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「日本の不都合な真実」 ひろゆき

2021-12-22 | 読書

ブログのお友達が紹介されていたので、真似して読んでみました。

著者は2ちゃんねるの創始者で、今はパリに住んでいるとのこと。既婚。

この本には、みんななんとなくわかっているけれど口に出すのは憚れるようなことが、はっきりと書かれいる。

冷たく突き放すのではなく、別の見方をすると生きるのが楽になる、その応援メッセージとして読めばいいと思う。

著者は外国にいるので、日本のいいところも悪いところも見えるのでしょう。読む人は、自分が納得できるなら、躊躇せず、恥ずかしがらずに取り入れてもいいのではないでしょうか。

今は40代半ばとのこと、ちょうど人生の折り返し点あたりですね。でも自分のこと振り返ったら、まだまだ20代、30代の記憶は鮮明で気持ちも若かった。そして、将来の時間は無限にあるように思っていた。その世代の人の考え方、そう思って読みました。

世の中、きれいごとがまかり通っているけれど、実際はそればかりではない。自分に都合悪いことは見て見ぬふりしているだけ。その事にも気が付きました。

しかしまあ、ここまで身も蓋もなく言われてしまえば却って潔い。

一部、私たちの世代には当てはまらないこともありますが。

例えばローン組んで家を買うなら賃貸がいいって、年取ると家貸してくれなくなります。中古でいいから、住まいは持つべきと私は思います。

その他はまあそんなもん、と納得しました。分かりやすくまとめるのがこの人の才能。著作もたくさん、知らなかった。また機会があれば読んでみたいものです。


年末調整、最速終了。やれやれ。

平成の時代は23日が天皇誕生日、曜日の配列によっては22日に給料出す、そのためには20日締めの給料を出して、21日の夜までに計算、振り込むという綱渡り的なことをやった年も。

ある年は25日までと余裕があり、前日ようやく始めようとしたら、姑さんが家の中で転んで骨折、病院へ連れて行ったりして俄然大変でした。

しかし、なんでまだ一年で一番忙しい日に転ぶ?

と、自分の段取りの悪さを棚に上げて、笑うしかないことを思い出している。しかしまあ、そのあと何とかしたんでしょう。そんな感じでずっとやって来たけれど、もうつくづく億劫。

でもやらないとたちまち能力が落ちそうで、ボケ防止と思って頑張ります。

明日は水彩画、明後日は孫たちがケーキ持参で来るそうで)))))

土日も予定入れているし、年末の掃除とかお節料理とか、伝統的なことはどうなるのかなあ~と他人事みたいに。

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「作家の値うち」 小川榮太郎

2021-12-21 | 読書

只今ベストセラーだそうで。

面白いのですぐ読んだ。

日本の現役作家100人をエンターティンメイト系、純文学系に分け、総数505の作品についての解説と著者なりの採点。

期せずして、現代の小説を読む際の羅針盤となっている。約2年間、他の仕事の合間に読み続けたそうで、大変な労作。

著者は、連綿と続く日本の小説が最近面白くなくなっている。言葉でものを考え表現することは、人が心豊かに生き、その国の国力をかさ上げする大元だと言っている。

しかしこの30年ばかり、小説はスケールが小さくなり、ネット社会で人が人を責め、生きるエネルギーが枯渇している時代に、それを突き破る作品が出てきて欲しい。それが動機でこの本を書いたのだと。

その志や良し。なんて、私がえらそげに言うのもおこがましいのですが。

最高点はカズオイシグロの「忘れられた巨人」・・・構えの大きな作品でした。

次点が同じ作家の「私を離さないで」・・・クローン人間の短い一生。これは読後、泣けて泣けて。本読んで泣くのは、本当に久しぶりだった。前はいつだったか、あまりに前で忘れてしまった。0点や-90点の作品もあるけど、作家の名誉のため、ここには再録しない。

著者の評価は容赦ないけど、分かりやすくその理由も書かれているので、なるほど、日本文学の高い峰が今後も続いてほしいと、私も思った。

村上春樹は小説にアメリカ風のビジネスを取り入れた人、近代文学から続く伝統が彼によって断絶してしまった。と手厳しい。

私も30代には読めたのに、今となっては読めない。なぜかと思ったけど、その意味がこの本にはありました。

まだまだいろいろありますが、大変に学びの多い本でありました。年末にこの本に出合って、今年のいい締めくくりになりました。


昨日は臨時の茶話会。会場が耐震化工事中で、会員のお宅をお借りして集まりました。

話題はいろいろ、みなさん80代、私が若手。まだまだ、場所によっては若手です。年金暮らしのものにはケーキだって高いと言われるので、残金でちょっと豪華なケーキを買っていい歳忘れになりました。

その場で、町内会から、寡婦の人にだけ配られる黒豆、私だけなし。エーーーン、欲しかったよう。今まではお姑様のを勝手に食べてたけど、今年からそれもなし。残念!!

