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「読書の技法」 佐藤優

2016-05-01 | 読書

筆者は元外務省主任分析官、2002年、背任と偽計業務妨害で逮捕され、2009年最高裁で執行猶予つきの刑が確定して失職、以後は著述業に転身し、現在まで著作をたくさん出している人。

鈴木宗男氏の事件に絡んで逮捕されたと私は記憶している。外務省ではノンキャリ、どういういきさつでそうなったかは別の本に詳しいと思うけど、今はその気力がない。

この本の持つパワーと毒に当てられ、ここまで人は勉強しなくてはならないのかと息苦しい。

ということは基本に踏まえたうえで、この人のまっすぐ突き進む姿勢は立派だと思う。分析官と言う仕事はものすごくたくさんの情報を処理し、瞬時に判断しないといけない場面も多々あったと思うので、能率的な本の読み方は大変参考になった。

歴史は高校の教科書と参考書が大変よくできているそうで、日本史も世界史も過不足なく書かれている。補助としてよく売れている学習参考書を読めばいいそうで。よく売れているのは市場に淘汰されている証拠、この二つがあれば今の世界情勢も理解が深まるとか。

私の立場からすれば今さら仕事はしないけれど、これからどう生きていくかということを深いところで支える自分の立ち位置の確認ということでは無駄ではないと思う。

それから、歴史小説で歴史を学んではいけないというところは大いに腑に落ちた。例えば司馬遼太郎。読み物としては面白いけどと言うか面白くするために作り話を入れることもあるので、娯楽として読むにとどめるべしと。

そうか、昔、司馬遼太郎を一冊読んで、たぶん街道のシリーズだったと思うけど、何とも言えない違和感はこれだったのかと、やっと腑に落ちた。小説ならそうと断ればいいのに、限りなく史実と紛らわしい書き方。これからも私は読まなくていいのだと思った。だいぶ前の「坂の上の雲」ブーム、ブームが過ぎるのをひたすら待っていた私。

このほかこの本の決め台詞色々。「」内が引用

「本はまず真中を読んでみる。」真ん中付近が一番弱い部分だからとのこと。

「経済的に許す範囲で、書籍雑誌は迷ったら買う。」その方が自分の中に定着して結局は得であるとか。

「どんな優秀な人も学力に欠損部分がある。」それを自覚し、高校程度の学力をまんべんなくつけると、「教養書はもとより、標準的な学術書も消化できる」とのこと。

「歴史小説は対象を客観的に理解することを妨げるステレオタイプな偏見が身につく危険性が高い。」

5.15事件はテロ、2.26事件はクーデター。「クーデターは国家機関が(それに属する人間が=私の解釈)権限を越えて暴力を行使する。いずれも最大の暴力機関である国家によって封じ込められる。そして、国家の暴力によって社会が窒息させられてしまう。」

1930年代の歴史を振り返ることで、「官僚による世直し」の危険性を再認識できることができる。

その例として、某航空幕僚長の論文問題、海上保安庁の職員の、尖閣列島衝突事件のビデオ投稿を上げている。そうですよね。いずれも公務員としての服務規定を逸脱して、主観で動いている。日本の閉塞性を打破するのは実力行使しかないという意識がたかまってくるのを筆者は恐れる。

広島のことで言えば、原爆記念日当日、平和公園至近で過去に何回も、その人を呼んだ集会があった。他の論者もみな、日本は核武装すべしという内容。

講演会は呼ぶ人がいるから開けるわけで、主催したのは広島と近辺在住の人のある集まり。

演者は後に愛人問題が明らかになり、選挙違反で逮捕され、現在は公判を待つ身。呼んだ側がどう自己批判したのか、寡聞にして知らない。

おまいら、頬っ被りしてないで自己批判しろ。その検証なしに、これから世間に向かって偉そげに言うな!!と私は言いたいです。あの方たちは偏った、科学的でない歴史認識に凝り固まり、それにしがみつくことでしか、自分の存在感が確認できないかわいそうな人達だとしても、悔い改めるにいつだって遅いということはない。

話それましたが、まんべんなく知識を付けることの大切さを再認識した本でした。そして何よりも時間が最も大切な資源であり、有限であると。若い人ならいざ知らず、この私、のんべんだらりと過ごしている場合ではないと思い知りました。

 

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