katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

杏さん教室とカットTB南篠崎店の仕込み

2025-01-26 23:58:04 | モザイクタイル教室

今日はうちの犬の杏さん教室。そうね、今日も引き続き感じるって事で・・・

これを見て何をどう感じるか?・・・となると、例えば当たり前なのは、真っ直ぐはどれ?こんな質問は誰にでも判るのね。では後の4つはどれも一緒なの?

そこで例えば、綺麗に並んで見える順番は?となれば、4、5、1、3、2って順番かな?理由は、5は曲がり真っ直ぐな感じで、目地幅も揃っている。ラインも綺麗。

1はタイルがバラバラだし、5より目地幅が広く雑には見えがちだが、曲がり真っ直ぐって事で言えば、割と綺麗。そして3は2よりも大きさを統一していて、

割と綺麗で、ラストの2は何の工夫も感じられない。こんな感じに比較して順番なんかを答えられると、偶然では無く必然になるのね。これが感じるって話。

そんな中、ピエロの話になると、またやって見たい・・・と。昨日の棟梁もりょうさんも同じく、やって見たい・・・と。例えばピエロのバックをやった。

しながわ水族館では、深海魚をやった・・・では仮にやって貰うとすると、今回は動物をやって貰う事になる。これの何がどう違うのか?となると、まず

ピエロのバックの場合は、一生残る壁画ではあるものの、バックはその一部。映画で言うとセリフの無いエキストラチックな人達だから、映画の最後の時に

その他一同って感じに名前は小さく・・・ではしながわの場合は、1人一匹って感じに、自分です・・・って感じだから、誰が何を何処をって言うのが、

ハッキリ判るから、その他一同では無いのね。だからセリフのある役者だから、名前は太字でゆっくり流れる役者名となる。しかし一生では無いから、

イベントが終わると片付ける事になるから、一瞬の事になる。では今回は?となると、また一生だし、片付けられなくて、しかも一匹全部となると、メインと

なるから、14匹中の1匹になる。もはやバックのエキストラでは無いのね。ただ当然時間も掛かるし、負担も大きい・・・そんな中、杏さんは自宅もありですか?って。

そこまで本気なら、一応無理では無くなっているから、慌てて終わらせる話では無くなる分、可能性は見えて来る。ひとまず考慮する方向で考える事にしたのね。

そんな後は、カットTB南篠崎店へ、下絵の確認。

風が強くて全部の下絵を張る事は出来なかったが、大きさ確認は出来たので、オーナーに送ると、確認が取れて、このままスタートとなったのね。その後は

こんな感じで少し張ってからのパーツ切り・・・。

 


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リピーターさん教室とカットTBのピエロの壁画

2025-01-21 00:16:39 | モザイクタイル教室

今日はリピーターさん教室から。前回、体調が悪くお休みだったんで、久し振りって感じになったが、とうとう張り終わったのね。そうなると新作の相談

って事になるんだけれど、この方、ちょっと変わっていて、完成作品に興味は無く、作っているプロセスが好きなのね。つまり完成作品として、物が増えるって

事が嫌・・・そして新作を何にするか?って言う事も得意じゃ無いし、本来ここに来た時に、パンダが好きだから、リアルにいつか作りたい・・・と言ってた

けれど、前回犬を作って見て、パンダは要らないかな・・・って。ただ今回のこの模様の繰り返しは良かったって。そんな中、モスク柄なんかが好きって・・・

こんな話を総合すると、これだ・・・って言うアイデアが・・・。この方、持ち家なのね。じゃトイレとかのひと壁、壁画を作るのはどうですか?まず壁画なら

かさばらないし、物は増えない。モスク柄は繰り返しが多い。だから一度デザインが決まれば、繰り返しが出来る。つまり例えば下地を様々な大きさの丸に

切り、このデザインで繰り返す。規定数に達したら、それを壁へ・・・それなら、何も問題無くなるはず。すると四角じゃ駄目なんですか?の質問。

四角だとキチンと同じサイズにしないと、余白が多くなるし、サイズを統一するとパッチワークになってしまう。その時点で同じ柄を比較した場合、モスク

柄は宗教チックのようになるから、神々しさ、高級感に繋がるし、パッチはどちらかと言うと、可愛い・・・になる。もっと言えば、パッチは色んな柄を

合わせる事で成立するから、絵なんかも入れた方が良いし、いちいちデザインを考える事が増える。何も考えずに切りまくるモスク柄風の方が向いている。

って・・・だから丸。すると、理解はしてくれたものの、何しろさくらばりに自己肯定感が無いんで、住宅に自分の作品が取り付いて取れなくなる・・・って。

って言うので、それならビスで下地を付けての施工にすれば、プレハブチックに解体可能・・・って言うと、方向性は悪くないらしく、検討しますって事で、

終了となったのね。ただ単なる相談じゃ無くなるのね・・・これが完成すると・・・。この作品1つでは、きっと何も起こらないし、良く見かける事かも

知れないが、これが壁画になるとなると、世界初って事になる。何故なら、それはリフォームとなり、建築になる。しかも素人であり、全てに置いて有り得ない。

破壊力が抜群である。それが一枚のみなら、大きさとしてコースターや鍋敷きよりも大きいから、迫力はあるし、見応えもあるが、モザイクをやった事が

ある人達には、いっぱい切ったね・・・くらいに感じられるだろうが、それが壁画となると、前人未到になる。全てに置いて当たり前なんだけれど、例えば

キリンやゾウを見て、可愛いぃぃ・・・って表現よりも大きいって迫力に押される。逆にアリ一匹って、イラッと来る存在にしか思えず、嫌いならガンって

叩いて駆除。こんな比較をした時に、同じようになるには?じゃキリンやゾウの大きさになるまでアリの数を増やしたら・・・?逃げるでしょ?戦の歩兵と一緒

なのね。弱いものは、小さいものは、数が多くないと迫力に負けるのね。つまり圧倒する数さえあれば、例え未熟であっても十分な見応えを得られるのね。

反復するだけに徹せるから。それと決定的に意味が違うのは壁画である事。建築である事なのね。それを同じ数を作って額に収めてしまうと、絵画扱い。

つまり美術芸術の分野になる。そうなると、上手い人達は山ほどいる。所が額なしで、壁画となると、壁のリフォームチックになる。それは建築の分野の

扱いにも含まれる。そうなると相手はタイル屋さんや工務店になる。そりゃこの世に見た事の無い逸品になるだろうね・・・だって絶対に無理だから。

こっちは趣味。いつまで掛かっても大丈夫なプチサグラダ・ファミリアなのね。それを日当や数をこなして生活をしないとならないプロの建築関係では、

絶対って言葉に近くなるくらい無理なのね。出来ないのね。つまり同じ事をするのなら、そっちの方が良いかなぁ・・・って思うのね。そもそも美術として

市民展とかに出すとか考えても、大きさの規定があるから、畳1枚分なんてものは基準違反になるしね。まぁしかし、どちらにしてもこの方向きのアイデア。

教える側としても楽しみなのね。そんな後は、ピエロの足。

と、その周りの下絵・・・オーナーに質問すると、従業員が14名・・・動物を14匹作れないかなぁ・・・って思っているんだけれど。サーカスに出て来る動物はそんなにいないのね。

と言う事で、何となく14匹って思って描いたものの、実物大にすると、ノートに描くのと違って可愛く無くなるのね・・・はてさて・・・そんな中、昨日の

箱根の水族館から返答が来て、今回は・・・って見送りになったのね。まぁ、そうなるとは思ったけれど、一応やるだけはやったんで、それはそれ。

来るもの拒まず去るもの追わず。ただ例外はあって、本当に欲しいものなら取りに行くってだけ・・・いつまでも選ばれる側にいるつもりは無いのね。

こっちが選ぶ側になれば良いだけ。まっ今は選ばれる側だから、現状は甘んじる。これも負の遺産として、いつか俺の財産になるのね。


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親子3代のご近所さんと健さん教室

2025-01-20 06:57:15 | モザイクタイル教室

今日はまず親子3代のご近所さん教室から。それではお母さんから・・・。もうかなり切る事には慣れて、とうとう上半身が終わったのね。こうなると、もう

尻尾は大きいパーツで逃げ切れるんで、次回はかなり進むと思うから、一挙に終わるような気持ちだったりするかも知れないけれど、腰ミノのヒラヒラしている繰り返しは中々大変。

