今日はkameyaさん教室で4人。まずはモザイクを始めて3作目の人が1年以上掛かってようやく目地まで終わった大作なので、その方から・・・。
そうね、ここ数回、もう終わるでしょ?・・・終わらせなきゃ・・・とハッパを掛けていたんだけれど、中々終わらなくて・・・。
今日も朝から終わらせるよっ・・・・って目地の段取りをしてプレッシャーを掛けたのね・・・何故なら持ち越すとまた1か月完成が伸びるのと、実は知らず知らず意識せずに終わらない方向になってしまうからなのね・・・。例えば空のパーツを見るとかなり大きいものが張ってある。
それが終わろうとしている今はと言うと、下の地面のパーツは細く長くみたいなパーツで、数としては倍以上になっている。それをここ3回の間、もっと大きいパーツで良いんですよ・・・と声を何回も掛けているのに、逆にもっともっとって感じにこうなっているのね・・・・。
じゃこの方の心理ね。空の頃は大体こんな感じで・・・って切れるか?切れないか?判らない時は、余り制限をせずにこれ以上の大きいパーツはダメね・・・と言う許容範囲だったのに、終わろうとしている今は?と言うとそんなに細かくしないで・・・もっと大きく・・・って、全く逆になっている。
つまり上手く切れなかった時は、切れたから張りたい・・・って張る事を先行している考えだったのに、今はこだわりのパーツの形にならないと張れない・・・ってもはや止めないと、やり過ぎくらいになっている。つまり加減が無く最大限の力を使って進んでいるのね・・・・。
えっ、全力の何がダメなの?・・・それはこの1作は自分の作品であるのに、別の人と思われる人がまるでいるように、凄く上手い自分と手慣れない自分が
いるのね・・・じゃどうしてそう見えるか?・・・それは今の自分が上手くなったから。そんなの当たり前だし、そうじゃなきゃ困るだろうけれど、
上手くなったのに全力でこだわりのパーツを切り続ければ、良い事と悪い事は背中合わせで、自分で以前の自分と比較させて、違いの差をはっきりさせているようなものなのね・・・。それが証拠に目地が終わった作品を見た棟梁に、ここから初めて、ここで終わったって感じね・・・って批評されてた。
全くその通りなのね。ただ、これも逆も真なりと言うのなら、ここでの実力者の棟梁に今の自分のやった場所を見つけて貰えたのだから、はっきり進歩している腕を判って貰えたって事になる。ではどうしたら良かったか?って事になるだろうけれど、正解は無いのね。でもね、こんな2つの見解はある。
1つはこの作品の仕上がりのみを考えたのなら。それならそんなにはっきり腕の差を見せない為にも、何度も言っていたように、もっと大きいパーツを入れて、このパーツのグレードをキープしていれば、1つ1つのパーツの差のみで、大きさは空より少しだけ小さくするだけでも上手く見えたはず。
そうすれば、簡単には変化しているようには見えなかっただろうね。ではもう1つ。そっちはこの仕上がり。つまり今出来る事をこうしたら・・・と思う事を全力でやり続ける事で本人に自覚は無く、明らかに大変であろうパーツを切り続ける・・・時間を気にする事無く・・・果てしなく。
ここなのね。つまりこの方はもうこの果てしない作り方に慣れてしまったのね。それならもうそっちに行くのは簡単。むしろ終わらせるよ・・・ってハッパが必要なのね。何故なら進みたいでは無くて、終わらなくても仕方無い・・・って言う方に慣れてしまったから。
ここも良い事と悪い事は背中合わせで、良い事は気長になった。けれど悪い事は呑気になった。つまり空の時には慌てないでじっくり・・・って言われていたのに、今は終わらせるよ・・・って指導に変わっているって事。上手くなったって言うのは、教える側に厄介なのね・・・あはははは。
何せ頑固になるからね。ちょっとやそっとでは納得行かないのだから。ただ本人にそんな気持ちは全く無いんだけれど・・・。あはははは。ただ、ここには棟梁やおかみさんがいるから、そんな話をすれば苦笑いしてくれるのね・・・そう以前の自分もそうだったから。
それが個人レッスンなら、一生懸命やっているのに・・・・と何が何処が悪いの?って意固地にも思える態度になってしまう方もいらっしゃるのね。
