katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

さてやる気にならないと・・・

2023-06-29 22:58:32 | 出張教室

今日は昨日の分も取り戻したいのは山々なんだけれど、車を入れ替えたんで、後片付けとかがあって・・・そんな中、コープみらいさいたまの担当者さんから連絡があって、まだ募集して3日目なんだけれど、先生何人まで良いですか?って言うのね。しかも別件で昨日も問い合わせ・・・。

そりゃ俺じゃ無くても、ひょっとして出だし好調って事なの?・・・5箇所で、今の所40オーバーって感じだったかな?・・・ジンベイザメは10枚作ったのね・・・それじゃ少し本気でやらないと・・・って気持ちになり、何しろひとまず片付けをして置かないと、下地だらけになるからね。

そんな訳で片付けを終えてから、気に下絵を写してコーナンへ。ラスト迄に26枚彫り終わったのね。その後、100均巡り・・・貯金箱になる部分の箱。何件か回って、40位は見つかったと思うんだけど・・・。まだ足りないだろうな・・・。それと入れ替えた車のご紹介。

ポルテって言う車で、以前乗っていたシエンタのようなクリーム。これが送迎車となりますので、よろしくお願いします。


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両親を連れて親戚の家から車を取りに・・・

2023-06-29 07:12:51 | 休み?

今日は午前中に両親を連れて親戚の所に行って、帰り道に購入した車の準備が出来たようなので取りに行く・・・そんな予定にしたのね。先日、父から唯一残っている姉さんから、いつ逝ってもおかしくない歳になったから、かつに頼んで来て・・・って言われたのね。

俺にとっての叔母さんは、割と気丈な人で、余り弱音を吐くような人では無く、あの時そうして置けば・・・って後悔はお互い少ない方が良いだろうし、連れて行こうとは思うものの、夏は一年で一番忙しくなる季節なんで、そうなるとほぼ無理になる。つまり今月が良い事になる。

ただ、そもそも休みって言う事を自分の都合で取るって事はほぼ無いのね。だからこうした時に使うとしても、流石に丸々1日って訳には行かないし・・・そんな中、車を取りに行く場所が親戚の通り道にあるんで、それならセットにすれば、どれもこれも都合が良いんで今日にしたのね。

そんな訳で向かう道中、何か持って行きたい・・・って言われたんだけれど、恐らく用意はしていないし、途中で買うって事になると・・・って考えれば、前の日に、もしそうだったら・・・帝釈天で草団子でもと思っていたのね。お年寄りなら知名度は高いし、途中だし、平日の朝なら混雑も無い

だろうし・・・。そんなこんなで一時間ちょいで到着。場所はキッコーマンで有名な野田市。そうね、お互いに久しぶりのように喜んでいたんだけれど、正月に会っているし、その前のいとこが連れて来た事を含めると、一年の間に3回は会っている事になるんだけれど・・・本当に久しぶりな感じ。

何しろそれが、何か再会の番組とか、被災でもあったような喜び方で、少なくとも今この人達には、共通にこんな喜びは無いのか・・って思うと、年老いるとはこんな感じになるものなのか・・・と思ったりもして。ただ叔母さん夫婦は90歳を超える年齢で、入れ歯じゃ無いし、杖も付かずに、

叔父さんはガンで何回も入院しているのに、普通に生活しているし、お酒も呑むらしいし・・・やっぱり煎餅は固くなくちゃ・・・って。何だか元気全開って感じで、生きている感満載なのね。ただ叔母さんがボソッと、でもね、外で働いた事無いし、ここしか知らないから・・・って言うのね。

でもさ、そのままで終われれば、困らないで終われるじゃん・・・それはそうしたかった・・・って言うなら、それは後悔として残るだろうけれど・・・ね。ただ会話の中に、デイ・サービスに行っている・・・って言うのがあって、聞くまでも無かったが、突っ込みどころは満載だったのね。

俺も月に1回教えに行っているから、ちょっとかじっているのね。では90歳過ぎの人ってどんな感じ?って言うと、杖を突き、お風呂に入れて貰ったり、勿論入れ歯だったり、教えていても中々上手く出来なかったり、時には何度も会っているのに、始めまして・・・って言われたり・・・。

そんな中に、この叔母さん夫婦が入れば、何か不思議な空間に感じるだろうね・・・きっと。何しろ人って常に自分が普通と思っているのね。しかも、叔母さんの口を借りれば、ここしか知らない専業主婦って事になれば、そこら周辺の人しか知らない事になる。予定調和な空間なのね。

そうね、例えとしては小学生的に、そこの地域の人達の集まりね。所がデイ・サービスって場所は、年齢も性別も違っていて、地域としても幅広く、元気な人もいれば、場合に寄っては車椅子の人もいたりする。要するにここにはいつもの予定調和は無いのね。

トレーニングのマシンだってある。普通そんなもんは家庭には無いのね。ただそこがこの叔母さんがロッキー的で、たしかにマシンは無いんだけれど、裏の畑は急な坂になってて、東京なら何件も建つような土地で・・・そこでじゃがいもを収穫って。座ったら転がるよ・・・普通。

キウイは脚立で収穫だし・・・ある意味、マシンよりマシンだわっ。こんなの普通な訳が無いのね。そんな人が、やれお茶だのなんだのって動き回るから、叔母さんそんな人いないだろっ?って言うと、そうなんだよね・・・って。実はそれもここしか知らない人の悩みで無い悩みなのね。

そもそもそこしか知らないから・・・って言うセリフで感じる事は、大きくなった子供達にそう言われたんだろうね・・・世間知らずのようにね。だから、働く女性の考え方を知らない事を卑下したようなセリフにも聞こえるのね。でもそれならそれで、逆に専業主婦のベテランなのだから、

その人にしか判らない事もあるものなのね。それを子供達もその日が来たら気が付くだけなのね。やがて働けなくなる日が来るだろうから。俺はそこの話だけを言う叔母さんに、デイ・サービスって外に出たんだろ・・・そこはここでは無い外の世界だよね?どうだった世間の老人は?

