京都、嵯峨野、常寂光寺 2019年11月
昨日は午前中外出、午後から次に友達と会う時の店を探したり、気になっている縫物をいろいろするうちに夕方に。
機織りは綜絖が全部終わったけど、明日は(と言っても今日だけど)孫が来るので、織り始めるのは難しいかも。
中区の小学校で新型コロナの感染者が出て、スポーツクラブが中止になり、時間ができたそうで。
春には三か月会えなくて、再会したら二人とも大きくなっていたので驚いたけど、また会えなくなるのではと夫は心配している。
でも私たちも高齢ですからね、無理して会うより、この新型コロナ時代を乗り切るのが先決。
同じ区内で、ご家族が感染して亡くなり、今は休診している医院があるって、昨日、友達から聞いた。感染の話も少しずつ、身近になりつつあるらしい。
今年も京都へ行きたいけど、紅葉は身近でも楽しめるはず。いつかまたきっと行きたいけれど。
私はなぜか、80歳過ぎたら、したいことができなくなると決めていて(生きていればの話ですが)あと10年足らずで、人生の仕上げをしなければと、思うようになりました。
いろいろなことを整理して、したいことだけして、どうでもいいことはやめて、心の中にたまっていた不平不満を洗い流し、いい思い出だけ持ってあの世に行きたいものです。
いい思い出って・・・何かなあ。
いろいろあるので書ききれないけれど、その時々で出会った人にただ感謝。
昨日は、広島洋画界を代表する大先生からとてもおいしいコーヒーを淹れて飲ませていただき、もったいなくて涙が出るくらい恐縮した。
がんばればいつか先生みたいに描けるようになるというのは錯覚。上手な人はすでに若い時から大家の趣き。私たちはおばあちゃんのお稽古事。
でも、ものを表現する楽しさの入り口まででもたどり着けたらいいかなあと思う。
嵯峨鳥居元。
この鮎料理の店は愛宕神社の一の鳥居の中に、江戸時代から店を構えているとか。
瀬戸内寂聴師の行きつけの店?だったかな。
いつか絵に描こうと思いながら、いまだ果たせず。遠近感のあるのは却って難しい。
愛宕念仏寺。
観光でお寺を巡るのは戦後始まった、比較的新しい行動様式。戦後すぐの京都の寺社はどこも荒廃していたらしい。何かで読んだ。
愛宕念仏寺は嵯峨野の一番奥。荒廃していたのが観光ブームでまた復活したそうで。この四、五十年の話でしょうか。
ついでに、最近夫が読んでいる本によると、初詣は明治になって始まったそうです。鉄道が発達し、観光のオフシーズンの旅客確保のために鉄道会社が沿線の寺社を宣伝したのが始まり。それ以前はなかったそうで。
そうなんだあ。何事も知って驚くことばかり。