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ばあちゃんたちのお茶会

2020-11-02 | 日記

月に一度、近所の女性7人で集まってお茶会。包括支援センターからケアマネさんが来て生活の見守り、情報提供などする機会にもなっていて、その準備、9月から私がやっています。

場所は近所の集会所、利用料はかからず、調理設備、その他もあり、便利に使わせてもらっています。

参加のきっかけは何だったかな、昨年の今頃、家の前に立っていたら、たまたま誘われたんだった。

皆さん、一人暮らし、80歳代。その中に私が混ざって話が合うかなと思ったけど、ご近所なのでそれはそれなりに。まずはよかった。


新型コロナで3か月休んで、再開時には食事止めてお菓子に変わり、お役も楽になった。

備忘の為、本日用意したもの。サンドイッチ、シュークリーム、カップ入りのチーズケーキ、甘納豆の小袋、あとはお茶とコーヒー。常温の蓮茶は私が作って寄附。もう一人の方が家で炊いた豆ごはん寄附してくださって、パックに詰めて持ち帰ってもらった。

買い物と会計も私の役割。大した金額、大した人数ではないので、何とかやれている。そして皆様に少しだけお役に立てているのが、私の喜びでもあります。

初めは、その頃習っていた陶磁器の絵付けと重なるので迷った。しかし、毎月、話をしているうちに時間が過ぎて、描くのは集中できなかった。思い切って離れて、今はよかったと思っている。

家でじっくり描いて、焼いてもらってもいいんだけど、以前赤い色だけ飛んでしまったこともあったので、どうしますかねえ。

20年くらい前、描いてラッカーみたいなのを吹きかける絵付けの教室、見学に行きましたが、あれはどんな絵の具でどんなラッカーだったのか。。。。

食器として使わないならそれもありかなとも思いますが、まあ邪道でしょうか。


6年くらい前、詩人の堀口大学の評伝読んで印象に残ったのは、彼の祖母の機織りに対する真摯な態度。

廃藩置県で、収入の道を経たれた元武士の妻たちは機織りを習ったそうですが、他の人は奥様気分が抜けずに真面目に習わない。堀口家は当主が戊辰戦争で戦死、祖母は子供たちを食べさせるために必死で機織りしたそうです。息子は日本で第一号の外交官、その息子の大学は親の赴任先のヨーロッパを移り住みながら、文学へと傾倒していく。。。。

機織り習っていても、何事もいい加減な私、イマイチ覚えが悪く、出来栄えも悪い。先生にもよく叱られた。お昼休みのお弁当とおやつが楽しい出来の悪い生徒でしたが、その評伝読んで目からウロコ。

お稽古事でも、売れるくらいの作品造るつもりで、そして人に教えられるくらいにしっかり学ばないと、その入り口にも行けないことにようやく気が付いたのです。

器の絵付けも同じ、やはり描くのは静かに集中してやらないと。

おばあちゃんたちの集まりの日が変わって、また以前の教室、行こうと思えば行けるけど、話に行くだけなら、もういいわ。人生の時間を大切にして、あとで後悔ないようにしないとと、さすがにそう思う年齢になりました。


機織りはやめてから自分でじっくりするようになって、本来の楽しさが分かってきた。最近、絵付けばかりしていますが、また機織りも再開したいもの。

最近、機織り教室時代の友達から日帰り旅行に誘われて、とても嬉しく、二つ返事で行くことにしました。年下の私が、同窓会っぽい食事会ほとんどいつも声かけて企画していて、今回は誘われて、たまに誘われるのが嬉しい。

人の一生は長いようだけど、出会える人はごくわずか。その不思議な縁を大切にしなければとしみじみと思う。


地域猫の話聞いてから、私もいろいろ思うことがあり、ある「こども食堂」と連絡をとりました。飢えた猫はかわいそうだけど、私の中の優先順位は猫よりも人間の方が上。

野良猫は目につきやすいけど、充分に食べていない子供は見た限りではわからない。今は続けられるかどうかわからないけれど、気負わず、できることから始めましょうか。と、ここで書いて自分で自分を追い込んでみる。

コメント (2)
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