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友達が来た

2015-09-04 | 断想

京橋川沿い、涼しい木陰。


今日は我が家に友人が四人来てくれて、夫も交えて昼ご飯食べ、三時まで話して解散。ちょっと元気でたかな。お土産いっぱい貰って、お菓子がまだまだ残っている。

人は一人で生きているに非ず、人とのつながりの中で、励まし合い、笑い合ってこそ暮らしていける。

最近、気分悪いのはオリンピックのせいと気が付いた。巨額のお金は国が出し、儲けるのはゼネコン他、オリンピック利権にぶら下がる目端の利く人たち。地方に住む老人(=私)の生活とは全然絡んでこない。

競技場の白紙撤回、エンブレムの白紙撤回、次は何を白紙撤回するんでしょう。というかしてほしい。ドタバタ劇、もう見たくない。

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無事これ平安

2015-09-04 | 断想

gooブログ、先月半ばころからリアルタイムアクセスというのが表示されるようになった。

今何人がアクセスしているか、現在の順位は何位かと、刻一刻分かる仕組み。便利である。かの人のパクリを見つけてきたように、ネットはいまや何でもできるんじゃないの。

眠れない深夜、ぼーとリアルタイムアクセスを見る。一人、ポツンと見てくれている。広い海原で信号交わしているような錯覚。同じGooブログのユーザーなら、IDが表示されるのでその人のブログを見ることも容易。

便利なんだけど、覗き覗かれ、まあ今までもそうだったかもしれないけど、今までだと誰に覗かれているかは分からない仕組み。それだから茫漠とした空間に向かって思いを吐き出すこともできたわけだけど、向こうに生身の人間がいると分かると、このブログ、なんか書きたくなくなった。

書きたくないので、ちょうど一年前の9月3日を見たら、今年とほとんど同じことをしていたので、ちょっとびっくり。

二か所に書類提出、中央公園を歩いて、上天満町まで、あとはまた電車バスで自宅まで。一年分確実に歳とって、去年より何事もおざなりな自分だと気が付く。

何をしても心が躍らない。刺激がない。いかんですねぇ。東京オリンピックもそう。

東京オリンピック、皆さんには申し訳ないけど、私は一度も開いたほうがいいと思ったことはないんですよね。それにあの黒っぽいエンブレム、初めから嫌いだった。途中で差し替えになるんじゃないかという不吉な予感が当たって、びっくりしてほっとした。

昔大阪万博も、政治家が文句付けて、決まっていたのをサクラをアレンジした平凡なのに変更したんじゃなかったかしら。エンブレム一つもいろいろあるわけで。

IOCの今回のドタバタを見ていたら、ますます気が滅入ってきた。大衆の嫉妬のエネルギーの大きさにも嫌になった。

明るく心が躍るような話はないものでしょうか。。。。。

 

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九月の断想

2015-09-01 | 断想

エルミタージュ美術館内、大玉座の間。豪華


夏にいろいろ頑張った反動が来ているのか、最近出かけるのも億劫、家でじっとしている。まあ、雨が多かったこともありますが。

金曜日には織りの先生と友達が我が家に来ることになっているけれど、庭掃除、家の中の掃除、食器の準備などなあ~んにも手付かず。今日から頑張ります。

私の印象だけど、織りは究極の手仕事、習う人は人はいろんな意味で余裕がある人ばかりだった。

余裕とは金銭的なことではなく、人を受け入れる余地が心の中にあるということ。いろいろな人がいて、いろいろな人生がある。それを見て楽しめる余裕。

自分の考えに凝り固まって人を受け入れない、批判する。まあそういう人は、歳とってから人に頭下げて新しいこと、始めようとは思わないでしょうが。

集まって話するだけならランチで結構。でもそこに手仕事が加わると、大昔から女たちが集まって何かを作っていた伝統が蘇る感じ。それが私的には何か安心する。

それを堕落と笑わば笑え。

人と合わせる大切さと楽しさを、私はこの歳でやっと身に着けた気がする。

毎年少しずつ、体力知力も落ちている気がするが、残っている機能を使って、また頑張って行こう。

もうすぐ誕生日。高校生のころは休み明けの実力テストがあって、たいてい成績が振るわず、いたく落ち込んだ時期でした。夏の楽しいことは終わり、また厳しい現実が待っているといった時期。

その気分がいまだ尾を引いているらしい。

 

 

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遥かなるニッコウキスゲ

2015-07-29 | 断想

ニッコウキスゲ 2011年7月、日光の霧降高原で。


 