ほらここにもわざわざ来た老人2人いるよ・・・自分が普通じゃ無いだろ。そのまま知らなきゃ、そのまま死ねただけだよ。でもどうだろうか?知らなかったら、自分も同じなら普通でいられたのに、普通じゃ無い事を気付いてしまったろっ。外に行くって言うのは、新鮮さはいくらでもある。

でも、受け入れる姿勢が無いと、自分が普通なんて通用しないのね。出来なければ卑下したくなるし、出来たら出来たで褒められたりもするが、もし凄く出来ているのに、こんなの普通じゃん・・・なんて一言でも言えば、嫌われる対象に成りかねない。外に出なければ何も起こらないのに。

でもね、新鮮とか刺激って言うのが、ここしか知らないって人の体験した事の無い事として、卑下をするのなら、十分にこれが外の世界って体験は出来るはずなのね。条件が一緒とは限らない人達と、行動を共にするって言うのは、家の中の自分ルールでは無くなるのだから。

そんな叔母さんが、お前にそんな事を言われるとはねぇ・・・って言うから、そうね、親父がタイル屋を選んだから、ハイブリッドなタイル屋として、自分だけ張るって人達とは違う生き方の先生って言う人と、人とは違うって作家の2つをなりわいとしているだけで、そんなのも普通だよ。

そもそもタイルなんて名前になったのも、日本じゃ101年。たっただよ。その中で、タイル屋って、元はレンガ屋だよ。そもそもそれで飯食えりゃそのままで要られるはず。でも斬新な奴がタイルに目を付けた・・・そして生き残る為に変化した。そう考えれば、簡単な話で、いつまで続けられる・・

同じ仕事で。そろそろレンガ屋がタイル屋に化けたように、ハイブリッドにならないと・・・って俺は20数年前に思っただけ。当たる馬券なら借金しても買うのが普通なら、博打って言うのは、当たるかどうかなんて判らないもの・・・。まぁ俺はこの仕事以外博打はしないけどね。

常にに新しい事って言うのは、古典落語側から非難を浴びる・・・新作落語のようにね。ただそれとて、たった100年ごとき続けば、そこそこお祭り騒ぎが出来る。落語なら100年も続けば、新作落語も古典になっちゃうわ。何しろ新しい道を作るって言うのは、時間もお金も掛かるし、賛同して

くれる人がいないと、中々その分野は成熟しないもので・・・へっぽこが何人束になっても、下手っぴって馬鹿にされるだけ。でもその下手っぴでも、何千、何万と広がると、金儲けしたい業者は山程いるから、雨後の筍のように出てくるはずなのね。ただ人は比べるからね・・・。

あれが良い、これが良いとね。ガッチリ比較されても良いような腕も必要だし、教える技術も・・・それは目に見える技術と、目に見えない技術って話になる。話を戻すと、つまり親父がタイル屋って事だから、俺は蛙の子は蛙ってなっただけで、最悪な選択は大工なら左甚五郎、左官なら、

伊豆の長八やら、今なら、はざとさんって鏝絵の名手だっている。そう考えれば、モザイクなんて不在の不在。助かったぁなのね。唯一、親父有難うって素直に言えるのね。それを古典で生きるなら、タイル屋の2世って生きるも良し。ただ俺はスーパー歌舞伎の道側を選んだだけ。

そうね、それとて家庭が無いからだけなのね。あったらやんないし、やれなかっただろうね・・・生活を支えないとならないだろうし、きっと迷う事無く、予定調和で続けられたろうからね。でもどうやらそうでは無かったんだろうね・・・俺はさかなクンを見ていてつくづく思うのね。

ずっと魚が好きだっただけ。それを海辺で育てば誰でもそうか?って言ったら、そこにもサラリーマンな人はいるだろうし、違う生き方も沢山あるだろうね。だから単なる魚好きなら、漁師でも、魚屋さんでも、缶詰工場でも、飼育員でも、アクアリウムのショップでも、何でも出来たはず。

でもね、結論としては学者さん・・・そんなのそこの町で勧めた人は恐らくいないだろうね。でもきっとさかなクンに携わったら、きっと学者になろうよ・・・って言って貰えるだろうね。選択肢が大きく増える。あぁなりたいんだろうね・・・俺は。まずは、だけれどね。

人の歩いた道を歩きたい訳じゃ無いから。誰もやった事の無い方に行きたいのね。まぁそれを天邪鬼と人は呼ぶんだろうけれど、それは出る杭は打たれる的な話で、人は見た事の無いものを簡単には受け入れないのね。特に日本はね。パフォーマンスの良し悪しよりも、何かと比較だから。

それが同じ分野ならまだしも、食べ物と娯楽みたいに・・・ね。ただそれとて、さっきの叔母さんの話と同じで、そう言う場所で生きようとするからであって、そこでは無い場所でも同じ扱いをされるか?となると、もしかしたら・・・って話で、自分がみにくいアヒルの子と思い込んでいるだけ。

笑っちゃうわなのね。自分の姿を良く見ないと、自分だけ白鳥だと、虐められたでは無く、虐めてたのはどっち?って話になるのね。一人だけその群れから離れるのだから。俺はそうなりたいと思っているし、新作落語なら、たった一人の白鳥なんて襲われてあっと言う間に死ぬわって思うのね。

