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戦争したくない

2014-05-16 | 日記

憲法改正のハードルが高いので、憲法の解釈替えて戦争できる国にしたいらしいけど、法律の運用がその時々の権力者の恣意でゆがめられていいはずがない。何のために決まりを作ってるんだあ?

日本国民はすべからく、憲法とそれを基礎とした諸法に従って、この国で生きている。それをないがしろにしたのでは世の中が成り立たない。極論すれば、殺人や窃盗のような分かりやすい犯罪でも、解釈替えて、してもいいということになりませんか。

邦人の保護なんて言ってますが、それなら北朝鮮の拉致被害者を本気で救出する方が先。こちらは実際に起きていることだから。

今、外国で日本国民が危険にさらされるとしたら、駐在員の誘拐とか、海外旅行中の事故以外に考えにくい。民族や宗教の対立で紛争が起きている国、地域はある。たまたま行き合わせた日本人が、危ない目にあうこともあるだろう。しかしそんなところへいきなり、宣戦布告して自衛隊が行って、誰と戦うの?

東西冷戦の時代に比べて、今は大規模な戦争の危機は確実に遠のいたと、長く生きてきたおばさん=私は実感する。一番ヤバいのはキューバ危機だったと思う。初めはどちらも引かず、あわやと言うときに、ソ連がキューバから核兵器を引き上げた。

ベルリンでは東から西へ逃げる市民が、東西を分割するベルリンの壁のところで銃殺されることが繰り返された。

昨夜のNHKニュース見ていたら、「時代が変わったので憲法も変えるべき」と言う意見が多くて、びっくりした。時代はむしろ、戦争を回避する方向へ来ていると思う。日中の国交回復、ソ連邦の崩壊、東西ドイツの統一、EUの発足などなど。その流れを忘れて、直近のいざこざにだけ気を取られてはいけない。

日本周辺で言えば、かの国の負け犬の遠吠えと、かの国の周辺諸国との摩擦。それだけ。こんなこと言ったら非国民扱いされそうだけど、島、今は日本が実効支配しているんだから、淡々と続けて行けばよろしい。あちらさんも軍艦ではなく、日本でいうと海上保安庁レベルの船で来るらしいから、そこはそれ、阿吽の呼吸。

政治家は硬直した教条にとらわれず、したたかに、柔軟に共存共栄の道を探るべき。それができるのが真の政治家。シンプルな頭で単純な結論しか出せないから、私は二世、三世は嫌なんです。本当に資質があるかどうかも疑わしい。

何事にも基礎学力は必要、ましてや国民の命運を握る立場の人間はもっと深く物事を考えてほしい。

今、世界のどこで自衛隊が出ないといけないほどの邦人の危機があるんだろうか。ありもしない話をでっち上げて、よしんばあったとしてもいきなり軍隊が出て行くのは決して解決にはならないと思う。

戦争はしたくないですね。この69年間、日本国民は誰一人戦死せず、他国の国民も一人も殺していない。憲法のおかげである。いままでそれでやってきたし、これからもそうあるべきと私は思っています。繰り返しますが、日本を取り巻く危機(というほどのこともない)ことがおこればまずは政治で決着できるレベルと思います。いきなり軍隊出すなんてめちゃくちゃです。

69年と言えば明治維新から1945年の敗戦にまで匹敵する期間。明治維新から敗戦まで、夥しい数の国民が戦死、戦災死し、戦争を仕掛けた国で膨大な数の人たちを殺した。中国だけで、二千万人と言われています。狂気と殺戮の時代でした。

負の歴史は忘れてはいけない。負の歴史の中にこそ、行くべき道筋を教えてくれる教訓が詰まっていると私はは思います。

NHKの放送、最近おかしくないですか。一つの立場の意見ばかり放送する。何を放送して何を無視するか、それもまた大きな権力です。とっても歯がゆくて、その気持ちをこうして書くしかない私。

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福山へ行く

2014-05-15 | 日記

昨日は高速バスで福山まで。目的はジュディオングさんの木版画展と、隣の歴史民俗資料館で収集家の寄贈した古地図を見ること。

美術館はJR駅から徒歩数分。向こうの白い建物です。新緑がきれい。

版画は芸能人の余技を超えた本格的なものでした。題材は日本家屋が多い。黒と白の直線のコントラストがはっきりしていて、ご本人もきっとさっぱりとした性格ではないかと・・・

地図の一部は鞆の歴史民俗資料館に展示してるらしいので、バスで30分かけて出かけました。

終点は港の前。

港の前の酒屋

福山はバラで町おこしをしている。プランターに見事なバラが。今週末は福山ばら祭りです。

バラと鞆の浦

バラと鞆の浦2

白バラと鞆の浦

みゆき美容室。婚礼着付けもできます。

今週末まで鯛網しています。網で鯛を獲るのを、船に乗って見物します。

1967年の今頃、母が何かの旅行で鯛網に来て、ついでに私の下宿へ来たことがあります。帰ってみると和服姿で、ドテッと横になっていました。逆光の中で、浮かび上がる母の寝姿が、ついこの間のようですが、もう49年も前です。いやはや、月日の流れるのが早いこと。

歌謡ショーにシャンソンの夕べ? 張り紙たくさん。

シーカヤック体験

アレックス・カー氏の講演会。これは行きたいかも。でも用事があって行けない。残念。

日本人以上に、日本を、古き美しき日本を愛するアメリカ人。企画する人のセンスがいい。広島でもやってほしい。

この方の本の感想はこちら http://blog.goo.ne.jp/samubuto/e/1ea222669ae7570df72d5bbfbc2c014b

 

行き付けのおてび。おてびとは松明のこと。看板にもなってます。福山へ来るテレビ人、映画人はここで食事する人が多いらしく、店内色紙多数。

鞆浦の歴史民俗資料館で。


 

再び福山駅に戻ります。雨が降り始めました。駅前はバラたくさん、花壇のようです。

道端にずっと植わっている。

二輪

豪華

白二輪

バラに雨が降る

たくさんの花

街中に色々な花がずらりと咲いています。

豪華。

小さいのもまたよし。

たくさんの花

毎年花の咲くめでたさ。

本日のデータ

8:40センター発。福山着10:25  福山発16:30。広島着18:20頃。往復4,200円。鞆まで片道550円。

今週末はパラ祭りで賑やかなことでしょう.

