今日は今年最後のkameyaさんの出張教室。ではおかみさんから。何かプレゼント作品らしく、とてもおかみさんらしい作品になっているのね。外側はデザイン重視で、大きいタイルやガラスで、
大きいタイルを素材のまま使って大きく見せて、中心部の花は徹底的に切る・・・しかも表現として花を散りばめる・・・らしいんで、その散りばめるってどの位?って事になると、
その言葉の意味を考えるべきなのね。どの位、どんな感じに入れると、理想の散りばめるになるか?例えば、一円玉をバラバラって巻く・・・これも散りばめた事になる。それを一円から、
500円玉まで混ぜて巻く・・・これも散りばめた事になる。その時に、500円玉を多めにするか、
一円玉を多くするか?で雰囲気は大きく変わるし、ペンキのような液体なら、ボタって固まりと
ピチピチって飛び散った感じの場所が出来たとしたら、それも散りばめた感じになるが、お金のような一定したものとは違って、ランダムな感じにもなる。こうした表現の違いが言葉に出来ると、
教える側と教わる側の関係が、同じものに向かって行けるのね。何しろオリジナルって言うのは、本人しか判らないものだからね。だから厄介でね・・・言葉で散りばめるって言っても、確かに
表現としては間違ってはいないのね。でもどの程度?となると、繊細な表現にはなっていないから、それでは大体なのね。これが先日のフェルメールの方の新作って言うのが、とんかつを
作りたい・・・って話になると、打ち合わせとしては、モザイクとして色合いを考えると、トマトやキュウリを乗せると、確かに綺麗でも、とんかつ自体の雰囲気は田舎の定食屋さんになる。
それを厚めに切り、中心部の肉の断面を見せたり、金網に乗せたり、お皿をオシャレな雰囲気を出せれば、高級なとんかつに見えるだろうね・・・って事なのね。ただとんかつは散りばめた・・・
って言うと、スカスカ感が出ちゃうが、お花の散りばめるは、レースのように、見えたり見えなかったり・・・って雰囲気だから、余白の分量ってのが大事になるのね。繊細ってのはこんな感じ。
ではりょうさん。
今日も髪だけれど、何かちょっとだけ慣れて来たかな?って感じで、クネクネラインが上手くなって来た感じがあるのと、確かに下絵ではいっぱい線があっても、自分が切れるタイルの細さは、
決まっているものなのね。いくら頑張った所で、今の実力の範囲での制作になるから、実際はその通りにはならないのね。つまり一体どの線を使って、どの線を諦めるか?の見極めが必要になる。
それがデフォルメって言う考え方になるのね。タッチとして絵なら、繊細なのは描き込むスタイルだとすると、いかに必要な線だけにして、簡素化するか・・・こんな考え方ね。
ただそれをどれを残して、どれを削るか?で雰囲気は大きく変わるのね。だから、タイルを切るって特訓も必要だけど、見極めの目も重要になるのね。ただその目は、タイルを切るって技術では
無いから、いきなり出来る人もいれば、いくら切る事が上手くなっても、何が?何処が?って人の目では、見極めが出来ないのね。つまりレシピや図面、楽譜通りに・・・って人になる。
これはオリジナルでは無いけれど、例えばレシピ通りに作ろうとしても、例えば切るって技術がままならないと、見栄えが変わるし、例え味は一緒でも、食べちゃえば一緒だよって作り手では、
例えベテランになっても、繊細さは味付けだけになる。盛り方なんて気にしない。つまり本人が家庭料理にするも、高級料亭にするも、作り手次第で変わるって事なのね。しかも腕だけで無く、
気持ち・・・って言う気って事になると、所作的な事も大きく関係する。心構えなんてものが、大きく変わるのね。だから最初にその心構えがしっかりしていると・・・って言っても、頑張ります
って言えば、一見正しそうでも、何をどう?って話で、それをどう表現したいか?言葉で言えない事が、切って見ないと判らない・・・とか、やって見ないと・・・なんて言うのを何年経っても、
続けていては、永遠に次はどうしたら良いですか?って質問の繰り返しになるのね。その考えでは、伝統や所作のある、歌舞伎や能、古典落語、何とか流って家元みたいな場所で習うと良いのね
・・・。それは正しい事が決まっているから、考える必要は無く、真似する事が大事になる。勿論、違った意味では考える事はあるんだけれどね。でもオリジナルって言うのは、自分自身。
つまり自分がどうしたいか?になるんだけど、例えばとんかつ作りたい・・・って、だけを言い続ける人は、指輪欲しい、車欲しい、家欲しい・・・とか、海外に旅行したいみたいな表現になる。
これでは一切相手には伝わらないのね。それを結婚指輪が欲しいとか、結婚何十年目なんですが、とか、コンパクトな車が欲しいとか、荷物が詰める車とか、両親と住みたいんで・・・とか、
新婚なんで・・・とかってね。そうすると、相談相手は、それを踏まえて、予算は?となり、ではこんなのは・・・って提案に繋がるって、やり取りがスムーズになるのね。
そんな事を踏まえて棟梁は
当然こうなって来ると、花の隙間に緑を入れる・・・では無くて、花が密集しているような場所は暗めに見えるだろうから、濃い目の緑や、時には黒っぽいのを入れたり・・・とか、隙間がある
ような場合、光が逆光になったりしているだろうから、バックの色を少し透け感出したりしたいよね。何てな事を話したりするのね。もはやモザイクの用語は一切要らないのね。何しろ共有。
同じ方向に・・・ってね。所が慣れないと、先生は正しいみたいになると、どうすれば良いですか?になるし、自分の考えが合っている・・・って思い込まれると、車が欲しいって言いました
・・・みたいになるし、そこを彫り下げても付いて来られないと、教えてくれない・・・になったり、俺には正解があるみたいだから、質問に答えて当てないと・・・みたいな事になったり・・・
まぁ棟梁くらいになるまでは、大変なのね。そう言う点では、りょうさん位の時が、教えるのは簡単で、モザイクの話しか無いから、こうしましょう・・・になる。こうすると曲がります・・・
って具合に切って見せれば、サンプルになるからね。目に見える話は判りやすいのね。所が気って言う見えない部分は、お互いのやり取りで、こんな事をイメージしていたのかな?の繰り返し。
それをあぁ、この人の考え方なら、今回はこうかな?って言う事が出来るまでは、指導なんてそう簡単なものでは無いのね。そもそもみんな一律なら、全員東大教室なのか、何処でも良い教室か
って塾になるよね。そうは行かないから、簡単って言うなら何処でも良い教室。サンプルありってのは、そう言う事になる。そうなるとオリジナルをみんなが始めるって事は、こっちは何大?
こっちは・・・って、みんなが違う大学を目指しているって言うと、ゼミみたいになるし、幼稚園から大学までみたいな混合だと、寺子屋になる。まぁつまりここは寺子屋って事になるのね。
それをアトリエとなると、もしかすると進学塾になるのかもね・・・何しろ中学生でもあんな事になるのだから・・・。いずれにしても、どれも話がアトリエみたいになって来ているから、
こっちも大変なのね。そんなこんなでアトリエに戻ってリュウグウノツカイのモザイク。
後は、
この残りって所まで来たのね。まぁひとまず終われる目安は出来て来たのね。