三人で食事しました。
3/20 美山町を出て今夜の宿、湯の花温泉を目指します。
場所は嵐山の北西。京都市内から少し離れるだけで、とても静かなお宿でした。
食事は感染予防のためか、席の間が空いていて、私たちは19時半から。それまで温泉に入りました。
あらかじめセットしています。
いろいろおかずあり。いちいち写真に撮ってませんが15品。少しずつなので何とか食べきれました。
シニア割引に何とか割引でリーズナブルでしたが、京風の洗練された料理でした。
夜は早く寝て、夜中過ぎに目が醒めてすることないので文庫本一冊読み切りました。いつものパターンです。旅に本は必携。
朝ごはんは我が家の夕食より立派。
夫は先に部屋に帰りましたが、セルフサービスのコーヒーでくつろぐ私。
温泉。宿のサイトより。
部屋。宿のサイトより。
続いて福知山城へ。昨日の道を少し引き返します。
駐車場横の食事処は、一戸建ての家みたいでおしゃれ。
天守閣手前の太鼓橋から。
夫は天守閣へ。私は鎧やむ刀見るよりこっち。
雛飾り。
糸巻き。
人形。
織り機いろいろ。体験もできます。
このアイデア、頂き~
と言うか、織機に固定している方がいいかな。
綿を平たく伸ばす道具?
座布団が素敵~
製品いろいろ。いいなあ、こんなところで機織りしたい。
手紡ぎのいい糸使っています。
このほかに進物用の米を入れる、この地方独特の米袋、八木袋などの展示もありました。
夫が天守閣から下りてきました。あんたなら走って行けるから、ここで待っているという言葉におだてられて走って天守閣まで行く。
ゼイゼイ。
展示はすっ飛ばして最上階へ。眺め良し。福知山は盆地なんですね。
大江山は雲の彼方に。
平安時代の人にとっては、大江山は鬼の住む異界、そのくらい遠い世界だったのでしょう。
大江山生野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立。
この後、自損事故でJAFのお世話になり、2時間半ほどの時間ロス。雨も降り始め、テンション下がる。
やがて、フロントグラスにたたきつける豪雨。でも帰るしかないので、帰る。
岡山県に入るころは雨も上がり、夫の希望通り、総社SAから地道へ降りて最上稲荷へ。
インド風、山門。
本殿。
門前町へも行きましょう。
レトロ。
人影なし。縁日などは賑わうのでしょうか。
私二度目。夫初めて。
再びSAに帰って山陽道復帰。自宅へ。雨が降らないともっといい旅行でしたが、これはこれで。無事帰れてやれやれでした。
最悪、大阪まで積載車で。と言われた時は焦ったけど。
24日の本日は合同展の展示準備。
手伝いに行った後、我が家で反省会。コンビニでお弁当とおやつ買い、食べながら、お茶飲みながら16時ころまでしっかり反省する。最後は食器まで洗ってもらって解散。春になって、みんな元気になりましたが、コロナにはくれぐれも気を付けたいと思います。
3/20 春分の日。8時前自宅発。山陽道、播但道、中国道、舞鶴若狭道経由で舞鶴着が12時過ぎ。昼ご飯はSA内コンビニで調達して、車内で交代で食べる。
舞鶴赤れんがパーク前が海上自衛隊の桟橋。船いろいろ。
1902年から翌年にかけて建設されたとのこと。海軍の倉庫群。
日露戦争直前、準備を急いだのでしようか。
土産物や海軍関係の資料の展示。
舞鶴鎮守府初代司令官が東郷平八郎。その像もあります。
映画なら三船敏郎がやりそう。そんな映画もあったかもしれません。
この倉庫群は映画、ドラマのロケにもよく使われるそうです。
赤れんが博物館は世界中のレンガをコレクション。
アウシュビッツのレンガもありました。
続いて少し離れた舞鶴引揚記念館へ。車で10分くらい。
入ってすぐの床に、シベリアの捕虜収容所の分布図が。
シベリアと言いますが、ロシアのほぼ全域、遠く黒海沿岸にも収容所があったそうです。
ユネスコの記憶遺産に認定されたそうです。
人は言葉を持ち、文字でそれを記録し、遠く離れた場所と次の時代へ体験を伝えることができます。
その記録から学ぶことができるのが人間だと思うのです。
学びを放棄すれば、先人の貴い体験とその記憶もまったく無駄になるというもの。
謙虚に、学ぶ姿勢は忘れてはいけないと思いました。
白樺の樹皮に書いた日記。
人間は思いを言葉で定着せずにはいられない。
道具いろいろ。箸などは手作り。
収容所の再現。
寒い、ひもじい、自由がない、将来が見通せない、家族と連絡が取れない。(捕虜郵便はあったとのこと。場所は書けない。届くのは半年もかかる。返事は本人には届かないことが多かったそうです)
60キロの丸太を二人で運んだそうで、試しに半分の模型にチャレンジするもびくともしませんでした。
小さな手帳いろいろ。靴の中に隠して持ち帰ったそうです。
この記念館のそばが引揚桟橋だったそうで、身内を待つために舞鶴へ来て、そのまま住んだ人もいたとか。
一つ行くとしたら赤れんがパークよりもこちらでしょうか。
