朝から断続的に作業、少々飽きたのでパソコンの前に座る。
綾落ちること多少、何とか直す。
30本で一模様、9回繰り返して270本、2本取りなので実際には540本のはずだけど、何しろ数をいい加減に数えているので、最後は足すか減らすかで調整の予定。
端の補強の糸も忘れたし。次第にいい加減になるけど、辻褄合わせるのにも慣れた。
織には人柄が顕れますね。几帳面とは対極にあるわが性癖、でもって結婚して相手親きょうだいと同居した初めの三年間は苦労したんだよーーー
もう遠い景色だけど。
深夜、ちょっと長いエッセィもどき書いたら、私の中の文章書く気持ちが刺激されたらしく、毎日何食べた、何をした、どこへ行っただけでは私の場合つまらないブログになりそうなので、これからはちょっと長いのも書くことにします。
中学三年生の時の私の夢は
①京都大学へ行く
②そこで出会った人と結婚する
③小説を書いて作家になる
というものでした。
なんというシンプルな思考
その前年、一番下の叔母が結婚して京都で住み始め、春休みに遊びに行って京都が好きになり、叔母さんちに下宿すればいいんだと。高校に入ると、現実が見えてくるので(成績と志望校の折り合いが悪いので)、そんなことは考えなくなりましたが。
大学で出会った人と結婚するはその通りになりましたが、当然、相手は自分の行った大学の同窓生であります。
作家とは…むむむ。自分の書いたものを人が読んで共感してくれたらとても嬉しいのですが、そしてそれでお金もらうならなお結構。目指す人は多く、針の孔よりも細い入り口から文筆の世界へ行ける人は極まれ。
原稿料は2回いただきましたね。初めが30万円、次は原稿用紙一枚3千円の序の口から。こちらは源泉徴収をしっかり引かれていましたね。今思い出した。確定申告の時期に税務署行って、文房具や交通費を申告してその分取り返した記憶があります。
今振り返れば実現したのは②だけですね。これはまあ、いちばん叶いやすい夢。
次に生まれ変わったら、たぶん全然違う夢を見る人生ではないかと思う。それは想像するだけで、霊魂だとか生まれ変わりだとか全然信じない私なので、今のうちにあったかもしれない他の可能性を想像して楽しむわけです。
唯一言えるのは、絶対に建て込んだところには住まない。家の裏に11階のマンションが建つような家には絶対住まない。それだけは固い決意。
今朝、三度目の家屋調査が入った。北東に向けて家が1cmくらい沈下していると私は思っている。横にも引きずられて、建具は一度直したけど、またいろいろ不都合が出ている。
この家は昔、港に近い場所で石炭置き場、それからバッティングセンター、倉庫と変遷したらしい。壊すたびに廃材を埋めて突き固めているらしく、地盤が周りより高いけど、柔らかいのも原因と思う。今は産業廃棄物の処理は法律も整備されているらしいけど、50年も前ならとてもいい加減。
義妹が帰り、また姑様のお世話が始まった。その昔、母が手伝いに来た叔母が帰っった後は、「山に登るような気持ちやった」と話していた。夫もそうだと思う。
夫きょうだいがよくしてくれるので私は楽です。義弟は毎月いくらか仕送りしてくれるので、それもありがたいことです。
姑様の介護度が上がって、ショートステイも頼めるようになり、気分的には楽です。私ではなくて、夫がです。ケアマネさんが言うのか、夫が頼むのか知りませんが、秋にもショートに預けるそうです。
考えて見れば去年の夏からのこの一年の方が大変だったかも。
まだ動けていたので転んでは骨折を繰り返し、ストーブに掛けたやかんに倒れかかって火傷もし、尾籠な話だけど、自分でリハビリパンツ替えていたので、いろんなこともあり、でもまだしっかりしていたので、手出し、口出しはなかなかできないし、振り返れば大変だった。
いろんな時期があるんですね。夫は階段を一段降りるように状態が悪くなると落ち込むけど、私は気分的には落ち込みません。そうかなあとは思いますが。冷静でいるのも介護には必要と思ってます。
おやまあ、長話になりました。
いつものアイスがなかったので、宇治金時を自作。さりながら抹茶でむせる。年寄りの証拠也。老女慨嘆す。