katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

高洲のサークルとぷっちとピエロの玄関

2024-11-21 07:14:42 | モザイクタイル教室

今日は高洲公民館でサークルの日。いつもと違って年末なんでみんな季節モノ。って事でお母さんから。何も心配無く、楽しむとはこう言う事の見本。

例えばこれは体験のような初めての人に向けての下地だったのね。つまり誰でも出来る・・・その下地を上級者の人が作ると・・・となった時に、初めての

人も楽しめるけど、上級者なら当たり前に楽しめると思いがちなのね。そうね、例えば、今の俺が野球も出来るし、書道も出来るし、何なら水泳も、

ベースだって弾ける・・・ただこれら全て出来るだけ。上手いとは言ってないのね。つまりプロの人達はお金を払っても見たいと思われる人達なのね。

つまり出来る、上手い、凄い、そしてお金を払ってでも・・・みたいに進級するものと思われるのね。人の評価的にはね。よちよち歩ければ歩けたのが、

数歩でも幼いとOKだし、ご年配でも出来たぁ〜って評価になる。それが上手ね・・・とか上手いじゃんに変わると、少し評価も上がって、そこそこになった

ように見える。それが凄いとなると、プロ顔負けとか、売れるんじゃない?とか、褒められるからウットリする・・・みたいな表現になり、いよいよ最後は

お金が貰えるようになる。それがプロで、そこにもレギュラーと二軍みたいな差はあり、更にメジャーとなれば、格が上になり、それを継続すると大御所に

なり、死ねば人が騒ぐ・・・まぁこんな感じね。そう言う評価で見た場合、お母さんはご年配の人、って事になれば、出来るだけで十分なのに、サークルの

人達の中にいても、全然見劣りしない・・・しかもグレードも全くね。つまり鉄人なのね。こんな人はモザイク人口って大きく広げてもそうはいないのね。

その人が遊んでる・・・そんな作品。そんな腕を持って楽しむ制作。そりゃ結果も良いし、悩まないし、このメンバーと一緒に作るのは楽しい。

これが例えば1人だけ年配で、何か作品も見劣りして、上手く行かなくて・・・って言うと、引け目を感じたり、何か話す内容もついて行けない・・・って、

感じなら楽しく無いでしょ?つまりモザイク教室に来たら、モザイクが上手くなれば、それだけで人が寄って来る。だって興味が湧くし見たくなるから。

そしたら勝手に弾む。でもいくら楽しく話していても、結果として全然進んでいなかったら、上手くならないし、それならお茶飲み友達を作ると良いのね。

腕を気にせず話せるから・・・。こうやって踏まえれば、いかに凄いか判るのね。だって本当はこんな遊びの作品じゃ無くて、あの作品を作る人なんだから。

じゃその娘ののりちゃん。

ぺきぺきだから、お母さんとはタイルが違うのね。ただそもそもみんな同じ理由なんだけれど、干支としてヘビが嫌い・・・だって気持ち悪いんだもん。って

・・・こうなると、いかに自分がヘビに見えないようにするか?になるのね。それが一番難しい所だったのね・・・下地を作る側としてね。普通はそのモチーフに見えるように・・・って、

作るもんでしょ?それなのに、見えると嫌なのね。だからいかにそう見せられるか?的な下地って・・・・だから体がちょっと分断して繋げるニョロニョロを

防いだような下地にしたんだけれど・・・そして始めるに当たって、ヘビの絵馬って調べると、白蛇は縁起物なんだろうね・・・絵馬のヘビは白が王道。

つまり普通って言うのならベースは白。そこで個性を出す為には、バニラのソフトクリームにトッピングでチョコを振りまくとか、ミント味のような、

淡い色合いを混ぜるとか・・・ただ必ずヘビにしないとならないから、目は入れる。その時に黒目が大きいと可愛いが、黒目が強調されると、ヘビ色が濃く

なるから、いかに目を目立たせないか?となると、目に負けない色をトッピングするとか、目を小さくして、淡い模様で薄味に仕上げるとか・・・って、そんな

アドバイス。それとプチのクローバーを持って来たのね。楽するって方向もあるからね。そしたらのりちゃんが最初、頭にも赤のプチクロ使おうとしたんで、

それは楽し過ぎぃぃ・・・そこは上級者としてプチッと見せないとって言ったらこうなったのね。流石なのね。見せ所を作る事・・・って一言でこれだからね。

ではキョンキョン。

掃除がバタバタと始まっちゃったんで、まだ終わっていないし、ひとまず撮っただけだから・・・だけど、お腹を作ってヘビを若干リアルにしたんだろうね。

同じプチクロを使っても、雰囲気を変えて来たのね。キョンキョンも中々上手くなって来たのね。しかものりちゃんと全く同じにしない所も個性を出しているし・・・

こう言う些細な事も大事で、隣を見て影響を受けても、それを真似する技術が無いと、見劣りするのは間違いないし、逆に腕があって真似をすると、上回る

事もあるが、それは切る張る技術であって、色合いやその位置や繊細なバランスと言った事が合致した上の話で、大体こんな感じかぁとか、付いてりゃ良いじゃん・・・

で真似出来るもんでも無いのね。見て影響されない・・・って言うのも難しいものなのね。ただキョンキョンから見たら、ここはみんな上手い人達だから、

誰に聞いても色んな事を色んな考え方で聞けるから、ある意味教えている側の俺でも勉強になったりするのね。それをどう聞くか?なのね。

取り入れられる事と、取り入れられない事があるからね。その時にパンチが足らないなぁ〜って思うのなら、薄味の人では無くて、濃い目な人の意見が聞きたいし、

パンチが強ければ、薄味の人の意見が聞きたくなる。でもノープランな人がみんなの意見を聞けば、個性的な場所なら十人十色になるし、何々派のような、

流派なら、それを真似すれば良いのね。まぁ今回のような一見簡単そうな下地って難しいものなのね・・・上級者にはね。例えばスノーマンは雪だるま。

普通は白いのね。ほら普通って言うのなら・・・これをじゃヘビは色んな色選べるじゃん・・・って人は単純で、作っているのはヘビじゃ無くて絵馬なのね。

常識とか普通って言うのは、そう言う事なのね。別に関係ないねって言うのは簡単だし、でもじゃそう作った時の差は何?って言うと、格式みたいな話ね。

ヘビを作るって人は、ピンクだろうが、青だろうが、好きにすりゃ良いのね。でも絵馬を作るって言うのは、年の始めに飾るもの・・・と考えたら、どーでも

良いって好きにするよりも、格式的な要素を入れないと、下品に成りがち。じゃ例えば成人式だとして、普通は女性は着物で男性はスーツとか、袴とか。

そもそも絶対数が多いのが普通だから。流石にGパンって人はいないと思うのね・・・来るからには。では晴れ着として何でも良いじゃんって言うのなら、

パリコレ的にさっそうとオートクチュールって言っても良いはずだよね・・・これがTPOって話でしょ?それをレッドカーペットを歩くのにスーツなら何でも?

