午前九時過ぎ、銀行の用事を済ませ、近所の唯一残った八百屋で野菜各種を買った後はずっと家にいた。
接種した夜は、痛くて三度くらい目が醒めた。プラスティックの細い棒が三裂、そのまた先が細かく分かれていて、それで血管の中を搔き回される夢を見ていた。他にも二種類の細い棒が体の中で暴れている。そんな夢。
昨日は節々が痛くて、少し熱もあったかもしれない。麻の生地を買いに行くつもりだったけど、今は殆ど売っていないので、雨も降り始めたし、ネット通販でとりあえず生地見本を注文した。
体がだるいので、手持ちの痛み止めの錠剤を夕方に呑む。
それから少し楽になった。
ヒマワリ。近所の八百屋で買う。
近所の商店街は、原爆の後、中心部の商店が壊滅し、島から野菜や魚を持って来た人が道端で売り始めたのが始まりと聞いた。今はほぼなくなり、マンション工事が進んでいる。
何事にも始まりと終わりがある。役割果たして静かに消えて行く。
子育ても終わって、それからが長くなっている我が人生。98歳の姑様をお見送りする用事が残っているけれど、あとは静かに好きなことして暮らしたいもの。
あと一週間したら免疫ができるのでしょうか。
でも用心して過ごしたいものです。
バッハ氏は16日に広島へ来るとか。そして、市民団体が反対のデモを計画しているようです。
こんなに人々に嫌われるオリンピックも初めてでは。
何事にも始まりと終わりがあるとするならば、今の形でのオリンピックはもう存続できないという意見もあるようです。
1964年のオリンピックを知っている世代としては、今回のオリンピックは残念。オリンピックで国民の意見が分かれて険悪化、それは潜在していたいろいろな矛盾が噴き出してきた姿でもあるのでしょう。
1964年、高校一年生。参加していたサークルで文化祭の展示で東京オリンピックを取り上げた。準備で毎日遅くまで部室に残り、殆ど遊んでいたけど。Q君が最近姿を見せないなと思っていたら、いつの間にか文化祭委員長になって、活躍しているのでした。いや、それは翌年だったかも。記憶あいまい。
数人で、生徒会長と文化祭委員長を決める。選挙は後付け。50年後にQ君が話していた。まるでどこかの国の首相みたいな決め方。
16歳から軽自動車に乗れていた時代、自分の車で放課後荷物を学校に運び込んだり(内緒)、彼はまあ大人でしたね。
オリンピックつながりできょうはそんなこと思い出していた。もう少し勉強していればと思うけど、地方の高校でも祝祭気分。今と大違い。
今回はつくづくと気の毒なオリンピックだと思う。
昨日は洋裁道具と布の整理をした。二階の元の三男の部屋が今は洋裁部屋。今年の夏は何を縫いましょうか。