私はスマートに見えるリバティ船に
乗りたかったのですが
日本の輸送船に乗せられました
京都から満州へ行くときは
神戸港から「みどり丸」という客船でした
いよいよ葫蘆島(ころとう)から日本へ引き揚げるのは
なんという船だろうと甲板を歩きながら
キョロキョロあたりを探しました
船橋の下に銘板が張ってありました
まず、明治△△年とあります
なんと古い船なんだなあと思いながら
船名を見つけて我が目を疑いました
なんと「信濃丸(しなのまる)」 と
記されています
日本海に入ってくるバルチック艦隊を
発見して、「敵艦見ユ…」と東郷平八郎元帥の
旗艦「三笠」に発信したのがこの「信濃丸」です
そして日本海海戦が始まります
… … …
ついこの間まで、戦時教育を受けていた私には
「天気晴朗なれども波高し…」とか
「皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ…」など
すぐ思い浮かぶのでした
この「敵艦見ユ」と打電した歴史的な船に
乗船できたことは不思議でした
少し年配の船員さんに、このことを話すと
笑顔で私の話を聞いてくれてそれから
機関室などを案内してくれることになります
私は、先月に三浦半島を旅行し、三笠記念館を見学したばかりです。
西欧諸国がアジア・アフリカを植民地化していたため、日本は、国を守るために富国強兵を実現し、西欧に追い付き追い越せと拡張政策を取っていたのでした。
杉山さんは、引き揚げてきたとは言え、満州ほどは酷くなかったですし、シベリア送りになったのでもないので、何とか助かりましたね。
私の様な戦後生まれには考えられないような苦労をされたのでしょうが、今までの書込みでは「不幸中の幸い」ですね。
今では、中国やロシアが領土拡大に無我夢中ですので、歴史は繰り返されるのでしょうか。
これからの書込みに期待しています。