まぁ恐らくコナカの人はいないだろうね。つまり絵馬を作る考え方と、ヘビを作る考え方では、仕上がる前から所作的な考え方が全く違うのね。

だから学校に作る・・・なんてもんは、格式や伝統を踏まえないと、ただの子供のお遊びになるし、労作展でもただの中学生の宿題じゃ無くて、慶応の・・・

になる。それが小学生でもピカソとなると、芸術のコピーだから、大体似てる・・・では見る側の甘さに頼る事になるし、それを超えれば小学生なのに・・

って評価になる。作る前のこんな気持ち1つで変わって来るし、逆に時間もお金も制約があるなら、じゃ風味で・・・って言えば、カニじゃ無くてカニカマで良いじゃん。

それを正月くらい・・・って言うのなら、格式になるし、カレーで良いじゃんって言うのなら、気取らなくてもGパンで出席すりゃ良いだけ。それも個性。

ただ個性を出すって言うのは、人と違ってしまうから、普通の中ではとても目立つし、みにくいアヒルの子になりやすいものなのね。そしてキウイ。

量産し始めた・・・質が良いから、俺にはこれがトヨタの車やケーキ屋さんにも見える・・・こんな時に、注意する事は、量産の色違いは、目や鼻の位置。

表情を変えずに色だけ変える。ハンを押したようにね。そうするとプレゼントをされる側としては、純粋に色だけで選べるのね。1つなら自分の自由で良いし、

相手の好みで作るも良し。でも量産って言うのは、どれも同じに見せるのが、上手く見せるコツだったりもするのね。同じ事を繰り返せるって言う事は、

自分の1つ目を手本にすると言う事は、1つ目にかなりの満足度が無いと、真似をしたくなくなるだろうし、どんどんと変えると、上手い人の是正になるから、

良くなる可能性は高いのね。ただ是正だけじゃ無くて、その変化をチャレンジとするのなら、変えた事が攻めるアイデアなら、変えなかった方が良かった。

なんて事もあったりするのね。だから量産は最初に良いグレードを時間が掛かっても作って置いて、後はそれを真似するだけ・・・の方が悩まず進めるのね。

そんな後は、昨日の父の薬を取りに行って、プチってピエロの玄関。

後少しで上部の文字が終わるのね・・・


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寅さん教室とピエロの玄関の側面開始

2024-11-17 01:38:59 | モザイクタイル教室

今日は午後から寅さん教室なんで、それまではキョンキョンの絵馬の下地を彫ってからの、実家でピエロの玄関の側面開始。

そうね、こうして見ると問題があるねぇ・・・気にはなって終わったくらいだから・・・。ただ直すか直さないか?は保留かな・・・。まぁいずれにせよ、

始まった・・・って事で。そんなこんなの寅さん教室。そうね、ブログにいつも言っているような事だから、全て読んでいれば何の問題も無いんだけれど。

例えば、病は気から。どんなに技術を会得しようと、心持ち1つでそんな技術なんて二束三文になる。だって簡単に心なんて折れるから・・・。

そもそも人なんてもろいものなのね。だってたった1年、365日の内に何日が絶好調で、何日が普通で、何日がへっぽこになる?これを死ぬまで繰り返すのね。

もっと言い換えれば、どんなにお金を持っていようが、へっぽこな日は、立て直す事が出来なければ、やる気なんて起きないもので。言い方を変えれば、

いかにそのへっぽこな日を少なく出来るか?になる。そもそも気分が良いなんて、ほっといても楽しい訳で・・・。勿論、体調が悪い・・・これは医者じゃ

無きゃ無理だけれど、気分なんて気の問題は、自分で解決出来るもんなのね。ただ一般的にはお金で解決出来る事は多いらしいのね。そうなると、今の俺では

無理だから、お金以外で立て直さないとならないのね。つまり先生としては、お金で解決出来ない人のアドバイスは出来ても、ある側の人の立て直しは難しい。

とは言え、それでも出来ないか?って言うと方法はあるのね。ただ説得力に欠けちゃうのね。それは成功者じゃ無いから。これが目に見えて成功だってなると、

信憑性が高くなるから、必然的に聞く耳が出来るのね。つまり今の俺の立ち位置で言えば、調子を崩している立て直しの場合なら、マイナスを0に戻す方法は

教える事が出来ると思うのね。例えば普通、一ヶ月に1回の場合なら、前回と今回を比較した場合、同じようであれば、悪いなりに同じなら、左程悪さは

変わっていない。だから悪いけど普通と考えられる。それがもし前回よりも良く見えたとする。その場合、この1ヶ月間の中に気分の良い事があった可能性がある。

その気分の良い事が、もし昨日の事なら、そりゃ生々しく楽しさを抱えて来た可能性が高いし、まずまず程度なら、ビックリする程の事では無いものの、

良い事があった・・・って感じになる。例えば旅行に行ったのと、映画を見たでは、楽しさの大きさが違うし、とは言え、その旅行が散々ならテンションは

下がるし、逆に映画が楽しくても、旅行が楽しかったら、それに勝てる楽しさにはならない。それを判断するのが車内の送迎で、俺は運転しているから、

想像するに声しか無いのね。この会話の声がトーンが高いと、楽しそうだし、低ければ何かあったのかな?と想像出来る。それを常連なら直接何かありましたか?

となるし、日が浅ければ、比較しようが無いから、普通に会話する事で様子を伺う事になるかも知れないし・・・その時に常連なら、その人の性格も加味し

その人がディフェンダーなのか?フォワードなのか?でリアクションだって変わって来るから、まずは声を聞き逃さない事になる。そしてアトリエで今度は視覚

で確認となり、聴覚、視覚と2度その人を確認する事が出来る。更に物作りはその人自身なんて言うのだから、作る所作や切ったパーツなどを見れば、

行動が比較出来るのね。前回張ったよりも粗いのか?同じなのか?繊細なのか?それもキチンと見ないと、同じ難しさと向き合っているのか?そうで無いのか?

で比較しないと、ただ難しい事をしていた・・・では比較にならない。そもそも接客をする仕事なら、この程度は普通で人と向き合う仕事な訳で・・・。

それをタイル屋なら、接客って程向き合う事は無く、向き合うのは仕事をくれた大工さんや不動産屋さんだから、親しくなれば職人程度の丁寧語、尊敬語、

謙譲語程度で何とかなり、それよりもそこそこの腕と、そこそこな金額で、三河屋さんみたいなスピーディさが要求されるし、上手い腕なら、凄い腕なら子供でも判る、高くて当たり前って感じで済む。

これは接客で比較しているだけで、仕事って言うのは、会社に務めるのと、自営に分かれる。会社は務められれば、与えられた事をこなして行く。つまりその

部署で何をするか決まる。営業なら人と向き合うばかりで、それを自分の性格、つまりフォワードのエゴ的押し付けでグイグイ行くのか?それとも、引く

ディフェンダーなら、何かあったらよろしくお願いします・・・とアピールだけをして待つのか?とスタイルは変わる。いちいち断られて沈んでいたら、

体はいくつあっても足りないし、心がいちいちポッキリしていては、向いて無いだろうね。それではディフェンダー的仕事なら、毎日仕事を取りに行く訳では

無い事務なら、毎日知らない人と向き合う事は無いし、与えられた事務をコツコツ終わらせる仕事になるが、同じ部署の同じ人と向き合うのだから、能力のある無しで

比較され、毎日大奥のような場所でどう生きるか?みたいになる。ではそれ以外となると生産となると、工場で働く・・・体を動かす事になると、毎日同じ事の

繰り返しなんで、こけし職人じゃ無いが、毎日反復になる。ただ人と話すのは休憩くらいだから、向き合う事は少ないから、大きな失敗をしない限り、

向き合う時間は少なくて済むが、事務と同じように同じ人の群れの中で仕事をする事になる。しかも今度は数字のミスでは無く、もっと大きな目に見える

ミスがとがめられる可能性がある。何しろ流れ作業なら、人と連動してしまうから、ミスは全体に広がる。これが会社の考えられるリスクなら、今度はそれとは全く逆になる自営サイドの仕事。まぁ俺のような父と同じ職業なら

そのまま引き継ぐのが2代目になるが、俺はそのまま継いでいないから、タイル屋は引き継いだけれど、お客さんは自力だったが、普通なら訓練所のような

場所や、セミナーみたいな所で勉強するんだろうね。ただここに落とし穴があって、何度も言うが最初に覚悟がある場合、我慢では無く辛抱になる。

つまり我慢は限界があるってくらい、時間が短いのね。例えば我慢って言うのは、受かるまで我慢・・・みたいに使うとすると、何か現役合格出来る前提

みたいな感覚な気がしないかな?それは最初から考えが浅いからだと思うのね。でも辛抱って言うのは、それを成し遂げるまでなのね。つまり人を救いたいから医者になる・・・・

こんな考えを持っていたとすると、我慢は免許を取るまでな感じだとすると、辛抱は務めても開業しても、患者と向き合う事が続く限り・・・って感じな気がしないかな?

つまり志の差が出る気がするのね。そもそも同じなら言葉を変える必要は無いのね。話は戻して、ではそうやって習った事は何?って言うと、訓練所では、

技術を習っただけだから、仕事を取る営業を何も習っていないのね。つまり免状を貰ったのは技術の習得である。ってだけ・・・ここが一番大事なんだけどね。

ただそこでもしかすると、勤め先のあっせん的何かがあれば、アフター完備みたいな感じがするのね。所がセミナー的なもんは、まず先生がキラキラしている。

大抵はね。肩書きもどこどこ大学卒とかだったりすれば、エリートとなる。勿論、逆も真なりだから、海外を点々と・・・とか、特に何もやっていないって

スタートの人もいるが、ただそこも落とし穴で、奨学金のように大きな借金スタートじゃ無いのね。その人の家庭がそれを支えていたり、恵まれた環境が

あったりするのね。ただそのエリートの話がとても憧れちゃったりするし、みんなも頑張って・・・なんて言うと、憧れて入会なんて事があったりする。

ただね、憧れたら勝てません・・・って大谷くんが言ってたのね。残念ながら。仕事って生きる為にするもんで、憧れのまま生きられるなんてほんの一握り。

その時にその先生のアイテム、つまりそこに至る環境や状況を負けずに持っているのなら、可能性は生まれるけれど、教わったのは訓練所と一緒な技術だけなら、

仕事の取り方は何一つ教わっていないはずなのね。つまり指示された事通りに身に着けた事は技術であり、営業ノウハウは0でスタートになるのだから、

多くは失敗の可能性が高い。ただ成功している良い部分だけを見るから華やかだし、受けている時は非常に楽しくなる。そりゃ憧れてその何分の1になれるって前提スタートなんだから。

そう言う点では、俺はもっと現実なんだろうね。つまり結婚式で演奏したい・・・みたいな教室だから、その一曲を何処で何人の前で、どんなシュチエーションで弾きたい?

ってオーダーに答えるには、どう言う段階を踏んでたどり着くか?って感じだから、労作展のような具体的な場合、ピンポイントでみんな結果を出している。

だからやっている時は、俺は憧れられている訳では無く、楽しい訳でも無く、でも楽しくない訳でも無く、何だか微妙・・・って感じなんじゃ無いのかな?

