今日は昨日のラフをキチンと原寸大に描き替え。これが良くある話で、ラフの時は小さい絵なんで、丁度良いと思って描いて見るものの、拡大すると、物足りなかったり、曲がって見えたり、気になる事が出て来るのね。だからそんな事の補正。
まぁね、これが美大でも出ていたり、パソコンが得意なんて事なら、手描きでも機械でも補正は簡単なんだろうが、こっちは叩き上げの何の指導も無しの自己流・・・まぁ毎回、下絵には苦労するもんで・・・。ここさえ何とかクリアーすれば、
モザイクになれば何とか・・・。こんな事は普通だと思うんだけど、中々理解して貰えない事もあって、例えばオリンピックの複合なんて競技がそれで、ジャンプとクロスカントリーの2つの競技が合体って事になると、両方上手い人って何人?
普通はどっちかが苦手で、何とかそれでも悪く無く逃げ切れれば、得意な方で逃げ切るって戦法は普通なんだけれど、下地にしても、絵にしても、全部モザイク扱いされてもねぇ・・・こっちも毎回必死なのね。得意では無いから・・・。
それと、先日のkatsuの仕事・・・って説明にしても、看板って言うのは、文字とデザインの美しさだったりするのね。つまりその人の為に作っているのでは無くて、それが誰だろうが、何だろうが関係が無いのね。ただの看板だから。
だからもっとえぐみを出して説明するなら、牛や豚をさばくんでは無くて、肉をさばいているのね。だから大根やニンジンと一緒の扱いで切れる。所がひとたび殺している・・・って意識を持てば、毎回、毎回気持ちの入れ方が違うのね。
だから名のある料理人は、命を頂きます・・・って意味の、いただきます・・・ってセリフになるもので、当然重みがある。更にその人の料理が、シャカシャカとか、チャッチャとって出て来る訳も無く、そんな言葉は出て来ない。
つまり看板を普通の看板屋さんのように作るのなら、言われたまま、予定調和で作るからね何も困る事無く、何を頼んでもいつも通りに、こなす・・・そう、こなすが適切な表現だろうね。所があなたの為だけに・・・って言うのは、もう
その作り方は二度と出来ないし、他の人へ作っても単なる好みが合う場合もあるだろうが、思い入れとしての格段の差が無いと、1点物の価値が下がる。まぁ簡単な話、素敵だから・・・って久松小の校章だけすげ替えれば、何処の小学校も
使い回し利くね・・・って言うのが、吊るしの作品。こう言うスタイルは100均から始まり、コナカや青山のスーツやみたいな感覚ね。勿論、それを否定もしないし、それも作る事もある。ただ1点物は作り方が違うのね。
でもオーダーメイドの作品って言うのは、品物じゃ無いのね。作品な訳なのね。全く重みが違うのね。この看板の意味から始まり、何故、どうして・・・そんなの家族なら誰でも知っているような事を知らずに作れるのは、他人の感覚で作るからなのね。
でももし、仕出し弁当だとしても、お母さんが忙しいからこれを持って行くのかな?とか、葬儀に頼まれたのか?とか、パーティーだとか、それぞれきっと違うのね。勿論、ホカホカ弁当でそんな事は出来る訳が無いけれど、1点物って言うのは、
それだけの付加価値が無いと、作り方が同じである訳が無いのね。例えば校歌を頼まれたとても、まっ川でも流れてりゃ、せせらいで・・・なんて入れときゃ良いやとか、それじゃ雲もなびかせるかみたいな感じなら、学校名と土地さえ
判れば、適当に出来るでょ?そうじゃ無いのね。その学校じゃ無いとダメ、使い回しは利かないのが1点物なのね。そんな事を踏まえての問診って言うのは、俺の知り得ない情報収集なのね。ほら、建築屋さんには関係無いでしょ?
精々、足の不自由な方がいるから手すりだ、スロープだって話位で・・・それだって、その位の情報があるか?無いか?で変わって来るし、最初に言えば金額だけで済むけれど、後から言われると、壊さなくても良い所を壊す事になったりする。
そんな事と一緒で、ただそれよりも浅く広く情報を集めて、ここに依頼者さんの大事なものを散りばめると、この看板は1点物になる。ここに描かれているものは、文字以外は全て消すつもりなのね・・・判る人だけに判るように。
まぁそうね、古文の時代からそうだけど、美しい文字が並んでいるだけで、ただの景色を浮かべても、それはそれで成立してしまうが、実は相手は決まっていて、私からあなたへ・・・って言うものが隠されている。そんな手法。
そうね、例えば、これは例えばね。そう聞こえるなら・・・水戸黄門の歌で、あぁ人生に涙ありをってのがあるんだけど、3番の歌詞に、最後の最後に、生きようよ・・・って歌詞があるのね。ただ全ての歌を聴いた後にその部分を聴くと
生きようよ・・・は意気揚々にも聴こえるのね。何しろ人生楽ありゃ苦もあるさ・・・で始まるんだから。勿論、これは俺の解釈だから、はぁ?って言うのも構わないし、おーって言う人もいるかも知れないのね。つまりこの考え方が好きって人には、この看板の持つ意味が判るだろうし、判らない人には、判んねぇだろうなぁ・・・。
ただお客さんから連絡が来て、気に入って貰ったようで、このまま進む事になったのね。通っちゃったのね。