日本で時代劇映画を天然色で
制作することになって、
その制作スタッフになった
親父は他のスタッフと一緒に
アメリカへ出掛けました。
ー ー ー
期間は約一ヶ月でした。
無事、帰国した親父に
アメリカの土産話を聞きました。
ー ー ー
日本より先にアメリカでは
テレビ放送が始まっていました。
その影響がすさまじく、
親父らが訪れたハリウッドは
活気がかんじられません。
改めて、テレビの影響があったと
私に話してくれました。
ー ー ー
親父はコダック社へ出掛けると
同時に、もう一つのフィルムメーカーの
アンスコも訪れました。
アンスコのスタッフは
イーストマン・コダックに
負けましたと、話していたようでした。
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