要するにオリジナル制作って言うのは、オリジナルつまりその人の生き方でもあるのね。だって人と同じ訳が無いじゃん・・・って話。いかにオリジナル人生を歩くか?

それにはどんな道のりが考えられるか?このまま進むとどんな試練があるか?とか、事前に想像力、洞察力、観察力で危険回避って話だから、楽しい事よりも

危険回避だから、まぁ保険に入る感じになるのね。つまり使うと大事件になるし、使わなきゃ損した感じ・・・ただ備えあれば憂いなしとも言うし・・・。

だから、元気なら俺は必要無いかも知れないし、不元気なら0に戻す方法を考える事は出来ても、エリート先生じゃ無いから、楽しくみたいな3を7に引き上げ

的な事は無理なのね。それは確実に今の立ち位置以上にならないと・・・。まぁそう言う点では、今日は立て直しには良い時間だったかもね・・・。

厄介なのはこうした事を踏まえて、今日の自分って振り返ると、今日の自分の出来る事・・・って判断が出来たりもする。それが自覚ってもんなんだけれど、

普通はそんな事をいちいち考えない。もっと言えば、例えば今辛い・・・って場合、即効性のある楽しさが欲しかったりする。でもほっといたから辛さが7

だったりすると、お金を掛けた即効性、例えば若ければデートでランドやシーなんて事になれば、まっ良いかっって楽しむ事に全力になれる。それが家族と

なると、お金は何倍もに膨れ上がるし、子供が小さければ、うっぷんばらしにスリルあるものに乗りたくても、ショーを見せたりする時間が増える。

ある意味、お金を使って添乗員する感覚かも知れないし、看護や介護や保育に長けていれば、日常も勤務みたいになるし、他人では無く身内なんてより出来るのか?

それとも手を抜くのか?それも個人差があるだろうし、そうすると、さっきの辛さ7はいくつ軽減した?って話なのね。それが何か半年先に楽しみがある・・・

だからそこまで・・・って感じだと、宝くじチックにその日までずっと楽しめたりする。これは中長期的だから、即効性は少ないけれど、足湯的に、ゆっくり楽しむ事になる。

これを薬に例えれば、即効性は風邪薬だから、ウイルス駆除になるし、当然その副作用として眠くなったりする。それが漢方となると、中長期的になり、

察知出来れば早めの漢方って事で、弱っている自分の仲間の後方支援みたいに追加して戦うサポートになる。何でもこうして1つ知れば、って事はそう言う事?

って想像が出来る。目に見えない力とはそう言う事なのね。ただ今の全てを全く関係ないね・・・って全面否定も合って無い訳じゃ無いのね。つまり逆も真なり。

つまり危険回避的考え方はディフェンダーの考え方なら、楽しく無ければテレビじゃ無い・・・って考え方もある。つまり楽しいをこよなく愛すって考え方もある。

ただね、それを教える先生や作家さん、セミナーの人・・・さて憧れだけでなれるかな?大谷さんに憧れて、子供が真似してその100分の1でも習得って・・

多分無理だろうね。ただ常に例外はあるから、裾野が広ければ、確率は上がる。ただ確率が上がるのは常に数字な事で、なれる人は常に決まっている。

最初の0から1にするって言うのは、何も無かったから大変だし、先人がいるからその物差しで図られるから、常に否定されるもの。それに屈するのなら、

早めに諦めた方が危険は少ないけれど、諦めると明日は無い。さてどうするか?ってのが子供なら時間があるが、大人の時間は限られているのね。

それをあれもこれもと時間を使っていては、浅く広くなる。情報なら物知りになるが、スペシャリストは自分の時間の全てを使うのね。だから大谷さんが

生まれる事になる訳で。当然普通はバッターかピッチャーか?いずれだから、専念した時間で結果が伴えば、今日は酒でも呑むかとか、ゴルフに行くか?とか、

になるが、大谷さんは二刀流だから、どっちもおろそかにはしない。つまり寝る時間以外は全ての時間に注ぎ込んだ。そりゃ確率を上げる訳なのね。

だって大谷さん以下の成績で、大谷さんより練習時間が短く、野球以外の時間が多いなんて・・・。それでは追い付くどころか離される。普通なのね。

だってうさぎとカメの話でみんな知っているのね。休まない奴が結果が出るってね。ただそれは昭和で終身雇用の頃の話。でもみんなが働き方改革って言う中

・・・そう考えたら、大谷さんってブラックだと思うけどね・・・。だから俺も追い付きたいならウルトラブラックくらいにならないとね・・・って思うのね。

まぁ人と違うってそう言う事になるんだろうね・・・。


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キウイ教室

2024-11-14 01:46:54 | モザイクタイル教室

今日はキウイ教室なんだけれど・・・まぁまずはスノーマンの目地から。本来は目地材で・・・って事になるんだけれど、お絵描きタイルは塗装なんで、

万が一、目地入れしている時に、ゴシゴシって感じになった時に、コンパウンドで擦ったみたいになると、艶が飛ぶなんて事になるのが嫌なんで、紙粘土を

入れてるんだけれど、キウイは見た事はあっても、やった事が無いって言うので、コツだけ言ってやっては見るものの、おいおいそうだったっけ?ってくらい

多めの紙粘土が乗っかってる・・・って感じで、目地と同じで、詰めるんだよ・・ってな話で、まさかのそう来たかぁ・・・って、それでも仕上がれば、

特に何も問題無く終わって、ある意味本題はこっちで・・・。下絵の図案を数点から選ぶんだけれど、その問題はこれ。

絵馬なんだけれど、来年はヘビ・・・十二支を作って行く場合、うさぎだねずみだって時は可愛い感じでテンションが上がる。でも龍だのヘビが大好きって

女子は少ない。勿論今どきの女子なら、爬虫類好きは多いかも知れないが、普通にキモい・・・って思ったら、いざやろうって思っても、好きで無いモチーフ

を見続けて、どれが良いか?・・・なんて事になれば、何かなぁ〜って事になる。そうなると、若干嫌々の中で、選ばうとすると、聞かなくてもこう選ぶ。

まず数点の中に、一番ヘビに見えないものを選ぼうとすると思うのね。しかも、相談と言っても、きっと俺が一番ヘビに見えるものを選ぶと思う事を

判っていたりする。つまり持って来ている時点で判っているんだけれど、一応聞いて見た・・・って感じなのね。例えば見なくても、ヘビ嫌いがヘビに見えない

デザインって、もうヘビから大きく変えてあると思うのね。じゃヘビって一体特徴は何?って言うと、にょろにょろとか、グネグネとか、こんな表現になる。

つまり長いんだろうね。だからなるべく短いものを選ぶと思うのね。そうなると、一番ヘビに見えないものをヘビに見えるように作るって事になる。

何か難しそうでしょ?それなら逆に、一番ヘビに見えるものを選んで、一番ヘビに見えないように作る方が楽なんじゃ無いのかな?簡単なら花の模様を入れるとか。

それとね、どれを見ても縁起が良いんだろうね、白蛇なのね。じゃそれも受け入れる事にすれば、模様はいっぱい色んな色が使える。そう考えれば良い。

それは常に言っている、良い事と悪い事は背中合わせなんだから、考え方としては、最初に自分に都合の良い事を選ぶと、そこがマックスになるのだから、

思い通りに成り続けるなんて無理に決まってんじゃん。でもそれを最初にヘビを受け入れ、白を受け入れちゃえば、それ以上、嫌な事は無くなるのね。

だって最初に悪い事は気持ちとして終わっちゃっているから。でもそれを良い事・・・つまり自分に取って良い事を使ってしまえば、もっともっとって欲張る

事になり、思い通りにならない・・・ってつまづくと、立て直せないって言うのが、良くある失敗なのね。でも前半に受け入れると、もうそれ以上受け入れる

事は無くなるから、今まで耐えた分、開放感が違うのね。まぁお笑いの緊張と緩和的な話で、緩和される気持ちが好きに出来る・・・って自由な事になる。

つまり最初の受け入れた時点で、ヘビに見える、縁起の白、もうそれだけで縁起の良い絵馬になっちゃっているのね。だからもうトッピングをどうするか?

だけで、悩みは少なくて済む。それを最初に受け入れなかった場合、ヘビの特徴を全部捨てたんだから、そこにまた好きな模様でやれば、ヘビに見えない

ものをヘビに見えるようにしないとならない・・・って事になれば、後半リアル感みたいな事を考えないと、全くヘビに見えないものになる。考え方1つで

悩み事を増やす事になるのね。好きでも無いモチーフでね。それともう1つは、敷地が決まっている事なのね。そもそも絵馬ってこの大きさでこの形。

おにぎりみたいなのは良いけど、にょろにょろと長いモチーフってどうなの?つまり、ヘビや龍には向いていない。だから大抵はとぐろを巻くのね。

ほらにょろにょろでも嫌なのに、とぐろを巻くなんて気持ち悪いぃぃってなりそうでしょ?それが忠犬ハチ公とか、うさぎとか、おにぎりのシルエット。

じゃ作りづらいものって?きりんとかネギ、カラーみたいに長さが特徴なのに、高さが無いモチーフ・・・だから中央におにぎりってシルエットになりがち。

ただ何とかヘビ味を少なくしたい・・・でも小さく作るって難しい。それは作ったでは無く、出来た・・・に近い感覚。美しさから離れるから。

弾いたと、弾けた、釣ったと釣れた・・・似ているようで違うのね。つまり小さいスペースにし過ぎると、例えキウイでも、こじんまりしたものになる。

それをこのスペースがあれば、色んなパーツを切れたじゃ無く、切ったって言う感覚、つまり必然のパーツで仕上げられるのね。上手く見えるに決まっている。

こうした選択を間違えれば、当然ミスをしてしまうんだから、後半しわ寄せが来るのね。好きでも無いモチーフでね。つまり感覚で言えば、はいはい判りました・・・

ヘビに見えるのにしましたよ、はいはい白が縁起が良いんですね・・・判りましたぁ〜ってからの、でもさぁ、もうそろそろ好きにしても良いんじゃ無い?