ずっと長い間、ニッコウキスゲという花を見たことなかった。西日本には咲かない花だし、7月の梅雨明けに、確か四日間で花期を終える、山野草の運命とはいえ、誠にはかない花である。

初めて見たのは20年くらい前、今の時期に一人で登山ツアーに紛れ込んで白馬岳に登ったときだっただろうか。白馬岳、白馬槍ヶ岳、八方尾根と廻って確か麓で一輪、咲き残りに遭遇した気がする。

高原の詩人、立原道造もたくさんの山の花を詩にしているので、多分この花もあったと思うが、今は思い出せない。

そのあと、霧ケ峰でも見たけれど、近寄ってみると案外まばらで、大群落というにはほど遠かった。

どこに行けば一面、淡いオレンジのニッコウキスゲに出会えるのだろうとあこがれ続け、2011年には日光へ行ってみた。ニッコウキスゲというくらいだから日光に行けばあるんじゃないかという単純な動機。

ロープウェーが廃止になり、蒸し暑い山道を登ること一時間弱、ありました。でもこれも大群落と言うほどではない。

あれは詩人のイメージの中だけの修辞なのだろうか。いやいや、温暖化で、山野草はどれも生育の危機にあるのかも。

涼しい高原に憧れながら、相変わらず街中で暮らしている。たまにの山に出かけるだけ。高速使えば1時間もすれば、自然がいっぱいの場所に行ける地方都市のありがたさ。

田舎暮らし、古民家暮らし、エコな生活、できたら素晴らしいし、憧れるけど、この私には無理。勤勉でないと田舎では暮らせない。人付き合いも普通とは思うが、決していいわけではない。

ただ夏になれば自然がとても恋しくなる。ずっと遡って、子供のころ、母の実家で過ごした夏休みを思い出す。

涼しい座敷、山、水田、池、いとこたち、歩いてまた別の親戚へ行く。庭先の木や夏の花。子供のころの夏休みは色彩にあふれ、笑い声とたくさんの大人たちの昔話に囲まれて、人世で遭遇する幸せの一つ。でもその時はそんなこと気が付かないし、来年も、そのまた次の年も同じ夏が過ごせると信じて疑わない。

思えばあの夏からずいぶん遠くへ来てしまった。でも夏の幸せな気分を、涼しい風がふと吹いたりすると思い出す。

今夜はイレギュラーでお嫁さんが孫二人を連れてきた。いろいろ遊んで、最後は「ナイナイ!!」と言いながらおもちゃを片付けて、帰って行った。やれやれ、来てよし、帰ってよしというけれど、すぐに大きくなって来なくなるんだろうなあ。一日として同じ日はない。

あんなに家にいた息子たちも全員いなくなったし、毎日元気で過ごせたらそれで充分と思うのでした。

花から話がどんどんずれて行ったけど、夏はいろいろもの思う季節でもあります。

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人を許すこと、意地悪をしないこと

2015-07-19 | 断想

2008年6月 ロンドンで。

ツアーで仲良くなった人と、この付近の、今は美術館になっている貴族の屋敷跡を訪ねました。

午前9時過ぎ。店にはまだ人影がありません。


きのうの続きですが、人を許すのは、言うは簡単、実際には難しいなと思う。

自分にとても意地悪した人を許せますか。その人の境遇が変わり、こちらが優位に立ったら心に余裕ができて許せるかもしれない。

でも、その人のせいで自分がひどい迷惑をこうむり、本人はそれに気が付かないばかりか、相変わらず恵まれた生活していたら、私だったら心が穏やかではいられない。

許せないなら無理して許そうとしないこと。ただ関わらないこと。自分を傷つける人から離れること。それで充分だと思う。

で、時間が経ってみれば、あんなに嫌だったことも、遠い風景になっている。たまにその時の気分を思い出すけれど、それもこれも今の自分を形作った糧になっている。嫌なことや苦しいことのなかからこそ、人は多くのことを学び、成長して行けるのではないだろうか。

うーーーん、なんかきれいごとになりましたが。

意地悪をしない。これはどうかな。私は意地悪な方ではないと思うけど、意地悪されたことは忘れていても、何かのきっかけで思い出す。しかえそうとは思わないけど、こちらも距離を取るかな。私は元々、人付き合いはあまりいい方ではない。まあこれはネットしていて、だいぶ直りましたが。

