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東京

2021-07-17 | 随想

きょうは東京の日だそうで、ブログのお友達がそのタイトルで記事書かれていた。それに喚起されていろんなこと、ズザザザザッーと思い出し、まあこの先まとめて書くこともないだろうから書いてみることにした。

2010年8月 浅草


初めて東京へ行ったのは1967年2月末。

目的、私立大学の受験。私18歳、同行者、実母、41歳。服装は高校の制服に買ってもらったばかりのスプリングコート、寒かった。母は旅行だからとこれまた洋服。寒そうだった。

交通手段。四国高松から対岸の岡山県宇野までは国鉄連絡船。約一時間の船旅。そこからは夜行列車の急行瀬戸。東京まで12時間くらいかかったかな。宇野線、山陽本線、当時新大阪までだった新幹線なら2回の乗り換え、で直通列車に乗ったと思う。

静岡くらいで夜が明けたのかな。富士山見たかどうか記憶にない。寝台車は六人一部屋。朝には三人掛けの向かい合った椅子二つになる。コンパ―メントのメンバーは、いまはなき東京教育大学の体育科を受ける徳島の男の子、屈強。私大の医学部を受ける気弱そうな松山の男の子、母親同道、出張旅行の中年男性。それに私たち親子。

本州に向かう連絡船は高松発のみだったので、四国の鉄道線路はすべて高松に集まり、桟橋に向けてホームが並んでいる。日本では大きな都市でも鉄道が接続しているので、路線が複数の頭端駅は珍しい。今は連絡船はありませんが、線路はやはり昔の桟橋に向いて終わっている。故郷の好きな光景です。

東京駅には結婚したばかりの、祖母違いの従兄が迎えに来てくれていて、そこで母が預かっていた海苔巻き寿司の重箱を渡す。高田の馬場駅近くの宿まで送ってくれたのかな。宿に荷物置いて文学部へ行ってみたと思う。そこだけ本部と離れているのです。

受験生らしい女の子、長い髪に真っ赤なミニ丈のオーバーコート、黒いロングブーツ、都会の女の子に目をぱちくり。

宿は和風旅館。暖房なし。廊下に面して部屋が並び、鍵もなかったような。だから女親がついて行くのが普通だった。親も旅行できて一石二鳥。

創立者の銅像のある大きな大学の、私は50人くらい入る教室で受験。試験は国語、古典、英語、日本史だけ。一日で終わる。後ろの席の男の子が試験中に私の背中をつつき、「あのう・・・チリ紙ください」というので後ろ手で渡す。ポケットティッシュなどのはるか前。あの子、受かったのかなあ。

私は受かったけど、父親に強硬に反対されて東京へ行かせてもらえなかった。願書出すときは父は胃の手術で入院中、その時も反対されたけど、無視してたのでした。

半世紀以上前、東京はとても遠いところでした。それに私自身、東京で是非これをしたいというものがなかったので親を説得することもできなかった。


結局、こちらの学校へ来て、在学中には二回東京へ行った。

一回目は高校時代からの彼氏に会いに。二回目は別れを言いに。このあたりのことはあまり書かない。ユーミンなら「恨んでも覚えてて」だけど、あまりに長い時間が経ってしまって、いろんな感情も薄れてしまった。都合悪いことは忘れることにしている。

弟の下宿に帰ると「遅かったけど何してたん」と聞かれたので、「別れ話がこじれていた」と答える。その日は新宿から高田の馬場まで夜道を延々歩いていた。

別れるのに言葉はいらない。黙ってfade outすればいいのに。わざわざ行くなんて。若くて未熟な私。東京は少し甘美で、とても苦い思い出の街。


子育てに忙しいころ、友達に手紙を書くような気持ちで小説を書いていた。誰にも見せないけれど、自分が慰められる自分の読みたい小説。人付き合いに臆病で、うまく会話のできない私の唯一の気持ちを吐く場所。

たまたま市が市民の文芸作品を募集して選考し、本にするという試みが始まり、それを息子たちを体操教室に連れて行った施設にポスターで知った。

締め切りまで一か月、100枚まで。書き始めたら、あまり苦労せず97枚になったのでキリで穴をあけて紐を通して、封筒に入れて応募した。その頃は原稿用紙に手書き。

それは思いがけずに賞をいただき、本にもしていただいた。今は読み返すことはないけれど、初心な素直な作品。それがよかったと思う。素人が技巧に走ったっていいことはない。

それがきっかけで地元の小説の同人誌に誘われ、そこで書いたものを見てもらったりしていた。

同人雑誌は多士済々、癖のある、面白い人が多かった。何かのつてで東京から参加した人が、「東京はサラリーマンの住むところじゃない。東京は才能のある人が自分の夢を実現するところ」と言っていたのが印象に残っている。

そうなんだあ。そんなんだろうなあ。


1980年代の終わり、出版社に御縁ができて何度か上京。飛行機や新幹線で。東京駅の丸の内口へ出ると、タクシーがずらっと―客待ちしていて、行く先注げるとどこへでも行ってくれると思うくらい、私は田舎ものでした。

出てもなんか広々しているだけで、タクシーなんていないし。地方都市とは違う都会の大きさにいい年して驚いたり。

今はなき赤プリのレストランへ出版社の人に連れて行って貰ったこともありましたね。

フランス語に日本語を併記したメニュー見ても何頼んでいいか分からないし、最後にお任せコースというのが手書きで書き加えてあって、それをお願いして事なきを得ましたね。ホテルのエレベーターに乗り合わせた和服着た女性がものすごくきれいだったり。いゃあ、田舎者には東京のいちいちが驚くことばかり。

