katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室と蕨の下地のペーパー掛け

2025-03-01 07:09:02 | モザイクタイル教室

今日はキウイ教室。と言ってもカットTBのみんなで作る壁画の最後のキャラのサル・・・既に数日前に棟梁とりょうさんは完成してる連絡は来ていて・・・

キウイが最後となっていたのね。まぁ昔からだけど、キウイは厚みのあるタイルに弱く、手が痛くなる・・・だから長い時間一挙には向いていないが、今日

1日で終わらせないと都合が付かない感じだったんで、残ったら俺がやるって話にしてあったが、結構遅くまでやって完成させたのね。これでほぼ全部キャラは

終わり、後はキリンと馬の合体部分のバックがわずか残っている・・・って感じで、場合に寄っては当日張っても良い位の残りなのね。だからほぼ終了。

後は現地の壁の洗浄と下地塗りをやった後、取り付けになる。いよいよ・・・って所までは来たのね。そんな中、蕨の下地のペーパー掛けが終わり・・・

後はペンキを塗って、ペーパー掛けをして、仕上げのペンキを塗って、磁石を付けて完成。もう音の出る工程は終わったんで、夜も出来るのね。

それが終わったら、近々にコープみらいさいたま用の下地を作って、同じく東京用の夏の親子教室のサンプル・・・と続くのね。まぁそれが終わったら、次の

京葉店のピエロに入ろうと思うのね。こっちはピエロ1人のみで、なるべく大きく見せようとしているので、まだ未定に近いバックが・・・って感じ。

そして最後にオーナーの自宅のピエロの壁画の玄関床をやって、ピエロの仕事は完成になる・・・そしてそれが終わる頃には、麻布小の壁画をスタートって

流れになると、気が付けばもう夏・・・なんてあっと言う間なんだろうな・・って感じなんだろうね。ただ欲張りなのか、慎重なのか、もう一つくらい上乗せ

してみたい気もするが・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さくら教室とピエロの張り終わりと下地の続き

2025-02-28 01:01:42 | モザイクタイル教室

今日は午後からさくら教室。ただその前に蕨の下地の続きから。

全部切り抜いて、ペーパー掛けをしていたら、妹から連絡があり実家で合流して区役所へ・・・。まぁじいさんばあさんの用事。そんなこんなでお教室・・・

なんだけれど、まぁさくらが来ると、色々やる事が多いのね。まっほぼ買い物なんだけれどね。そんなこんなで、まずは一粒で良いから動物。

さるのほっぺのみ。まっこれならやるだろうな・・・って話で、その後雛人形。何しろ、初節句の人にプレゼント・・・って事で、そりゃ大急ぎになる。

じゃアシストすっか・・・って話。そんなこんなで、何とか張り終わったのね。そんなこんな中、ピエロ完成。

そうね、麻布小の壁画と違って、内容がゆるい分、可愛いのね。何せ麻布はテーマの中に戦争ワードがあるんだから、それだけでもきつい話なのね。

それがピエロと動物の理髪店なんて、何処にも無いし、蕨のワークショップにしても、寿司のモザイクなんて、ちょっと馬鹿馬鹿しい感じでしょ?

こう言うのは、ただただ楽しいとか、面白いの追求だから良いのね。たださくらの雛人形のような場合、何しろ報われない作品なのね。それは可愛いから。

例えば凄い作品って言うのは、大きい・・・って言うのは、迫力って言葉に繋がり見る人をビックリさせたりしたり、細かいって言うのは、繊細って言う言葉に

なり、これもまた凄い・・・になる。これが綺麗なんて表現になると、その人の好みにあった事で、素敵とかに変化するが、可愛く小さいって作品は、ただ

可愛いだけになる。そもそも技術が判るのなら評価が正しくなるから、小さかろうが間違えない判断になる。でも普通は見た目で判断なのだから、可愛い

評価は加点が無いのね。これが自分のものならそれで良いのね。それは報われようが報われまいが、腕の向上だけの為なら納得が行くのね。所がこれが人へ

プレゼントとなると、技術は判らず、手間の掛かった時間も判らず、ただ有難うの言葉と可愛いぃぃってだけ・・・まさかこれをプレゼントで作っているとは

・・・。目を穴を開けるとか、桜の花びらに切り込みを入れるとか、最悪なのバックのひし形・・・こんなキチンとした形のバックをやれば、適当に出来ない分、この作品で楽な部分が無いのね。つまり何ら大作と変わらない時間・・

それが大作ならもっと評価が高く見えるのに・・・しかも完成を早めないと、間に合わないし、時期外れになっちゃうのね・・・だからアシストして、

終わらせたのね。ただ時間も時間だったから、張り終わっただけ・・・後は俺が目地をしてアトリエから発送って事で・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リピーターさんと寅さん教室

2025-02-25 07:13:02 | モザイクタイル教室

今日はリピーターさんと寅さん教室の2本。まずはリピーターさんから。前回、張り終わっていたんで、事前に外枠のペンキを塗って仕上げていたんで、今日は

目地入れして完成したのね。これで35cm。そこそこ大きい作品だが、良くカットし続けたのね。以前ぺきぺきで犬を作った事があるが、今回の作品を経て、

新作の相談となったんだが、模様の繰り返しが気に入ったようなのね。例えば、模様と言うと幾何学模様とか、モスクとか、モロッコとかイメージする

ワードが出たりする。しかし、パッチワークなんて言うワードだって、模様の繰り返しってくくりなら仲間になる。良く新作の構想なんて事が苦手って言う人が

いて、この方も考えるのが好きじゃない・・・って。そうね、それなら数学みたいに考えるでは無く、算数くらいで考える事で済むようにアシストになる。

そもそも構想をする時に、そう言った苦手な人は何をどう考えようとするんだろうか?って言うと、完成した作品を思い描こうとするのね。いきなり・・・。

まず人に伝える時は、少し悪意が入る説明の方が身に沁みるのね。何故なら、人は都合の良い方を選ぼうとするし、自分に有利な解釈をしようとするし、

気が変わるし、方向転換をしようとする。これを防ぐには比喩としての例えを、フォーマルとカジュアルとでは全く違うし・・・と例えるのと、泥棒と警官

とでは全く違うしと例えても、巨人と阪神とでも、右翼と左翼とでも何でも良いのね。反対側にある・・・って例えだから。だからまず気紛れ、気が変わるに

しても、こんなに変わると趣旨が変わるから、それは禁止って言う覚悟が一歩目。これがいちばん大事な事なのね。ではここでどちらかに身を置く。

これが基本になる。その時に話を戻して、出て来たこの方のワードをまとめると、考えたくない、模様が好き、これだけ切れる、水色が好きそう・・・

って事になると、一度使ったデザインを繰り返せる模様は、この方に合っているし、簡単なのは、この作品を20cmの所から始めたり、コースター辺りの模様から始めたり、その丸の大きさを変えたものを何個も繰り返すのね。

大小さまざまな丸。それを壁に張り壁画にする。そうすれば溜まった時に張れば良いし、心変わりするなら辞めれば良いし、でもひたすら考えずに切り、

その日の気分の大きさを作れば良い。そうすれば何も考えずに進められる。では次は模様。わざと仲間にパッチワークを入れたが、そもそもここに違和感を

感じる人もいると思うのね。モスクやモロッコの中にパッチ・・・模様と言うくくりなら、何の問題も無いはずなのに・・・これが気付きの一歩目。

要するに違和感を感じた人は、数学に算数を混ぜたような気持ちになるのね。何かフォーマル側にカジュアルが入って来たような、格式が高い側くらいに、

高い位置側と考えると、パッチを低く感じるし、逆にパッチ側に立てば、気取ってて・・・って事になる。相交えない感じがするのね。こんな事を踏まえて

どっち側になるか?を決める時に、厄介なのは自分で決めるのに、反対を選んでしまった場合・・・まぁ大抵思い込みとかなんだけれどね。こっち・・・って。

何しろそもそもが考えるのが苦手。でも自分の事なのね。そこで確認をするのね。まぁファイナルアンサー?ってね。それは、一番最初にここに来た時に、

パンダ好きなんで、いつか上手くなってパンダが作りたい・・・って。そして犬もリアルに作った経緯。それは全く今は興味が無いですか?なのね。そこでもし

間髪入れずに、ハイって言うならパッチは捨てて。その時点で格式重視。余計な遊びは禁止。ひたすら繰り返す事、以上。後は好みの模様探しのみ。

所が丸より四角が好き・・・って言うのね。こうなるとパッチが外せなくなる。丸だからパッチを外したのに、四角だとまたパッチが削れない・・・

ん・・・じゃ、リアル気味のパンダを入れて、模様の繰り返しのパッチ風味。なんてやり取りが後半の話だったのね。ようやく方向性が決まったのね。

そんな後は寅さん教室。と言ってもカットTBの動物。

寅さんはカバね。これをやりつつ、さっきと同じような話になったのね。まぁ要するに構想って言うのは、自分自身を振り返り、何をどう考えて作るか?って

話だから、その考え方が身に付くと、それはこれから生きる・・・って話でも同じなのね。ここも伝える為の悪意で話せば、所詮趣味ごときの自分と向き合えないのに、これからの人生と向き合う・・・って。