いずれにせよ、人との付き合いはものの言い方一つで良くも悪くもなるもの。同じことでも相手に恥かかせたり、追い込んだりせずに柔らかく話して、断定を避ける。

うーーーん、それからそれから、何か一つ相手のことを褒めることにしている。今日着ている服だとか、元気そうじゃないのとか。

女性には、取り敢えず肌がきれいねと褒めればいいらしいですよ。私も言ってほしいものです。山へ行きまくったので、肌、奇麗じゃないけど。

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春の夜の夢

2015-04-04 | 断想

もしも、いつか一人暮らしになったなら・・・と今日思ううち、ちょっと元気が出てきた。

好きな時に寝起きして、好きな時に好きなものを食べて、あとは本読んで、パソコンいじって暮らす。絵も少し描く。陶磁器の絵付けも頑張る。

そしてお天気よかったら宮島の弥山に登る。あそこは本格的な山歩きが女一人でできる、近隣で唯一の場所。宮島好きな人には申し訳ないけど、あの鳥居から社殿の辺りは苦手。でも山は別。毎週でも登りたい。

そして夏には部屋の戸を開け放して、薄い夏生地で暖簾を作って家中に懸ける。今同居している人は180センチの大男。日本家屋の規格に合わず、頭を少し下げて部屋の出入りをする。のれんなんてもってのほか、顔にあたるとクレームがついて、殆どしたことない。

一人になったらまず暖簾を懸けまくる。風を通して畳の上に寝転んで文庫本を読む。それも昭和三十年代の世相の描かれた小説や、戦前の東京や大阪の都市生活のわかる古書などを読む。読みながらそのまま昼寝に移行。極楽。

旅行は京都ですね。京都はもう数えきれないほど…30回くらい行ったけど、一月くらいワンルームマンションを借りて、花背と雲ケ畑へ行きたい。どちらもすごい山中らしい。やっぱり老女には無理かも。京都にいた息子が、よく車に乗りに行った場所だそうで、鹿が出てきたりするらしい。勝手にリンク。http://rmckuac.nobody.jp/bensi/1.html

あとは社会人向けの大学の講座を聴きに行く。ああ、京都の大学へ行きたかったなあ。諸般の事情で行けなかったけど(主に学力不足=高校の時遊びまくった。遊ぶのは大学になってからでよかったのに)。

それから毎日、地元民のように細い路地を歩き、歴史上の地名なんかに思いがけずに遭遇するのも望み。秋がいいかなあ。夏は暑く、冬は寒い盆地の気候、春も人多すぎ。すぐ暑くなるし。


それからそれから、海外旅行です。一人では語学が全くダメだし、能率よくも廻れないのでツアーに参加。こちらも一人で行きたい。同行者に明るく振る舞うのも疲れる。

イタリアの田舎、イギリスのフットパス、あとは中欧の小さな国の田舎町。古い木造の家、村はずれの森、どこまでも続く畑。小さな街の楽しい商店街。。。。冬は地中海沿岸をウロウロ。ニース、サントロぺ、それから太陽がいっぱいのロケ地はイタリアでしたか。


と、ここまで書いたらとても楽しくなってきた。もちろん旅に連れがいた方が、街歩きの時は何かと安心だけど、いなけりゃいないで何とかなるもの。一人を恐れずに、一人を楽しみたいもの。


昨日は昼前、息子が孫二人を連れてくる。途中で二人を置いて帰宅、私は二人の面倒見ながら掃除したり、いろいろ忙しかった。

夕方から近所のお店に食事に出かける。メンバーは義母、実母、息子一家、次男、それに私達の総勢9人。二階が貸切、次の間に簡単な応接セットがあり、孫たちは回転する椅子に乗って大騒ぎ。

いゃあ疲れた。上の子はとても活発で一時もじっとしていない。親が注意しないので、私が注意すると「おばあちゃんあまり好きじゃない」と生意気なことを。少しずつ自我が芽生えてきたものと思われます。孫に少々嫌われたくらいでへこたれる私ではありません。祖母の愛情は盤石であります。

しばらくは下の孫が通うので、土曜日ごとの大騒ぎはしばらく続くものと思われます。体調整えて乗り切ろう。

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騒音いろいろ

2015-04-01 | 断想

宮島です。先日少し描き始めたけど、屋根の反りが難しい。屋根が反ってるだけで、建物全体、何か威張ってそう。うーーむ、描きたくない。

でも学校と同じですからね、NO!!と言えないのがつらいところ。テキトーに流しますけど、描きたくないものは描きたくないーーーー。そう、私はさそり座の女じゃなくて我儘な女。星座はおとめ座。血液型B型。血液型の性格占いは星座と同じ。人類全体が4つの性格に分けられるわけもなし。まあ話題が途切れた時のお遊びでなら。


