープみらい東京さん分のスノーマンの下地。まずペーパー掛けをして、黒のペンキを表裏を塗り、またペーパー掛けをしてから、白を塗る。

結構地味ぃぃに工程があるから、15、6枚でも今日の工程分でも1日掛かるのね。まぁただ何も考えずに手を動かしているだけだから、時間が解決って感じなんだけど。

じゃ何も考えないか?って言うと、お坊さんの御経みたいな無なんて気持ちにはなれないから、まぁ旬と言うのなら、竹内まりやさんがアルバムを出すって事で、

ラジオに出まくっているんで、聞きまくりながら・・・ただ、純粋に曲だけ聞くなら良い歌だなぁ〜で済むが、聞きたいのは売れて、今の歳まで継続している。

そんな人の話として・・・となると、ユーミンなんかと一緒で、エリートっぽいから、あんまり聞いていて得る事が無いのね。何しろ先輩に杉真理さんなんて、

ビックネームがいて、同じサークルだった・・・って。プロになるつもりは一切無く、お手伝い出来たら良いなぁ・・・って。それが、そもそも実力者だったから、

側に要られた訳で、辞めなきゃ継続していた訳だから、当然プロになる人の横には、プロがやって来る。そこに達郎さんなんかがいるなんて事になれば、

旦那さんになる人まで、そんな頃から付き合っていた事になる。まぁなるべくしてなったって感じなのね。仮にだけれど、仮にね、その大学に入れる頭と、

親の資金があったとしたら、結構な確率が一般の人でもあると思うのね。そしてそのクラブを選べば入れる所までは入れるかも。勿論、甲子園を目指す学校のように、

ふるい落とされるなんて事があれば別だけど、音楽サークルってどうなんだろうか?そもそもそこに入るって場合、少なくともピアノが弾けるとか、ギターが弾けるって、

この位は必要だろうけれど・・・別にそこに入ったからと言って、竹内まりやさんにはなれないとして、じゃ何になったんだろう・・・ってそっちも気になる。

普通の人なのかも知れないし、音楽に携わっているかも知れない。クローズアップされる人は、朝ドラの主人公や成功者ばかりだが、そこも気になるのね。

まぁいずれにしても、どれもこれもが成功者への道のりな話で、苦労をしていない人はいないし、ただ俺とは道筋が違うって話。だからその道では無いのね。

やっぱ泥臭くなるんだよねぇ〜、そもそもエリート側にいれば、周りはみんなエリートだから、言葉にすると、私は普通で・・・ってスタートする。けれど

こっち側の非エリート側からすると、そこにいる事がエリートって思うもので、ではこっちにいる事で、普通側にいるとすると、普通側で音楽をしたとしたら、

普通に音楽をしていた・・・普通にって事になる。これが普通の図式としたら、何処の世界にも例外はあって、例えば大学に入るだけなら、頭が良ければ

合格はする。これでその人達の側に行った事になる。そしてもし受け入れられれば、竹内まりやさんのサークルに入れる可能性が生まれる。ただそこは、

プロになる人達がいっぱいいる場所なら、入っても付いて行けずに辞める事になるかも知れないが、同じ空気を吸って側で一流を見つつ続けられたら?