あの時は結局、最寄りのJR駅前でタクシーに乗ったら「下町専門なので知らない」と言われてびっくり。手持ちの地図で私が道案内。東京まで行って、なんで私がドライバーさんに道を教える・・・と思ったけど、どんなことでも起きるのが大都会でありましよう。

出版社との御縁も切れた後は、旅行で何回か。結局、全部で10回くらいしか行っていない。若い時は、遠くできらきらと輝く魅力いっぱいの都市というイメージだったけど、今は大変なことになっている大変な場所というイメージ。

オリパラはするのでしょうが、なるだけ傷は小さく、そしてまた人の集まれる魅力いっぱいの街になって復活していただきたいものです。


2010年8月。東武橋から。


高校の同窓会、東京在住者は元気いっぱい。それはきっと長い間、東京の持つエネルギーに当たり続けたからでしょう。楽しいこといっぱいありそうだし、何でもできそうだし。

でも私は行くともう疲れるかも。もう行きたいとも思わない。会いたい人も行きたい場所もない縁のない場所。そう思うと少し寂しい。

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夏の家居に

2021-07-16 | 随想

近所の駐車場の端に生えていた、メヒシバにエノコログサ。

野草は耕作地には生えない。純粋な山野草のことでしょうか。

雑草は田や畑に生えて作物と競合する。競合せずに水田や畑の周りの人手の加わった場所を生育環境とするものもある。

水田の雑草はイネと一緒に伝わってきたと考えられ、主なものはメヒシバ、オヒシバ、イヌビエ、シロザなど。(湿田ではまた違う植生)

我が家付近は明治期に干拓した、元からの市街地。この百年あまり、水田になったことはないけれど、上記、イヌビエ以外はよく見る。ヒエはイネと同じ環境でないと育たないけど、他のは水田の縁から乾燥した市街地のほんの少しの土の上まで、環境に適応しやすいのだと思う。

シロザ、アカザはホウレンソウの仲間。徒然草には、貧しい食べ物の例えで「藜の(こんな漢字なんだあ、パソコンが勝手に変換した)おひたし」というのがある。室町時代は食べていたのでしょう。今でも宅地造成したようなところにまず顔を出すのがシロザ、アカザ。

どんな味?ホウレンソウみたい?

道に生えている草も、環境に適合し、生存競争に勝った結果と思いながら見ると楽しい。

このほか、我が家付近で子供のころに見たことなかったのはヘラオオバコ(外来種)、ヒルガオ、最近ではチガヤなど。道路の緑地帯に群落作っている。やがてススキへと変わる。ススキもたまに見るので、秋にわざわざ買いに行かなくていい。

車道と歩道の段差にたまったわずかな土に根を下ろして、たくましい。

光。


友達のお嬢ちゃんが作った携帯ケース。

長らく死蔵していたけど、くっつけてみました。

紅絹裏を割いて咲き織りにしたもので作ります。

山葡萄の籠バッグはたいていのものが合う。それはバッグというよりはインテリアか建物の感覚。何でも受け入れる。

今だとブラウスの、レースの替え襟。秋だと紺絣の袋。冬は毛皮系統。いろいろ工夫して、楽しく持つ人のブログもありました。


先日、広島駅前エールエールA館地下の百均で、とても素敵な山葡萄持っている人が。太くて曲がったひごで編んだ個性的な逸品。こんな感じ。

山葡萄bag 7 | iichi ハンドメイド

実物見たのは初めて。いえいえ、見ていたかもしれないけど、興味ないので他の籠に見えていたと思う。

いくらぐらいかなあ。国産のツルだと最低でも10万とか20万とか、そごうで見たのは35万円だった。

買ったばかりなのにあんなのも欲しいなあと思った。そんなことにお金使うのが、他に楽しみのない寂しい人生かなと思い、すぐに買うのは自分に許せない。

それで山葡萄貯金することにしました。原資は日々の節約。無理しない程度に。先日は外でご飯食べてもよかったけど、帰宅。冷凍うどんにおかず適宜。それで千円節約できたので、そのお金、別にしておく。

10万円だと100回の食事代。週一でためて100週間、2年半くらい?

