今日は相席教室だと思っていたら、どうやら俺の勘違いらしく、変更があったのを消していなかったみたいで相席の方が本人に連絡して確認してくれて、お一人の教室となったのね。そんな中、イージーミスで稚魚を全部ダメにしちゃったのね・・・・。人数が・・と思って移動の際、水草の入れ忘れ。
あのまま外に出せば良かったのに、風が強かったので寒いのは避けたい・・・と思ったのが失敗。まっでも5月初旬に大潮はあるし、何とかその時は・・・と思いつつ、お教室は午後からなんで、やる事は穂竜の目地よりも音の出る事・・・・そう販売も出来るような作品の下地。
もうどんな下地になるのか?は具体的に決まっていたし、昨日さくらとその銘木は買ってあるし、後はデザイン。ただそれも以前描いたものがあるので、時間が惜しいので拡大コピーして、すぐに彫る・・・・何しろ彫る。そんなこんなで夜には完成したのがこれ。

ヒョウモントカゲモドキの銘木鏡。そんなこんなでお教室になるのだけれど、しばらくすると、日高氏がやって来て・・・・。
アプリの話や、イベントの話やら、賑わって終わったんだけれど、何しろ切り慣れて来た花の量産なんで、話しながら・・・・でも、特に問題も無かったのね。これ良く俺もあるんだけれど、例えば今、デザインを考えながらやっている場所であったら、話をする余裕は無いから黙ってて・・・になる。
けれど、逆にただ切るだけ・・・・みたいな繰り返しは気が紛れるのね。同じ事の繰り返しって飽きる事もあるし、退屈にもなったりする。
その余裕みたいな時間が、逆に落とし穴になるのね・・・・。それが1人だと淡々とか粛々って言うのが得意な人とか、普段、人と接する事の多い人とか
みたいだと、1人が良いって人には無理だろうが、この余裕な慣れのような時間に、切りながら人と話せる時間に、いかにその人に次の展開を話して、どう思う?って意見を何個聞けるか?なのね・・・・例えば、冬に暖かい飲み物や長袖は聞かなくても普通に判るじゃない?
これが夏なら半袖に冷たいもの・・・なんて普通にそう感じるでしょ?大事なのはそんな質問にならない質問じゃなくて、微妙なさじ加減のような話。お花見の頃の3時過ぎは?・・・・どっち?みたいなね。要するにこんなやり取りをする事で人はそんな感じ方をするのかぁ?を何人も聞くと、
あぁ人はこんな感じなのかぁ・・・・と1人で考えている時よりも幅が広がる。つまりその切る事に余裕のある時に、切りながら次の展開のアイデアに繋がる事を聞きつつ、手は止めない・・・・これがオリジナルの進め方なのね。そもそも考える・・・生み出す・・・・オリジナルって言うのは、
椅子に座って机の前で腕を組んで考える事では無く、頭に考えなきゃ・・・を意識させてプレッシャーを掛けるのでも無く、それに繋がるような事を目に飛びこんできたものや、人から聞いた事だったり、五感で感じる事なのね。ほら、良くピピッと来た・・・なんてあるでしょ?
いかに感じ取れるか?なのね。オムライスだから、はいケチャップ・・・・みたいな予定調和や、能率効率みたいな考えもせずに当たり前に慣れになるのでは無くて、オリジナルを作るって言うのは、美の追求なのだから、いかに美しい事を考えるか?になるのだけれど、じゃハートってやるのは、
何もしないよりマシってだけで、考えたんじゃないのね。じゃオリジナルで2人の名前なんて言ってもありがち。しかも、その大きさにあった事をやらないと、読めなくなるしグチャグチャになるでしょ?じゃ口を狭くしたいのだから・・・ケーキのクリーム絞るあれで、口を細めに切ったら?