それが先人達が生徒の目線で、私もそうだった・・・って言ってくれると、生徒同士の目線って意味でも受け入れやすい事にも繋がるのね。
まっどれもこれも良くある話なのね。それもこれもこだわり、葛藤し、良い作品が作りたい・・・って姿勢の中で起こっている事で、いかにそんな事になっている自分に気が付くか?なのね。そこが1つの分岐点にもなるのね。いずれにせよ、結果としては延長して目地まで終わった・・・のね。
後は額を作って終了。お疲れさまでした。良く頑張ったのね。では久しぶりのおかみさん。
こちらも終わったんだけれど、ほぼ体験教室の大きさ。終わった・・・って言うよりも、今の方以上に終わらないとダメでしょ?じゃ何故そんなに掛かるか?なのね。まずどうしてこの小物になったか?それは大作疲れ。だから遊びなのね。そうね、気分転換だろうね。
じゃそうだとして、文字も丁寧に当然だけれど出来ている。しかもトイレの場所何処ですか?って聞かれる・・・って事から、機能性も矢印を入れる事で備わった。更にこの小さなスペースにリボンまで作って、可愛さのトッピングまで付けた。じゃ後はバック。色も1色。ただクラッシュ・・・。
何の何処がおかみさん程の腕で困る事があるのだろうか?なのね。それは簡単でまずテンション。文字はきちんと切れる。上手いね。幅もしっかりしている。矢印は?小さなリボンは?って・・・ほら決まった形やデザインを考えなくても良い、何しろそれに見えるって事に何の問題も無い。
では色は1色、選べない・・・形も決まっていない・・・2つの難題がある。色の気分転換は出来ない、形はどんなの切れば良いの?と考えなければいけない・・・楽にならないってね。さっきの方なら、こんな狭いスペースにリボンを作ろうなんて考えないだろうね・・・なのに作っちゃう腕。
つまりまず気分なのね。何か素敵になるものを作っている訳じゃなく・・・ってね。それをどうして良いか?判らないって勘違いしているのね。じゃどうすれば良いか?って教えれば簡単なのね・・・それならただこんだけって指導ね。まずは気持ちを下げるな。下がっている自分に気が付く事。
その自覚を持ったのなら、技術としては、ほって置くとこんな細かいリボンを作る人なのだから細かい事には困らない。つまり細かくしちゃダメって意識を持つ。勝手に細かくしてしまうのだから大きくする意識を持つ・・・って教えちゃうでしょ?すると、どうなるか?って簡単で、
入り組んだ所は意識せずに細かいパーツになっちゃうじゃない・・・だけど広いスペースには大きいのを入れないと・・・先生に言われたからってね。違うのね・・そうじゃない。細かくなっても仕方無い・・・って思いがちの所にいかに大きなパーツを入れるか?を意識するか。
そして大きなスペースにいかに入り組んだ場所に入れた小さなパーツを入れられるか?なのね。それを意識して進めるって事なのね。そうすればお湯と水に分かれた風呂とか、水と油みたいに判れたりはしないのね。混ざるって事。
これがさっきの方は段々上手くなって行ったのだから、以前の自分と混ぜるのは無理。がしかし、おかみさんにもなると、この作品の中にそうそう差は付かない。ただそう言う事を意識しないと、文字やモチーフと比べると見劣りするクラッシュなんて事もあるのね。更に棟梁となると、
遊びの作品と言いつつ、十二支をまとめた作品を作っているのだけれど、出来ればただのクラッシュみたいな作り方は遊びと言えど嫌って難易度を上げて・・・と言いつつ、どうすれば良いんだろう?ってもはや自爆状態・・・・。
まぁきちんと自分の言った通りにやれば良いだけなんだけれどね。さてそれじゃとなると、ここも同じでね良く虎を見て欲しいのね。
目だの模様だの髭の穴だのきちんと狙って切った・・・じゃ残りの肌は?となった時、後はクラッシュでも良いじゃない?でも嫌らしいのね・・・。
つまりここはこうここはこうって決まった場所はおかみさんと一緒でとても上手い。けれど後は・・・って言う時にニュアンスとしてバック・・・みたいな気分になる。しかも棟梁も1色。判りやすいのね。そこをきちんと考える・・・何が出来るか?