「**さんはご主人がいるからね」

「いるにはいるんだけど、ほとんど会話がなくて、いないのとおんなじ。それでもだめですか」

「それはダメよね」ということでした。

ううううう、、、、残念過ぎる。

帰り際、会場を提供してくれた会員宛てに、お弟子さんが仕上げた振袖が届く。それを点検して呉服屋に収めるのがその人の仕事。以前は、家に住み込みでお弟子さんをたくさん置いて和裁を教えていたそうで、今も二人辞めずに通っていると言うので、私も習いたいとお願いしたけど断られた。こちらも残念。

振袖は上品な色と柄。私、女の子がいないので、未だに振袖あれこれ見るのが好きです。

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今日も寒かった

2021-12-19 | 日記

とりあえず、マフラーの房を作る。

専用の道具もあるけれど高価なので、

こちらで代用。三つ編みを作る道具。

髪の毛も糸も、細いことではおんなじ。

こんな感じで。

まずは3本ずつ分けて撚る。スイッチは下側。

続いてまとめて逆向きに回転させる

スイッチは上へ。

最後に結ぶ。結構時間がかかりますが、慌てず寒い日は家でのんびりやりましよう。


明日は臨時の茶話会。世話役をしているのでお菓子いろいろ買ってくる。

迎春用お煎餅。来年こそ、コロナが収まっていいことがありますように。

 

 

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寒い日には本読んで・・・

2021-12-18 | 日記

ぼおーーと過ごしがち。

しなくてはいけないことは後回し。いけませんねえ。

たちまちは来週の茶話会の準備、年末年始の事務いろいろ、その上、来週はひょんなことからひょんなことすることになって・・・無事終わればいいけれど。。。。

こちらを今度はヤフオクに出します。

左端は著者から頂いたもの。私は将棋が全然わからないので、いつか読むつもりで、もう読みそうにもないので。

荒野さんは、この作品で直木賞でしたか。

エッジの立ったいい作品。好きだと決して言わず、そのそぶりも見せない。それでも二人に間に立ち昇る濃密な愛の気配。そして別れていく。愛はいろいろ。その描き方もいろいろ。

土佐堀川は朝ドラの原作本。広岡浅子の一代記、面白く読みましたが、確か京都の三井家の出身。嫁入り支度に振袖が70枚とか、それも数え方が70領と鎧みたいに。大家の女性が実業家として成功していく物語は、庶民には縁遠いけど、面白かったです。

堀辰雄や永井荷風はいくらで売れる?値付けには夫にお任せ。

右の本、公民館で借りて、あら、これ、前に読んでたと気が付く。

「読書の技法」 佐藤優 - ブログ (goo.ne.jp)

ああ、年よりくさあ~

これなら食べたすぐ後で、「まだ晩ご飯食べてない」と、この私が言い出すのも遠くないと思われます。

左の本は午前中に紀伊国屋へ行って買ってきた。

軽く読めるかなあと思っていたけど、なかなか骨のある本で、少しずつ読んでいます。

最近の知らない作家も網羅されていて、作品の紹介もたくさん。面白そうなのは読んでみたい。

これは今年買って途中で投げ出している。

核家族というのは、都市に勤め人が出現した大正時代に始まり、高度経済成長期、農村から多くの人が都会に出て賃労働者となり、そこで夫婦と子供からなる家庭を作った時に増えて、そこで言葉として生まれた。

歴史用語の厳密な意味ではそうだと思う。

中世は史料も少ない。まず論を立てて史料を探すしかないのかもしれないけど、タイトルにやや違和感が。その違和感で最後まで読めなかった。

佐藤優氏も言っておられます。全部の本を読み切る必要はないと。自分にとって不要と思えばやめていいと。それでとりあえずやめています。

本はタイトル大切。人間で言うと顔。顔にすべてが顕れる。

先日の本。副題大切。

それと本日は「70代が老化の分かれ道」和田秀樹著を本屋で読了。斜め読みで約10分。70代に健康に気を付け、世間との関りも持っていると80代も元気に過ごせる。70代は老化と戦う大切な時期だそうで。

肉を食べる。痩せすぎない。血圧、コレステロール値はアメリカの統計から出した基準値、少々はみ出しても気にせず、社会活動を続ける。

運転免許は返納しない。などなど。新書も高い。内容を確認するうち読んでしまって、結局買わず。すみません。


機織りや縫物はコタツでは出来ない。本はコタツで読み、寝床で読み、電車の中で読み、細切れの時間の有効活用。元々、人付き合いの苦手な私。年取って、本来の自分に戻りつつあるのかも。

人さまのブログ拝見すると、友達とランチ行ったり、この時期だと忘年会と楽しそう。そうなるためにはまず人の中へ出て行かないとね。

水彩画も写経も忘年会はなし。写経は、コロナ以前はあとでお茶会があったらしい。来年からできそうと奥様が言ってたけど、オミクロンでどうなりますか・・・

久しぶりにブックカバー出してみた。

自分で織って自分で縫製。青ではなくてもっと深い色。友達に貰ったレース糸。ブックカバーは電車の中で単行本読むときに使う。文庫本はそのまま読む。

良性だったとこの人にメールしたら、「万一悪性だとしても自分の口から言わせた方がいいと思って黙っていた。気になっていた」との返事が。

そうなんだあ。前もって不安がらせないようにとの配慮だったんだあ。あの日の赤ちゃんもすっかり大人になったようで、私も年取るはずです。

今年の夏の終わり、抱っこしてくれてる人の状態を知らせたら、それならあと三日と返信が来てその通りになった。この時言ったわけではないのに、見上げているその顔が言っているように錯覚する。それは親バカ。