それはとても貴重な体験になるし、仮にミュージシャンにはなれなかったとしても、音楽関係者の道が無いとは言えない。逆に普通側にいれば、普通なら、

普通について行けるはず。だから仲間と和気あいあいに過ごせる可能性はある。勿論そこでもレギュラーと補欠なんて事もあるかも知れないが、エリート

ほどの格差は少ないから、初めてそこからスタートするなんて事も多々あるはず。つまりちょっとした努力の差で埋まる事も多い。ただそこからプロになろう・・・

なんて事になると、みんなと意識レベルが違うから、のけもの的にもなるだろうし、身の丈身の程なんてセリフも沢山聞く事になる。まぁガラスの仮面みたいなもん。

本当のエリートは、3歳の時には何でもやっていたりするもので、そこから既にキャリアを積むのに対して、普通は中学とか高校になってから始める。

しかもテレビや情報誌で知って、あぁやって見ようかな〜始まってね。場合に寄っては、友達に誘われて・・・なんて感じに。そりゃ差が生まれて当然なのね。

ただ最近、特に感じるのは、俺のように蛙の子は蛙とか、とても封建的な縛りの中で生きて来た者が、これから先に改革側で生きると、ルールを知らない分

波風を立てる事になる。そうね、血縁では無いのに歌舞伎役者を目指す的な感じね。ただそこに耐えられると、全てが新しい事だらけになり、受け入れるのは大変だけど、

新鮮な事ばかりになる。そして今までとは違った良い環境でやれる事になるが、エリートってどうだろうか?・・・都落ちなんて言葉があるのなら、そりゃ

落ちては行けないだろうね。落ちた所から上がるのと、落ちては行けないのとでは、チャンピオンを目指すのと、チャンピオン死守だから、意味が全く違うし

取った事のある奴と無い奴では、全く違うし、腐っても鯛って言うしね。いずれにしても、エリートでは無い生き方で、上を狙って行かないと行けないのね。

まぁだから何しろ成功者の話は勉強になる。


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コープみらい東京さん分のスノーマンの下地

2024-10-22 02:57:53 | 下地彫り

今日はコープみらい東京さん分のスノーマンの下地彫り。まぁ昔から知っている人なら、えっ?何処で・・・って事になると思うのね。そう、一体何処で彫る

のよ・・・になるでしょ。今までは原木中山のコーナンで彫っていたのに、移転して、その移転先には加工室は無く・・・そんな訳で、トリマーを集塵機に

繋いで粉塵が出なくなるって言う接続金具を買うと、アトリエ内でも出来るんじゃ無いか?・・・って、ネットで調べていたんだけれど、レビューには、

それを繋ぐと粉塵対策としては良くても、刃先が見づらくなるって言うのね。こっちは普通に彫るのとは訳が違うんで、刃先が見づらいなんて致命的。

更に言えば、コーナンにも集塵機はあったものの、そもそもがその集塵機自体が爆音過ぎて使いづらかった・・・さて一体どうするか?となるんだけれど、

そもそも音が更にうるさくなるのは、アトリエだから近所迷惑になるし・・・ただ、普通の掃除機なら、逆に音に関しては静かに設計されているはず。

なら問題は解消される。ただ集塵としてはどんな感じなんだろうか?少なくてもアトリエ内でやるなら、何も無しって訳には行かない・・・。って事で、四の五の言わずにやって見る事にしたのね。

ってこれが、色々と改善する事はあるにしても、何とかなっちゃったのね。別にあれこれ悩む必要無いじゃん・・・って位の事で。だから、彫る事に関して、

大きく悩みは解消されちゃったのね。そんなこんなで余裕が出来て、父の用事をやったりもして・・・ついでに歯医者も行けちゃって・・・。

そんなこんなで、アトリエに戻ってから切り抜いて、更に夜焼いて、軽くペーパー掛けまで終わっちゃって・・・想定していた以上に進んで何よりだったのね。


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ほぼペーパー掛けとペンキ塗り

2024-07-20 02:25:46 | 下地彫り
今日はさいたまと東京のコープみらい用の下地のペーパー掛けやらペンキ塗り。肯定としては裏を塗り乾かして、表を塗り1回塗りをやって、それをペーパー掛けをして同じ工程を繰り返す。

2度塗りで完成。そのさいたま分のメンダコを終えてから、今度は東京分。

こっちは糸鋸の切り抜きをしてからの同じ工程なんだけれど、こっちは1回塗りで時間切れ。そして最後に少しだけ蛸の椅子。裏側にして、頭の下の方。何だかあっという間の1日だったのね・・

ただここ数日の蛸の椅子の向き合い方で、あぁこんな感じだったな・・・って思い出した感があり・・・これは体感って話なんだけれど、ピエロの壁画とは全く違うのね。あれこれと。

更にしばらく離れていた分、気持ちが焦ったり、後何日ってプレッシャーも掛かる。ただそれを含めて早目の始動。焦る必要は無いはずなのね。だから、習慣的になれば気分も落ち着くはずで・・

だからいくらか気分が落ち着いた感じ。やっぱり半身が終わった感じがしたからかな・・・。

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そうねぇ・・・中々問屋は卸さないねぇ。

2024-07-02 00:49:09 | 下地彫り
今日はさいたまコープみらい用のメンダコの貯金箱の頭部分を削る作業から・・・。すると、まずデイ・サービスから連絡が入り、来月から支払い方法が変わるとの事。今まではお客さんは材料費

で出張費は園持ちみたいな感じだったが、全てお客さん持ちとなるらしく、そうなるとキャンセル分は補てんされない事になるらしく、流石に今の状況でも厳しいので7年続いていたが、今月で