たくさんの学びがありました。ガイドボランティアの人にいろいろ教えていただきました。
続いて美山町へ。
京都縦貫自動車道わちICから山道を40分くらい行きます。15年くらい前、広島からの日帰りツアーで行きましたが、夫は初めて。
観光駐車場に車停めて見学です。雨の予報が外れて、曇り空の写真撮るには都合がいい空模様です。
15年前と景色はほとんど変わっていません。
全景。
歩きます。
農具。
美山町の春。
資料館。
16時で閉館。片付けています。
いいなあ、絣の作務衣着てここで仕事したい。
昔の暮らし。
続いてカフェへ。
縁側から。
座敷。
あぜ道。
お名残り惜しいけど帰ります。
さようなら。またいつか。
茅葺の家屋を保存してそこに住むご苦労を思いつつ、美山町を後にしました。
観光シーズンには人が来て、歩く。敷地に入る人もいる。
「いいわねえ、落ち着くわねえ」と話し声も聞こえる。
その声聞く人が落ち着くかどうか。
それでも重伝建に指定された誇りで暮らしておられるのでしょう。
景色に余計なものを持ち込まないのが京都的。街中から山の中まで、京都人のプライドを見たような気がします。
続いて今夜のお宿、亀岡市の湯の花温泉へ。18時には何とか間に合う。
ずっと車で移動して、京都は北西に奥が深いことを実感。いろいろと収穫の多い一日目でした。
ドイツのドレスデンはシュトーレン発祥の地で、広場に面した専門店がありました。おそらく通年販売と思います。
2012年11月。
ツアーに一人参加していた私は、同じく一人の男性によくして貰い、この時も一緒に買い物に。
高級品は箱入り、自宅用は簡単な包装。
May I try it?と中学英語で聞いたら、もちろんとひとかけら食べさせてもらいました。
うーーーん、普通のお味でしたが、とりあえず一つ買う。男性も「娘の土産に」と一つ購入。
おいおい話してくれたことは、奥様は病気ですでに他界、一人でよくヨーロッパ旅行する、ツアーで知り合った女性と旅友達になり、一緒に旅することもあるとのことでした。
若い時から勤めの傍ら株式投資をして資産を作り、悠々自適の老後らしい。でも偉ぶるところが全然なくて、写真もいっぱい撮ってくれたし、いろんな買い物も付き合ってくれてとてもお世話になった。お付き合いはその時だけですが。
昔は海外ツアーの同窓会と言うのがあったらしいけど、あちこち行きまくっていたら、誰とどの時に知り合ったか、わからなくなりそう。
旅先でどんなに盛り上がっても日本では付き合わない。海で水着姿のきれいな子が、街で会うと普通だったということはよくあることだし。
水着ではありませんが、これもその時撮ってもらった。64歳くらい?
ミュンヘンのどこぞの宮殿。
飾っているのは古伊万里の壺。多分固定していると思う。倒れたら大変。
11月の初め、ドイツは日本の真冬の寒さ。コタツ布団みたいな登山用コート着ています。
ニュルンベルク、広場の花屋さん。
日本で言うとウメモドキが、実がとても大きくてぎっしりついている。
クリスマスの飾りにぴったり。旅をする身、花は見るだけ。
全体に花は安い印象でした。
自分用に簡易包装のシュトーレンを旅の初めに買った。
潰さないようにするのが大変だった。以後、スーツケースの中にはお土産整理用に段ボール箱入れることにした。
以上2012年11月
ドイツの田舎町、ゲンゲンバッハの市庁舎。2015年5月。
クリスマス前には窓に毎夜一つずつ明かりが増えて、手前の故広場のクリスマスマーケットと合わせてとても華やかになるそうです。
以前は6日間のクリスマスマーケットツアーと言うのがありましたが、ここは組み込まれていませんでした。フランクフルトから電車で一時間くらいらしいけど、無人駅だそうで、私のように英語ができないものは難易度高い。
フランクフルトに泊まって夕方行けばいいんでしょうか。冬は15時くらいから暗くなるので、午後早めに行けばいいのかな。
少しずつ寒くなって、着物はしばしおやすみ。何の疲れか分からないけれど、午後からとても眠くなり、しばらく寝てしまう。
いつか夫とヨーロッパへ行きたかったけど、(ロシアは行ったけど)、夢のままに終わるのでしょうか。
またクリスマスマーケット、行きたいよう~
朝、広島駅を快速列車で出発。中国山地の山あいの、備後庄原まで2時間弱。友達二人に会うのは9か月ぶりで話が弾む。
コロナでなかなか一緒に旅行に行けなかった。
昼食は「かんぽの郷庄原」。
昼食は比婆牛の焼肉、三種のご飯など。
窓の外に残る紅葉。
続いて山の中の峡谷へ。
窓の外を流れる里山の景色。
野焼きの煙が立ち、秋も深い。
着きました。少しだけ残る紅葉。
有名な和菓子店。
建物全体がレトロ。二階窓のすりガラスなど。
ダム湖を今から遊覧します。約40分。http://taishakukyo.com
小さなダムですが、貯水量は多いとのこと。それだけ渓谷が深いのです。
紅葉の見ごろは10月半ばから11月半ば?