今年もいろいろあったけど、前の世代を見送り、自分自身も老いに近づきつつあることをひしひしと感じています。

さてどんな日々が待っているのでしょうか。楽しみでもあり、そうでないようでもあり。

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田舎暮らし適正診断テスト

2021-12-17 | 日記

田舎暮らし適正診断テスト (inaka-tsuhan.com)

面白いのでやってみました。

私への診断結果は

風流人 長野県、山梨県の観光地に近いところ、別荘向き。

田舎の暮らしは肌に合わないが風景、自然をこよなく愛す。

別荘を建ててインテリアに凝る。

だそうです。かなり図星。

別荘は今さら面倒なので、今の家を別荘風インテリアにすればいいのかもしれない。それも面倒ですが。

よかったらあなたもトライしてみてください。

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「司馬遼太郎の歴史観」 中塚明

2021-12-17 | 読書

著者は日本近代史、特に近代日朝関係史が専門の歴史学者。京都大学を卒業し、現在は奈良女子大名誉教授で、現在92歳。

これもアマゾンのおすすめ本にあったので買って読んでみた。

2009年の発行当時、ちょうどNHKがドラマ「坂の上の雲」を延々3年間にわたり放送していたころ。

放送は知っている。以前、広島市の向かい側にある海上自衛隊術科学校を、県人会の催しで見学し、講堂も見たことがある。

戦前は海軍兵学校の建物で、海軍天皇隣席の卒業式をした講堂も残っていた。菊の紋章のある玉座みたいなのがあり、ここで「坂の上の雲」のロケをしたとの説明だった。

生前、司馬遼太郎は「坂の上の雲」の映像化を許可しなかったと言う。(戦争を肯定し)好戦的な気分を生み出すのが理由だとか。しかし、没後、遺族を説得して映像化にこぎつけたと言う。

主人公は秋山兄弟に正岡子規、日露戦争の時の話らしい。私は全然読んでないし、ドラマも見てないけど、先月、愛媛県の道後温泉に行ったら「坂の上の雲ミュージアム」みたいなのがあったので、当時は大変な人気だったのだと思う。

日本は太平洋戦争で完膚なきまでに敗北し、無条件降伏して、明治維新以来の近代化の遺産を一度ご破算にして出発した国ではあるけれど、戦後十数年がたち、世の中も落ち着いて豊かになるにつれ、明治時代の日本は素晴らしかったという風潮が生まれたと、長く生きてきたばあちゃんは思うのです。

よく憶えているのは「明治天皇と日清大戦争」「天皇皇后と日露大戦争」という二つの映画(題名はちょっと違っているかもしれない)。天皇役は嵐寛十郎、鞍馬天狗をよくやっていた人。映画館は混んでいたのでヒットしたんだと思う。

司馬遼太郎の歴史観も、この映画の延長上にあると思う。

私は、子供のころは歴史を長い物語と考えていましたが、歴史もまた科学、きちんとした資料を分析して当時の時代の姿をあきらかにする。資料が実験結果の場合や、文字に書かれた昔の生の史料の違いがあっても、誰が見ても矛盾のない結果を導き出す科学だと思っています。

しかし、歴史において、何を見て、あるいは何を見ないで、どんな結論を導き出すかに大きなブレがあるのはなぜでしょう。

それは多分、自国の歴史が自分の誇りとしばしば結びつき、見たいものしか見ない、あるいは見たくないものは拒否するという感情に支配されがちだからでしようか。

物理や化学の場合はこんなことないように思うのですが。

初めに思いありき。違う意見は聞きたくない。これではいつまでたっても平行線ですが、私は何よりも史料の意味するものを読み取り、事実の前に謙虚であれば、歴史観というのは後からついてくると思います。

この本では歴史学者の、史料を示す手法で、司馬遼太郎の歴史の見方が、日本人に心地よい一方的であることを一つ一つ明らかにしていきます。

日清戦争同時の朝鮮は決して遅れた国ではなく、民族の誇りを持った独立国であった。日本は明治維新のまだ前から、周辺の諸国へ進出するのが近代化という論調があり、(吉田松陰も)、その道をまっすぐに突き進んだのが1945年のまでの歴史だと私は思っています。

大昔に読んだ岩波講座の日本歴史シリーズ(1960年代発刊)で、日清戦争のまだ前に、日本は朝鮮から大量の金を手に入れたとありました。誰の何という論考か、本を捨ててしまったので確かめようがないのですが、それだけはものすごく印象に残っている。

資本主義勃興以前の、マルクス言うところの資本の原始的蓄積、それも全部ではないとしても一部朝鮮に依っていることに日本の後進性、近代化の危うさを感じたものでした。

多分、幕末の日本から、金と銀の兌換率が諸外国と違っていたので(日本は金が安かった)、交易が始まると瞬く間に、日本の金が海外に流失してしまったのと似た事情だったのでしょうか。

司馬遼太郎は、韓国の農村を歩くと本当に素朴な農民がいて、昔から全然変わらないのではないかと言っているそうですが、それは朝鮮民族は子供みたいなもので、日本に文句言うのは子供が駄々をこねているようなもの、という日本会議の見方と地続きではないでしょうか。