文字が細くなるかな・・・?いや先っぽにストローのような堅いものがないと、ヨロヨロした字になるかな?とか、そんな事が考えるなのね。ただこの場合の考える・・・は、作業の仕方の工夫であって、デザインの良し悪しじゃないし、オリジナルのデザインの美の話とは別の話。
あくまでデザインの美は、さっ今日からデザインの場所・・・なんて取り組み方では無理なのね。それじゃ結局何も出ないで時間が経つだけ。
いかに切っている最中に次の展開を膨らませる事が出来るか?なのね。その時に、例えばこの方の場合なら太陽が大きな空白だからそこが考える場所。
そこを太陽ってどんな感じ?って話になると、ギラギラしている・・・なんて言う人がいたとしたら?ギラギラってどんな形?みたいに掘り下げて行くのね。そうすると丸い形よりも尖っている感じになる。感じるとね・・・・つまりこれはギラギラから連想したもの。
ただここで間違えやすいのは、例えば尖がりは嫌いだし・・・とか削除してしまうと、一番似合っていたと思われる尖がりを削除してギラギラを探さないとならない。ただここで場合によると、その表現のギラギラって探していた事が根本的に間違っていたりもする事もあったりする。
こんな事の繰り返しが迷子になる原因。どうして良いか?判らないって場合ね。ただそれでも考えるって言うのは、違う、違う、違う・・・の繰り返しなら、消去法で探しているだけで、幸せの青い鳥の話みたいな感じで、ここにあるじゃん・・・・って気が付いたりする。
そうかと思うとイメージって言う言葉のはき違え。イメージって言うのは最初はボンヤリで良いのね。それを具体化し過ぎてしまうと、もう決まっている事ばかりで、何も曲げられないものばかりになるから、仮にそう見えない事が1つあったとしても、こだわりのものばかりだから削られる・・・
と考えたりする。そもそも大事なものを1つだけ持って、一つ食べ終えたら次・・・みたいなわんこ蕎麦的に進めれば、結果的に何杯?って話で、最初から初めて入る店でいつもの大きさ・・・・って言っても、どんな量か?は判らない。ただいつもは・・・って慣れで言っているだけ。
こう言うのでは無く、この見た事も無い、パスタみたいな異国の食べ物は俺どの位食べられるの?みたいな話なのね・・・オリジナルって。だって誰も判らないんだもの・・・・自分の事なんてね。それをあれもこれも食べたい・・・って満載にすれば、お腹いっぱいなのに食べないとならなくなる。
つまり果てしなく繰り返して切らないとならないデザインだったりしてね・・・・しかも必ず美味しいか?なんて言うのと同じで、それだけの労力を使って美しくなるか?でもあったりするからオリジナルは厄介なのね。しかも、満足するのは自分・・・なんて事だと益々怪しい。
つまり自分に甘ければ、まっ良いか・・・・と言えば良いし、逆に厳しければ、チェッ・・・となる。果てしなく厳しく苦しくなる。しかも、絶対良くなる保障が無いのがオリジナル。まっ何しろローマは1日にしてならず・・・って言うのね。ただ俺はここも掘り下げちゃう・・・。
ローマが1日な訳が無いのは考える必要も無い。じゃ俺のは?・・・・自分達の作品は?・・・・ほら、ローマなんて大きい規模にしなくても、生々しく1日にして簡単に出来るモザイクなんて、体験にしかないと思うのね・・・もし美を追求するのなら?
それをお手軽簡単を永遠に出来て、永遠に美しい・・・って楽しめる自分がいるのなら・・・それは別だけれどね。それだとしても、サンプルを真似して行くだけなら、何も考えなくて良いし、常にオリジナルはアイデア探し・・・・。何をどう見つけられるか?
