朝、広島駅を快速列車で出発。中国山地の山あいの、備後庄原まで2時間弱。友達二人に会うのは9か月ぶりで話が弾む。
コロナでなかなか一緒に旅行に行けなかった。
昼食は「かんぽの郷庄原」。
昼食は比婆牛の焼肉、三種のご飯など。
窓の外に残る紅葉。
続いて山の中の峡谷へ。
窓の外を流れる里山の景色。
野焼きの煙が立ち、秋も深い。
着きました。少しだけ残る紅葉。
有名な和菓子店。
建物全体がレトロ。二階窓のすりガラスなど。
ダム湖を今から遊覧します。約40分。http://taishakukyo.com
小さなダムですが、貯水量は多いとのこと。それだけ渓谷が深いのです。
紅葉の見ごろは10月半ばから11月半ば?
山はもう冬の装い。
ダムができたのは大正年間。重機も充分でない時代、さぞ大変だったたことでしょう。
湖畔に点在する観光施設も全体にレトロで、昭和時代に迷い込んだ感じ。
我が家族でここへ来たのはもう35年くらい前。前は屋根のないボートみたいな遊覧船だった。
紅葉橋の下をくぐって
もうすぐ船着き場です。40分間の遊覧でした。
続いて道の駅で買い物、東城の古い町並みを見学。
街並みの中心にあるのは、豪商保澤家住宅。呉服業、醸造業を営む家で、建物は約130年前のもの。
国の登録有形文化財。旅館だった時代もあったそうで、二階の客室が保存されていました。
昔、子供を連れて吾妻山方面へ行くとき、インター下りてこの街並みまで行くと、T字路に大きな店が。何度も前を通ったけど、見学は初めてです。
県北の山深い里ですが、その土地土地で経済の循環があり、財を蓄えた家があったことを改めて認識しました。
このT字路を右折して、街並みが途切れるといよいよ中国山地の山深くへ。
最後のよろずやの軒下に、虫網と虫かごを置いていた記憶がある。家から車に積んでいくので買ったことないけど。
ロッジに泊まって、料理と風呂、自分でして大変だった。翌日は高校野球見る長男を残して吾妻山登山。
三男は三歳くらいで、長ズボンがないのでパジャマのズボン、元々ちょっと行くだけのつもりだったので、スリッパのままとうとう頂上まで。途中からずっとお父さんにおんぶされていた。親は若く、子供は幼い。
1985年か6年ころ。35年も前ですね。
どこへ行っても思い出すことかある。どこへ行っても重ねてきた歳月を感じる。
東城から庄原まで、高速で30分もかかった。いつも通しで走るのでこんなに離れているって感じてなかった。
広島県は広い。広島市が南西端、東城、庄原は北東端。
新しくて小さな駅。
ここから高速乗り合いバスで広島まで約2時間。
三人で場所を替わり合いながら、話したり、眠ったりとメリハリつけて、楽しく情報交換しました。
以前、一緒に楽しくお稽古していた時の、喜びも悲しみも、おやつも分かち合った楽しい日々が一日、蘇ってきました。
この日の友達の1人は、昨年、私の方からあることがあって距離を取っていたのですが、昨日はずっと以前のように話ができて、これからもこの程度の頻度ならお付き合いが続けられそうでよかったなあと思いました。
最大の失敗は、彼女は早くにご主人を亡くされているのに、夫のネタで笑ってもらおうとしたこと。あまりにも無神経でした。
バスセンターでトイレから出ると彼女がまだいて、お弁当が安くなっているよと教えてくれたので買って帰る。
夫はご飯炊いておでん作って自分で食べていた。私の分もあったけど、彼女に合わせて私もお弁当のご飯とオカズ、チンして食べる。
地元の観光推進機構主催のツアー。旅行業者とは一味違ったツアーだった。
JRの旅があまりにレトロで、湖の周りの古くからの旅館などもレトロで、高速道路ができて観光もうんと変わったのだろうなあと、想像した。