山はもう冬の装い。
ダムができたのは大正年間。重機も充分でない時代、さぞ大変だったたことでしょう。
湖畔に点在する観光施設も全体にレトロで、昭和時代に迷い込んだ感じ。
我が家族でここへ来たのはもう35年くらい前。前は屋根のないボートみたいな遊覧船だった。
紅葉橋の下をくぐって
もうすぐ船着き場です。40分間の遊覧でした。
続いて道の駅で買い物、東城の古い町並みを見学。
街並みの中心にあるのは、豪商保澤家住宅。呉服業、醸造業を営む家で、建物は約130年前のもの。
国の登録有形文化財。旅館だった時代もあったそうで、二階の客室が保存されていました。
昔、子供を連れて吾妻山方面へ行くとき、インター下りてこの街並みまで行くと、T字路に大きな店が。何度も前を通ったけど、見学は初めてです。
県北の山深い里ですが、その土地土地で経済の循環があり、財を蓄えた家があったことを改めて認識しました。
このT字路を右折して、街並みが途切れるといよいよ中国山地の山深くへ。
最後のよろずやの軒下に、虫網と虫かごを置いていた記憶がある。家から車に積んでいくので買ったことないけど。
ロッジに泊まって、料理と風呂、自分でして大変だった。翌日は高校野球見る長男を残して吾妻山登山。
三男は三歳くらいで、長ズボンがないのでパジャマのズボン、元々ちょっと行くだけのつもりだったので、スリッパのままとうとう頂上まで。途中からずっとお父さんにおんぶされていた。親は若く、子供は幼い。
1985年か6年ころ。35年も前ですね。
どこへ行っても思い出すことかある。どこへ行っても重ねてきた歳月を感じる。
東城から庄原まで、高速で30分もかかった。いつも通しで走るのでこんなに離れているって感じてなかった。
広島県は広い。広島市が南西端、東城、庄原は北東端。
新しくて小さな駅。
ここから高速乗り合いバスで広島まで約2時間。
三人で場所を替わり合いながら、話したり、眠ったりとメリハリつけて、楽しく情報交換しました。
以前、一緒に楽しくお稽古していた時の、喜びも悲しみも、おやつも分かち合った楽しい日々が一日、蘇ってきました。
この日の友達の1人は、昨年、私の方からあることがあって距離を取っていたのですが、昨日はずっと以前のように話ができて、これからもこの程度の頻度ならお付き合いが続けられそうでよかったなあと思いました。
最大の失敗は、彼女は早くにご主人を亡くされているのに、夫のネタで笑ってもらおうとしたこと。あまりにも無神経でした。
バスセンターでトイレから出ると彼女がまだいて、お弁当が安くなっているよと教えてくれたので買って帰る。
夫はご飯炊いておでん作って自分で食べていた。私の分もあったけど、彼女に合わせて私もお弁当のご飯とオカズ、チンして食べる。
地元の観光推進機構主催のツアー。旅行業者とは一味違ったツアーだった。
JRの旅があまりにレトロで、湖の周りの古くからの旅館などもレトロで、高速道路ができて観光もうんと変わったのだろうなあと、想像した。
友達に誘われて三人で日帰り旅行のツアーに参加。
県北のモミジは完全に落ちていて残念でしたが、久しぶりに会った二人といろいろ近況を話して楽しい一日となりました。
写真はまだカメラの中で、詳細はいずれまた。
今日は旧友とラインができるようになったり、いろいろ収穫の多い日でした。写真はいずれまた。
最近、睡眠が不規則で、今日は疲れているのでよく眠れるといいんですが。
旅行の目的
同窓会旅行、Go Toの間に下見。
絵を描く。
しっかり歩いて痩せる。
それではstart!!