やっぱラドンやキングギドラくらいにはならないと・・・ね。どうせ飛ぶなら。しかも町を破壊する位の威力があるって自覚すれば、そーっと歩くし、気も使わないと行けないだろうし・・・羽ばたくだけで町は崩壊って事になるしね。いずれにしてもそうなりたい。

まぁどんな人でも先人って言うのは、馬鹿にされてそれを克服した人だけが生き残る。仕組みは何処でも一緒。誰もがやらないって言う話は、紙一重なのね・・・良ければ誰もがやるから。ただ、ラドンやキングギドラになれれば、ゴジラくらいじゃ無いと、止められないだろうしね。

まぁこの老人たちが長生きしてくれれば、俺の姿がどんなもんだか見届けて貰えるだろうし・・・この先、何が見せられるか?って言うのは、俺の楽しみでもある。

 


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父の病院と引き続きカワウソとジンベイザメの下地

2023-06-28 00:11:34 | 出張教室

今日は朝イチで父の病院。それがいつも通りに着いたと思うんだけど、順番のカードが1番で・・・ちなみにいつもは4番くらいなんだけれど。そしたら、忘れ物に気が付いて・・・父を置いて取りに帰って、9時3分に戻ると、えっ?・・・終わっていたのね。早っ。そんなこんなで思ったよりも早く

終わって・・・昼前にアトリエに。そんな訳で、

今日も引き続きコープみらいさん用のカワウソとジンベイザメの下地のペンキ塗り。一度塗りは終わっているんで、ペーパー掛けをして二度塗り。これが地味ぃぃに時間が掛かるのね。ただカワウソはコープみらい東京さん用で、これはmaxで10名なんで、かなり無謀かも知れないけれど、暫定で、

max作っちゃったのね。ただ先日の連絡では7名決まっているらしいんで、まずまずなのかな。それとは違ってジンベイザメは、さいたまさん分で、4箇所なんで、こっちは一体何枚作らなきゃならないか?想像が付かない状況で・・・ただ流石にまだまだ必要だと思うんだけれど・・・・。

ひとまず10枚ずつ終わったんだけれど、ジンベイザメは貯金箱・・・この後、箱を合体しないとならず、しかも25cm以内にしないと、何か貯金箱のイベントみたいなものに提出が出来ないとの事・・・・って事で、サンプルとは違ったものを作らないとならなくて・・・ちょっとした工夫は必要。

まぁ貯金の時間もまだ数日あるから、出来るだけ前倒ししとかないと。


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カワウソとジンベイザメの下地

2023-06-27 01:14:25 | 出張教室

今日は朝からコーナンでカワウソの下地。コープみらい東京さん用。割とすんなりで、良い感じで終わったのね。ただその後、切り抜いてペーパー掛けして、時計を付ける穴を開けると、そこから微調整とか出てしまって結局また夕方行くはめに・・・。それと平行にさいたま用のジンベイザメの

貯金箱の下地のペンキ塗り。

ひとまず1回塗りは終わったのね。これでスマホスタンドを作ると、一通り作った事になるんだけれど・・・今月いっぱいは前倒しの貯金なんで、出来るだけ作って置かないと・・・なのね。


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ウチの犬の杏さんとご近所さんの親子教室

2023-06-26 07:25:10 | モザイクタイル教室

今日はまずウチの犬の杏さんから。バックのネモフィラも慣れて来たようで、それなら慣れだけで進まないように、葉っぱだのバックだのって、新しい事して緊張感だったり、気分転換的な箸休めでも良いが、何しろ単調に進まないように・・・って話なのね。その時に、慣れるって言う事は悪くは

無いんだけれど、単調になると、忘れがちになるのが何も見ないで、大体こんな感じ・・・とやってしまうのね。でもね、慣れるって事は最初よりも上手くなっているはずなのね。でも常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。ただ慣れたのは切る事に慣れたのね。ネモフィラに慣れた訳じゃ無い。

つまりネモフィラのパーツに、作り方に慣れたのなら、より近付けるには、その時こそ画像を良く見て、より繊細に観察する事なのね。そもそも最初は、おっかなびっくり作ったはずなのね。って事は、感じとしてはネモフィラに見えるじゃん・・・こんな感じだったとする。

所が慣れると、数も増え、ネモフィラに完全に見えるようになる。じゃそれで良いなら、それで十分なんだけれど、より繊細に・・・ってワンステップ上げようとするのなら、その時点で困らなくなっている分、最初と同じ気持ちになるような困り方をすると良いのね。それが画像を良く見る。

これだけなのね。最初は良く見ていたはずなのね。こうかな?こうかな?と。でもいつしか慣れてしまった。しかも数も増えもっと見えるようになった。そこで意識が薄れて、見なくても作れるようになった。この意識の薄さが、ネモフィラに見える止まりなのね。それを良く見るって意識を持つと

慣れた分、最初の頃の戸惑いは無いのに、良く見るって観察する目を持つと、よりネモフィラに見える・・・に変わるのね。よりってそんなもんなのね。それを慣れてしまって、大体って作ってしまっては楽になるだけなのね。たったそれだけの意識で十分変わるはずなのね。

その後は、ご近所の親子3代、お祖母様にお母さんに小学生の女の子の教室。まずはお祖母様から。

最初に下絵を見た時、ビックリしたんだけれど、メチャポップなのね。ただ何を選んでも、最初はタイルを切る・・・って練習だから、1つやり遂げるが大事で、しかもお孫さんってライバルがいるから、モチベーションとしても良いのね。そのライバルの作品がこれ。

