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三景園、名残の紅葉

2020-11-22 | お出かけ

たぶん最後の紅葉見物、広島空港横、三景園へ行きます。

こちらは広島空港が市内から移転したとき、空港の工事に合わせて整備された日本庭園です。

自宅発8時半、高速通って9時15分頃には公園につきました。

あすまで紅葉祭り。

コナラなどもきれい。

ドウダンツツジ。

名残の紅葉。

奥は渓流に。

滝。

滝は三段あります。

落葉多数。

散る紅葉、残る紅葉もやがて散る。。。。

10時ころ、人出も増えてきました。

さようなら、また来年まで。


公園の外は中央森林パーク、いろいろな施設が点在しています。

灌漑用のため池に架かる橋。屋根付き。

素朴な色合い。コナラなど。

丘へ上がります。

左、ホテル。中、さっきの橋。右、コテージが並ぶ宿泊施設。

離陸!!

滑走路の見える丘から。

夫は初めて、私は三度目くらい。

駐車場へ戻ります。

もう一週間早くてもよかったけど、楽しめました。

広島市内より紅葉はやや早め。


昼ご飯は海田町R2沿いの台湾料理の店で。

瀬野川の向こうに、昨年、孫たちと登った日ノ浦山が見えます。

台湾ラーメンと

餃子のセット。お皿からはみ出す羽根。

私は醤油ラーメンと

中華飯のセット。

いつ行ってもお客さん多い。台湾人経営の店です。

早く出て、昼過ぎには帰宅。あと半日、自由に使えるので近くの行楽は早出がよさそうです。

今年はお天気よくていい秋の日が続きましたが、早くコロナ禍が収まって、安心して出かけたり、人と会ったりしたいものです。

 

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元安川の紅葉そのほか

2020-11-22 | お出かけ

橋を渡る。

下流。似島と宮島。

市中心部方面。

栴檀。

地下道くぐって。

今が盛り。

並木道。

公園へ。

人は少ない。

サクラはほぼ散っている。

小さな祠。

10代終わりからの四年間、私はこの近くに住み、息子一家も一年くらい住んでいた。

この公園は落ち葉の掃除をしないので腐葉土が多く、トカゲのエサのミミズを獲りに来ていたとか。

昨日、我が家に来て話していた。

川べりのエノキ。

鷹野橋商店街。

昔の公設市場はかなり広かった。二年くらい前に土地が一括して買い上げられたらしく、マンション工事が始まっている。

https://www.socio-g.com/ts/

上の写真は商店街から続くエントランス部分。さらに奥にマンション本体が建つらしい。

市役所本庁舎から徒歩数分の好立地。高いんだろうなあ。まあ、私には関係ないけど。

四年間、よく買い物に行った店も今はほとんどなくなって、時代の流れをひしひしと。


帰宅したら下の孫が「お帰りッ!」と元気よく迎えてくれた。

お母さんとお姉ちゃんは用事があるので直ぐ帰ったらしい。昆虫図鑑だけ持って帰っていた。

夫の録画していた「半沢直樹」の最終回を見ながら、昼ご飯作っている私のところまできて「とうどりは下に名前が付かないんだよ。豆知識!!」と教えてくれた。

「そうだね、上につくんだね」と答える私。

やがてお父さんが双六持って現れ、三世代で遊ぶ。

ばあちゃんは複雑なルールがなかなか憶えられない。

都道府県の名前を書く。

習ってない漢字はお父さんとおばあちゃんに聞く。

ああ、りつとうねとかこざとへんねとか言いながらスイスイ書いて行く。

漢字大好きだそうで。

しっかりしたきれいな字を書くので褒めていたら、夫が帰ってきて「ほめると調子に乗る」と孫に嫉妬している?

「要求水準が高くて、あんたたち、あまり褒めなかった。ごめんね」と、息子に向かって今さらながらの遅すぎる反省をする母親=私。

「よく勉強頑張ったもんね」と言うと「子供には中学受験させない」そうで。

「自分の子供だから自分で好きにすればいいんじゃないの」と答える私。

私は、姑様みたいに孫が40代になるまでとても生きてはいないはず。

でも、きっといい人生を歩むに違いないと今から思っている。

近所の店でたこ焼き4パック買って持たせて、夕方には二人は帰っていきました。

三々五々現れ、また各自都合のいい時に帰っていく長男一家。帰れる家のある者こそ幸いなれ。

偶数月には帰省して姑様の家に泊まっていた義妹も、面会できないので10月はとうとう来なかった。少しずつ周りの景色が変わっていくからこそ、今の一瞬を大切に。

今年の紅葉は、あっという間に終わりそう。季節の移ろいが一層身に染みるのも私が年取ったから?