終了となったのね。その後、更に数日後に収録するはずだったMXもキャンセルとなり、中々のマイナス感満載だなっ・・・って感じになったと思ったら、更に駐車場の更新の連絡・・・。

あらまっ、今日は大凶って感じだな・・・ってそんな中、56枚分終わったのね。そんなこんなでかぐやと話す事になるんだけれど、その旨話した上で、そもそも売れた人達は必ずこうしたピンチ

みたいな話が、次々に起こる。ただそんな人達が必ず売れた上で、昔は楽しかった・・・的な話をするのね。ただ良く考えて欲しいのは、売れていなかった時なんて、常にお金に困りバイトしたり

誰かにお金を借りたり、家賃や電気、ガス、水道などを滞納し、そんなもんが楽しいはずが無いのね・・・なのに、売れるとそれが楽しかった・・・と言えるようなのね。じゃそれは何故?・・・

恐らくだけど、お金に困らないが、何か昔の方が良かったって思う、引き換え的なものがあるんだろうね。それはきっと自由なんだろうね。誰にも知られていなかったから、興味も示されない。

所が売れるって言うのは、注目されるって事になる。つまり簡単に言えば、仕事に関して状況や環境が良くなるから、売れる事になる訳で、その分、注目度が高いから普通の事が出来なくなる。

そんな所だろう。つまり結果として、俺がそこにたどり着くのなら、今状況や環境が悪い事を楽しまないとならない・・・って事になる。まぁ簡単な話、昔の俺なら、2つもキャンセルになった。

デイ・サービスは少ないながら収入源、テレビは宣伝って違う事ではあるが、マイナスになる。その上、支払いの催促なのだから、精神的ダメージは大きい。ただね、ここが昔と違うのは、それが

大きく影響するのか?となると、そのくらいの支払いは特に問題は無いし、テレビも久しぶりに話題としては良かったんだけれどなぁ・・・くらいの話で、それによって大きくプラスになる事でも

無い。別に地上波のゴールデンって話じゃ無いしね。それとデイ・サービスにしても、良く続いたわって思えば、無くなっても、きっとその空いた時間が他の事にすげ変わるだけなのね。

つまりダメージって程では無くて、何だかなぁ・・・って程度。考え方としては、先生katsuでは無く、いよいよ作家katsuにシフトチェンジする時間になった・・・と思えば良いだけなのね。

このマイナス的な要素をバネにして、じゃ巻き返さないと・・・ってな事で良いのね。そもそも売れるって事は、こう言う事が少なくなるって事なのね。何しろ知られている事になるのだから。

流石にかぐやも判っているから、しかし問屋も簡単には卸さないねってな話で・・・。悪ければ悪いだけドラマチックですね・・・って。流石弟子である。もっと言えば、営業もしているのだから

ある意味かぐやの方が生々しいとも言えよう。取ったり無くなったり・・・ってね。そんな中、かぐやが今日最後は良い話になりましたよ・・・って。どうやらかぐやがエントリーしていた話が、

一次審査が通ったらしく・・・まっ、捨てる神ありゃ拾う神ありって話で、決まらない限り、いちいち一喜一憂してたんじゃ、体が持たないのね。そもそも最初から何も無かったのだから。

来たらラッキー、来なきゃまた次に行けば良い。必ず必要って言う所へ行けば良いだけ。そして今必要って言う所が、今の居場所になるんだろうから。ただそれだけ。そんな最後は蛸の椅子。

吸盤のエンジの円のくるむのが大変だから、それが終わると、そこそこ進みも良くなるのね。

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何しろあれこれ下地・・・

2024-05-19 07:02:39 | 下地彫り
今日は何しろ時間が無いものばかり・・・まずは明日用のヤモリの下地彫り。これは先日いらした体験の方用で、自分で描いた絵が送られていて、ただタイミングが合わなくてね。

まぁとは言っても、コーナンに行けば、数時間で終わるから、特に心配はしていなかった事もあるのね。お次は、デイ・サービスの来月用のサンプル作り。

今回は花火にしたのね。恐らくこれでも、デイ・サービスではそこそこの時間が掛かるであろう・・・って感じもするのね。ただ1つだと早すぎても困るしね。何しろ見栄えとやりごたえは

反比例しやすいのね。その後は、今回のカエル下地の雨の白入れ・・・これも地味ぃぃに時間が掛かるし、何しろ10枚広げるってスペースを取るのね。重ねられないから・・・。