 

 

 

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夏日になって

2014-05-13 | 日記

昼間は暖かいを通り越して初夏の陽気。木々の緑が一層濃くなり、木陰を吹く風が心地よい季節。

一年でそう何度もない過ごしやすい一日だった。

まずは今朝の花嫁。

伯爵御令妹、葉山蓮子さまは、今朝、九州の炭鉱王に嫁入りなされました。とっても豪華な振袖に丸帯。

振袖はぼかしを多用、これってとっても技術が要るらしい。昔なので裄は短め。というか、どこかから借りてきた昔のものかもしれない。紋は何でしょう。

軸は蓬莱山?二羽の鶴もお目出度い。

様子を見ながら少しずつ染めていくに違いない。しかも絵羽、染めだけで豪華さを出すのが素晴らしい。

花嫁が出来上がって、いよいよ婚礼に向かいます。桟の多い障子がレトロ。私の実家の座敷にもこんな障子が嵌っていました。

私は叔母二人の嫁入り姿はよく憶えている。行きつけの美容師さんが応援を連れてきて朝早くから家で支度。

椅子に座るお嫁さんを囲んでみんなで写真撮ったりして、そのあとハイヤーで相手方の家に。昔は、文金高島田がすっぽり納まるような花嫁専用の屋根の高い黒塗りのハイヤーがあったことをたった今思い出した。

もう見ませんね、あのハイヤー。家で支度をしていたからこその特殊車両。

仲良く遊んでくれた叔母が花嫁姿になるのは、珍しかった。寂しくはなかった。子供にとってはお祭りみたいな楽しさ。

 

約一月、伯爵家御令嬢のレトロで豪華な着物と帯の数々、楽しませてもらったが、話の筋は主人公の方へ行くので、楽しみ半減。これからはQueen's Englishで楽しませてもらおう。

私の英語は四国なまりなので、外国人にはほとんど通じない。筆談が早い。英会話さえすらすらとできれば、海外旅行も怖くないのに。何で、勉強できるときにして置かなかったのかと悔やまれます。


 ヨーロッパナラの発芽。


 

本日は月に一度の絵付けのお稽古。皆さん休まれて、私一人だけ。先生とおしゃべりして、きょう作ったのはティーパック受けが二つだけ。先生のアトリエはとても居心地がよくて、つい長居してしまった。

本日出来上がった作品

アロマロウソクを入れるカバー。煙突から煙が出るのかも。白磁はフジグラン二階の雑貨屋で購入。

玄関先で写す。小物は実家からもらってきた。アンティークと言うよりはただのガラクタ。お見苦しくて済みません。

タレ入れ。一つあったのは赤ちゃんにお茶飲ませるのに便利と、息子が持って帰ったので新しく作った。

息子は何でも持って帰る。先日は孫娘を自転車に乗せてきて、バナナ四本、夏みかん大1個、かっぱえびせん一袋など持ち帰る。まあ要るものはどしどし持ち帰ってください。

外側。四月に作ったので桜の柄です。

スプーン二本は薔薇尽くし。

薔薇は花の女王、素朴から豪華まで、改良いろいろ。2008年6月、イギリスの公園でバラをたくさん見た。30分くらい歩いてもバラ、またパラ、とても見きれないほど咲いていた。

園芸種はちょっと苦手だったりする私だけど、人にこびないレベルの孤高のバラは却って好きだったりする。ふーーむ、何言ってるんでしょう?自分でも意味不明。駄文陳謝。

 

 

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夜型礼賛

2014-05-13 | 日記

昨年の今頃。実家からもらった赤い小振りのソラマメで赤飯を作る。


http://news.nifty.com/cs/technology/internetdetail/mycom-20140511-20140511035/1.htm

夜型人間の方が子供のころはIQが高かった傾向がある・・・なんて記事を見つけたのは、眠れなくてついパソコンを立ち上げて見始めた時。ただいま午前3時9分、世間のまともな皆様は深い眠りにあるころ。

1時ころ寝始めたのですが、すぐに目が覚めて起きてしまいました。次に眠くなるのは午前四時過ぎでしょうか。

子供のころIQが高かったかって?分かりませんが普通だったと思います。高かったと過去形なのは、今は高くないということ。それなら自信ありますね。

最近物忘れがひどくて、感動する心も薄れがち、こだわりもなくなって、たいていのことなら許せるようになった気がする。あんまり腹も立たない。(但し夫へは別枠)

ただ困るのは、朝早く起きて、善意で私を起こしてくれる人かな。まあ世間並みでない私が悪いんだけど。

実母がまだ私くらいの歳だったころは、我が家に来ると朝早くから起きて、家事全般いろいろなことをやってくれたけど、物音で目が覚めて、あんまり有りがたくなかった親不孝者です。それに街中の家の家事なんて、早朝からするほどのこともないし。