昼過ぎ、バスで尾道着。
商店街入り口で。
尾道城(展望台として建てられた観光施設)は解体工事、ほぼ終了。
ラーメン食べて、絵を描きますか・・・場所を探してうろうろと。
細い路地がたくさんある。
後ろからバイクが来て
狭くてもバイクが通り抜ける。
うーーーむ。船は難しい。
倉庫群の再開発。U2で。
まだまだ日差しが強い。
結局、ここで。
この景色。川ではなくて海。尾道水道。
このあと、少し早いけど宿へ。
ロープウェーは使わず、自分の足で。
千光寺山の上に宿はあります。
結局、大回りしました。お城の方から行くと早かったようです。
部屋についてあとはのんびりと。景色が少しずつ変わっていきます。
16:20
17:46
17:52
翌朝6:16
6:17
6:41
6:59
朝食後、チェックアウトして街へ降ります。
近道を行くつもりが・・・
急で細い道へ。
周りは空き家→廃屋→元の藪へと変移中。
車のない時代に開かれた住宅地は、車が通れないので廃れていきます。
家の前の道幅が4mに足りないと新たに家は建てられない・・・ではなかったでしょうか。
転げ落ちないように。
振り向くと青空。
これも公道?
下りてきました。広い道は暑いので影のできる細い路地を歩きます。
スペイン的。
千光寺のよく見えるふれあい広場で絵を描いて、今回のミッション終了。
もう一つ、宿の下見について。
宿は昭和的だったけど、眺めは抜群。うーむ、評価の別れるところです。
10畳の障子の外側に2畳ほどの空間。そこから尾道水道の眺め抜群。ホテルの狭い部屋に比べると広々としているけれど、今の贅沢な宿に慣れている人には物足りないかも。私はこれでもいいけど、また別なところ探しますか・・・
広場にいた老人二人組に道聞いて西國寺へ。
どこから来たん?
広島です。
ふうーーん、とかそんな感じ。もう少し遠く、東京とでもいえばよかったかしら。
東京はコロナはどんなあ?
まだまだですけど、私はもう(気にしませんから)
とか言ってみる妄想。
観光地へ行くとたまに東京からと聞かれる。東京から来る人がそれだけ多いんでしょうか。
聞かれたのは京都の法金剛院と飯塚の旧伊藤伝衛門邸で。いずれも10年くらい前。
西國寺は暑くて人がいない。
寺巡りの道案内に従って歩いて行く。
迷っても狭い町。南に向いて行けばすぐに海に突き当たる。
知らない町歩一人で歩いて楽しい。
石畳が寺巡りの道の印、これをたどって行けばいい。
歩いていると古い古い放浪看板。
「家庭の日」というのは、当時、そして今も広告を禁じられている医療機関の広告のために仮に作ったもの。その看板を提供するという形。この他には横断用の黄色い旗のケースに広告出すと言うのもありました。
なんでこんなことこだわるかと言えば、この色の塗り分け、美術部の松島先輩に頼まれて私がしたから。バイトだったらしいけど、私はバイト代、もらってません。松島氏のところで止まっているのかな。もう時効だからいいけど。
ちょっと素敵な三年上の先輩でした。三歳違うととても大人に見えたのです。
ちなみに看板は上から緑、赤、白です。私が考えたのではなく、言われたとおりに塗っただけ。
50年は経っている家のようです。
西郷寺。平日の午前、人がいない。
続いて浄土寺へ。すぐ下が山陽本線。
もうすぐ。
このお寺は映画「東京物語」のロケ地。
原節子、笠智衆、東山千恵子。
わたし、ずるいんです。
私たちはまだいい方だと思わないといけませんね。と印象に残るセリフのいろいろ。
尾道的。
参道は線路の下をくぐる。
ここは人が多かった。もうすぐ七五三。
帰ります。駅まで、海岸通りを歩いたり、狭い路地を通ったり。
ガウディ的。
天空から光が降り注ぐ。
婦人病。婦人病ってなんだ?