いえいえまだ若い。この世のいい思い出だけ持ってあの世とやらへ参りましょうって・・・言ってることがまるで年寄り。

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秋も深まって・・・

2020-11-21 | 断想

京都、嵯峨野、常寂光寺 2019年11月


昨日は午前中外出、午後から次に友達と会う時の店を探したり、気になっている縫物をいろいろするうちに夕方に。

機織りは綜絖が全部終わったけど、明日は(と言っても今日だけど)孫が来るので、織り始めるのは難しいかも。

中区の小学校で新型コロナの感染者が出て、スポーツクラブが中止になり、時間ができたそうで。

春には三か月会えなくて、再会したら二人とも大きくなっていたので驚いたけど、また会えなくなるのではと夫は心配している。

でも私たちも高齢ですからね、無理して会うより、この新型コロナ時代を乗り切るのが先決。

同じ区内で、ご家族が感染して亡くなり、今は休診している医院があるって、昨日、友達から聞いた。感染の話も少しずつ、身近になりつつあるらしい。

今年も京都へ行きたいけど、紅葉は身近でも楽しめるはず。いつかまたきっと行きたいけれど。


私はなぜか、80歳過ぎたら、したいことができなくなると決めていて(生きていればの話ですが)あと10年足らずで、人生の仕上げをしなければと、思うようになりました。

いろいろなことを整理して、したいことだけして、どうでもいいことはやめて、心の中にたまっていた不平不満を洗い流し、いい思い出だけ持ってあの世に行きたいものです。

いい思い出って・・・何かなあ。

いろいろあるので書ききれないけれど、その時々で出会った人にただ感謝。

昨日は、広島洋画界を代表する大先生からとてもおいしいコーヒーを淹れて飲ませていただき、もったいなくて涙が出るくらい恐縮した。

がんばればいつか先生みたいに描けるようになるというのは錯覚。上手な人はすでに若い時から大家の趣き。私たちはおばあちゃんのお稽古事。

でも、ものを表現する楽しさの入り口まででもたどり着けたらいいかなあと思う。

嵯峨鳥居元。

この鮎料理の店は愛宕神社の一の鳥居の中に、江戸時代から店を構えているとか。

瀬戸内寂聴師の行きつけの店?だったかな。

いつか絵に描こうと思いながら、いまだ果たせず。遠近感のあるのは却って難しい。

愛宕念仏寺。


観光でお寺を巡るのは戦後始まった、比較的新しい行動様式。戦後すぐの京都の寺社はどこも荒廃していたらしい。何かで読んだ。

愛宕念仏寺は嵯峨野の一番奥。荒廃していたのが観光ブームでまた復活したそうで。この四、五十年の話でしょうか。

ついでに、最近夫が読んでいる本によると、初詣は明治になって始まったそうです。鉄道が発達し、観光のオフシーズンの旅客確保のために鉄道会社が沿線の寺社を宣伝したのが始まり。それ以前はなかったそうで。

