線で繋ぐ山歩き・阿讃縦走路編の第二回目となる今日は
前回の続きの曼陀峠から六地蔵越を繋いできた。
前回のスタート地点となった曼陀峠に集合し、あっちゃんとルリちゃんの車をデポ。
そのまま雲辺寺への県境沿いの林道を走り、一旦県道268号線に出て左折。
途中から県道6号線を大興寺と書かれた標識から
斜め左上に六地蔵越へと向かって行った。ただ県道入り口には『道幅が狭く離合が困難』と
書かれた看板があり、道はその看板通り道幅が無く、ガードレールもない荒れた道だった。
痛んだ舗装の窪みを通るたびに、ルリちゃんが声を上げている。
県道分岐からは道は悪いが10分ほどで六地蔵越に着いた。峠には駐車スペースは無く、
徳島県側に少し下がった場所に数台停められる場所があった。
六地蔵越は、地形図に名前が書かれているこの場所より北の尾根が本来の場所だったようだ。
鞍部でも何でもない場所だが讃岐と阿波を結ぶ峠だった場所に六地蔵もあった。
その六地蔵は県道が改修された後、昭和45年に現在の場所に移設され、
今は人の行き来ではなく車の行き来を見守っている。
今日も前回と同様に東から西への縦走。前回は西からスタートして東へと順に歩くのが
セオリーと思っていたあっちゃんも、大谷山からの急坂を下るのにに苦労して、
今回はそのこだわりもなくなったようで何も言わなくなった。
順序通りに歩いて苦労するより、水は高きより低き流れと言うではないですか?と、
色々言い訳を考えながら、楽してとにかく線で繋ぐ事を優先するへっぽこリーダーだった。
そうとはいえ六地蔵越からはいきなりの急登。いつもながら体がまだ温まっていない
スタート直後の急登はキツイ。ただその急登もすぐ終わり緩やかな尾根道がしばらく続いて行く。
スタートから15分ほどで最初の三角点に着いた。三等三角点 蜂ケ谷 642.65m。
この縦走路は尾根道になると、道幅も広くとにかく歩きやすい。
北側は葉の落ちた木々の間から麓の山本町が見下ろせるが、眺望が開けた場所はない。
途中で『右こんぴらさん 左うんぺんじ』と彫られたお地蔵さんが、道の真ん中に鎮座していた。
この場所も峠道だったのだろうか?ただ地形図にはその記載はない。
お地蔵さんから少し登って行くと二つ目の三角点四等三角点 山本 673.7m。
三角点の横には『辻財産区』と書かれたプレートと、いつものキティーちゃんの
プレートが木に巻かれていた。国土地理院の『点の記』を見ると
三角点の場所の所有者は山本町となっている。辻は麓の大興寺の辺りの地区名。
この辺りの管理や他の権利を辻地区が所有しているという事だろう。
道は次第に巨木が並ぶ自然林の道になり、何度かアップダウンしながら進んで行くが、
登りよりもとにかく急な下りがほとんどなく、先週に比べるとずいぶん楽だ。
冬の訪れを積もった落ち葉に感じながら、緩やかに高度を上げていく。
途中でも何ヵ所も先ほどの『辻財産区』や『辻』と書かれた札が掛けられていた。
辻地区の人はよっぽど『この尾根の山林は我々の所有だ!』と主張したいらしい。
四等三角点 河内を過ぎると四国のみちの道標が立ち始めた。
尾根道の北側に木々が無くなり見晴らしが効く場所があった。あっちゃんとルリちゃんが
道から外れてその景色を眺めに行っている。その間に私は一服タイム!
すると視力2.0のルリちゃんが伊吹島の奥に『しまなみ海道の橋が見える!』と言っている。
横で聞きながら方角的に疑心暗鬼な私は『そんなはずはないでしょう』と言ってみたものの、
GPSで確認して見ると、確かに燧灘は大きく湾曲していて、伊吹島の奥が因島辺りだった。
『ルリちゃんが正しいです!』と慌てて訂正した。それにしても恐るべし視力2.0!
