私が撮影所へ通い始めた頃は
まだ、テレビの影響は受けていません
京都四条大宮駅発の嵐電(らんでん)は
撮影所への通勤電車でした…
嵐電とは四条大宮発→嵐山行き、
京福電鉄(けいふく)の通称です
嵐電(らんでん)の太秦(うずまさ)駅では
東映、第2東映、大映撮影所の映画人が
ドッと下車していました。
次の帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅では
松竹のカツドウ屋さんが大勢下ります
映画関係者を普通、映画人といっていましたが
身内ではお互いをカツドウ屋と呼んでいました
映画は最初、サイレント映画(無声)でスタート
しました。そして映画のことを活動写真と
呼ばれていました。活動写真に携わる人を
カツドウ屋と呼ばれていました
撮影所は三社とも京都郊外にありました
毎朝の京都の勤め人は郊外から京都市内に
集まってきますから、撮影所に通うカツドウ屋さんは
それに逆行して郊外の撮影所に向かうことになります
四条大宮発の嵐電車内は、カツドウ屋さんで一杯でした