そうなんだあ。何事も知って驚くことばかり。

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ラ・フランスを描く

2020-11-19 | 水彩画

本日午後から、月に一度の水彩教室。

先生のお宅のアトリエへ伺います。アトリエは絵や道具やモチーフがいっぱい。刺激がたくさんある芸術空間。

描きすぎない、描きすぎない、丁寧に描かない。

いつも言われます。

梨だけは寂しいかなと思ったけれど、敷物の明るい色で楽しい絵になったでしょうか。

お稽古のあとは、とってもおいしいコーヒーにお菓子、少し話してお暇しました。

今月も楽しい時間が持てた、と同行した皆さんで話しましたが、行き帰りの車の中での情報交換も貴重な時間。

いつ運転できなくなるかなあ~

それまではうんと楽しみましょう。

島にミカン狩りに行った人から頂く。国産レモンとミカン。

おいしそうです。

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母の小紋、縮緬の染帯

2020-11-19 | きもの

新緑のころと、紅葉のころと二回着られる・・・母がそう言っていた小紋。

紬に見えますが染の着物です。

帯は縮緬の細かな柄。

おや、靴下が。

細部。

上半身の背縫いは真ん中に、帯の下からは着付けの都合で多少左右にずれても、という気持ちで着ます。

寸法いろいろの古い着物、きちんと教本通りにはいかない。でも気にせず、着て楽しくなることが大切。

小物も最小限で。当たると痛いコーリンベルト、却って襟の収まりが悪くなる合成樹脂製の襟芯などは使いません。

留袖は人に着せてもらうのでお任せですが。

と言っても、昔の結婚式、花嫁さん以外はみんな自分で着ていましたよね。親せきの女たちが集まり、着せたり、着せられたり。。。男たちはすることないので家の周りにいてお嫁さんの到着、待っている。

昭和30年代でしょうか。

せっかく着たので脱ぐのがもったいないけど、午後は車運転して外出予定。残念。

 

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母の紬に名古屋帯

2020-11-18 | きもの

15年くらい前に貰いました。たぶん60年くらい前の着物と帯。

紬につづれ織り?の名古屋帯。

秋の組み合わせ。着物は単衣。色が濃いので暖かい今日、着てみます。

顔を出さずに自分を撮るのは難しい。

帯揚げは別のにしてしまった。。。。

足元。

着丈が短く、バチ襟。帯は短くて硬くて締めにくかったので、前で結んで後ろへ廻した。

お腹周りにたくさんの布があるので、着物は暖かい。

もうしばらくの間、家での着物、楽しみましょう。

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三滝観音、盛りの紅葉

2020-11-17 | お出かけ

昼休み、三滝で仕事のある夫の車に便乗して出かけます。

入口で下りて

霊園を通って。。。。

着きました。

広島湾デルタの西肩、山すそにある真言宗の古刹。

境内は五日市己斐断層の一部?

山が急角度でデルタへと傾斜し、滝が多くて複雑かつ独特の景観。

山門は特になく、渓流沿いにお堂が点在しています。

見頃。

茶店。

店内。

モリアオガエルのいる池。

今は冬眠中?

休憩所。

本堂から。

本堂上は宗箇山への登山道。

本堂内

本堂遠景。

センリョウ。

落ち葉。

多宝塔から茶店付近。

幟が多い。

多宝塔。本日の一枚。

人出は平日なのでそう多くありません。

アルミの門扉が山門の代わりらしい。

先ほどの茶店。下から。

今日はお客さんが多くて、一人で大変そうでした。消毒もあるし。

昔からある境内の茶店。立地抜群。

以前に一度、カーテンの掛かった離れに通されたことがある。きょうは閉鎖。


帰りは一時間に一度のバスでを30分待ち、紙屋町バスセンター前まで。市内電車に乗り換え、帰宅。

思いがけずに紅葉が見られて、いい一日でした。

行き方。

JR可部線、三滝下車、徒歩20分くらい。

広島駅発横川駅経由三滝観音行きバスなら、70分くらい。あとは徒歩で10分くらい。

車は門前にPあり。

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三滝観音の紅葉、きれい

2020-11-17 | お出かけ
茶屋で休む
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白大島に紬の帯

2020-11-16 | きもの

暑くなく寒くなく、いいお天気が続きます。

本日はこちらを。

白大島は単衣仕立てにすることも多いそうですが、袷です。

八掛の色に合わせて緑の色のある紬の帯を出してみました。

大島は細かな柄があるだけで、柄がありません。

柄がない方が帯を選ばすいいかなと。

着てみました。

チェック柄は歪みがすぐわかるので、難しいです。

お太鼓はなるだけ小さく。

開き仕立て、芯なし、本日は締めやすいはずだけど、形を作るのが時間かかりました。

午後から外出予定だったけど、本日は着物はやめておく。

上前の裾に変な皴が寄っていたので、直してまた片付ける。

毎日一枚、着て確認。いいもの全然持ってないので、恥ずかしいのですが、なかなか外へ着ていく場所もないので。

解いて服にするのも面倒、着物は着物のままで寿命全うさせるのもいいかも。

本日の柄足袋。

何度かネタにしましたが、間違い一つ。さて何でしょう?