練習も無しで、いきなり本番を迎えるの?それならそんなに結果を望まなくても良いじゃん。なるようにしかならないのだから・・・ケセラセラとでも。

でももし、所詮趣味では無くて、例え趣味でも・・・と取り組む姿勢を持つと、自分と向き合う練習をしているのだから、いつか自分の人生なんて言うのは、一番の構想しないとならない部分になるのね。しかも逃げ道無しでね。

寅さんは旦那さんを亡くし、1人の人生になった。でもそれを言ったら俺もずっと1人。確かに痛みのある内は骨折と同じで、支えが必要になる。だからかばう事になる。

じゃそれをいつまで続ければ良い?・・・そしていつまで気を使いかばわれ続けなければならない?そしてそうしてお互い楽しい?って話なのね。それを優しい人が

本当に優しくて、厳しい人は本当に厳しいのか?・・・常に自分の都合良くなるのは、相手が気遣ってくれるからであり、気遣ってくれるのは、相手もそう思ってくれているからの成立。でもそれがもし、可哀想だから、気の毒だから・・

と気遣っていたとしたら?・・・それって、自分が上の前提で、気遣ってくれているバランスであって、もし相手を上回る何か?を手にした時でも、同じ気持ちで続けられれば、本当にそう言う人だろうが、可哀想な人が可哀想でない人に

見えなくなったら不成立になったとしたら、可哀想だったらそうしてくれていた人だった事になる。つまりその人と仲良くし続けるのなら、一生可哀想な人

でいないと成立しない事になる。でも叱咤激励とは、激励もあるが叱咤もあるって事。今どきのコンプライアンス的に言うのなら、叱咤激励はご法度らしいが。

頑張っている人に頑張ってって言っては行けない、しっかりしろーって言っても駄目、じゃ安心安全プログラム通りに、定型文を心を入れて読めば良いのね。

本当に伝わるのかなー。ただ伝わるのならそれでも良いのね。それならロボット量産型スタイルだから、普通って言う人間製造なのね。ただもし自分らしい

生き方なんて、自分らしいオリジナルなんて考えているのなら、定型文、予定調和、コンプライアンス、どーでも良いのね。ただまず自分を知らないと。

例えば相方やツレが居なくなった。それが大きい存在と言うのなら、その人が100点なら今自分の人生はマイナス100になった。もしこのまま何の種も撒かずに過ごせば、歳を取るって事は老いる事だから、今出来ている事すら出来なく

なる可能性が高くなる。つまり亡くした、無くした、無くしたとマイナスを生きなければならないのね。しかも身の回りの人に家族があり、孫が出来、楽しく見えれば、見えるほど、その人と付き合わなければならなくなるのね。

そんな気分では、もはや不幸自慢しか出来なくなる。それで楽しい?仲良く出来るかな?いつかみんな1人になるのね。ただそれが自分の思っていた理想よりも

早いお別れが来てしまったのね。でもそれでも生きないとならないのね。その気力が無い人は死しか無いのだから。でもそうで無い側を選ぶのなら、不幸の

まま生きられる?そりゃ無理だね。そんなに気は張り続けられないから。そんな人が楽しい人生にしたい・・・って。そりゃ思い違いしてんのね。良く考える事なのね。

そもそもその言葉自体、ナンセンスに矛盾なのだから。こんな矛盾を目指せば、すぐに落ち込んで当たり前なのね。何故なら生きると、楽しいは正反対に

ある言葉だから。楽しいって何?・・・笑うとか、趣味とか、娯楽、旅行、音楽、体験・・・気持ちがスッキリ楽になるような事だと思うのね。

しかしながら、生きるって何?そりゃラクなんて人、あんまり見た事が無いのね。勿論、貧乏作家の廻りではそんな裕福な人はいないよ・・・って言うかも

知れないが、お客さんは貧乏とは限らないのね。でも普通に大人ならラクな人は何処にもいないのね。それがお母さんなら、毎日の家族の支度・・・

自炊をするようになって、益々大変さが判るし、世話をする喜びもあるが、生意気な事を言われる事だってあるし、ご近所付き合いだってある。勿論働けば

有能か無能か?で給料も変わるし、出世って言うランクも地位も変わる。みんな生きるって大変で辛いものなのね。つまり楽しく生きるって文章は日本語として

合っているような気がするだけで、全く間違っていたとしたらどうする?って話。勿論、それで楽しくなるのなら、信じる者は救われるだろうから、毎日

そう唱えてくれれば良いじゃないのかな。でももしそうじゃ無いな・・・って思う人が何かのきっかけにしてくれれば良い話で、つまり何を一番に置くか?

なのね。例えば間違えて一番楽しく、二番が生きるってすると、楽しければ成立するが、楽しくないと生きられない。でももし生きるを一番にしたら、何としても生きないとならなくなる。だって生き続けないと、楽しいの2番に会えない

から。つまり権利が無くなるのね。だって生きられないんだから。でもきっとここを切り抜ければ・・・って思えたのなら、そこに光はあるかも知れない。

でも楽しいを一番に置けば、ご飯を食べても、テレビを見ても、花を見ても、楽しくない・・・って思ったら、ご飯を食べて生きられる権利があっても、生きる

気力が無い。ここも気。つまり心技体で言うなら、心が折れている状況では、技も体も崩れるのは目に見えている。今、寅さんに大事なのは、今こそ気。

無くしたものが大きければ、1円ずつ取り戻さないと、でもそんな大金無理となる。勿論すげ替えるのなら、男の穴は男って考え方も良いし、お金で娯楽って

言うのも持っているのなら、それも良い。がしかし、もし該当するものが無いのなら、継続しているものが力となるだけ・・・。降って湧く訳無いじゃん。

今の俺には楽しさを伝える技量は無いが、生きる気力を元に戻すだけなら、それは誰よりも自信がある。だってそんなの自分が経験した事だから・・・

楽しいってのは娯楽、気楽、ラク・・・日々の生活に追われ、厳しい日常であればあるほど、効き目が即効性がある。つまり疲れなら湿布。でもそれが生活

・・・湿布しても楽しくない。だからそんな人は映画とか、美味しい料理とか、つまり五感の刺激。欲を満たすって事になる。ただ強欲だと、足らないのねー。何しても・・。

でも無欲だと、無気力な感じで、瀬戸内寂聴さんかーぃみたいになる。ただ人って欲があるから、食べて生きるだけじゃ満足しないし、何かをして気が滅入った事が晴れたとしても、また生きていると辛い事ばかり・・・。だからまた、

何かで埋める。でもその刺激も慣れると効き目が薄くなるから、趣味のお引越しぃぃってな事になる。ただ普通は日常の忙しさにかまけていれば、特に何も

しなくて良いのね。だって日常は常にやって来るから。家族がハプニングや楽しみを連れて来るから。そして伝統の催し物もあるし・・・お宮参りから葬式まで。

でも独りになると、それもみんな他人事。そして思い出に変わるのね。どうする?・・・ってだけなのね。だから、老後の種を撒く。老後に花が咲くように。

ただそれだけ・・・種を撒かなきゃ花など咲くかいな。しかも撒いたらしっかり面倒見ないと、世話って言うのを欠かせないのね。それは人も同じ。

生徒さんが枯れないように・・・でも冬はきっといつか終わる。だから春が来るまで備え方の指導。凍えて死んでは元も子もない。今持っているアイテムで

冬を乗り切るアイデアを考えないとね。俺はドラえもんじゃ無いから、アイテムは出せないけれど、知恵だけは負けずにある。・・・かもね。

信じる者は救われるのか?触らぬ神に祟りなしなのか?は、その人が決める事だからね。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杏さん教室とあれこれ・・・

