この人の作品は、若いとき、「プールサイド小景」その他を読んだだけで、熱心な読者ではありませんでした。
一人称を省いた日記体、事件が起きないのが、主張が感じられないのが物足りないと、若いが故の不遜な偏見。しかし今になると、このしみじみとした味わいに癒される私がいるわけです。
主人公は、作家をほぼ等身大に映したと思われる老境の作家。毎日、家で仕事をし、その合間の日々の暮らしがあわてず騒がず、淡々と描かれている。
武蔵野台地の、広い庭のある家。庭木や花、野鳥、近所や親せきと食べ物を上げたり貰ったり、子供たちもみな独立、その子供たちや孫との交流。
年に二回は関西に墓参りに帰り、友人の作家の娘さんが宝塚のスターで、その舞台も楽しみに見る。
いいなあ、こういう老後、と思った。
人に聞こえのいい仕事があり、お金の心配もなく、周りの人に恵まれ、自然の中で、四季の移ろいを感じながら暮らしている。
これが小説だろうかと思いながら、やはり小説以外の何物でもないと思うに至る。
主人公と妻の清潔な人柄。足るを知り、人に施すにやぶさかでない。相手を責めず、小さな毎日のことに喜びを感じる。周りに感謝する。
道徳的に読んではいけないのだろうが、結局、文は人。その人柄に打たれた。
面白かったことのいくつか。
買い物を頼まれて、豚のこま切れ肉と蕪が分からない。20年以上前とは言え、何という浮世離れしたおじいちゃん。ここでジェンダーがどうのこうのと持ち出すのは場違い。それで家の中が廻っていくなら、いいじゃないの。というか、知らないのに買い物かって出るのは頑張ったと思う。
夜、ハーモニカを吹き、妻が歌う。時には踊る。面白い人。そして二人でいい歌ですね、いい歌だなあと言い合う。
妻はピアノも習っている。その話題もほのぼのとしている。
お正月には一族13人の用意を70過ぎた妻が一手に準備。各自にお年玉を渡し、ゲームなどして過ごす。今年は姑様がいたので必要最小限しかできなかったけど、機会があればこんな楽しい大宴会もやってみたい。
生きるヒント、ものの見方のヒントがいっぱい詰まった、いい本でした。