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間違いは・・・左足のこはぜが外側についていること。初めは履けずに焦った。あれ、あれ、あれぇ~

母が来たときに見せたら、「足袋や知らん東南アジアの人が作ったんやわのう」と言うことでした。こちらは15年くらい前、ネットで買った。

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大島紬を着てリヒテンシュタイン展に行く

2020-11-15 | きもの

さて、本日夜まで一人なので、時間が全部自分のために使えます。ずっと続くと寂しいけど、たまにはね。

ああ、この解放感。

午前中、次に織る保多織りの機ごしらえ。粗筬に通す。

綾を4本ごとに取っている。なんで????意味わからん。

ここで天からの(亡くなってないけど)先生の声。もうお、**さん、あんたあ、いつになったらきちんとできるんね。よいよーー

何歳になっても叱ってくれる人のいる限り、成長できるはず。この失敗を次の糧にしたいものでありますって、こんなんばっか。しかし辻褄合わせもできるようになったので、多少成長したかな。綾の間違い、途中でどうにでもできる。130㎝と短い整経、織るところより、捨てるところが多いようで。やれやれ。


昼前、着物着ます。

本日は藍色の大島紬。

白い帯、三本出してみました。

結局、一番地味なのに。

帯締、帯揚げも出す。

着付けは二枚の鏡を斜めに向かい合わせて、背中をしっかり確認。

着物の背中の皴を両脇に寄せ、帯の歪みを直す。

小さい鏡は引き出しの中に置く。古い帯で硬くて締めにくかった。


すぐに脱いで服に着替えて美術館行くつもりだったけど、せっかくなので着たままでかけることにする。

電停八丁堀から白島線待たずに歩いて行く。ショーウィンドウに映る着姿、実母にそっくり。着物着たからと特に美人になるわけではない。それなりの人が着物着て、それなりのまま歩いている。

がしかし、本人は別人になっているようで、昭和30年代でも通用する姿で、密かに楽しい。まだまだ、歩けるうちは着物着てどんどんお出かけしましょう。

県立美術館。

全国6か所かを巡回中。

リヒテンシュタインはスイスとオーストリアの間の小さな国。

昔から美術品を集めるのが家の掟、その収集で有名になった侯爵家はのちに王家としてブルボン朝から認められ、国を建てる。

第二次大戦中は、ナチスドイツから美術品を守るのに苦心したそう。収集は今も続いています。

三階が会場。ロビーから隣の縮景園。大名庭園。桜の葉が色づいています。


会場は王家の歴史とコレクションの説明から始まり、肖像画、歴史画、宗教画、風景画、陶器など、分かりやすく展示されていました。

最後のコーナーは撮影自由。ここは静物画のみでした。

本物のようなみずみずしい油絵。

花と静物など。

花。

中国風の壺やサテン地のリボンの表現。

東洋の絵付け磁器には金で取っ手や蓋を付けて豪華にバージョンアップ。

大型の花瓶。

食器セット。

王家のお宝は豪華で、優美でした。しばしその世界に酔いしれて、帰宅。

会期は29日まで。お天気のいい日に思い切って出かけてよかったです。

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健康のために立ってパソコン

2020-11-15 | 断想

7時からのTBS系、健康番組によると、長時間座るのは筋肉が衰え、認知症他さまざまな病気を引き起こすそうです。

寒くなるとついじっとしていることの多い私、まだまだ遊びたいので、取り入れられることはやってみることにしました。

机の上に箱を置き、その上にパソコンを。

今はこれでやっています。長時間の作業も、慣れてこの場所でできるよう、慣れていきましょう。

しかしまあ、煮しめたような古い家具いろいろ。

机は20年以上前、商工センターの骨董市で買った。その頃はX-トレイルに乗っていたので、余裕で積めた。ああ、また乗りたいなあ、あのでかい車。。。。

昨日から夫は大阪のコンサートに出かけている。どこをどう立ち回るのやら、帰宅したらすぐ入浴して、しばらく姑様のところで寝起きしてもらいましょうか。

それがお互い楽で、ずっとそのままだったりして。常々、住民票移しなさいと言ってある。これから本人ができない諸手続き、同居の親族だと簡単では?