2025-02-24 03:44:54 | モザイクタイル教室

今日は杏さん教室なんだけれど、カットTBの動物キリンの続き。結果から言うと、張るのは順調だったが、時間的に難しくなりアシスト付きで何とか終了。

やはり昨日の健さんと言い、時間と量のバランスが悪かったのね。完全に俺のミスだったのね。きっと3回位の量だったんだろうな・・・。ただまた1人、

終わったのね。きっと完成が楽しみだろうね・・・みんな揃うと圧巻だろうしね。そんな後は父の用事を終えた後、ホームセンターに木を買いに行き・・・

足らずのタイルを持って棟梁の所へ・・・すると、やってる、やってる。しかもりょうさんも・・・。順調で、後からりょうさん完成の知らせが・・・。ただ

棟梁はちょっと残しになったらしい。やはり体付きの人は3回なんだろうな。

その後、蕨の出張教室の下地作り・・・まずは写して・・・プチッとピエロ。

何かちょっと後半あれこれ・・・って感じでバタバタしたが、それなのに久し振りに連休ダメージ・・・って感じになったのね。それは昔良くなった孤独感

とか、何となく・・・ってちょっと寂しいとか・・・ほんの少しだけね。昔はもっと貧しかった事もあり、連休と知らずにバスとすれ違うと、国旗が付いてて

連休だと気付かされ、そんな意識を持つと、例えば成人式だったり、七五三だったり・・・って家族の行事なんて事だったりすれば、自分には無いもので、

何か自分だけ無いな・・・なんて気持ちになると、貧しい上に更にダメージになる。ただあの頃よりも貧しさは無いし、仮に連休に行事なんて事を上乗せしても

慣れもあるし、正直そんなにダメージになるとは思っていなかったが、何となく程度に・・・へぇまだそんな気分になるんだーって。でもそれも良いかなって。

例えば、そのプチッと嫉妬、ねたみ、欲望とか、孤独感って、満足感まで程遠い気になるし、ハングリー精神的には、じゃそうならないようにやれよ・・・

的に、発奮材料になるし、良いじゃん・・・って取れば、プラスになる。ただ、何でそう思ったんだろう・・・ってそっちが気になるのね。一体、俺は

何でそんな気持ちになったんだろう・・・特に羨ましい気持ちになるような祝日でも無いし、ゴールデン・ウィーク的な大型連休で浮かれ気分の雰囲気も

無かったし・・・単なる3連休なのに。しかも自分も孤独とは無縁なお陰様でお教室も入っているし・・・人と接して話す機会があるのだから、孤独感とは

違いそうなのね。ただ大体想像付くんだけれど、本当にそれで合っているのかな・・・。まっ、それがもし合っているならそれも経験の1つになるんだろうが。いずれにしても、何をどうして立て直そうか・・・って話。単なる気分なら

黙々と何も考えずに下地でも彫れば、時間は過ぎるだけで、完成する安堵感や、満足感は得られる。これはいくらかプラスの気持ちになる。もしそれが

先生としての気持ちなら、先生katsuとしては立て直しのきっかけになるし、ピエロにしても、もう単純に赤を入れるだけであり、簡単に時間が解決する。

そうなると、また新しいピエロの緊張感となるし、取り付けなんかをすれば、今度は期待感なんてもんもあり、新鮮な気持ちや緊張感なんてもんも手に入る。

どう考えても、のんびりする気は無いし、気持ちが切れる状況では無いし、特に支払いに追われるような事も無く・・・そう言う点では余計な心配で気持ちを削られるような事も無い。作家katsuとしても困る事が無い。

そうなると、自分の問題なら、後は人間katsuとしてになる。人としてなら、そう言う家族とか、子供とか、そう言う自分に無い行事などのダメージになるが

特に思い当たるフシは無い。そうなると自分では無く、人から受けたものを自分に当てはめて、何か自分がしてあげられない・・・もどかしさや無力感と言った、孤独とは逆の関わった分のダメージとなる。それを他人事だから・・・と

流せる性格ならまだしも、感受性が豊かと言うのは、他人事では無く、一旦それを自分に落とす事で、自分の事とする・・・癖があるのね。勿論、それは考えるだけで、解決出来る事では無いのね。ただ引きずる時間の問題。

果てさて・・・俺の気分、単なる緊張だけなら、取り越し苦労とか、老婆心なだけなんだが・・・。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

kameyaさんと健さん教室

2025-02-23 06:30:28 | モザイクタイル教室

今日はまずkameyaさんの出張教室。ではまずラパンさんから。そうね、まずこれを見た時にどう感じるか?・・・それは音楽を目指さなくても、サザンを聴いてどう思う?みたいな話とか、料理を作らなくても、このラーメンどう?って

感覚の話ね。だから誰でも感じるって権利があるのね。その時に単なる好みで答える癖が付いていて、そのまま押し通すような人の場合なら、そのままで

どうぞ・・・なのね。ただお教室として習う場合なら、もう所作として駄目なのね。だって好きか嫌いか、趣味か趣味じゃ無いか?だけなら、馬鹿か利口か、

下手か上手いか、綺麗か汚いか、・・・って言うだけの表現しか出来ないって言っているようなものなのね。つまり自分の好みで、好きじゃないと表現すら

出来ない・・・いくら長く習い続けても・・・これではただ技術のみを習うだけなんで、絶対にある一定線までしか伸びしろが無いのね。やる前から見えているのね。

しかも、更に心技体となると、続ければ続ける程、大きく差が出るのね。だって習うのは技術だけで、全部自分の好みで自分が決める以上、受け入れる姿勢の

許容範囲を恐ろしく狭くする・・・そう言う考え方である。って言う姿勢である・・・って言われているようなものなのね。つまり岩石のような頑固な人、

それで技術だけ教えて・・・お金は払うから、一ヶ月に一回数時間だけやるから・・・これで何回やると上手くなる?って話なのね。所がラパンさんは、

カルチャーから始まった人なのね。だから、月に1回でも結構やっている人になるし、もっと前から他でモザイクを習った事のあるとなると、モザイク歴は

もっと長くなる。そう考えた時に、この始まったばかりの大作をどう感じる?と見た時、出来る出来ないだけなら、出来たら凄いだろうなぁ・・・位は、子供

でも感じるのね。じゃ何で凄いと思えるか?それは額として俺が作った下地のポイントがオリジナルとして立派に見えるからなのね。だってまだタイルはそんなに張られていないのに、凄く見えるはずが無いし、習っているなら切ったパーツ

を見て、技術を理解出来ても、やった事が無ければそんな事判るはずは無いのね。つまり今は俺の下地ポイントで上手く見えるのなら、これから自分の

モザイクでポイントを稼ぎ、いつか張り終わった時に、凄いよね・・・このリース・・・下地も・・って、俺の下地を上回る事が出来れば、より凄い作品に

変化させる、見た人にそう表現して貰えるようにすれば良いのね。って話になるのね。じゃどうしたらそう見えるのか?と掘り下げて行けば、出来るかどうか

は別にして、方法論を考える事が出来る。そう考える事に繋がる。では具体的にどうするか?・・・

この落書きは花の一部のパーツの解説に使ったんだけれど、全て同じパーツの説明なんだけれど、一番下だけロボットっぽく見えないかな?これが感じる

一歩目なのね。では何故そう見えるのか?それは直線だから。要するに花を作るに当たって、柔らかいラインが必要なのに、カチンってタイルを切れば、硬い

タイルをカチン・・・では真っ直ぐにしか切れない。つまり直線だけで柔らかい線を出すなんて事になる・・・まず不可能だね。それを切ったって言うかな?