角の八百屋で三つ葉を一束、50円也。
昼ご飯食べてもう帰ります。
二日間、いいお天気でした。
バス停から昨夜の宿が見えています。
短い、近くの旅でしたが、一人で歩いて、夕ご飯の支度もなくて、ゆっくりできました。
昨日の新聞だったか、どこかで
「私だけ主人がいると妻愚痴る」と川柳が。
いえいえ、いてくれてたまに出かけるから解放感いっぱい。ずっといないのではそれも味わえない。それぞれ置かれた境遇で不平言わずに頑張りたいものです。
きょうは夕方、孫二人とお嫁ちゃんが来ました。
習った漢字、おばあちゃんに見せると持ってきました。
嬉しいおばあちゃんでした。
そのほか、今年は運動会に行けないので、演目のダンス、して見せてくれました。
「ドラえもん」と「ソーラン節」です。スマホからyou tubeで音楽探し、それに合わせて踊ります。四年生は一年生のも一緒に踊ります。
最初、腰に両手を当て、脚開いて片方の足、かかとは着地、つま先上で音楽待つ。
当日は家族二人まで。私たちは見られません。残念。
尾道ラーメン一杯目
豚骨ではなく、醤油ほどあっさりしてなくて、魚の濃厚なだしに動物系も混ざった、濃くて複雑なうまみ。
久しぶりの尾道は、閉店した店が多くてショックだったけど、ラーメン屋さんだけは元気がよくて、行列店も。
海の見える店で。
本日、帰る直前、駅近の商店街で。観光客が多かった。チャーシューが食べごたえあり。
尾道水道がよく見える宿。10畳に一人で泊まって朝食付き。
政府の補助と旅行サイトのポイントなどで、結局4,605円に。
1,000円の共通券いただいたので、実質3,605円に。
質素な旅行ですねえ~しみじみ。
共通券はQRコード見せないと貰えないことはなくて、鍵と一緒にすぐ渡してもらえました。
そりゃそうですよね。フロントでいちいち確認していたら時間かかる。
次と次の旅行もきっとそうでしょう。安心した~
このほかにバスが往復で3,100円。食事代は1,460円。夕食は自分で調達して部屋で一人で食べた。約1,000円。水は宿の自販機で100円・・・ってこんな情報、需要があるはずもなく。。。。
安上がりの旅行でした。お土産は共通券使って、そのほかにも少しだけ買った。
新しくなったばかりの尾道駅、コンビニ以外の他の店と宿は早々と撤退したそうで。びっくりしました。コロナ不況もここまで。
また元の賑わいが戻ってほしいものです。
二日間、よく歩きました。絵は二枚しか描けなかった。
二日目にリュックのストラップを短くしたらとても楽になった。早くすればよかった。ズボンが染みになっているのはお茶をこぼして、穿いたまますぐに水洗いしたから。そのままにしていると後でなかなか取れない。
本日の簡単夕食。って、時間かけて作ったことがほとんどない私。あるもので簡単に、チャッチャと。
料理は好きではないけど、器は好きです。そんな高価なものはないですけど、左上の小鉢は川尻の作家の作品。展示販売会で買いました。土ものだけと軽くて使いやすいです。野呂山の上の宿泊施設で委託販売しています。あとは有田と小鹿田焼。
帰宅して夕方のローカルニュース見てたら、広島市内でも地域猫活動が広まっているそうで。
今日の紹介ではある地区は、避妊、去勢した猫ばかりになり、今いる猫が寿命を全うしたら野良猫がいなくなるという話でした。しかし、一匹でもよそから入ってくると活動が長引くとか。
活動している女性は猫に餌をやって、糞も火ばさみで始末していました。活動を通して知り合いも増えたと晴れ晴れとした表情でした。
それだけで、全部取り切れている?と突っ込みたかったけど、番組ではそこらあたりはうやむやに。
30分以内に排泄するそうですが、一匹ずつ追いかけてその人一人で始末するのは無理そうです。
動物愛護協会では、地域猫の糞につては、活動する人がトイレを作って始末する。庭に来ると苦情があれば、その家にトイレを貸し出し、清掃は会員がすることを推奨しています。
https://jspca.or.jp/localcat02.html
プランターに猫砂入れてるんでしょうか。快く置かせてくれる人ばかりだといいんですが、中には「なんでそんなものうちの庭に」と断る人もいそうな気がします。「猫が糞するのを見るのも嫌、猫が寄ってくるのが耐えられない」って人もいそう。砂は毎日替える?誰が替える?考えてみれば疑問がいっぱい。
問題は糞ですね。エサをやる人が糞の始末をせずに、地域の善意に頼っている地区では、地域猫活動も野良猫に餌をやる行為も同じに見られるのではないでしょうか。
でもこんなこと言って、大したボランティア活動していない私。いろいろと考えさせられました。
伊根の道の駅出るころは、駐車場待ちの長い列ができていました。やはり宿の方のアドバイス通り、早く来てよかったようです。同じ道を天橋立まで引き返します。
大きな神社横に車を置き、ケーブルカーに乗ります。
下が見える窓際の席~♪
ぐんぐん上がって・・・
上は展望台にレストラン。
昨夜泊まった宿が見えます。