目指せ、山葡萄二個目。

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夏の縫物いろいろ

2021-07-15 | 縫物いろいろ

2回目のワクチンの後、少し不調でしたが、おかげさまで何とか治りました。コメント欄からお見舞いのお言葉、ありがとうございました。

昨日は元気になったので、気になっていた縫物いろいろ少しずつ片付けました。

やっぱり、半襟は絽の方がいいみたい。無地だと寝間着みたいで、麻の半襟外して付け替え。

母の紗の羽織、袖を取ってみました。元々裄が短くて袖付けを直したけど、着る機会もなく。

これもまた着ないかもしれないけど、月末、人と会って食事する予定。その頃、何事もありませんように。

テーマは盛装で会いましょうって。今はおしゃれして外出の機会も激減、分かる分かるその気持ち。着物ならとりあえずよそ行き感が出るでしょうか。

それにしても短すぎる昭和の羽織。

昭和つながりで。

子供のころの私の兵児帯。色が褪せてないのでずっと持っていましたが、この間触ったら触ったところから敗れた。

70年も経つので生地は弱っているのでしょう。裂き織りにでもしますか。と言いつつ、捨てかねて持っている。

これは母の長兄=伯父が買って届けてくれたらしい。戦後しばらくして、まだまだ物の足りない時代、絹の鮮やかな帯。もう亡くなったけど、伯父さんありがとう。

兵児帯つながりで。母が縫った息子たちの浴衣と帯三本。

浴衣の一枚は、孫娘が泊まったとき寝間着にしたら、気に入って着て帰った。

こちらは40年も経っていないのでまだまだ使えそう。


昨日、夕方から、しじら織りの生地でワイドパンツ縫い始める。

108cm幅の1.5m、切り売りの生地。二丈ないので、ウェスト部分は生地横向きにして足す。

昔は待ち針で型紙を留めていたけど、最近おしゃれ工房見ると文鎮みたいなもので固定しているので真似してみました。

出来ました。柔らかくて先染めの縞模様、縫いやすかった。


新型コロナ、またまた再流行。もう本当に怖い。

国内の死者数、もう日清戦争の戦死者に迫っています。これはもう紛れもない戦争状態。一応の文明国で、医療にアクセスできずに人知れず亡くなっていたり、病院で最期の時、家族に別れも言えないから、戦死とおんなじ。と私は思う。

銀行やお酒の卸売業者に、飲食店の取り締まりさせようとするなんて、とんでもない時代が来たのではないでしょうか。民間に公権力の一端を担わせるためには、法律整備してあらゆる場面を想定してするものとばかり思っていましたが。

私達が警察や市の人の言うこと聞くのはそれが公権力で、社会の秩序のために同意しているから。民間人が政府の意向で仕事して、日当出るのかな。もし反撃されてケガしたら保証はどうなるの。

たぶんそんなこと全然想定していないと思う。あまりにも筋が悪い。そして一人に責任被せて。一人でそんなこと言えるはずがないと思うけど。

だいたい、今年も土砂災害でいまだ行方不明の人もいるのに、私は浮かれた気分になれません。

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漂白剤の惨劇!!

2021-07-15 | 事件、事故

去年縫ったこのワンピース。気に入ってよく着ていたのに・・・

色が抜けたーーー!!

まな板に漂白剤かけていて、うっかり服についてしまいました。

慌てて水洗いしても後の祭り。あーーーん泣。

じゃん、直しました。

前幅いっぱいに布を縫い付け、一部はポケットに。

色の抜けた部分は隠します。

これでまたしばらくは着られます。

もう白いまな板はこりごり。古くなったのでしょっちゅう漂泊しないといけないし。

で、これを今は使ています。

黒くて小さなまな板。

たいていのものはこれで間に合います。

切ったものを鍋に入れたり、運ぶのも軽くて楽。表面に細かな加工がしてあり、汚れが付きません。軽いけど食材も滑らないし、便利に使っています。

ダイソーで110円でした。この他に白もあります。

白はもういいわ。

さよなら白いまな板。そしてこんにちは、黒いまな板。

洗って楽、お皿の感覚で手軽に使えます。他の場所で果物切ったりも。

めでたし、めでたし。


本日の小ネタ。

梅雨が明けたとたん、朝から暑い。

それで家にあるもので首を冷やします。

用意するもの。

てぬぐいと昼に食べる予定の冷凍ご飯。

ご飯を手拭いに巻き、その手ぬぐいを首に巻きます。

頸動脈の上を冷やすと一番涼しいけど、ずれやすいので、首の後ろに。

初めは硬くて首に馴染みませんが、しばらくして柔らかくなると首に密着します。

でもまあせいぜい一時間から一時間半くらい。再冷凍すると多分おいしくないので、室温に放置、昼に食べました。

巻いてよし、食べて猶よし冷凍ご飯。

これから長い夏が続きます。コロナに罹らないよう気を付けながら、夏の楽しみを色々見つけて過ごしたいものです。

私はとりあえず洋裁などの手仕事、樹の下を歩く、アイスを食べるなどなど。

最近は人恋しくてメール、ラインで済ませていた用事もいちいち電話かける。

声の表情、そのほか、生電話は情報多し。それでほっこりする私。

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ワクチン接種後、やや不調

2021-07-13 | 日記

午前九時過ぎ、銀行の用事を済ませ、近所の唯一残った八百屋で野菜各種を買った後はずっと家にいた。

接種した夜は、痛くて三度くらい目が醒めた。プラスティックの細い棒が三裂、そのまた先が細かく分かれていて、それで血管の中を搔き回される夢を見ていた。他にも二種類の細い棒が体の中で暴れている。そんな夢。

昨日は節々が痛くて、少し熱もあったかもしれない。麻の生地を買いに行くつもりだったけど、今は殆ど売っていないので、雨も降り始めたし、ネット通販でとりあえず生地見本を注文した。

体がだるいので、手持ちの痛み止めの錠剤を夕方に呑む。

それから少し楽になった。

ヒマワリ。近所の八百屋で買う。

近所の商店街は、原爆の後、中心部の商店が壊滅し、島から野菜や魚を持って来た人が道端で売り始めたのが始まりと聞いた。今はほぼなくなり、マンション工事が進んでいる。

何事にも始まりと終わりがある。役割果たして静かに消えて行く。

子育ても終わって、それからが長くなっている我が人生。98歳の姑様をお見送りする用事が残っているけれど、あとは静かに好きなことして暮らしたいもの。

あと一週間したら免疫ができるのでしょうか。

でも用心して過ごしたいものです。

バッハ氏は16日に広島へ来るとか。そして、市民団体が反対のデモを計画しているようです。

こんなに人々に嫌われるオリンピックも初めてでは。

何事にも始まりと終わりがあるとするならば、今の形でのオリンピックはもう存続できないという意見もあるようです。

1964年のオリンピックを知っている世代としては、今回のオリンピックは残念。オリンピックで国民の意見が分かれて険悪化、それは潜在していたいろいろな矛盾が噴き出してきた姿でもあるのでしょう。

