ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2019年8月19日(月)、津島保健所 ☁️

2019年08月20日 04時09分30秒 | 障がい者
5時過ぎに、天王川公園行こうと車を走らせると、東の空に真っ赤な太陽が出ていた。



薄曇りのお天気だったので、真っ赤になっていたのでしょうか。

散歩していると、中之島の池に白い睡蓮が咲いていた。



いつものようにストレッチをして、いつからこんな体操をしているかと聞くと、2~3年前からだということです。

しっかりストレッチをすると、蒸し暑くてビッショリと汗をかくのが気持ちがいいし、左の肩の痛みも少しづつ和らいでいくのを感じる。

車のある内は続けたいものです。

「のほほん日和」のメンバーと津島保健所に名刺型のチラシを届けに行く。

管内にどのくらいのひきこもりの人たちがいるのか聞いたが、詳しい調査はしていないので、実態はわからないということでした。

管内には、ひきこもりの居場所は「のほほん日和」だけで他にはないということだが、「不登校とひきこもりの家族会」があり、9月には交流会があるということですので、チラシをいただいてきたので、みんなで参加したいものです。

今後も保健所を通じて、ひきこもりで悩んでいる人たちと交流が出来るといいですね。

病院やクリニックなどにチラシを置かせてもらうなどして、ひきこもりの居場所「のほほん日和」があることを広めていきたい。

今日の万歩計は、6,872歩でした。
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2019年8月18日(日)、未来をひらく会 🌤️

2019年08月20日 03時15分13秒 | 平和、憲法
愛西市の革新懇「未来をひらく会」の総会が行われました。

民主文学の方から、自分自身の戦争の実体験を聞きました。

小学2年生の時に、大東亜戦争が始まり、空襲が激しくなり、忘れもしない3月24日に名古屋に130機の爆撃機がやって来て、防空壕に家族で逃げ込んでいるときに、家が爆弾で影も形もなくなってしまった。

小原村まで歩いて疎開をして、終戦まで過ごしたが、 何とか食べ物にもありついて、家族全員で生き延びることができた。

戦争の恐ろしさは忘れないようで、75年以上も前のことをよく覚えているものですね。

これからは、こうした戦争体験を聞くことが出来なくなるので、戦争の恐ろしさを聞くことができて良かった。

毎年のことであるが、当時を思い出して、野菜一杯の出しのきいたおいしい「すいとん」をみんなで食べました。



私は昭和21年生まれですが、姉たちはすいとんの話が出て来ると、「不味くて、嫌いだった」とよく話に出てきます。

私はすいとんの記憶はあまりありませんが、さつまいもが大好きで、さつまいもばかり食べていたので、「いも娘」と言われていたようです。

2度とあんな悲惨な戦争は起こしてはならない。

平和憲法を改悪させてはならないと決意した日になりました。

今日の万歩計は、9,419歩でした。






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