相続も、同居していると有利らしいけど、そこまでは口に出さない。

きょうはいいお天気なので、したかったこと、いろいろ片付けるつもりです。

食事の支度がないので楽。自分一人だから、冷凍ご飯チンして、一人鍋でもする予定。昼は当然讃岐名物、しっぽくうどんですね。

皆様もいい日曜日をお過ごしください。

 

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イチョウ色のコートを買う

2020-11-14 | 日記

午後から用事で出かける夫と一緒に広島駅まで。

そこから京橋川沿いに歩いて、川土手の紅葉を見るつもりだったけど、カメラ忘れた~

で、福屋駅前店を歩いてみた。期間限定の和布製品の店で、漆器や眼鏡を拭く布のセットあり。

絞りの羽織、羽裏、紅絹裏をそれぞれ7センチ四方くらいに切った三枚セットで800円。正価は1,500円って、もうびっくり。

つい、うちに布たくさんあるからと、説明聞いた後で立ち去る。感じ悪い客でごめんなさい。

ちょっと高すぎる感じだけど、買う人いるのでしょうか。

いえいえ、もののあふれた時代には、イメージを売るのかな。買って持つことで別の自分に生まれ変わるというイメージ。


冬服のバーゲンしているので立ち寄ったら、好きな色のコートがあったので、購入。

今度、友達と日帰り旅行に行く。登山服でもいいんだけど、登山じゃないので、私だけ浮いても行けないし。

黄色は去年くらいから好きになった色です。

自分で作ったエコバッグと。

リバーシブルです。色が地味なので、黄色を出して着てみたいかな。

このバッグも自分で作った。

かごバッグは、たまたま駅前の地下広場のマルシェで売っていた。ヤマブドウとくるみ。野性的なバッグの数々、迫力ありすぎて、私には合わないように思った。おしゃれで個性的な人が持ってこそバッグも生きる。私では役不足。それで、買うのはもう少し先に。その時は永遠に来ないかもしれませんが。

それより、姑様の染めた布で作った袋物がいいかな。軽いし、お金かかってないし。


ありふれたゴムの木をクリスマスの飾りにする。

うーーーん、ちょっと無理があるけど。

そこら辺にあった棒の先に、百均の飾りを結びつける。

棒は3本あって組み合わせた方がいいけど、山へ拾いに行こうかな。。。。


歯が割れて一部が取れたあと、少し痛かったけど、日増しによくなり、殆ど痛まなくなった。

歯科、行こうかな・・・どうしようかな。普段はほとんど医療機関に行かないので、ものすごく億劫。姑様のかかりつけの先生、何度電話しても留守電に。なぜ???

 

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クリスマスには早すぎるけど

2020-11-13 | インテリア

出かけたついでに、サンタのブーツ買いました。

次はいつ来るのかなあ~

ばあちゃんは待っています。

ついでにクリスマスのお皿、少し出してみます。さすがに早いけど。

公民館で絵付けサークル立ち上げたのが2003年、その頃は年に一度の展示に大きなもの出す必要があって、大皿各種、転写紙で絵付けしていました。

クリスマス大好きな私、張り切っていろいろと。

今もクリスマス、大好き。以前、倉敷かどこかに年中クリスマスグッズ売っているお店があったような気がするけど、あれはどこだったなあ・・・・

長く生きてきたので記憶も薄れがち。

ツリー型のお皿、孫にだいぶ渡したけど、まだあるはず。

でもどこにあるのか・・・

すぐには思い出せない整理の悪さ。


きょうはお歳暮注文。ゆめタウンは15日までの注文で20%のポイント還元、金券でもらえる。財布の中でレシートと混ざらないよう、ついでに使い切る。

サンタのブーツ、本三冊、菓子折り1つで使い切る。

デパートへはとんといかなくなった。デパート行くなら、服着て靴にハンドバッグ。市内電車で。ショッピングセンターなら普段着に自転車で。楽に流れるのは人の常。

中国新聞に連載していたもの。薄くて開きやすく、リュックに入れて重くない。

著者の松島氏の山登りの講座、半年くらい受けたことがあります。もう80歳くらいでしょうか。年上の方が元気で活躍されているのはなぜか安心する。嬉しい。

表紙は9月に登った氷ノ山。この本には掲載されていません。

ついでに文庫本二つ。正価で買うのも、お歳暮のポイント還元があるから。

右はただタイトルに惹かれて慌てて買ったけど、産経新聞のコラムか何かをまとめたもので、二年前の発行でした。

今の時期に文庫化するのが何とも。

パラパラとめくったら中国人のことを支那人と書いていて、私には合わない本だと分かった。しみじみとそそっかしい私。

よその国の人を蔑称で呼ばないのは、世界の標準と思っていましたが、そうでない人、それを受け入れる人が層としているのでしょうか。

アメリカ人にジャップと呼ばれると(呼ばれたことないけど)、私は嬉しくないので、この著者の感覚が受け入れがたいのだと思います。

読むかな~読まないかな~

税別550円、高い買い物だった。

もう一つは、以前著者の「被差別の食卓」を面白く読んだので。地区を路地と言い始めたのは中上健次だと思いますが、この作者もパワフルな作品を書く人。これから読みます。


本日午後から、昨日の疲れが出て爆睡。

枕元が広くなって、そこはもうタンスがないので夫が近づくこともなく、まだ整備していないけど、いずれは自分の好きなものだけ置いて、目が醒めると自分の好きなものだけが目に入って幸せな気分・・・になれるかな。