1964年、高校一年生。参加していたサークルで文化祭の展示で東京オリンピックを取り上げた。準備で毎日遅くまで部室に残り、殆ど遊んでいたけど。Q君が最近姿を見せないなと思っていたら、いつの間にか文化祭委員長になって、活躍しているのでした。いや、それは翌年だったかも。記憶あいまい。

数人で、生徒会長と文化祭委員長を決める。選挙は後付け。50年後にQ君が話していた。まるでどこかの国の首相みたいな決め方。

16歳から軽自動車に乗れていた時代、自分の車で放課後荷物を学校に運び込んだり(内緒)、彼はまあ大人でしたね。

オリンピックつながりできょうはそんなこと思い出していた。もう少し勉強していればと思うけど、地方の高校でも祝祭気分。今と大違い。

今回はつくづくと気の毒なオリンピックだと思う。

昨日は洋裁道具と布の整理をした。二階の元の三男の部屋が今は洋裁部屋。今年の夏は何を縫いましょうか。

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接種が終わった

2021-07-11 | 日記


会場のホテルロビー。
今から帰ります。
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比治山、緑陰を歩く

2021-07-11 | お出かけ

先週ですが、梅雨の晴れ間に。

バスの新しい路線ができたけど、この日は自転車で。車は駐車場に入れるのが嫌で、街中ではほぼ乗らない。チケットの出し入れが苦手。

道草。

公務員宿舎と巨大ヒマワリ。

イオンから直通通路あり。

あの山へ。

左のマスコットは広島アジア大会のキャラクター。

幼稚園が払い下げたようです。

10年くらい前、広島市長がオリンピックを誘致すると言い出して、結局実現せず。市長も勇退。しなくてよかった。

近々、バッハ氏、広島へ来るらしいけど。。。。

雨にぬれずに山頂まで。

右、動く歩道。左、動かない舗道。

左を行きます。歩ける間は歩く。

続いて山に登るエスカレーター。

歩ける間は自分の足で。

まんが図書館前広場。

突き当り。以前は壁を水が流れていた。

子供たちが幼稚園の遠足に来た頃は「御便殿ごべんでん前広場」と言っていた。

日清戦争の時には大本営が広島に置かれ、広島城内、明治天皇が使っていた建物がのちに移築され、神社みたいに参拝していたとか。建物は原爆で倒壊、以後再建されていません。廃材はたぶん、焼け跡でバラックを建てるために各自が持ち帰り有効活用されたと思います(未確認)。

図書館裏。

福田とは温品の近くの?

農村の次、三男は勇躍、開拓団に参加したのでしよう。

ヤブミョウガ。

ムクゲ。

ヤブカンゾウ。枯れかかったのも自然の風情。

木陰に群落。

葉がミョウガに似ているけれど、花は立ち上がります。

深い森。

市中心部と反対側(東側)は原爆で焼けなかっったので、シイ、カシなどのほぼ極相林。

井上ひさし「父と暮らせば」の中に、「比治山の松の緑が・・・」というくだりがありますが、私の知る限りでは、松はありません。

道かな・・・

行き止まり。無理せず引き返します。

石段。

ベンチ。

小雨模様でもう帰ります。


西翠町付近でまたまた道草。

 

町内会有志が、道端に作る花壇。

昔見た花に癒されるのは、末期の目になっているから?

それもまた楽し。


本日、ワクチン接種2回目。近所の会場で。かかりつけ医って特にないので。私の前で、ワクチン不足で終了ってなりませんように。雨なら歩いて行くけど、今のところいいお天気。

おまけ画像

子持ちパブリカ。赤の中に黄色が隠れていた!!!

おまけ画像2

販売用のサイトからお借りしました。

制作者が直接販売します。

山葡萄のバッグに合う靴が要ると夫に漏らすと「わらじがええじゃろ」とのありがたいご助言。

わらじ・・・?

そんなもん、どこに売ってる?

作るにしたって藁がない!!!

私の祖父、雨の今頃は納屋でよくわらじ編んでいた。わらじは履くことなかったけど、習性かな。祖父は大雨の時は、藁で編んだ蓑に菅笠で田んぼの見回りしていた。

水墨画の中に、手前の方にたまに見かけるあの姿です。

わらじつながりで、以前、被爆体験をお聞きした時、履物なしで避難していたらわらじをくれたので助かった、あとで親がお礼に言ったという話を聞きました。

その頃はわらじ編んで納屋にでも吊るしてストックしておくのが普通だったのでしょう。

わらじ・・・わらじ・・・専用の道具ではなくて、足の指に藁をかけて作っていた。

以上、にっぽん昔話でした。

 

 

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「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす 佐光紀子

2021-07-09 | 読書

先日の世界遺産の本、イタリアのアマルフィは熱海とよく似た眺めなので、熱海を見たあとではがっかりする・・・とありました。

その心は山の斜面が海岸まで迫っているから。本の写真、熱海と思っていたらアマルフィでした。ほんとにそっくり。

イタリアはそんなに雨降らないし、街の後方の山に土なんか置いてないと思う。今回の災害は雨もよく降ったけど、人災。悪い業者を指導するのが行政。放置していたのでしょうか。広島県でも近年、土砂災害が多いけど、今回のは流れる量も多くて被害が甚大。

日本全国、まだまだ似た場所があると思います。早急に点検して、対策してもらいたいものです。

朝からスマホが鳴っています。我が区は街中とは言え、近世以後の埋め立て地が多い。元々島だった場所が地続きになり、その島の斜面も宅地開発しています。過去にも何度か災害が。と言っても近年は特に多い。