明日と言うか、もう完全に今日なんだけど、月に一度の絵付けのお稽古。電車バスを乗り継いで郊外の団地まで。お弁当も作るから早く寝ないといけないのに。

夜更かしついでについにカミングアウトしてしまいますが、来月また海外旅行へ行きます。今度は10日間のツアーに一人参加です。やれやれ。

数年前、着物を着る波が来ていて、いつも着物着てましたけど、今度は別の波が来たのかも。ヤバいですねえ。こんなことしてたら、ただでさえ貧弱な財布の中身が持たない。

悲しいことに、実母がちょっと様子が変わっていた。もう我が家へ一人で来てもらうのは無理かもしれない。子供、孫、ひ孫会いたさだけで、頑張って来たのだろう。

二年前の三男の結婚式のとき、小さなスーツケースを買って、それで楽に来られるようになったと喜んでいたが、荷物の出し入れの度に鍵を開け閉めするので、「家の中で誰も取らないよ。開けたままにしとけば」と言っても、やっぱりいちいち鍵閉めている。

次第に子供になって行くんだなあと、妙に感心した。子供が成長するのが社会性を身に着ける過程だとしたら、人生の最後はそれを少しずつ振り落していく道のりだと思う。

私自身が最後にどんな人間になって行くのか、知りたいけれど、最後にはそれを認知することも出来ないかも。人はそれを認知症と言う。

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実は、ヨーロッパツアーで迷子になって・・・

2014-05-12 | 日記

レストランで、私だけ席がなくて、ツアーの皆さんと別室に。相席したフランス人夫婦と話が弾み、グラスワインをおごってもらったりして外へ出ると、誰もいません。

びっくりしていたら、顔だけ憶えている同じツアーの男性が迎えに来てくれました。やれやれ、外へ出るといったん坂を上がり、それから45度くらいの急な下り坂になります。急いで下りるうちに店にコートを忘れたことを思い出して、「ツアーの方、ちょっと待ってください」と言うのに全然振り向いてくれません。

仕方ないので店に引き返しましたが、コートはありません。諦めて再び坂道を下りましたが、坂道の下はあたり一面の高い丈の草が生えているばかりで、人影はなく、道さえありません。遠くに電柱が一本見えるだけ。あそこまで行けばなんとかなるのかも・・・

コートはバスの中に置いてきてたのかも。その時になってやっと思い当りました。それにしてもツアーの皆さん、ツアーバスはどこへ消えたんでしょう?

誰もいないヨーロッパの国の草原、もうすぐ夕暮れ、どこへ向かって行っていいか分からず立ち尽くしている私。怖くて、怖くて・・・という夢を見ました。

すみません、話を引っ張って。夢だけど、怖かったです。

で、これは芥川ではないけれど、自分の将来への漠然とした不安の顕れと思い当る。

以下は自己流の夢占い。

ツアーは私の人生、コートは若い頃の夢とか、別れてしまった大切な人、あるいはやり直せるかもしれない過去の過ち。

探しに来てくれた男性は夫か、もしくは息子かも。素直についていけばいいものを、振り返って後戻りするので、人生という旅路で道に迷ってしまい、たった一人、行くことも帰ることもできずに立ち往生している私。

母は歳を取り、自分もまた歳を取って、あの時こうしていればと後悔もいろいろ。母と話すうちにいろんなことを思い出して、親戚の誰彼がみんな70代とかの年寄りになっているのでびっくり。でも私がこの歳なので、何の不思議もないんです。

「ヨーロッパツアーで迷子になった夢を見た」と夫に言うと、「あんたの心配はそれか。いいなあ」と笑われた。はい、そうですが、怖かったよう))))))


昨日、ヨーロッパブナの発芽を一つ確認。5センチくらいの幹の先に、小さな小さな葉数枚がついていた。葉は一人前に切れ込みが入っている。

ドングリは昨年10月30日、広島平和記念公園で落ちていたのを採集。20個ほど持ち帰り、水に浮かぶのは取り除き、ポットに撒いて屋外に置いたのが10個、冷蔵庫に土にくるんで保存して、春に撒いたのが5個。きのうは戸外組の一つ。枯れずに大きくなってほしいものです。

ヨーロッパブナはヨーロッパに普通に見られるブナ。日本のブナの仲間ですが、葉の切れ込みが深くて、おしゃれです。20年くらい前、観察会をしていたころに「何の木?」と話題になったことも。

平和公園が整備される頃、ドイツから寄贈された貴重な木ですが、植わっているのは通路の脇で根元が踏み固められた露地、木にとっては過酷な環境です。当地の暑さもこたえるかも。指導票はオウシュウナラとなっていました。


きょう電車に乗ったら、アフリカ系の若い女性と女の子が。日本語話すと分かったので、いろいろ話した。女の子はもうすぐ1歳で、生まれた日がうちの孫と20日違いくらい。ひと月前に新潟から来たけれど、広島は暖かい、向こうはまだ寒かったというようなことを話していた。

どこの国の人かな?多分アメリカ人。国や人種は違えど、頑張って子育てしている若いお母さんにとって、広島が居心地いい場所であればいいなあと思った。


本日、次男来訪。長男も来ていて、二人でパソコン覗いています。「最近、仕事どう?」なんて挨拶抜きに、家で暮らしていた時みたいになにげなく話しています。いつまでも仲良くね。

孫娘がお祖父ちゃんちへ行くと言うので、昨日に引き続き連れてきました。本日は自転車で。

お祖父ちゃんの膝に乗って、パソコンで動画見ています。お祖父ちゃんはちょっと飽きてきましたが、「いいじゃないの、そのうち頼んでも膝になんか乗ってくれなくなるよ」と言いました。

孫娘はノースリーブのワンピース一枚の夏服です。昨日、「結婚式に呼んでね」と頼むと、「いいよ、みんないっぱい来るかも」と言っておりました。「ピンクが好きでも初めは白いドレスで、次にピンクよ」と言ってやりました。