同じ幅を保って切る・・・恐らくここまで切って来たから、大変なのは知っているから大丈夫だと思うけど、何しろ色も左程選べないし、そもそも繰り返しは

気持ちが折れやすいのね。例えば味覚なら、わんこそばみたいなもんで、食べても食べても減らないし、同じ味・・・いずれにしても、味変なんてあったり

するのだから、単調って言うのはきつい事は判るのね。だから同じように、

小4ではこの作品は相当きついはずなのね。何しろ口元には細い黒ばかりだし、大きいパーツは出て来ない。ライバルの猫のお母さんは恐らく必ず先に終わる。

髪に入れば、なおかつ進まない・・・ただそこを乗り切れば、彼女はまた大人になるのだから、手慣れる事に加える大人に・・・ってプラス要素はある。

ただママは新作の金魚に、猫のお母さんも自分よりも先に・・・って気持ちは、中々立て直すのが難しいだろうけど・・・ピカソが好きって気持ちと、

ここに飾るんだ・・・ってモチベーションがあれば、何とか逃げ切れるとは思うのね。ただ今日は少しお正月明けだった事もあるので、いつもよりもペース

が落ちていた感じもしたのね。そりゃ大人でも、旅行に行ったり、娯楽で満喫って言う楽しさを味わったら、物作りって言うのはとても地味な趣味なのね。

これが日常であるのなら、物作りって言うのは、雨でも楽しめるし、遠くに行ってヘトヘトって言うのも無く、ご近所って言う利点はあるのね。しかしながら

良い事と悪い事は背中合わせで、派手な事と比較されると、地味だし、ライブを見て興奮したとか、ジェットコースターに乗ったとか、初日の出みたいな、

神々しさや特典も無いし、映画や音楽のような感動の涙も無い。美術館で泣けるのなら相当なツワモノ。つまり日常に溶け込むと、毎日のご飯みたいになる

のね。そんな場合、それが食べられなくなるような事が起きたりした時に、有難み・・みたいな事にならないと、よもすれば退屈とか、何でこんなのやった

んだろう・・・って事になり兼ねないのね。それが大作なのね。誰にでも出来る事じゃ無いのね。これが単なる楽しさなら、1回で終わるものを作れば、

その時だけ楽しい・・・で済むのね。けれど大作って言うのは、楽しいでは無くて、凄いものを作っている訳で・・・凄いものは簡単でも無いし、楽しくも

無い。それが出来た時の達成感や空虚感、それを見た人達の驚きや称賛なんてもんで、完成の時にシュールに感じるものだったりして・・・それがずっと

続くものなのね。それをコースターを見せられてもね・・・って話。だから当然こうした気持ちが乗らない・・・って日は必ず来るのね。ただピカソ好き・・

大した話にはならないだろう。きっと。そんなこんなでママは・・・

立体にも付いて来てるし、進まないのも平気だし、1cmタイルの硬さや細かさにも問題無く・・・まだ始まったばかりで、このグレードをキープ出来るのだから、相当期待値が高いのね。

これなら世の中の金魚好きに欲しい・・・って言わせられるのが出来る。琉金なら、江戸川なら堀口養魚場だな。ってな話。江戸川区の区民展なんて言うのも良いな・・・。

いずれにしても、みんなモザイクに慣れて来たのね。そんな後は夜の健さん。

ここはもう自力で完成させてくれれば良いだけ。そうすれば、俺はほぼ何にも教えてない・・・って感じになる。ただ世間話をしただけ。まっそれで十分。

だから、昨日の水族館の下絵を描き続ける事にして・・・

まだ話は決まっていないけれど、決まってから考えた・・・なんて普通過ぎてね。そこの人達よりも俺のが本気って言うのだけは、常に見せないとね。

だから決まろうが決まらなかろうが、そんなの関係ねぇーのね。こっちのやる気だけ伝えれば・・・。本気って言うのはそう言うもん。ただ笑えるのは、

こんな可愛い絵を描いているのに、前では健さんがこれを作っている。時よりモザイクの話もするけれど、他人が見たら、どっちが先生か判らないのね。

ただこの下絵も難しく・・・イベントだから、先を急ぐ人達の体験、値段を抑えて、時間も抑えて、誰でもそこそこな仕上がりで・・・ってハードルが何個も

ある。俺が作る訳じゃ無いからね・・・まっ、それは教室も同じで、みんなが作っている作品って、俺は作った事無いものばかり。勿論、金魚はあるけど、

サンプルとして同じものでは無いから、こんな感じ・・・って言っているだけ。でもここまでのグレードになる。誰でも最後まで行けば、ちゃんと結果は出る。

ただその普通の最後まで・・・って言う継続は力なり。って言うのは、誰でも権利があるものの、誰もが出来ない事なのね。それは一見難しそうな事だが、

理屈さえ判れば簡単な話で、それが心技体なのね。技なんて繰り返せば誰もがそこそこ上手くなる。体は健康であれば・・・つまり一番大事なのは心。

その心は、気持ちなんて気は見えない。見えないものを鍛えるって?技術なんて見えるものに左右されるのと、見えないものに左右なんかされない・・・って、

思う事が出来るのなら、フォワードチックで済むし、繊細さなんか持てば、いちいちストイックになるし、雨が降っただけでも気分なんて気が滅入るし、

それをディフェンダーチックなら、またかぁ・・・みたいな雨男だからとか、厄年だから・・・とか、何かのせいにして、自分のせいにせず、時が解決する迄

ほっとく・・・なんて事なら、何かのせいにして辞めるのも簡単。そして次の楽しみに移行するって事にすれば、数撃ちゃそのうち当たるとでも・・・。

つまりそれを続けている人には、その場しのぎの付け刃ではかなわないのは当たり前・・・って話。つまり心も自分でコントロール出来るようになると、

今日の自分は・・・って振り返る事が出来るのなら、小難しい事やーめよっって事になるし、今日は元気ぃぃ・・・元のままの気、いつも通りだわっ。じゃ

チャレンジーって、失敗しても耐えられる気がある。って具合に、その日の自分に適した行動が取れる。それを楽をし続ければ、楽を好むから、楽が続くと、

その楽が普通になり、また楽を、そしてまた楽をになると、いつか飽きる。それが過酷に追い込むとアスリートみたいにストイックになるし・・・。

それを目標として掲げると、東大、芸大、プロ・・・みたいに掲げれば、全てを注ぎ込んで行けば良いし、趣味って言う居心地の良い言い方でずっと続けられるのなら、その言葉だけで、10年持つか・・・って話。

でもそれが月に1回の10年なら、痛みも薄いが、毎日となれば小学生くらいになる。1日数時間を続けるのだから・・・それが数十時間となればプロに近い。

働きながらの練習なら、ノンプロ。こうやって掘り下げると、自分の枠をアマチュアだから趣味とするのだが、中には売りたいとか教えたいって野望がある

人もいたりする。所が技術を会得しても、営業は教わっていないから、また1から・・・となる事は多々あるし、あくまで資格って話で、会社はそれを分業して

いるのだから、個人経営に休みなんぞあるはずが無い・・・なんて、手を出して気づくなんて事も多々ある。勿論、凄い人脈があって、トントン拍子なんて

事もあるけれどね・・・いずれにしても、続け方があって、続けるにもコツってもんがあり、上手くなるにも当然コツがある。むやみやたらと時間を掛けても

今更、ウサギ跳びしたり、ケツバットで上手くなるなら、みんな大選手なのね。常に方法論的なものはあるはずだから・・・。それをも1つのやり方で、

団体を教えるなんて気味が悪いのね・・・個人レッスンは各々違うから。アトリエの生徒さんは個性的な人ばっかりなんでね・・・。


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とんかつ教室とカットTB南篠崎店ピエロ張り始め

2025-01-18 07:32:34 | モザイクタイル教室

今日はまさかの・・・って展開でビックリだったんだけれど、何とか乗り切ったって感じだったのね。まずはかぐやが数日前から調子が悪く、業務連絡も

LINEで・・・って感じで、見落としがあったりして、先日の打ち合わせも珍しくバタバタした・・・そんな事もあって、朝から確認もしたのね。

じゃ今日はそんな感じね・・・って事で、ピエロを張り始めたのね。

お昼も食べ、昨日切ったパーツも使い切って、一段落したかなぁ〜って感じだったので、実家の見守りでもすっかなぁ・・・と思ったら、こんにちは〜って。

とんかつのお客さん。え・・・絶句からの良かったぁ〜。ちょっと話してすぐに判った。恐らくまだ今年のカレンダーが無かった時に、去年のカレンダーに

予約を書き込んで写す前に捨てちゃったのかも・・・ただ偶然にも、今年予約が入って無いんだよね・・・って、かぐやと話したばかりだったのね。

虫の知らせだったかなぁ・・・外出しなくて良かったぁ。まだついてる。そんなこんなで慌てて片付けて・・・とんかつ教室。それがこの方、以前仕事が

営業だった事もあり、ブログを見てくれているので、先生は次から次と良く仕事が入りますね・・・って感心してくれるのね。まぁそれはひとえにかぐやの営業

なんだけれど、段々と実績も加わって来てはいるのね。まぁ世の中の仕組みみたいな話になるんだけれど、例えば良く出て来る性格の話で、俺はキーパーや

キャッチャーのようなみんなとは違うポジション担当で、守りの要の性格なのね。つまり点を取るでは無く、点をやらないのだから、悪意で言えば、

負けないようにするしか出来ず、勝つ為の点を取りに行く役目では無いのね。更にそんな事を踏まえれば、例えば好きです・・・と名乗る攻撃型のフォワードと正反対のディフェンダーなら、