同じぺきぺきを使って作っている同士だから、何処が難しいか?が良く判るのね。例えば丸い輪郭を揃える。これも最初は難しいのね。所が中々上手に切り抜けたのね。そうなると、口のえぐり・・・三日月のようなラインね。こっちは更に難しいのね。それがハートも・・・。

きっと二人共、これが終わる頃には、ぺきぺきでのモザイクってこんな感じなのかぁ・・・って、随分慣れると思うのね。それが、まだ終わっていないんだけど、フェルメールさんの作品を見て、名画が作りたいらしく・・・ピカソの泣く女を希望しているのね。流石に軽くは出来ないんで、

お母さんに尋ねると、本人がやりたいのなら・・・って。それなら益々、これで練習しとくと良いのね。色んな形に切れるように・・・と、時間が掛かる・・・って事に慣れれば、2年もやれば絶対に手に入るはずなのね。本気だったら教える方も楽しみなのね。だって宿題では無く日常なのに名画。

秘蔵っ子育てるような気持ちになるでしょ・・・。何せ小学校3年生なんだから。無理させずに大事に・・・ってね。そんなおかあさんは、

流石にローマ字に苦戦していたのね。そうなのね。そこが難しい所で、まず細かくなる事。恐らく1cmタイルの9分の1程度の大きさなのね。しかも、鶴田の文字とは違い、ずっと同じ幅をキープし、SだのRだのってクルンとしたラインが多々ある。これでもかこれでもかって感じにハードルが高い。

ただ苦戦はしたものの、良く逃げ切ったのね。結構頑張ってたのね。後もうちょっと苦戦する所は出て来るものの、ここまで来れば、何とかなるって所までは来たのね。表札デビューまでもう少しなのね。そんなこんな教室の後は、カワウソ下地の切り抜き。

そこそこ良い時間になってしまったのね。

 


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kameyaさんの出張教室と体験教室

2023-06-25 02:02:28 | 出張教室

今日はkameyaさんの出張教室から。まずはりょうさんのお楽しみ作品のフクロウの印鑑立て・・・ただりょうさんは目があるものが苦手で、今回の大作と言い、このお楽しみと言い、良く選んだなぁって感じなのね。ってそんな中、このお楽しみ作品を作った人の中で、サンプルに忠実に作ったのを

初めて見たのね。そっくりだったのね。けれど、完成してから、ここが・・・あそこが・・・って、中々目が肥えた事を言ってたのは、とても印象的だったのね。その後は、また大作へ。

ちょっと髪の毛に入ったんだけれど、基本中の基本な事は、まず言葉で表現をする事なのね。この髪はどんな感じ?って質問した時に、クネクネとか、グネグネとか、クルクルとか、何かこんな表現をしたとする。その時に、全部一緒なら、その人のバリエーションは1つしか無い事になるのね。

所がクルクルだと、こっちからあっちへ・・・みたいに聞こえると、恐らくこっちは表であっちは裏が見えたりするだろうなぁ・・・って言うのが、クネクネだと、表ばかりが見えてただよじれている感じに思える。それがグネグネなら、その角度が大きい感じがする・・・みたいな違いが感じられる

なら、そうする為にはどうしたら良いか・・・になるのね。所が、その言葉の違いが理解出来なければ、何をどうして良いか判っていないのに、理解せずに切り出そうとしてしまうのね。それでは思ったようにはならないのね。まぁこの理由は、簡単な話で、初見で丸を切って貰うとする。

その時に丸って何ですか?って質問は絶対に無いのね。つまり理解は出来た上で、タイルを初めて切るのだから、未熟ってだけになるのね。所が俺が作った言葉のいびつ角形って言う形を切って見て・・・と言われると、初めて聞いた言葉に戸惑うのね。では言葉の説明となると、それをランダムって

言うとすると、ランダムって好き放題って自由なんだけれど、自由って事は丸でも良い事になるでしょ?それは駄目なのね。何故ならそれを否定する為に角形って言葉が付いているのね。角張っていないと駄目なのね。つまり楕円も駄目。ほら初めてでもこうして理解して行くと、判らないながらも

少なくとも駄目な事は消去法として判るから、正解は判らなくても禁止事項だけはやらない意識は出来るのね。所が丸のように完全な理解が出来ないから、それでもまだ曖昧になる。これが仕組みなのね。つまり決まり事って言うのは、そこに向かって寄り似させる事になるのね。

だから一切考えなくて良いのね。所が自由って言うのは、好きにして良い反面、考えないとならないのね。しかもルール無用でも良いのね。ただ、そのルール無用過ぎると、自由なだけにとっ散らかるし、だらし無くもなる。まぁ簡単に言えば、校庭に大集合って言うと、昼休みみたいになるのね。

自由気ままに子供がとっ散らかる。これを6年2組の体育の時間って言うと、まず同じカッコの体操服で、同じような大きさに統一されるのね。そもそもそこに1年生はいないからね。それを更に身長順に整列って規則を加えると、段々小さくとか、大きくなんて、段々って綺麗に並ぶのね。

逆に名前順にすれば、デコボコになる。ほらこうしたルールを作る事で、きちんと・・・になるのね。所がルールを減らすと自由過ぎてだらしなくもなるのね。それが校庭に集まれなのね。この自由の中でいかに自分ルールを作ってさじ加減をするって言うのが、考えるって事なのね。

まぁ俺の教室に通っている人なら、まず言葉で表現なんて事は、そこそこ経験しているとは思うんだけど、全ての人が必要な訳では無く、原画がある人は、この話は要らない人もいるのね。それは忠実に真似るだけになるから。でも所が真似ているつもり・・・このつもりの人は、自分だけがそう思っている場合も多いのね。

