先日の記事読み返して、自分の勘違いに気が付いた。日本人が危険な目にあってるのを米軍が保護しているとき一緒に相手と戦うということですよね。
なんでこんな変な前提を持ち出すのか、まったくもって意味が分からない。米軍に保護されるより、第三国に保護された方がまだ危険が少ないと思う。損得抜きの、日本人を助けたいというそんな奇特な国があるのかと言えば、ありましたね。
湾岸戦争のとき、確かイラクから脱出する日本人を助けに行ってくれたのはトルコの飛行機。トルコの飛行機なので安全だったのでは?
なぜトルコかってあまり知られてませんが、幕末、和歌山県の串本沖で遭難した船の乗組員を助けたのは串本の漁民たち。船を出し、人を救い、凍えた人は一緒の布団に寝て人肌で温めたり、乏しい衣服を与えたりしたという。その恩があの形で現れたと言われています。
国際親善とは国と国の構えを取り外し、どこの国の人だろうと困っているもの同士で助け合うという、人間として当たり前の気持ちから来るものではないだろうか。遠い昔の漁民のおかげで、トルコは今も親日的。日本の戦後の経済成長を見習いたいと思われてもいるとか。他国から尊敬されるのはそれしかないと私は思う。
だいたい、世界中の紛争に首突っ込んで、世界を、アメリカの軍事力を背景とした秩序の中に置きたいアメリカは、気に入らない勢力には国際法やその国の法律まで無視して介入し続けてきた。その国と同じ行動することは、戦争の当事者になること。私はまっぴらごめんです。
なぜそうしたいのか、お顔を拝見する限りでは、説明する気は元々ないらしい。前提として持ち出す例があり得ないような設定。嘘をついてでも突破すればあとは何とかなるというのは、オリンピックの招致の時のスピーチも同じ。事実に対して、言葉に対して誠実であってほしい。
誰が日本の軍国化を望んでいる?国民の中では少数派だと思う。日本が軍隊の強い国になり、東アジアで軍事的な衝突が起きれば、この地域の経済は停滞するし、世界中のバランスもまた不安定になる。
国連の安全保障理事国になり、強国の仲間入りをすれば周りの国ににらみがきくとでも思っているのだろうか。としたらとんでもない勘違いである。世界を仕切る国の仲間入りをして、その先に何を目指すの?
強い国というファンタジーに国民は付き合いたくない。そう思う人が大多数ではないだろうか。
いえいえ、こんなこと書いたらもう半分は相手の思う壷。
日本は法治国家。国民が選んだ国会で法律を決める。法文はいろいろに解釈できないよう、厳密な言葉で書かれている。どの場合も意味は一つ。法律をどう当てはめるか対立した時には裁判で決める。行政府は法律に従い、国民のための政治をするところ。
国民に一言の相談もなく勝手に憲法の解釈変えて、日本人を戦争に行かせるなんて、本当にとんでもないことである。私たちの世代の感覚なら、大規模なデモや国民運動が起きたり、国会が空転して内閣不信任案出すくらいのことがあってもいい。そのくらい大変なこと。
私も含めて国民はおとなしく、野党もまただらしない。こんな劣化した国だったのかと愕然とする。昔なら、言葉で世論の流れを作るくらいの在野のオピニオンりーダーがいたけれど、今はネットの発達もあって、意見が却って一つの流れにならない。
ああ、どうしたらいいんだろう。お祖父ちゃんのしたかったことを孫がするなんて、素直なのは家の中だけにしてもらいたい。お孫さんはもっと現実主義者になるべき。あまりの独断専行はアメリカにも警戒されているのに。歯がゆい。