この本の中で特に興味深かったのは、著者が福島県立図書館の日清戦争の原史料に当たって、公刊されている戦史との違いを明らかにしたこと。郡山市の実業家が日清、日露の戦争資料をコレクションしていて、その中に「日清公刊戦史」の草案が残されていたのでした。その中には詳細な王宮占領の記録もあるとのこと。

例の閔妃暗殺事件ですね。他国の軍隊がそよの国のお城に攻め込んで王妃を暗殺する事案は、私は不勉強でよく知らないのですが、世界史的に見てもそう多くはないと思う。

この草案が流失したのは、おそらく敗戦時のどさくさで、焼却処分されるはずが残ったからではないかと著者は類推しています。

公文書は書き替えてはいけませんね。最近では財務省の公文書を書き換えさせられた人が、業務命令と自分の良心との板挟みにあい、自死しました。

公文書の書き換え、それは歴史を捏造すること。そんなことしている国は、やがて、力の持つ者に都合がいいような間違った方向へ行き、歴史によってしっぺ返しを受けるのではないでしょうか。

司馬遼太郎のためにわざわざ一冊の本を書くまでもないと思いましたが、(すみません、愛読者の皆さん)学者がきっちりと相手にして論考しているのがなかなかよかったです。

人は内輪褒めの耳当たりのいい話にとかくなびきがちですが、批判の中にこそ、自らを省みて次の一歩が踏み出せるきっかけがあるのではないでしょうか。


夫からの批判は別だよう~

うるさいわね、いちいち!

私がおやつ食べたいから食べてるの!!

指図しないで!!!

というように。

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「針と糸」 小川糸

2021-12-16 | 読書

公民から借りてきた。

2016年から2018年にかけて、毎日新聞に連載したエッセィを一冊にまとめたもの。

読みやすい文章たけど、なかなか観察が深く、示唆に富む本でもありました。

著者は仕事で訪れたベルリンが好きになり、子供もいないこともあって夫と二人で長期滞在し、そこで仕事もし、ドイツ語学校に通い、「ゆりね」という犬も飼っている。

読みどころはドイツと日本の生活習慣、文化の違い。便利で華やかな日本、合理的で無駄のないドイツ。ドイツで暮らしていると、日本自体が巨大なショッピングモールに見え、サービスという名のもと、何にでもお金がかかる。そうです。

また戦争の記憶も、石に刻むドイツ、水に流す日本。道でペット同士を遊ばせる日本、ドッグラン以外では犬をじゃれ合わせないドイツ。何でもお金で買える日本、ガレージセールなどで品物を融通し合うドイツと、文化の比較としても面白く読みました。

まだ母親のことにも触れている。母親は強烈な個性の人で、自分の思うようにしたがり、気に入らないと怒りから子供に暴力をふるう人であったとのこと。怖くて、最近までその母親に追いかけられる夢を見ていたとか。

そんなことを日記に書いて提出するわけにいかないのでお話を作っていた。それが作家になる原点だったそうで。

なるほど、書くことについては、どんな体験も無駄ではない。幸せなこと、楽しいことよりも、苦しいことの中に書く材料が転がっていて、それが財産になる。そのことをあらためて思った。

 

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ノブドウの散歩道

2021-12-15 | 日記

本日、近所のクリニックへ。そのあとカメラ持って出かける。

旧国鉄宇品線。法面の上が廃線跡。

桑。

戦後しばらくも近くの黄金山山ろくで桑の栽培をしていた。

ハナニラ

 

ふれあい広場。

イタドリ。

 

 

 

ハスノハカズラ。

海岸に分布。明治初め、この付近は黄金山から続く海岸線。

 

 

ヘラオオバコ

ノブドウが紅葉している。

石垣は、日清戦争直前の鉄道敷設当時のもの?

コナスビ。棘がない。

棘があるのが北米原産のワルナスビ。

ワラビ。

線路跡は国有地らしい。


ドライフラワーになって、葉が落ちないといいけど。。。。


本日は先日の検査の結果を聞きに行った。

良性。一年後にまた見せてくださいとのことだった。やれやれ。

先日来た息子に貰った写真見せたら、あるとしたらこのあたりかな。全体で10ミリ、本体は大きくて3ミリ、もう採ったあと。何もしなくていい。全然心配してないとのことだったけど、やはり気に掛かっていたので一安心です。

きっかけは4月半ば、ものすごくお腹が痛くなって血液も混じるので、当日に急遽検査してもらいました。気になるのは採りましょうと言われたけど、明日から旅行とお断りしていた。だって、楽しいこと、やめられないので。

先生には、エッ(このコロナなのに)旅行ですか・・・では秋の終わりころまた来てくださいと言われていた。

やれやれ、次回は一年後。それで何ともなかったら三年後でいいそうです。


きょう、カメラ持って草むらを徘徊しながら、健康で、自分の足で歩けて、好きな所へ行けるのが何よりのことと、しみじみとしていました。

これってすでに老人の感慨。いいもん、老人だもん。

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京橋川、川べり散歩

2021-12-14 | 日記

土の上を歩きたい。

土のある川土手の道を歩きます。

 

赤い橋桁が国道2号線。

広島では東に川のある土地が好まれる。

この付近は戦前は別荘通りと呼ばれて、比治山を望む景勝地。大きな屋敷が多かったそうですが、今は代替わりしてほとんどがマンションに。

道は土の色に舗装している。

芝生が生えているのがほんとの土の道。

午前10時前。

日脚、長し。

鶴見橋と駅方向。

クヌギ?

