今日はローラとキウイとさくら教室。ではまずローラから。イブシの金を使って、自宅で1cmタイルの6分の1程度の丸と、4分の1の棒・・・そんな大きさのパーツなんだけれど、切って始めて色々と判ったみたいなのね。
まずは丸と棒。どっちが難しいのか?って話から。これがついつい丸が難しいと思いがちなのね。所がその気持ちでやると、棒の難しさに痛い目に合うのね。それと丸と棒、どっちから始める?これも大きく変わって来るのね。どっちも一緒じゃん。
なんて思っていると、結構なダメージになるのね。こんな事を踏まえて、例えば丸からやったとすると、何度も言っているが、丸って言う言葉を聞いて、日本人ならどんな形ですか?って聞く人は何処にもいないのね。つまり形のイメージは誰でも
あったりする。しかもかなり具体的にね。その時に下絵が更にあるから、それと同じように・・・って意識を持てば、丸をより丸に・・・となり、ギザギザがあろうものなら、容赦なくツルンとさせたくなるのね。この時点で精度が良くなる方向の話になっているでしょ?
見なくても文章的にね。でもね、最初に言っているけれど、丸より棒の方が難しいって・・・。つまりこの時点で相当な質の良い丸を切った事になる。ならばそれに匹敵するそれ相応の棒パーツが必要になるって事になるよね?
じゃさっきと同じように文章にすると・・・もし万が一、丸の方が難しい前提でスタートしていると、後はバック・・・的に油断をする。そうなると、後は・・・って事なんだから、丸よりも時間が掛からない気持ちの前提で始める事になる。
そんな気持ちで本当は棒の方が難しいのにやれば、あれ?あれ?と失敗が続くと、心技体の心の部分が折れて行くのね。しかも、丸の時に何個失敗したか?って失敗の数と、簡単だと思った油断でやっている棒の失敗との比較での差を感じる事になる。
何故ならパーツ切りとして、切ってから張る・・・って繰り返す事と違って、切る、切る、切る・・・の繰返しは、進む前提で失敗が少ない場合は良いが、良い事と悪い事は背中合わせ・・・悪い事は失敗が永遠に続くかもってループになる。
そしていつしか、成功の数よりも失敗の数が上回り、しかも丸の時の失敗の数も上回る事になる。ただその失敗って言うのは何か?と言うと、途中で割れた・・・ってものだから、短くすれば使えるパーツでもある。つまりまだチャンスあり。
だから、小さい花にはまだまだ使えるって事で、失敗パーツってダメージを軽減出来るのね。しかし1本で欲しいってパーツになれば、また失敗パーツが増える・・・そこでこれはセーフって甘い事になる。じゃこれもセーフって・・・。
この時点で気が付けば良いけれど、何故簡単な方の棒でこんなに失敗しているのか?では無くて、棒の方が難しいんだ・・・って事なんだ・・・って判れば、後はバックの精神では切れないな・・・となれるけれど、大抵はここで折れる。
だから、私はまだ上手く無いから・・・とへんてこな事になるのね。違う違う、へたっぴではこんな丸の量産は出来ないのね。こう言う考え方は良くあるケースで、ちゃんと出来る事は認め、出来ないのは何故?って向き合おうとすれば、答えは意外と簡単な所にあったりするのね。
要するにまず棒は丸よりもステップアップした技術であって、簡単では無い事の自覚。だからイメージは丸のステージを撃破、次は第二段階の棒のステージにいざ出陣・・・みたいな感じ。これで気持ちや意識は大きく変わって来るでしょ?
そしたら今度は技術論。太さとしては1cmタイルの4分の1位の大きさだとしても、いきなり4分の1で切ろうとすれば、失敗の確立を上げたのは、自分がやっていて十分過ぎる位、失敗したんだよね?だとしたら、それでは無い考え方でチャレンジしないと・・・。
何でも実験は同じ失敗の繰返しでは、参考としての事例にはならないのね。つまり成功を見付けたいんだけれど、色々試さないと・・・つまり自分は一体何分の1の棒なら切れるのか?これこそが己を知るの原点なのね。
恐らくローラの実力であれば、3分の1ならかなりの確率で成功するだろうね。なら、その3分の1から4分の1の太さに切り直して行けば、今までは違った方法でチャレンジする事が出来るし、可能性は秘めているはずなのね。
所が仮に4分の1をいきなり最初に成功したとする・・・勿論まぐれなんだけれどね。そうなると、とことんそのやり方で進もうとするのね。でも失敗が続くと、今度はへたっぴなせいにする・・・そうじゃ無くて、まず改心。
丸よりも棒が難しいかったんだ・・・じゃ初心に返って慎重に・・・って。でもその心が無いと、あれ?あれ?って失敗が続くのね。だって心も改心無しで、技術も改正無しなのだから。これでは偶然待ちなんで確率は上がらないのね。
野村監督の言葉に意識が変われば行動が変わるって言うのがあって、まさにそれなのね。それともう一つあって、例えば眼の話で、まだ何も指導していない段階で、このパーツ太く無い?って言ったら、じゃこれとこれも・・・って見つけて、
見付けたって事は眼が良いのね。感じたのだから。これを言われても、えーダメなの?とか、どれが?って感じだと、違いが感じられないのだから、技術論まで必要が無くなるのね。それではいくら教えても身にならないのね。