あと20年…長生きしたいものであります。

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鯉のぼりで遊ぶ

2014-05-10 | 日記

実母に合わせて息子一家来訪。昼ご飯食べて遊んで、公園行って、帰っておやつ食べて、また遊んで、夕ご飯食べて帰って行った。

忙しくて楽しい一日だった。毎日来てくれたら、疲れるけど痩せるかも。

とりわけ受けたのは息子用のでかい鯉のぼりの口を肩にかけて、家中を走り回ったこと。保育所の鯉のぼりよりも大きいそうです。

赤い鯉のぼりがお気に入り

階段を上がります。本人は二階、しっぽはまだ一階です。

上がったらまた降ります。

人魚姫みたい~と本人は大喜び。

きょうのごはん。昼、ご飯、ワカメの味噌汁(ワカメは午前中に近所の海で調達)、ソラマメの煮物、鰆の味噌漬け。お嫁さんと息子の共同制作、アレルギー対応のラザニア。おいしかったです。

帰ってから作るのも大変だから食べて帰りなさいと言って、夜は有り合わせを。鶏肉といんげんのゴマ酢ダレかけ、チャンポン麺、おにぎりなど。

おやつは実家の母がたくさん持ってきたので、それで間に合った。

お友達が近くへ来たからと立ち寄ってくださって、草餅、お菓子、ハンカチなど。ありがとうございました。

息子は傘各種を五本買ってきていた。姑、実母、私、実家のお母さん、そしてお嫁さんも母の日なので、子供たちに替わって息子が買ったとか。

「好きなの選んで」と言われても、子供がくれるだけで嬉しくて、不思議と、好みなんて引っ込んでしまう。人並みであること、それがどのくらい得難いことであるか、感謝を忘れないようにしなければと思う。

孫息子はもうすぐ一歳、よく食べ、よく動き、ますます重くなって、元気いっぱい。それだけで嬉しい私。

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母が来た

2014-05-09 | 読書

写真がないので去年6月の写真です。陳謝。


 

高速バスで3時間ちょっと、途中乗り換えなしなのでいつもバスで来る。駅からはタクシーで一人でやってきた。

今が旬のソラマメをたくさんもらう。よそからもらったお菓子も食べないそうで、どっさり。私の孫達の誕生日が近いので(二人は10日しか離れていない。その間に二人のお父さんの誕生日と、二人の両親の結婚記念日が挟まっているので、長男一家は月末から月初め、お目出度いことがひとかたまりでやってくる)、頼まれて服その他を買いに行った。

いつもはしっかり食べる母が、朝、ご飯が食べられずに残りは犬にやったとか。いつもなら駅で「お好み焼き食べてきた~♪」と言うのに、きょうは食欲なくて何も食べずに来たという。

おやおや、急いでうどんを作って食べさせる。朝四時に起きたというので、昼寝してもらって私は外出。

夕食も残すし、動作は遅くなっているし、やっぱり誰しも若くはならないんだなあと実感した。いつまで一人で来られることやら。

母が一人で暮らしていたころは、二月ーに一度は行ったけど、諸般の事情で今は行かない。


フランスで、つい朝の連続テレビ小説を見てしまってから、「花子とアン」・・・でしたか?見ています。伯爵家のインテリアと、葉山蓮子さまのレトロな着物がお金かかっています。

私的には朝の連続テレビ小説、気合入れて見るのは「放浪記」以来と思う。放浪記って、いったいいつの話だよ。はい40年以上前と思います。林芙美子の自伝でしたね。向島の地主の息子か何かを若き日の津川雅彦さんがやってたと思う。当然白黒。もしかしたらビデオもなくて生放送だったかも。たぶんそうです。

そのあとの「おはなはん」で、子役がおもちゃ壊して樫山文枝さんがアドリブで「あら壊れたの」と言ってましたもん。夫が日清戦争か何かで戦死して、その公報の届く場面でしたか・・・

いゃあ昔日の感ですね。朝から元気いっぱいのドラマが(某東北が舞台の、けたたましいドラマ)、寝起きの悪い私には辛かったけど、今回はまあ何とか見ています。

蓮子さまは柳原白蓮がモデルですね。飯塚の伊藤伝衛門旧宅は今、市が管理していますが、めちゃくちゃ豪華でしたね。お金が有り余っていると、何事にも歯止めがきかなくなるようですが、切りがないんだから、本人は満足感はなかったと思う。足るを知るということがないんですもんね。

いやいや、ベルサイユの豪華さに比べたらささやかなものですが、東洋の炭鉱王、頑張っています。

柳原白蓮についてはこちら。私のもう一つのブログ。一年ごとくらいで引っ越しを繰り返しています。

http://blog.goo.ne.jp/samubuto/e/f2f9b5d2aab7b5d36b8206c8df8f8963

http://blog.goo.ne.jp/samubuto/e/b4ca7359691161bd2821bd99cbaac1fd

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暮らしの心は旅の心

2014-05-08 | 日記

昨年今頃、掃除してお化粧してからでにないと着物着られない。

今年はまだ一度も着ていない。たくさんの古い着物、どうする?