一戸建てよりは街中のマンションがまだしも安全、山の斜面の空き家を見ると、家族が終わって容れ物だけ残って、寂しい気分にさせられます。

ともかく早く梅雨が明けてほしいものです。


本の感想でした。

先日ブックオフで110円で買ってきて、すぐ読めました。夫、タイトル見て「今以上手抜きしてどうする」と独り言言ってましたが軽く無視。

なかなか面白かったです。日本の常識は世界の非常識、昔に比べて日本の女性の地位も上がったと思っていましたが、まだまだ。そんな感想を持ちました。

日本の女性は家庭に入ると家事育児、きちんとして一人前の縛りがまだまだ強い。食事は手作り、家の中はきちんと片付け、子育ても気を抜くことなく。それに加えて働く女性の数が増えたのですから、一人で完璧にと思うとどこかに破れ目ができる。

男性は残業をいとわず、転勤も受け入れる人でないと出世していかない。この構造が変わらない限り、女性は結婚せず、結婚してもキャリアを積んでから出産と思ううちに少子化が進む。

人口問題だけではありません。男性や子供が身の回りのことを必要以上に人に頼っている限り、生活人とての自立もありません。

私個人のことで言えば30代の10年間くらいは家にいましたが、その前は勤めていたし、40代からは自営業手伝い。主に計算いろいろ。

でも勤務するのに比べて時間の融通が利くので、昼間は出かけて、真夜中に仕事したりとかなりテキトーでした。

夫や子供に家事教えるより自分でした方が早いし、元々、そんなにきちんとしないので教えるだけの技量もなく。

反省しています。息子たちはお嫁ちゃんに鍛えられて、はたまた一人暮らしで何とかやっている模様。家に唯一残っている男性=夫には最近、何でも自分でするように言ってある。

例えば夜中に一人でヨーグルト食べるとします。スプーンと器、洗いもせずにテーブルの上に放置。朝起きて私が洗っていましたが、最近は自分で洗って拭いて片付ける。それができないなら食べてはいけないと宣言しています。

仕事は平等、家事も対等に。それでこそ男性も女性も楽になると私は思います。子育ては家族だけでなくて社会全体でサポートする仕組みが今以上に整って欲しいものです。高齢者の介護は介護保険でだいぶ良くなりましたが、子育ても働く世代から月に500円でもいいので保険料みたいなものを徴収、施設を増やしたり、支援金を出したりとできないものでしょうか。今の日本、高齢者の介護と医療はだいぶできてきたと思うので。

してもらって当たり前の家族の前では、家事はいくらしても空しい。その思いがSNSに向かうと著者は言っています。丁寧な手作りの暮らし。そこで褒めてもらいたいそうです。確かに。それが生きがいの人もいることでしょう。それもまた時間の余裕あらばこそ。

余裕のない人がそれを見て自分はコンビニだよりでダメと落ち込まないようにと著者は言ってます。海外の主婦はあまり料理しない。東南アジアでも朝から屋台利用して食事を済ませる。なるほど。

家の中で和洋中華、全部作るので道具が増える。和風の家に洋風の暮らし、家具もたくさん。片付かないので、昔は収納が婦人雑誌のテーマ、今は断捨離だそうで。それもまた家事の一種。果てがない。

その行き着くところがミニマリストだそうで、こうなると修行僧みたいと私は思う。物がなくても暮らしていけるのは社会的なインフラが整っているから。そして一人暮らしの人が多いように思う。都市化、未婚者の増大、少子化と不即不離。

最後に、焦って物を減らすより、田舎のおばあちゃんの家の居心地の良さでいいのではないかとあります。そうですね。その田舎のおばあちゃんの家に行っても、もてなされるだけではなくて家事能力身に着けて、自分のことは自分ですると田舎滞在ももっと楽しくなることでしょう。

家の中のこと、全部自分の責任と思わなくていい。少し気が楽になりました。

 

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機織り完了

2021-07-08 | 機織り

終わりました。

二色を使う予定が四色に。手紡ぎの糸で、手織り感いっぱい。

遠目にはちょっとわかりにくいのですが

洋服地のような落ち着いた色合いになりました。

これ、全部同じ柄のはずですが柄が辿れません。

シャドーウィーブという織り方。

次はもう少し簡単でもう少しわかりやすい柄にしたいものです。

がんばります。

服と違ってバッグ類はかさばるので、吊るしていますが、吊るしきれないものはそこらへんに置いてインテリアに。

真ん中は東南アジアの籠。一つは一閑張り風バッグを作り、まだ二つ同じものがあります。籠は倒れないので便利。近所へスケッチに行くときの絵の具入れなどにします。一つ900円くらいだった。

右端は20年くらい前に、出来心で買った木をくりぬいたバッグ。私は大体出来心でバッグを買う。北海道の標高の高いところに生えているシナの木だそうです。作った人が即売会していたので、いろいろ聞いた。薄く漆を掛けています。

全然物が入らないのですが、夜道で襲われたら木のバッグで相手を殴って逃げる。幸いそんな場面はまだありませんが。

今は亡き舅様の道具を勝手に持ち出しました。爪の間の汚れを取るブラシです。

今はクリスタルガラスの溝を磨いたり、痒いところをこすったりして使っています。

これで先日の山葡萄の籠バッグをこすったら、あら不思議、なんかちょっと艶が出てきたような気がします。

思うに、目に見えない小さな毛羽立ちが整えられて光が乱反射しなくなるからでしょうか。

未明から断続的に大雨、雨の音で眠れないうえに地震まであり、寝不足気味。雨で出かけられないので、籠をブラシでこすってみる。こすればこするほど艶が出る?