もうたぶん引っ越しはないはずなので、小さな模様替えで気分替えながら、元気出していきましょう。

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模様替え、頑張る

2020-11-12 | インテリア

暑くなく寒くなく、カラリと晴れ上がった青空の下、湿度も低い秋の良き日、ひょんなことから一日かけて、自分が寝ている部屋の模様替えしました。

きっかけは何だったかな、今朝のことなのにもう忘れている。

何かを片付けるうちに、前々から気になっていることを今日してしまおうという積極的な気持ちでもなく、気が付けばあれよあれよと、収集のつかない状態に。

でも夕方にはこんな感じになりました。

動かしたもの。

ベッド2台。整理ダンスの下の段。洋風のサイドテーブル、リビングテーブル、金庫、椅子などなど。

ベッドを部屋の中心から少し動かし、整理ダンスを反対側から持ってくる。毛布に乗せて毛布を引く。畳の部分、片方が広くなった。

床の間を改造したフローリングの部分は幅が120㎝と一間には足りない。試しにテーブル入れてみたら、5cmくらいの余裕で収まったので、ベッドの足元部分も広くなった。

金庫は死ぬほど重かった。床を少しずつずらし、最後は床柱を背にして座り、脚で思い切り押したら思うところへ収まった。明日以後、筋肉痛の予定。

今は鎮痛剤のいいのがあるけれど、25年くらい前、麻薬系の鎮痛剤の管理に。今は薬は入れてません。お金も入ってません。紙類いろいろ。

藍染めはすべて姑様の作品。端切れでバッグ縫ってみました。

腰を傷めて、夫はベッドで寝なくなった。使わないベッドにカバー掛ける。

こちらも姑様の作品。

寝ていた部屋にぎっしりとものが置いてあって、初め私が、途中から夫が必至で捨てたら、奥から大きな箱に入った藍染の作品がたくさん出てきた。

こんないいもの、全然使ってなかったので、不肖この私が使わせてもらうことにした。

天然藍なのでやがて色あせると思うけど、使ってこそのものの値打ち。死蔵していたのでは只の場所塞ぎの箱。

でも、藍染一つで築42年の家も落ち着いたいい家に見える。古民家まであと少し。

すぐに出せるようにこたつ布団と、片付けていない服にも藍染掛ける。

只の自堕落な部屋が、おしゃれな和風空間に~なってる?