それが始めたばからなら、良いけれどキャリアを積めば積むほど、上手くは見えないのね。何故なら算数のままで、数学にならないから。簡単のままのキャリアになるから。ピアノを習って何十年、咲いたぁ〜咲いたぁ〜って、単音を

弾けますぅって言われてもね・・・つまりそのまま続けるのなら、オリジナルの作曲をするのなら、いつか校歌くらい作れるかもね。ありゃ軍歌とか、行進曲だから、タンタンタンタンだから。それをタタ、タンとか、タッタタンとか、

この変化のリズムを刻まないとならないから、タイミングを問われるし、それをダンスとするのなら、いちにっさん、にぃにぃさんみたいになると、ワルツ

になるし、いち・・・いちにっさん、にー・・・にぃにぃにっさん。ってダンスなら、切れの良い動きになる。それをタンタンタンタンなら、行進。

ただ小学生も行進だが、軍隊も行進。質が違うのはやる気とキレ。こうやって自分はどうする?・・・これが意識。どうしたい?学校もそう。何処でも良い・・・もはや馬鹿でーす。って言っているようなもの。やる気を感じ無い。

頑張りますー・・・これもほぼ同じ。頑張らなくて良い。続けられればその内に上手くなるから・・・そして続けながら意識を変える。意識が変われば行動

が変わるから。簡単な話なのね。ただこの意識を変える事が、先生として難しいのね。何故なら人は簡単には変わらないし、簡単にも心変わりするから。

気紛れなんてのもある。気だね・・・。ここも。って理屈は判っても、俺は瀬戸内寂聴さんじゃ無いからね・・・ただそう見える人もいるんだけどね。あはは

では心は別にして、テクニックって簡単な説明ね。カチンではドーってピアノの鍵盤を叩いて音がしたとか、ザクッとじゃがいもを切った・・・こんな感じ。

それを優しくとか、悲しくとか、楽しくとか、意識して・・・って言っても、わかんなーいって人は、考えてないのね。でも、優しく背中を踏んで・・・も、

親の仇で踏んで・・・でも一緒な感性なら、いちいち踏み方教えないと判らない?違うよね、自分ならこんな感じ・・・って想像するでしょ?それそれ。

それで弾く、それで切る・・・ただそれだけ。その意識があれば、カチンでは真っすぐにしか切れないから、形がゴツゴツする。だからユルっと見せるには

どうしたら良いのか?って意識になる。その意識で切ろうとするが、技術が無いから切れない・・・そう意識が整えば、その気持ちで技術が無いのなら、それはこうするんだよ・・・に繋がるが、そんなの関係ねーって心持ちなのに、

いくら技術を教えても、面倒臭いな・・・って思っているでしょ?って話。きっとラパンさんは今日、本気で花を作ろうとしていたのね。曲げようと・・・

そんな人は、確実に花を作ろうとするのね。ただ色を選んでタイルを切ろうとはしない。花びらを作ろうとする。そんな意識に変わる。そんな中、棟梁はカットTBの動物のキツネ。

本当なら棟梁の腕を持ってしたら、その技術で徹底的にフサフサを作りたいと思うのね。でももしそうしたら?あぁ隣のりょうさんに思い切り差を付けて、我ここにあり・・・では無いのね。例えば、この作品に関してどう思うか?

それを頑張ろうとか、一生懸命とか、参加する心構えとして日本語としては合っているのね。でもそれ本当に?・・・なのね。まぁ他でならそれで良いけど、

俺の所ではそんなの要らないのね。まずはやるって参加を決めたのなら、終わらせる・・・って覚悟ね。つまり質の前第一は終る事。大体の時間内に。

つまりいつもの自分の作品とは全く違うのね。では何がそんなに違うのか?それが棟梁がいつものように、いくらでも時間を掛け、テクニックを屈指し、タイルもあれこれ使い、徹底的に切ったのなら、他の人達と比較した時、どう写る?

そりゃ隣に作る人はプレッシャー掛かるだろうね。だからかぐやは下部にしたのね。しかも隣が居ないように全部ってね。この場合、下部全部かぐやだから

比較する為には全体を見渡す程、離れないとならない。つまりバス通りの二車線分離れる事になると、繊細さまでは見られない。つまり比較出来ないのね。

しかし隣では、横だから目に入る。比較しやすい。でもみんなで作るって一歩目の段階なのね。だから全力で一生懸命で上手さの追求なんて自分の作品で

やるべきなのね。この作品は約束を守る・・・ただそれだけ。それはなるべく切らないで、目地幅を統一して、画像を良く見て・・・そして2回分くらいで。

でもね、棟梁のきつねは結構大きいのね。でも同じ教室2回分くらいで・・・って事にすると、キャリアの未熟な人へのハンデになるでしょ?それが練習。

しかもりょうさんが隣にしてあるから、きっと一緒にやるだろうね・・・。

ちなみにりょうさんはラクダね。まぁここまで来れば楽だね。あははは。要するに切る事や技術がある棟梁には、大きくて切らないモチーフのキツネで、みんなと同じ時間でりょうさんの面倒も見つつ・・・ってハードルが

プレッシャーになるのね。ただそれも踏まえてトップにしたはずだったのに、まさかのインフルで、最後に始めるのは予定外だったのね。まぁそれでもこれを見れば、心配無し・・・後は任せたよとなる。では戻って健さん教室。

と言っても、アライグマね。結果としては、今日は7時間・・・結構掛かっちゃったのね。これは健さんのせいでは無く、俺の見積もりが甘かったのね。

ある意味、明日の杏さんのキリンも同じ事が起きる可能性が高くなったとも言えるが、何しろ目標としてある程度の時間で完成させる・・・であって、

無理やり終わらせる事が望ましい訳では無いから、終わらなそうならアシストはする。まぁとは言え、また1人完成したのね。何かこうして次々終わると、

取り付けがとても楽しみになって来たのね・・・ちょっとワクワクもする。ただ逆に、これがターニングポイントの作品なのかぁ・・・となると、ホントかよ

・・・って気持ちもあるのも確かなのね。確かにもっと自信のある作品はあるだろうから・・・。ただね、ただ、世の中に見つかる作品としては丁度良いって

話なんだろうから・・・。ひとまず今日はおしまい。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リピーターさん教室とカットTB大杉店のピエロ

2025-02-21 07:15:19 | モザイクタイル教室

今日は午後からとんかつのリピーターさん教室。って事で午前中は、実家でカットTB大杉店のピエロ制作・・・の前に、かぐやが忘れたゾウの尻尾。

これで下部は張り終わったし、ブタも終わっているし、段々と完成が見えて来ているのね。もう南篠崎店で手を出す部分は無いんで、大杉店のピエロ・・・

そうね、小さいながらも中々インパクトはあるし、考え方としては、新しい店舗の南篠崎店は全体に壁画としてやるって事で、賑やかしの意味がある。

知って貰う意味でもね。それは全体にやる・・・って感じになるから、トレーナーのお腹にプリントしてある絵って考えると、凄いインパクトになる。

それが大杉店のように認知されているって事と、全体にはやれる部分は多いが、何しろ予算的に考えたりすると、ここはワンポイント的な、Tシャツに傘とか

蝶とかみたいな刺繍がちょこっとしてある・・・みたいに見せる考え方。つまり大きく見せたピエロの壁画を見た人が見つけてくれた場合、あれここも?

みたいな感じになると予定通りだし、小さいから可愛いぃぃ・・・これ何?って感じに、ここが1000円カットと知っていたとしても、行く事も無く、興味が

無かった人が、あれ何?・・・とか、誰かと話してくれれば、それで十分口コミとして話題になる。そう考えると、幹線道路の京葉店は、南篠崎店と同じ位、

やる事になるが、ここは目立つ場所だから、あれこれ小さくわんさかよりも、でっかくドーンとピエロにして、根本的にこれ何?にしたいのね。まぁ効果と

して考えるに、AUやあいおい損保のように、最初耳にした時、えっ?何・・って思ったのね。まんまと俺の脳は、それを考えた人にはめられたのね。

要するに当たり前の普通な名前では、脳は反応しないものなのね。それは予定調和として、耳にしても、何の会社だか、何をしてくれるものなのか?