まぁそんなこんなで、何とか落ち着いたんで、ほんの少しだけ椅子の下地。

こっち側は後1本最後のクルンとした所を作ると、足が全て終了なのね。ただ、それは何と無く形が出来ただけで、最後にサンダーって機械で削って整えるのね。ただきっと、削り過ぎるだろうし

・・・穴が空くと、それを直さないとならないから、まだ時間は掛かると思うんだけど、何しろ形まで終われば、気持ちが楽になるのね。

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デイ・サービスと中学生の下地彫り

2024-05-14 07:14:38 | 下地彫り
今日はあれこれと下地が溜まって来たんで、まずはデイ・サービスのカエルの下地と、ご新規の中学生の下地彫り。

その後、アトリエに戻って、ペーパー掛けとペンキ塗りで、そこそこな時間・・・。残った時間で、ちょっと椅子の下地。何しろ雨だったんで、大物の下地は後回しになっちゃったのね。

今週は割とお教室が無いんで、下地強化週間って感じになるのかなぁ・・・。雨じゃ無きゃ良いんだけれど。

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さくらに頼まれた刀置きと・・・

2024-04-23 06:45:21 | 下地彫り
今日は何と無くボヤッと始まったんだけど、そんな中すーさんが倉庫を片付けていて、目地をくれたりして話していると、何ならこっちにこんなのがある・・・って、ウォールナットの端材を、

見せてくれたのね。何か昔作ったらしいんだけど、今後何も作る予定は無いし、ただ銘木だから勿体無いし・・・ってな話しだったんで、ちょっと物色していると、あれこれサイズがあって・・・

それじゃ・・・と手始めに、昨日さくらに頼まれた刀置きを作る事にしたのね。まぁ大体こんなもの・・・ってGoogle先生で調べて、俺なりに俺の技術で出来ると思われる事を考えて・・・。

ただきっとしまう事も考えると、台座は分解出来る方が良いだろうな・・・とかあって、何しろ組み立て家具みたいな話になるから、構造みたいな事が必要で・・・俺はそれが最も苦手なのね。

ただそこさえ切り抜ければ、後はちょっとお洒落に見えるデザインに・・・となるなら、そっちは何とかなると思っていて・・・結果としてこうなったのね。

おーまずまずな雰囲気あるじゃん・・・って自画自賛していると、大家さんが、今日は何してんの?って見に来て・・・はぁ?何これ・・・って言うから、さくらに頼まれて・・・って言うと、

違う方向性になって無いぃぃ?って苦笑いされたのね。まぁとは言え、へっぽこ扱いでは無かったのは何よりだったのね。そんな流れで、ついでと言っては何なんだけれど、こっちは本業・・・

体験教室用の額縁。こっちもウォールナットで、まだ途中なんだけれど、なるほどこうなるのかぁ・・・って感じなのね。豪華にはなるんだけれど、いつもより厚みや幅があるから、まだまだ

やる事はあるんだけれど、あぁこうして作るのかぁって練習にはなったのね。例えばこうして比べた時、普通は刀置きのように初めて作るものの方が難しいと思うんだろうね。きっと。

それは昨日の話の思い込みなのね。確かに同じウォールナットだから、条件は一緒なのね。ただ刀置きの場合、何の規制も無いのね。所が額縁は張る部分が何cmとか、厚みはこれだけって感じに

タイルを張って仕上がりがこう・・・みたいに、あれこれと規制があるのね。つまり刀置きは自由演技で、額縁は規定演技になる。もっと言い換えれば、刀置きは新作落語で、額縁は古典落語。

こんな違いね。つまり古典は、こうしないとならない・・・って決まりがあって、新作はとても自由なのね。同じ落語でも全く違うのね。物事って言うのはこんな違いがあって、どっちも何とか

逃げ切れそうだけれど、俺には額縁の規制がある方が苦手で・・・こう言うのが得意なのは大家さんやすーさんなのね。何せ家を自分で作っちゃう人達だから。構造に詳しいのね。

そんなこんなで全くとまでは行かないけれど、日常と違ったように見えるでしょ?刀置きはね。そうね、ちょっとネタばれしちゃうけれど、中学生の1人が立体にしようとしているのね。

まず出来ないとは言って無いのね。それを前提に、こう言う事だって話なんだけれど、そもそも2年連続で受賞した腕は、平面のモザイクの作品で取ったのね。つまり認められている技術は、

タイルを切る張る行為とデザイン性。そこにはタイルを張る立体の腕は未知数で含まれてはいないのね。つまり立体の時点で必ず成功するとは限らないのね。しかも立体にタイルを張るって言う

