日本初の時代劇の
天然色映画の制作のために
使用するイーストマンカラーに
ついて、制作スタッフだった
親父はアメリカへ打ち合わせ?
として、出掛けていました。
ー ー ー
期間は約一ヶ月でした。
渡米中の親父からは
連絡はありませんでした。
当時の国際電話は電話代が
大変でしたから、仕方がないこと
でした。
ー ー ー
一月ほどして、親父は無事
帰ってきました。
アメリカへの往復は
パンナム航空でした。
ー ー ー
パンナム航空に搭乗した
記念に、パンアメリカンの
マーク付きのバッグをもらって
きました。
それと、アメリカへ行くのに
途中に、日付変更線があります。
その、日付変更線を越えたという
記念のシートも、貰っていました。