嫌われたくない・・・ってスタイルになるから、地味な存在になる可能性は高い。積極的な奴と一緒にいたら、消極的に見えるだろうし、自信が無い奴と、

思われる事もある。こんな状況では、人数合わせとか、差し障りがないとか、ガツガツ行くタイプでは無いので、安定した控え選手みたいなもん。

所が良い事と悪い事は常に背中合わせ。それが何かトラブルがあったりすると、急にクローズアップになる。それは常にレギュラーで無いのにコツコツと

努力している・・・って言うのを、見てくれている人が上司だったりした場合なんかに、機会がやって来たりするから。その時に、レギュラーが戻って来る

前提なら、その場しのぎでの起用になるし、もしそれがチャンスとなるのなら、その機会に評価の基準に達すれば、入れ替えなんて事もあるだろうね。

所が、仮にそんな入れ替えが起こっても、そもそもディフェンダー。その入れ替えで周りの人と馴染めない、その人と比べられる、その居心地に耐えられない

・・・こんな感じなのがさくら。それが今の俺の場合、もうこの仕事になり、すっかりと言って良い位、血の入れ替えをしたんで、落ちた奴よりも、もっと

上を喰ってもっと上へ行く・・・しかもこの場所さえも、ただの通過点。って感じになっちゃったのね。ただそれを俺が表現すると、貧乏人の成り上がりに

見えて、大谷さんが同じ事をしても、拍手喝采になる。まぁ何をしてもエリートなスマート感だからね。ただ泥臭さが無いのがエリートの良さなんで、ある意味、成り上がりの泥臭さを良いって言う人もいるのね。

頑張れ・・・と。後は年齢なのね。良い歳になった。これが最大の武器になる。そもそも芸術家とはなんぞや?みたいになると、エリートなら、習った事を

広辞苑に乗っているような言葉で、みんな一緒な事を言うんだろうね。所が非エリートのならず者、成り上がり、一揆、下剋上、ハングリー精神・・・って、

側には必死感、汗、下積み、奴隷・・・のような環境の中では、習った事では無く、自分の実体験だったり、見て来たものだったりして、生々しい。

ここに楽しさ・・・なんてあるか?と言ったら、売れるまで地獄なのね。まともに食えない。みんなと違う、まだやっているのか?って言う目、そりゃ普通は

耐えられないだろうね。それが世襲となるとエリートだから、血は入っているし、先人は成功者であり、良き指導者であり、師として支えられる。

迷う事があったとしても、同じ悩みだったりもする。何せ屋号や名代を引き継ぐのだから。そりゃプレッシャーの度合いは、一般の普通の人達には、理解

出来なくて当然。自分の気持ちなんてもんは最初から無いのだから。引き継ぐとはそう言うもん。まぁ幸い、俺はタイル屋を引き継いだって言っても名代でも

無いし、跡継ぎもいないし、駄目な奴って生き方しか無いのね。でもその道で生きるのなら、駄目な奴の生き方しか無いが、そうで無い道もある・・・。

こんな考え方もある。確かに物事には例外ってあるが、自分がその例外に当てはまるかどうか?なんて、そんなカケには俺は乗れないかなぁ。だって例えば、

音楽を目指して、やっぱ辞めるわ・・・俺は野球選手になる。そもそもが、体を鍛えないで、指先だけ鍛えていた奴が、体を人一倍使う部門って・・・。

座って練習していたのに。つまりもし活かすのなら、座って地味な事を繰り返せる技能を活かすものであったり、今までの時間を無駄にしない何か?なんて

ディフェンダーとしては考えるのね。これがフォワード先生なら、良いじゃん頑張ってぇ〜ってなるだろうね。こんな違いが、自分に先生が合わないって理由。

つまりフォワード先生の場合の、エリートで楽しくて、提案されて、和気あいあいって事になるのとは正反対にあるのだから、そりゃかなり違うのね。

みんな個性的で誰一人同じ事をしない・・・ただ、ただねぇ、これから変わるのね。一挙に・・・大きい波が来るのね。楽しい側って言うのは強欲なのね。

常に楽しい事が必要になるから。甘みがもっと・・・とか、抗生物質が効かなくなるとか・・・でもそっちじゃ無いと、最低限の接種しか無いんだから、

配給米で生きているようなもん・・・そりゃヤミ米だって喰わないと生きられない。って、売れない奴らの貧乏人なら、今の時代をあの時のまま生きている

はずなのね。そこから抜け出したのね。そもそも去年、貧乏なのに9ヶ月も捨てた・・・ダメダメ3部作の、リュウグウノツカイ、カツオノエボシ、そして、

タコの椅子。作家katsuはお金の貰える仕事があるのに、一切お金が貰えない作品を作り続けたのに生きている・・・ただ営業の為のモザイクを作り続けた。

こんな事をしても生きられた実績は大きい。お陰でアトリエで作っていたら会えない人達に見て頂いた。ただこれでは何も起こらないのね。あれこれ紐付け

しないと・・・要するにあれもこれもkatsuです・・・になると、大逆転があるのね。ただそれまでは生きる為と、価格が安い方が手が出やすい事もあり、

先生やイベントが中心だったんで、そっちの時間が多くなった。当然、その結果でまた同じような誘いが来る。でもそれでは繰り返しになるのね・・・。

それがピエロの壁画って言う、外で、リフォームで、裏路地で、可愛くて・・・って表現の感じ作品を作らせて頂いた。ではまた検証すると、外である

事やリフォームって言うのは、建築に該当するんだけれど、ピエロなんて一般住宅はこの世にない。だから建築屋達には興味は無い。これが普通。裏路地は、

知る人ぞ知る。可愛いって言うのは、安いって油断しているからで、可愛い服や可愛いネックレス、可愛い車・・・値段見て可愛く無い事が多いでしょ?

そう思った人達は、可愛いって安いと思っているからなのね。これが凄いって表現だと、子供でも、凄い車、凄い家、凄い服、凄い料理・・・高くて当然。

ビックリする所か、当たり前に納得。言葉って言うのは正直なのね。今こうして言葉の検証をしたのは、俺に有利な言葉と不利な言葉、ってあるのね。

例えば、以前タイル屋だったのだから、職人や工務店の知り合いはいる。ただ疎遠になっている。もし細々と続けていたとしても、風の噂とかで耳にする事

なんてあり得るのね。それは問屋さんが同じだったりするから。でも俺は商社さんやメーカーさんに直接依頼だから、問屋さんから噂は流れない。

だから益々疎遠になる。ただ最近、わざと目地材やボンドを買いに行くけどね・・・ちょっと存在を知られる時が来ているから。話を戻して、要するに

もうタイル屋katsuの話をする人は、建築関係者にはいない。でも外壁に見た事の無いタイルが張ってある・・・そして普段タイルに興味が無い通行人には

知られている。つまり宣伝効果はあると言う事。しかしながら裏路地。知る人ぞ知るでは営業に繋がらない。しかもピエロは可愛いが自宅には要らない。

これが事実ね。ではこれをひっくり返す手立て。それが同じピエロでも、店舗のリフォーム壁画となると、話は変わって来る。裏路地では無くて目の引く場所

であり、目立ってなんぼ。しかも勝手に写真も撮れるし・・・となると、条件が一挙に良くなる。それが3店舗作れる。しかも地元江戸川に。更に俺も地元。

更に、いつか建築の人達に知られる時が来る・・・何せ目立つから。しかもリフォーム。古い店舗はいくらでもあるし、普通じゃ無い事が好きな人はいくら

でもいる。さて一体誰が作ったんだろうか?・・・ってここまでを早めに結び付けるのなら、3店舗出来たら、地元広告紙やケーブルテレビに取材要請。

俺の宣伝では無く、ピエロの理髪店と・・・地元にってね。それだけで十分。しかも、ここに来てテレチャン優勝って言うのも、知られる・・・。

サプライズ的にも十分。しかも、これを見ている生徒さんは、アトリエでもっと凄い作品を見ているから、何とも思わないんだけれど、ピエロから入った人は、もっともっとビックリするんだろうし、テレチャンもプラスになる。

