今日はkameyaさんの出張教室。新しい人が入って3人って事で・・・・。それでは早速って事で、まずはこの方から。そうね、結果から言ったら終わらなかったけれど、終わらせたい・・・って気持ちではやっていたし、新作の下絵は描いて来ていたし、順調な感じなのね。
そんな中、これもう2年近くやっている・・・・って言うのね。凄いのね、それって。そもそも趣味って気持ちの楽しみって言うのなら、そんな時間を掛ける作品なんて普通は作れないものなのね。大体、くじけるだろうね・・・そもそも、上手くて早いなんて人はいくらでもいるだろうけれど、
根気強く1つの作品を仕上げる・・・・そんな事を趣味だの楽しむだのの気持ちでは果てしな過ぎてね・・・そう言う事とは別のものが無いと、普通は無理なのね。例えば学校以外に塾に行くなんて、ほぼ強制な感じじゃない?そもそも勉強したい・・・なんて子供は目的意識があるから。
つまり親に行けって言われなくても、行った方が良いかな?・・・・って誘導されているようなもので、それがランドやシーに行くのなら、純粋に楽しみなんて気持ちになるから、言われなくても行きたくなる。ってな話。ただそれを、ここだけで進めるのだから、果てしなさがもっと加わる訳で・・・。
それが大人だから強制みたいな力は働かないし、自宅でやらないからと言うのだから、ここを休むと1か月に1回もモザイクをしない・・・になる。
そんな中で、コツコツやって来たものが終わろうとしている。ただ大事なのは、終わる事じゃないのね・・・・2年くじけなかった事なのね。
つまり1作品を2年掛かっても大丈夫な気持ちを作った作品になったって事なのね。だから、これからどんな大作を作ろうとしても、果てしない事には慣れた・・・って事で、次の作品が例え1cmタイルだったとしても、耐えられそうな気持ちを作れているって感じになったとも言えるのね。
それが後少し・・・ってね。流石に棟梁はその意味が判っているから、自分もそうして来たんだけれど、その作品が終わると、次の作品に生かされるわよ・・・って言ってくれたのね。まっ、いずれにせよ、次は遊びを1つ入れて・・・からの新作に入るって感じになる予定。
そんな棟梁は先生ぃぃ・・・あのぉ・・・って虎をやっている時に呼ぶのね。まだ何もやっていなかったけれど、えっと・・・ダメです。もし俺が思っている事だったら・・・って言うと、多分それです・・・って言うのね。まっ簡単な話で、先日さくらの作品を見たからやって見たい・・・って思った。
としたら?ほっぺを穴をあけたい・・・と思っているなっ・・・って事なのね。勿論、図星だったって事。ただそもそもがさっきも言ったように、実はまず覚悟なのね。気持ち・・・って話なのね。お手軽簡単な事なら、はいどうぞ・・・って感じだけれど、明らかに厳しい話だらけなのね・・。
さっきの場合だと自宅でやらないスタイルで作ると・・・1年12回x2年だから24回で、4時間としても96時間って事になる。もしこれを同じ作品をカルチャーでやったのなら、4年掛かってしまう事になるし、もし自宅で切るだけでもやっていたとしたら?半分で済んだかも知れない。
では棟梁の穴は?と言うと、さくらはどんな気持ちであんな事になっているか?って言うと、具合が悪いとニッパーを持てないなんて事から、苦肉の策でやり続けたって経緯があって、覚悟と言う点では、それしか出来ない・・・って気持ちから、あぁなった。
それは確かに可愛い仕上がりにはなる。ただ、可愛い仕上がりの割には苦しい事があって、報われない事も多い。要するにこんな狭い中に5.6個の穴をあければ、強度は無くなり、場合によっては割れる。必ず成功するって保証は何処にも無い事で・・・。
だから何と無くやってみたい・・・では無理と言ったのね。本気でやる作品なら仕方無いけれど。遊びならそこまでやる必要性を感じないから。
すると、ちょっと目を離した隙に、ほっぺの丸を大きめに切った・・・・こらぁ・・・って話。はぁ?何が?って話だけれど・・・・。
つまり却下になって油断して、どうせ後はクラッシュだから・・・と言う考えでやったって事。つまり上手くなった人が陥る事なのね。