この勢いで顔もこすりたいけど、肌にいいはずないので止めておきましょう。

コメント欄から、大雨のお見舞いありがとうございました。今回は市中心部によく降ったので土砂災害は今のところないようです。

何事もなく、早く梅雨が明けてほしいものです。

 

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「行ってはいけない世界遺産」 花霞和彦

2021-07-07 | 読書

著者は50代くらいの人でしょうか。初め文筆業、現在はアニメ、映画、ゲーム、J-popなどのコンテンツ制作にかかわるそうです。

どう呼べばいいのでしょうか。メディアクリエーター・・・アイデアを作って売る?

地方のばあちゃんは想像するだけです。

世界遺産とは、1972年にユネスコ総会で決められた条約に基づき、人類が共有すべき普遍的な価値を持つ文化遺産、自然遺産、複合遺産を指定したもの。先月末までで1,121件が指定されているそうです。

海外旅行のパッケージツアーは、その世界遺産を何か所周るかが売りだった。だったと過去形で言わなければならないのが悲しい。


世界遺産と言われれば、せっかく高いお金と時間を割いて見に来たのだから、無理やりにでも感動しなければと自分に言い聞かす。ガイドブックも人の旅心に水を差すようなことは書いていない。

なあんだ、こんなものと思っても旅の同行者の手前、感動した振りする。それでちょっとは感動するけれど、やっぱりなんか釈然としない。

分かる、分かる。そのもやもやした気持ち、私もそうだったからと力づけてくれる本です。

私の旅行の数など大したことないけれど、がっかりするのも体験のうち。そうそう、そうだったと旅仲間と語り合うように、楽しく読みました。


この中で、スペイン、バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダは見応えを求めて行ってはいけないそうで。確かにこの本読むまで、世界遺産だってことも忘れていた。

15世紀から16世紀にかけて建てられた絹の取引所だそうですが、狭いのですぐ見終わります。

そのあと搭、そして海の領事の広間、オレンジの中庭と世界遺産はこれだけだそうです。

領事の広間から中庭を見る。全部で10分くらいの見学。あまりにあっけない。これのどこが世界遺産って・・・でも申請しないことには指定されないので、指定の要件充たした価値ある建造物とは思いますが。私にその価値を受け止めるだけの能力がないということで。

オレンジは日よけで実は酸っぱすぎて食べないそうです。

世界遺産より、隣接するスペイン最大級の市場「メルカード」。こちらに感動した。品数の多さと安さ。オレンジのジュースが1ユーロ。

ここでいろいろ買い物しました。

このブログの自己紹介の写真、バレンシアの旧市街に入る手前の門、セラーノスの搭の前で。2016年6月、朝の9時頃でこの陽射し。


モンサンミッシェルの名物は卵を泡立てて焼いたオムレツ。歯ごたえも味もないそうで、ご当地グルメを期待してはいけないそうで。

確かに、そうおいしいものではありませんでした。ものすごく人が多くて、ツアーの男性が一人いなくなって、添乗員さんが大変でしたが、見つけてもらった本人は全然悪びれてなくてと、関係なことが印象に残っています。

全体の印象は金毘羅さんみたいだなと。見学場所まで狭い石段を上がる。両側は土産物屋とレストランがぎっしり。

夕方、対岸のホテル前から。

フランス北西部、ノルマンディーの地の果て。遠くにポツンと三角の島が。次第に大きくなる。どこまでも広がる牧草地。。。。

その他に印象的な話として、私は行ってませんが、ナスカの地上絵。

セスナ機に乗って上空から。

ほらあそこ、あそこに鳥の形がと言われても砂漠になんかもやもやしたものが見えるだけで、全然分らない。見やすいように飛行機は右に左に傾きつつ旋回、気分悪くて戻す人複数。そのためのビニール袋も前もって渡されるそうです。

だから行かない方がいいなんて、ガイドブックには書いてない。これは行った人だけが分かる迫真の報告。


他のどの場所の紹介も、臨場感あふれ、本当に行った気分になれる素晴らしい本と思いました。世界遺産だというだけでありがたがらずに、自分の五感を駆使していいことも悪いことも体験しよう。旅の醍醐味はそこにあり。著者はそう言いたそうです。

写真もきれいでおすすめ。

著者が選んだ、世界遺産で行くべき5件は、ペトラ(ヨルダン)、サンクト・ペテルブルク、カナイマ国立公園(ベネズエラの奥地のテーブルマウンテン)、九塞溝、バチカン市国だそうです。

あなたは何か所行かれましたか。私は2か所です。そして2か所で終わりそうな予感。もう体力が続かない。

その他に世界遺産級の5つとして、死海、マンハッタン、クアラルンプールのペトロナスツインタワー、フランス南西部のルルド、クリスタルの洞窟(メキシコ)があげられています。

ルルドはこんなところです。

2014年6月、フランス、ルルドの蝋燭行列1 - YouTube

この行列がやがて教会前の広場に集まり、春から秋の終わりまで毎夜のミサがあります。

貧しい少女の前にマリアが何度も現れ、その場所から沸く水で病気が治ったということで、世界中からご利益にあずかろうと巡礼者が集まってきます。街はホテルだらけ、教会は比較的新しく、雨除けの為か、巨大な地下空間もあり、一大ビジネスになっているのかなあと、罰当たりな私は考えました。