って言うのが作る工程。ってやり取りがあって、出来れば今欲しい・・・そう来たかぁ・・・って事で、キウイは鍋敷きの続きをやっている場所で、彫る。

でも以前では考えられなかった彫る事が、掃除機を回しながらやると、マスクもしないでも平気なのね。以前は現場用の掃除機を回した事もあるが、

そうするとトリマーの音より大きいから、中々厳しかったのね。所が家庭用は、より静かを求めているし、そこそこの集塵力。キウイも彫った事があるから、

この凄さは伝わって・・・そんなこんなのやっとこさ下地完成。その頃には夕方になって終了。そんな後は、恒例の母の面会と、帰ってから目地入れ。

実験もあって、こっちは紙粘土では無くて、目地を入れて見たのね。この薄さで木が反るか?どうかの確認の為にね。まずまずな仕上がりになったのね。

 


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健さん教室と蕨のサンプル案

2024-11-11 07:10:15 | モザイクタイル教室

今日は午後から2マス、健さん教室。その前に定期的に顔を出している泉銀さんに行ったのね。ここは浦安の魚屋さんで、作品を置いて頂いているのね。

そんな事もあって、数ヶ月に1回になってはいるが、様子伺いのように・・・。すると忙しい最中でも、あっkatsuさーんと、声を掛けてくれて、周りの人に、

この方が・・・って宣伝してくれるのね。毎回・・・今日もいつも通りにそうしてくれてたのね。飛び込みで作品を置かせてくれないか?・・・って行っただけ

・・・そんな付き合いで始まったのだけれど、断られたお店も多い中で、こうしてあの時と同じに接してくれるのは、とても有難い事でね。そんな1日の始まり。

そこで買った魚を父に届けてから、健さん教室。そうね、全くどうでも良い話でもあるし、意外と大事な話だったりもする、いつもの他愛のない話から。

例えばそんな話って、向き合う気が無ければ、何だそりゃって聞き流すだろうし、ブログを読んでいるなら、この話は興味があろうが無かろうが、自分の

意見を好き嫌いの好みでは無く、感じた理由を伝える練習とでも考える事って気持ちで答えてくれるのね。最近では杏さんの時にかつての旅行なんてお題だった。

今日は、トランプさんや日本も選挙が終わったし、政策も変わって何かしらが動くなんて事になる・・・なんて言ってもね、投票数から言ったら、どーでも

良いわって言ってるようなもんだから、まぁ俺みたいなじーさんの戯言くらいで始めるのね。じゃ俺も仮に・・・って政策を打ち出すとしてね。

世の中、人手が足りないとか言ってたりして、働き方改革とか、俺の若い頃とは大きく変わっている。世襲が・・・とか、あれこれと。そこで打ち出すのは、

なら、昭和の悪しき伝統って言われている、根回し、談合、癒着に世襲、徹底的にみんなでやろう大作戦って銘打って、大キャンペーン。

内容は?って言うと、世の中政権が変わると、突如何かいつもと違う事が起きたりするものだから、突如と始めるとすると、こんな企業に国がバックアップ。

例えばまた今、新しい人が入社する。そして自分に合わないと辞めたりもする。それって自分がやりたい事って考え方で決める方法論だと思うのね。

でも古き時代には、蛙の子は蛙って考え方があり、究極なら世襲、歌舞伎役者、会社の社長、お医者さん、農業、漁業、そして俺・・・いくらでもいる。

だからそっち側を重視する会社を作る。超強力型福利厚生なんだけれど、例えば、もしその会社に入ったとする。そしたら親子3代同じ会社に入る事前提。

大谷さんのドジャースは優勝した時に、家族総出で喜びを共有していた。つまり会社の宝が入社したのなら、宝なんだからその血を絶やす事無く、その血を

引き継いで貰わないとならない。ただリスクを負うから、会社もリスクを負わないと・・・だから、転勤無し。勤務地は1回だけ自分で変更あり。

そりゃいつか結婚するだろうし、相手の都合もあるだろうから。それでむやみな転勤は無くなる。そして生活には住居。会社の敷地内に社宅があれば、通勤は

一切無くなり、定期券を購入しなくて良いのだから、その分のお金を回せるし、費用も労力も削減出来る。何なら食堂も用意したら良い。共働きも考え、

負担の軽減になるだろうし、何なら保育所も用意すれば、仮に離婚があったとしても、どちらでも働く事に支障は無い。給与としても親子3代も確保出来るし

それ相応の金額を提示しないと、野球ならFA、企業ならヘッドハンティングがあるだろうし・・・ただ親子3代の終身雇用、どちらもハイリスク・ハイリターンで無いと、普通な事と一緒。何なら家を買うと言うのなら、半分会社が負担。

