なかなか面白かった。
資本論という著作があるのは知っている。大学の門前古書店のどこかで、手に取ってページをめくったこともある。研究室の蔵書の中に、学生のリクエストで入れたけれど、教授は不承不承だった…というようなことを院生が話していた。
とまあ、私と資本論の関わり合いはその程度。少しは読んだかもしれないが、一人で読むにはなかなかに骨の折れる本である。
こういう手の本は、用語の概念、それを厳密にしつつでないと、すぐに筋道が分からなくなるし、その時も、いつも、ほかに面白くて読みたい本はたくさんあるので、経済学徒でもない場合、読む動機もそう強くないはず。
でも、昔は(そして今も少しは)読書界に燦然と輝く、難解にしてメッセージ性の高い大著作ということになっていた。一人で読み通したら、大尊敬されるか、超変わり者として扱われるか、たぶんその両方だったと思うけれど、誰しも、少しは人生も変わったかもしれない。
その150年前の古典を、新潮社が催す講座で読み通そうと言う試みである。講師はスーパー読書家であの博覧強記で知られる佐藤優氏である。全編、知的刺激に満ちた面白い本だった。
資本主義が行き詰まり、歴史の必然として社会主義、共産主義が生まれることを理論として打ち立てたのが資本論。その時は理論だけだったが、ロシア革命がおき、ソ連が瓦解し、ほかの社会主義国も自由主義経済を取り入れたりと、150年後の私たちの世代は、資本論の通りに歴史が進んでこなかったことも知っている。
それなのに、今、読む意味はなにか?
それは労働者の暮らしが19世紀よりはよくなったとしても、疎外されている状況は基本的には変わらないから。人は目の前にある現象だけが絶対で、変えられないと思いがちだけど、ちょっと視点をずらし、古典を自分の暮らしの実感に引き付けて読み直すと、これからを生きるヒントがいっぱい詰まっている。そういう結論だと思う。
著者のほかの著作の中でも繰り返し言われることだけど、どんな時代にも生き延びる広い知識を身に着ける、その大切さを言っていると思った。
先週の旅行に持って行って、夜、宿で読むつもりだったけど、疲れてすぐ寝てしまい、帰りの新幹線が激混で立っている間にだいぶ読んだ。
列車に乗って立ってるのは本当に退屈だけど、本があって助かった。
どこへでも軽く持ち運べるよう、最近は文庫本が多い。私の場合、隙間読書ですね。