昨夜のニュースだったか、東京では、保育園の子供の声で近隣とトラブルになり、防音対策をしたり、施設が完成したのに、長く開園できないところもあると言う。

私は保育園の近くに住んだことがないので、どのくらいの騒音か分からないし、軽々には言えないのだけど、少なくとも昔は、保育園の子供の声がうるさいと文句言うなんて話、聞いたことないように思う。

以前のクロ現では、子供の姿が見えるのも迷惑だそうで、一日中ブラインドを下ろした部屋で保育していた。ちょっと行きすぎ。これって見なければ済むことだし、だいたいよそ様の部屋の中に何が見えても他人が文句付けるのはおかしい。覗く方が悪い。

狭いところでひしめきあって暮らす都会では、子供の遊ぶ声がうるさくて不動産の価格が下がるということがあるんだろうか。

でもね、子供は社会の宝。具体的に言うと、大きくなって働いて国や自治体に税金納め、消費税も納め、40歳過ぎたら介護保険も納め、女の子だとその上に子供まで生んで育てて社会に送り出し、ものすごく社会のためになると思う

よそのうるさい子供より我が家のペット、犬猫を家族として可愛がる人は昔より増えたと思うけど、その幾分の一かの優しさで、人間の子供に優しい心を持ってもらいたいと思う。これは私の全く個人的な印象ですが、かん高い声で吠えまくる犬の方がよほど迷惑。

働きながら子育てする若い世代に、すべての世代が応援する。そういう気持ちでないと日本の人口減は一層ひどくなるんじゃないかと心配している。

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サークル活動の心得

2015-03-10 | 断想

近所の古民家カフェ。庭も広い。文具のデザイナーさんが一軒丸ごと借り受け、週末のみショップ開いています。

縁側で、お茶飲みながら庭を見ます。静かで落ち着く空間です。


昨夜は週に一度の水彩画の日。画題は春らしく、黄色いバラ、トルコキキョウ、チューリップ。私は花が下手なのについ描き始めて、やっぱり下手で落ち込む。皆さん、さっさと描いて、うまくまとめている。ますます落ち込む私。

落ち込みついでに、昨夜は市会議員候補の後援会へ入会してほしいと、会員に頼んでいる人がいた。この地区から出るからと。うーーーむ、どんな人なのか分からないのに、安易に応援していいものだろうか。名前だけと言ってもね、その人のすべてを認め、応援するることになりませんか。

だいたい、趣味のサークルに政治、宗教、商売を持ち込むのはいけないと思う。何か頼みたいなら、他の場所で個人的になら構わないけど。もちろん断るのもこちらの自由。

なんか私にも言ってきそうだったので、速攻逃げた。捕まったら都合が悪いと言おう。地区の代表を地区で応援すると言われたら、よく知らない人なので、安易に応援したくないと言おう。それでもしつこく言われたら、こういう公共の場所で政治活動していいんですか、と聞こう。

ああ、どんな集まりにも面倒なことは付いて回る。面倒なことも一つ一つ片付けていくのが大人というもの。

それともう一つの懸案、宮島。厳島神社の拝殿を描くよう言われている。うまく描ける自信がないのでこちらも気が重い。

 

 

 

 

 

 

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差別と区別

2015-03-08 | 断想

昨年の今頃、近所の古民家カフェで。オーナー氏とゆっくり話しながら、おしゃれな雑貨を見て選べます。


先日BS8のニュース番組に、アパルトヘイト発言で問題になった某、老女性作家と、南アフリカ共和国の駐日大使が出演していた。

作家が産経新聞に載せたエッセィか何かで、この先日本も移民を受け入れることがあるだろうが、住むところは分けた方がいいと主張したとのこと。私は原文読んでませんが、どういう意図で発言したのかな?いったいいつの時代の感覚?と首をかしげてしまった。

移民をたくさん受け入れている欧米の国々では、人種の間で差別や軋轢をなくし、人種にかかわりなく平等に生活できる事を目指し苦心していると私は理解している。

人はあらゆる条件を超えて、人として平等である。というのは近代社会の大前提。しかし生まれ、育ち、見た目、民族、性別などあらゆる記号で人を差別したくなるのも人間の弱さ。

