今日は午前午後とお教室だったんだけれど、キャンセルがあって、午後からキウイ教室。まぁそうなると、先日の作品の話になる。これは言われればとても単純な話だけれど、後は受け入れらるかどうか?になる。
例えばこんな例え話は、ブログの常連さんなら何度と無く聞いた話だろうけれど、モンタージュの関係と似ているのね。モンタージュって言うのは、絵を描くのが上手い警察の人と、犯人らしき人を見た人って登場人物がいる。
つまりモザイクの上手いキウイと、それを頼んだ人・・・まぁいつもの俺なのね。依頼された俺と、お客さん。別に作品依頼の作家katsuだろうが、下地依頼の先生katsuだろうが、どれも一緒の話で・・・その時に依頼した人が上手ければ、自分で
やれる事になる。つまり画家なら自分でモンタージュの絵をこんな感じです・・・って描けるが、相手に伝えないとならないし、描き手はそれを読み取らなければならない。その時にこれが犯人です・・・って写真があると、似させられる。
勿論、腕があれば・・。ただこれがデッサンのように色なしと、色ありとでは意味が変わって来る。何故なら、モザイクは混ぜられないから、自由に色は作れない。だからある色の中での制作になる。つまり色には限界があるから、上手くなる
って言う事に直結して来るのは、何処まで繊細に切れるか?って事になり、その繊細に切ったパーツを何処まで繊細に並べられるか?みたいに連動して来たりする。・・・ってこんな話は当たり前で詰まんないだろうから、もっと掘り下げると、
モンタージュの場合、ぶっちゃけ大体なのね。何しろ見た人は自信が無いし、描き手はこうですか?こうですか?と探っている訳で・・・ただ何と無くでも似ていたりすると、それを見た人が想像で、似ている奴がいるんだけれど・・・と、
言う場合もあるだろうし、もっと言えば、犯人に見た人がいるよ・・・と言うアピールする事で、安心をさせないって効果があると思うのね。でもそこには賃金も発生しないんで、常にやり取りは成立してしまうと思うのね・・・。
これが賃金の発生する場合、こだわりが強ければ強い程、向き合う時間が少なかったり、色は混ぜられないからこの色の中で・・・って話を理解されないと、似ていない・・・なんて事になったりするもので。まぁ似ている似ていないなんて
事の場合は、ある意味そっくりは無理です・・・って話をしているし、仮に似ていると褒められたとしても、オリジナルとしての作品としては、見せ所はバックしか無い感じになって来る。似ているだけならきっと他の人もやるだろうから。
じゃこう言うと、オリジナル作品として、全ての下絵を描いたとして、完全なオリジナルの1点モノになったとしても、その人の好みになるとは限らない。だからわざわざメイキングを毎日載せるのね。出来てからでは変更は無理だから。
しかしながら、そもそも依頼された時に、上手いから・・・と思って気に入って下さっての話であるけれど、・・・けれどね、自分が気に入ったものを作ってくれる・・・って思う場合と、どうなるんだろう?ワクワク・・・って感じとでは、
全く相反する結果になる。まず前者の場合は、自分が気に入ったものにより近い・・・となるだろうから、単純に色が違うって事が発生する。つまりもうそっくりにならないのね。じゃ無いなら仕方無いになる。既に最高にはならなくなった
・・・次は顔なんかの場合に、絵画と違って目地のセンが入る。それを美術館ならここで見て・・・の距離感のルールがあるんだけれど、どうしても近くで見ようとすると、何か変みたいに見えたりすると、もう無理だろうね・・・。
しかも大金を支払うって思われているから、モンタージュのような無料とは訳が違う。つまりこんな場合は、モザイクの良し悪しの前に、自分の思い通りにならなかった・・・って結果になってしまうのね。残念だけれど。
逆にワクワクさんの場合、どうなるんだろう?・・・って期待が、おぉこうなったのかぁ・・・とか、まさかこうなるとは思わなかった・・・とか、その都度楽しんで貰えたりする。ただどちらの場合も、期待して依頼されたんだけれど・・・
でも、残念ながら前者の場合、どんなに頑張っても、その人の思う結果にはならない。何故なら、その良し悪しの判定が自分が気に入ったか?気に入らないか?だから。だから、似ているか?似ていないか?の作品の依頼は受けないようにしている
のね。お互いに傷付くからね。だから俺はなるべくお客さんをワクワクさんだったら良いな・・・と思ったりもする。勿論、それだって、単純に似ているか?似ていないか?の仕事なら、お断りすれば簡単だが、そうで無くてもそんな事が起こったりもする。
その例が先日のキウイの小物作品にも該当した。マークは決まっている。つまりその通りに切れば良いだけ。ならキウイが切れないはずは無く、なら問題になるのは色。そっくりは無理なんだけれど・・・は、さっき説明した・・・。
ここが既に無理な場合、その先に進めば進むほど遠のいて行く・・・ただ残念ながら、モザイクの完成度は高くなるのに。何故なら、キウイがモザイク画が上手いから。規定演技として誰がやっても、ウチの生徒ならこの程度のマークを
出来無い人はいない。じゃキウイで無くても良くなる。って事は、個性を出す、腕を見せる、となるとバックになる。当然こうなるのも、先生katsuとしては判るし、見事な仕上がりだと思う。モザイクの仕上がりとしてはね。でも、好みか?