全てが繋がった時、大波は来る。ただ大波が来るのを待つほど退屈な話は無い。もう俺は点取り屋のフォワードになったのだから、積極的に行く。

更に壁画、壁画と上乗せするのだから、壁画で検索してくれる人は増える。じゃ一体誰?それが学校などの公共施設。しかもイベントで一時使ったら、壊す

ってものじゃ無い。やっぱり実績が問われるだろうからね・・・じゃ思い切りひけらかせば良い。しかもみんなで作る事も可能。それは仙台の保育園の実績。

つまり小学校から・・・で無くても出来る許容範囲。それと金額面として、多ければ多いほど、当然色々と調べて検討なされるであろう。とても有難いのね。

何かやってみたい〜って場合、やったら飽きられるし、何かぁだから、何か詰まんない〜って安くなるが、本気で残したい、一生・・・って場合、俺は本気

を出しやすいのね。誰にも真似出来ないものにする自信とやる気が違うから。ってここまで手の内明かせば、策士策に溺れる事は無いよ・・・策士は策を

オープンにする事は無いから。さっ、準備して後は網掛けて、果報は寝て待つかっ・・・って言いたい所だが、寝てるのも勿体無いって貧乏人は働け。

故郷を捨て花の都の東京に行く奴は、遊びたいとか休みたいとか思ったら死ね・・・って、武田鉄矢さんの母に捧げるバラードの歌詞に出て来るのね。

じゃ働くかっ・・・まだ死ねないから。って言うのが、最近の手の内。これからはどうしても・・・って人にしか、俺の時間は割けなくなるんだろうな・・・

そしてもっと上に行くって言うのは、面倒な事ばかりが起こるんだろうなぁ〜。何せ体は1つだし、相手の時間に合わせるって言う事が出来なくなるって事が

いつか、仕事を選んでする・・・って事になるんだろうし、売れるって、ただ俺の時間の奪い合いの事なんだけどね・・・しかも、出来なかった人に恨まれる。何とも因果な仕事だわ・・・売れてない時ならいくらでも出来たのに・・

そんな人に限って、知らなかった・・・って。知ろうとしなかったって言葉もあるのにね。随分と一方的で傲慢な言葉だ事・・・まっ言われた事は無いだろうがね。

いずれにしても、大波起こす為のピエロが始まったのね・・・。


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杏さん教室とカットTBの看板取り付け

2025-01-14 05:02:16 | モザイクタイル教室

今日はまず杏さん教室。そうね、見ての通りいよいよネモフィラも終わろうとしているのね。何か終わる頃に持って見ると、少し重みを感じたのね。これは

儀式みたいな感覚で、例えば、コップに水滴をスポイトで毎日入れ続ける。するといつか溢れるのね。でも入れ続けても、溢れるまでに時間が掛かる。

でも溢れる日が突然来る。さっきまでは、今まで平気だったのに、・・・なんて事になる。これが容器が透き通っていれば、確認出来るから、そろそろだな、

なんて判るが、容器が中身の見えないものだったら?突然って事になる。じゃ杏さんのように大作をしている人って、どうなんだろうか?・・・って事になると

こうして見れば、まだネモフィラが終わっても、バックがあるじゃん・・・って事になるから、容器は見えている・・・って話に思えたりするのね。

じゃそんな人の場合、自覚があるんだから準備万端って事になるはずだよね?それなら何も起こらないはずなのね。でもね、人には目では無い感覚ってもんが

あるのね。それが目に見える事だけで無く、感覚的な事なのね。例えばタイルを張る時に、目で見て揃える事だけで張る人は普通なのね。それは視覚のみ

で張ろうとしているのね。でも上手い人は親指で下地とタイルが平らになっている触覚で感じながら視覚でも確認する。つまり2つ使っているのね。

ではそんな感覚で言うのなら、今日いらした時にテーブルに出した時の重さと、持ち帰ろうとした時の重さの比較って事になった時、あれ?って違和感を

感じる事があるのね。それはまるでコップの水が溢れるような感覚。急に重く感じる・・・そう感じたのね。これが終わりの儀式的な感覚なのね。そろそろ

終わるんだな・・・ってね。この感覚が判るようになると、大作の終わり方って言う話が判るものなのね。例えば、何でも良いのね。ほぼ全て一緒だから。

物事全て、始まりがあれば終りがある。こんな事は俺が言わなくても、誰もが知っているのね。でも判っていても、人は忘れるし、まさかね・・・って思う。

だから、何々ロス・・・なんて事が起こる。しかしながら、ドラマなら、後何回・・・って数字で判るし、最終回です・・・って言ってくれるから自覚にも

繋がるけど、こんな作品作りの場合、最終回はいつ?ほら、終わって見ないと判らない・・・ってな事になる。最初は期待と不安を背負いつつ、でもやって

見よう・・・ってチャレンジしたのね。所が余りの果てしなさに、心が折れたりするのね。それも立て直しが出来ると、また進んで・・・とうとう犬が

終わった・・・なんて事になると、1つクリアーした事で、警戒心や心が簡単に折れなくなると、傾向と対策なんかが出来て、大人の階段を登ったような感覚

になる。一人目を生んで育てたような・・・そして2人目のネモフィラ。犬では無いから、男の子じゃ無くて女の子なのかもね・・・でも1人育てた実績が、

ある。そして2人目も終わろうとしている・・・じゃバックとなった時、バックってどんな事をする?そして犬やネモフィラのように3人目の感覚なの?