クヌギとマンション。

斜面。

樹影。

カキとリュウキュウアサガオ。

筆柿?

川土手の小さな祠。延命地蔵尊。

イヌビワ。

平和大通り。あちら平和公園方向。

まだまだ紅い。

公共事業。

比治山橋袂の石柱。

大正15年=1926年製作。

削っているのは広島城内にあった第五師団の字?

こちら側だけ、削ったあと字をもう一度入れています。

おそらく敗戦(終戦)後、占領軍(進駐軍)の目を逃れるため、軍国主義的な部分を消したと思われます。

御便殿は、広島城内にあった日清戦争当時の天皇の宿舎。

のちに比治山に移し、神社のようにして拝んでいた。

原爆で倒壊後は再建されず。

味日本の敷地にアカザが生えています。

徒然草58段

紙のふすま、麻の衣、一はつのまうけ、あかざあつもの、いくばくか人のつひえをなさん。求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。

質素なものの例え。今はたぶん誰も食べないけど、ホウレンソウに仲間じゃなかった?

などと徘徊しながら、今朝の散歩は終了。

中学生のころ読んだショートショートに、未来を描いた小説として、高層ビルに住む一人暮らしのお婆さん。一人でも寂しくないのは胸に下げたロケットの中に土を少しだけ入れているから・・・誰の作品だったのかな。

その時は、そんなものかなあと思ったけど、今はタワマンのベランダにはプランターも置けないのでしょうか。風が強すぎて。というか、見上げたところベランダもなさそうですが。

土があれば寂しくなく生きていけるって、うん、分かる分かる。

土が命をはぐくみ、記憶を喚起する。その上を歩くのが人間の本来の姿。舗装された道ばかり歩くと、自分が生き物だと忘れそう。

ばあちゃんは、硬い道で膝を悪くして、卒然として悟ったのです。


本日の暖かい工夫。

突っ張り棒2本に冬用のシーツ3枚。

昼休みに帰った夫が、文句言うので「カーテン反対って言うから、シーツにしたのに」と反論する。「カーテンレール、買いに行って返品して、車で二往復したのに・・・」

シーツはもっと反対だそうですが、もう掛けたもんね。

何か高貴な人の御座所のように見えませんか。

両側の帳とばりが開いて、内外に即位を宣言するという・・・

いえいえ、この冬は、この中で暖房して機織りの予定。

出来上がるまでは決して覗かないように・・・はツルの恩返し。

一枚織るたびに痩せればいいんですがなかなか・・・。

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機織り、続行

2021-12-13 | 機織り

平織りばかりでは面白くない。

初めから綾織はどうかなと、試しに織ってみたけど、今度は経糸が目立って、そうきれいでもない。

結局、今まで通りで織ることにした。

経糸は、初めから一か所継いでいるところがあって、織っているうちに切れた。

通し間違いで捨てていた経糸が近くだったので、それを引っ張って来て綜絖と筬に通し、手前の糸と一部重複して織り、ボンドで修復。

目立つ。違ったことするとどうしても目立つのが平織りのいいところでもあり、悪いところでもあり。

午前中に50㎝くらいまで織った。あと1m、今週中には仕上げたいものです。


膝は、昨夜寝ている時は前も後ろも痛くて目が醒めるほどだった。

無理して、せっかく治っていたのに元の木阿弥?とがっかりしてまた寝たけど、朝起きるとあら不思議、痛いのはすっかり治っていた。

いえいえ、痛いのは痛いんです。それは両脚が同じ、山歩きの翌日の痛さ。私の場合は大腿四頭筋と足首。山歩きも久しぶりなのでこれは懐かしい痛さ。明日にはほぼ治まっていると期待したいものです。

痛みとは不思議なもので、痛い時にはずっと気になって気分も落ち込む。特に下肢は出かけることも、毎日の動作もおっくうで心の片隅にずっと痛さが居座っている。

私達の世代で人気作家だった高橋和巳は、肝臓がんで40歳ころ亡くなったけれど、晩年のエッセイに「痛みの周りを意識がグルグル巡っていて、他のことは何も考えられない」という意味のことを書いていた。

当時は鎮痛剤も今のようにいいものがなく、がんの闘病は痛さとの闘いでもあったと思う。みんな、その痛さを何よりも恐れていた。

立派な作家でも、痛いことは痛いとしか書けない。そのことが痛ましかった。

で、痛みが取れると、「ああ、今は痛くない」と考えたりもしない。痛かったことも忘れている。それが痛くないことのありがたさ。年寄りがよく、「どこも痛くない」ことを幸せの一つに挙げているけれど、私もそろそろそのことが分かる年になったようです。

