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「若き友人たちへ」ー筑紫哲也ラスト・メッセージー

2021-07-19 | 読書

先日、段原イオンのブックオフで中古本を一気買いした時の一冊。

筑紫哲也氏は1945年生まれ、早稲田大学卒後、朝日新聞社に入り、記者、ニューヨークにも駐在後、今はなき朝日ジャーナルの編集長、退社後は長い間ニュース番組のキャスターを務めていた。

2008年、73歳で死去。

この本は、早稲田大学と立命館大学の院生に2003年から5年間講義した講義録がもとになっている。

全体に、社会を見る目の基本になるリテラシーを身に着ける大切さを、若い人に噛んで含めるように話しているのが印象的。

単純な言葉に流されることなく、自分で考えることが大切と訴えている。自分の知や経験をひけらかすことなく、学生の地平にまで下りていく姿勢がお人柄かなと思った。

末尾には死後見つかった高校時代の文章が併録。すでに客観的に物事を見ようとする姿勢が見られて、ジャーナリストの素質が垣間見えるようでした。


付け足しとして。

昨年、大分県竹田市の滝廉太郎記念館を訪ねて、筑紫哲也氏が名誉館長だったと知りました。

学芸員のお話によると、滝廉太郎の妹の孫にあたるそうです。滝廉太郎の家系は、豊後日出ひじ藩の家老の家柄だそうで。日出藩は秀吉正室、高台院の甥が秀吉の養子になって木下姓を名乗り、関が原では東軍についてその功績から日出の地を与えられました。

豊臣家は大坂夏の陣で滅んだのですが、それは淀君、秀頼ライン、血縁関係はないけれど、木下家として江戸時代も豊臣家が残っていたことは、滝廉太郎記念館へ行くまでは知りませんでした。

生前、一度も滝廉太郎が大伯父だと言ってないところが氏のお人柄かと思います。

滝廉太郎の話を先日夫としていたら、日本のために残念だったと話しておりました。私が「本人は生きていっぱい曲作りたかったはず」と言った返しに。

ドイツに留学してすぐに結核を発病、帰国して大分で亡くなるんでしたか。

しかしその曲は今に歌い継がれているのが素晴らしい。人の命に限りはあるけれど、芸術は永遠。

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