って言うと、相手の好みかどうか?なんて判らない。ただ上手い人だから起こった話で、下手なら後のバックはクラッシュで・・・となれば、何も考えずに入れるだけで済む。しかし、それならキウイが作ろうが作るまいが変わらない。
と言った所で、頼んだ人はそんな事は無いと言うだろうが、残念ながらもしクラッシュでやっていたら、キウイが作ったかどうか?は俺でも判らない・・・つまり誰も判断が出来ない事になる。しかもそこに価値は生まれない。
ただ出来ただけ。そうね、そろそろまとめに入ると、結果としては全て壊して作り直したのね。しかも終わらなかったし・・・正直頼んだ人の好みでは無く、このまま終わらせる事にはならないようだし、俺も壊させて貰ったのね。
半分の責任を背負わないと・・・。教えたんだし。ただお陰でいつもどんな事をしているか?って事を更に理解された事は、良かったし、いかに注文品って言うのは難しいか?って言うのも判っただろうし、勉強材料にはなったと思うのね。
ただ切ったり張ったり、自分の好みの作品では味わえない事だったから、えーって気持ちにはなったかも知れないけれど、本当に上手くなるって言う事は、こんな事があって当たり前で、楽しいだけでは限界がある。
悩んだり、苦しんだり、そんな事は普通は避けたい事だが、生みの苦しみなんて大抵こんな事の繰返しで、だから人から凄い作品だ・・・って言うのであって、簡単に真似が出来るようなら、人は凄いなんて言わないのね。
人がやらない事をやるって言うのは、常にこんな事が当たり前。だから趣味って言う人には、そこそこ上手いで十分って教えているし、本気って楽しいだけで乗り切れるものはそうは無い。だから責めてモチーフだけは好きに選べば・・って、
スタートにしてはいるが、それとて時に却下にするのは、腕が無いと仕上がりが悪いと時間とお金の無駄になるからであって、それでもなるべく一部だけでも、風味だけでも・・・と残してあげたい・・・と願ったりもする。
ただこう言うと、勘違いする人は、単純に可哀想とか、酷いとか、になりそうだけれど、良い事と悪い事は背中合わせ。自分の好みの作品だけ作っていたら、こんな事は無かっただけ。頼まれるって言うのは、最低でもそこそこは認められている前提。
しかも他流試合的なもので、自らでは無いが、たのもぉぉぉーって試合をしたんだから、こんな時もある。しかも俺のようにプロなら当たり前の事だけれど、アマチュアでそんな経験をした・・・あぁこう言うもんなんだな・・・って言うのは、経験値を上げた事になる。
そんなこんなで作った表札の仕込みは、今までよりも切って見た。それをキウイのと比較すれば、マークは規定演技。俺の花は自由演技。難易度は左程変わらないけれど、オリジナルって言うのはデザインも考えないとならない。
そこが大きな違い。そしてバックとなった時、キウイは規定演技。古典的な模様であって、俺のもありそうだけれども、切ったり切らなかったりして、ちょっと変えた、これでもオリジナル。やっている事は、切って張るって似ているけれど
こうして説明すると、違いはハッキリするが、相当ハイレベルの規定演技だったと思うのね。ただそうなったのも、上手いだけじゃ無くて、タダだったから。それで生きている仕事となると、こうも手間は掛けられなかったろうし・・・。
この程度の作品では中々金銭面の評価は厳しいだろうし・・・。けれど素人は趣味と言えるから、いくらでも手間を掛ける気なら掛けられる。しかも上手いと来たら、こうなるのも当然だったのね。だから凄くなった。
ただ主張し過ぎた感はあったかな・・・