またまた朝から掃除。なかなか片付かない。ベッドのマットレスを上げて、風通して、冬物も片づけて。

片付けながら思うこと、まあなんてものが多いのかと。

旅行に行くとき、国内だろうと海外だろうと、あれば便利かなあ・・・というものは持って行かない。それはたいてい使わないから。国内だと、行った先でたいていのものは買えますよね。

それを普段の暮らしにも当てはめるとしたら、用途が限られる便利グッズなどは買わない。出かけて心惹かれるものもとりあえずは買わない。家にあるもので、まだ着るかなあと思う服は捨てる。押入れ、箪笥、クローゼット、ぎっしりものを詰め込まない。どんどん捨てる…とこういうことですよね。

買うときは楽しい。初めて使うときも楽しい。二度目に使うときもちょっと楽しい。

でも、それを片付けて、今度出して使うときはそう楽しくない。どこかに仕舞い込んで忘れたらもう全然楽しくない。久しぶりに掃除して昔買ったものが出てきたら、懐かしいものは少し、たいていは捨てようかどうか迷うのさえストレス。

捨てるというのは自分のこだわり、固定観念を捨てること。それが難しい。しかし、ものに振り回される暮らし。何とかしなければ。自分の要らないものは他人だって全然要らない。

ものの不自由な時代を知っている親に育てられた私たちの世代は、まだまだ物を捨てるのが下手なようです。

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色の白いは七難隠す・・・

2014-05-08 | 日記

私ですか・・・若い時は色白でしたが、中年以降、山へ行き過ぎて、特に45歳から60歳くらいまでは毎年北アルプス方面へ出かけていて、だいぶソバカスやシミができましたね。

 画像がないのでとりあえず昔の写真で。2001年8月、白山頂上。


 

山歩いていたら痩せそうなものだけど、これまた痩せません。

今さらよそへ嫁に行くわけでもなく、元々身なりなど気にしないいい加減な人間なので、顔も気にしていないんだけど、先日フランス旅行で知り合った人が「皮膚科できれいにシミを取ってもらった、保険が使えて安かった」というようなことを話していたので、昨日、某皮膚科へ出かけてきました。

先生、私の顔を見て、いろいろ説明してくれましたが、保険診療にならないし、「一月後くらいに濃くなって徐々に薄くなる、その間、しっかり日焼け止めとお化粧してください」とのこと。費用も自費なので万単位。。。

うーーーむ、何事も簡単には行かないようで。億劫だなあ。来月前半はそれどころじゃない用事があるし、ということで本日は話だけ聞いて帰った。それも自費。やれやれ。


思い出すのは芥川龍之介の「鼻」である。

青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42_15228.html

容姿も徳の高さも含めて禅智内供のidentity、高僧ともなるとそれは揺るぎない。いやいや、私はそんな境地にまだ達していないので何してもいいんだと思い、結局は自意識をねじ伏せるだけかなとも思い。

自意識、これが厄介であります。

昨日は出かけたついでに、コージツで登山用の半袖Tシャツ一枚購入。登山に半袖は不向き、暑がりなので下着の代わりに。以前はよくセール品があったのに移転してからすっきりしていた。

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野呂山、弘法寺へ登る

2014-05-06 | 日記

連休最終日、いいお天気なので山へ行く。行く先は昨年、帰省中の三男と行った呉市の野呂山のろさん。標高は839.4mと瀬戸内沿岸では六甲山に次いで高いけど、県外の方はあまり知らないかも。本日は山頂にある弘法寺の参道のコース。

9:00自宅発→10:00呉線安登駅北方、R185沿い野呂山登山口→10:10林道脇に駐車。あとは徒歩で→

10:40林道終点の馬の背展望台から山道へ→11:10仁王門→11:40弘法寺本堂・・・・山の上で池やレストハウスを見て再び同じ道を引き返す。

15:00車に乗って帰宅→16:00自宅着。

呉市内までは広島呉道路で20分くらい、登山口まで意外に早く着いた。安登駅からだと徒歩なら3時間くらいはかかるが、きょうは実質登り1時間40分、下り1時間20分くらいと楽な登山でありました。

林道終点の馬の背に駐車したら一時間で弘法寺まで行けます。また行きたいなあ。

山はすっかり新緑で、登山も年末以来ということでとても癒された山歩きでした。カメラの中にまだフランスが入っていたので、最後まで写ってなくて残念。頂上は八重桜が満開で、レストハウスで土色のいい感じのマグカップも購入。連休の締めとしてはいい山歩きになりました。

ガマズミ

馬の背から蒲刈方面。空気が澄んでいたら四国も見える。

緑陰を歩く。

三本松公園からの山道に到着。左、弘法寺方面。

チゴユリ。15センチくらいの可憐なユリ。昨年、東尋坊近くの雄島にも群生していた。北陸では標高が低いところにも分布。

群落をつくっている。涼しげ。

アベマキ。昔、樹皮はコルク栓、瓶の蓋のクッション材、建材として利用価値の高い木でした。

仁王門に着きました。山の背から30分くらい。

仁王像。地方寺院らしい素朴さ。

ミヤマシキミ、ウリハダカエデ、ヤブコウジなど。今年もまた巡りくる季節。

イワガラミ。これもめちゃくちゃ好きな植物ですね。花が咲いたら涼しそうだと思う。

私の好きな花と木。葉が大きい。花は白または薄紫、薄い草色など。直立せずに姿形はものに寄り添って変幻自在ならなおよし。ということに今やっと気が付いた。

ハンカチノキ、イワガラミ、オカトラノオ、ホタルブクロ、カシワバアジサイ、タマアジサイ、ヤマアジサイ、オオデマリ、トチノキ、セイヨウトチノキ(マロニエ)、ヤマボウシ、オオシマザクラ、ギョイコウ、オガタマノキ、ハンテンボク、などなど。ハナミズキはあまりにポピュラーになりすぎて、みんな好きなので、もう卒業した。ってえらそげに。