自分に関係するのか?簡単に脳が判断出来ると、脳は興味を示さない。勿論、予定調和も良い事と悪い事は背中合わせで、って事は、それを探している人には

簡単に見つける事が出来るんだけれど、反面興味が無い人には、それは要らない・・・って簡単に判断されちゃうのね。ただ新しい会社として立ち上げる時

に、最初から判っていると判断される考え方と、それって何?って興味を沸かせる・・・洗脳チックにって言う考え方は、興味があろうが無かろうが、反応

させる・・・って仕組みだから考え方次第。しかもきっと知られた後は、名前よりもピエロの店的に認知されるだろうし・・・今後江戸川区で違うピエロが付いている店を作っても、理髪店・・・って言わせられれば大成功だろう。

そんなこんなのリピーターさん教室と言っても壁画教室。これが中々大変だったのは、前回顔を終えたのね。だから体残しだったのね。所が中々進まない。

話していてすぐに判ったのは、30分くらいで終わると思ってた・・・って。それはそうなるわな・・・なのね。一番やっちゃ行けない事、それはナメちゃったのね。

顔のが確かに難しいのね。何しろ表情が出る。そもそも人間なんてやれ二重だの、整形だの、美顔美白、ほうれい線・・・美に関してナーバスな生き物。

そう考えれば美人に作りたい・・・そんな意識を高く持ち、やりたい・・・ってモチベーションと、緊張感を持って進んだから、良い意味で余裕は無かった

のね。その慣れを持って、自分の判断で後は体だけ・・・簡単じゃん、だから30分くらいだろう・・・って余裕って思ったのに、3時間掛かれば予定とは大きく違う事になる。それは急に追い詰められた気分になる。

それがいつも言う気の問題。もし顔が思い通りに終わっても、体の方が量が多いし・・・って顔の時と同じ気持ち、気で取り組めたら何も起きなかった。

けれど、顔が一番難しい、後はバック・・・的に、気を抜いてしまったのね。こうなると、気持ちを立て直さないと、人は崩れるともろいものなのね。ただ良く最後まで頑張ったと思うのね。

もし時間が来て終わらなかったら、残りは俺がやります・・・って言うと、何とか自分で最後までやりたい・・・って。まぁ簡単に言えば、2回以上は掛けては駄目なもの。

つまり6時間程度って事ね。例えばこれを最後の人が終わるまで大丈夫って言えば、いくらでも時間が掛けられる。でも仮にそれで今、安心しても、それは今の

安心であって、本当に最後の1人になる・・・って言うのは、そりゃ緊張感としては厳しいものになる。それが最初から厳しいものである。でもやりたい。

なんて意気込みで始まったなら、それ程でも無いかも知れないが、普通はやってみたい・・・くらいの気持ちで始まったのなら、そんな感じの時間で終わらないと、追い込まれると、何でこんなのやるって言っちゃったんだろう・・・。

って気持ちになったりするものなのね。もうその後向きな気持ちになったら、気として終わるはずも無く、当初のやってみたい気持ちとは、掛け離れる。

もう何も見なくてもいつもの結果は出ない。病は気からとは、良く言ったものである。人って言うのは、気ってもので簡単に左右されるし、ノリ的なものなら、ノリ的な時間で終わらないと、簡単に崩れるのね。

それと結果が出ないとやった事も間違ってた・・・って後悔さえする。例えば、受験とか受かれば報われて、落ちると意味が無くなると考える。全く

安易な話で、もしそれだけ頑張った気持ち、気があるなら、今度はそれを次の目標に向かってその気の時間を使えば、次は報われる可能性が生まれるだけ。

ただ生きている時間をその繰り返しで使えば良いだけなのに。ある意味、諦めてくれると、続けた人の確率が上がるだけで、ある意味助かるぅぅって考え方

でもある。何でも一緒で取り組む時に、その覚悟と気持ちを持つ。ここから始められると、折れる事無く進めるのに、ノリやその時の気分なんて安易にスタートすると、簡単に続けられなくなるのは当たり前なのね。

ただ卓球の愛ちゃんじゃ無いが、目指す・・・なんて意気込みの人は少ないものなのね。普通は段々とそんな気分になるものなのね。何となく・・・。

だからこれも何となく・・・で良いのね。単なる経験値を付けさせたいだけだから。人に見られる・・・しかも作品展みたいに会期中のみなら片付ける。

でもこの作品は店が無くなるまで・・・が会期なのね。本来はそんな重みがあるものなのね・・・だって俺の仕事なんだから。でもそれでも有志としての生徒さんを参加させる意味は経験値なのね。人に見られる作品って言うものの。

その経験を何度も踏んで貰うと、人に見られる作品とは?こう言う事なのか・・・って事が理解して来る。しかも仕事には工期、納期がある。

それはみんなの都合では無くて、俺の都合なのね・・・自分の教室の予約とは違って、自分の都合では無くて作品の都合に合わせる事になるのね・・・。

しかもお金払ってやる事?って思えば、やりたくないだろうし・・・それも十分判った上での参加で無いと、この経験が花咲く事は無いだろうし・・・。

いずれにせよ、これは本番では無く、まだ練習だから、出来栄えよりも、時間内に終わる事と、正解探しよりも、不正解探し。それは駄目だけはしない・・

どれが良いなんて自分勝手にするのは、自分の作品でやれば良いのね。その正解探しは自分の作品で。これは自分だけ目立つ事では無くて、誰がどれをやったのか?が判らないように溶け込む。いかにみんなに馴染むかなのね。

みんなで作るとはそう言う事なのね。それを何度か繰り返して慣れた頃に、思い切り自分を出せる、しかも時間内に・・・になるのね。今はその前段階。

そんな事からすれば、とんかつさんが立て直したのは何より。良く最後まで終わったのね。これでまた1人完成したのね。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親子3代のご近所さん教室

2025-02-16 01:28:36 | モザイクタイル教室

今日は朝かぐやを駅に送ってから、親子3代ご近所さん教室。ただママは、ピエロの壁画のバックの動物をやってくれたのね。実はのぶさんが時間が合わず、

出来なくなっちゃったのね。そこでもしやってくれるのなら・・・って事で、スタートするも、全く悩む事無くすんなり終わっちゃったのね。お見事でした。

って事で、いつもの立体金魚。

何しろ平面と違って立体は色んな角度に対応しないとならず、張ろうとした時に、ポロッと落ちたりしてしまうのね。

まぁただこのグレードをキープ出来るのなら、ほぼ完璧なのね。これだけ出来るようになったんだから、ブタが終わったのも不思議じゃ無いのね。

お次はお母さん。きっと次は尻尾が終わるだろうから、いよいよコシミノ。果てしないけれど、何とか逃げ切って欲しいのね。そして小4の彼女。

かなり雰囲気は出て来たのね。中々厳しいパーツが続くものの、何とか逃げ切っているのね。ただ問題はお母さんが完成してしまった時、ヘコミそう・・・

気持ちの問題だと思うのね。ただ2人が終わってもブレないように、それだけ凄いのを作っている・・・って伝えてはいるんだけれど、何しろライバルなんで。

先に終わられた・・・って思わなければ良いんだけれど。ただここまでは文句無しなのね。そんなこんなで終わった後は、足の捻挫もあるけれど、ちょっと

気持ちの立て直しをしないとね。何かね・・・一段落って気が抜けたような。まだそんな段階では無いのにね・・・果てさて・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カットTB南篠崎店のピエロの壁画の2周目縁取りと寅さん教室

