向こうは、はんなりしたピンクの付け下げ。
手前は女仕立ての、大島紬の羽織と着物のセット。
姑様の着物は全部捨てて、タンスは分解してそれも捨てると夫が言います。
その前に要る着物、取っておくようにと言われました。
古いのばかりでしたが、唯一、これだけは比較的新しいもの。新品ではなく、手入れして仕付けが付いています。
寸法は見ていませんが、合う帯が見当たらないので、たぶんの貰い物ではと思うのです。
形見分け?
10年くらい前、60代で亡くなった夫の従姉のものでしょうか?
花は何かなあ、夾竹桃のようにも見えます。
私が広島へ来た53年前、川岸はどこも夾竹桃がたくさん植わっていました。早く大きくなる木だそうで、原爆被災後の緑化に使われたそうですが、今はほとんど見ません。川岸はクスノキなど、本来の植生にあるものが植えられています。
木は大体どれでも好きなのですが、熱帯や乾燥地帯の外国の木は見ていて心が休まりません。子供のころに見なかったからでしょうか。
夾竹桃の付け下げ・・・胸の途中にある塊を飲み下すような違和感が。
夫の従姉のものと仮にするならば、本人を知っているだけに着物が身代わりのような気がして、触るのも躊躇する。
被爆者でした。学齢期以前に被爆。近所にお手伝いで買い物に出て、たまたま細い塀の間を歩いていて助かったそうです。被爆地は平野町付近。
母方の祖母、母、弟は建物の下敷きになり、焼死。父(夫にとっては伯父に当たる人)は勤め先にいて無事。家の焼け跡に三人分のお骨が見つかったそうですが、従姉だけがなくて、やがて救護所にいるのを知らせてくれる人がいて、無事家族と再会。
何歳だったのでしょうか?4、5歳?
救護所の外には、収容されている人の名前が貼りだされていて、たまたま通りかかった父親の同僚の方が会ってみると、「おじちゃんの帽子の印はうちのお父ちゃんのとおんなじ」と言って、身元が分かったと、これは夫の祖母(故人)から、私が直接聞きました。
聞いたのは一度きりですが。
夾竹桃から思い出した従姉のこと。その人の着物かどうかはわからないけれど、生きて何か語り掛けてくるような気配・・・こちらの勝手な妄想ですが。
義妹に、持って帰ってと三回くらい頼みましたが、要らないそうで。とは言ってもあとで気が変わることもあるので、それまで預かっておくつもりです。
藍大島は百亀甲の男物の生地。それを女物に仕立てています。
羽裏は花柄。
八掛は抑えたえんじ色。
織り目は揃ってないところもあって、手織りだから?
というか、染めの段階でラフがある。それを手仕事と有難がるか、熟練してないと感じるかはそれぞれ。
夫はやはり大島の羽織と着物のセットを持っている。着たのはこの47年で3回くらい。縫ったのは私の母親。裄が長いので、広幅一匹分使ったと思う。隣のD井さんのおばさんに嬉しそうに見せていて、あれが母の人生の山場だったのかな。いえいえ、まだまだ山場はあったと思いますが。
花柄の苦手な私は、自分用に、ずっとシンプルな紬の着物探していた。時々立ち寄る和服のリサイクル店(広島の本通りではなくて、パソコンの中に店があります)で7割引きセールをしていて立ち去りがたく、ついクリック。はい、お財布に優しい着物です。
10月に一緒に旅行した人は、昔、娘に100万円の振袖買ったそうですが、この紬なら何枚買えることやら。
いえいえ、節約大好きな私はひそかに満足していればそれでよし。
姑様の引き出しから。
縮緬の戦前の留袖。袂が長く、寸法は全体に小さい。紋が大きくて、手芸の材料としてならまだ使えるかなあと。
私はしません。黒字にエッジの立った柄がきつすぎる。これも義妹に聞いてみる。
胴裏、未仕立ての帯地、ポリの長襦袢地。
ポリは、裏地などに使えるかなあ~
私のじゃないのに持って帰って、置いているのが気にかかる。
着物は女の自己表現、センスも財力も着物を通じてわかるという。
執着や嫉妬や虚栄心や、いろいろな気持ちを引き起こしていたのもつい最近まで。
だから人が着物着ているの見ると、つい気になり、自分が着ると、人にどう見られるかつい気になる。それを押しのけて平常心で。なんたってもうこの歳ですから、怖いものは何にもないはず。