昨日山へ行く気になったのは、先週の納骨に向かう道すがら、山のコナラやクヌギが茶色から黄色まで色とりどりにきれいで、その下を歩きたいと思ったから。

膝が痛いので途中で引き返してもいいと登り始めたのですが、慎重にゆっくり登ったおかげか、特に息切れもせず、頂上手前まで往復2時間半を掛けて無事下山しました。

最近では下山にも時間がかかります。無理な衝撃が足にかからないよう、段差を下りるときはゆっくりと、足を置く場所もこまめに探して歩幅もなるだけ狭く。結局、登るのと同じだけ時間がかかったけど、今朝になって膝が全然痛くないのは本当に意外でした。前日よりもよくなっている感じ。やれやれ、と心が軽くなりました。

私が思うに、山歩きは歩幅、足首の角度、力の入れ方など一歩一歩違うので、普段使わない筋肉も刺激して、リハビリ効果があったのかと。

久しぶりに土の上、落ち葉の上を歩いて心が生き返るようでもありました。私が子供のころは家の周りや通学路はまだ未舗装でした。また昭和20年代の終わり、東京まで自転車で往復する冒険旅行したのは大学生だった叔父ですが、後年の話で、その頃はまだ国道一号線でさえ、市街地以外は土の道だったとのこと。

今日つらつらかんがえたことは、人間は二足歩行を始めてから今までずっと土の上を歩いていて、それに合わせて体の仕組みも作られたのではないかと。

舗装道路が広く行き渡ったのは高々この数十年のこと、その上をいくら靴を履いていたとしても歩くのは苛酷ではないかなと愚考したわけです。舗装道路は何よりも自動車のためにある。人間が歩くには向かないのかなと。

前置きがものすごく長くなりましたが、私の中のご先祖の記憶がよみがえったのか、今日も土の上を歩きたくなりました。

でも、土って、どこにある?

出来れば草の生えた柔らかな土。傾斜があれば猶よし。

で、近所の公園に行く。

芝生と歩道が混ざっている。

向こうの道路、オバマさんが広島へ来たときに通った。ランプで降りて反対車線に回り、平和公園に通じる吉島へと降りたのでした。

ここへ来るといつも思い出す。

ちょっとだけ小高くなっている。

平日の昼過ぎ、人影なし。子供は学校へ、大人は仕事に。年寄りは家でおとなしく、はたまた社交と社会活動。

一人でさまよう時には大きなカメラ持参。ばあちゃんだけど、趣味で写真撮ってる、決して徘徊しているわけじゃないというアピール。

そのカメラ、殆ど使いこなせていません。大きなレンズつければもっと様になるけど、使いこなせないもの増やしても仕方ない。もうものは増やさない。楽しい、幸せな体験だけ増やして思い出にしていく。

冬の海。

雲の合間から冬の日が射す。

ある知り合いの方、がんの手術後、毎日一時間の散歩。それで健康を保っているそうです。歩くの大切。歩くのが、自然の中を歩くのがリハビリになるなんて・・・膝が痛くなるまで知らなかった。

痛くなったきっかけは、9月に夫と食事に行ってから。Pのない店、近隣にもなくて、私自転車、夫徒歩。自転車走らせて少し行っては立ち止まり、また押して話しながら、また乗ってとふざけたのが悪かったかも。そこの平たい靴で、夏の間ほとんど家にいたので、急に変な歩き方して悪かったんだと思う。

登山靴に分厚い靴下、山道をゆっくり歩く。これからも機会を見つけて歩きたいものです。

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蓮華寺山、単独登山

2021-12-12 | 山歩き

膝がほぼ治ったので山を歩いてみました。

夫は用事があるので、私一人の山歩きです。

行先は安芸区中野の蓮華寺山、標高374m、JR安芸中野駅で降りて、そこから歩く予定です。

超高速、必殺時短弁当。製作時間、数分。

必殺、クリスマス風呂敷。

家を出るのが遅くなって、電車が午後になってしまった・・・

駅前の立派な案内板。

麓の蓮華寺の境内から登山道が始まります。

途中、石仏が八十八番まで安置されています。

大体が歩きやすい道です。

山頂近く、見晴らしのいい場所へ。ここで持参のお弁当を食べることにします。

コナラ

畑賀への分岐。

頂上は昔、山城があり、手前広場には蓮花寺の遺跡がわずかに残ります。

麓の蓮花寺は、昭和の初めに造られたとのことです。

最初の広場。古い五輪塔。

中心広場。山頂はさらに400メートル行きます。

他のグループはもう下山してしまいました。午後2時になったので山頂まで100mくらいの所で引き返します。

帰り道。

冬山は、もう薄暗くなりました。すぐに暗くなりそう。そうなる前に下山です。

だあれもいません。転ばないように、骨折しないよう、また道迷いにも気を付けて下山します。

石仏の番号を逆に辿りながら、石仏伝いに下りていきます。

蓮華寺の屋根が見えてきました。

いちばんまで戻りました。

無事下山したお礼に、山中で自作した杖を奉納します。

蓮華寺境内。真言宗。

本堂。

猫。

この道を上がってきました。今から下ります。

駅に向かう途中で振り返ります。

7月の九州以来、久しぶりの登山でした。これからも膝と相談しながら、近場の山を歩きたいものてす。


中野駅前は旧西国街道。

街道筋の面影がわずかに残ります。


用心して歩いたので、何とか無事下山できました。今日は最高気温が16度と暖かい日曜日でした。

寒い時には近くの山を歩いて、体力をキープしたいものです。

ぼんやりしていても一日があっと言う間に過ぎる。思い切って出かけてよかったです。

この歳になると、時間が何よりも大切と次第にわかってきます。お金は使わなければ次の日に繰り越して節約できるけれど、時間はその時に有意義に使わないと、後には残りません。