2025-02-09 01:10:14 | モザイクタイル教室

今日は午後から寅さん教室。それまではカットTB南篠崎店のピエロの壁画の縁取りの2周目。ただ半日だからねぇ・・・とは言えやらないと進まないし。

まぁそれでも何とか後少し・・・って所まで来たのね。そんな中、杏さんから連絡があり、昔作ったカサブランカの壁画の側にいるんですけど・・・って。

そんな訳で住所を調べて教えたのね。見られたかなぁ・・・。そうね、もし見て貰えたのなら、今の杏さんの実力を持って技術を見て貰えるのだから、好み

で評価はされないし、弟子のかぐやの腕も少しだけだけど、改めて判るだろうし。ある意味、この動物に参加する意味も理解出来るだろうと思うのね。

要するに俺と一緒に壁画を作る・・・今見ようとしている壁画のかぐやと同じ事をしようとしている。勿論、かぐやと比較をしている訳では無く、参加する

意味だけが判るだけで、取り組み方が変わるだろうね・・・って話。そんなこんなで寅さん教室となるんだけれど、先月お休みしている事もあって、もしその

時間を取れるのなら、参加しますか?と言うと、出来ます・・・って事で、3人目の参加となったのね。ただブログは読んでいないらしいんで、この壁画の事を

全く知らないらしく、説明をして参加となったが、もし杏さんが壁画を見ての参加となるのなら、ブログを読んで、過去の壁画を見ての参加となれば、当然

色々とプレッシャーにもなるだろうけれど、知った上の参加と言うのは、覚悟の上なんで、終わらせるって事がどんな事かも判った上となる参加。それなら

それを前提となれば、こちらとしてはキリンをやって貰おうかな?になる。意味は簡単で、大きさが倍になるって事。同じように明日、5人目の参加となる、

健さんは同じように何もかも知った上の参加なんで、時間も気にしてくれた上となれば、あれだけ切れる上の参加となれば、顔が複雑なアライグマだな・・・

って事になる。そう考えると、何も知らないって寅さんの参加は、知らぬが仏って事で、ノープレッシャーになるし、簡単に言えば終わらなければ、手伝って

終わる事も良いだろうね。要するに前回のバックよりもやった・・・って経験値になれば良いだけだから。こんな事も昨日の話と全てが一緒なのね。

全ては覚悟でスタートした場合、やる前からプレッシャーが掛かり、終わらなかったら・・・って事や、そんな事出来るかな?とか、みんなと比べられるとか

色んな事を意識する。その上での参加は、ディフェンダー的な考え方なのね。つまりありとあらゆる後向きの事を考えた上なのね。だから、それらを踏まえ

何が自分に足らないか?となれば、大事な事は時間。つまり自分が終わる為の時間を取れるか取れないか・・・なのね。それはいつもとは全く違うのね。

いつもは自分の作品を自分の為に作る時間の予約。だから自分の都合。今回の場合、自分がやって見たい・・・と思ったのなら、いつもと同じでやりたい

自分の都合で一緒なんだけれど、いつもよりも早い段階の予約を入れようとする。しかしながらそれを、先生に頼まれたから・・・と言うのが、強制的に

感じれば、何でお金を払ってこんな人のものを作らないとならないのかな?って気になっても不思議じゃないのね。考え方1つなんだけれどね。上手くなるって

点では、人に見られる発表会みたいなもんなんだけれど、単なる発表会はほんの一瞬でありはかなく消える短い時間なのね。今回のは店舗が無くなるまで、

ほぼ永遠かも知れない・・・そんな発表会。しかも会場内なら来た人だけの話しが、見たくもない人にも通りすがりで見られる事になる。中々そんな教室は

無いと思うのね。それを覚悟した上なら、今参加する前からプレッシャーを受けつつ始めると、緊張感ありきのスタートになる。でもその緊張感にもいつか

慣れる。逆にノープレッシャーの人って言うのは、やればやるほど段々とプレッシャーを受けて行く事になる。ではそれを踏まえて、今の自分の作品に

置き換えれば、簡単に自分を知る事が出来るのね。つまり覚悟ありきの大作に望んだのだから、ある程度考えた上でのスタートになる。しかしながら、でも

思っていた以上に大変だとか、時間が掛かる・・・って思えば、考えていた以上だっただけで、覚悟はあったから、ただ時間の修正だけになる。だから心は

必要以上には折れないのね。しかしながら、その覚悟が甘すぎると、まさかの展開にこんな事になるとは思わなかった・・・って事になるから、続かない。

何とも簡単な理屈なのね。それは自分の生き方すらも映し出してしまうのね。だから、物作りは自分自身って言うのね。しかもまっ良いか・・・って言えば、

粗雑になり終われる。そして、らくをするから楽になる。楽になれば楽しい。それをこだわりを強くする、上手くなりたいと思う。強欲になれば、許せない自分になる。

必要以上に、今の自分の実力以上に、更に人と比較をし、卑下すれば心は折れ、やる気・・・ここも気を失い、何でこんな事を始めてしまったんだろう。

って事になり、自暴自棄になったり、諦めたり・・・それが信頼出来る師を持っている人は、信用する事で、信じる者は救われるのか?触らぬ神に祟りなし。

なのか?は本人が決める事なのね。ただこれも簡単な話で、仕事にしたい・・となれば、甲子園に出たい、東大、慶応、早稲田に入りたい・・・なら、理想が

高い。低くてもタイル職人になりたい・・・こんな事は俺でも出来たのだから、辞めなきゃなれる。ただモザイクって分野になると、タイル屋とは違う。

だから職業としてタイル屋なら、需要と供給のバランスが整っていても、モザイクって何?って状況では、野球、ゴルフ、サッカー選手になりたいって言うのと

セパタクロー、ラクロス、カバティを職業にしたいって言っているようなもん。つまり頑張れば、続ければなれる保証が無いのね。おっと、話を戻して、

目標がしっかりしていれば、覚悟がある分、受かるまで続けようと努力をし続けられる可能性があるし、何としても・・・とか、意地とか色んなものが、

プラスになる。しかし、何となく・・・って大学、何となく職業になると良いな・・・何となく・・・って。つまり覚悟が無いから、何となく辞めやすい。

これでは何をやっても確立は低い。ただそれも考え方1つなのね。作詞からスタートしても、作曲からスタートしても、出来る人なら一緒。こっちが正解なんて

無いのね。温湿布と冷湿布どっちが正しい?つまり状況環境、自分に合っている方かどうか?なのね。ただ、ただぁ〜なのね。その目は信用出来るの?・・・

自分の事は自分一番良く判る・・・って。おー傲慢んんんん。なら全て正解になるはずじゃん。じゃ全て自分で解決出来んじゃんなのね。それを友達ぃぃ、

なんて、同等かそれ以下でしょ?あんまり役に立たないのね。その時に、本気で信用や信頼出来る・・・って人がいるか?となると、それがいる人といない人では大きく変わるのね。だって意見がいつも自分のだけ・・。

しかも厄介な話で、いてもそんな人はガッチリ老婆心で語るから、自分否定される事が多い。逆に応援するぅ〜なんて他人事な場合、責任なんて取るつもりが無い

から、適当に良いじゃんそれ〜からの、頑張って・・・って。全く信用出来ないのね。ただいないよりは都合の良い人。愚痴くらいは聞いてくれる。

今は生徒さん側から考えると・・・って話で、こんな事だろうって事になるんだけれど、先生側となると、その人その人の歩み方やペースがあるだろうけれど、

普通なら先生の提案を課題なんて感じに進んでい行く感じ。でも俺はほぼ一切無いのね。みんなやりたい事をやりたい日にやっているのね。なのに、いきなりこんな事になる・・・

急に。戸惑う事もあるんだけど・・・この先生、ジブリが作りたいって言ってるのね。みんなで作る・・・って。最初から一貫して。まっそんな練習の機会が

来た・・・って時のお誘いなのね。ただこれは俺に取っては仕事なんで、流石にみんなの都合って訳にも行かないし、予約の順番に声を掛けているだけ・・・

だから規定数になったらおしまいになるし・・・まっ勿論、それでもやりたい人にはバックって手もあるんだけれどね。いずれにしても、また1人始まった。

そして明日は2人参加となる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

りょうさん教室X2

2025-02-07 07:12:20 | モザイクタイル教室

今日は午前午後ともりょうさん教室。りょうさんはkameyaさんではタイル、アトリエではガラスタイルみたいな感じに進めているんだけれど、最近2マスを

取って丸々1日のスタイルが定番になりつつあって・・・ただずっと座っていられない人には苦痛でしか無いものなんだけれど、全く平気って言うのなら、

それ自体が能力だったりもするのね。ただ例えば1日歩けるとか、ゴルフをして来たとか、外での活動は元気だねーとか、能力扱いをする表現があるけれど

ただ座っているだけでしょ?って思われる事の方が多いのね。でもピアノを弾くとか、物作りとか、勉強とか、座っていないと出来ない事があるのね。

つまり座り続けるって言う能力の無い人では、その権利が半減されるのね。ただ半減であって、例えば短距離とマラソンでは、走り方に違いはあるし、

スポーツだって、レギュラーと控えでは活躍時間は変わって来る。つまり同じ上手くなりたい・・・と思うのなら、その到達の仕方が変わって来るって事。

例えば勉強だとする。趣味で勉強をする・・・こんな言葉にしたら、どんな感じがするか?となると、子供だと絶望的だけれど、80歳だったら?・・・

凄いねー頑張るねーになる。この場合、子供は勉強を趣味では駄目であり、80歳の高齢では、勉強をするなんて事は無いだろうから、達者だね、凄いねと、

表現されるんだろうね。では趣味って一ヶ月に何回すると成立するんだろうか?って事になると、ウチでは大抵1ヶ月に1回の人が多いのね。つまり1年で

36時間。これで趣味が成立する。ではこれで上手くなるだろうか?となった時、趣味って何?って改めて聞かれた事の無い人でも、頑張って答えると娯楽?