そして何なら欲しい金額が給与となり、その見返りの仕事はこれ・・・って最初に開示してスタートすれば良い。こうなると、ほぼ大谷さんと一緒になる。

そしてその人のジュニアは、会社全体の宝となるから、もう誰もが知っている子になり、普通の小学生なら、先生と話すものだが、小学生で親の上司と話す事になる。

場合に寄っては、既に体験をしている場合もあるから、建築なら中学で測量や図面を引けたり、美容師ならある一定のカットなら出来たり、料理人なら、

既に修行的なものは学生の段階で終わっているから、職に付いた時には、経験日数だけになる。まぁ3歳から英語を習うって言うのを、実践のキッザニア。

全ての人がスタートからエリートになる。しかも優秀であれば、企業からその学校は枠を貰えれば、血が無くても入社が出来る。しかしこれは1代だから、

一般枠であり、世襲とは扱いは別になる。世の中には、いちげんさんって言葉とお得意さんって格差はあって、差はあって当然だと思うのね。確実に時代に

反するんだけどね。でも全員世襲だから。普通は世襲が少ないから反発が多くなるだけで、逆に会社全体が世襲なら世襲じゃない人が少ない事になる。

まぁ私立の学校なら、中学からだと内部、高校からだと外部みたいに、半々みたいなのがあるが、違うのね全員なのね。でも最初は一般でもその子の子供は

世襲になるのだから、結局次の代には同じになる。しかも学校サイドとも癒着枠が出来るし、また優秀な人材を確保出来るし、学校もその会社が有名になると、

ハクも付くだろうし・・・そんな会社に国の支援が付く。そもそもがゆとりなんて制度を作って、やっぱ辞めたって出来るお金があるのなら、ゆとりでは無く

徹底的なエリート集団育成って考え方に、お金が動いても何ら不思議じゃ無い。漠然と良い学校へ入って・・・では無く、子供の段階で何をするって決め打ち

なんだから、全員が大谷さんを目指す事になる。これが俺の掲げたプロジェクトXって言ったら、健さんが・・・何か嫌だなぁって。えー何で。だって、

世の中に無い超攻撃型福利厚生なんだけれど・・・って言うと、何か嫌だって。ほらルールは好み禁止だから、何が嫌なのか・・・って。完全に苦笑い。

そうなのね、かぐやにも先日かぐやのせがれにも話したんだけど、何か自分だけじゃ無くZ世代に受けない・・・って言われたのね。それも話すと、ですよね

・・・って。そこで気が付くんだけど、俺自体がそうだから何の違和感も無いのかぁ・・・って話。そもそもタイル屋のせがれでこんな事をしている。

もしこれが美容師なら、きっと後を継いだろうし、農家でも何かなぁと思いつつ、きっとやったと思うのね。完全なる土着民族だからなんだろうな。

その土地とその地域で生きる事に慣れちゃっていて、ただもし父がジプシーなら、移転、移転となっているのなら、それが普通と受け入れちゃうんだろうね。

だから良くも悪くも自分が無い。良く言うのだけれど、俺はスライムだから、握った人の掴み方で全てが決まるのね。悪意があればちぎれて分かれる。

ただそれで満足した奴がいても、消して死ぬ訳じゃ無く、分散したものがまた同じ形に戻る。それを容器に入れれば容器の形だし、両手で掴めば両手の形。

温度まで変わる・・・従順と言えば従順だが、こちらからの提案は無い。つまり最初はどうしますか?になる。その人に自分があるのなら、そうするには・・

と動けるが、どうしましょ?って言われても、スライムだし・・・ただひたすら落ちれば低い所に転がるだけ。上に上がる事は無いのね。こんな生き物だと

したら、順応性が高いのかもね。そこの場所の居場所を作ろうとするだろうから・・・つまり結論としては、こんな冗談な話でも、半分本音だったりする。

別に悪く無いと思うんだけどなぁって。確かにその人の人生はその人自身のものなんだけれど、良く言う人生がもう一度やり直せれば・・・的な発想で考えると、

経験値を元にやり直すつもりらしいが、何とも強欲な話だなぁって思うのね。そんなの当たる馬券知ってて買うようなもん。それを世襲って言うのは、血の繫がりありって事が、

実はその両親の経験値を植え付けられて、失敗の可能性を消す人生的な発想だと思うのね。そもそも自分で選んだのなら、どんな人生も受け入れれば良いだけで、

ゲームじゃ無いんだから、リセットなんか無いのね。つまり月並みだけど、このピンチを乗り切ると達成感と空虚感が一緒に来て、また次、また次、今度は

・・・ってやっている内に、思い出って歴史を作って、最後の日に何を見るのか?ただそれだけの日数の繰り返しが人生なんてもんだとして、長く生きてりゃ

楽しい事もあるだろうが、大半は大変な事ばかり。人といれば楽しいし、孤独にはならないが、縛られる制限がある。逆に独りなら、何の縛りも無いから、

好きに生きられるはずなのに孤独になる。お金もあって健康で、何もかも恵まれて本当に幸せか?って言えば、その人には他の苦労があったりするだろうし、

逆に貧乏だと生活に追われる・・・自由って言うのは、ただ好きに選択した結果の話で、その環境でどう生きたか?だけだと思うのね。勿論俺は・・・ね。

ここは俺のブログだから、あくまでも俺はね。強制もしないし、これが正義とも思わない。あくまで俺はって話。そう生きると、あぁ俺の成功を望んで、

待ってくれる人達がいて、家族ならまだしも他人さんが・・・ってね。それを何十年も・・・となると、待ちくたびれるだろうなって思えば、休む暇など無いし

、むしろお待たせしてすいません・・・って頭を下げるべきとも考える。応援して貰って生きるって言う側に、休まるなんてあるはずも無く、売れたら売れたで

その責任を背負わないとならなくなるだろうし・・・だからスライムが良い訳で。野球がやりたい・・・サッカーがしたい・・・って究極な人は職業にする。

勿論目指してわずかな人達がね。ただ何でも目指さないと、本気の人には負ける。それがもし職業なら、負ければ家族なんて無理・・・ただそれだけ。

きっとこの話の本意が健さんには伝わったと思うのね・・・そんな中、昨日の蕨のサンプル下絵に変化が・・・。良く思うのは、何かが降りて来て・・・

なんてミュージシャンが言うけれど、そんなのただ意識が強くなっただけなのね。例えば陸前高田に出張に行った。きっと出張に行かなければ、縁が無いまま終わっただろうね。

そもそも旅行に行く事は無いから。つまりそこの土地を調べて、そこの土地の感情移入をした。そして作品を残した。これに寄って思い入れが出来た。

そんな事を無意識として頭に残したまま、ニュースでロッテの佐々木投手が・・・って入ると、陸前高田出身の・・・って思い出す。つまりその回数が

多くなれば、ニュースがいつも良い事を取り上げられるよりも、不幸が発信されるから、悲しみが多くなるって話で、感受性豊かって言うのは、こんな事が

多くなる。何の経験もしていないのに・・・精神的に弱いとこの繰り返しに、日々の自分のストレスが加わるのだから、そりゃ厳しいものなのね。

話を戻して、要するにハムスターでは無く、魚に変えて、泉銀さんに行って、魚を見た。普通、泉銀さんの魚は丸のまま売っているのに、切り身が多かった。

切り身・・・刺し身・・・寿司・・・寿司。魚じゃ無くて寿司かっ・・・。

寿司モザイクって中々じゃないの?・・・寿司ネタを作ろうってね。すると、健さんもかぐやも面白いって。じゃそうするかねって事になったのね。

こんな時、神様がヒントくれたのかな?・・・って苦笑い。


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キウイとくじらの相席教室

2024-11-06 22:39:17 | モザイクタイル教室

今日はキウイとくじらの相席教室。まずはくじらから・・・とうとう完成したのね。

前回張り終わっていたから、目地からスタートして、ペンキを塗って完成。もうこの鯉は死んじゃったらしいんだけれど、とても良い感じに仕上がったのね。

その後、新作の話も出て・・・今の所、表札が一番候補。

キウイはコープみらい東京のスノーマン。何かサラッと作ったんだけど、実際の時は、初めてタイルを切る人は、中々こうして簡単には出来ないだろうね。

ただ何かコツを掴んでくれると、余裕を持って完成すると思うのね。キウイは鼻をニンジンの形にしたけれど、実際は丸なんで、ボタンや目、鼻は決まりだけど、

大きさが不規則でも、どれもが使えたりするのね。まぁ場合に寄っては目地の代わりに紙粘土を使う予定なんだけれど、もしかすると自分で・・・なんて

言うのも考えてはいるのね。まぁでもやっぱり、くじらの完成。悪戦苦闘みたいになったが、何だかんだこうして終わると、中々の作品になったのね。

そんな教室の後は、かぐやの送迎。さてどうやってこの数日、有意義に過ごせるかな?って感じ。


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りょうさん教室

2024-11-06 01:52:14 | モザイクタイル教室

今日はりょうさん教室。ここの所、個人レッスンが続いた事もあり、本人の手応えとしての満足度も上がっているのね。そもそも自己肯定感が低い事もあり、

進んでいる感が余り感じる事も無く、だからこそ個人レッスンにしたとも思える。だから終わった時の笑顔と、充実感的なものが満足感に繋がって・・・

そんな表情と、納得って言うか手応えって言う、やり切った・・・ってものがあると思うのね。その時に、終わったぁ・・・って感じだと、出来たぁとか逃げ切ったぁ・・・

って感じになるのね。こんな場合、時間を逃げ切った・・・みたいな感覚だと、やっとやっと・・・みたいになるから、なんとかかんとかって感じ。

つまり質よりも頑張った・・・って感じだから、まだまだな感じがある。でももし、自己肯定感が低い人なのに、おーって感じに思えたのなら、そこから

一歩上がった感じで、質を認めた感じにも思えるのね。自分のやった事をね。そこを技術が未熟でも、それを見る目を鍛えると、何処が良くて何処が悪い

って見極める目が肥えるのね。そうすると、ただ出来た・・・って甘い判断では無くて、今の自分の最善って言うパーツはこれ・・・って判断が出来るのね。

だから無謀な事を回避出来て、必要以上に失敗をしなくて済むから、それで必要以上に自分を追い込む事が無くなるのね。逆なら、これで良いじゃん・・・

って、質を落としてまで進む事も無くなる。まっ簡単に言えば、100点が良いのは誰もが判る。だから最高を目指すなら100点になる。ほら子供でも判るのね。

でも100点のパーツって誰がどう決めるの?・・・それを今の自分の最善を見極められて進むのと、ただ闇雲に取締り100点が何であるか?判らずに失敗として

追い込んで行くのとでは、全く結果は変わって来るのね。まぁもっと簡単に言えば、この作品を作るに当たって、段々と上手くなって行くんで、後半になると

あぁここ剥がしたい・・・ここも・・・あっこれも・・・ってなると思うのね。でもその時の全力だったんだから、そんな事いちいち取り締まったら、

じゃ完成させて、その腕でもう1回同じ事やりゃ良いじゃん・・・ってな話ね。違うのね、俺も先生として、今の実力ならこれが限界のちょっと手前・・

この位で目指す。痛みはあるけど、痛すぎない・・・ってね。そしてその余力が次の伸びしろになる。これよりももっと、今度はもっと・・・そんな気持ちに

なれば、明日に繋がる。でも、これじゃ駄目、こんなんじゃ・・・なんて実力以上の目で取り締まったら、成功パーツと失敗パーツがアンバランスになり過ぎ。

それと同時に必要なのは、相手にどう伝えるか?なのね。まず模写として本物が気に入ったから始めた訳で・・・その時にこれが絵画なら、その色にそっくりな色を作れると、

一歩本物に近づく。音楽も、昔バンドを組んでいた時に、下手ながらも今のように楽譜もネットの情報も無いから、各々繰り返して聞いて、ここのドかな?