ここ。もしそこまでの重みが無ければ、孫感覚だとしたら?育てるでは無く、面倒を見る・・・的な、いくらか重みからは開放された感覚だとしたら?そこまで

大変では無かったとしたら?もしかしたら楽しむ領域に入ったとしたら?気楽、気持ちが楽になったとしたら?ペースが上がるかもね・・・それがロスに繋がる

ものなのね。終わりは見えているのに・・・。残りのスペースは見ているのに。勿論、それが果てしなく模様を作ります・・・って言うのなら、3人目となる。

しかしながら、色や素材を決めただけなら、まだ何をどうするのか?漠然なのね。でも、油断しないように・・・まだこんなにある。って、しっかり準備

していればいるほど、思い込むって事になるのね。良い事と悪い事は背中合わせで、自覚している、準備している・・・って、思いが強ければ、油断しては

いない・・・と思える。がしかし、厄介なのは、自分が何をしようとしているか?漠然としているのに、そんなに簡単には終わらない・・・と決めていれば

いるほど、もしバックはクラッシュで・・・なんて事になったら?進み具合は大きく変わるのね。しかも本人が自分があの頃より上手くなっている自覚が、

無いのね。ただ毎回一生懸命やっているだけで・・・。つまりこんな条件が揃っていればいるほど、あっけなく終わった時、えっ?・・・ってなるのね。

これがロスの仕組み。つまりそうならない為の儀式的な感覚が、持って重いって思えた時・・・そこが、いよいよ終わりが近いな・・・って思う瞬間なのね。

これが判ると、これから離陸体制に入ります・・・となるのね。ただ今まで通りに油断しないで頑張るから、いきなり着地感覚になるから、ロスになる。

でも本当は着陸態勢に入り、降下して行くものでしょ?それが段々と・・・とか、少々とか、アルデンテとか、火加減とか、・・・あんな感覚なのね。

勿論人生もね。種を買うとか、から始まり、プランターや土、栄養剤を揃え、植えて、補助の木を付けたり、水、日光、風など気配りをして育てる。

その育てたものが実を付けたり、花が咲いたりすると、そこが全盛で、段々と衰退して枯れて行く・・・じゃ何処から?ってな話。病は気から的な話ね。

気持ちの作り方の話ね。そんな後は、大家さんとカットTBの看板取り付け。

そしてもう一つ。

って事で無事に終了。これで看板が取り付いたのね。じゃさっきの感覚の話で考えると、看板って一体何?・・・どんな感じ?これが大作を作っている人達との

会話なのね。俺にはこれが、前菜終了。って感じ。ただ取り付けた時はそうだったのね。でも最後の画像、電気が付いているのね。つまり用事があって、

また伺ったのね・・・それは、窓の周りの部分にピエロが入る下絵だったのに、雨除けは取らない事になって、デザインの変更となったからなのね。

本来はこれだったのね。雨除けが無いし、看板も無いから文字も入れて、看板も含めた絵だったのね。でも外さないから看板を別にしたのね。しかも、

これではピエロの顔が見えない・・・すると、オーナーさんから、ガラスに張れませんか?・・・って。今の状況では、広い場所は下の方で、顔が下に来る。

それじゃ勿体無いから・・・って。ただ仮に張れたとしても、裏側が丸見えだから、裏を隠す必要がある・・・つまり大きくデザインの変更と、やる量が増える事になる・・・

それとガラスと下地を平らにするには・・・って、下地を簡易的にでもお金を掛けずに何かしないとならず・・・モザイクでも増えているのに、更に下地も

・・・となると。ん・・・まっ、検討するって事で持ち帰り、描き直し。

はてさて・・・。


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くじら教室とプチっと看板と明日の準備

2025-01-07 06:49:11 | モザイクタイル教室

今日はくじら教室なんだけれど、展示販売用のグループ展に出展する作品作り。下地は作っていたが、文字は彫っただけだったんで、文字が見づらい・・

ただ色々と大人の都合があって、リスクをこれ以上負う実験じみた事は避けたい。そんな訳でオイルなら少しだけ色が変わるし、今よりも見やすくなれば、

・・・って事で、俺がそれをやっている間にぺきぺきでクラッシュ入れ。そんな中、出来ればこれも少し入れたい・・・となり、急きょ彫って・・・

そしてもう一つはそのまま・・・

流石にそこそこ良い時間となり、ラッカン部分を赤くしたいらしく、そこは自力で・・・となり終了となったのね。ただ世の中、何処を探しても俳句を

こんな形で発表している人はいないから、恐らくとても目を引くと思うのね。勿論、それは参加者や一般の人だけで無く、画廊の人もね・・・。

こう言う事が俺には大事で、例えば常識と言うのなら、俳句は色紙や短冊の紙の出展だと思うのね。それはきっと松尾芭蕉だったとしても・・・ね。

つまりこれはとても非常識で邪道なものになる。ただどうだろうか?果たしてそう言う扱いになるか?なのね。もし万が一、良いなぁ・・・とか、素敵とか、

称賛よりの声があったら・・・そしてもし売れたら・・・非常識や邪道が常識や王道へ向かって行く瞬間なのかもね。そしてこれは単なるアイデアに過ぎず

特許も無いから、もっと彫るのが上手い人にお金を積めば、もっと良いものになるだろうし、もっとくじらより有名な俳人で、もっと大きな画廊ならもっと

良く見えるだろうね。つまりもしかすると、これがそうなる足掛かりの一歩になるかも知れないのなら、提案試作作品になった・・・って事なのね。

世の中では、常にこう言った事は行われていて、俺は石ノ森章太郎さんの仮面ライダーV3で習ったのね。要するのに1号と2号の力の合体がV3って事で、この

場合は、同じライダーの血の合体だから、普通なんだけれど、怪人の方が、それまでは、蜘蛛男やカマキリ男のように、バッタのモチーフのライダーと戦う

スタイルだったが、カメとバズーカ砲を合体したカメバズーカーって怪人が出て来るのね。つまり相交えなかったものを合体させる・・・。考え方はこれ。

こんなの世の中ではいくらでもあって、クラッシックなどを音大の人達は普通に習っていて、そのまま普通なら何処かの楽団へ・・・って言うのが王道。

でもアコーディオンのCOBAさんとか、King Gnuなんて言うのは、音大出てポップスみたいな感じに、その実力を分野に取り入れる。だから新しい。

でもそれを切り開くのが難しいだけで、みんな実力者なのだから、やれる実力はあるはずだけど、プロって言うのはお金を払ってでも欲しいって言われて、

なんぼの世界。出来ても何も意味が無いのね。それが俺の比喩では、韻を踏まえて、神かゴミにしかならない世界・・・と言ってるんだけどね。

話は戻って、要するに同じ分野の考え方では、同じ事しか生まれない・・・って考え方が革新であって、王道側は、伝統、継承、格式・・・こう言ったものを

大切にし、王道に君臨する。つまり革新は何も無い輩にはやりやすいし、何代目なんて言う世襲には必要の無いもの。って図式になる。つまりくじらは、

生き方として俺と同じで革新で無ければ、生きる道は無いはずなのね。だってそもそも俳句って言うのは、年功序列のようにどんなに歳を取っても出来る。

だからくじらの年齢では落語のように、ひよっこ扱いになりやすい。しかも若手でも無い。常に言っている、小学生なら大人顔負け、高校あたりなら、若い

のに凄いとか、後は巨匠のような受賞歴を持っているとか、メディアに出ているとか・・・こうしたものを持っているかどうか?に価値観が生まれるから、

それを買うお客さんは、そう言う事も考慮に入れたりする。勿論、青田刈りのような感覚なら、若いうちに・・・ってこの子の作品を・・・なんて事もある

のね。つまりその分野の一番多い層は、人数が多い分、目立つ事が難しいのね。何も特典が無いから。単にこんな事が理由の1つになるものなのね。

だからこそ、俳句そのものはいつものように作れば良いが、いかにトリッキーでも良いから、知って貰う、見て貰う、って言う読む俳句じゃ無くて、見せる

俳句って考え方があると思うのね。これは俺のモザイクの考え方で、タイルは建築、タイルは丈夫、タイルは四角、タイルは・・・うんざりだわっ。

判った、判った、いつまでもそうやってろっ。俺は見せるタイルってそそのかして行くから。ただメーカーも考えていて、四角から異型だったり、タイルを擬木

に見せたり、ポップな印刷をしたり・・・生き残りに必死なのね。でもね、いくら異型が出来ても、プログラムして順番を変えても、簡単に真似が出来るのね。

だって並べただけだから。特許でも取れれば良いが、果たして模様なんて特許取れるのかな?って言うのと、それほどの価値が無いと、守る為にそんなにお金を

掛けられるかな?ってな話。でも制作する技術・・・つまり作業って言う誰でも出来る事では無く、誰にも出来ない事、価値観こそがオンリーワンになる。

簡単に真似されちゃうものはオンリーワンとは言わないのね。だから安く見えるのね。そう言う点では、これも見せれば出来る人はいっぱいいる。ただね、

一体いくらするんだろうか?・・・俺はくじらは生徒だし、実験作品だから破格でやったけれど・・・。まっ巨匠クラスなら、金なんかいくらでもあるかぁ。

まっ、いずれにしても、一石を投じる・・・って作品になれば、やったかいがあるって事になる。そんな後はプチッと看板。

もう何も考える事は無いから、時間が解決。作業って所に来たって感じなんで、かぐやと明日の麻布小の打ち合わせ用の資料作り。

まぁ手ぶらでも、相当練っているから大丈夫だと思うけれど、本気さ加減を見せないとならないんで・・・。ただ本気を出すって言うのは、予算を度外視して

考える事になる。ただ良いものにする為にだけ・・・しかも自分が作るのでは無く、一度も何もモザイクをやった事の無い子供達で・・・。ここが重要。

そもそもこう言う時は、悪意を持って言葉にした方が伝わりやすいのね。つまり音楽会や運動会、遠足・・・なんでも良いけれど、練習無しでいきなり本番

・・・そんな学校行事ある?って事。しかも学校に永遠に残す。本来なら、これが一番練習すべき行事なのね。そもそも学校行事は思い出ってはかなく終わる

ものなのね。例えば音楽会。練習を何時間しても失敗するかも知れない。でも録音されたとしても、それを見るのは関係者のみ。後はその日が記憶に残るだけ。

運動会も遠足もそう。これらは全て、花火大会や書道みたいに、一瞬のパフォーマンスの為に時間を費やす側なのね。所が物が残る側、つまりモザイク画。

こんな場合、自分が死んでも壊されない限り、永遠にそこに残る・・・つまりへっぽこ、失敗、駄作・・・語り継がれる恥をさらす事になる。しかも、もし

区の予算、都の予算、寄付・・・他人を巻き込んだ場合、責任の重みは大きい。何しろ世の中は、タダで見たり、聞いたり、食べたりしたとしても、

批評は厳しく、こんなの・・・って制作側を叩く事は日常である。勿論素晴らしければ、称賛があるのだが。これが神かゴミの比喩なのね。

しかも今回は子供達が・・・って優しい目って言うのもあるが、予算が少なければ、こんな予算で・・・となっても、もしそこそこな予算だったとしたら?