あの台の上に上がって
両脚の間から写真撮るとこうなります。
している人も入れば、しない人も。
私、する人。夫、しない人。
再びしたへ降ります。食事処はどこも賑わってるので、とりあえず車で出発。
観光バスも停まれるような大きな店で、食事することにします。夫は蕎麦が大好き、蕎麦もあるので行く気になったのです。
前もってレジで注文し、支払いますが、こちらも列ができています。
私のすぐ前は14人の家族。車いすの女の子もいます。話ができないけど、私に握手求めてきたので、握り返します。高校一年生とのこと。オシメ当てているようでした。長い自粛に疲れて、皆さんで出かけて来られたのでしょう。
どちらから。大阪から。そうですか、私は広島。
女の子が何度も、誰か違う人の名前を呼んで握手してきます。
誰に見えたのかな。若くてきれいな人と見間違えられてたら嬉しい~
レジで支払う時に、本日はメニューを10種類に絞っていることがわかり、夫がっくり。
一番人気の(作るのが簡単な)海鮮丼にします。
これです。海鮮はおいしくいただきましたが、うどんは作って時間が経っていて澱粉がβ化しています。うどんには少しうるさい私。
讃岐うどんの店なら、客に出さずに捨てるレベル。
しかし、連休に、座って食事にありつけるだけでもありがたく思わねば。
で、ありがたくいただきました。
外の席です。天橋立が見えます。
肩の向こうにあなた海が見える~
食事終わったのが13時半。
そこから広島まで、ナビによると6時間半の長旅ですが、何とか道も間違えず、夜の7時過ぎには広島道西風ICを下りました。
寿司が食べたいと夫が言いだしたけど、こちらも行列だったので、夕食にうどん食べて帰宅。やれやれ。
お天気に恵まれ、念願の氷ノ山、伊根へも行けていい旅行になりました。
午後からの運転は、夫が「眠い、眠い」と言うので交替しますが、もうあまり長いドライブは二人ともきついので、これからは少しずつ、近場にシフトする予感。
おまけ。
22日、連休最終日はお嫁ちゃんが孫連れてきた。友達家族で極楽寺山でキャンプして、寒かったそうで。標高は600近く。そりゃ寒いわ。
女の子、男の子、お母さんたち、お父さんたちとテントが分かれ、女の子は結婚占いで盛り上がったと10歳の孫が申しておりました。
名前を使って片手で占うそうです。やってもらいました。
祖父母は「す」で終わるので、すぐ別れるそうです。
両親は「あ」で終わるので、愛し合っているとか。
そして「私は二十歳までに運命の人に出会うんだって」と四年生が。
「じゃ、もう出会っているかも」と言うと、「えええーーー」と身をよじって恥ずかしがります。四年生が。
そんなことより、しっかり勉強してスペックの高い男子のいる場所へ行かないと。とひそかに思う祖母ですが、口には出しません。人の子供なので。その年齢でしか楽しめないことを一つずつ味わいながら、大きくなってほしいもの。
社交的なお母さんのおかげで、楽しい遊びをいろいろできる孫。息子がうらやましがっているそうで。息子の母親は、しばしの遅すぎる反省。
天橋立から海岸沿いに北へ。伊根湾に面した伊根地区は古くからの漁港。
海に面した建物は、一階に海水を引き入れて船を保管、二階に人が住む独特の景観。
舟屋と呼ばれ、国指定の重要伝統的建造物群です。
宿を車で出て、Pに車を入れ、9時始発の遊覧船に乗ります。
一人800円。25分で湾内一周。30分ごとの出発。
出港してしばらくすると、向こうに舟屋が見えてきました。
湾に向けて、入母屋の家が並んでいます。
大型化した船は家の前に係留しているようです。
あちら湾の入り口の青島。湾を巡って今度は反対側の舟屋を見ます。
観光客がカッパエビセンを掲げると、カモメが寄ってきます。
こちらも大きな船は家の前に。
湾内は干満の差があまりなくて、船の出し入れには都合がいいそうです。
道の駅「舟屋の里公園」へ行って車を停めます。
湾内一望。
両側に集落があります。
湾内に仕掛けの網があります。すぐ目の前が漁場。きっと豊かな海なのでしょう。
駐車場の先の急な階段を下りて、今度は陸から伊根を見学します。
漁港では漁師さんが、掛け声をそろえて網を引いています。
海に生きる人。たくさん獲れたでしょうか。
手際よく。
右手の集落へ行きます。
公開している舟屋があります。見学料は200円。
刺し子の上着。
ヤフオクだといくら?と考えてしまう私。
昔は木の船で、道路まで引いてフナ虫を取り除いて乾かしていたそうです。
今は・・・合成の樹脂。
網を繕うための糸巻きらしい。
機織りのとは形が違うけど、こちらの方が糸が外れにくそう。
しかし、道具には使われてきた長い歴史があるので、これは漁網専用と言うことでしょうか。
家の先にびくを吊るしています。
確認しているのは観光客。
向こうに青島。
アイナメ、そのほか。よそで獲ってきて保管しているのか、ここに仕掛けているのか、それは聞き漏らしました。
道具と舟、コンパクトに整理しています。
