昨日の記事の後半、通夜の想定問答が一部受けたので、ワルノリして続きを考えてみました。
今度は嫁ちゃん二人も登場です。
しかしまあ、アバウトでその時々でやりたいことしてきた人だったねぇ。と誰かが話した続きから。
嫁ちゃん2
いつか一緒に車に乗ってたとき、話の流れで、いきなりお母さんが運転するお父さんの後ろ頭を、笑いながらピシッと叩くの。ケンカしてるみたいで、もう私、怖くてぇ)))))
でもお父さんは怒らずに、みんなも全然気にしてなくて・・・私の実家では母は絶対に父に逆らわないから、びっくりして。
三男
ああ、あれね。嫁が怖がるからってあとでお母さんに言ったけど、「そんな気の小さいことでうちの嫁は務まらん」と笑ってた。全然話にならんかった。
長男
高校のころ、「うちで一番のさばってるんはあんた」と言ったけど、「そんなことない、私は普通」と言われたのでいったんは納得したけど、どうしても気になって・・・
一同
で、どうした?
長男
次の日に、「うーーーーん、お父さんが遠慮しすぎてるだけかもしれん」って言ったら、受けた。「そんなこと、昨日のうちに言いなさい」って笑ってた。
次男
僕らが小さいころは小説の同人雑誌に入ってて、夜、よくなんか書いてた。月に一度の同人会の日にはお父さんと一緒に留守番していた。
夫(生きていたら)
会では、「お宅はご主人は養子ですかって聞かれた」って笑ってた。よほど好きなことしているように見えたんだと思う。
三男
高校の時に、きれいでモテまくってたとよく自慢していた。で、勉強しなかったから西の方の学校へ来たけど、ほんとはもっと東の方へ行きたかったと話していた。
だからしっかり勉強しなさいって、自分は遊びまくってたくせによう言うよ。って高校のときは思っていた。
嫁ちゃん1
でも高校の時に何して遊んでたのかしらね。
三男
学校帰りに友達とうどん屋に寄ってうどん食べて、それから県庁のロビーで長話していたって聞いた。部室にも、店から出前でうどんやラーメン取って食べてたって。
次男
食べることしか考えてないんか。遊びもうどんがらみ。さすが香川の高校生。
長男
モテまくってたって、本当はどうだったのかな?
夫(生きてたら)
こちらの学校に来てからは地味だったよ。高校時代は誰も見てないので、話、盛ってると思う。
一同
やっぱりね。だと思ったよ(笑)
夫(生きてたら)
何でも手早かったけど、雑だった。料理の作り方はうちの母や妹とは大違いで、それでよくケンカになった。夕方6時半になっても若いころは本読んでたし、ネットするようになると、ヤフオク見たりしていた。それで恐る恐る「あのうー、ご飯というものは・・・」と聞くと「あらあ、今までご飯作らなかったことあるう?」と笑っていた。
で、パパパッと作り始めて、7時のニュースはご飯食べながら見ていた。いつもそんな感じ。
息子たち
そうそう、手早くできるものしか作らんかった。
次男
そんなもんだと思っていたから、「おばあちゃんちのご飯は工夫しすぎてておいしくない」って言ったら、お母さん、「ねっ、そうでしょ」と嬉しがっていた。
嫁ちゃん1
子供か小さいころワンピース縫ってもらったの。生地が余ってもう一枚縫ったよって後から渡されたら、弟が着たがって、二人でピンクの花柄のワンピース着ていた。
何で二枚分も買ったのかしら。謎。
孫1
お人形のドレスや着物もよく縫ってくれたよ。私がこんな服縫ってって絵を描くとその通りに作るので嬉しかった。
でも私の服は、レースをたくさんつけてっていつも頼んでいたら、レースが高くて買う方が安くつくからとあまり作ってくれなくなったの。
夫(生きていたら)
最初にお母さん見た印象はどうだった。
嫁ちゃん1
小柄で二ニコニコしている人って思った。結婚前に、遊びに来るとみんな笑ってるおうちだったので、私、よかったあ~って思ったの。結婚してからは、ご飯もよく食べさせてくれて、私は実家のことをいろいろ愚痴を言うとふんふんって聞いてくれた。
長男
喜怒哀楽は素直に出す人だったね。そのかわり後から愚痴は言わない人。自分の実家で、お父さんの家族のことは悪く言うの聞いたことなかった。言えば百倍にして心配するのが実の親だからって、よく言っていた。お父さんには好き勝手なこと言ってたけど、それで愚痴言わずに済んだのかな。たぶんそうだと思う。
嫁ちゃん2
初めて会ったのは名古屋駅で。どんな人かと思ったら、++さんと同じで面白い人だった。うちの母は言いたいことも我慢する人だけど、何でも言いたいこと言って、あまり細かなことは気にしない人だった。私の実家はいつも掃除してきれいだけど、毎日掃除しない家があるのにびっくりした。
亡き母
二日に一度は上から下まできちんと掃除、頑張ってたよ。台所は夜片付けた後にもう一度。と言い訳する。
夫(生きていたら)
好きなことして、いつも楽しそうにしていい人生だったかもしれん。人付き合いは格別いい方じゃないし、人の好き嫌いも激しくて、一度嫌いになると修正が効かなくなるので、友達はそう多くなかったけど、少ない友達とは長く続いていた。結局、高校からの友達ばかり。
息子たち三人。
そうなんだあ。そろそろ遅くなったから、もう寝よう。賑やかでお母さんもきっと喜んでいるはず。
実況
家族葬の会場は座敷が広くて何部屋もあり、昔のお母さんの実家みたいと一同くつろいでいる様子です。
母=本人の本日2021年9月16日の感想。
人は自分らしさから逃れられるものではない。書きながらそう思った。もう少し何事も丁寧に、人付き合いも摩擦少なくしていれば、もう少しいい人生だったかもしれないけど、それが私なら、私に気を悪くした皆様、亡くなった後はどうぞお許しを。
それと学校文化の影響の大きさ。出たのは旧制中学と旧制女学校が合併してできた新制高校。昭和40年前後、まだ女学校からの家庭科や古文の先生もおられた。
おしゃれはテキトーに。男の子とは対等にモノを言う。勉強するに越したことはないけど、遊びも大切。校則も緩く、学校帰りにいろいろな所へ出入りしてよく遊んだ。
いまでも高校からの友達は、ほらあれが、そうあの時に・・・で話が通じる。余計な説明はいらない。
夫の高校、藩校の流れをくむ私立の男子校は、喫茶店出入り禁止って。不良になるからって。
えっ、コーヒー飲んだら不良になるの?じゃあ、コーヒーゼリーでも。コーヒーフロートはどうよ。コーヒーのどこで不良になるのと突っ込む私。
それはわからん。しかし、わしらの学校はそうじゃった、そうです。
自我が最終的に完成して大人になるのが高校時代。その時の周りからの影響は圧倒的。男の子は、先生のこと、陰では「**さん」とさん付けしていた。というかそう言う男の子が大人びて見えていた。
高校時代、きれいでモテてたかって?
それはそうあってほしかったという、私の永遠の、今では決して叶うことのない願望であります。
長話、深謝。