そこでいつも言っている事を思い出す。単なるタイルを切るのでは無い。虎を作っている・・・って意識。単なるタイルを切るってスタイルは、初めての人がクラッシュってスタイルでやれば出来る・・・って場合で、虎を作るとは?毛並み・・・。けれどそんな事を言うと、棟梁ならどんな形?って
また決まった形を決めようとする。ここが大事で、真っすぐと曲がるって全く違うものだったり、必然と偶然って言う相反するもの。こうしたものを使い分けられるようになったら、曲がりながら真っすぐ・・・・みたいな3番目のテクニックがあると思うのね。必然と偶然のブレンドみたいなね。
どっちか・・・じゃなくてね。つまりこの虎の毛並みは偶然のような必然だったり、必然の偶然だったりするようなパーツの集合体なのね。
しかも今までそんなものは出て来ていないはず・・・そもそもこれを教えないで気が付かないと・・・ね。あはははは。それが自分で考えるなのね。
そもそも遊びなら失敗したって良いじゃない?なのにもがいて作っているのね。あはははは、それは本来大作の作り方なんじゃないの?それじゃ遊びにはならないわっ・・・・だもの楽じゃないから、辛くもなる。じゃ楽になるのならキャラクターでもクラッシュで作れば・・・って話。
デザインはしないで考えないで、似ているだけならコピーして下書き。後は流動的にクラッシュを色だけ選べば簡単なのね。それなら俺は指導はいらないし・・・・。まっある意味、教える事があるから先生出来るのかも知れないけれどね・・・でも切る張るの技術を得たのなら、考える事。
そして聞く時は、こんな事を考えたんだけれど?と1つ自分の考えを持って俺の提案と比較したり、答えは出なくても何をどう考えているか?を語れると、その言葉にある意味を見つけ出してこう?ってアドバイスも出来る。ただね、それはアトリエの個人レッスンの教え方であって団体ではね・・・
とは言え、ここは時間も長いから余裕があると言えばあるけれど・・・・。そして最後の方は。
自宅で教えていない場所もやっちゃったりしていたんだけれど、ここに来るようになって意識が変わったらしく、教わった事しかやらない・・・って、明らかに先生扱いして貰えるようになったのね・・・・あはははは。そもそも教えていない事をやれちゃうのなら、先生はいらないよね?
しかもそれでグレードが上がるのなら、単なる材料手配屋さんにしかならない。それでいて上手く行かなかったら、どうすれば良いですか?では、手遅れ・・・裸で寝ていて風ひいた・・・どうしたら良いですか?と薬を飲むのなら風邪をひかないようにするには?って習った事をした方が防止出来る。
それを理解してくれたようで・・・それなら指導が出来るから、自宅で失敗しないようなアドバイスも出来るのね。何しろ器用で自宅で時間なんかを沢山使ってしまったら、良い時は素晴らしく進むけれど、失敗してても押し通すだろうから、手遅れになる。
そう言う進む人は下山や立ち止まるって言う事が大事になる。そもそも進むよりも大事なのは・・・美しいですか?なのね。ある程度の切る張るの実力が付いた人はね。これが初めての人がそんな事を言ったら、時間内には終わらないから迷惑にもなる。あくまでルールは時間内。
それを連続で通う人になると、もはや時間はエンドレス・・・労作展のように期限が無いからね。まっ、いずれにしてもみんな上手くなったって話。