参加者は手に手にろうそくを持ち、前の大きなたいまつの動きに合わせて、聖歌を歌いながら左右に振るのです。

これはツアーのコースにはなくて、夜、希望者だけ添乗員さんが連れて行ってくれました。参加者はご夫婦一組、あとは全員女性で全体で8人くらい。あとは各自でホテルへ帰ってくださいと言われ、初めはみんなでテラスから見下ろしていたけど、私だけ前に移動して写真撮って戻ると誰もいません。

あの時は焦った~

今ならスマホがあるけど、あの時は添乗員さんに貰った絵図だけが頼り。もう暗くなっているし、ホテルはどれも同じ造りだし、何よりも道には物乞いがいっぱい座って通行人を見上げているのが怖かった。

ホテルから石段を下りて左へ曲がったから、今度は逆に戻って右側に石段を見たらそこから上がる。。。。と必死でした。何とかホテルに戻れましたが、10分くらいがとても長く感じました。

翌朝、「あの人なら大丈夫」と他の方たちは一緒にホテルへ帰ったそうです。そうです、旅はすべて自己責任。今思い出しても胸がバクバクする。


ルルドのろうそく行列、ビジュアル的には面白いけど、何となく新興宗教じみてるかなあと。しかし、聖水を飲んで体が治るという教えに縋りつきたい人の気持ちもわからないといけませんね。列の最初は車椅子の人たち、迷信というのは遠慮したいのですが、思い込みの強い少女とピレネー山脈麓のいい水とが合わさっての一大観光地。

いろいろあったけど、今振り返れば、行ってよかったと思っています。

もう海外旅行に行くこともないかもしれませんが、旅行はいいこと悪いこといろいろあっても、見聞が広まり、心はリフレッシュしていいものだなあと思いました。

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機織りの方針転換

2021-07-06 | 機織り

先月中に終える予定のシャドーウィーブ、途中で嫌になったので糸を変えました。

前のはこちら。

一応、右上に向かって波が立ち上がるような柄なのですが、ぼやけた青の色でよう分からん。

分からんままに織っていても楽しくないので勇気ある撤退。

じゃん、これです。

濃い色ならはっきり柄が出るんじゃないかと探し出したのは、4月に先生にいただいた手染めの糸。先生が染めたようです。

そして、何と手紡ぎなので糸の継ぎ目のところが太くなり、独特のニュアンスが。とてもいい糸を失敗の後始末に使うのももったいないけど、あら不思議、たちまち生き返るわが織物。

柄よりも糸のニュアンスに引きずられてるけれど、全体として紬生地のような手作り感が出ているのではないでしょうか。

うーーーむ、糸の力は偉大なり。もう柄は辿りにくいけど、すぐにどこを織っているか分からなくなる高齢者、一模様ごとに平織りを入れてアクセントとしてみました。

やる気が出てきて、午前中一時間半、午後、外出から帰って一時間織り、だいぶ進んだ。あと数時間の作業量。

機織りは段取り8割、織るのが1割、後の始末と仕上げで1割。軌道に乗ったら織り上がるのは早い。

友達複数から、また展示会やってと応援してもらっている。今やそれが唯一のモチベーション。言うのは簡単。5秒で済む。織るのは大変。一年かかがり。今度は姑様の染めを2面、私の織りを3面と思っているけれど、いつのことやら。

でもここにこうして書いて自分を追い込んでみる。

うんうん、わりと好きです。思いがけない表情が出るのが裂き織りみたいでもあり。

いゃあ、織物は奥が深い。まだまだ勉強中。

 

 

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「山登りで作る感染症に強い体 新型コロナウィルスへの対処法」

2021-07-05 | 読書

2008年8月 長野県御代田町、コンビニ裏からの浅間山。

右が主峰。左は外輪山の一部。頂上は立ち入り禁止で黒斑山まで行って眺めます。

クリックで拡大


長いタイトルで著者名はこちらへ。斎藤繁著。

著者は群馬大学医学部の教授で、付属病院の副院長。若いころから山に親しみ、1992年、ヒマラヤ連峰のクラウン峰登山に参加、高所登山の医学研究に取り組む。山での医療支援や登山者の健康管理の啓もう活動と、活動は多岐にわたる。

このところの出版界の流れとして、タイトルにコロナをつけたがる。一時期、福島原発関係の本がよく売れたように、大きな災害の時は、人は情報を、それも紙に書かれた確かな情報を求めたがるのかなあと思った。

そそっかしい私は、山に登ればコロナに罹らずに済んでしかも楽しいと早とちり、先日お中元の注文で外出した時に久しぶりに紀伊国屋で買った。

ヤマケイ新書というのは「山と渓谷社」が出している新書。20年くらい前は雑誌の方の「山と渓谷」をよく買っていたけど、いつの間にか新書のラインナップもたくさん。ばあちゃんもたまには出かけて世間の風に当たらないといけないようです。


前ぶりが長くなりましたが、結論から言うとコロナに打ち勝つ特別に方法は書かれてません。途中でこれは期待外れかなと思いつつ読みましたが、食べ物に気を付ける、脱水しない、毎日こまめに体を動かして心肺機能他、体の機能を保つなどなど、改めて確認することがうまくまとめられていました。

山歩きはバランス能力が大切ということで簡単なテストがあります。

65歳以上だと、開眼、両腕は腰、利き足の膝の内側にもう片方の足裏を付けて、何秒立っていられるかだそうです。

女性の評価の基準は以下の通り。

~4 低い

5~11 やや低い

12~25 普通

26~66 やや高い

67~ 高い

やってみました。先日孫と競争したときは50秒、この記事書く前には30秒。あれあれ?夜中だから?