ここが難しいのね。塩少々とか、だんだん強くとか、曖昧な表現って言うのは、個人差があるのね。ランチが500円以内なんて言う人もいれば、2000円

なんて普通でしょ?なんて人だっている。つまり麻布の人達のそこそこな金額っていくら?って事になった時に、そんなに出してこれ・・・。では、永遠に

責任者の俺のせいになり、お手柄なら校長先生をはじめ関係者の皆さんの尽力となる。何故なら、俺の作品では無いのだから・・・あくまで監修。

執刀医では無く、ベテラン看護師の役。まぁトラベラーズナースって話かな?でもある意味、とても厳しい役回りなのね。むしろ大門未知子とか、ニノとか、

江口さんのようなスーパードクター役の方が責任を負いやすい。だって俺のせいだから・・・。ただそれも冒頭のくじらの話と一緒で、こんな企画が世の中に無ければ、先人になる。

だからやる。つまり俺の今回の役目は知恵・・・ほぼそれのみ。

 


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棟梁とりょうさんと健さん教室

2025-01-06 04:22:21 | モザイクタイル教室

今日は朝から棟梁とりょうさんの相席教室から。まずは棟梁から。初のイーゼルを使ったんだけれど、全てに良い事と悪い事は背中合わせで・・・。

良い事は全体を見渡す事が出来るんだけれど、悪い事は立てている事で、張る時に落とす事が多々あるのね。それがテーブルにねかしている時は、落としても

拾えば良いだけだけど、たった数ミリのパーツを落とせば、無くなる可能性は大・・・だから工夫もいるし、無くなればストレスにもなるのね。

それと一枚ずつ張る癖を持てれば良いが、テーブルの時に仮置きなんて事をしていたりすると、立て掛ける場合、それが出来ないのね。ただ何度か落としていたが、特に問題は無さそうだったのね。

まぁこんな作品を作れるようになっているのだから、この程度の事に対応出来ないはずも無いし、流石と言えば流石だし、普通と言えば普通だし・・・。

そんな中、大家さんと犬談義に花がさくと・・・犬の世話は2頭も飼っていたのだから、棟梁はベテランでも若い元気な犬は久しぶりの事で。更に自分が

あの時よりも若く無く・・・そんな事もあって、結構へこたれていたんだけれど、大家さんにそんなの当たり前ってハッパ掛けられして・・・。何かホッと

したりしたらしく・・・ただその犬の話で、棟梁がお姉ちゃん夫婦に置いて来て、面倒を見て貰っている・・・って表現をしたので、そりゃ違うでしょ?

みんなの・・・って言ってたし、それなら面倒は見て貰っているんじゃ無くて、当たり前の事でしょ・・・って言うと、私のだし・・・って言うので、あぁ

そうなの・・・それならなおの事平気なのね。つまり自覚を持ったって事なのね。へこたれてた時は、犬に依存しないように・・・って意識だったはず。

それなのに、自分の・・・って言い出したって事は自覚を持ったって事だから、犬の主である自覚があるって事なのね。ただ今度は悩み事が変わって来て、

また依存になる可能性がある・・・って事なのね。まぁそれでもひとまず、育児ノイローゼ的なものからは脱出したようなのね。そんなこんなでりょうさん。

完全に・・・とは言わないが、かなりガラスタイルに慣れた感じはある。それと、このパーツはOK、これは駄目って判断が、かなり厳しい判定で見れる目に

なって来た気がするのね。先を進むばかりに意識が行かないってね。そうなれば質に問題は無くなって来るはずなのね。ただとは言え、余り進まな過ぎも

気になる所なんだけれど、既に来月も独りで予約も入れているので、その心配も無さそうなのね。そんなに条件が揃うなら、質の良い進み方になるのだから

数回来ただけで、ドラマチックに進むはずなのね。まぁそれでも自分の判断で自信が持てなかったら・・・棟梁に見せると良いのね。きっと俺よりも手厳しい判断をしてくれるはずだから。

そうすれば、昔かぐやに褒められた棟梁の気持ちと同じように、これだけの作品を作る棟梁に褒められれば、あの時の棟梁の気分になるはずなのね。

いずれにせよ、こんな大作が2つ並べば、中々の迫力なのね。そんな後は健さん教室。

まぁここは口出し無用な感じに、何しろ来たら今日の分進めるだけで良いのね。何かほったらかし・・・に聞こえるけれど、そうじゃ無くて、あれこれ

言わずに自分で進める。スタイルとしては、キチンと言われたようにってスタイルの分野をこなしている状況では、言われた通りにするのは慣れている人なのね。

つまり自分で考える・・・って言う事が課題なのね。勿論何も教えないって言っている訳じゃ無いのね。合っている、合っていないじゃ無くて、考える・・・

って事に慣れる事。何しろ何でも良いから、テーマとして、共有した話をイメージして答える。自分の考えを鮮明に伝わるように・・・って感じにね。

例えば、80年代の洋楽がえらく得意なのね。その得意な分野で、例えば俺はマイケルが高校の時に流行っていたんだけれど、一番売れたスリラーよりも、

オフザオールってその前のアルバムの方が馴染むのね。確かに一番売れたアルバムだから、人気も知名度も上なんだけれどね。しかもどちらも確か、クインシー・ジョーンズがプロデュース。

ただそんな話をすると、こう言う話を何度もしているから、先生は洋楽苦手って言うのに、70年代後半に割と詳しいし、お好きなようだから、割と70年寄り

の雰囲気のオフザオールが好きなんじゃないですか・・・って的を得た答えが来て・・・良いそれ。説得力ある。ほら力・・・説得出来た。こう言う事。

人を納得させる、最もらしい。あれこれと知った上で、こうした判断をした。つまりそれを作品に繁栄すれば良いのね。俺がどうしてそうなのか?って、

考えた発言なのだから。つまりそれを自分を説得、納得させるアイデアを考えれば良いのね。それには今自分が何をしたいのか?どうしたいのか?を知る。

そうすれば、自ずと答え近づくはずなのね。そう言う向き合い方が上手くなったのね。そんな後は看板。

そこそこカッコが付いて来たのね。


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家族の新年会とのぶさん教室

2025-01-05 08:30:16 | モザイクタイル教室

今日は今までには無い、特別な家族の新年会・・・ただ残念ながら下の妹は家族にインフルがいるんで、来られなくなって・・・ただ長女が娘と来たのね。

カニと手作りの焼豚と、ちょっとしたおせちっぽいのは買ってあるけど・・・って事で、冷蔵庫の中を長女が確認して・・・じゃ買い物行こうかって。

と言う訳で、俺と妹で買い物に行く事になるんだけれど、これもまた初めて・・・2人で買い物なんて、恐らく小学生以来って感じの話だと思うのね。

前回は2人で食事だったりして・・・苦笑いな話になった。それを帰ってから話すと、えーそうなの?って驚くんで、姪っ子は30歳らしいんだけれど、

兄ちゃんと2人で買い物行った事あるか?って聞くと・・・間髪入れずに有り得ないわぁ〜って。だろっ?きっともしかしたら、俺達みたいな歳になったら、

あるんじゃないの?そしたら、これかぁ〜って思うよ、きっと。昔、子供の頃に叔父さんが、すぐ歳なんか取っちゃうよ・・・とか、真っ直ぐ生きろとか、

何言ってんのかなぁ?って、何か神様のお告げみたいな事言ってんなぁ?って思ったりしたから、流石にそんな節回しは言わないけれど、何かこんな事を言う程

歳を取ったんだろうな・・・って思ったりした。ただ今年の正月は今まで迎えた正月とは気持ちが違って・・・これが最後なんだな・・・きっと・・・って

思う正月になった。来年は今年とは全く違う事になるはずだから・・・。だからこんな普通な正月は最後・・・。だから無事に終わって何よりだった。

そんなこんなで午後から、今年初のお教室はのぶさんから。のぶさんは、料理の先生な事もあって・・・

ヘビのクッキー貰ったのね。あっその前に、ピエロの壁画に連れて行った・・・からだったわ。凄いぃぃ・・・って、可愛いぃぃって。そうね、あんな

一般家庭は無いからね。しかもプチッと参加しているし・・・。ただあれっ?何処だったっけ・・・って、自分がやった所が曖昧になっちゃったらしく・・・

でも、って事は溶け込んじゃったって事だから、違和感を感じていないんだから、参加してもヘッポコには見えなかったって事なのね。だからOKなのね。

そんなこんなでお教室となるんだけれど、これはぺきぺきでは良くある事で、そもそもぺきぺきはタイルが大きいから、1パーツが大きく取れるのね。

これが例えば1cmタイルなら、切ってしまえば数ミリの繰り返しとなるが、ぺきぺきでは3cmだって、5cmだって平気に取れるのね。その時に、大きなスペース

には大きいパーツが入れられる、小さなスペースには小さいパーツしか入らないって考え方は、スペースに左右される考え方一択なのね。それを理解した上で、

大きいスペースには大きいパーツを入れられるが、小さいパーツも入れられる。そしたら逆も言える事で、小さなスペースには出来るだけ大きくは入れられない?