そこをさっきのグネグネとかクネクネのように、意識を持つ事で、髪の毛を直毛にはしないし、その為にどうすべきか?と考えるのね。ただそれは、切るって技術をある程度持っていないと切れないから、難しいけれど、逆にここの人達くらいなら、意識すべき・・・になるのね。

当然、ラパンさんも同様で、ただタイルを切っているだけだと、何故そうしないとならないのか・・・になるから、強制的に思われるのね。だから、この話が必要な人は、グネグネでもクネクネでも一緒じゃん・・・って人には必要無い話なのね。こんな事を相当理解していて、更に切るのが上手い

のが棟梁って事になるのね。

ただ厄介なのは、上手くなるって言うのは油断に繋がるのね。その油断って言うのは、寄り似せるには?って・・・何?じゃ似せると、寄り似せるが一緒なの?寄りって何?・・・それが美大な人なら、資料なんて見なくてもデッサン力があるのね。でも、そこまでの画力は無かったとする。

そのカバーこそが、良く見る・・・それを確認する事で、意識を更にする事で、本物寄せになるものなのね。それを何となく・・・ってやっても、そこそこの画力とかなりの切る技術・・・バランス悪く無いかな?そこをそこそこな画力をアップする為に資料とにらめっこしつつ、かなりの切る技術

・・・これがバランスなのね。ただこんな意識をさせるだけで、油断は解決するのね。まぁkameyaさんの指導はかなり本格的な事を言えるようになったと思うのね。そんな後は、アトリエに戻って体験教室。

ここは難しい事は一切要らないのね。楽しければ十分だし、これだけ出来れば自慢の一品になる。何よりだったのね。


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コープみらいさん用のカワウソの時計下地と・・・

2023-06-24 07:21:00 | イベント

今日は朝からコーナンで、コープみらいさん用のカワウソの時計の下地彫り。これでちなみに4時間弱。と言っても、この後にペーパー掛けとペンキ塗り、そして目などのパーツの仕込み・・・まだまだやる事は満載なんだけれどね。ただ後はアトリエでも出来る・・・って話なのね。

その後に、セリアに注文していた金具を取りに行って・・・アトリエに帰る頃には、そこそこな時間。そんな訳で、コープのイベントをかぐやと考えて・・・新たに作らなくても、蔵出し的な事では・・・なんて事で、

結構出て来たのね。昔はこんな時にぺきぺきを使ってタイルを切ったけれど、そうすると時間は掛かるし、そこをお絵かきタイルなら・・・って事にならないかな・・・って。その前に一体どの位あるんだろう?って確認の為に集めて見たら、そこそこあるじゃん。これなら・・・。

そんなこんなで、色々と準備は怠っていないのね。


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闘牛士のリピーターさん教室

2023-06-23 07:50:21 | モザイクタイル教室

今日は午後から闘牛士のリピーターさん教室。それまでは・・・と言いたい所なんだけれど、昨日のまんまだったから、ちょっと片付けて、今月残りの時間に何が出来るか?の確認をかぐやとして・・・何だかあっと言う間に終わってたのね。そんなこんなでお教室。

そうね、最近小学校の問い合わせがあって・・・結論からすると、流れちゃったのね。まぁ良くある話だと、問い合わせって色々あって、丸投げって場合、日にちと時間と人数と値段みたいな事だけで、見積もりなんて話になるのね。その時に卒業記念なんですけど・・・なんて話だと、

大抵は数日で終わる作品となり、一人あたりどの程度参加出来れば良いか?なんて考えたり、その下絵に合うタイルはどれ?とかあれこれ考えて、こちらは一体何人位必要か?なんて事になって行くのね。所が今回は長期に渡っての依頼で、恐らく体験の7回分位に相当する時間だったのね。

つまり簡単な事なら、鍋敷きを1人7枚作れちゃう事になるが、学校に永年残すものが楽しいだけって言うのは、責任ってものが無さ過ぎるのね。置いて行かれる側にもならないとね。作る側はそれで良いだろうが、思い入れはどんどん薄れて行く。だから縁があって、その後の人達にも興味を持って

頂き、しかもそれなりの完成度が求められるのね。つまり沢山張るでは無くて、急いで作るでも無く、話半分にしても、一人3枚分の鍋敷き位の大きさが必要になり、それが20数名分となれば、軽く畳一枚なんて大きさになるのは、簡単に想像が付くのね。そこに今回の話は高速を使うような距離。

交通費が何万も掛かって来るのね。更に材料なんだけれど、モチーフが決まらないと、色や形で値段も違うから、大体って言うのがザックリとなってしまうが、畳一枚分のザックリとなると、最低倍は見とかないと、何が起こるか判らない。これにこちらの人数x日にちとなり、見積もりが出る。

ただ大抵は値段しか見ないから、値段の擦り寄せの為に、じゃ小さくすれば・・・と思ってしまうのね。では車、小さくすると安いかな?そうなのね、走る為の部品はほぼ一緒だから、高級車との違いはエンジンは勿論だけど、装備品の豪華さだったりするのね。しかも、高級車が軽自動車の大きさって

見た事無いでしょ?つまり、あれこれやれば高級には見えるようになるけれど、大きくなる。それが例えば校章だけなら、小さくもなるが、果たして1人20時間持つか・・・となると、恐らくその前に終わるかも知れないし、小さくなるって事は細かく切るって事になるから、果たして出来るのか?

