統合移転してわが青春の地は、今、フリマ会場などに。
少しずつ建物が立ち、有効利用されている。
高層マンション、スポーツクラブ、丸亀製麺などなど。嗚呼( ;∀;)
読むのは三度目。一度目10代終わり、正門近くの古書店で購入。周りでも読んだ人ちらほら。
一節を引用した手紙を男子からもらったこともある。ご本人は忘れているでしょうが。私も今日思い出した。
二度目は新装の文庫本が出た10年前。そして今回。
10代で読んだ時には、サークルでの男女の組み合わせ、やがて結婚するもの、自殺するもの、出会って別れて、青春群像として読んだ。
私達の世代は団塊世代、全共闘世代と言われますが、そして、アマゾンのレビューで混同しているのもありますが、小説の中の時代設定はもっと古く、血のメーデー事件と、日本共産党の路線変更、六全協以後の青年党員の挫折が大きなモチーフとなっています。
若いときは自分の主義、思いに殉じて、死まで選ぶ、その純粋さを素直に読めたのですが、あれから五十年、齢を重ねたばあちゃんは、何はともあれ死ぬのはよくない。と声を大にして言いたい。行き詰った、もう生きていけない思っても、とりあえず、死ぬのは一日延ばしてみる。その一日を重ねてみましょう。そう言いたい。
一人の若者が形而上の悩みで死んで、その周りでどれだけの人間が嘆き悲しむのか知ってもらいたい。
主人公はおとなしく流されるまま、ストーリーを語る立場なので積極的には何も行動しない。婚約者節子はそれが歯がゆくて別れたのかな。しかし、節子もまた、結婚式を控えて、親にも内緒で、唐突に東北のミッションスクールの英語教師になることを決めてしまい、あまりに抒情に流されすぎてると思った。結婚式場のキャンセル料、親に出させるの?
お嬢さんが家も出ずにそのまま結婚する。その前に冒険したいのかな。まあ、それならわかる。
いえいえ、今の時代の感覚から突っ込むのは簡単。しかし、この本が200万部近く売れ、一時は青春のバイブルになったことの意味は深い。
昔の若者はうんと「うぶ」だったともいえる。
末尾近く、時代の困難となれ合って老いてきた。将来をそう予想する主人公の述懐。いえいえ、困難とは闘うしかない。そうやって生きてきた。私はそう言える。
時代の困難から抜け出して新しい生活に踏み出そうとする人がいた。いえいえ、おかれたその場所で少しでも良くなるように努力するしかない。
場所を変えたら自分が変わるのは幻想。自分が戦って行かないと。
この中では東大と東京女子大など、学校名が実名。どちらも行けなかった私はすねる。