社会の上層部よりも、最下層に接してすぐ上の階層の人が強烈にそう振る舞うことがよくあり、政治がそれを利用するときにはとんでもないことも起きる・・・・ということを前世紀半ばの大虐殺で人類はすでに苦い経験として学んでいる。

また南アフリカ共和国の人種隔離政策はつい20年くらい前まで行われていて、非権利状態に置かれた有色人種が、人間としての尊厳を否定され、悲惨な生活を強いられていた。黒人と白人は恋愛してもいけない、性交なんてもってのほか、という法律すらあった。結婚したいなら国外へ命懸けで脱出するしかない。好きな人と結婚できない、これは人道に対する罪の最も大きいものと私は思う。

駐日大使は有色人種の女性だった。途中から見たので経緯はよく分からなかったけど、話し合いましょうと某作家が呼び出されたような話の流れだった。少しは考え変えたのかな。いえいえ、「お忙しいのに時間をつくってもらった」と負け惜しみ言うくらいだから変えてないと思う。

某作家は差別ではなくて区別だと言っているらしい。週刊文春の3月5日号、の「言葉尻とらえ隊」というコラムによると某ラジオ番組で荻上チキと言う人が作家にインタビューし、「(区別という言葉は)差別者の側が意図的にというか狡猾に使ってしまう場合もあってしまうわけですよね」と問いかけたのに対し、作家は「私は私の言葉の使い方をする。私の死ぬまで待っていただきたい」と答えたという。

作家は自分が差別主義者であることは分かっていないけれど、頑固で、間違いを指摘されても受け入れない狭量な人であることを明らかにしたのはインタビュアーの手柄。コラムはそういう内容だった。

住むところを分ける。自分たちの意思ではなく、他の力で強制する。これはあまりにまずいと私は思う。移民というからには日本の国籍を持つ人。その人に対して、日本国憲法の保障する基本的人権のひとつ、居住の自由を認めないのはいけませんね。結果として一つの民族が集まって住むということはあるにしても、それとこれとは話は全く別。

某作家は(アジアやアフリカから来た貧しい)移民となんかお隣さんになりたくない、目に触れたくないという感覚の持ち主なんだろうと思う。ヨーロッパやアメリカから来たお金持ちの白人移民なら喜んで付き合いたいのだろうか。この感覚がダメだと思う。

私は日本人だということで世界中のどこへ行っても差別されたくない。なぜなら日本に産まれたのは私の落ち度ではないから。ということはどこの国の人でも、私とは違う人として、避けたり、バカにしたり、制度として権利を制限するのを認めてはいけないということです。そうしないと理屈に合わない。


なんかこれ書きながら50年以上も前の悔しい思いが蘇ってきた。

当時、私は小学六年生。市の美術館で市内の児童の図画工作点を見学に行き、うっかり台の上の工作に触れて一部を倒してしまった。

するとそばにいた他校の男子児童が「あっ、**小学校。悪い!!**小学校に給食なんかあるんか」とばかにしたような言い方。そりゃ「街の模型の門柱、ボール紙を糊でしっかりくっつけようよ」と言う前に、倒した私が悪いけど、それを小学校の名前に引っ掛けて、初めから悪い子ばかりのいる学校と決めつけるその悪意にびっくりして、何も言い返せなかった私。

一緒にいた藤田さんが(あの時はありがとうね)急いで直してくれたけど、私は悔しくて悲しくて立っているだけだった。

私立の小学校などない地方では、地域の学校に行きます。地域によって親の職業に違いがあり、おのずと学校のカラーにも違いができるのは自然現象、これは誰が悪いわけでもない。私の責任なんかであるはずもない。しかし、子供でさえそんな色眼鏡で見るのを知って子供ながらにショツクだった。今ならその時の気分をそう分析できる。

そうそう、我が地方では越境通学という抜け道がありました。市中心部のレベルが高いと言われる学区に、子供だけ住民票を移しておくのです。親戚とか知り合いに頼むらしい。朝、小学生がランドセル背負ってバス停に立っていたら、その子は越境通学の子。

私はそれを見るのがとても嫌でした。毎朝、自分があの子より劣っていると思わないといけないのが。何が劣っていたかというと、何だろうか?親の暮らし向き、自分の学力、属する社会?そうではなくて街の学校へ通うというその記号に気合負けしていただけかもしれない。