にも繋がって来るのね。こんな話どうでも良さげでしょ・・・そんなの関係無さそうでしょ・・・所がなのね。所がウチの生徒さんの大多数はこの話が他人事では無いのね。勿論、初めての中学生でもね。だってこの話って単なる見積もりの話に聞こえる人には、モザイクとは関係無いじゃんと、

思うだろうけれど、何も無い事から想像力、洞察力、観察力なんかを使って、この位の事をこの位の値段で・・・察しの良い人なら、もう判ったかな?実は構想なんかにも役立つし、自分の作品を作る時に生かされるのね。一体自分のやりたい作品は、このモチーフなら、この位の大きさで、この

タイルを使って、こんな時間が掛かるであろう・・・とね。更に俺はこうやって考えたりしているんだよ・・・って話でも、興味を持っている人もいる中で、また違う視線でも見る人もいて、それはkatsuとしての今後なんてものも興味を持ってくれるのね。ただ流石にブログには決まった話のみになるが、アトリエではオフレコの話も出来たりして・・・流れた、決まったの話に一喜一憂して貰えたりもするのね。

いずれにしても、この方は全て興味を持って下さるので、全力で話す事になるのね。0から1にする・・・こんな話は、大抵物事には2つの道があって、一つは伝統や格式のようなものがある方は、古典落語、歌舞伎、クラッシック、仏像彫刻・・・と言った分野で、そこには所作のようなものまであり

決まり事だらけなのね。ほぼそうじゃ無いといけない事ばかりで、図面、レシピ、楽譜と言った決まり通りに進んで行くスタイルと、正反対のオリジナルに分かれるのね。こちらは、新作落語、スーパー歌舞伎、木彫・・・みたいに、自分で考えるってスタイルになるのね。

んで、仮に俺にタイル屋になりたい・・・って教えて欲しい場合は、前者のようにある程度決まり事ありきで進むんだろうね。でも後者の場合、俺は別に習った訳じゃ無く、自己流なんで、経験値から指導するのね。その時にその人になって・・・って気分でね。

ここが難しいのね・・・例えば、心技体の心って部分はね、その日の気分で大きく変わるのね。気ね。目に見えない事は、中々難しいのね。それでも、そこを心療内科の箱庭療法的に考えれば、あぁいつもと違ったこんな色を使った・・・とか、根気が短いとか、その人の作品に反映されるのね。

いつもよりも慌てていたり、逆に進まなかったり・・・それが安定感が出て来ると、気で余り変わらなくなって、いつも通りを続けるなんて領域に入って来るのね。そこまで来ると、ほぼ教えると言うよりは相談相手程度になるのね。聞き方がこれとこれについては想像付くんだけれど、他には?

みたいに試して来るような・・・自分の考え方に無いものはあるか?みたいにね。それが先日の高洲ならキウイやタピオカ位になると、そのレベルなんで、裾野を広げるような提案が無ければ、どっちかを選ぶんだろうね。だから、使われない前提で、3番目以降のアイデアを何個か出す事が俺の役目。

あの位になると、もしかすると、3つ4つ持っているかも知れないし・・・だから手強いのね。こっちとしては、それもこれも持っているのかぁ・・・って中で、トリッキーなのを考えないとならないかも知れないし、意外と王道なの残っていた・・・なんて事も、稀にあったりもする。

こうした話はオリジナルを作るには、良い練習でね、やって見ないと判らない・・・では無くて、やる前から想像が出来るって話になるのね。そうした中から、これ・・・って始める時に、やって見たら、あぁこんな所に難しさがあったのかぁ・・・みたいな時に、やって見ないと判らないな・・って

話な訳で・・・良くあるやって見ないと判らないって言う話とは、大きく違うのね。いずれにせよ、こんな話が教室として成立する人だったりするのね・・・この方は。そんな中、ここが難しくて、でも今日は進みたい気分だから・・・こっちにしましたって。それよ、それなのね。

気付きってそれなのね。難しい所が判って、でも自分の気持ちが今日は進みたい・・・あっちこっち手を付けて・・・なんて人は、これを終えてからこれ・・・みたいな考え方になり、問題を1問目から順番にやる考え方だったりする。そして、5問目にえっと・・・えっと・・・なんだったっけ?

って時間を取ったりするのだけれど、ハイ飛ばして6問目・・・みたいに判断の早さで、次々って考え方もあったりするし、将棋のようにここはじっくり・・・と時間を取っても考える・・・って事だったり、それを自分の気持ちと折り合いを付けて、方針を決めるなんて・・・お見事なのね。

そもそも切る張るなんて技術は、この作品が終わる頃にはある程度身に付いているはずなのね。じゃ足りないのは?考えるって目に見えない事だったりするのね。もし考える事を捨てるのなら、この作品の後は、また何か写真を見つけて真似をすると良いのね。そしたら今より上手く切れるはず。

でももしオリジナルを作るとしたら?いくら切る張る技術が向上しても、考える事を怠っていれば、そんな上手くなってから、また1から考える教室を始めないとならなくなるのね・・・でも切る張ると平行に考えるって話に慣れれば、考え方は自然と身に付くのね・・・ただのお茶飲み話でもね。

自分はこう思う・・・とね。ただそう思っても、それには見えないな・・・って言う事の繰り返しが大事で、押し通すなら聞くまでも無いし、聞くって事は必ずしもそれが通るとは限らないのね。大事なのは、まずは伝わるか伝わらないか?なのね。別に良いじゃんの人は、聞くまでも無いでしょ?

