初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

東映映画村

2009年03月16日 18時06分58秒 | Weblog
  JR山陰線を嵐山から京都に向かう途中の花園駅あたりで、車窓右側に東映撮影所のお城のオープンセットが見えていました。東映が日本でシネマスコープ第一回作品、「鳳城の花嫁」のときの拵えたものです。長い間建てられたままで、他の作品でも使われていました。当時の東映は上映作品が次々とヒットしていました。一週間で二本立ての興行でしたから、作品をどんどん作らなければなりません。第二東映までできました。撮影所の周りにオープンセットが増えていきました。

 太秦に、東映、大映、松竹と撮影所が集まっていて、近くの花園にフィルム現像の東洋現像所がありました。日本のハリウッドと呼ばれていました。

 東映の向かいにあった大映は、黒澤明の「羅生門」では壊れかけた羅生門のオープンセットが長い間建てられていました。黒澤監督が雲の形が気に入らないとかで、撮影日数が伸びたためです。次に「大仏開眼」で、大仏建立の話ですから、大仏様がオープンセットにできました。話の内容で主演女優の京マチ子が、大仏の手のひらで踊る場面がありましたから、頑丈で立派な仏様でした。

 撮影所めぐりのバスツアーで見学者のお年寄りが、このセットの大仏様の前で、両手を合わせてお賽銭を投げられました。会社では面喰っていました。

 東映は広大なオープンセットでテレビ映画なども多く作られました。その後、本編の映画制作は縮小されて、あまったオープンセットを利用して、「東映映画村」を作りましたところ、大評判、ヒットしました。

 この「東映映画村」の好評なことにヒントを得て、大阪に「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」ができたのでしょう…。

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