ことほど左様にひとは老若男女、分かりやすい違いの差に一喜一憂するわけであります。あのバス停の前を通るとき、悲しかった。今でも思い出すとちょっと悲しい。

人を区別したり分け隔てすることなく、みんな仲良く。地域も学校も国内も、世界中で。難しい道のりだけど、人間は智慧を持つ生き物、いつかは達成し、誰もが仲よく平和に暮らすのを目指す以外、何がある?と某作家に聞きたい私。

おやまあ、長くなってしまって。きょうはどうしても水彩画描かないといけないのに。まだ5千歩しか歩いてないのに。。。。

 

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夏の挽歌

2014-09-08 | 断想

隠れているのはだあれ?遠くであの日の声がする。

山の上には青い空、昼下がり、ツバメが一羽、対角線に飛んで行く。

あの子はおとなしくて優しい子だった。いつも涙顔で、それでも遊んでほしくて付いてきた。

鼻緒の取れかかったちびた(方言?=すり減った)下駄、お下がりの大きすぎる半ズボン、古いベルトでキュッと締める。

きっと恥ずかしかった。いろんなことが。

頭のいい子だった。街の高校へ行き、東京の大学へ行き、そして遠くで働き、たまに帰るだけで、故郷に暮らすことはなかった。

母は嘆く。優しい子だったのに・・・今も母親の嘆きの声が聞こえる。

定年退職したら・・・母親は待っていたのに。復員ならなおさらのこと。

若い人は、いつの時代も遠くへ行きたい。兵隊にとられてさえ、勇躍勇んで出かけた世代もあった。

帰っておいで故郷へ。山も空も庭先の花も、あの日と同じ色で待っている。

夕暮れ時、母屋と納屋の間の暗がりに、いろんな声が残っている。

やがて秋、幾たびも季節は巡り、時間が古いレースのハンカチを折りたたむように積み重なっていく。

人は出会い、また別れ、赤ちゃんは子供に、子供は若者に、若者は長い時間をかけて年寄りに。

青い空を雲が行く。夏の終わりの澄んだ空。


 

昨日は孫が来た。タブレット端末で孫と一緒に動画を撮ってもらう。

再生して見て焦った。私って、人からはこんな風に見えていたんだあーーーー

そこにあるのは年相応の私の姿でありました。改めてダイエット永続宣言。合掌

 

 

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薔薇と断想

2013-06-03 | 断想

山陽自動車道、福山SA 2013/6/1

六月は日本では雨季、ヨーロッパでは日が長くて一番いい季節。人も花も太陽の光が嬉しい。

ドイツの品種

どこまでも赤く

 

花びらたくさん

大家族


 

きょうは梅雨の晴れ間、暑かった。午前中、銀行関係の用事を済ませ、公民館で本を借りる。

息子よりメールあり。明日、二人で病院へ行く。私が車に乗せていく。なんで????普通はぎゃくだろ????

息子は男のくせに運転大嫌い、独身時代に買ってやった車も今ではお嫁さんの通勤用。自分は仕事場まで徒歩。トホホホ。


 

ハシモトがツィッターで国連拷問禁止委員会に楯突いてるそうな。気分悪いから見ないけど。何なんでしょうね、あいつ。大阪市の、ひいては日本の品性を落とすような軽薄な行い。もはやつける薬なし。有権者が選んでくれたという驕りだろうけど、有権者は何見ているの? 

もちろん私は、一つ上の世代の、戦争で言い表せないくらいの苦労をしたこと自体を否定しているのではありませぬ。なぜ戦争に向かうのを止められなかったのか。それを考え、子々孫々、二度と同じ過ちを繰り返させないようにする。それしか、日本と諸外国の無念の死に手向けるものはないと思います。

アメリカの世界戦略の一端を担う現実はあったけれど、この68年、日本人が外国との戦争で亡くなることはなかったはず。それをあえて事を荒立てる必要はないと思います。なんで憲法をいじる必要があるのか。

アメリカがもっと強いことを言ってきたら、のらりくらりとかわしながら、どこの国とも喧嘩しない。内容のない、勇ましいスローガンを繰り返す人物こそ危険。そしてハシモトはそれ以下。飲み屋で勢いに乗って騒いでいる酔っぱらいの類。露悪的な単語に喜ぶのは、思考の放棄。

ハシモトとハシモト的なものが生まれてきたこの時代は、分岐点だと思う。判断を停止してこの勢いで突き進むのか、一度立ち止まって戦後の原点に帰るのか。今ならまだ間に合うと思う。

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