いろいろ置くのが昭和のインテリア。

姑様の染めた布で作ったバッグ吊るして、備前焼も何かの時に貰った。

ここは姑様を忘れないコーナー。まだ存命ですが。


片付けたらいろいろなものが出てきた。

ヤマドリの尾。

長いものの例えにするヤマドリの尾羽根です。

2000年の元旦、大分県の万年山(はねやま)山頂付近で拾う。

あの時は実母を車に乗せて連れて行った。山下りてくるまで、麓の宿で待っていた。

年は74歳くらいだったかな。ずいぶん年寄りに思ったけど、今の私より2歳多いだけ。でも膝を悪くしていて、山登るなんてとんでもない状態だった。

私もあと2年したら山にも登れなくなるのでしょうか。

まさか。

前年、父が亡くなり、初めてのお正月。寂しがったらいけないと呼んだけど、私たちとは別の部屋に一人で寝て「寂しいーー」としみじみと言っていた。

寂しかったんだろうなあ。

私も一人になったら、寂しいーーーと元旦に嘆くのでしょうか。息子ばかりで、でも息子に寂しいと言えばいいのかな。お正月に我が家に来ていればの話だけど。

いえいえ、仮定の話して寂しがっても仕方ない。

きょうは模様替えしたら、ベッドで二人、畳の上にも二枚布団が敷けるようになったので、長男一家が来たらこの部屋で寝てもらいましょう。

その時には私は二階の座敷で。夫は元長男の部屋で今は寝ている。そこは6畳しかないので4組の布団が敷けない。

三男は子供がいないので、元の自分の部屋約7.5畳で十分。久しぶりに全員に泊まってもらえば楽しいけど、コロナが心配。


絵付けしたお皿も出てきた。

酉年に玄関に飾ったんだった。次の酉年まであと何年。

酉も出てきた。牛と飾る。


尾道で買ってきた小さな鯛。

同じ大きさで海の中を泳いでいるのではなくて、養殖かな。

このままポリポリと食べていたら、前から調子の悪い奥歯が痛くなって、きのうはとうとう欠けた。明日歯科へ行く予定。歯科も25年ぶり。歯は丈夫と思っていたけど、さすがにこの歳なので。

おいしく食べるのは健康の第一歩。

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「わたしは誰も看たくない」 小原周子

2020-11-11 | 読書

斎藤美奈子「日本の同時代小説」の中に介護小説として紹介されたのがいくつか。

母の遺産、長女たち、長いお別れ、などなど。

うーむ読んだのもあるし、どれにしようかなとアマゾンを徘徊中に、あまりに直截なタイトルに惹かれて、斎藤美奈子氏の本にはなかったけど、つい買って、つい読んでしまった。

作者は現職の看護師で、2017年、オール読物新人賞佳作で世に出た人。

日々、看護師として老人をたくさん見ている(たぶん)人にしか書けないリアリティがあるのは一つの美点。また人物がよく書き分けられていて、今風に言うとキャラが立っていて、劇画風に楽しめる作品になっている。

しかし、私の読後感はとてつもなくどよーーんとしている。読んだ後の新しい気付きもないし、介護を経験したものとしては、とても主人公に感情移入できない。

主人公、穂乃果。40代前半。パート主婦。夫と大学生の息子一人。勤め先のスーパーの店長と不倫している。

実家は北関東、山の中の温泉宿。両親と未婚の妹で経営。父親が倒れて意識不明になり、胃瘻をすることになり、家族の意見が分かれる。

夫実家は姑と義姉家族の二世帯、姑は認知症が進み、足を骨折って書いてるけど、大腿骨かな。最近女性が高齢化するにつれて激増しているらしいから。

穂乃果はどちらとも同居していないので、介護はしなくていい立場。しかし、しっかり口は出す。妹と母親には胃瘻してもずっと生きさせるべきと主張するのは、娘時代の妹への恨みがあるから。

妹は、言い寄ってきた大学生に、姉をその気にさせたら付き合ってあげるとそそのかし、挙句、穂乃果は高校生で妊娠中絶し、街にもいられなくなってしまう。

その恨みだそうで。何かなあ。高校生でそんな付き合いするのは自己責任、結果についても自分で責任取るべき。辛い思いをしたのが妹のせいなんて、それは違うと思うし、それを根に持って両親のこと、家のこと、全部おっかぶせて知らんふり、たまに行くと文句たらたら。いけませんねえ、そういう態度。

身内だけならともかく、お正月にしか行かない夫実家でも、義姉に姑の面倒見ていないと文句つける。こんな義理の妹いる?

と言ってもちろん、姑を引き取るつもりはない。

要するに誰の介護もしたくないわけで。介護はいくら美辞麗句を並べても、しないで済むなら、誰しもしたくはないと私は思う。するのは巡り合わせ。どうせするなら気持ちよく、そしてその中から気づくこと学ぶこともあって決して無駄な経験ではないと、自分を納得、鼓舞しないとなかなかできないもの。

その時に外野が、介護者に感謝し、いたわり、時には自分のお金や時間を割いて少しでも助けてくれたら、また次の日から頑張れると思うけど、この主人公は「したくないの一点張り」。妹が幸せになるのを何とか阻止しようって、どこまで性格悪いのと呆れた。

たいていの小説なら、そうは言っても主人公に何か気付きがあり、または改心して、家族が再生するとかそんな結末になるはず。しかし、この小説では不倫がばれて離婚されそうだし、実家の父親も妹の考えで胃瘻を止めて亡くなる。身軽になった妹は地元の人と結婚することになっている。