要するにやりたいな・・・って思ったのにやれないのかぁ・・・・じゃあ良いっか・・・これで・・・って気持ちで切ったって事なのね。
それが証拠に1個俺が切ったパーツを置いた瞬間、全てが大変って言いながら直せた。つまり技術を教えたんでは無いのに直せたのだから、気持ちの問題なのね。こらっ・・・って話。そもそも穴をあけたい・・・って言った人なら、当然穴をあけた後に、そこにも丸を入れるはずなのね。
ならばそれをやれば、当然それ相応の細かい丸を入れなきゃならないのに、出来ないなら・・・これで・・・って気持ち。そこがダメなのね。
気持ちとしては、穴をあけたグレードに近づけられるアイデアは無いかな?とか、それに近くなるには?・・・と楽をせずに考える事なのね。
そもそも棟梁くらいになれば、切る事には困らないのだから、その余裕の分、考えながら作る・・・って1つ上の段階の事をしないとね。
そんな中、ここが初めての方なんだけれど、カルチャーにも来ている人が、教えて無い所も自宅でやって来た・・・って言うのね。ん・・・それは全くダメなのね。そもそも指導って言うのは事故が起こらないように老婆心を教えているのに、事故を起こしてからどうしましょう?って言われても、
いつも治療になっちゃうのね。あくまで教えた部分の延長にある事のみをやってくれないと・・・。それが来るなり、自宅で進めたんだけれど、パンジーじゃなくて、花火みたいになってて・・と言うのね。そもそも2時間のカルチャーじゃとても出来る事じゃないが、ここでは剥がして直す事にした
。何しろ3人だし、倍の時間はあるし・・・それと初めてだし、これだけ変わる・・・って見て貰わないと判って貰えないと思ったから。さて、まず第一声が花火みたい・・・って表現がどう変わって行くか?なんだけれど、剥がした後、図解で説明をして、やり直すも、ん・・・難しい・・・ん・・・
っと、悩んで進まなくて、難しくて、結果が出ないと言わんばかりの表現が続くのね・・・・すると棟梁が良かったじゃない・・・習うんだから。出来ない事があって、悩んでいるんだから・・・・って。もしスイスイ出来たのなら、先生いらないでしょ?って。全くその通りなのね。
そんな中、最後の最後にどうですか?と聞くと、いかがですか・・・・って。すると、そのセリフを聞いた瞬間、棟梁が判ったようで・・・。先生判りました・・・今のセリフって。ほぉ・・・判ったんだ。だって来てからずっと後ろ向きな表現しかしていなかったのに、いかがですか?は前向き。
つまり今日1番自信があるように聞こえた。って。はい、正解。その通り。つまり見なくても、大体の仕上がりは判るって事なのね。その人のセリフ1つで。明らかに是正は出来た・・・そう私は思えているんだけれど・・・どうでしょうか?って聞こえるのね。つまり直ったって事。
本人の満足度があるのだから、剥がした事が報われた・・・って話。ただ、じゃ気に入らないとこは全部剥がせば良いや・・・なんて気持ちになると、それなら最初から習った事だけ進む・・・って事が大事で、進む事より美しいかドウカ?パンジーに見えるかどうか?である。ここ。
いずれにせよ、カルチャーとは違う指導だったみたいで、新鮮で良かった・・・って。ただね、こう言う説明は声を張るし、指導疲れしちゃうのね。
何しろ、果たしてそこまで必要かな?・・・・って。さっきの指導もそうだけれど、そこに必要性があるか?って言うのもあるし、
楽しみや趣味と言うのなら、直さなくてもそこそこ見える。けれど、そこだけに留まらずもっと上手くなりたい・・・と来たと言うのなら、明らかに違う・・・って結果が求められないと価値が見出せないだろうし・・・ただ当然、当たり前だけれど指導は厳しくなるし、しかも気持ち・・・なんて
技術とは関係の無い話までされるのだから、余程の信頼関係を気づかないと何だそりゃ?って事になり兼ねない。とは言うものの、良かった・・って言われたのだから、そのまま受け取ってそれなら良かった・・・って事でおしまい。そんなこんなでアトリエに戻って・・・2次審査の下絵描き。