くらいの言葉は出て来ると思うのね。それなら1ヶ月に1回の娯楽なんだから、楽しんで行ってね・・・になる。では娯楽とは?になると、映画に行った、

コンサートを見た、散歩に行った・・・こんな事と一緒になるのね。くくりとしては。それなら悩んでやる必要は無いし、考える必要も無いのね。だから

楽しいとも言うが、楽(らく)って読むのね。だから日常が大変なら、そこで楽をする事で楽しいとなるし、日常に刺激が無いのなら、刺激になれば、

楽しいに繋がるってだけで、当たり前の事なのね。ただ折角続けているから・・と言うと、だから?って掘り下げると、上手くなりたい・・・って、

言い出したりするのね。折角って言葉を使うと、人は前向きになるからね。例えば、雨が降ってる。何とも後ろ向きになる言葉である。所が折角雨だから

・・・って言えると、雨でしか出来ない事を考える。こんな事が、意識を変えないと行動が変わらない・・・の仕組みなのね。しかも折角やるなら上手く・・

って言うのも、言葉として文章としては立派な心掛けになるが、これも仕組みのように定型文なのね。確かに合って入るし、聞き心地は良いのね。でもね、

例えば、今日から始める人のセリフと、りょうさんのように10年近く続いている人のセリフだとしたら、重みが変わって来るのね。それが継続は力なりにも

通ずるのね。例えば新規なら、楽しむべきなのね。まずは継続したくなるように・・・だからまずその分野に慣れる事。それをいきなり上手くなりたい・・

って言うと、意気込みはあっても、1つつまづけば簡単にもろく崩れる。人って言うものはそう言うものなのね。それよりはまず定期的に来て、座れる事。

それから出来た・・・って経験を積む。所が人は良くも悪くも慣れる。その繰り返しが、出来た・・・だけでは満足が行かなくなる。そこで折角って言葉に

繋がると、折角やるのだから・・・になると、今までの時間では進まないし・・・となる。そう感じるのは?大作だから。それが2、3回で終わるなら

何も感じずに今まで通りで平気なのね。所が進まないから・・・となると、進み具合を重視した事になる。つまり質を落とす可能性がある。では質を落とし

進んで満足か?となると、人は厄介なもので、ただ出来た・・・を卒業して大作になったのに、大作で、ただ出来たをして満足行くのか?になるのね。まず、

無理だろうね。しかも掛けた時間もお金も見合わなくなるのだから、むしろダメージの方が多いのね。つまりそうならない為にも、まず切ったパーツを張る

前に、それって美しいですか?って言って見る。ん・・・って思ったら張らずに立ち止まる。そうすれば、何も言わなくてもその異変を俺が察知する。しかし

本人が立ち止まる事無く、進む事を重視するのなら、OKを出すその人を尊重します・・・大人が決めた事だから。しかしながら、何故こうなった?と後悔を

しても、簡単な話で、美しさより進行度を優先したからなのね。そのパーツを毎回向き合っていたのなら、その時の自分はOKをしたのね。ただ、上手くなる。

って言うのは、自分を更に向上になるのね。つまり言い方を変えれば、常に自分否定をし続ける事にもなるのね。ここ剥がしたい、何でこんな事をしたのか?

ってね。ただそれで良いのね。上手くなったから気が付いた。それがあったから、今の自分がある。その繰り返しなのね。でもそれを簡単に剥がせる癖を

付けると、今どきの子供達のゲームのリセットのように、無かった事にして、1から・・・って出来る。つまり上手く行かなかったら剥がせば良いや癖が付く

のね。つまり責任感が付かなくなる。何も背負わず楽をする癖を付ける事になる。そしていつも先生が助けてくれる・・・だから進んじゃおうってね。

所が美しい?を取ると、当然自分に厳しくなる。だから進まない。折角2マスにしたのに・・・全てが裏目になる。所がりょうさんのように美しさに慣れた。

こうなると、いつか終わる・・・って、どっしり構えられる。ただ完成せず終わる人生は嫌だから・・・折角始めたのに。って文章が重くなったでしょ?

これが意識が変わる瞬間のセリフなのね。趣味では無くなったのね。こうなると、どっしり・・・って座ってない?慌てていないのね。だから取り組む姿勢が

変わるのね。美しいものを作る・・・にね。出来たでは無くてね。意識が変われば行動が変わる。だって出来たなら進み具合が1、美しさは2番以降になる。

そうね、良く安全第一って聞くでしょ?じゃ2は?3は?って考えた事ある?これが品質、生産と続くのね。つまり品質は2番。まずは死なないようにとか、倒れ

ないように・・・らしいのね。じゃりょうさんは?俺は安全なんて言うのは、旦那でも彼氏でも無いから、健康なんて管理は出来ないのね。つまり品質。

ここが俺の担当なんだけれど・・・ただ真の信頼なんてものを得られると、多分先生なんて言葉の重みが変わって来るものなのね・・・聞く耳が変わるから。

その時に、この話って、気持ちの問題でしょ?って安易に考える人は、きっと心は支えなくても良い人で、技術だけ知りたい人になる。つまり心技体の技のみ

って事になる。所が人の心なんて簡単に折れるのね。これが病は気から。気持ち1つでポッキリね。それが本当の師と仰げる人がいるのなら、支えがある。

こんな人は技術だけじゃ無くて、心も習うだろうね。心は気持ちなのね。こんな事を踏まえて、さっきの安全第一的に、実は生きるって事には全ての人が順位や

優先、ランク・・・何でも意識せずに無意識にあるのね。なのにその脳にある潜在意識に気が付かず、蓋をして、気が付かないようにしているか?全くそんな

ことを考えずに偶然で進むか?の二択的な話が普通なのね。だから普通って言うのは、ラッキーと、どうしてこんな事になっちゃったんだろう?の2つを繰り返す事になるのね。

でも実はそうなるべきでそうなっているだけなのね。そうなる理屈通りにね。ただ厄介なのは結果を思い通りにならなかったから辞めるって選択ね。

たった1回で・・・見切りね。しかも体験で・・・。これでは、何の根拠も無く気に入らないから・・・ここも気ね。だから気分、気持ち、やる気、根気、弱気、強気、気まぐれ・・・みんな気。

この気ってものを安定させられる技術があったのなら、楽しい教室では無いけれど、普通でいられる気を作り出す事は出来るはずなのね。判るかなぁ?

そもそも例えば、これから人生ってテーマで、何を重要としますか?順位を持って答えて下さい・・・とした時、何て答えますか?となった時、恐らく普通は

楽しく生きたい・・・なんて言ってしまうと思うのね。確かに文章は合っているし、聞いている方も聞き心地が良いのね。でも出来るかなぁ〜?そうする為に

何をしてる?・・・種を撒かないと花は咲かないんだって・・・先人が言ってた。じゃきっとそう言う人達は、楽しく生きたい種を撒いているんだろうね。

じゃ俺にはそんな種は無いから、違う園芸屋さんにならないとね・・・じゃどうする?って事で考えると、そもそもその文章は強欲なのね。はぁ?って思うと

思うんだけどね。だって生きるの前に楽しいんだもん。つまり生きているだけじゃ駄目なんだよね?楽しく無いと・・・。ここに気が付けばまだしも、実は

順番って言ったのに、2つ一緒に言っちゃったのね。こんな人は。じゃさっきの安全第一じゃ無くて、安全品質生産第一にすりゃ良いじゃん。何か折り合いの

付かない合併会社の名前みたいだね。だから楽しく無いと生きている意味が無い気持ちになって来るのね。つまり不幸が起こった時に、とてももろくなる。

それが例えば、貧乏なら生きてやる、何としても生きてやる、人のものを取ってもこの子供だけは・・・って言うと、生きる事が一番になる。重みが違う。

そして2番に出来れば、楽しく・・・って言うのなら、生きていれば苦しい事があったとしても、楽しみ待ちが出来る。しかし、これは悲しみを背負った人は

理解出来ても、即効性のある抗生物質では無くて、漢方なのね。続ける事で意識をし、改革をする事で、潜在意識を引き出す・・・つまり良くも悪くも今まで

見た事無い自分と向き合う・・・最高の刺激になるはずなのね。でもそれは悲しい事や辛い事を経験している人には理解出来ても、出来れば触れたくないし

出来れば・・・って遠のけば、またそこに来るまで向き合わなくて済む。全て良い事と悪い事は背中合わせで、悲しみや辛さと向き合える事を繰り返すのと

楽しい事だけ追求する・・・全く正反対のものなのね。つまり生きるは大変で、楽しいはラクな事なのだから、これを成立させる種を撒いていますか?