のも初めてだから、それもまた未知数。ただ当然難易度は上がるのね。こうして考えると、棟梁の作品がいかに凄いか?って言うのが判ると思うのね。モザイクの先生の俺には、

あの作品に負けないモザイクなら出来ても、あの彫刻は出来ない。逆に木彫の先生も同様で、木彫は出来てもモザイクは出来ない・・・棟梁ならではの作品であって、この世に無いものなのね。

まぁ当然の事なんだけれど、あれを本人は趣味って言うのね。確かに本人の見解では、売っていないから素人であって、遊びなんだけれど、遊びじゃないらしいのね。では掘り下げるのね。

どう?俺の刀置き。初めて作ったんだけど・・・だからこれが俺にとって一番下手っぴ作品。確かに大家さんに方向性が違うじゃんと茶化されたけれど、もしここに少し彫ってタイルを張ったと

したら?・・・確実にこの世に無いものになる。売れないかな?って話。つまり個性的ってのは、この世に無いってものは一点ものとして発表出来る判りやすいものなのね。これが額縁の中の作品と

なると、いかに素晴らしい技術なのか?いかに素敵なデザインか?いかに似ているか?みたいな事が問われるのね。だから俺は最後の最後にタイルを張ると、全部作品として成立しちゃうのね。

考え方は同じで、タイルのイヤリングなんかを作っている人がいるけれど、タイルの技術では無くて、金具の取り付けだったり、そこに取り付けたビーズやレジンの技術の上手さであって、

その分野にタイルを使ったアイデアはお見事なんだけれど、アイデアはいとも簡単に真似されるものなのね。そうなると、比べられる事になる。所がどうだろうか?棟梁のは誰にも真似出来ない。

俺にも、木彫先生にも・・・そして今後真似する人が出て来ても、額を木彫の人に注文するってスタイルになるんだろうね・・・きっと。でもゴッホだろうが画家さんが額縁を作るとは思えない。

つまり頼んでも普通なのね。いずれにしても、真似が出来ないって言うのは、凄いものなのね。でね、ここまでなら単なる説明なんだけれど、ここからはホラーにもファンタジーにも化ける話。

みんなは売ってないから趣味と言うのね。じゃ売っているとプロって事になる。とても判りやすいのね。ではノンプロってなんだろうか?大学生までは、学生さん扱いになるのね。しかしながら、

働きながら・・・って人はノンプロって、プロでは無い人って扱いになる。でもね、ある時突然スカウトがやって来て、指名します・・・って指名されると、入ると決めればプロになる。

入らないと決めればノンプロのままになる。そもそもノンプロの人ってプロの待機ってスタイルだと思うのね。そう考えると、アマチュアって言うのは、草野球って扱いになるのね。

まぁ感の良い人なら、この辺で気が付くはずなのね。要するに自分で決める事じゃ無いのね。目指すのは勝手だけれど、認められると・・・って話で、認められると権利が発生するのね。

そう考えると、小学生で認められると芦田愛菜さん扱いになり、中学、高校、大学となれば、大人顔負けって扱いのプレーヤーになり、お母さんなら、料理研究家みたいになり、それを生業に・・

となると、プロって扱いになるだけなのね。そして仕組みとしては、今の俺が今よりももっと有名になると、場合に寄ってはみんなももっと見られる事になるのね。その時にもし欲しい・・・って

言われたら、どうなるんだろうか?・・・少なくとも俺の教えている生徒や弟子で、下手って言われた人はいないのね。今の段階でそうなら、もっともっと見られたら、どんな評価になるんだろうか?

俺はプロだから、今後もどんどんと今よりももっと知名度を上げるように努力をし続ける。当然だけれど、みんなも同様に見られる事になる。このままならこの程度で済むだろうけれど、もし

思っている以上に見られる事になったら?・・・本当にこのままの評価なのだろうか?俺は楽しみなのね・・・みんなの作品が知らない人から欲しい・・・って言われる事をね。

俺はそうなって当たり前と思っているけれどね。実はこんな事が、まだ発表はしていないんだけど、前フリの話で、地下潜伏の話のように、ある作品を作ろうとしているのね・・・。

それはつっちーの話の作品なんだけれど、普通にモザイクなのか、そうで無いのか。古典なのか新作なのか?・・・大家さんに相談をしたのは言うまでも無いのね・・・。だからそっち。