こっちかな?って正解を探ったのね。それをドなら何処でも良いじゃんって人と、正解を求めるって人は、洞察力、観察力、想像力を鍛えていたのね。

それと一緒で、オリジナルを作るには、この見えない力を付けないとならないのね。じゃとうやってそれを付ける?って事になると、俺は自分を語る会話を

する・・・って事だと思うのね。昨日も言ったけれど、5w1hなんてもんじゃ、ただの説明みたいなもんで、コンサートに友達と行きました、楽しかった。

こんな文章では子供の時から、今の歳になっても大して代わり映え無しなのね。だからって、村上春樹になれって言っている訳じゃ無いのね。

要するに情緒なのね。相手にどう楽しかったか?、ただ行ったんじゃ無くて、その友達がいかに自分に取って大事な人だったか?とか、コンサートの前の、

エピソードとか、そもそもそこに行った人達は、みんな同じものを見ただろうし、独りじゃ無いのなら、デートかも知れないし、古き友人かも知れない。

でもみんな同じアーチストの歌を聴いた訳で。だからただ前か後ろかとか、だけで、ただ何歌っただけでは、誰が経験しても言葉として一緒なのね。

それをいかに自分だけの言葉で、このコンサートがどんな気持ちで見たか?みたいなプレゼン的な事を言えるようになる練習が必要なのね。でもこうして文字で説明すると、

面倒だなぁ〜とか、そんなの出来ないとか思うだろうし、モザイクに何が関係するのか?って思っちゃうのね。でもね、元に戻って色は作れないのね。

なのに模写をする。白く見えたから白・・・でも白くは無かったけど、白しか無い・・・赤では無いんだけれど、赤しか無い・・・あっ緑はあった・・・

こうやって不便に作った後にバックがやって来るのね。いつしか・・・それでどうやって最後の色決めるの?って話になるのね。すると最後の最後は、もう

好きなモチーフが終わり、作った感もあり、とうとうって気持ちで、後はバックだけじゃん・・・って呑気な場合は、適当に似た色で・・・って終わらせに行くだろうし、

ここまでこだわって、やっとたどり着いた・・・って人は、ここで失敗したら元も子もない・・・ってどうすれば良いんだろうと、ビビったりする。

同じバックの取り組み方でも、性格がフォワードとディフェンダーとでは、考え方が全く違う訳で。でもそんな気分でいちいちコロコロ変わっていたら、

その日の気分なんだから、何でこんな色にしちゃったんだろう・・・って、恐らく5年後、10年後に見れば、簡単に心変わりするのね。だから、色なんてどうでも良いのね。

それよりも大事なのは、この絵の主人公になる。どんな気持ち?ってね。だから各々になり、正解は無いのね。でもきっと不正解はあるのね。

信号が赤なら止まれ。子供でも判る。万国共通。でも、ギリギリなら行くのか、ギリギリは止まるのか?ギリギリ行く車と、ギリギリ行く歩行者・・・

事故るな。きっと。じゃ青だから行く車、赤なのに渡る人・・・引くかな?じゃ青だから行く車、赤なのにスマホを見ながら渡る人・・・もう運転手頼み。

じゃスマホを見ながら青だから行く車、赤なのにスマホを見ながら渡る人・・・おー高確率ってな具合に、描写を変えると、人の想像をあおれる。

それが作家。そしてそれを17文字で完結すると俳句・・・みたいな、こうやって作家側って言うのは、ありとあらゆる想像で作るものなのね。勿論、作家では無く、

趣味だって言うんだろうね・・・そりゃどうかな?さっきのタイルを切ったり張ったりする時は、ひたすらこだわって、このまま続けたら何処までこだわるの?

それって趣味超えてるじゃん・・・なのに、考える、創作するって事は、このまま0点に近い状況で納得行くのかしら?って話ね。ただやりつけていないだけ。

だからまだ発展途上の切る張る方がそこそこの段階で、創作0の点を上げたいのね。その基本になるのが、自分を語るなのね。どんな気持ち?みたいなね。

でも初期の頃は説明だったり、単なる5w1hすら難しかったりする。でもそこに慣れると、こう思う・・・って、どんなお題でも自分の気持ちを答えられるようになるのね。

それを最初は世間一般の普通みたいな事ばかりを言って、個性は出さないみたいな、体裁とか当たり前とか、もはやその人が答えなくても良い事を言ってたりするのね。

例えば青い空・・・何処の?ハワイと田舎でも空は一緒なのかも知れないけれど、お洒落度は変わって来る。垢抜けた空と素朴では何かが変わると思うのね。

例えばただ青い空なら、みんな同じような色でも、その青い空は、大事な人が亡くなった次の日の空だったり、災害の次の日だったりすれば、切ない青に

見えるはず。それが受験の朝の空と、次の日の朝でも変わるだろうし、補欠の朝と、甲子園初日のエースの朝でも違って来る。だからあなたの朝は何ですか?

なのね。だから安易に色で選ばない。まずそのシチュエーションから考えるのね。そしてそれが決まったら、それに合うのはどれ・・・であって、空は青って

決めてから、そんな事を考えても合うものなんて無いのね。そしてそこが決まってから色を決めると、いつかそれを見た時も、何でこの色?では無くて、この

シチュエーションだったから・・・って言うと、ブレがいちいち無いのね。気分で決めていないからね。まぁ流石にこんな事はkameyaさんでは難しいのね。

これは個人レッスンだから出来る事であって・・・所詮他人事的に聞くのと、マンツーマンで聞くのとでは、受け止め方が違うし、こっちも掘り下げ方が

違うからね。ついつい大人は体裁が得意になっちゃうしね・・・。中々自分を語る・・・なんて余り機会も無いだろうしね。でもね、自分の作品なら、誰にも遠慮無く出来るんだけどね・・・。

そんな後は、少し下絵をやってから面会&父の見守り。何か介護番長だわ。


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杏さん教室と側面とクリスマスと母

2024-11-05 02:44:44 | モザイクタイル教室

今日は杏さん教室。そうね、とは言っても、ネモフィラにもう教える事は無いんで、大事なのは他愛もない会話なのね・・・そもそもがオリジナルって何?って話。

それは自分が考える理想みたいなものが作りたい・・・って事でしょ?でもそれって、考えているだけで、頭の中にあるだけ・・・しかもぼんやり。

それが絵が得意な人なら、こんな感じ・・・ってラフとは言え、描けるから、あぁそう言う事ね・・・って俺に伝える事が出来れば、それならこんなのは?って、

やり取りは簡単になるのね。所がウチの生徒さんに絵画が得意な人はほぼいないのね。俺も含めて・・・。そうなると大事になるのは、言葉でニュアンスを

伝えてくれないと、一体どんな感じにしたいのか?判るはずが無いのね。つまり個人レッスンとは?1人バスの伝達ゲームなのね。いかに伝えられるか?

