呪文のような題名は、備後地方(広島県東部)の方言で、ふてくされている、ふてくされていないという意味。題名が秀逸で、きっと面白いはずと、中身をよく確かめもせずに買ったけれど、期待にたがわずたいそう面白かった。
内容は、学級崩壊で登校拒否になった五年生ダイスケが、東京を離れて、母親の実家に二学期の間だけ預けられ、地元の学校で人と出会い、行事やお祭りに参加して成長していく物語。
児童文学の体裁で読みやすいけれど、そこはそれ、直木賞作家の作品、どの人物も個性的で存在感があるし、伝統産業、下駄の生産地としての福山市松永町の土地の描写もリアルで、大人が読んでも充分に面白い作品になっている。
この小説のハイライトは、ダイスケが気まずくなったまま愛媛県の今治へ転校したサノタマミに会いに行くところ。
尾道今治間は路線バスがあるけれど、それに乗ったのでは小説にならない。
初めはおじいちゃんの知り合い、訳アリのハセガワさんの車で、エンストしてからはレンタルサイクルで、最後はレンタルサイクルを世話してくれた人の車で今治城で待っているサノタマミに会い、別の車で迎えに来てくれたハセガワさんに連れられて無事帰るところ。
尾道今治間は60キロくらいあるかな。
今年5月、因島の白滝山から見たしまなみ海道。あちら尾道方面、橋は因島大橋。四国はこの写真の背後、まだまだ遠いです。
橋には自転車道が併設されていて、以前は外国人のサイクリストも多かったけど、子供が走るのは、というか大人でも、橋の高さまで坂道を自転車こいで上がるので大変です。
その大変さもよく書けていて、少年の成長物語にもなっている。
三学期はまた東京の学校へ戻るダイスケ。松永で出会った人と出来事がダイスケを大きく成長させ、学級崩壊の学校へ戻ってどう切り抜けていくか、それは読者の創造に委ねられる。
案外うまくいく気もするし、ダメならいつでも戻っておいでと、松永の学校の先生が言ってくれてるので安心。読者も安心。
この本を「ミユキテーブル」の上に放置していたら、夫が「ハブテルは標準語と違うんか」と言うので笑ってしまった。広島県の西部でもハブテルって、年寄は普通に言いますが、違います。もちろん方言です。
私の実家地方では「どくれる」というのがありますが、微妙にニュアンスが違う。子供が軽く拗ねるのと、大人が本気でへそ曲げる違いかな。
この作品の中では、ダイスケに恋心を抱く同級生の女の子との言い合い、(お前)ハブテトル、(うちやあ)ハブテトラン、ハブテトル、ハブテトランと続いて行く。アッという間に方言を会得して、コミュニケーションをとるのも子供ならばこそ。
その子は「絶対に東京の大学へ行ってまたダイスケと会う」と口にする。今治のサノタマミは中学生の彼氏ができて大人っぽくなっているし、この年頃は女子がうんと大人。思うように生きていく予兆がして頼もしい。
上の方のミユキテーブルですが、年末、三男が車に積んできた立派なコタツ付き座卓。無垢材の真っ黒な塗装。これは嫁ちゃんの趣味と思うけれど、息子宅、お客さん誰も来ないので邪魔だと、譲ってもらった。ありがたや。
靴はいて玄関で、「ごめん、カメラ取って。ミユキテーブルの上にある」などと使う。