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今日はエイプリルフールねぇ・・・

2024-04-01 23:58:36 | 下地彫り
今日は朝からコーナンで、サンシャインシティの展望台でのワークショップ用の下地彫り。昨日も彫ってるんで、遅くまでは掛からないものの、畳1枚分だからねぇ・・・夕方になっちゃったのね

ただ、しながわ水族館の事を考えれば、慣れってのは恐ろしいもんで、段々麻痺して平気になって来るのね。普通に出来たりする。でもそれは意識して置かないと、疲労は蓄積しているのね。

そこは考えに入れとかないと。そんなこんなでアトリエに帰ってから電動糸鋸で切り抜き。

まぁ一人だと特に話を広げる事が無いんだけれど、こうしたイベントを通称流しのワークショップって呼んでいるのね。要するに予約を受けた人数分では無く、何人来るか判らない・・・。

そんな時は、一体何人分作る事が適量なのか?考えないとならないのね。考える必要が無い事と、考えないとならない事。常に言っている真似をする作り方とオリジナルの違いと一緒なのね。

何人教室って人数が決まっている場合、例えば10人なら、不備を考えて11枚作れば良い。これは何も考える必要は無いが、初めてやるサンシャインシティの展望台は一体何人分作れば良い?って、

こんなの誰も判らないのね。だから考え方としては、様子が見たいとなると、かぐやと2人でやるとしたら、2人で回せる人数って・・・まぁ40人程度くらいかなって事で言うのなら、2日で80個。

単純に計算すればこうなる。ただそれは最高だろうから、契約書の項目では少なめに30くらいに書いて置くかってな事になる。そして実際は100個ちょい作る事になるのね。それは木の大きさ分を

作る事になると、畳1枚分で何個取れるか?になるからなのね。半端を余らせてもそれはそれで困るんでね。それと今後の参考として、この程度の下地だとこれ位時間が掛かるのか・・・ってね。

これでもし今後も・・・と頼まれたとしても、大体想像は付く事になる。全てがこうした準備を1の段階で10を知れるように準備をして置けば、大抵はそこを下回る事になる。

大きく困らないって事は、俺の予期した事よりも下回るからであって、それでは売れる方向にはならないのね。この予定調和が崩れないって事は、いつも通りな事しか置きないって事になる。

そう言う点では、しながわ水族館では経験値あっての2度目。どちらもまずまずな結果だったと思う・・・そうまずまず。つまり下回らずに上回らずににまずまず。これが困った・・にならないと

普通になってしまうのね。それが安定感。要するにこれを上回るには新しい事をして試さないとならないのだけれど、そうね例えば、薄っくらい歌をおっさん連中が歌うフォークソングって、

悪意すら感じる表現をしてから、旅立ちでデビューした松山千春さんって言うと、その当時だったら、福山くんばりの良い男がフォークソングって事になれば、そりゃ興味が無くても興味が湧く。

しかも歌も上手けりゃルックスも・・・ってなれば、薄っくらいって言うのを消すには十分。そこに銀の雨だの、青春だのって続けば、そりゃ安定感も出る。所がフォークソングってのは、

大体がギター一本なのね。だからポップな歌からは地味になる。勿論その地味さが情緒に繋がり、寂しさとかはかなさとか、切なさなんて言うには効果的だとは思うのね。ただそれをも超えると

なると、季節の中で・・・だと思うのね。ヒットした曲だから一般的になった。そうすると、その垢抜け感をニューミュージックって言い出すのね。こうなると、賛否両論になる。

フォークソング側からは歌謡曲みたい・・・となり、歌謡曲側からは、歌謡曲では無く垢抜け感があって・・・だから新しいから、ニューミュージックって。勿論個人的見解ね。

そしてこの辺までなら、どちらにも何と無く受け入れられたとしても、長い夜でその賛否両論もマックスとなり、もはや歌謡曲だな・・・って事に寄せられた感が増す。大きく変わったのは、

やはりドラム音が目立ったが、間奏はエレキギターソロなんて無かったし、オーケストラ感があった、季節の中で・・・から、いきなりエレキギターで入り、ずっとエレキの音がリズミカルに

刻まれて、しかも間奏にソロまで入って・・・そりゃフォークソング側に立ったら受け入れられない人も多いだろうね。ただそれでもコアなファンは残る。逆に全く興味が無かった人達には、

歌謡曲なら地上波に乗るし、一般的になるのだから、聞く回数が増える。つまり認知される事になる。良くも悪くも原理としては常にこんな感じなのね、昭和の場合。それはテレビが一番影響力が