その基本はやはり感じる事。そんな事を感じるようになると、色んなものがそう見えたりする。それを常に意識出来るようになったら、今度はそれを考えないようにする。まっこの辺まで来ると、楽しいだけのモザイクじゃないのね・・・・丘ってよりも山を越えないと・・・・。
まっ、こんな話だとつまらない教室・・・って感じに思えるが、日高氏がいて笑い声の無い事は無いのね。あはははは。知る人ぞ知るだけど・・・。
いずれにせよそう言う微妙な質問がいっぱい必要なのね・・・・個人レッスンとはね。そんな後は、穂竜の目地と鏡の取り付け。

最後はいつもやる気だけで乗り切る・・・・気持ちあるのみ。
あのまま外に出せば良かったのに、風が強かったので寒いのは避けたい・・・と思ったのが失敗。まっでも5月初旬に大潮はあるし、何とかその時は・・・と思いつつ、お教室は午後からなんで、やる事は穂竜の目地よりも音の出る事・・・・そう販売も出来るような作品の下地。
もうどんな下地になるのか?は具体的に決まっていたし、昨日さくらとその銘木は買ってあるし、後はデザイン。ただそれも以前描いたものがあるので、時間が惜しいので拡大コピーして、すぐに彫る・・・・何しろ彫る。そんなこんなで夜には完成したのがこれ。

ヒョウモントカゲモドキの銘木鏡。そんなこんなでお教室になるのだけれど、しばらくすると、日高氏がやって来て・・・・。
アプリの話や、イベントの話やら、賑わって終わったんだけれど、何しろ切り慣れて来た花の量産なんで、話しながら・・・・でも、特に問題も無かったのね。これ良く俺もあるんだけれど、例えば今、デザインを考えながらやっている場所であったら、話をする余裕は無いから黙ってて・・・になる。
けれど、逆にただ切るだけ・・・・みたいな繰り返しは気が紛れるのね。同じ事の繰り返しって飽きる事もあるし、退屈にもなったりする。
その余裕みたいな時間が、逆に落とし穴になるのね・・・・。それが1人だと淡々とか粛々って言うのが得意な人とか、普段、人と接する事の多い人とか
みたいだと、1人が良いって人には無理だろうが、この余裕な慣れのような時間に、切りながら人と話せる時間に、いかにその人に次の展開を話して、どう思う?って意見を何個聞けるか?なのね・・・・例えば、冬に暖かい飲み物や長袖は聞かなくても普通に判るじゃない?
これが夏なら半袖に冷たいもの・・・なんて普通にそう感じるでしょ?大事なのはそんな質問にならない質問じゃなくて、微妙なさじ加減のような話。お花見の頃の3時過ぎは?・・・・どっち?みたいなね。要するにこんなやり取りをする事で人はそんな感じ方をするのかぁ?を何人も聞くと、
あぁ人はこんな感じなのかぁ・・・・と1人で考えている時よりも幅が広がる。つまりその切る事に余裕のある時に、切りながら次の展開のアイデアに繋がる事を聞きつつ、手は止めない・・・・これがオリジナルの進め方なのね。そもそも考える・・・生み出す・・・・オリジナルって言うのは、
椅子に座って机の前で腕を組んで考える事では無く、頭に考えなきゃ・・・を意識させてプレッシャーを掛けるのでも無く、それに繋がるような事を目に飛びこんできたものや、人から聞いた事だったり、五感で感じる事なのね。ほら、良くピピッと来た・・・なんてあるでしょ?
いかに感じ取れるか?なのね。オムライスだから、はいケチャップ・・・・みたいな予定調和や、能率効率みたいな考えもせずに当たり前に慣れになるのでは無くて、オリジナルを作るって言うのは、美の追求なのだから、いかに美しい事を考えるか?になるのだけれど、じゃハートってやるのは、
何もしないよりマシってだけで、考えたんじゃないのね。じゃオリジナルで2人の名前なんて言ってもありがち。しかも、その大きさにあった事をやらないと、読めなくなるしグチャグチャになるでしょ?じゃ口を狭くしたいのだから・・・ケーキのクリーム絞るあれで、口を細めに切ったら?