とりあえずやや高いに収まっていました。この能力、なるだけ保ちたいものです。

この本で私は体を動かす大切さを教えられました。とにかくこまめに動く。幸い女性は家の中に探せば用事がたくさん。洋裁したり、インテリアを充実させるのもいいけれど、引き算の用事で体を動かすのもいいかなと思います。

押し入れ、クローゼットの片づけ、食器棚の整理、庭の草抜きなどして物を減らしていく。物を減らすと空気がよどむ場所が減り、家の中で風が通りやすくなる気がする。

我が家は街中でビルやマンションに囲まれまくっているので、その建物の間からの風が窓を開けているとよく入る。私一人の時は真夏でもほぼエアコンなしで過ごしている。って自慢みたいでごめんなさい。その代わり冬は特に一階は寒いです。

物を減らして心の中もすっきり。物から自由になって好きな場所へ行って好きなことする。しっかり体を動かす。老年の楽しさはここりあり。頑張ります。

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和創作DINING花みづきへ行く

2021-07-03 | クッキング・ランチなど

三か月ぶりに外で食事しました。

その心は山葡萄の籠、持ちたいから。

やっと再開。でも20時まで。

前はイタリアンの店だったけど、今は居酒屋メニューが充実。

こんなんやら

お皿は作家もの。

イタリアンも。陶板に載ってくる。

ナスのグラタン。

ナスの上にチーズとトマトソース、かすかにオイルサーディンの姿も。

これなら自分でできるかな。

少食になって二人でこれだけで終了。

6時半入店、7時にはオーダーストップ。もうびっくり。飲食店ではもうあまり感染していないのにいつまで続けるんでしょう。ちょっと気の毒。

店内仕切りまくって話もビニール越しに。それでは話が遠い。

ビニールちよっと上げてみました。

クタッとした布のバッグに比べて持ちやすい。

内袋なしでも被せ布でも何とかなりそうです。

イオンのブックオフで買い物して車も停めました。食事終わって外へ出るとまだ明るい。

場所は段原大通りと、比治山トンネルからの道が交差する角から二軒目。

7時過ぎ、まだ明るい。あちら方向へ帰ります。

駅方向。

コロナが収まって、またゆっくり外で食事したいものです。

息子にラインしたら愛知県は雨は降らず、蒸し暑いだけだそうで。

とは言え、他人事と思わず、常に災害にの備えしておきましょう。

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簡単な夜会巻ヘアー

2021-07-02 | ファッション

髪が長くていつも髪型に苦労します。

美容院へ行けばいいんですが、とりあえず自分でヘアアレンジしてみました。

準備するものはこれ。

ちょっとあれですが、ダイソーで買ったヘアーゴム、人造の髪が付いていて、髪をこれで結ぶとボリュームアップします。

あとはヘアピンを数本。

こんな感じで。

髪を上下に分け、下の髪を結びます。

次に上の髪をねじりつつ、ヘアーゴムの髪の毛に絡み付けて馴染ませます。

ずれないようにヘアピンでとめます。

全体に薄くヘアージェルを付けて崩れないようにします。

きょうは初めてだったので前がボリュームなくて寂しそうになりましたが、練習してゴージャスになるよう頑張ります。

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徘徊注意、バッグを衝動買いする

2021-07-02 | 事件、事故

しないといけないこと、いっぱいあるのに、小人は忙しくてもネット徘徊す。

山葡萄のバッグ、形の面白さについあちこち見るうち、ほんの出来心でポチしてしまった。

時に午前三時前、朦朧として判断力も落ちていたと思う。でももうこの年なので、欲しいものは早めに買っておく。買ってしっかり使っておく。

じゃん、届きました。ワクワク。

大きからず小さからず、ワイルドな感じを予想していたけど、表面も滑らか、おとなしい印象。

持ち手は、買い物かごみたいに固定されてなくて動くのでに荷物の出し入れが楽そう。

こういうものは規格があるわけではないし、値段も品質も千差万別らしい。デパートの展示会なら流通経費がたくさんかかってそう。

これは作っている人から直接買いました。ひごが細くて、一番皮という部分らしくて、何がいいのか悪いのか、ネットにはいろんな言説が溢れているけれど、結局は自分が気に入って使って嬉しければいいのではないでしょうか。

夫が東北へ行こうとよく言います。震災の年、福島を応援するつもりで福島県を旅行しましたが、それ以後は行っていません。東北は広くて、レンタカーで移動するのも大変でした。あれから10年経ち、それだけ年取っているので、あまり行きたくないけど、かごの制作工房なら見てみたい。

慣れない道に迷ってポツンと一軒家、囲炉裏端で絣の作業着着て、風雪に鍛えられた山葡萄の木みたいな職人さんが黙々と籠を編んでます。できた製品、たくさん吊るしてあります。

どれか分けていただけます。ええよう、好きなん持って帰りんさいって、なぜか広島弁。

今日届いてわかったけど、これは全部自然からできた製品、使って最後はまた地球にお返しする。朽ち果てるまで使って土に戻せば、二酸化炭素は出ない。


妄言深謝。

中に布張りをしていますが、中袋がないので作りました。

舅様の白絣、袖を利用。手前は先日作った他のかごバッグの中袋。

白絣、生地が柔らかすぎて使いにくいので自分で織った布で作ることにしました。

三年くらい前の、誘われて一品だけ出した展示会の試作品。

サマーアンドウィンターという織り方。糸は三色ですが濃淡が出て面白い織り方です。

生地がしっかりしているけど、重くなるので却下。

籠バッグは案外軽くて450gくらいでした。

結局、紐の端を内布にピンでとめることにしました。

入門の買い物としてはこれでいいと思います。

次は機会があればうんと個性的な、山の木の荒々しさがあるのにしたいかな。

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