あったから。ねぇ昨日見た?こんなセリフに尽きる。しかしながら、今はネットって配信されるものを見るだけでは無く、自分でも配信しちゃう時代なんだから、これはこれでまた変わるんだけど。

そんな事が結果として売れて行く仕組みだったとしたら?・・・って考えると、駆け出しの頃は常に作品を作っていた・・・何しろ徹底的に。これは作家katsu寄りになる。って言うか、それ

しか無かったから。タイル屋を辞めて、付き合いは無く、街中と言えど、話す相手もいないのだから、ひたすら何か思い付くものを作っていた。しかしながら、出会いが変わると周りは小さな子が

いるお母さんになると、公民館に頻繁に出入りする事になる。すると子ども教室などが増え、徐々に先生katsuの活動が増えて行く。すると出張教室もやって来るようになる。

これを松山千春さんの話に当てはめると、フォークソングに当たるのが、作家katsuになり、つまりそれが好き、それを応援するって側の人には、生活費を稼ぐには仕方無いかも知れないが、

作品作りが少なくなった・・・こうした考え方になる。逆に貧乏作家って大変じゃん・・・まず生活費稼がないと・・・って側の人達は、先生katsuの仕事を探してくれるし、場合に寄っては、

作品が欲しいと思う人を紹介して貰ったり・・・ただ先生katsu寄りって言うのは、作家活動の時間を割くって事にもなるのね。あっちを立てればこっちが立たずみたいな話ね。

ただ認知度を上げる、知って貰うって言うのは、公認無しで選挙に出るってもんなのね。しかも当時はテレチャンで優勝って看板もあって、多少の認知はあるものの、その威力は何処まで続くか?

って話で、むしろそれを捨てにも掛かった。それが芸術色で、あれこれやっては見たものの、何しろ宣伝広告費みたいなもんだから収入を上回っちゃうのね。そりゃ生活費もつぎ込むわけよ。

何しろ必要最低限以下の生活費だから、時には2ヶ月家賃滞納なんて当たり前、綱渡りの生活になるのね。それが少しマシになって来るんだけれど、当然作家katsuでは無く、先生katsu側ね。

周りがお母さんだったから。ただそれも同じように時は経つから、みんな大きくなる。つまり子ども教室は少なくなって行くのね。ただそこで培われた事が、公民館からカルチャーや、デイ・サービスと言った事に変わって行ったのね。

今度はこれをスキージャンプとかで置き換えると、絶対無敵のエースの高梨沙羅が、あれこれ規定が変わると、余り勝てなくなった。ただそれを乗り越えると、いつでも優勝って訳には行かないが

3位圏内に入れるようになる。本当に強いって言うのは、環境の変化に馴染む事なのね。要するにその環境でしか生きられないと、死が待っているだけなのね。予定調和で生きるにも常に順位が

あって、それ以外は生きられないのが当たり前なのね。幸い選択肢が無いからやるしか無い。まぁがむしゃらに・・・ってとても単純な事がしやすかったんだろうね。そんな変化の中で、待つって

スタイルから、営業・・・つまり狩るスタイルに変更となると、依頼されるのを待つのでは無く、こちらから出向く的な事が、かぐやのネット営業になり、俺はマルシェだのkatsu散歩だの、

人に見られる場所へ出向くなんて事をやったりもした。まぁ結果は散々なんだけれどね。ただやらないよりはマシで、多少の出会いもあったりするのね。勿論その間は制作は出来ないのだから、

夜な夜な作る事になり、それでも以前の制作とは全く違う事になる。そうね、年に数個って感じかな。それが60歳を迎えた時に、ようやくなったか・・・って思ったのね。それが大義名分。

もはや世間では定年の歳になった。これ以上、遠慮が美徳って生き方をし続ける?って自問自答すれば、自ずと答えは出て、自分の道を歩けば良いだけ・・・と言いやすくなった。

さて自分の道ってのは?って言うのも、見つかれば簡単で、最初から言って来た事を、具体的にすれば良いだけ。つまりサザンもやりたいのに桑田さんとしてのソロもしたい。

みんなで作るってスタイルと、個人の作品って言う事ね。しかもみんなで・・・ってサザンの場合、青山のサークル仲間って感じだけれど、俺は俺の生徒さんと共に・・・世界遺産が作りたいのね。

まぁそうなると、芸大みたいな肩書きと腕前が必要になるだろうが、良くも悪くも何にも属して無いのね・・・つまり正当な道は歩けない。道が無い所を歩かないと・・・つまり誰もやっていない

