11/7 関空発11:20 KLMアムステルダム行き 約6時間の待ち合わせで乗り継ぎでベルリン着は現地時間の22:05。約19時間の長旅。
非常口の窓から雪原と蛇行する川を見る。シベリア上空らしい。
オランダに着きました。
待ち時間を利用して日本に絵葉書を。カード、切手ともに1€
照明の飾り。
もうすぐクリスマス
ベルリン着。首都とは言え、地方空港のような雰囲気。
11/8 午前中ベルリン市内見学。午後はポツダムへ行き、ライプツィヒ宿泊
ベルリンのホテル、名前はホリデイインベルリンシティイーストランズベルガーアリーという長い名前。
http://www.tabiweb.ne.jp/htl/detail/27607H177/
パンいろいろ。
皮ごと食べるブドウも。
クロワッサンはデザート
ベルリンの路面電車
ベルリンの壁あと。寒いので完全防寒。
ツアーバス。
落ち葉の季節。
ジャルダンメンマルクト広場のコンツェルトハウス。コンツェルト管弦楽団の本拠地。
ブランデンブルグ門前。かつては東西ドイツの国境が。近くは大使館に高級ホテルが。マイケルジャクソンが子供を落とすふりをしたホテルもすぐ近く。
ナチの恰好した若者二人。観光客と写真に納まる仕事?遠巻きにして誰も近寄らない。というか観光客はほとんどいない。11月のドイツは静か。
ペルガモン博物館。周りは工事中。
館内撮影自由。 古代ギリシア、ペルガモンの大祭壇を復元。ギリシア神話の神々の彫刻が見応えあり。
こんなのや
こんなのもあります。19世紀には、他国の遺跡を持ってきて博物館を作るのが大国の証し。
ご飯のあとポツダムへ行きます。
黒ビール。苦みがなくて飲みやすい。
ジャガイモ、紫キャベツのワイン煮、ビーフソテーみたいな昼ごはん。ネギがかかっている。
プラタナス?日本のに比べて葉が尖っている。
アウトバーンを通ってポツダムへ。
ポツダム会談の場、ツェツィリンホーフ宮殿へ。
最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(1859~1941年)が皇太子時代、妃のツェツィリエのために建てた。1945年7月17日~8月2日、米英ソの3ヵ国の首脳が第二次世界大戦後の日本の戦後処理について話し合った、ポツダム会談の会場として使われたことから有名になった。
宮殿というよりはカントリー風な建物。宮殿の前の池の中にかつては東西ドイツの国境があったそうです。
勝者は裁く。アメリカ人観光客は日本人とは違った感想のはず。
ポツダム会談の部屋。米英ソの旗が立つ。フラッシュ撮影禁止。当時ベルリン市内は空襲で破壊され、会談をする建物が残っていなかったとか。
大阪の高校生が修学旅行していた。
秋の色の深い庭。
続いてサンスーシ宮殿へ。11月からは館内へ入れず外観のみ見学。庭も広かったです。
この城はプロイセンのフリードリヒ2世(1712~1786年)が夏の離宮として自ら設計し、クノーバルスドルフがその設計をもとに1745年に建設に着手し、わずか2年後の1747年に完成させた。1階建てで、部屋数も12室という小さな宮殿であるが、フリードリヒ2世はここを離宮ではなく居城として利用。中央に「楕円の間」、両端に「円形の間」があるほか、西に大きな風車小屋がある庭園がある。「サンスーシ」は「憂いがない」という意味のフランス語。
15時過ぎるとドイツはもう薄暗く、小雨も降ってきました。観光は始まったばかり。tention下がりつつも明日に期待しましょう。
この後ライプツィヒまでの約3時間は寝てしまって記憶にない。市庁舎の建物内レストランで食事して、ホテルにつき、荷物整理してまた寝ます。今夜の宿はラマダライプツィヒ。
感想。ベルリンは景気悪そうでした。古い建物も最近修復が始まったそうです。
ヒットラーの自殺した防空壕の一部が残された公園、ホロコースト慰霊碑の前をバスで通り、愚かな戦争を繰り返してはいけないとおばさんは強く思いました。旅行記は明日に続きます。乞ご期待。
日差しが弱くお天気悪く、写真はどれもイマイチ。申し訳ありませぬ。