って発想があれば、混ざり合う感じになるけれど、前者では水と油のように分かれた雰囲気にはならないだろうか?って話なのね。しかもそう言う事になる

理由もあって、最初は手慣れないから手に持ちやすいサイズにしがちなのね。それが段々と上手くなると、細かいパーツが切れるようになるのね。更に

野菜や文字なんて周りは、バックとして残りの空間になるから、自分が作った間に入れないとならなくなるのね。とても邪魔な感じにね。それが最初は難しく、大変なんだけれど、

それもいつしか切れるようになるのね。慣れだね。そう手慣れると、出来ない事が出来るようになるって事で、無意識に避けなくなるのね。つまりそれを

繰り返してしまう・・・って言うのが習慣。こんな所まで来た人へのアドバイスは、ジャイアンって言葉やごった煮的な大きさがバラバラって表現。

この言葉で大体の人は遠い記憶の指導を思い出してくれるのね・・・あぁそれがランダムって意味だってね・・・。そもそも指導なんて、いちいちあぁだ、

こうだって言う方も面倒だが、言われる方ももっと面倒なのね。大事なのは身に付けるって言うのは、気付きなのね。言われなくても出来るようになる事。

それを何年経っても同じ事を・・・ってお母さんのセリフで言うのなら、何度同じ事を言っても変わらないのは、響いていないからなのね。つまり響かせるコツがあると思うのね。

そもそも人って言うのは、いちいち言われるのが嫌だなぁ〜って人と、言ってくれないと判らないって依存な感覚の大きく分けて極端な2通りだとする。

これがいつも言っているストライカーかキーパーか?みたいな表現なのね。だから教え方も簡単で、ストライカーならブレーキ、キーパー側ならアクセルみたいに、

そっちのタイプに無い事を提案する。これがウイルス的発想なのね。その人の中の考えに無いの提案・・・それに寄って新しい考え方が生まれる可能性が広がる訳で・・・。

ずっと同じ考えでずっと同じ習慣で行くのなら、クラッシック、古典落語、伝統芸能、何とか流、何とか派・・・みたいな方向へ歩めば良いし、逆は、

ポップス、新作落語、スーパー歌舞伎・・・そしてシンガーソングライター的に、自分で考えるオリジナル側となるのね。こっちは常に考える事から始まる。

何せ常に生み出す事から始まるのだから。それを教えるって言うのは、答えを教える事では無く、考え方への気が付き方なのね。だからいかに会話の中で、

その人の理想や趣味趣向、思い描いている事がこんな感じ?と共有出来なくては、楽譜やレシピや図面通りでは無いのだからね。それが洞察力、観察力、

想像力で共有して、例え答えがこう言う事かな?と判ったとしても、自分で気が付く練習の為に、ヒントは言っても答えは常に自分で導けるように・・・となる。

ただ当たっている時に、待つって言うのも中々大変なんだけれどね・・・。でもそんなやり取りを繰り返すと、とてもやり取りはスマートになり、質問にも

何でそんな事を・・・?では無くて、やり取りが上手くなるのね。いずれにしても、二人共に先生だから、その点では全く問題無しなのね。そんな後は看板。

まずまず可愛い。


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ウチの犬の杏さん教室

2024-12-30 02:58:07 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬の杏さん教室から。そうね、もうただネモフィラを作るってだけなら、困る事は無い・・・って感じなのね。そうなると、大事になるのは、

これからのバックになるのね。この意味が一番判るのは棟梁なのね。例えば犬は写真があって、それを細部に渡って真似をしてここまで似せた。そして次は

ネモフィラとなり、最初は写真を同じように真似ていたが、段々と繰り返しで慣れると、もう見なくても作れるようになって来たのね。そんなこんなでこれから

バックになるんだけれど、何をどう真似る?・・・って同じ事を繰り返すのか?それとも・・・?ってなった時に、算数が数学になるような難しさと、いきなり

英語なんて日本語しか習って無かったのに・・・では、大きく戸惑うのね。そうした戸惑いの違いはあっても、似たようなもので難しくなるって言うのと、

全く知らなかった・・・って言うのでは意味が違うし、更に言えば、この違いに付いてどう思いますか?って質問は、自分なりの考え方であり、習った日本語

で答えられるのだから、誰にでも答えられるはずなのね。ただ、それがありきたりな誰もが使うような単語と文法では、ある意味全く意味をなさないのね。

例えば、肉だろうが、魚だろうが、ケーキだろうが何を食べても美味しいかまずい、そして普通・・・何かのアンケートか?って事になるし、ここでキチンと

答えられないと、そこに情緒なんて入って来ると、母の料理と奥さんの料理の違いだったり、子供が作ってくれた・・・なんて違いをどんな気持ち?って質問に

なったら、もはや算数は数学になるから、難しくて答えられなくなる。そもそも自己表現に大事なのは、そこそこの腕前って反復で身に付けたら、考える事

になるのね。ただ、ただ漠然と考えても答えは出ないのね。その時に、例えば上の方に空いたスペースがあるから・・・同じ色で・・・って感じに色で答えるって言うのは、誰でも答えられるのね。