場所や事をしないと。まぁこうして探すようになると、とても具体的になる。これか?ここか?って探すから。ただ常に正解なら、もっと楽だろうが、通常は不正解が溜まって行くもんなのね。

ただその不正解が財産にもなるのね。実は。何せ逆も真なり。まっ簡単に言えば、これは違う、これも違うってダルマ落としのように叩けば、残ったものが正解なんだろうね。果てしない作業だけど。

まっでも答えは出ているし、後はそれに向かって時間を使うだけ。そんな中、タイルの商社の社長さんから見積もりをお願いされて数度出したり、眠っていた穂竜の作品が展示して貰えそうな話に

なったり、さいたまのコープみらいさんの会場が8箇所になったり、ピエロの壁画の依頼があったり、サンシャインシティの話だったり、でも金魚の壁画はまた忙しく据え置きになったり・・・

売れるって言うのは、これが全部決まって満員で、依頼も待って貰って、いつかお断りしないとならなくなるか、いつまでも待って貰えるようになる事だったりするんだろうね・・・。

ただこれでもまだ足りない。この程度の忙しさなんて、全く話にならない。もっともっとでっかい事がしたいのだから・・・みんなとは違う道から頂点に立つ気満々の60歳・・・今が一番良い。

そしてまた明日が一番良い。今まで起こった事は全て踏み台にして、上へ行かないと・・・1回きりの人生なんだから・・・月並みだけどね。しかも夏までは4、5ヶ月しか無い。

ここまでの人生に終止符を打つから、今しか出来ない事は残りあとわずかとなった・・・。そして今日はエイプリルフール・・・これが嘘か真かは、俺の問題では無い。信じるものは救われるのか、触らぬ神に祟り無しなのか?日本語って怖いわっ。一石二鳥に、二兎追う者は一兎も得ず。

結局決めるのは自分って事なのね。

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リピーターさんの新作下地

2024-02-28 02:26:08 | 下地彫り
今日は午前中は昨日の片付けの続きで、午後からフェルメールのリピーターさんの新作下地彫り。それがモチーフが浮かばない・・・って言うので、自分の好きなものが良いんじゃ無いか?って、

アドバイスしたら、それじゃ・・・トンカツって。え〜って言ったものの、でもモザイクでとんかつ・・・って、完成したら絶対世界初。面白いって言えば面白いのね。それと、日常に戻す仕事と

しては丁度良い感じなのね。そんなこんなでコーナンに行くと、結構本気でやっている人がいて・・・ちょっと離れた所に陣取ると、あっkatsuさん・・・って。インスタのフォロアーさん。

すると、この間ここで、トリマーで彫っている人の話が出て・・・それkatsuさんって人だからって知り合いだって話したらしいのね。こう言う話って地味ぃぃな営業みたいな話で、今はお茶飲み話

なんだけれど、いつか声を掛けられたり、もしかしてインスタを見てくれたりすると、もっと具体的に何をしている人かを知って貰える・・・その橋渡しみたいな話なのね。

勿論、こんな事ですぐに何も変わらないんだけれど、何しろ知って貰うって言う労力は大変なのね。しかも直接関わった人では無い人に・・・ただこんな場合、間に入った人の言い方1つで、

印象は大きく変わるのね。それとその人が知る情報は常にモザイクになるから、上手いとか凄いって所が落とし所になるのね。それをそんな人はこんな人って思い込まれるもので・・・。

知名度が上がるって言うのは、それはそれで大変だったりするもので・・・まぁ随分と慣れて来ているとは言えねぇ・・・その人、その人のイメージだからねぇ。ちゃんと過大評価にならない程度

の今の等身大で伝わると良いんだけど、中々ねぇ・・・とは言っても過小評価でも困るし、何でも丁度良いってのは難しいからね。まぁ何はともあれ下地も終わったし。ひとまず問題無し。

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今日も仁科さんとコーナン

2024-02-01 02:16:00 | 下地彫り
今日も仁科さんとコーナンで、しながわ水族館用の下地彫り。仁科さんはメンダコの1回彫りで、俺は2度彫りの仕上げ彫り。

そんなこんなで仁科さんには6時頃に上がって貰って、ラストまで彫ったものの、ホテイウオを10枚程度残ったけれど、100枚近く完成したのね。その後、アトリエに戻ってペンキ塗り・・・。

やっと先が見えて来た感じなのね。

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