自然の草木を見て、きょうは生き返ったみたいで幸せでありました。いいのが撮れてなかったので深く反省し、やっとカメラの中のニースやパリの写真、削除しました。

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海外旅行と携帯電話

2014-05-05 | 日記

ルーブルではなくて近所のマンションで。2005年頃。

胸を出すのが女神だと、先日、フランスで教えてもらった。

東洋の果ての女神さまも立派に胸を出されておられます。


えーー私は普段からシンプルな携帯しか使ってませんけど、先日の海外旅行、同行者の二人は海外対応の携帯電話持って来ていました。

通信料が高いので、緊急以外ではメールも電話もしないようにと周りに言っていたようですが、こちらからメールが入っているかどうか確かめるだけでも課金されるらしい。

便利なものは無償で提供されることはないということですよね。ルフトハンザだったか、飛行機の中でもネットができるようになったとか。これも有償でしょうね。空の上だからきっととても高いと思う。世界中を飛び回っているビジネスマンならともかく、この歳でそれも不要。

先日ふと思いついてauへ寄って、海外対応の携帯電話の値段聞いてみた。簡単なのでも3万以上だったので、失礼しましたと言って引き下がった。

レンタルもあるらしい。でも個人の短期の旅行で、そこまで必要かどうか。

イギリスとドイツでは時差は当然あるものの、時計代わり、歩数計として携帯は使えたのに、フランスではバッテリー切れでもないのになぜか時刻は横線になって標示されず、歩数計も使えなかった。

海外旅行ツアーではモーニングコールで起こしてもらえるけれど、自分の起きたい時刻に目覚ましセットしていたらいっそう安心。今度は小さくてシンプルな目覚まし時計があるといいかも。もちろんアナログがいいと思う。今はやりの電波時計、海外でうまく作動するんだろうか。いろいろ面倒なのは疲れる。

家に業者さんから貰った時計があるけれど、ドイツの冬時間に合わせたままで、説明書も失くし、日本時間に設定できずに今はただの温度計になっている。

歳とると面倒なことが本当に嫌になりますね。どんどん新しいことについていけなくなる。自分の名前と夫の顔くらいはずっと先まで憶えていたいけど、それも不安。こう物覚えが悪くなっては。


本日夕方夫帰国・・・もとい帰宅。川越はいいところで表通りより一筋入ったところが昔風でよかったそうです。有名な昔の街並みはたいていそうですよね。表通りはみやげもの屋などで整備されてるけど、その周辺にはありのままく暮らしがあるものです。

今週末には実家の母が来る。三年くらい前まで約80坪の家に一人暮らし、今はもう一つの家は人に貸して九人家族。賑やかでいいけれど、不本意なこともあるようで、娘の家に来るのが息抜きになってくれればいいと思っている。

どんなに歳とっても、自分がどうしたいか、その基本のところをしっかり考えていたならばおのずと道筋は見えてくるものです。情に流されるのは決していい結果にならない。とは言え、情に流されるのもまた人間の常。後悔して、また同じことを繰り返して、人から見たら突っ込みどころいっぱいでも、本人は必死なんだから、人間とはなかなか理屈では割り切れない生き物のようです。


昨日、田舎の停留所で80を過ぎた女性が乗り降りするのを何人か見た。皆さん、足腰が弱って、杖をついている人が多かった。都市部では見ない年寄りである。昔の農山村、女も厳しい労働をしていたからでしょうか。どの人の表情にも静かな諦めのようなものがあって、それもまた都市部とは違うかも。


 

今さらながらですが、韓国の船の事故、悲しくて、腹立たしい。よその国のことで、自分とは関わりないことだけど、あそこまでいい加減なんて、ありえないと思う。ローマ法王がコメント出すのも異例中の異例、この際徹底的に捜査して韓国の国全体で二度と今回のようなことがないようにしてもらいたいものです。

それにしても…高校の修学旅行なんて、私の場合はこれまでの人生で楽しかったことのベスト5にランクインしている。気軽に旅行に行ける今の時代でも、学校の友達みんなで行くのはまた特別の楽しさ。それは韓国の子供たちも変わらないだろう。

その楽しさの真っただ中で、これから先素晴らしい人生が開けていたたくさんの若い人たちが、利潤優先の犠牲になって何の文句も言えずに亡くなるなんて、ひどい話だと思う。おばさんの目にも涙。

何も難しいことではないと思う。それぞれの立場の人が自分の責務をきちんと果たしていればいいだけのこと。それができない社会は、見た目をどう繕おうと内部から崩壊していくのでは。よその国への批判ではなく、自分の国の自分への教訓にしたいと思う。すみません、えらそげで。


まだ少しフランスかぶれが続いているようで、フランスの話題です。かの国はゲルマン的厳格とラテン的楽天がいい割合にミックスされ、私には居心地いい国だった。

ドイツは何事もきちんとしていて感心したし、イタリアはずいぶん前で印象も薄れがちだけど、結果オーライ、こだわらない大らかさが面白かった。アリタリアのシートにベルトを締めてくださいの英語表記、場所によって綴りが間違っていたが、なぜああなるのか今でも不思議不可解。

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新緑の三段峡へ行く

2014-05-04 | 日記

本日、連休後半中日好天、夫不在、三段峡探勝単独行、以下本日写真、乞御照覧。

三段峡は広島に流れる太田川の最上流部で渓谷の美しいところです。本日、高速が渋滞の予測なのでバスで。

バスも可部の191分かれから北インターまでは渋滞、それを抜けると川の横を快適に走ります。

道路のない時代、川は重要な交通路、川に沿って小さな集落が続きます。瀬、沢、原、鮎など入った地名が珍しいです。

この路線のバスに乗るのは実に45年ぶり。45年前の今頃、その頃付き合っていた元彼に誘われて、行きは国鉄、帰りはバスだったかな…とても遠かったです。国鉄が開通したばかり、今はもう廃線になってます。

元彼・・・元気でしょうか。元気かどうかは分からないけれど、きょうは東京を旅行中。明日は帰宅予定です。

首が焼けると、タオルマフラーをデパートで買って、「どんなにして巻くん?」と聞くので、「テレビに出ている●尾●さんみたいにネジネジしたら」と言ってやりましたが、ごく普通に巻いていました。次の旅行では私が借りるつもり。忘れずに持って帰ってください。

すみません、長話陳謝。バスは遅れに遅れ、9:30広島センター発、着いたのは12:00直前でした。いっぱいパスに乗って川沿いの農家や農家の庭先の木や花や、遠くの景色もいっぱい見られて楽しかったです。2時間半もあれば新幹線だと名古屋ですね。のんびりといいバスの旅でした。

着きました。古くからの景勝地で、入り口は土産物屋、旅館などがあります。

川に沿って遊歩道があります。

キシツツジとカヌー。インストラクター付きで、カヌーの体験ができます。

川岸の岩場に群落をつくります。コバノミツバツツジより色は薄目。

縁になった所でカヌーに乗っています。

谷の急斜面に遊歩道があり、片側は崖、山側も急傾斜の岩場が続きます。日陰にイワタバコが。花は夏に咲きます。

チャルメルソウ。湿っぽい日陰によくあります。

姉妹滝

竜の口

トチノキ。三段峡にはよく見られるそうで、橡餅が名物です。

秋、実った実の皮を取り、実をつぶして水に晒し、あくを抜いて餅米に混ぜて搗くそうです。

広島市内の街路樹、ベニバナトチノキの実でもできそう。

そして、トチノキで出来るんなら、パリのマロニエの実でだってマロニエ餅が作れるんでないの?だれか作った人いないのかしら、マロニエ餅。

などというつまらないことはさておき、ミヤマカタバミ。花はもう終わったらしい。白い花が四月に咲きます。

ウワバミソウ。小さなつぼみがついている。

トウダイグサ。これはフランスにもあったけど、日本の方が落ち着いた色合い。

トウダイグサ 先月、フランス、プロバンス地方の山中で。

ラショウモンカズラ。ママコナと似ているけれど違う。

ジゴクノカマノフタ。名前でだいぶ損している花。名前大切。

ユズリハ

ユズリハ

ツクバネウツギ。初夏もそこまで。涼しげ。

コガクウツギ。咲き掛け。10年くらい前、鹿児島の開聞岳頂上近くに咲いていたが、当地は少し遅れて開花するらしい。

ヤマブキ

その他に見た花。ヒトリシズカ、シャガ、小さな白いラン、写したつもりだったのになぜか写ってなかった。残念。

渓谷美


 

ゆっくり歩いて黒淵まで一時間半、渡船に乗らず、そこから引き返す。黒淵には食事処があるらしい。秘境中の秘境、一度行ってみたいもの。

15時発広島行きのバスは高速経由、16時半頃広島センター着。久しぶりに行くセンター街は新しい家具屋さんが入っていて楽しかった。アンティーク家具たくさん。置き場所がないのでもう買わない。見るだけ。

本日のお買いもの。お弁当410円、特産生シイタケ200円、缶コーヒー120円。あとはバス代、電車代だけ。フランスでお金使ったので節約、節約。

 明日は雨のようなので、家でいろいろして過ごすつもり。皆様もいい連休をお過ごしください。

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広島フラワーフェスティバル始まる

2014-05-03 | 日記

昨年5月、兼六園菊桜。金沢市の兼六園で。


とは言え、40回近い開催で、行ったのは5回くらい。

一回目、赤ちゃんの長男連れて。その頃、廿日市に住んでたので国泰寺町(市役所裏ね)の親戚の家に車泊めさせてもらって見物。この時は中国新聞裏の人形店で武者人形も買った。確か2万円くらいだった。衣装は色あせたけど、今もあります。

二、三年後に行ったときには大雨で、イベントの司会をしていた桂菊丸?さんが頭も服もびしょ濡れだったのを憶えています。

そうそう、その翌年だったか、パレード見ましたね。昔は協賛企業が花車のパレードしてたけど、今はもうなくなりましたね。子供のパレードは今でもあるのかしら。母が来て見に連れて行ったこともあります。

それからずっと二十年以上行くことなかったけど、数年前、お友達がバスツアーで来られて一緒にランチしました。久しぶりのフラワーフェスティバル、こんなに人多かったかしらというくらい賑わってました。いえいえ、私が歳とっただけかもしれませんが。

今年は一青窈さんが来るそうで、無料で見られるので大変な賑わいでしょう。長男は妻子のある身ながら、行くと言ってました。以前、長山洋子さんがまだアイドル歌手だったころ、あまりに人の多さに急きょ中止になりました。最近では人の整理もきちんとしているようですが。


 

というようなことを想いつつ、きょうは朝からずっと洗濯三昧です。

今まで洗ったもの。ホットカーペットカバー、こたつ敷き、冬用シーツ、冬用座布団、こたつ毛布、カーテン・・・明日もお天気なのでまだまだ洗います。

食器棚も整理。と言ってもあっちゃこっちゃへ場所を移動しただけ。去年作った鯉のぼりと兜の絵皿が出てきたので玄関に飾ったり、冬のままの家の中を今日中に初夏から夏用に替える・・・予定ですが、できるかな。

 

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連休直前

2014-05-02 | 日記


月初めの書類、駐車場に車入れて・・・あれれ、肝心の書類がない。玄関に忘れてきたのでした。行かんなあ、そのまま織りの教室へ行く。

きようは大管に巻いて成型まで。綾も間違えずなんとか終わった。来週は粗筬から粽まで行けばいいかな。

きょうから夫が東京方面に出かける。私は留守番。新幹線に乗るのも、街を歩くのも考えただけで疲れそう。個人の鉄道を利用した旅行は荷物全部持ち運ばないといけない。それが疲れそう。

5日まで一人なので一日くらいどこかへ遊びに行ってもいいけれど、溜まった用事も片付けるつもり。水彩画の宿題。布のバッグを一つ作る。

うーーーん、連休にどこへも行かないなんて、結婚してから初めてじゃないかな。どういう展開になるか楽しみでもあり、将来もしか一人暮らしになった時の練習にもなるかも。

写真はpictureの家族フォルダに入っていた三男の車。冬、福井方面にでも行ったらしい。京都から福井ってけっこう近いらしい。今昔物語にも、都の男がついつい歩いて長者の屋敷へ付いて行く話がありますよね。

先日googleで三男の家見ていたら建築中で、streat viewで近寄ってみたら、**邸工事中の看板がかかっていた。建築中、一度も行ったことなかったので、なんか得した気分。先日会った時には町内会の用事が多いとこぼしていた。日曜日に出ることが多いそう。土地柄かも。

長男、次男は近くにいるけど、遠くの子は気にかかる。でも自分で望んでいったのだから・・・まあ・・・いい人生を歩んでください。

 

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やっと普通の生活に

2014-05-01 | 日記

 先日、息子宅で。ご機嫌な孫息子。


 

ずっと引きこもって旅行の写真整理、それも終わったので、たまった用事を片付ける。

美容院→

写真のプリント→

デパートで安野光雅展見る→

デパート内郵便局で配当受け取り(雀の涙ながらありがたく頂く)→

ブラウス一枚買う。花柄とペーズリー柄、迷って花柄に。私のキャラじゃないし、パジャマみたいな柄。でも後悔しない。最近は何でも縁がなかったと流すのもうまくなった→

お嫁さんに誕生祝いの商品券、書留で送る→

15時ころ遅い昼ご飯食べて休んでいたら息子一家全員がいきなりやってきてビックリ仰天。なんでも今日は創立記念日で仕事は休みだとか。買っていたおもちゃを渡す。しばらく遊んで、下の孫にバナナを切って食べさせていたら、上の孫も横に並んで口を開ける。物が言えなくなって、ハイハイしかできなくなって赤ちゃん返り。笑ってしまった→

近所のショッピングセンター内にベビー用品の店ができたそうで、子供家具を買いに行くと帰って行った→

やれやれ、急いで晩御飯作って食べていたら息子から電話「携帯忘れてない?」→

再び電話。「二階にあった」って、まだそんな歳ではなかろう。やれやれ。

なんか疲れた。次、三男からは連休の予定の連絡なし。次男も三男もこの間会って話したから別にもういいかな。

きょうは孫二人の「あーーーん」した口に交互にバナナを入れてやり、とても幸せな祖母でした。二人とも元気いっぱいに大きくなっています。

来週は実家の母が遊びに来る。私も長生きしてひ孫に出会いたいものです。

母の兄、私からいうと伯父は先日93歳で亡くなった。遠いので葬儀には行かず、母に香典をことづけた。


 

伯父は中国戦線で生き残り、1946年に復員したと聞いている。その戦争体験は華南をとにかく歩かされたということ。遠くにかすんで見える山に近付き越えていくと、そこにはまた別の「王様みたいな人がおるんや」。広い中国を占領するなんて土台無理な話、と兵としての伯父は実感したのではないだろうか。

伯父が生きて帰れたのは、何よりも並外れた体力のたまものだろう。子供のころから山坂を駆け巡る田舎の暮らしが強靭な体力を作っただと思う。どこの戦線でも同じと思うが、歩けなくなって落伍した兵は置いていく。置き去りなにされた者で生きて復員できた人はほとんどいなかったのでは。歩けるか歩けないか・・・これが運命を分ける。

安逸な暮らしをしている今、その厳しさをちょっと思ってみた。

子供のころ、秋の夕方、母に連れられて里帰りすると、叔父がバスの終点まで迎えに来てくれていた。バス停からは30分くらいかかったかな。自転車を押してかすかに明かりがつくのを頼りに叔父の家まで行ったことを思い出した。

結婚して41年間、毎年富有柿を送ってくれていた。去年も貰った。従兄がなくなり、叔父も亡くなって、従弟が柿畑の世話はするらしいが、もう去年が最後だったと思う。

いつかは終わりが来ると思っていたけど、若い頃は柿が嫌いで食べなかったけど、やっと食べられるようになった矢先の伯父の他界、今さらながらに祖父母に替わっていろいろよくして貰ったなあと感謝の気持ちが蘇った来た。


子供のころ、伯父が我が家に来るときには、背広の上下に黒足袋と下駄、自転車で20キロの道をやってきた。洋服に下駄っておかしいけど、田中角栄も庭の鯉に餌やるときは背広に下駄ばきでしたよね。下駄はどこの家にも標準装備。昔は私の祖母もスーツ着て、先割れの靴下に草履で外出してましたもんね。

洋服に草履、私もやってみようかしら。髪はもちろん染めずに後ろでお団子一つ。地味な巾着の袋の中には何入れましょうか。携帯にパスポートに€だな。その格好で海外旅行したら面白いかも。というか危ない人の扱い。旅行会社のブラックリスト入りで、二度と連れて行ってもらえないかも。


とにかく親の世代もどんどんあちらへ行ってしまうから、とりあえず、生きてる親を大切に。元気で娘の家まで来られる母親をありがたく思わねば。

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