しかも厄介なのは、杏さんのようにここまで切れる人になった。つまり切れれば切れるほど、切る腕はあるのに、伝えられない・・・って事になると、

楽譜が無いのに、腕利きミュージシャンみたいな感じなのね。そもそも初見で弾ける腕があれば、作曲が出来る訳じゃ無いのね。つまりその腕があればある程、

もどかしくなるのね。だから、大事なのは伝える練習。それは会話の能力が大事なのね。そんな中、今日イチだったのは、旅行の話だったのね。

例えば小学生の時の修学旅行から、新婚旅行とか最近の旅行まで、エビソード聞かせて・・・ってお題だったとする。記憶が古いと忘れてしまって、最近のは

もしかしたら、先週の話かも知れないから、生々しく話せるかも知れないし、歳を取ると、昔の記憶が鮮明で、昨日何食べたか?判らなくなると認知的な・・

って話になったりもする。じゃどんな感じか?となった時に、例えば、単なる記憶的に話す場合、何処に行ったか?誰と行ったか?何をしたか?みたいになり、

単なる説明的になれば、そうだったんだね・・・くらいの相槌で良くなる。こんな場合、ウチの犬は犬種は何、色は何・・・ただ報告的になる。

つまりウチの犬と言いつつ、図鑑みたいに別に変わんないじゃん、他のと・・って感じで、日本人の男みたいなザックリの伝え方になるのね。

じゃこれを、俺の場合にして見ると、俺小学校の時に学級委員だったのね。ってこれだけで、ちょっと特別な感じになるでしょ?それで日光東照宮に行ったのね。

これを言わないと、ただ場所だけだと、私もそうでした・・・はいおしまいになる。ただ共有しただけ。だから昨日のドラマ見た?・・・ってこの程度。

それを実は、一緒の班の女の子が、可愛い水色のワンピースを着てて、ねぇそれ1回着させて・・・って頼んだのね。そしたら1回なら良いよ・・・って。

でも、簡単なのは体育の後に、ちょこっと・・・なら、一瞬で終わるでしょ?だから、良く考えて、じゃ修学旅行に持って来て・・・って頼んだのね。

それで日光東照宮で借りて、はい、男子〜って感じに、水色のワンピース来て、1日あっちこっち回ったのね。そしたら、集合写真の時に、隣の若い先生が、

俺にふざけた奴だ・・・って怒ったら、ウチのお婆ちゃん先生が、この子はちゃんとやってるし、ウチの学級委員だからってかばってくれたのね・・・

どう?こうして伝えたら、単なる日光東照宮の修学旅行じゃなくて、俺だけのオリジナルになるでしょ?良くも悪くも・・・ただ、じゃ中学は?って言うと、

何処に行ったか?も覚えていないし、高校は九州だった。福砂屋さんのカステラをお土産で買ったのに、味見の味が忘れられなくて、ついつい食べていたら、

全部食べちゃって、また買い直した・・・って言うと、九州、福砂屋、カステラと、固有名詞で具体化して、笑い話になったから、これもまた個性的になる。

でも中学は場所さえ言えない。って単なる旅行の話でも、取扱説明書的では、誰が行った話なのか?って事すら伝わらないし、そもそも情緒が無い。

こんな説明をすれば、じゃ・・・って話すのは簡単なんだけれど、勿論そうでは無くて、杏さんに小学生の時から順番に話して貰ったのね。

すると転んで泣いたとか、エピソードを入れて来たのね。とても良いのね。それは杏さんだけのエピソードで、オリジナルなのね。その時に、ただ泣いただだと、

悲しいだけ・・・になるのね。これが可哀想・・・とか、聞いていて切なかったり、いじめられた話とか、そこに優しくしてくれた男の子なんかいると、

キュンって事になったり、転んだ時に、赤チン塗ってくれた保健委員の女の子と友達になって、今でも親友なんて言ってくれると、情緒たっぷりになったりする。

こんな事が出来る事になると、それを聞いた先生の俺は、もっと膨らませたり出来るのね。例えばそれが音楽だったとする。きっと杏さんはピアノとかで、

作曲したり、作詞したりして持って来るのね。だから、この歌何処で歌う?って聞くのね。それが大きさの話。すると、えっとコースターで・・・って。

えーそんなに小さくなの。じゃワンハーフ位のダイジェスト的に、短縮しないと・・・になり、30cmって事になると、クラスの発表会くらいになるから、

コーラスが2人くらいいた方が良く無い?縦笛も良いかな・・・ってね。かと思うと、その歌はオーケストラでしょ・・・しかも、学校の体育館でも狭い・・

みたいなアドバイスになったりする。要するに相談するにも、具体的なやり取りが出来るけれど、先生バックってどうすれば良いですか?って、この腕を持って、

丸投げかい?って話になるでしょ・・・だから、今教える事は、ネモフィラじゃ無くて、何しろくだらない話のやり取りなのね。そんな後は、

ピエロの壁画の側面を検討中・・・まぁ少ししっくりした感じになって来たのね。そんな訳で、また今日も母の面会。今日は何かボヤッとしてたなぁ・・・

日課としての面会の後は、

今週末のコープみらい東京さんの下地の文字の粘土入れ。すると・・・

文字が光る・・・って事で、今日はおしまい。


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親子3代のご近所さん教室

2024-11-04 01:23:45 | モザイクタイル教室

今日は午前と午後共に入っていたんだけれど、明日に変更って事で、午後から親子3代のご近所さん教室のみとなったので、午前中はピエロの壁画の側面の下絵。

オーナーさんが乗っているベスパなのね。これに乗って店舗を回るのね。恐らくこれが最後のモチーフで、後は模様なんて事で終わるつもりなのね。

そんなこんなのお教室。まずはママなんだけれど、トップの画像を見ると、ほぼ完成に近く、次のモチーフを考えながらやってて・・・・。次回完成って感じ。

お母さんは明らかに黒の縁取りのパーツが安定して来て、慣れて来ている。ここは縁取りの形で切るんだな・・・って理解している。勿論、とは言え、まだ

もっと精度は上がって行くだろうが、そこはまだ経験値・・・って感じなんだけれど、この精度が上がって来ると、腰のヒラヒラってした部分に期待が出来る。

そこの部分で言えば、もっと細い黒の縁取りを小4の子がこうしてやっているのね。ただ小4とは思えないんだけれど、今日初めて昼寝していた寝起きで遅刻。

最初ちょっと機嫌が悪くて・・・でもこんな事が無いと、ついつい大人扱いしそうで・・・私は子供だよっって言われた感じで、俺は心地良いのね。

ただ普通の子供じゃ無い・・・時間が経つとこうして大人と一緒に3時間持つし、このグレードのパーツが切れる子なのね。中々この細さを安定的に切るって、

時間は掛かるし、途中で折れるし、進まないし、大人でも嫌になる。でも、作りたい・・・って気持ちや、完成した作品を飾りたいとか、そのモチーフが好きとか、

そんなモチベーションが強いと乗り切れるものなのね。それ位、大作って言うのは簡単のようで難しいし、難しそうで簡単みたいなものだったりするのね。

しかし3人ともに言えるのは、もう月に1回の3時間って言うのが、普通になって来ていて、しかも回数を重ねて手慣れて来た。最初出来なかった事で、

難しい・・・って気持ちだったものが、今はこれ難しいんだよなぁ・・・とか、あぁこれかぁ・・・ってそのパーツの大変さが判ったりして、ただ夢中って

言うよりも、理解した上で、このパーツやりたくないなぁ〜って言っても、切れるようになったのね。それを安定的に安定した形を繰り返せる・・・。

同じ形を繰り返せるって言うのは、いかに上手くなったか・・・って事を意味するのね。良く使う比喩では、うどんも蕎麦もきしめんも一緒でしょとは、言わないのに、

平気でそう切っている内は上手くならないのね。それが段々と意識が向上して、手慣れて蕎麦を切るつもりだからうどんはまだしもきしめんは・・・。それが

意識も少なく経験値も少なくって時は、うどん、きしめん、蕎麦と混ざっていたのが、意識と経験で蕎麦とうどんだけになる。そしてまた意識でそれが蕎麦は蕎麦となる。

そうさせるのは、腕やテクニックの回数と同時に、意識の向上だったりするのね。でも良く良いものを見せるとか、聞かせるとか言っても、モーツァルトにゴッホってね・・・。

勿論、それをきっかけにやる・・・って事は多々あるだろうが、じゃ目指すか?となったら、日本で・・・憧れて叶った人って・・・大谷さんかなぁ。

これもまたフォワード的な性格とディフェンダー的性格では、全く違うもので、同じ教え方で同じようには育たない。例え血が繋がっていてもね。

同じ指導者でもね。そう考えた時に、この子のライバルはママやお母さんだし、友達でもあって、親だったりもして・・・大人がライバルって言うのは、

非常に本気で傷付かないエリートな環境で・・・教える側としても、楽しいだけじゃ無いのね。そう大谷さんが所属したチームの監督の栗山さんが、もう大谷さんと野球をしたくない・・・って言ってたのね。

国の宝を預かる気がしたんだろうね・・・勿論、比較するつもりは無い、無いけれど、これが絵画ならいくらでもいるのね。でもね、モザイクなのね。

じゃこの世に何人いるんだろうか?・・・小4でね。これだけのモザイクをする子・・・そうやって思えば、とても育成って感じもする。だからって、特訓を

する気は無いし、終わるまで続けてくれないかなぁ〜とも思う。ただね、そんなに凄いの?凄いとは思うけど・・・って人もいると思うのね。ただ後は、俺の

本当の立ち位置だろうね・・・きっと。本当は何処なんだろうか?きっと本当の立ち位置になった時は、その人が凄いって言う威力は破壊力が増すだろうしね。

いずれにしても、今日も進んだ・・・しかも遅刻はあったものの、蕎麦では無くてそうめん・・・そこまで来たか・・・って感じ。そんな中、さくらが来たのね。

そしてまた母の面会に一緒に行ったのね。まぁ介護看護ってさくらには得意中の得意だし、そもそも病気も一緒じゃ痛みも判るし・・・そんな奴が、ただの

面会では無く、あれこれ見せてくれて・・・ただ顔を見に行くだけじゃ無く、教わる事も多く・・・とても勉強になったのね。

 

 


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りょうさんx2教室

2024-10-30 01:12:40 | モザイクタイル教室

今日はりょうさんが午前午後の2マス続けてのロングランの教室。正直言えば、体調面が大丈夫かな?・・・が一番心配なんで、まずはそこから。

すると、大丈夫です・・・と返って来たから、それなら折角アトリエなんで、じゃガラスタイルって事で・・・になったのね。これをkameyaさんでやると、

当然切れば飛び散ったりすると、タイルと違って刺されば血が出る。しかも楊枝よりも細くなるから、刺さると傷が深かったりもするのね。だからガラスタイルは覚悟がいるのね。

それと、最初に刃を入れた時と、欠けた部分を切るって時にタッチの差みたいなものがあって、最初は固く感じるんだけれど、欠けた後は柔らかい感じ。

この差の感覚がタイルにもあるんだけれど、ガラスタイルほどでは無いから、タイルを切っている感覚で切ると、硬いんだか柔らかいんだか・・・って、

思うのね。ここに慣れないと、ただ割るくらいの事しか出来ないから、クラッシュのような流動的なパーツになるのね。それがキチンと刃を入れられて、

ニッパーの握り方や、力の入れ具合や、タイルを持つ手の使い方に慣れると狙った形を必然で切れるようになるのね。まぁそこはある程度回数と慣れ。

こんな事から、りょうさんの体調を聞いて、問題無ければ折角アトリエだから、ガラスタイルを進めましょうって事で、2マス分切り続けたのね。

そうね、そんな準備をした後で、いよいよテクニックとなるんだけれど、これらを守ると大抵は切れるようにはなる。ただ切れると、キチンと切れるでは、

ニュアンスが変わるのね。それを究極に切れるようになると、繊細なんて言葉に変わる訳で。何でも人のやる事は一緒で、音楽だってタッチがあるし、野球や

サッカー、テニスのようなスポーツだって、全力で打つんじゃ無く、ドロップショットのような相手の裏をかく弱い玉だったり、バントなんて勢いを殺す

打ち方みたいに差を付ける事で、幅を広げるものなのね。その時に全力で叩くって場合は、多少のコントロールは気にせず、勢いで押し切るなんて場合、

モザイクで表現すると、クラッシュみたいな流動的なパーツになり、スピードや勢いでは無く、針の穴に通すようなコントロールって言うのなら、先の細い

えんぴつを削ったような三角とか、えっ?このパーツを切ったの?って言われるようなパーツは完全に繊細って言葉に合うのね。ただ当然、それは難しいのね。

そりゃそうだよね、繊細なんて言葉に当てはまるような事を、そんなに簡単に出来るはずが無いのね。ただ今まで言って来た事を守って繰り返すなら出来る。

それを夢中になって進む事を重視すれば、当然能率効率を取るから、必ず言った事をおろそかにするもので、当然パーツは荒れるのね。それを今進まなくても、所作を覚えるって、