この奥が見学できる舟屋でした。道の駅からは下りて右へ。天橋立に近い方の集落です。
家の前をきれいにするのは京都風。
漁村でもここは京都。眺めをみんなで大切にしています。
山肌にへばりついて蔵二つ。
カフェは開店前。所々で海辺に出られますが、それ以外は私有地。立ち入れません。
舟屋の構造だけ残して、海水が家の下に入らないように造り替えた家もあります。
路地のケイトウ。
大きな舟。
お祭りに使う舟です。これは木造船。
どちらか一か所だけ行くなら、道の駅下りて右、天橋立に近い方へ。
駐車場、観光案内所、カフェなどあり。
先ほどの漁港前を通って左手の集落へ。
こちらは観光客少なめ。民宿は多かったです。
漁協の倉庫のような建物。下見板に木枠の窓。木の扉。
駐車場が少ないので、天橋立は後回し、まずこちらへ来て正解でした。
お地蔵様。風化が進んでメイクしている。香川県の粟島でも化粧したのを見たことがある。あとでリンク付けますのでよかったら。
https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/d/20150324
途中にある資料館はカフェにもなっていて、地元女性のグループが管理していました。
以前は、京都の業者の帯を織る作業所だったそうです。地元の人が働いていたとか。
刺し子。風雨に洗われて風格ある味わい。
ヤフオクでいくら?とつい考える私。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j610296763
伊根の人たちは東日本大震災で被災した漁業者の(どこだっか、未確認)支援もしていたそうで、その展示もありました。道具など、持って行ったのでしょうか。
家の切れ目から時々海が見えます。
民宿入り口の浮き球アート。
こちらは観光客はほとんどいません。
道路をきれいにしているのが京都風。家の周りに要らんもの置いてない。花が枯れて雑草が茂った、割れて色あせたプランターなど。
みんなで街並みを大切にする気持ちが伝わってきます。
もう一つの見学できる舟屋。
こちらは遊覧船の営業もされているようです。
見学無料。お手洗いもお借りできます。
大きなモーター付き。
帰ります。
道端のお地蔵様が京都風。
子供たちの地蔵盆があるのでしょうか。
道端の・・・昼間しおれているのでキスゲの仲間?
冬は寒くなる場所かもしれません。続いて天橋立に戻って見学しますが、長くなるのでとりあえずここまで。
9/21 13時半ころ山を下りて、百キロ先の天橋立を目指します。
鳥取、兵庫を抜けて京都府まで。長いドライブです。
R482の林道を兵庫県に入ったところで、夫がカメラをポケットから落としたと言い始めます。ポケットにない、リュックにないと言うので、車に乗ったところまで引き返します。
なぜかカメラは助手席のシートの上に。気が付きませんでした。
よかった、よかった。で、約30分のロス。
林道は一本道で迷いようがないけど、狭くてカーブが多く、横に乗っていて緊張しました。
やがて最奥の集落が。畑仕事をする人、民家、小学校。また山道、今度は少し街が大きくなって郵便局や商店など。この付近は私が運転。ナビに言われるままに間違えずに、やがて最初のコンビニが。おにぎりとお茶で遅い昼食。おいしかった。。。。って小学生の作文みたいに。
駐車場にバイク旅の人たちも。みんな一斉に旅行はじめた印象。来月、東京の人達も参入して、もっと賑やかになることでしょう。
17時過ぎ宿に到着。
三階のベランダの向こうに天橋立が見えます。
農作業用帽子は夏の間愛用。マスクせずに顔隠して、髪型も隠せて重宝しました。もちろん旅行にも持参。って帽子一つの自慢話、失礼しました。
ベランダに出てみます。向こう天橋立。遊覧船が見えます。
隣は大きなスーパー。
飲み物は持ち込み禁止と館内あちこちに掲示してありますが、持ち込む人もいることでしょう。旅館にとっては恨めしいスーパーですが、便利な立地で泊まる人もいるはずなので何とも。
宿は天橋立が見える公園に上がるケーブルカー乗り場至近。便利な場所にあります。お勧めです。
遊覧船乗り場で。乗り方いろいろ。
初めはこちらを予約していたけれど、和モダンにリノベーション・・・だそうで、合わない気がしてキャンセル。でもこちらも満室のようでした。道路から室内がよく見えます。
天橋立は両側が海の松林。全部歩くと一時間。少しだけ歩きます。
砂州がつながって今の形になったのは明治期と、ごく最近だそうで。びっくりです。
何万年も前からあるのかと思った。
もうすぐ日暮れ。外海側は砂浜、内側は崖のようになっていました。
特別名勝。
掛け軸、ポット、テレビ、電話。
達筆。
食事は大広間で。お魚いろいろ。
カキのグラタンなど。京都風でおいしかった。
八時半から、天橋立の向こうに花火が上がる。
ベランダから見る。しみじみと秋の花火。コロナが終わって、またみんなで元の生活ができますように。
朝。
朝ごはん。
チェックアウトした後で、夫がお腹の調子が悪いと言い出して待っています。