元気で動けるのはありがたいなと思いつつ、これからも山歩きなど、頑張りましょう。

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暖かい師走

2021-12-11 | 日記

師走の暖房大作戦。

昭和の家には床の間が。

でもこの部屋はお客さん通すこともなく、今は寝る部屋に。

暖房効率よくするために、床の間を閉じてみました。

突っ張り棒に冬用のシーツです。冬の間はこれで行きます。

春には外します。


もう一か所、機織りする部屋は居間と一続き。全体で17畳半15畳半の空間。こちらも暖房の効率が悪く、冬は間仕切りが欲しい。

その間仕切りは、カーテンにするか、突っ張り棒に布を下げるかで迷ったけど、結局突っ張りとシーツ3枚で間仕切りすることにした。

わあ~貧乏くさ!!

貧乏くさいので、お客さんきたら急いで外す。

あら、後ろに何持ってるの?

いや、何でもない、何でもないっていう話の流れ。になる予感。

夫、腰が痛いと言いつつ、照明器具を取り付ける。

前のは昭和時代の丸い蛍光管、今度は丸くて小さな粒々が並んでいて、カバーしても明るい。多分これで最後まで。

こちらは切れたままだったけど、予備の電球が出てきたのでつけてみる。

ちょっとアールヌーボー調というのはおこがましすぎますね。今のエディオンで30年くらい前に購入。

アールヌーボーと言えば、目黒の旧朝香宮邸。世紀末のフランスに滞在していたのは大使か、はたまた駐在武官だったのか・・・

夫実家の本家筋に、陸軍大演習の折立ち寄ったのは朝香宮だったそうですが、あの屋敷を建てさせた人かどうかは不明。


暖かいので庭の落ち葉の掃除。

葉が落ちる時期が木によって違うので、お正月までにあと二回くらいは掃除の予定。

きょうはシロモジが裸になったので飾りをつける。

ささやかなクリスマス。

とは言え、節分過ぎまで毎年ぶら下げておく。

冬の裸木を少しでも華やかに。


きょう嬉しかったこと。

膝の痛みがほぼ治ったこと。

思い返せば9月半ばから今まで、三か月もかかった。

本当の元通りではないけれど、時々痛かったこと忘れている。それで気分が楽になった。やれやれ、しっかり歩いて少しでも老化を遅らせたいもの。

先日訪ねて行った友達は、中学、高校が同じ。揃って広島へ来て、大学は違っていたけど、もう60年くらいの付き合い。

お互いこちらには親戚もないので、困った時は助け合い、話も聞いて聞かされて、とっても世話になった。

リハビリしてまた元気になってほしいと思う。

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機織り・続行中

2021-12-11 | 機織り

昨日

綜絖通したら5本不足。整経のときの数え間違いが4本に重複して通したところが一か所、その糸は捨てて、右側から千巻をほどいて5本追加。

筬框から筬を外して水平にし、糸を通す。

手前の女巻に結び付けて機拵えが終わる。やれやれ。ここまで昨日。


本日、早く起きたので朝食前に一時間くらい織る。

面白い色合いを生かすために平織りにしたけれど、平織りは踏み方はいちばん簡単だけど、やはり難しい。

何かほかの織り方にしたらよかったけど、どうしようかな~

途中で綾織混ぜてごまかすとか。。。。

あと数時間の作業量でしょうか。マフラーにするつもりですが、首は一つ、マフラーたくさん。

今回は経糸も緯糸も毛糸です。

経糸は中細、イオンの手芸コーナーで。アクリルにウールが20%混ざった混紡。

緯糸にしたのはダイソーで。こちらはウール100%。

最近は街から手芸店が消え、毛糸の専門店もほぼ絶滅、自分で何か作る時には材料の調達に苦労する。少ない品ぞろえの中から、何とか妥協して買ってきた。

手作りをする人間もそろそろ絶滅危惧種。

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お見舞い・納骨・食事へ

2021-12-09 | 日記

本日午後から姑様の納骨。

久しぶりにきちんとした服を着ると、ついでに友達の家に行きたくなって電話する。

もう寝た切りになりましたとご主人が言われるのでびっくりして、自転車で15分くらいのお宅へお邪魔する。勝手知ったる友達の家、勝手に上がって、ベッド脇のご主人、ベッドに横になる友達としばし話をする。

昼になったので帰宅。思い切って行ってよかった。

午後から納骨。

墓地の横にもうフユイチゴが実を付けていた。

墓地の掃除は墓石業者さんが前もってしてくれていた。

義妹夫妻、夫の故従兄の家族二人も来てくれて総勢6人で納骨式。昔からの菩提寺のご住職にお願いして、無事終了。少しだけ立ち話して解散。

いよいよ一連のお見送りの行事も終わった。墓地にいると、いろいろなことを思い出した。

田舎でゆっくり話すところもなく、義妹夫婦も車で帰って行った。行事が終わり、親族が分かれていくこの場面が私はなぜか弱い。次は一周忌、次はどこか店に行ければいいけれど。そう思った。