方向性を繰り返すと、切り方は合っているけれど、中々進まないって事になるんだけれど、そこを耐えられると、ただ漠然と切っている場合は、その窮屈感を

無視しているのだら、繊細からは離れて、どんどん切れたってパーツを量産するはずなのね。それは意識が薄いから。けれどそうした意識を持ちながら・・・

って場合は、そうすると繊細さに近づくって行為だから、すぐには出来なくてもやり方は合っている・・・を手に入れられるのね。ただそれとて、まだまだ

弱いのは、あくまでそれは所作だからね。所作なんてのは単なる準備なんで、そんなの良いじゃんって人は、当然甘く思っているのね。でも実は理に適っていて

こうすると曲がる確率を下げる、って事を脇を締める、ニッパーの上とタイルの上を合わせて並行にするとか、あれこれと重なって、失敗の確率を下げるから、成功に近づくって考え方なのね。

それを俺だって、ピアノ弾けるって、猫踏んじゃったくらい弾けるのね。でもね、それは音が合っているだけで、繊細なんて事からは大きく離れるのね。

それでね、そんなのどーでも良いじゃんって人は、数撃ちゃ当たる方式だから、やってりゃ上手くなるって流派だから、それなら教える事が少ないのね。

でも繊細を目指すなら・・・って話。しかも、世の中は残酷でね、そのまま続けても万が一、10年続けるのなら、残念な結果が待っていると思うのね。

何故なら楽しい事だけを続けているのだから・・・だから作品が10年前とさほど変わっていないから、第三者に見せても進歩を見抜いて貰えないのね。

でもこうした所作や考え方や、その良さを見抜く目を身に着けてしまうと、当然と言うか、そう言う人はこれを切りたい・・・って思うものなのね。

勿論、その時は切れなかったり、失敗も多々あるけれど、挫けずに耐えると、そのうち切れるのね。その失敗もどうして失敗したんだろう?所作間違えたかな?

って振り返ったりして、次の失敗を前の失敗と違う失敗をするように心掛けるのね。そうすると、あっこれは是正したんだ・・・って気付くものなのね。

つまりその失敗で、こんな失敗はこんな理由からだ・・・って気付けるのね。もうそんな事が出来るようになったら、ほぼ成功が手に入ったようなもの。

今失敗している事なんてどーでも良いのね。だって未熟なんだから。フルーツだって成熟するまで時間は掛かるし、未熟なんて喰えたもんじゃないのね。

ただ成熟も未熟から始まるのね。しかも虫だって来るし、暑さ寒さも対策が必要だし、栄養だって水だって・・・何でも育てるって言うのは難しいのね。

それが人なんだから、そう簡単じゃ無いのね。でも農家なら経験値で、こんな事に気を付けるって知っているだろうし、でも自然には勝てなかったり・・・

何でも辞めなきゃ、経験値として役立つし、辞めてしまえばおしまい。そんな中でこうして進んでいる・・・キチンと自分の今までの作品を超えている。

お見事だと思うのね。そんな中、母の体調が思わしくなく、緊急入院の連絡が妹から来た・・・しかも両方の妹が来たって聞くと、ヤバいのかな・・・って、

思いもしたが、仕事が終わってからで・・・って事で話は付いて、終わってから向かったのね。どうやら緊急だったんで、病院が決まるまで時間が掛かったって

事でね・・・。そうね、ひとまず寝顔は見た。そしてしばらくぶりに兄妹3人で合った・・・大人になると、合う機会は冠婚葬祭くらいになるって、先人が

言ってた通りになりつつある。そうね、もう少し頑張って生きてろっ・・・心配掛けたまま逝かれると、後味悪いじゃん、かぁちゃん・・・。って、ほっぺ

叩いて帰ってから、アトリエに戻ってピエロの壁画の側面の絵を描いて・・・

まぁ困った時はミュシャって決まってんのね・・・昔から。


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リピーターさん教室

2024-10-29 07:18:56 | モザイクタイル教室

今日は日常に戻って、リピーターさん教室。そうね、ここまで来れば終わらないとか、そう言う悩みは無いんだけれど、本人曰く、考える事が苦手らしいのね。

まぁどうするこうする?って事を相談しながら考える・・・って言うスタイルが個人レッスンの基本とするのなら、考えたくない・・・って言う場合、普通は

サンプルを真似する・・・って事になるのね。まぁ簡単に言えば、ベートーベンとかモーツァルトは楽譜通りに弾く。だから生み出す事は無く、楽譜を真似

するのね、忠実に。茶道、華道もそうで、何とか流に入って真似をする。でももしスタバの技術開発的な新作を考えないとならないのなら、何か見た事が

無い飲み物を考えないとならないし、フラワーアレンジメントみたいに素敵ならルール無用みたいな・・・それがオリジナル。だからいかに自分らしく・・

となるから、その人がどうしたい、こうしたい、何が好き、何が嫌いって好みを語らないと、相談相手にもなれないのね。ただこれだけの回数を来て貰うと、

それと無く、人となりを知る事になる。例えばこの方、自己肯定感が低いらしい・・・とか、勿論考える事が好きでは無いとか・・・。こうした情報から

それならこんな事はどうだろうか?こんなのは?みたいに考えられる提案をする事で、それなら・・・って考える事を少なくして、選択する方法を取るが、

割とこの方は、その選択が早いし、受け入れないって事が少ないのでそのやり方で解決をして来たのね。これが、考える事が好きで無く、提案はことごとく

却下・・・って場合、ただ単に時間が過ぎて行く事になったりもするのね。ただ逆に何でもかんでも決めてしまっていたり、これ一択ってアイデアの場合、

例えば建売の敷地しか無いのに、絶対プールは欲しい・・・みたいな提案とか、決まった後で、実は車がトラックって・・・普通車でしょ車庫は普通。

って話のように、後出しじゃんけんみたいに後から・・・とか、そりゃ考える前に無理でしょ?って話でも、小さくても良いです・・・なんて感じに粘り、

じゃこんな感じって事?なんて提案すると、それならやっぱ良いです・・・ってやり取りを繰り返すと、このやり取りに呆れちゃう人もいるのね。

そんな事も多々ある中、もう少しで切る練習をしたってだけで、オリジナル作品になっている・・・最初は1cmで丸を切っていたのに、今では1cmの4分の1の

丸を切れるようになっている。これだけでもかなり切る事が上手くなっているのね。ただ自己肯定感が薄いし、本来ならそんな場合、相席に上手い人がいて

感想を言って貰うだけでも、自信に繋がるんだけれど、それもなぁ〜まぁ、無理に押し付けるのもね。そんな中、今日驚く事があってますますそう思ったのね。

それはこの方、凄いパンダ好きでね、当然グッズも沢山持っているだろう。そんなファンは違う分野でも見たし、自分も何かを集めたって事はある。

ではそれらは一体どうなっただろうか?って言うと、熱が冷めた時に捨てちゃうとか、あげちゃうとか、きっと今ならネットで売るなんて事もあるだろう。

でも、それは熱が冷めたからであって、それまでは持っているものなのね。でもこの方、自分で買ったものでも手放す・・・それがパンダでもって。

勿論、全部では無くて、沢山ある中の一部って話だけれどね。つまり本当に大事なもの以外って選択なんだろうけどね。こんな大事なものを選択出来るって

スタイルは決断力がある・・・とも思えるのね。つまり選択なら、考える事よりも得意かな・・・と。だから悩みが少なく無駄に時間を使わないんだろうな

・・・とも考えられるのね。いずれにしても、そうこうしている間に、これだけの作品が終わろうとしているのね。後少しでね。そんな後は、ピエロの壁画の

玄関の両側面のアイデアになるんだけれど、両側面って左右対称みたいな感覚だと、狛犬的に同じものって場合もあるし、風神雷神、角さん、助さんとか、

似た感じなんだけど違うみたいなものがあったりする。ここまで来ると、やはり床屋さんと電気屋さんにこだわった方が良いかなぁ〜と思って、ロゴを入れる方向なのね。

だから今、ロゴを何個も描いてるんだけれど・・・方向性が見えているんで、後は具体的にデザインなんだけれどね。

 


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