父の死の真相を知った穂乃果は、妹を何度も平手打ちするって、これはあんまりである。暴力反対。自分が何もしてこなかったのに、よくそこまでやれるなあと呆れた。

この小説は人の醜さを描きたかったのでしょうか。しかし、人間はこんなに単純にはできていない。いろいろ葛藤がある。その葛藤が書けていなくて、主人公はあまりに単純思考。せっかく書いた作者には申し訳ないけど、気分悪かった。


ベッドに抑制=縛り付けるは姑様で経験済み。

この小説とほぼ同じ経緯。

隣の四階で一人暮らしだった姑様は、2年前の一月、夜、部屋で転んで歩けなくなり、翌日、私が車に乗せて整形外科に連れていく。夫は仕事。いつも仕事。弟妹は遠いし、医院関係のお供はすべて私だった。ブツブツ。

立てないので、車から降ろして車椅子に乗せるのが一苦労だった。

レントゲンで大腿骨頸部(脚の付け根ね)骨折が判明、近くの大病院に緊急搬送。車はクリニックにおいて、私も救急車に同乗。

着いたのは10時前、それから待たされたり、検査したり、あちこち移動したりで、病室が決まるまでに夕方までかかった。姑様の替えのオシメは病院のコンビニで買い、途中で換えてもらったり、私はサンドイッチかなんかを食べてひたすら待っていた。

入院が決まり、同意書をたくさん書いた。「長男の嫁」と間柄書いて、サイン。私の立場では書きたくなかったけど、いちいち電話で夫と弟妹に相談する余裕もなく、一存で。後で文句出たら、なら、私の代わりに付き添ってと言うつもりだった。

同意書の中には「危険防止のために抑制することがあります」というのがあり。ベッドに手足を縛り付けるそうですが、まさかうちの姑様に限ってそんなことないと思いつつ、いったん帰宅。いるものをそろえて一時間くらいして行ったらもうベッドに両手を縛り付けられていた。

あの姿を思い出すと今でも涙が出る。いい人ぶってますが、夫や弟妹が見たら哀れな姿にもっと悲しかっただろうと思う。

「お母さんどうしたんですか」

「どこにいるか聞いたら**病院って言うじゃありませんか。私、この柵乗り越えて帰ろうと思って」

「お母さん、脚を骨折して今朝ここへ来たでしょ。手術して歩けるようになってから帰りましょうね」

と自分の親でないので腹も立たず、落ち着いてなだめる長男の嫁=私。

いい体験をさせてもらったと今では思っている。私以外、誰もする人がいないので割り切って、心は平安。

でも夜、義弟に電話する夫は「お母さん、入院したで」って。自分で歩いて行ったわけでも、ましてや空中を飛んでいったわけでもない。丸一日、付き添っていた私の存在は初めから省略、無視。その言い方にむかついた。

三か月後には自宅介護に。その後軽い脳梗塞でまた救急搬送になり、その時は一日入院。私が強く医師に言わないから症状が改善しなかったときつく言われ、さすがに温厚な私も←どこが!!心の中で何かが音を立てて切れてしまったままです。

退院前に主治医と夫が電話で話をしたので、それで夫は納得していると思っていたのです。まあ私も迂闊と言えば迂闊ですが、そこまで必死になれないのはやはり実の親でないからでしょう。

姑様が施設に入って、年明けたら2年になります。夫は在宅介護をよく頑張ったと思いますが、私が食事を作り、留守の間はオシメ替えなどの介護もしたので家で看る期間も持てたのだと思います。

それは姑様にも、夫にも私にも、義弟妹の為にもよかったと思います。助け合ってこその家族。いろいろ思うことはため込まずに小出しにして、変えられることは変えてもらう。そう思えるようになりました。

介護では、その家族の普段からの「家族力」が問われます。長年の人間関係が問われます。ぎくしゃくしている家族はいい介護ができない。そして介護を通して家族の在り方もその成員も鍛えられる。気づくことがたくさんある。それが介護が終わってもいい財産として残れば言うことありませんね。

介護を通じて、私は嫌なことを嫌と穏やかに言えるようになったと思います。それから自分の老後について(もう老後だよという声あり)、具体的に考えられるようになりました。

誰しも年を取り、誰しも死んでいく。子供が成長するのとは逆のコース。素直に助けを求められるのも大切。助けたり、助けられたり。


この小説の主人公に問いたい。

わたしは誰も看たくないなら、あなたは誰からも看てもらわなくていいんですかと。

それはできない相談。それに気が付いたのが、この小説の最大に美点でありましょうか。

 

コメント (4)
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