帰宅途中、ビックカメラで照明器具を買い、夕食は近所のお寿司屋さんへ食べに行った。

自前の釣り船があり、店主自ら、目の前の広島湾で獲った魚も店に出る。歩いて行けるので年に何回かは食べに行く。

握りずしのお任せコース。

お酒と付き出し。カキを揚げて甘酢に浸けている。

揚げ物はカキ、アジなど。

蒸しもの。

蒸しカキをオプションで注文します。

最後が盛り合わせ寿司。

ここにもカキが隠れている。

おまかせコースはもっとボリュームいっぱい。以前は何度か食べたけど。

いつかまたチャレンジ・・・しなくてもいいけれど。


きょうは友達のお見舞い、納骨、食事と、したかったこと、するべきこと一つずつこなして新しい年を迎えましょう。

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機織り始めました

2021-12-08 | 機織り

整経

中細毛糸 172本 60/10㎝の筬の予定

長さ220㎝ 

出来上がりは長さ150㎝、幅30㎝のマフラーの予定。

今回、粗筬は久しぶりに自作のを使う。

テキトーに糸を分けたら千巻に通すところが一つ多くて、これまたテキトーに配分。

自作の粗筬は5㎝角の角材に2㎝間隔に釘を打ったもの。

両端は糸巻(糸枠)に乗せて固定。

糸は細かく分けずに目分量で8等分、それを9つに分けて結ぶ。

膝を悪くしてから床巻はしない。座卓の上で、椅子に糸の端を結んで作業。

最後まで糸を巻いたら固定していた紐を外し、千巻箱を持ち上げて・・・

残りの糸を巻いて粗筬の向こうへ置く。簡単。綾返し不要。

これで織機の所へ持って行き、取り付けます。

千巻箱に芯棒を通し、歯車(菊)を付けて織り機に取り付けます。

あーあ、よく働いた。本日の作業はこれにて終了。

10年くらい前、まだ教室で習っていたころに織ったマフラー。

ずっとダウンのコートやジャケット着ていたので出番がなかったけれど、最近使っています。

経糸、緯糸ともに中細の毛糸。一番簡単な平織りで、糸の柔らかさがよく出ていると思います。グレー、ピンクを縦横2本ずつ並べるだけで上品な感じ。デザインは先生のアドバイスだったと思う。

ちょっとしたことも数こなしていないとできない。私はまだまだですが、まだまだでもう終わりそう。

でもまあ、出来る限りは頑張ります。


本日の発掘写真館。

右はシロを抱く私。成犬でこの大きさ。

私は小さいころ犬に何度か噛まれたので、犬への恐怖心が今もありますが、この犬だけは小さいし、そう怖くなかったです。

穏やかないい犬でした。

二つ上の写真の左二枚はこの家の最後。父が送ってくれた。

実家は元々は写真の後ろに見えている黒い屋根の家。

壊さずに残して新しいのを南側に建てたのは、まだまだ集まりごと、葬式などの必要から。

葬儀は新しい家で、そのあとの近所の人たちへのふるまいは裏の家の座敷で。

そして家一軒、のちには物置にしていた。

壊したのは区画整理事業の一環で。

農村に自然発生的にできた道路が狭くて時代に合わなくなった。

家が増えて、農業用水路に生活排水を一緒に流すのは限界があった。

農業用の用水路とは別に、生活排水のための下水道を整備。合わせて圃場整備と道路の確保。

要するに・・・

宅地に農地に道路に用水路に下水路に、全部区割りを直して地面も掘り返して新しい街を作る。ということでした。そのための換地と減歩、私の実家もまだ充分住めるのに取り壊し、宅地や農地も道路用地に一部差し出し、配分された別の場所に新しく家を建てました。その間一年間は米を作らなかったことも。だって水田は整備中。

その時には同じ広さの新しく家を建てる金額と、庭木なども(もしかしたら米代も)補償されたので、家が二軒に借家、納屋、そのほかの建物などもあり、私の実家では無事新しい家を建てることができました。

自分で古い家を壊して新しく建てるのは大変ですが、そういう経緯なので、よかったと思います。しかし、人間は思いがけないお金が入った時にどうふるまうべきか、考えさせられる出来事もいろいろありました。いいことばかりではないのです。

上の写真で、ブルドーザーで壊している手前に古い実家がありました。弟たちも大きくなり、三人に離れの勉強部屋を父が建ててくれました。廊下伝いに庭先の部屋は、勉強するのにいい環境でしたが、それ以上に友達が遊びに来たときには、玄関を通らず、庭から直接部屋に上がれるので都合がよかったのです。

それももうとうにありません。友達呼んでクリスマス会したことも。高校生なのでお酒はなし。ジュースにお菓子。そしてカラオケなしで歌うとか。


おやまあ、人さまにはどうでもいい長話、失礼しました。

写真をアルバムから剥がして、いちいちいろんなこと思い出していたらいくら時間があっても足りなさそう。

昔のことはほどほどにして、明日はいよいよ納骨です。暖かいいいお天気になりそうでよかった。どこまで行っても子供孝行な姑様です。

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