それを段々薄くするなんて言うのは、醤油じゃ無くて減塩って言ってるようなもんで、誰でも考えられる事って言うのは、それじゃ比較対象があったら、腕の

良い人にはいくらやっても差は埋まらない。音楽もそうで、楽譜通り弾くって言うのも難しいけれど、出来ないのは未熟だからなのね。だから反復すれば、

ある程度、出来るようになるのね。ただ楽譜通り弾けるからって、曲が作れるとは限らないのね。漫才もそう。上手く台本通りに演じられるからと言っても

台本を書けるとは限らないのね。つまりその人その人の考え方1つで、大きく変わる部分で、それこそが個性になるんだけれど、上手くなったのは技術であり、

想像力、洞察力、観察力って言うクリエーターの力って言うのも、技術なのね。まぁ悪意を持って言えば、秋元康さんが素敵な可愛い歌詞を書けても、

全然本人が可愛い訳じゃ無いのね。じゃ歌っている可愛いアイドルが、可愛い歌詞を書けるか?って言う事になると、そうとは限らないのね。

話を戻して、つまりこの位の腕になったら、もう考える・・・って力が欲しくなるし、情緒なんて事になると、この動かないモザイクをどうやって動いている

ように見せられるか?みたいな感じ・・・この感じって言うのが考える事なのね。そもそももうこの犬はいない・・・だからこのまま終わると素敵な遺影。

それをもっと何か広げられるのか?となった時に・・・こうした考えるって言う事の初歩的な事が、例えば生きるって言う言葉に、楽しく生きるって楽しいを

付けて見たり、素敵に生きるとか、まっとうに生きるとか、全力で生きるとか、何かをプラスした時に大きく違う感じがしないか?って感じられるか?なのね。

たった数文字の違いでニュアンスは大きく変わるのね。例えば、生きるってたった3文字の場合、とてもシンプルで、この場合は、病気を抱えたような人が

最後に放った言葉・・・ってくらいに重みがあるとしたら、楽しく生きるって付けると、そんな人が言うと、残りの人生みたいな気持ちになるし、子供でも

育て終わったような人なら、自分達の余暇みたいな感じになるし、それが老夫婦が寄り添った写真なんて事になれば、何も無くても楽しく感じられるのなら

余分なものは要らなくなり、楽しく生きると言うよりも、楽しく生きたに感じる。そんなニュアンスを感じられれば、生きるは現在進行系だから、今楽しい

ってアイテムを入れ込む事で、過去を振り返った時に、あぁこんな事も合ったなぁ・・・って大体の歳すらも伺えたりもする。それを素敵に生きるって事になると、

例えば楽しい事だけを盛り込む事が素敵か?・・・辛い事は無かったか?みたいな事になると、砂糖を沢山入れると甘いだろうが、塩を入れる事で甘くするって

考え方もあるはず。それをまっとうに生きる・・・みたいになると、若干グレていた者が更生して行く姿だったり、カジュアルな服では無く、フォーマルな服の

ような感じがするだろうし、全力で生きるって言うと、若者っぽく感じるし、言葉の持つ意味合いと、第三者との感じ方の差が少ないと共有が出来るのね。

そうした時に、自分の思い描くものはどれか?って言うのが大事で、それを腕だけに頼ると、真似る事は上手くなっても、オリジナルには程遠いのね。

しかも打撃が良くなればなるほど、守備と比較した時に、同じ人物とは思えない程の差に見えるのね。何事もバランスがあるのね。このやり取りが棟梁は

かなり上達したと思うのね。それを俳句の先生のくじらなら、17文字で情緒を出せるのだから、その能力は凄いのね。しかしながら、モザイクで表現となると、

その力は見劣りする。まぁそう言う事ね。その基礎が良く言うシンプルなんて事になるんだけれど、冒頭の生きると、楽しく生きるでは、楽しくを付けた分

余分な事を入れた分だけ、じゃ何が楽しいの?って言う事を答えないとならなくなるのね。そもそも言葉で言えない事は、自分自身がまとまっていない証拠。

だからご飯を食べてからデザートって感じで、生きるを表現出来たら、楽しくを足す・・・みたいな足し算的考え方がシンプルで、棟梁のように足し算が得意

になったら、次は引き算。本当に必要なものは何か?・・・みたいに、考えるバリエーションって事になるのね。こんな事を普通の日常の会話でやる練習。

そうすると、細かいニュアンスを伝えやすくなるのね・・・お互いに。そんなこんなで杏さんも今年最後隣、明日の体験で今年もおしまいとなったのね。

そんな後は、実家の正月の準備をして・・・プチッと看板。


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さくら教室と1000円理容店のカットTBの店舗の下絵

2024-12-26 07:14:30 | モザイクタイル教室

今日は午後からさくら教室・・・って事で、それまで昨日の1000円カットの理容店、カットTBの下絵の是正から。まぁテーマが、南篠崎店以外は、看板では

無くて、壁画の方向で、しかも他の店舗は理容店である・・・って根付いているって事で、理容店色を全面に出す事すら考えなくて良いって事・・・。

それと、店舗事に特徴やスペースが違うんで、そこも考慮に入れないとならず・・・ピエロの壁画の時とは違って、大きな四角のスペースでは無く、

トリッキーな形であったり、歩行者の目線なのか?車の目線なのか?場所に寄って大きく違ったりして・・・。そんな事も踏まえて1つ目は大杉店から。

ここは幹線道路の環七って所を曲がった通りなんだけれど、正面にスカイツリーが見えて開けた通りで、多分職人さんがホームセンターに行く時に通るとか、

その先に学校もあったりはするのね。そんな事も考慮に入れて、割と低めの高さに設定して・・・それとここは入口右側に大きなスペースがあるんだけれど

・・・流石に他の2店舗が全面となると、予算的にも厳しいんで、ここは抑えめにバック無しの予定で、ピエロのみのデザイン。お次は南篠崎店。

ここは一番トリッキーなスペースで、昔からのバス通り。しかも看板が無い新店舗なんで唯一看板の文字入り。ただ他の店舗と比較すると、一番狭い場所。

って事で、アピール的にも全面って事にしたのね。そして最後は京葉店。今の所、悩んでいる最中で・・・2パターン。1つは

顔面アップで呼び込み・・・ここは京葉道路って都心に向かう広い道路で、片側2車線なんだけれど、真ん中に柵があって反対車線からは上しか見えないのね。

だから上にインパクトを持たせる為のデザインで・・・ただ呼び込みの手を本来は逆の左にして、ハサミを逆にして右利きにしたいのだけど、スペースの関係

で、こうするしか無かったのね。それともう1つが、

南篠崎パターンで、左の大きい部分に寄せた感じね。これはまだ検討中。そんなこんなでさくら教室。

まぁバックのひし形を地味ぃぃに進めていたのね。って言うか、さくらは弟子なんで最後にご挨拶って事と、お飾りを持って来てくれたのね。毎年有難う。

って話なんだけれど、さくらとも、この店舗の壁画の話をしたんだけれど、何しろ今度の場合、一般家庭では無く店舗。人を集める場所であり、俺には珍しい

幹線道路のような人目に付く場所である事。その場合、店舗を利用していない人にも見られるし、噂にもなりやすい。しかも張り始めるとネット張りなんで

一夜にして張り上がる・・・インパクトとしてもかなりのアピールになる。そりゃこんなもんが、いきなり出て来たら、目にしない人は、いきなりゾウが

表れても目が行かないようなもんで、見たくなくても目が行くのね。それが地元に3つも出来るのだから、そりゃおったまげ〜ってな話なのね。こんな店舗は

何処にも無いからね・・・そうね、かのナイチンゲールは・・・って始まる、トラベルナース的に言えば、かのガウディさんも最初はカーサ何がしって、

最初は賃貸物件から始まったらしいのね。それはパトロンのグエルさんのお力沿いであって、多分だけど・・・あのさぁ、ウチにガウディってのがいるんだけど、お宅のリフォームやらせてくんない?

って、グエルさんの力で営業したんだろうね。すると、そんな金無いけど、リフォーム代で良いのなら、やれば・・・ってな感じ。しかもゴシック様式の中に

あの奇妙な建物になるのだから、そりゃ一気に評判になる。しかもオーナーは自分が住む訳じゃ無いし、部屋が満室なら何も問題が無い・・・。

それが満室になれば、噂を聞き付け評判になる。だってそんな変わったものガウディにしか出来ないのだから・・・まぁ当たり前の話。つまり要約、その路線に当てはまる仕事が来た・・・そんな話。

さて果たしてそうなるのでしょうか?俺・・・あははは。ただやっぱBTSみたいに最初は何だありゃ・・・って、小馬鹿にされるくらいじゃ無いとね・・・。

恐らく最初は、これを見た一般の人が馴染みの工務店に相談に行くんだろうね・・・そしてそこで、そんなのは・・・って否定されるはず。ただその中に

ネットで探し当てる人もいたりして・・・つまり俺の仕事は既存のルートでは無くて、裏街道なんで必殺仕事人みたいなスタートになるはずなのね。

知る人ぞ知る・・・ってね。ただ何事も最初になるってのは、何をどうって言う相場とかが判らないと・・・って言い出すのね。ただそれって普通は?って話。

何処にも無いって言うのが、オーダーメイドなのね。注文されてのスタートだから、1点ものなのね。しかも価値なんか認められたら当然適正価格なんてもんが設定されるのだから、今より遥かに高く貰えるようになる。

何でもそうなのに、株だって見知らぬ株なら、大した額じゃ無いし、無名選手ならその辺にいくらでも転がっているのね。ただ人気が出れば破格な金額なんて、何処の世界にでもあるのね。

そもそも江戸川区なんて、俺の親父が買った頃は、陸の孤島とか、それ何処とか、最寄りの小岩駅までバスに乗っても1時間近く掛かったような場所だから、

その当時の親父には大変でも、恐ろしく安かっただろうね・・・。ただ今じゃそんなに安く無いし。だから俺もいつまでも下積みしている訳には行かないんで・・・いつまでも駆け出しや、修行、下積みをしている場合じゃ無いのね。

グエル公園までの道のりに、そんなに掛かったら死んじゃうからね。みんなで世界遺産作ろうって思ってるんだからね・・・その前に俺が少しでも知名度を

上げて、そのきっかけになるナウシカの仕事をしないとね・・・ただ巨匠までの道のりの仕事が手に入った・・・と思ってね。これを見てまた馬鹿にしたり、

そんなの無理だし、61歳にもなって夢見て・・・まともに仕事しろとか、良いよなぁ好きな事やって・・・って。好き放題言われたけれど、いよいよそれとも

お別れ出来るきっかけの仕事を頂いたのね。しかし、そんな事を言った人達なんてなーんもしてくれないから。それと逆に心配して老婆心。ものの取りよう

だったりもするのね。日本語って難しいし、でも面白いのね・・・

信じる者は救われるって言うし、触らぬ神に祟りなし。一石二鳥に二兎追う者は一兎も得ず・・・必ず肯定文と否定文があるのね。どっちが正解?・・・

さっ、俺の株は俺がアップさせないとならないし、今の底値の株、一体何処まで上げられるか?・・・俺も俺が楽しみなのね・・・。折角、来年に向けて、

色んな話が来ているのだから、そこへもまた上乗せ出来る肩書き実績を作らないとね・・・・学歴が無い分、これが出来るって証拠が一番判りやすいから。


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