なら一人で進めば良いのね。それをここにいる人達は、腕利きだったり、目の良い人達がいたりするのね。その目を判断材料にも出来るなんて話になると、非常に恵まれていると思うのね。何しろ裾野は広がるのだから・・・でも自分の中に無かったものは違和感だったりもする。

その違和感は良くも悪くも無かった事・・・そうやってワクチンを作る事が出来ると、自分の成長にも繋がったりもする。何しろ予定調和は安心安全、気分も良いが、進歩は一切無い。それは馴れ合いにもなるし、楽にもなる。良い事と悪い事は常に背中合わせだったりする。

冒険、チャレンジ・・・こんな事は、予定調和、保守、古典、・・・こんな中には中々無くて、自分の性格が保守か革新か?で指導は大きく変わるし、何を望むかでも、1回切りの体験だったり、大作だったりでも、これもまた大きく変わって来る。いずれにせよ、新しい事はワクチンに繋がるのね。

だから、知らない話は何でも刺激になるのね。こっちはこっちで勉強させて貰っているのね。毎回、毎回。


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高洲のサークルと中学生教室

2023-06-22 03:50:23 | 高州のサークル

今日は久しぶりに高洲公民館でのサークル。しばらくここでは無い所でやっていたのね。では早速お母さんから。ここは何も心配要らないんだけれど、ちょっとだけ言うのなら、お花を作るって言うのは、タイルを切る時に直線ラインを無くす事がコツなのね。何しろ植物に直線って言うのは、

似合わないのね。ただ厄介なのは、意識としてお絵描きタイルはなるべく切らない・・・って思いたくなるのね。ただここが考え所で、切らずにスマートなラインにはならないし、でもなるべく切らない・・・完全に相反するのね。その時になるべくって・・・どんな感じ?

このニュアンスを自分なりの解釈を具体的にすれば、判りやすいんだけれど・・・それを例えば、お絵描きタイルを全方向切らないとか、二方だけとか、そんな決まりを作る事で、そのある一定ルールが何となくでは無くなる事で、適当さ加減が変わって来ると思うのね。

それをその都度となると、切る事が得意になって来た人は、きちんと切りたくなるし、逆に得意を超えちゃった人は、なるべく切らない意識が強すぎて、なるべくを取って、切らない色が強くなってしまうのね。ではキウイ。

ここは全く放置でも問題無く、まず切る事に一切心配が要らない。その上、ぺきぺきだから、徹底的に好きな形に切れる。一切心配が要らない人が徹底的に切れるぺきぺき・・・全く問題が無い理由はそこ。これがもしお絵描きタイルなら、なるべく切らない・・・ってニュアンスに困るかも知れないから、もしかするとお母さんと同じ悩みが起こるかも知れないのね。ではタピオカ。

本人も言ってたけれど、髪のガラスが終盤になったせいもあり、雰囲気が出て来た・・・って。全くその通りなのね。そしてこう言う下絵がある作品って言うのは、楽譜だレシピだ図面だって側のスタイルで、そっくりに・・・って意識を持つ。その時に、素材の選択で難しさは大きく変わるのね。

例えば、ぺきぺきだと色数が極端に少ないから、グラデーションなんて事は難しい。しかしながら、タイルが大きい分、ステンドっぽい雰囲気にはなる。ただステンドはマーブルと言った混ぜこぜな色合いがあって、とても高級に見えるのね。それからすると、とてもチープな感じになる。

ただ逆に可愛い雰囲気は中々のもので、ステンドには出せなかったりするのね。それが1cmタイルとなると、それを切るのだから、数ミリ単位のパーツになるから、とても大変さが増すのね。そして硬さも増すから更に大変。しかしぺきぺきと違って色数は多く、照りもあり、雰囲気がある。

そして高級感と言うのなら、やはりガラスタイルは中々なんだけれど、非常に切る事が難しく、繊細さには限界もある。その点を縁取りには1cmタイルを使って、中身をガラスタイルで・・・ってタピオカの作品は、完成度は高く、しかもかなりの繊細さ、そして本物に似ている・・・。

それがキウイはぺきぺきとは言え、やはり繊細さが高級感すら感じる完成度に繋がっていて、二人共にかなりの達者な事が伺えるのね。そしてお母さんにしても、なるべく切らない・・・なんて、腕を封印されてしまいそうなタイルで、この雰囲気を保つって言うのは、中々のつわ者感があるのね。

そして最後はキョンキョン。

新作で、ウエルカムボードを始めたんだけれど、ここからは判らないけれど、立ち上がりの側面にも六角形のタイルが張ってあるのね。まずタイルを張るって言うのと、タイルを切るって2つを比較した時に、普通意識無く、張る事を下に見る傾向があるのね。その最たる例が、後は切るだけって言う?そうは言わないのね。でも後は張るだけ・・・って言いがちなのね。

その無意識の意識が、大きければ大きいほど、そのダメージは大きいのね。何故なら、後は張るだけ・・・・そんな意識は、簡単って感じにも思っているから、戸惑えば、気が付いた時には、変な汗が出て来るのね。舐めてしまった分ね。ただそんな事の無いように隣に座っていたのね。

更に難易度が増すのは、四角いタイルだとしても、立ち上がりを合わせる・・・って言うのは難しいのに、六角形・・・そうね、俺もやった事は無いなぁ・・・。ただ理屈は一緒なのね。では何処から張るか?となると、側面からなんだけれど、側面の何処から?となると、上下の平では無くて、

左右のどちらかの角度のキツイ所から張るのね。理由は、上下平らな部分は目地幅を好きな分取れるのね。適当な好みにね。でも左右の角度のキツイ部分は、キツイ分、目地幅が広くなりがちなのね。しかも上下の緩やかな部分を目地幅を狭くすれば、パックリと左右の目地幅が広がったようになり

一定の目地幅には見えずに美しくないのね。しかもそれだけで無く、側面の立ち上がりのままに上のタイルを張る事になるのに、適当にやると、目地幅が合わなくなり、ずれて行くのね。そもそも張る事が簡単ならタイル屋ってほとんど張るだけになるのね。だから簡単なはずは無いのね。

ただこんな事を踏まえると、結構へこたれたりするもんなんだけれど、難しいぃぃと言いつつ、何とか乗り切ったし、まずは第一関門突破って感じ。これで次回文字って事になるんだけれど、そこを1cmタイルの紺でやるって決まっているんだけれど、じゃどう切る?