そう言う点ではローラは感じられたのだから、眼は合っている。じゃ判断をミスっただけ。でもどうして判断をミスったか?は上記の理由からなのね。きっと。失敗が続いたから・・・判断を甘くしただけ。そうなると判ったんだから技術論。
それが、いきなり4分の1からスタートしない・・・これでいくらか確立が上がると思うのね。それと刃の入れ方。欲張らずに自分の切った音を聞けば、力んで無理矢理なのか?結果は伴わずとも音が自分に合っているか?を聞けば、きちんと
結果は後から付いて来るはずなのね。まぁ中々苦戦はしているものの、手ごたえはあるんじゃないのかな?ではキウイ。
今日はお休みの日として、お遊びね。ただ見た目の下地に騙されると、とんでもなく傷付く人はいるだろうね。まずは文字・・・9.5mmのタイルを恐らく9分の1近くの細かさで切っていると思われるのね・・・もしかしたらそれ以下かも。
こんな事したら、当然時間は掛かるし、しかもこの目地幅。もはやピッタリにしか見えない。見る人が見れば、可愛いでは無くて、凄い・・・って判るだろうね。それで猫。このスペースにバラを作るって・・・中々なのね。
でも普通ならそっちに目が行くんだけれど、きっとキウイ自体が難しいと思ったのは、この作品の中では眼だと思うのね。それ位、文字にもバラにも難しさを感じていないのね。文字は規定演技、バラは自由演技だけど、何度も作って慣れている。
でも眼は・・・ここで眼だって何回も色んなの作っているって思う人はいるだろうけれど、文字もバラも出来たって感覚なのね・・・でも眼は、ちょっと違うのね。何故なら、どんな眼が作りたい?ってはなしになると、ちょっと悪い感じって
・・・つまり表現として1ランク2ランク上であって、ただ両目を揃える・・・じゃないのね。バラに見えるとか、きちんと揃えるとかじゃなくて、ちょっと悪い眼ってね。俺のサンプルは結構悪い感じなのね。そのさじ加減表現の違い。
なのにサンプルは無し・・・こう言うのは単に簡単な体験用として使えるし、こうして上手くなった人の腕試しにもなるのね。これこそが個性の始まりみたいなもので、みんなと同じ下地でも、こうした技術によって見せ所を作るって練習。
時々やると良い勉強にもなるし、気分転換になるのね・・・大作作りばかりじゃ無くてね。そして最後にさくら。
珍しく近くに座ったら、色んな事が気になっちゃったんで1つだけ・・・例えば白の部分。同じようなパーツが揃っているのね。するとその日の調子で、きちんと切れる時と切れない時があるって言うのね。それってどんな気持ちで話している?
要するに安定感が無いんだ・・・って告白されているような感じがするのね。しかも言っている本人は、それがダメだと・・・そう思って話している。そうね、出来れば安定感を手にした方が技術とてしては安心安全だろうね。
でも自分でそれが出来ない・・・って言っているのだから、出来ていないんだろうね。じゃ質問なんだけれど、安定感を手にして何を作りたいのかな?・・・そしてその安定したパーツをどうしたいのかな?それが言えないと、意味が無いのね。
そもそも安定感があると良いのは、ローラの作品みたいな模様の場合、同じ模様の繰り返しなのに、でぷっちょや痩せているパーツよりも、キウイの文字のように揃った方が綺麗だから、そんな場合は安定感が必要なんで、ローラの指導は、
同じ事の繰返しであって、きちんと取り締まる眼ね・・・と言う事になる。でもさくらの場合、模様じゃ無くて生き物。そんな場合、羽根は部位で違って来るのね。つまり揃える必要は一切無いのね。それよりも様ざまで大いに結構なのね。
勿論、リピータ―さんで犬を作っている人がいるけれど、その場合は、以前作って間が空いて、また始めたから、以前揃えたパーツで作っていたから、それをキープした方が安定していて綺麗って事で仕上げているのだけれど、さくらの場合
それとも違うのね。要するに何を作っているのか?によって、その人その人で作り方や指導は変わって来る。だから桜の場合なら、今日はここをやる・・・じゃ無くて、今日の調子はどう?なのね。それで太くしか切れないって日なら、調子の
良かった時のパーツを張るだけにすれば良いし、切るだけの日とか、張るだけの日とか、工夫をすれば良いだけなのね。何もいつもいつも同じように・・・ってする事は無いのね。例えば、野球で走攻守って言う言葉があるけれど、
そりゃ理想は、走って打って守って・・・って揃えば理想だけど、代打って打つ専門だったり、代走って走る専門だったり、守り専門の人だっている。みんな同じじゃ無いのね。だから自分に出来る事探しで良いと思うのね。
それを今日は出来なかった・・・と嘆くなら、出来る事は何?って言うのもね。勿論、仕事場や生きる環境って言う場所ではそう上手くは行かないかも知れないけれど、自分の作品位、もっと自由に縛られなくても良いんじゃないのかな?
しかも縛っているのは自分・・・・見ている方もきついわ・・・ただ、最後まで終われば、きっと結果は付いて来るだろうけどね。