って話なのね。こんな矛盾した文章は無いのね。ただ、ただ例外は何にでもあって、もしお金持ちなら、苦労は財産分与、個人資産税、日々の家計費って

何でもかんでも莫大なお金が掛かるんだけど、ランチで1000円超えるのはなぁ〜って考えない。常に食べたいものを食べ、着たいものを着て、常に暖かく

常に涼しく、行きたい所へ行き、充実した人生・・・楽しそうだね。でも、日々の生活に追われ、食べるものも考え、我慢したり、やりくりして、時に

少しだけ浮世離れしたランチや、ディナー、旅行・・・これって不幸せ?結局無い物ねだりとはこんな事なのね。しかしながら、どんな人も死ぬのね。

しかも理不尽に順番でも無く・・・楽しさなんて簡単に崩れる。もろいものなのね。でももしその試練を乗り切る事が出来るのなら、きっと明日がある・・

って思う事が出来るはず。でもね、楽しいを追求している人がお金を持っているのなら、大人は大抵の事はお金で解決出来るのね。だからこの話全ては要らないのね。

でももし、そうで無い側なら、この話全てが、いつか必要になる日が来るのね・・・その時の準備と言うのなら、自分で選んだ大作なんて、たかがモザイク。

やってりゃ終わるのね。それで終わるだけでも普通は出来ない。だってみんな楽しい事をやっているのだから。だから出来る事をコツコツと進めばカメでも

到達する。しかしながら、カメじゃ無いじゃん。だから欲があるのね。折角なら・・・って折角ね。だから、カメより頭を使う。ただそれだけ。しかも残りの

人生は長いかも知れないし、短いかも知れない。でも気が張っているのなら、気が何とかしてくれるかも知れないし、気まま、気軽、こんな事が出来るなら

何も考えずに乗り切れるだろうね。つまり出来ない人、無い人、って言う人の気を0にする事なら、俺でも出来るだろうね・・・きっと。

同じように、粋な人ってのは、お金を持っていないと出来ないが、小粋って小さくなら貧乏でも出来る。つまり考え方は1つじゃ無いが、自分がどっちに所属

していて、何処にいて、どのくらいで、どうしたいか?であって、趣味って言葉は、きっかけも簡単に始められるし、簡単に辞められるものなのね。でもね、

りょうさんのように、生き甲斐なんて言えるようになると、そりゃ教える事はいっぱいある。何せ趣味では必要の無い考え方や思考があるのだから・・・。

生きる甲斐のお手伝いなんだからね。そりゃ責任が重いのね・・・こっちも。お手軽なお遊びじゃ無いからね。ただ重すぎる・・・何でも過ぎるのはね。

だから息抜き。鼻だけやって貰ったのね。たった9粒。この大作を作っている人なんだから、大した事無いでしょ?・・・って思うよね?誰でも・・・。でもね、

多分、この9粒が一番疲れて、一番緊張したと思うのね・・・じゃ良い刺激になったじゃん。慣れとは恐ろしいもので、りょうさんは大作に慣れて来たのね。

だから進もうが進むまいが、来た分だけ進んだ・・・って意識が普通になった。しかも美しいが普通って・・・。そんな意識が普通に出来るようになった人が、緊張した・・・って。

そうね、この作品は俺の作品であり、外の壁画で人に見られる。その上、俺とも比べられるが、生徒さんとも比べられる。一生残る発表会みたいな感覚。

そりゃ緊張が当たり前なのね。しかも前回のピエロではバックだったが、今回は役がある・・・ラクダはりょうさんだよ・・・ってね。ただ流石にバックから、いきなりラクダ全部・・・ってね。

だから縁取りもしているし、目も切った。もうほぼバックの気分・・・また気ね。流石に気楽でしょ?までは言わないけれど、やればやっただけの扉が開く。

種を撒くって言うのはそんな事なのね。そしてまた2人目が始まったのね。大変だろうなぁ・・・きっとって思うけど・・・けど。可愛い子には旅をさせろって

言うのと一緒で、俺が俺の実力で完成させる方が早いし上手い。こんな事は当たり前・・・それじゃ普通なのね。それをkatsu先生が教えた生徒さんがやった

キャラをいかにバックで更に良く見せるか?作家katsuの練習ですとでも言うのか?ジブリ作りとしたのなら、生徒さんの向上の意識改革とでも言うのか?

どんな取りようでも良いが、一応俺には俺の考えがあっての事。それに乗ってくれたって話・・・きっと完成を一緒に見た時に、ただの見学では無くなるはず。

それでまた意識は変わる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のぶさんの新作下地の続き

2025-02-04 07:13:26 | モザイクタイル教室

今日も引き続きのぶさんの新作下地。昨日張った銘木の端材をジグソーでまずはカット。ただね、まぁそんな事はあるのかな?と予想はしていたものの、すぐ

やっぱりかぁ・・・って事に。そもそも全てが平らならいつものように切れるが、デコボコしているから、刃が引っ掛かって折れちゃうのね。そう来たか。

まぁきっとこうなったら・・・って言うのは、昔そんな事があったよな?って、思い出し、ただ状況が違うし、そもそも銘木の中に恐ろしく硬いのがある。

例えば国産の杉なんかは、とても柔らかいから切りやすい。こんな木はいびつな形の場所に使えば、無理したカットも逃げ切れるし、黒檀、紫檀なんて言う

のは、本当に木かよ・・・なんて思うくらい硬いのね。お馴染みならけやきなんかも硬い。そんな事も踏まえて、いつもは仕上げ用の刃を使うんだけど、

ザックリ切る刃で切れば何とかなるんじゃ無いか?って。ここも良い事と悪い事は背中合わせって考え方で、繊細な刃だから、ちょっとした事で折れるのなら

ザックリな刃は、仕上りが雑の切れた・・・が重視だから、綺麗に切らなきゃ・・・とは違い、ジャイアンみたいに力ずくで進むんだろうな・・きっと。

って事で、刃を取り替えると、すんなり逃げ切りビンゴ。切れてしまえば、どうせサンダーで削るし・・・いつものように丸とか楕円とかライン重視とは違い

グネグネってなっているから、特に問題無いしね。そんなこんなで何とか逃げ切り、サンダーとペーパー掛け。これで木の角張りを滑らかにして、触り心地が

良くなり、丸みを帯びるのね。ツルって感じね。次はその下になる、張るほうの木。

まず同じように切ると、結構重くなっちゃったのね。しかも横から見ると、銘木よりも厚みが出ちゃうんで、野暮ったい。そこで2周りくらい小さく切り直して・・・

軽量化して、更に縁取り側を彫る事で、更に軽量化と下地が出っ張って、銘木との段差が小さくなってはまりやすい効果もあり、まずまずな仕上がりとなった。

後はオイルかニスで仕上げって事になったのね。その後は、やはり何よりもピエロの壁画のバック・・・何かいつものような手間の掛け過ぎでは無くて、

アイデアとタイルで逃げ切り・・・って言うのが欲しいのね。まっ簡単に言えば、今流行りのレトロなタイルなんてかなり安易だと思うのね。ただそうで

無くて、普通に見た事ある形のタイルで・・・何か模様にならないかな?みたいな・・・何しろ動物がメインなんだから、それを邪魔しないような・・・でも

より華やかになる何か・・・みたいなね。ん・・・って感じ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする