斎藤美奈子「日本の同時代小説」の中に介護小説として紹介されたのがいくつか。
母の遺産、長女たち、長いお別れ、などなど。
うーむ読んだのもあるし、どれにしようかなとアマゾンを徘徊中に、あまりに直截なタイトルに惹かれて、斎藤美奈子氏の本にはなかったけど、つい買って、つい読んでしまった。
作者は現職の看護師で、2017年、オール読物新人賞佳作で世に出た人。
日々、看護師として老人をたくさん見ている(たぶん)人にしか書けないリアリティがあるのは一つの美点。また人物がよく書き分けられていて、今風に言うとキャラが立っていて、劇画風に楽しめる作品になっている。
しかし、私の読後感はとてつもなくどよーーんとしている。読んだ後の新しい気付きもないし、介護を経験したものとしては、とても主人公に感情移入できない。
主人公、穂乃果。40代前半。パート主婦。夫と大学生の息子一人。勤め先のスーパーの店長と不倫している。
実家は北関東、山の中の温泉宿。両親と未婚の妹で経営。父親が倒れて意識不明になり、胃瘻をすることになり、家族の意見が分かれる。
夫実家は姑と義姉家族の二世帯、姑は認知症が進み、足を骨折って書いてるけど、大腿骨かな。最近女性が高齢化するにつれて激増しているらしいから。
穂乃果はどちらとも同居していないので、介護はしなくていい立場。しかし、しっかり口は出す。妹と母親には胃瘻してもずっと生きさせるべきと主張するのは、娘時代の妹への恨みがあるから。
妹は、言い寄ってきた大学生に、姉をその気にさせたら付き合ってあげるとそそのかし、挙句、穂乃果は高校生で妊娠中絶し、街にもいられなくなってしまう。
その恨みだそうで。何かなあ。高校生でそんな付き合いするのは自己責任、結果についても自分で責任取るべき。辛い思いをしたのが妹のせいなんて、それは違うと思うし、それを根に持って両親のこと、家のこと、全部おっかぶせて知らんふり、たまに行くと文句たらたら。いけませんねえ、そういう態度。
身内だけならともかく、お正月にしか行かない夫実家でも、義姉に姑の面倒見ていないと文句つける。こんな義理の妹いる?
と言ってもちろん、姑を引き取るつもりはない。
要するに誰の介護もしたくないわけで。介護はいくら美辞麗句を並べても、しないで済むなら、誰しもしたくはないと私は思う。するのは巡り合わせ。どうせするなら気持ちよく、そしてその中から気づくこと学ぶこともあって決して無駄な経験ではないと、自分を納得、鼓舞しないとなかなかできないもの。
その時に外野が、介護者に感謝し、いたわり、時には自分のお金や時間を割いて少しでも助けてくれたら、また次の日から頑張れると思うけど、この主人公は「したくないの一点張り」。妹が幸せになるのを何とか阻止しようって、どこまで性格悪いのと呆れた。
たいていの小説なら、そうは言っても主人公に何か気付きがあり、または改心して、家族が再生するとかそんな結末になるはず。しかし、この小説では不倫がばれて離婚されそうだし、実家の父親も妹の考えで胃瘻を止めて亡くなる。身軽になった妹は地元の人と結婚することになっている。
父の死の真相を知った穂乃果は、妹を何度も平手打ちするって、これはあんまりである。暴力反対。自分が何もしてこなかったのに、よくそこまでやれるなあと呆れた。
この小説は人の醜さを描きたかったのでしょうか。しかし、人間はこんなに単純にはできていない。いろいろ葛藤がある。その葛藤が書けていなくて、主人公はあまりに単純思考。せっかく書いた作者には申し訳ないけど、気分悪かった。
ベッドに抑制=縛り付けるは姑様で経験済み。
この小説とほぼ同じ経緯。
隣の四階で一人暮らしだった姑様は、2年前の一月、夜、部屋で転んで歩けなくなり、翌日、私が車に乗せて整形外科に連れていく。夫は仕事。いつも仕事。弟妹は遠いし、医院関係のお供はすべて私だった。ブツブツ。
立てないので、車から降ろして車椅子に乗せるのが一苦労だった。
レントゲンで大腿骨頸部(脚の付け根ね)骨折が判明、近くの大病院に緊急搬送。車はクリニックにおいて、私も救急車に同乗。
着いたのは10時前、それから待たされたり、検査したり、あちこち移動したりで、病室が決まるまでに夕方までかかった。姑様の替えのオシメは病院のコンビニで買い、途中で換えてもらったり、私はサンドイッチかなんかを食べてひたすら待っていた。
入院が決まり、同意書をたくさん書いた。「長男の嫁」と間柄書いて、サイン。私の立場では書きたくなかったけど、いちいち電話で夫と弟妹に相談する余裕もなく、一存で。後で文句出たら、なら、私の代わりに付き添ってと言うつもりだった。
同意書の中には「危険防止のために抑制することがあります」というのがあり。ベッドに手足を縛り付けるそうですが、まさかうちの姑様に限ってそんなことないと思いつつ、いったん帰宅。いるものをそろえて一時間くらいして行ったらもうベッドに両手を縛り付けられていた。
あの姿を思い出すと今でも涙が出る。いい人ぶってますが、夫や弟妹が見たら哀れな姿にもっと悲しかっただろうと思う。
「お母さんどうしたんですか」
「どこにいるか聞いたら**病院って言うじゃありませんか。私、この柵乗り越えて帰ろうと思って」
「お母さん、脚を骨折して今朝ここへ来たでしょ。手術して歩けるようになってから帰りましょうね」
と自分の親でないので腹も立たず、落ち着いてなだめる長男の嫁=私。
いい体験をさせてもらったと今では思っている。私以外、誰もする人がいないので割り切って、心は平安。
でも夜、義弟に電話する夫は「お母さん、入院したで」って。自分で歩いて行ったわけでも、ましてや空中を飛んでいったわけでもない。丸一日、付き添っていた私の存在は初めから省略、無視。その言い方にむかついた。
三か月後には自宅介護に。その後軽い脳梗塞でまた救急搬送になり、その時は一日入院。私が強く医師に言わないから症状が改善しなかったときつく言われ、さすがに温厚な私も←どこが!!心の中で何かが音を立てて切れてしまったままです。
退院前に主治医と夫が電話で話をしたので、それで夫は納得していると思っていたのです。まあ私も迂闊と言えば迂闊ですが、そこまで必死になれないのはやはり実の親でないからでしょう。
姑様が施設に入って、年明けたら2年になります。夫は在宅介護をよく頑張ったと思いますが、私が食事を作り、留守の間はオシメ替えなどの介護もしたので家で看る期間も持てたのだと思います。
それは姑様にも、夫にも私にも、義弟妹の為にもよかったと思います。助け合ってこその家族。いろいろ思うことはため込まずに小出しにして、変えられることは変えてもらう。そう思えるようになりました。
介護では、その家族の普段からの「家族力」が問われます。長年の人間関係が問われます。ぎくしゃくしている家族はいい介護ができない。そして介護を通して家族の在り方もその成員も鍛えられる。気づくことがたくさんある。それが介護が終わってもいい財産として残れば言うことありませんね。
介護を通じて、私は嫌なことを嫌と穏やかに言えるようになったと思います。それから自分の老後について(もう老後だよという声あり)、具体的に考えられるようになりました。
誰しも年を取り、誰しも死んでいく。子供が成長するのとは逆のコース。素直に助けを求められるのも大切。助けたり、助けられたり。
この小説の主人公に問いたい。
わたしは誰も看たくないなら、あなたは誰からも看てもらわなくていいんですかと。
それはできない相談。それに気が付いたのが、この小説の最大に美点でありましょうか。