伊根は駐車場が狭いので先に行った方がいいと教えられたので、気が気でありません。
複数で旅行すると何かと時間のロスがありますが、それはお互いさま。気長に待ちます。
伊根へは車で20分ほど。
前にも書いたけど、ニースからモナコへ行くみたいです。
地中海には島(半島?)はないけど。
途中、変な道に迷い込んだけど、何とか9時の遊覧船に間に合いました。
今回の旅行の目標。
喧嘩しない。
ケガしない。
道に迷わない。
初めの二つは無事クリア、最後もナビが古いので地図見て(これがまた古い)、何とか大きく間違えずに済みました。
山間の中国道往復で渋滞にも合わず、これが一番ラッキーでした。
長くなるので伊根はまた次回に。
自宅発 19日午後0時45分。今から鳥取、兵庫県境の氷ノ山麓の宿まで、6時間かけて向かいます。
今回は三男ご愛用だったぬいぐるみ連れて行く。
めんどくさいので写真はこれだけ。
今からガソリン入れて高速に乗ります。
ルートは西風ICから広島道、中国道、佐用JCTから播但道、間違えて鳥取南まで行って下り、あとは地道で。結局5時間半くらいでつきました。
宿泊施設「氷太くん」は学校登山や野外活動、スポーツ合宿などに使われる施設。
標高は900メートルくらいにあり、涼しかった。
部屋は広く、子供なら10人くらいは収容できそう。
実は15年くらい前にも同じ宿に泊まり、氷ノ山目指すも雨で断念。
今年7月には湯村温泉前泊して登る予定がやはり雨で、急遽、扇ノ山に。
三度目の挑戦です。
高原はすでにススキの穂が出て、山の端に夕日の残照が。
明るいうちに到着出来て結構でした。
朝7時半から朝食です。待つ間、ベランダから遠くを見ます。
棚田がきれいです。
スキー場とスキー宿。
バイキングでないのでゆっくり食べられます。
登山用のお弁当も頼めば作ってもらえるようですが、昼過ぎには下山予定。
おやつ、ジュース、果物など持参。休憩時に小分けに食べる行動食でしのぐ予定です。
宿は若い家族連れと中高年登山者でにぎわっていました。
またバーベキュー大人一人3,500円が県の補助で2,000円引き、昼間はお客さん多いとのことでした。ベランダにはずらりとコンロが並んでいました。
高原でバーベキュー、いいですね~
お世話になりました。フロントは三階、部屋は二階でした。二人で2万円しなかったかな。国のキャンペーン利用。
山の斜面に施設は建っています。
子供たち、ここへ来てワクワクと楽しいことでしょう。贅沢な施設ではありませんが、広い体育館もついて合宿にも最適。
その楽しさを想像して、ばあちゃんもちょっと楽しい。
キャンプ場の登山者用Pは満杯で、道端の空き地に置いていざ出発。
ツリフネソウが登山口に。
セリ科の・・・ミヤマトウキ?
白いボックス内のポストに登山届入れます。
子供たちも続々とやってきます。
8時38分、いざ出発。まずは氷ノ越までの一時間を頑張ります。
三日間旅行して夜帰宅。
行先は鳥取、兵庫の県境の氷ノ山、京都府北部の伊根、天橋立など。
天橋立で昼食終えたのが13時半。そこから一般道と高速道で6時間かかって帰宅。
苛酷なロングドライブでした。いつまでこんなこと、できるのかと・・・・
鳥取から兵庫へ抜ける峠、氷の越まで急坂を一時間登ってきました。
目指す氷ノ山頂上が遠くに見えます。
山頂。標高1,510m。登山口から2時間半かかりました。
連休で人多し。
東方面。
北方面。ハチ高原スキー場など。
日本海側に多い芦生杉。下山中。
昔の街道の石畳。
山越えしてお伊勢参りしていたその街道筋とのこと。
山越えはとても大変だったことでしょう。
山では多分最高齢者グループ。登りも下りも若い人や子供たちに次々追い越されます。
悔しいので、下りるとき若い人の真似して走ったらすぐに膝が痛くなって中止。
年寄りは年寄りらしく。下山は2時間。
結局この日は4時間半、山を歩いていました。それから狭い林道を車で但馬方面に下りて、はるばる京都府北部の天橋立まで。さすがに疲れました。
いつか行ってみたかった伊根。家の一階に水を引き入れて船を仕舞っている独特の立て方。舟屋と言います。二か所公開していました。
水がとてもきれいでした。
仕掛けたびくの中には大きなアイナメが三尾、そのほかにも名前の知らない魚も。
伊根に先行った方がいいと宿で教えられて、遊覧船に間に合うように急ぎます。
まぶしい海。
「ニースからモナコへ行くみたい」と言って、それから「いやこちらの景色の方がいい」と言い直します。
「地中海には島はないけど、きょうは島まであるし、入道雲のおまけつき~」
宿から天橋立がよく見えます。
日本三景、あとは松島だけ。見られるかなあ~
ケーブルカーで丘に上がり、見下ろす。
大変な人出でした。連休のあと、感染者が増えてないといいけど。
山陽道は渋滞している恐れがあり、中国道で帰宅。
天橋立から播但道に乗るまでが遠くて大変でしたが、あとは流れもよくて時間通りに帰れました。
しかまあ、こんな苛酷な旅行、いつまで続けることやら。