一服が終わった私は尾根道に戻って歩いて行くと、二人は見晴らしの場所から、
少し藪いた中を進んで尾根道に合流してきた。合流した場所は『小松尾寺道』と彫られた石柱と
お地蔵さんが立つ粟井ダムからの四国のみちとの分岐になっていた。
するとルリちゃんが『スマホが無い!』と騒ぎだした。ザックを降ろしてズボンの
ポケットも探して見ても見当たらない。仕方がないのあっちゃんが電話をかけながら
また藪の中へと戻って行く。幸い直ぐに着信音のするスマホは見つかり、事なきを得た。
分岐からしばらく歩くと、今度は麓のロープウェイからの道の分岐。
さらに歩いて行くと巨大な電波塔。地形図ではこの辺りに二等三角点 雲辺寺が
あるはずだが、先ほどの河内とこの雲辺寺の三角点は見過ごしてしまった。
電波塔を過ぎるとコンクリートの道になり、雲辺寺が近づいてくる。
境内に入る手前には道の両側に五百羅漢が並んでいる。
羅漢像は一体一体ユニークで、様々な格好をしていていつ見ても見飽きない。
自分に似ている像がひとつはあると言われているが、ルリちゃんがその内の
一体を指さし『これが家の主人』と言っている。(知っている人にはすぐわかる)
境内はツアー客の団体で賑わっていた。そのツアー客も普段なら参拝だけで
帰るところだが、最近話題になっている山頂公園の『空中のブランコ』までが
どうやらコースになっているようで、センターハウスまで皆さん歩いて行っている。
ツアー客のご婦人方に紛れて、センターハウスの中を通り外に出ると、
スキー場のゲレンデの頂部には三豊平野や燧灘、そして川之江の絶景が広がっていた。
広場になった場所には、ブランコの他にもインスタ映えするようなオブジェが
次々と新しく造られていて、それを目当てにカップルや若い女性たちも訪れていた。
そんな団体さんがいる中で『ちょっと恥ずかしいわね』と言いながら
ベンチに腰掛けいつものようにカップラーメンにお湯を注いでの昼食。
昼食を摂りながらあっちゃんが広げた行動食の多さに驚かされる。
(いつも大体これぐらいは昼食以外にたいらげるあっちゃん)
昼食を摂り終え団体客がいなくなったのをみはらかって、
我々もインスタ映え?の写真を撮ってみる。
映えるかどうかは分からないが、気持ちは一気に若返る。
ゲレンデ広場でゆっくりと時間を過ごした後、南側のコンクリート道を
阿讃縦走路へと下って行く。下って直ぐに猪避けのフェンスが張られていたが、
そのまま乗り越えて歩いて行く。奥様たちは乗り越えるのに一苦労している。
車道をそのまま道に沿って下って行く。奥様たちはいつもの様に朝ドラの話をし始めた。
ただどうも下り過ぎていると思ってスマホを見てみると、阿讃縦走路と反対の方角に
下っていた。慌てて声を掛け軌道修正引き返す。よく見ると車道の脇にピンクのテープがあり
そこから尾根道への取りつきとなっていた。ここ最近、奥様たちが朝ドラのイケメンの話を
し始めると、話に夢中になり道を外すと言う事が度々あった。
朝ドラ=道外し=GPSを確認という方程式。今度から朝ドラの話をし始めたら
直ぐにスマホのGPSを見てみる事にしよう。
車道から尾根道に入ると、しばらくは雲辺寺までの縦走路同じような
杉林の中の道が続いていたが、尾根の右側が萱原になる。
尾根の左側の杉林が伐採跡の植林の斜面になると、尾根に沿ってネットが張られていて、
萱の勢いも増して道が不明瞭になってくる。そのネットに沿って萱を掻き分け進んで行くと
鉄塔広場に飛び出した。
鉄塔広場からは道はまた明瞭になり、左に電力の施設だろうか?
表札を見ても消えていて何の施設か分からない建物があった。
その建物を通り過ぎ下って行くと四国のみちの朝通ってきた車道に出た。
このまま車道を歩いて行けば曼陀峠に続いているが、奥様たちは県境を忠実に歩くと言って
直ぐに車道から右に697mの標高点へと歩いて行く。ただまた直ぐに車道に飛び出した。
少し車道を歩くと鉄塔と電線が道路を横断する場所からは、南側に徳島の峰々が見渡せた。
直ぐに山座同定ができたのは天狗塚と牛の背。そこから東に雪を抱いた山が見えるが、
矢筈山とその手前の山が烏帽子山のようだ。
鉄塔を過ぎて少し歩くと奥様たちが、道の北側にある三角点を探し始めた。
車道から北側の木々の中を進み、萱原の中でGPSを見ながらぐるぐると歩きまわると、
その萱原の茂みの中に四等三角点 佐馬地 680.6mはあった。
地形図の642mの標高点の先で車道と県境は分かれている。県境沿いには右に道が続いていて、
奥様たちもスマホを見ながら『建物があるわ!』と言いながら、県境に沿って進んで行く。
道はアスファルト道だが、既に下草に覆われアスファルト道の体をなしていない。
『大抵この雰囲気だと建物の先は道は途切れてるんだけど』と思いながら付いて行くと
案の定その先は藪化していて、やれやれまた藪の中に突入する。
この先の581mの標高点でも、車道と県境は分かれていたが、
さすがに奥様たちも、もう藪の中を歩くのは・・・・・と言う事で
そのまま車道を歩いて行くと、デポ車の待つ曼陀峠に着いた。
今日の阿讃縦走路は高低差もあまりなく、とても歩きやすい道だった。
これぐらいの高低差なら歩行距離はもっと延ばせるのだが、日帰りの場合は
デポする場所と登山口までの距離が一番問題になってくる。
さてさて次はどう繋いで行くか。デポ車のルリちゃんの車に乗り込み、
また六地蔵越まで戻りながら、様々なコースが頭の中を駆け巡って行く。
六地蔵越から山本町に下り、財田町を抜けての帰り道。
沈みかけた陽に照らされ、車窓から見終えた里山が赤く染まっていた。
沿面距離 13.2km 行動時間5時間40分 累積標高+707.8m -737.1m
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