文字が細くなるかな・・・?いや先っぽにストローのような堅いものがないと、ヨロヨロした字になるかな?とか、そんな事が考えるなのね。ただこの場合の考える・・・は、作業の仕方の工夫であって、デザインの良し悪しじゃないし、オリジナルのデザインの美の話とは別の話。
あくまでデザインの美は、さっ今日からデザインの場所・・・なんて取り組み方では無理なのね。それじゃ結局何も出ないで時間が経つだけ。
いかに切っている最中に次の展開を膨らませる事が出来るか?なのね。その時に、例えばこの方の場合なら太陽が大きな空白だからそこが考える場所。
そこを太陽ってどんな感じ?って話になると、ギラギラしている・・・なんて言う人がいたとしたら?ギラギラってどんな形?みたいに掘り下げて行くのね。そうすると丸い形よりも尖っている感じになる。感じるとね・・・・つまりこれはギラギラから連想したもの。
ただここで間違えやすいのは、例えば尖がりは嫌いだし・・・とか削除してしまうと、一番似合っていたと思われる尖がりを削除してギラギラを探さないとならない。ただここで場合によると、その表現のギラギラって探していた事が根本的に間違っていたりもする事もあったりする。
こんな事の繰り返しが迷子になる原因。どうして良いか?判らないって場合ね。ただそれでも考えるって言うのは、違う、違う、違う・・・の繰り返しなら、消去法で探しているだけで、幸せの青い鳥の話みたいな感じで、ここにあるじゃん・・・・って気が付いたりする。
そうかと思うとイメージって言う言葉のはき違え。イメージって言うのは最初はボンヤリで良いのね。それを具体化し過ぎてしまうと、もう決まっている事ばかりで、何も曲げられないものばかりになるから、仮にそう見えない事が1つあったとしても、こだわりのものばかりだから削られる・・・
と考えたりする。そもそも大事なものを1つだけ持って、一つ食べ終えたら次・・・みたいなわんこ蕎麦的に進めれば、結果的に何杯?って話で、最初から初めて入る店でいつもの大きさ・・・・って言っても、どんな量か?は判らない。ただいつもは・・・って慣れで言っているだけ。
こう言うのでは無く、この見た事も無い、パスタみたいな異国の食べ物は俺どの位食べられるの?みたいな話なのね・・・オリジナルって。だって誰も判らないんだもの・・・・自分の事なんてね。それをあれもこれも食べたい・・・って満載にすれば、お腹いっぱいなのに食べないとならなくなる。
つまり果てしなく繰り返して切らないとならないデザインだったりしてね・・・・しかも必ず美味しいか?なんて言うのと同じで、それだけの労力を使って美しくなるか?でもあったりするからオリジナルは厄介なのね。しかも、満足するのは自分・・・なんて事だと益々怪しい。
つまり自分に甘ければ、まっ良いか・・・・と言えば良いし、逆に厳しければ、チェッ・・・となる。果てしなく厳しく苦しくなる。しかも、絶対良くなる保障が無いのがオリジナル。まっ何しろローマは1日にしてならず・・・って言うのね。ただ俺はここも掘り下げちゃう・・・。
ローマが1日な訳が無いのは考える必要も無い。じゃ俺のは?・・・・自分達の作品は?・・・・ほら、ローマなんて大きい規模にしなくても、生々しく1日にして簡単に出来るモザイクなんて、体験にしかないと思うのね・・・もし美を追求するのなら?
それをお手軽簡単を永遠に出来て、永遠に美しい・・・って楽しめる自分がいるのなら・・・それは別だけれどね。それだとしても、サンプルを真似して行くだけなら、何も考えなくて良いし、常にオリジナルはアイデア探し・・・・。何をどう見つけられるか?
その基本はやはり感じる事。そんな事を感じるようになると、色んなものがそう見えたりする。それを常に意識出来るようになったら、今度はそれを考えないようにする。まっこの辺まで来ると、楽しいだけのモザイクじゃないのね・・・・丘ってよりも山を越えないと・・・・。
まっ、こんな話だとつまらない教室・・・って感じに思えるが、日高氏がいて笑い声の無い事は無いのね。あはははは。知る人ぞ知るだけど・・・。
いずれにせよそう言う微妙な質問がいっぱい必要なのね・・・・個人レッスンとはね。そんな後は、穂竜の目地と鏡の取り付け。

最後はいつもやる気だけで乗り切る・・・・気持ちあるのみ。