その時にキウイやタピオカは、文字のコピーを見て、しっかり感じる・・・って事が出来るのね。その答えが、お洒落な文字だから・・・と感じれば、羊羹のように細長く切るし、可愛くするって言うのなら、四角く切るだろうし、まずはどんな雰囲気?って事を決める事なのね。

この意識って点は、モザイクの技術とは一切関係の無い話で、技術では無く、あくまで意識の問題だから、この後の夕方からの中学生でも同じ話になるのね。そしてそれがオリジナルって話になるのね。それが考える・・・って構想の話。そんなこんなで、その後夕方から中学生教室。

そうね、こっちはオリジナルの大作って事になるから、ウエルカムボードの大きさでは無い分、考えるって構想がとんでも無く増えるのね。その時に直接表現なら、僕は人間になるんだけれど、吾輩は猫である・・・となると、比喩となり、猫になる。そこが難しくなるのね。

その時に淡く明るい色を使えば、若葉なんて言葉は読んで字の如しだから、若い自分に見えるし、渋い色を使えば年配にも見えるだろうから、未来の自分の比喩にもなるかも知れない。そんな事を踏まえて、テーマを決めて、テーマに沿ったモチーフを入れて行くべきで、何となく好きだから・・・

と加えると、内容がチープになる。勿論そのチープが小物であるなら、可愛くも見えるし、ポップにも見えるし、場合に寄っては、カジュアルなんて事にも繋がるかも知れないのね。ただもし、格式とか伝統とか、フォーマル側にしたいのなら、常に意味のあるモチーフを入れると良いのね。

まだ日は浅いけれど、この会話の仕方に慣れて来ているようで、ニュアンスって微妙なやり取りが上手くなって来ているのね。その初歩が不慣れな関係性なんだから、表情に出すとか、ん・・・とか、えっと・・・だけでも、完全な納得では無いな・・・って伺えるし、言葉が無くとも違和感だけは

伝わるし、笑顔とは言わずとも、明るい表情は近寄ったって感じには思えたりもするし・・・何しろ良い夏にしてあげたいものである。


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何かねぇ・・・

2023-06-21 07:49:29 | 休み?

先日、さくらが来た時に、さくらのお父さんが亡くなった事を聞いた・・・それをキウイも聞いたので、どうする?って事になり、でもさくらの都合もあるだろうし、お通夜やお葬式に出る話でも無く・・・色々と相談した結果、今夜キウイと伺う事になったのね。

そんな訳で朝、お花を頼みに行ったのね・・・花瓶の必要の無いようにアレンジしてと・・・。その足で中学生の下地の材料を買いにコーナンに。ただ流石に人の家に伺うのに、下地を彫ってホコリだらけに・・・って訳には行かないから、アトリエで時間を持て余したりしていて・・・。

一応やるべき事は・・・と、今後の材料の手配だったり、予定だったり、あれこれ考える事はあって、ただ行動に移すと、汚れる事ばかりなんで、準備だけして時間が経つのを待っていたんだけれど、こんな時の時間って言うのは、何か考えないように・・・って時間にしたいのね。

それは、明日は我が身だから。お互いに年老いた両親を持てば、必ずその日が来る。感受性が豊かって言うのは、あれこれと考えてしまう・・・自分の両親の事もそうだが、当然さくらの事、せがれの事、そしてお母さん・・・そして今後の人生・・・これから起こり得る事・・・あれこれ。

そんな事を一通り考えた上で、一体俺はさくらに何が出来る?・・・でもこれは俺ファーストの考え方であって、さくらファーストが同じとは限らない。とは言っても、聞いた所で素直にこうして欲しいとも言わないだろうし・・・まぁ弟子って言うのは中々面倒なお付き合いだったりする。

こう言うと、勘違いする人がいるが、面倒なんて表現を悪く取る事が一般的には多いのね。しかし、良い人ね・・・なんてのが、本当は一番最悪な表現であって、良い人って言葉の響きこそ良いが、それは自分に取って都合の良い人の事であって、ある意味、俺には奴隷って言葉にも思えるのね。

例えば使い方としては、一体どんな時に、どんな事になると、良い人ね・・・と言いたくなるか?って言うと、あの人は何でも断らずにやってくれるし・・・とか、自分の都合を満たしてくれる人。では逆に面倒なんて言うと、良い人とは対局に聞こえたりするから、厄介な人とも言える。

所が厄介な人って言うのは、何故厄介か?となると、何かこっちにも都合があるのに、ごめんね・・・とは断れない大事な人だからであって、このまま帰したくないと思うからであって、そうなると、何としても・・・と自分に不都合が生まれたとしても・・・になったりする。だから厄介なのね。

これが逆に良い人って言うのは、自分の都合の良い人だから、ごめんね・・・今度ね、といとも簡単にたった4文字で片付けられる。こう言う考え方だったりすれば、厄介な人がおわかりになると思うのね。勿論、押し付けるつもりは無いから、お好きな解釈で結構なのね。

まぁ簡単に断れるか?断れないか?の違いとでも言うのかな。そう考えたら伝わるかな・・・そんな気分。いずれにしても、そんな1日。


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